フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2010年01月10日

69.急遽日本へ

引越しをしてから一つ困っていることがある。それはインターネットの回線をこちらへ持ってこれないということだ。以前も書いたように、ここジャマイカには電話線がまだ通っていない。1月には通すという約束になっているので、それが本当に履行されることを切に願っているが、未だに何もアナウンスがないので雲行きはかなり怪しい。
ここフィリピンで、約束事がきちんと履行されることは少ない。パソコンの周辺機器を取り寄せで購入したときにも、届くのは1週間後と言われ、その1週間後に店に取りに行くと、客にストックが無くなったからなどという言い訳を言われ更に1週間待たされ、結局はそれがまた更に1週間待たされた。一事が万事そのようなことなので、最初はかなり苛立ちを覚えたものである。今ではだいぶ慣れてしまったが、当初はわかっていたつもりでも、次から次へとこのようなことに直面すると、やはりフィリピンはだめだなという想いに駆られた。だから約束は当てにならないのである。

結局今インターネットは、スマートブロという携帯端末にこまめにロードし、時々インターネットを繋ぐだけというアクセス方法になっている。グローブという通信会社のTATTOOという携帯端末もあるのだが、こちらはどうも安定性にかけるようで、かなり頻繁に回線が途切れる。そして繋がらないことも多い。実はTATOOは、5ペソ(いや、もしかしたら1ペソという話もあるが・・)だけをロードしておくと無制限で使用できる裏技があるので、ジャマイカに越してからは何とかこれをうまく使いたいと躍起になっていた。しかし日本語プラグインソフトとの相性が悪いのか、何度も繋ぎ直しているとパソコンそのものがおかしくなってしまう。
結局仕事にも差し支えるために、時々TATTOOを試しながらも、大方はスマートブロを使っている。


さてその仕事であるが、今年は年始早々から、忙しくなりそうな様相を呈している。

突然セブの仕事が舞い込んできた。セブの日系企業へ、モールド成型機を納めることになったのだ。設計は日本で行うことになった。メカ屋と電気屋の共同作業になるためである。
電気屋の僕の仕事は、シーケンサのコントロール部設計と、組み立て・配線・動作確認。メカの設計は社内で行い、そしてお客さんと共同で、組み立てや調整作業を複数種類について行い、その後お客さんと一緒にフィリピンの工場へ、大量の成型機を現地工場で組み立て・設置する予定である。その際お客さんのローカルのスタッフに、配線や操作方法や動作確認方法を伝授するのも、僕の仕事の中に含まれている。組み立てに関するメカニックな内容については、お客さんがそれを担当する。
帰国ついでに、いくつか社内で抱えている案件を手伝う予定にもなっている。
そしてフィリピンへ戻るのは1月末の予定である。

当初は、その成型機をシリーズ化して機種を拡張していくという足の長い仕事になるので、こちらのローカルスタッフを急募するつもりだったが、お客さんのローカルスタッフを活用することになったためにそれが不要になった。よって2月中旬のセブの現地工場での仕事は、約1週間になりそうである。

セブでの仕事が入ったことで、モナの心中は穏やかではなかった。僕がセブに行ったら、モナは僕がリンと会うと思っている。僕には全くそのつもりはないのだが、モナは気になって仕方がないようだった。
第一僕は、リンが今セブにいるかどうかもわからないのである。そのように言ったらモナに、リンはセブにいると言われた。しかし僕は今、彼女の電話番号を知らないと言ったら、アコは知ってるよと言われ、リンのスマートとグローブの番号を見せられた。それらの番号は、確かに末尾の番号に見覚えがあった。最後に、リンはカナダ人と婚約していたから、もう結婚しているかもしれないと言ったら、それは無いと言われた。その恋人らしき人は、いつの間にかいなくなったような話をするのである。
僕は知らないふりをしているわけではなく、本当に知らないのであるが、僕が知らないリンのことをモナは全て知っているようで驚いた。僕は内心、リンが誰かと幸せになってくれそうだと安心していたのに、余計なことを教えてくれるとまた心配になるじゃないかと思いながら、なぜそんなに詳しいのかと訊いたら、へへへと笑い誤魔化された。
モナはリンと連絡を取っているわけではない。それは確かである。とすれば、その情報は一体どこから入ってくるのだろうか。女とは恐ろしい生き物だとあらためて思うのである。

僕は以前怪メールにからんだいざこざがあってから、このようなことにも深く詮索することはしないようにしているので、モナがどこから情報を仕入れているのかを、詳しくは聞かなかった。今の僕には、それはどうでも良いことになっている。

最後に、コーヒーショップで会ったりするんじゃないのと言われたので、それも否定した。「僕が今さらリンと会って、一体何の話をすればいいというの?話すことがないから会う必要はないよ」と言ったら、最近どうしてるとか、そんな話だけでもいいんじゃないとモナは言うので、僕は「それじゃあ僕は、最近モナと結婚して子供もいて幸せに暮らしています、以上って最初に近況報告をして、そのあと二人で、黙々とコーヒーでも飲むわけ?」と茶化して言うと、彼女はケタケタと笑いながらようやく納得したようだった。モナは「アコはもうあなたと結婚して、二人の子供もいるから自信あるよ。だから少しは心配だけど、だいじょうぶよ」と言った。
最後のだいじょうぶは、僕がリンと会うことがだいじょうぶなのか、疑いはもう晴れたからだいじょうぶという意味なのかよくわからなかったが、僕もそれ以上は話を掘り下げたくなかったので、ああ、そうと言い、この話を打ち切った。
しかし僕もセブの出張の話は、モナがあらぬ疑いを持つので言い出しにくかったのである。きっとモナが不快に思うだろうなと思っていた。とりあえずこんな形で申告することができたので、良かったと思っている。

ついでに仕事の話を続けると、フィリピンで現地法人を立ち上げる話は、日本のフィリピン大使館に勤める日本人の方に相談をし、少しずつ現実味を帯び始めている。
具体的な登録手続きが始まろうとしており、既にオフィス住所のやり取りをしている。
日本のフィリピン大使館では、日本企業のフィリピン誘致も仕事の一つとして抱えているらしく、先方は積極的に情報提供をしてくれる。

そのフィリピン大使館の方から、日本企業誘致活動の一環で、フィリピン国内でのIT産業に関する視察ツアーのお奨めがあった。それが2月の始めである。参加するかどうかはまだ決めていないが、フィリピンの政府関係者や、フィリピン国内の日系企業関係者とのコネクションを作ることができるので、フィリピンでの活動をする上では貴重なツアーになると熱心に勧められている。
2月には日本において重要な別件があり、また先ほどのセブの案件も重なるために、このツアーをどうするかについては、日本サイドの人の割り当ても含めて相談をしてから決めることにしている。

同時にマニラ近郊とセブの日系企業において、昨年末から取り組んでいた基板の量産がスタートする。これも2月くらいから本格的な始まりをみせる予定になっている。この件のフォローは、フィリピン国内とマレーシアの両方になるために、定期的に出張が入りそうである。

せっかく持ち込んだCADは、本格稼動する暇がない。
本日モナの弟のロンが、キャビティからタバコシティーへ帰ってきた。彼は元々大学で電気系の勉強を専攻しており、個人的な興味も重なり、プログラミングやIT関連知識やCAD知識、そして電気製品の修理などを得意としているので、僕の仕事を手伝いたいと話している。
本日簡単な面接のようなことをして、スキルのチェックやサラリーのすり合わせなどを行った。オフィスをマニラに移した場合でも、仕事を継続する意志があることが確認できたので、僕が日本へ帰ったら、彼の採用について会社と相談しようと思っている。
基板設計の仕事は日本サイドがパンク寸前になるほどの仕事があるため、どこかで時間を取って、モナの弟のロンへこのCADの扱いと基板設計のやり方を伝授したいと思っている。それがフィリピンオフィスでの安定収入へ繋がるはずである。


帰国は1月11日の便であるが、モナが一緒にマニラに行きたいと言い出し、マニラへの移動は1月10日(この記事が更新された日)になった。どうせ一緒にマニラへ行って、その後日本へ帰るのであれば、結婚のセレモニーを済ませて証拠写真を撮った上で、日本での必要書類も全て揃うようにしようということになり、急遽10日にそれも行うことになった。このように、とにかくどたばたと決まり、セレモニーはケイソンシティー、そしてレセプションはマニラの市街地で行う段取りとなった。あわただしくなりそうで、考えるだけで疲れてくる。
今回はマニラで少しゆったりと過ごそうと、ホテルはわざわざ5スターにしたのに、せっかくのホテルもこれでは部屋でくつろぐ時間があまり無いというものである。
つまりこの記事が更新された時は、おそらく僕はレガスピ空港へ移動中で、その後はしばらくインターネットにアクセスする時間がないということになる。

日本は今、ここでは考えられないほど寒いはずだ。昨年10月13日に来比してから、ほぼ3ヶ月ぶりの帰国となるが、ほとんど嬉しさはない。あれほど恋しかったラーメンが食べられるのに、とにかく億劫である。
それでも帰国したら、まず最初にお気に入りのラーメン屋に行こうと決めている。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:69.急遽日本へ
2010年01月09日

68.家族2

昨日の続報を少し。
モナの弟のロンが、勤めていたラグナの会社を辞めて帰ってきた。
ノエルはママの弟であるから、モナやロンの叔父さんということになるが、歳が近いせいかロンと仲が良い。(とってもノエルは30歳近いが・・)

ノエルはジャマイカに居付いていることを正当化したいのか、僕に
「僕とロンはとてもクローズな間柄だ。ここのファミリーともみんなクローズだよ」
と脈絡もなく唐突に話してきた。
といってもノエルが一方的にそう思っている節がある。
というのは、ノエルは人に物は何でも勝手に自分の物のように使い、あげく自分の家に持っていってしまったりするので、ロンはそんなノエルに用心したり敬遠することもあるらしいのだ。
モナは最初からそんなノエルに注意を払っていた。ノエルが家に入り込んでから、自分たちの部屋の鍵をかけることにいつも余念が無かった。常に僕に、鍵をかけたかを確認した。

ロンが帰ってきたら、ノエルはますますこの家から離れなくなるというのがモナの心配だった。

そしてモナがじわじわとプレッシャーをかけて、ついにママがノエルに、家に帰るように話したそうである。実はダディーもノエルのことは気にしていたらしい。ダディーはノエルに帰ることを促したかったらしいが、自分が話をして喧嘩になるのはいやなので、モナがノエルのことを色々言い出したことをきっかけに、ママに兄弟であるあなたから帰るように言いなさいと言ったそうだ。
その際ノエルの返事は「あとで帰る」、だったそうである。
モナは、その「あとで」はいつのことなのか、自信がないと話していた。確かに昨日は、普通に一緒に夕食をとり、いつものようにこの家に泊まっている。

帰るように促されても帰らないことに僕は驚いた。ここの社会の常識がまたわからなくなった。それ以上誰も何も言わないは優しさの裏返しなのか、そして居座る方は何を考えているのか。自分の常識と何かがずれていることだけは明白である。

そして僕は、「あとで」と言われたらなぜ「あとでとは何時?」と具体的に確認をしないのか不思議であった。フィリピンは何につけても具体的な約束をすることを避け、双方でそれを確認しようとしない。お互い曖昧にしておくのである。
例えば先日家具を買ったときにも、「あとで届ける」ということになったので、「あとでとは何時?」と訊いた。少し間を置いてから相手は、「ここを出る前に携帯にメッセージを送る」と言い、時間をはっきりとさせない。「何時?」と訊いたのに対し、「出る前に知らせる」というのは会話としては成り立っていないが、モナはそれで納得してしまう。

この一連の話で、実は僕はほとんど腹を立てていない。ノエルが居座ることに対するダディーの認識が自分と同じだったことに安心し、そして「あとで・・」と返事をして居座ることにはあまりにも驚いて、純粋に不思議だぁ、なぜだぁと思い、その現象を分析をする方が怒りより先に立っている。
とにかく目新しい発見がたくさんあって、ある意味面白いのである。そして時には、日本の常識を持ち込んで腹を立てている自分のほうが、おかしいのではないかと考えることもあるのだ。

僕が以前の会社で働いている時に、自分の同期の男が「最近の若いやつは・・・」といきり立っていたことがあった。そして「常識がない」と憤慨していた。
話を聞くと、若い連中の仕事に対する姿勢を問題にしており、その件のやり取りで話がかみ合わずに怒っていたということがわかった。
その時に僕は、「常識ってみんなが正しいと思うことが常識であって、ジェネレーションが変わればその常識自体が変わっていることもあるんだよね」という意味のことを言ったことがある。もちろん普遍的な常識はあるのだが、時には相手の常識をよく読み取らないと、文句ばかりでは何も生まれないどころか、マイナスの影響だけが残ることにもなりかねない。
異国の社会では、日本の常識を振りかざす自分が、常識外れになっている可能性もあるわけだから、やはり一歩引いて考える癖をつけておく必要があることを、一歩引いた時に思い出すわけである。だからこの一歩引くというのが大切なのである。もちろんそれがとてもとても難しいことではあるのだが・・。

その点モナは、いつも一歩どころか、三歩も四歩も引いて物事を見つめている。この点だけは僕は彼女に全くかなわない。
下手にこちらが頭に血を上らせて襲い掛かると、真理をついた言葉や質問がぽそっと返ってきて、こちらが手詰まりになることがある。相手がけんか腰でこないから、こちらが「参りました」となるわけである。もしくはモナは、自分が悪いことがわかると素直に謝ってくる。たまに鬱憤晴らしで喧嘩を拡大したくても、「なんだよ、わかればいいよ、わかれば・・・」と、こちらは一旦出した矛先をしぶしぶ収めるしかないが、怒っていた自分がバツの悪い思いをすることになる。
こんな二人であるから、まあ色々とあっても何とかなるような気がしている。

さて、仮にノエルが家に帰ったとしても、ここは大所帯に変わりはない。よって、どうしてもテスおばさんやジュンさんの力が必要となる。
洗濯ひとつとっても、大仕事なのである。料理もたくさん作らねばならない。米は日本のように洗米して炊けば良いというものではない。米に石粒が混ざっているから、炊く前に丁寧にそれをより分ける必要がある。料理に使う材料も、調理の前に細々と手をかけなければならないものが多い。食卓の準備や食後の後片付け、そして家が大きいから、庭の掃除や手入れだけでも大変だ。いつも庭に雑草が伸びず綺麗になっているのは、ジュンさんが小まめに手入れをしてくれているおかげである。二人ともちょっとした買い物も、文句一つ言わずにすぐ言ってくれる。
この二人のサラリーは、それぞれ月に2000ペソだと思っていたが、それは僕の勘違いで1500ペソ(3000円)だそうだ。2000ペソでも驚いていたから、更に驚いた。見ている限り、とても価格には見合わない重労働である。それでも食事をきちんと取れるということが有り難いことなのだろうか。
ティナイはまだ学生で、しかも親がいないから、ここに居候するのは仕方がない。

僕とモナの残りの問題は、やはりモナの弟のジンである。彼はもう25歳だ。
ジャマイカで一緒に生活をして良くわかったのだが、彼の生活態度はかなり悪い。性格はとても良いのだから、サラリーが安くても、とにかく自分の生活に対する責任感を持ってもらい、働く意欲を見せてくれらた応援しがいもあるのだが・・・。
ダディーやママは口では色々と言うのだが、結局は居候をさせてただ飯を食わせている。僕はそれが一番の問題だと思われる。思い切って一度放り出してしまえば良いと思っている。どん底を経験し、本当に困らなければ、今の生活の有り難味はわからないだろう。
そして一番彼に感じて欲しいのは、自分の将来に対する不安である。まだ若いから、やり直しができるというものだ。とにかく一度、本当の苦労というものを知っておいてもらいたい。
ジンについては、デッドラインを定めて、それまでにがんばる姿勢を見せなければ追い出そうかという話をモナとしている。あくまでも愛の鞭というやつである。フィリピンで放り出されても、死ぬことはないはずだ。放り出して這い上がったら儲けもので、もし根をあげたら、その時がチャンスである。しかしこちらも性根を入れてかからないといけない。可愛そうだと中途半端な哀れみをかけたなら、元の木阿弥となってしまう。


さて、大家族の話をしてきたが、これまでの記事の中でも書いてきたように、貧困社会では富める者が食えない者を助けるのは当たり前という感覚がある。
僕はフィリピンは決して貧困社会ではないと思っているが、しかしその名残は確実に残っている。
おそらくノエルにしてみれば、自分一人が扶養家族として増えたところで、生活費に対する影響などほとんどないだろうと思っているに違いない。事実そうである。そして、収入が自分たちよりも何十倍もあるのに、なぜそんな細かいことを気にするのかと、怪訝に思っているかもしれない。彼にしてみると、たかって自分が楽をしようなどという明確な思惑があるわけではなく、たくさんお金を稼いでいるのだから良いではないかという自然の感覚に基づいた行動のような気がするのである。とすれば、自分が追い出されるのはほとんど意地悪に近い仕打ちだと思ってるかもしれない。
その辺りが日本人の感覚と根本的に違うのだから、日本人の感覚でそういったものに嫌悪感を抱き、それを排除しようとすると当然歪みが生じる。
感覚というものは理性とは違い、長年の習慣で染み付いているものだから、話して聞かせるのが難しい問題だという認識も必要だと思われる。

2回に渡りこのようなことを書いたのは、フィリピン人と関わりを持った人は、同様のケースに遭遇する可能性が大変高いと思われるからである。仮に日本から送金をしているだけの場合は、このフィリピンの地で似たようなことが起こっている可能性も高い。
そして結論じみたことを書かないのは、対処方法は各自の事情や性格に合わせ、人それぞれだと思われるからである。
経済的にやりくりができて、また決めた金額の中では何がどうなっていても構わないという寛容な気持ちがあれば問題はない。しかしそうでない場合は、いざこざの元になる問題の一つであるが、意外と気持ちの持ち方一つで、その対応に余裕ができるのかもしれない。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:68.家族2
2010年01月08日

67.家族

引越し初日の1月3日は、家の中の整理で追われていた。とにかく荷物を運びいれただけであるから、どこに何を整理していくかを決め片付けていく。
ランチの時間少し前に、たまたまテラスでたばこを吸っていた僕は、ダディーとママが古い家のガスコンロとボンベを新居に運び入れるところを目撃し、おやっと思いモナに確認をした。

「ねえ、ダディーとママが家のガスストーブ運んできたよ。やっぱりすぐに引越しするんじゃないの?」
「え〜、そうかな・・それ聞いてないなぁ」

僕はダディーとママも同時に引越して欲しいと願っている。新居と旧家の行き来は気が休まらないし、2件分の生活費は負担になるからである。
後に聞いた話によると、別居期間中は、ダディーとママは自立する予定でいたそうだ。つまり食費や高熱費は、全て二人で捻出する予定だったいうことであるが、結局はこちらでかなりの部分を出すことになるのが目に見えている。しかしその気持ちは嬉しいと思うのだった。

ママはこれまで意地を張っていたせいか、自分たちも引っ越すとは決して言わない。しかし僕は、新しい家具が家に入りだして、快適な生活空間が出来上がっていくのを見れば気が変わるかもしれないと思っていた。
案の定、夕刻になってダディーとママが寝るためのマットが運び込まれた。やはり二人も引っ越すようである。そしてモナの従妹のティナイもやってきた。
ティナイは幼いときに両親を失くして、モナの両親が親代わりとして面倒を見てきた19歳の女の子である。現在はモナ(つまり僕)が学費を払って大学に通っているが、彼女のことは勉学が終わるまで、モナの一家で面倒を見ることは前から決まっていた。よって、家が大きくなったから、住むのも一緒ということである。

夕方になると、ダディーが庭で、木の棒に大きな空き缶を手提げちょうちんのような形でぶら下げた何かを作っていた。
その時には何をしているのか差して気にも留めなかったが、夜になってそれが何かがわかった。
夕食後にダディーが、中からもうもうと煙が出ている手提げちょうちん式空き缶を持って、家の中を回り出したのである。まるで魔よけをするように、家の隅々にそのちょうちんをかかげ煙を撒き散らしているから、家の中は山中に霧が立ち込めたように、煙だらけになった。何かの香木でも入っているのか、つんとくる独特の匂いも家中に立ち込める。魔よけのように見えたと言ったが、日本で言う御祓いのようなもので、邪悪な気を追いはらう魔よけそのものだそうだ。それを3夜続けて行わなければならないそうである。とにかく何から何まで、迷信尽くめである。モナも、ママのビリーフ(信仰や信条、信じること)には疲れると話していたが、それにまじめにずっと付き合っているダディーは大したものだと尊敬する。

ジャマイカに引越しをしてから3日が経過したが、引越しをしたらここを出る約束になっていたノエルは、やはりそのまま居続けているし、どうやら出て行きたくないような様子さえ見える。
モナも気にし始め、ママにどうなっているのかを訊いたそうだが、ママ曰く、自分がノエルに、もう少しここにいて欲しいと頼んだそうだ。
しかし僕もモナも、それは嘘だと思っている。彼にここに居て欲しい理由など、何一つないからである。現実彼に何か特別な仕事をお願いしているわけでもないから、ノエルは朝一番遅くまでゆっくり寝て、昼の時間はゲームをやったり、暇になると人のバイクや自転車を勝手に使ってどこかへ出かける。そして夕方には帰ってきて、当たり前のように食卓へ並んでいる。
自転車のタイヤがパンクすると放置し、バイクは僕が使おうと思ったときには、ガソリンが空っぽになっていたりする。自転車とバイクは、モナの弟にジンも使っているので、全てがノエルだけのせいではないが、修理をしたりガソリンを入れるのはこちらの役目であるから、そんなことがある度に、僕は虚しさを感じてしまうことがある。

僕はそれに対して色々と意見があるが、今は何も話をしていない。
半年間か一年間ただ飯を食わせてやったら、文句を言う資格も十分あるだろうから、それからにしようかなどと考えているからである。

モナは「ここの家、ママの家族ばかりになっちゃうなぁ」と、ポツリと言った。そしてこれは前からモナが話していたことであるが、「もう色々な責任から逃げたい。アコは自分の生活がしたいよ」という言葉も久しぶりに彼女の口からこぼれた。
彼女のその言葉には、これまで彼女が自分を押し殺して家族へ尽くしてきたことで、彼女の心の中に、まるで金属疲労のようなじわじわとした亀裂が生じつつあることを感じることがある。
クリスチャンであるフィリピーナは、自己犠牲(サクリファイス)という言葉を良く使う。フィリピン人は、本物の恋愛や家族愛には、サクリファイスが当然だという考えを持っているのである。モナはその点において、かなり辛抱強い女性だと思う。しかし自己犠牲にも限度があるというものである。

ジャマイカの家に引っ越しをしてから、我が家の家族構成が明確になりつつあるので少し整理をしてみると、次の通りになる。
ダディー、ママ、僕、モナ、ベル、ユリ、ジン(モナの弟)、ティナイ(モナのママ方の従妹)、ジュンさん(家の仕事をしてもらっているママの弟)、ノエル(ママの弟)、テスおばさん(3食付きでメイドをしてもらっているママの妹、寝るときだけは家に帰る)、アン(テスおばさんの娘)、そして明日、会社を辞めたロン(モナの弟)が合流する。この中で、こちらが月々のサラリーを払っているのがジュンさんとテスおばさん。この二人には、家の中の細かいことを色々とお願いしているし、二人とも陰日なた無く、律儀に仕事をしてくれる。その他の人は無職無収入で、居候をしても食費を我が家に入れてくるような期待はできない。ただしロンは、月給は安いけれど地元のスーパーに勤めようかなと話していた。彼は元々仕事をしていたが、経営者が変わったことをきっかけに会社を辞めてしまっただけで、生活は自己責任で行わなければならないという大人の考えを持っている。
ダディーはトライスケルの収入がわずかにあるはずであるが、こちらに余裕があるときには、トライスケルの収入はどうやら小遣いとして自分のポケットにしまいこんでいるようだ。それについては、ママがダディーに再三文句を言っているらしい。

こうしてみると、かなりの大所帯である。通常であれば、自分一人で支えきれるものではないが、フィリピンでは不思議とそれができてしまう。
食費は一日500ペソ(1000円)と決めてしまえば、いくら人数が増えたとしても、質を落とせばいくらでもその中でやりくりできるようである。
最近は食事の質が上がっているので、実際には食費がもっとかかっているような気もするが、それはモナに任せているので、僕はあまり気にしていない。
ただし、各自から必要経費として請求される細かいお金については、積み重なると大きな金額になっていく。

さて、モナがぼそりとこぼしたように、居候は全員がママ方の関係者である。
これまでの記事で紹介した、マニラから戻ってきた叔母さんと、ママのお母さんが加われば、ほぼパーフェクトにママの家族が揃うことになる。
僕はそれも恐れている。養えるからといって、無尽蔵に家族を増やされても困るというものである。
ママはしっかりとした考えの持ち主であると思うし、経済観念も下手な日本人より賢明である。ダディーが稼ぎを持ってこないと、あなたはモナ(ほんとは僕ですが・・)ばかりに何でも払わせて、恥ずかしくないのと激を飛ばす。
しかしそんなママでも、自分の家族のことになると盲目になるのだろうか。
僕が昨年の3月にモナの両親に会い、結婚の許しをお願いした時、ママが「あなたが結婚したら、私たちの生活はどうなるの?」とモナに言った言葉を、僕はずっと忘れられない。
娘の幸せよりも、そちらを優先させるのかと思ったからである。モナ自身もその言葉には、普段は見せない怒りを表に出した。僕はこのようなママの2面性を見るたびに、ママの本当の姿が良く分からなくなるときがあるのである。

本日家族全員が揃っている食事の席で、モナが言ったそうだ。
「ノエルは何で自分の家に帰らないの?あなたには、自分のお母さんの面倒を見る責任があるでしょう」
ビコール語で話していたので、僕はその時、普段の世間話をしている程度に思っていた。

それをモナが口にした途端、そこにいるみんなが押し黙ってしまったそうである。言葉がわからない僕だけが、一人緊張感がなくマセラムン(美味しい)と言いながら食事をしていた。

ママが言い訳をしたそうだ。
「今は魚があまり獲れないから、今はノエルの生活も大変なのよ」

ノエルの元々の仕事は、市場で魚を売ることである。しかしこれは言い訳に過ぎない。それでは魚がたくさん獲れていた時には、彼は一生懸命に働き自分の家の生活を助けていたかというと、全くそうではなかったからである。自分の家にお金を入れたり食べ物の差し入れは一切せずに、逆に自分の恋人を家に連れて行って、少ない食料を恋人に分け与えたりしていたそうだ。その恋人も態度が悪く、モナのおばあさん(ノエルの母親)は二人に憤慨していたそうである。

結局話の結論は、そういう理由だから、もうしばらくノエルをこの家に住まわせるということだったらしい。だからモナの口から愚痴がこぼれたわけである。
僕は「なぜここに住む人間の話を、ママが僕たちに相談もせずに決めるの?」と、素朴な疑問をモナに投げかけたが、モナは「わからない」と言ったきり無言になった。このことについて僕は本当に理解に苦しむのであるが、フィリピンの習慣がわからない僕が日本の常識を振りかざすのには抵抗がある。

しかし最終的には、僕とモナは彼に対して出て行けと言える立場にあると思っている。そしてもしそれをモナが言えないのであれば、僕はモナとベルとユリを連れて、この家を出ても良いとも思っている。住まいは用意したから、今後の生活は自分たちで何とかしてくれという言い分は、それほど筋を外してはいないはずだ。モナも本心では、それを願っているところもある。

この話をきっかけに、現在の状況について僕はモナと静かに話し合った。

結婚当初は、モナの弟のジンを何とかする必要があるという話をしていた。このまま彼を甘やかしたら、彼は今後、まともな人間として生きていくことができなくなるだろうという話もした。僕が当初フォーカスしていたのはジン一人だけであったのが、今はご覧の通りである。なぜこのようになってしまったのか不思議であるが、モナもこの状況は全く想定していなかったようだ。

ここまでくると、僕も細かいことで小言を言うのが馬鹿らしくなってきている。同時にこれをきっかけに、家族とは何かを考えるようになっていた。
フィリピン人は家族を大切にするし、それをフィリピーナはいつも最優先に考えるからである。この「家族」という言葉の印籠を出された瞬間に、僕が何を言おうが、自分が蚊帳の外に追いやられてしまうような気がしてしまう。
しかし、家族はとは一体なにか・・・。僕はそれをモナやモナのママに、じっくりと考えて欲しいのである。

「僕は今、ノエルのことでうるさいことを言うつもりは無いけれど、でも彼が当たり前のようにここへ住んでいるのはおかしいと思ってるよ」と切り出し、フィリピン人が頻繁に口にする家族ということについて、自分なりに考えていたことを話した。

「あなたたちは、家族だから助けるのが当たり前ってよく言うけれど、家族って何?大変なことがあった時に助け合ったりするのが家族だよね。お互いにお互いの生活や健康や、楽しみなんかに、責任を感じ合ったり尊重しあうのが家族でしょ?」
「そうよ」
「それじゃノエルは、僕たちに何か責任を感じたりしてるのかな?もし僕たちにお金が無くなって困ったら、彼はがんばって助けてくれる?」
「それはないなぁ」
「僕もそう思う。だって彼は自分の母親を助けるどころか、母親の少ない年金を当てにして、それでもそこでの暮らしに不満だからここに来たんでしょ。そんな人はここの生活が苦しくなったら逃げ出すよね」
「オッオー、あの人はたぶんそうだね」
「それは家族じゃないよ。日本ではそれをパラサイトって呼ぶんだよ。日本人はパラサイトは嫌いだよ。僕たちにお金があるとかないとかそれは関係ない。日本人はみんな苦労してがんばってるんだから、パラサイトのためにお金を使うのは嫌いだということを、良く覚えておいて欲しいな」

モナはこんな日本人の考え方を理解しているから、僕の言葉には同意を示す。それでも現実は思ったとおりにならないから、モナもそこにかすかな苛立ちを感じるのだろう。

ついでに話したのが、本当の愛情とは何かである。ママはノエルにもジンにも、今ただただ慈悲をかけているが、二人とも既に立派な大人である。ママは単純にご飯を食べさせて養っていることが家族愛だと思っている節があるが、僕の目には、このような慈悲をかけることが本人を駄目にしているように映って仕方がない。本人の将来のことを真剣に考えるならば、助け方を考えなければならないだろうということである。
フィリピンの男性は優しいけれど、生活に関する責任感についてはまるで駄目である。甘やかしたら、それにどっぷりと甘えるのがフィリピン男性である。
僕はジンの性格は好きだから、本人にやる気があるのであれば本気で助けたいと思っている。だから今のやり方には、その意味では一言二言苦言を呈したくなってしまう。


僕は、まずは考え方に理解を示してもらうのがファーストステップで、具体的にどうするかについては後になっても構わない。だからこのような話し合いで、性急な結論を導き出す必要はまるで無かった。ただ二人で、このようなことを話し合っただけである。

フィリピン人との関わりを持った場合は、多かれ少なかれ、同じようなケースを経験する人は多いと思われる。
モナは自分が僕を養うとまで話していたくらいであるから、最初から僕の稼ぎを当てにはしていなかった。それでも現実にはこのような状況になる。
もし相手が、この日本人と結婚をしたら今後の生活は安泰だなどと考えていたら、夫婦間の歩調が次第に乱れるのは当然かもしれない。

このようなケースでは、日本人は普段の自分の気持ちより寛容に、そしてフィリピン人は普段の気持ちよりも厳格に考えることで、歩み寄るしかないのだろう。

このようなことで、色々な考えを巡らすことは、実は結構精神的な疲労を伴う。面倒であれば全てを許容する方法もあるだろうが、実際にこのようなことに直面すると、自分の下に無尽蔵に扶養者がぶら下がることに恐怖を感じるというのが僕の正直な胸の内である。

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