フィリピーナと共に
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2013年07月13日

687.遠くから

 なぜかフェイスブック上で、リンの名前が以前と変わっていた。ミドルネームは結婚すると言ってから聞いたことのない名前に変わっていたが、今回はそのミドルネームがファミリーネームになり、新しいファーストネームとミドルネームは全く知らないものになった。もっともミドルネームを最後に書く場合もあるから、名前を書く順番もいじったのかもしれないし、フェイスブック上ではまるで本名と関係のない名前を名乗る知り合いもいる。いずれにしてもそんなことから、友達申請の通知が来た時にそれが一体誰からのものか、僕にはすぐ分からなかった。というか、僕はリンが使っていたミドルネームを知っていたので、それがリンの姪か親戚の誰かだと思った。僕はそれを詳しく確認する前に申請の承認ボタンを押し、それからその人のサイトへと飛んでみたのだ。

 開いたページのプロフィール写真は後ろ向きのものだったが、それがリンであることはすぐに分かった。カバー写真は小さな子供とその父親の、手をつないで海で遊ぶ姿を遠方から小さく撮影したものだった。
 僕はこれまで、何度か彼女のページを覗きにいったことがある。しかし近況を示す写真はフェイスブック上の友人にしか公開されておらず、これまで僕が見ることができた写真は少し前のものに限られていた。しかしフェイスブック上で僕は彼女の友達になり、すぐに彼女の全ての写真を見ることができるようになった。同時に彼女も、僕の近況を写真で確認できるようになったわけだ。

 カナダ人男性との間に女の子が生まれ、生まれたら正式に結婚してカナダに移り住むと話していたリンがカナダへ引っ越した様子がないことを、僕は気にしていた。相手の男性に嘘をつかれたのか、もしそうなら暮らし向きはどうなのか、余計なことと知りながら僕はそんなことを気にかけていた。とにかく形はどうあれ、日々の生活に困ることなく暮らしていれば良いと思いながら、僕は彼女の様子を写真の上で追ってみた。

 写真はたくさんあるが、子供の成長を参考にすればそれがどの時期のものか察しがついた。するとやはり彼女はフィリピンで暮らしていることが明確になり、子供の父親はカナダで暮らしていることが分かった。子供のファミリーネームは父親と同じだが、リンがそのファミリーネームを使っていないところに、何か複雑な事情が感じられた。それは子供の父親のフェイスブックページを覗いた時に、彼のページに子供の写真を始めフィリピンでの様子をうかがえるものが一切なく、カナダの男性友人との写真や風景写真が全てを占めていることからも感じられた。しかしリンのページには、子供の誕生日で父親が来比し一緒に過ごしている写真もある。その父親と疎遠になっているわけではなく、父親が子供を可愛がっている様子も見て取れた。写真だけでなく、彼女が時折出している日記のような記事を追いかけてみると、「子供はまだ一歳なのにiPadの使い方を覚え、音楽の音が大きいと言えばきちんとボリュームを絞ることができる」と言ったようなものもあった。彼女がiPadやiPhoneなどを使っていることやノートパソコンを持っていること、当然インターネットを家庭で使えていることから、彼女たちの暮らし向きは悪くないことがうかがえた。子供の父親はカナダで働きフィリピンに仕送りしていると想像できるが、子供のファミリーネームが正しいものなら、子供の認知もしてくれているようだ。クリスマスや家族の誕生日などの節目では集まったファミリーがたくさんの料理を囲んでいるし、時々旅行もしているようだ。旅行は姪と一緒のものや、はっきり確認できるものは少ないが子供の父親と一緒のものもあった。リゾート地やホテルやレストランでの撮影写真は、幸せに過ごしている様子を醸し出していた。彼女の写真や近況記事に対する友人のコメント、それに対するリンの返事はビサヤだが、僕は時間をかけてそれらを読んだ。完全に読み取れた自信はないが、それらに文句や悲しみや寂しさを訴えたものは見つからなかった。ひとつだけ友人のコメントで「子供が寂しいね」というものがあったが、それに対するリンの返事の最後は「hahaha」と笑ってちゃかしていたので、おそらく深刻なやり取りではないだろうと勝手に想像した。かつて旅行を共にした姪たちはみんな大人になり、リンのお母さんの元気そうな姿も見えた。姪たちの父親であるリンの兄は相変わらずの風体だったが、娘たちに囲まれまんざらでない顔をしていた。

 僕はそんな彼女や家族の様子に安堵した。ずっと気になっていたことである。そんなことを書けば様々な方々にお叱りを受けそうな気もするが、気になるものは仕方がなかった。ただしそれは、自分の中に黙ってしまっておけばよいことだと思っていた。
 でもこうして僕は、リンの近況を含め自分の気持ちを正直にここに書いている。なぜそうしたか、それには理由がある。その理由が一度はっきりさせるべき大切なことだから、僕はそれらを含め、こうしてここに書いているのだ。

 リンの近況を確認し終わった時、時刻は朝四時を回っていた。翌日仕事があることは承知しつつも、僕はその時に彼女の近況をできるだけ確認したかった。この公開情報は、いつ突然見られなくなるか分からない。それはリンが僕との友達を解除すればそうなるし、僕の方からそれを解消しても同じことになる。僕の意思とは無関係に、そうなる可能性も否定できない。なぜなら僕のフェイスブックアカウントを、モナが自由に扱えるからである。僕のフェイスブックはページ開設当初、モナがほとんど手を入れていた。どちらかと言えばフェイスブックに否定的だった僕は、それにノータッチだったのだ。

 眠りについてから二時間後、まだ睡眠が足りない僕は携帯のコール音で起こされた。電話の主はモナだった。コール音に気付いて目覚めた瞬間から、僕は薄らと相手がモナであることを予感した。モナは電話口で僕に、「フェイスブックのアカウントパスワードを変更したか?」と訊いてきた。アカウントのパスワードは僕自身も覚えておらずこちらが訊きたいくらいだったから、正直にそう言い、だから変更などするはずがないと答えた。するとモナは、「フェイスブックでリンと友達になったでしょう。なんで?」と訊いていた。その口調はすでに詰問調だった。
 やはりそう来たかと思いながら、僕はこれも正直に、友達になった経緯を説明した。つまり友達申請が来て彼女と知らずに承認したということだが、そのようなことは自分で言いながら随分言い訳じみた話だと思ったし、当然モナもそう感じるだろうと思いながら僕は答えていた。するとモナは、リンとのフェイスブック上の友達関係をキャンセルして欲しいと言ってきた。僕がそれをやんわり断ると、「あなたは彼女の様子を見ていたいんでしょう、分かった」と言い、ぷつりと一方的に電話を切ってしまった。このことはすぐにモナの知るところとなるだろうと思っていたし、それに対しモナが何かを言ってくるだろうと思っていたが、予想通り早々にモナを怒らせてしまった。
 
 もちろん僕には、彼女が怒る気持ちがよく分かる。良い気持ちがしないだろうことも予想していた。しかし、単にフェイスブック上の友達になっただけで、実際に会うわけでなければ会話をしているわけでもない。おそらくモナは僕に電話をする前、僕とリンが友達になった背景が何かあるのではと疑い、フェイスブック上でそれらを確認しようとしたのだろう。しかし自分が覚えていたパスワードで開くことができず、チャットなど他人に公開されない部分の確認ができなかったことに彼女はイラついたのかもしれない。このようなことはモナの悪い癖で、彼女は夫婦間にプライバシーは一切不要と思っている。旦那のアカウントは自分のアカウントであり、夫婦でお互い知らない部分があることはおかしいと考えているのだ。いや、夫婦間というより、夫婦になる前から彼女はそうだった。人のメールやサイトに平気で入り込み全てを把握しようとしたし、今でもそうかもしれない。ただ僕はモナと結婚して以来、彼女にやましいことは一切ない。携帯の中身を含め見られて困るものは何もないし、仮に彼女が何かを見て怒ったとしたらそれは彼女の誤解がそうさせたことであり、僕は普段から彼女の盗み見について、まるで心配や恐怖はないのである。そして僕は彼女の一つの信条である夫婦間のノンプライバシーについて、考え方に違和感を持ちながら、実態は受け入れているようなものだ。つまり彼女がこっそり僕の何かを覗いても僕は怒ったりしないし、お好きにどうぞというスタイルである。
 しかし彼女の今回の態度に対し、僕の中では怒りとは別のある感情が芽生えた。

 その日僕は寝不足気味で会社に出社した。僕が会社で仕事をしている最中、彼女はフェイスブック上で、他人に何を意味するかはっきり分からないメッセージを僕に向けて出した。タイムラインのメッセージと言うのだろうか、それを他人も読めるかたちで出したのだ。原文のままここに記すと、それは以下のようなものである。
「If it makes you happy...who am i to take it from you? Its just me your wife.」
 少し分かりにくい言葉で、正直言うと僕にもよく分かっていない。そのまま訳すと、「もしそれがあなたを幸せにするなら、それをあなたから取り上げる私は誰?それをする私はあなたの妻よ」という感じである。しかしこの英文は、次のような意味をも持っているかもしれない。「もしそのことがあなたを幸せにするとしたら、私はあなたにとって誰(何)なの?私はあなたの妻ですよ」
 いずれにしても僕はこれを、自分に対する抗議文と受け止めた。
 抗議は構わない。しかしその抗議を、なぜ関係のない友人が読むことができるフェイスブック上に記載しなければならないのか。悪いことをしたら、こうして世間にばらすのよという脅しのような意味が込められているのだろうか。以前も同じようなことがあり、僕は「文句があるなら僕に直接言えばいい、わざわざフェイスブックで怒りを世間にばら撒く必要はないだろう」と、モナのその行為に文句を言ったことがある。このようなモナの態度を僕は以前から今に至るまで理解できないし、現在も同じことをしているモナに対して腹も立つ。だから僕はそのことに対し、モナに文句を言った。しかしモナはその文句に、「あなたは私のことを本当に理解していない。なぜ私がこうなるの? それはあなたのせいだ。これはあなたが悪い。たぶんあなたは私のことなど気にかけていない。あなたが私や家族をどんな風に思っているのか良く分かった」と返事をしてきた。
 僕はこのことで気分を害したが、腹が立ったなどとここで言いたいのではない。先ほど僕の中にある感情が芽生えたと書いたが、それこそ僕がモナに言いたいことである。

 僕はモナと結婚して以来、彼女や子供たち、そしてモナの家族を大切に考えてきた。結婚生活を続けながらその愛情は深いものに変化しているし、それは今でも進行形である。進行しながらその気持ちは、単なる愛から感謝や尊敬の入り混じった複雑な愛に進化を遂げてきたと言ってもよい。既に僕にとってモナや子供たちは自分の血肉に同化した存在であり、僕にとって彼女たちは簡単に手放せるものではなくなっているのだ。僕はモナがそのことを、長い年月をかけてじっくり汲み取ってくれているものと信じていた。僕は口でそんなことを伝えるのが苦手だから、彼女や子供たちにそんな気持ちを汲み取ってもらいたいとも願っていたし、汲み取ってももらえるよう態度で示してきたつもりだ。そしてその手ごたえは十分感じられていた。
 それだけに僕は、彼女が僕に投げた言葉に胸が痛むほど失望した。長い年月をかけて培ったものでもそれほど簡単に崩れてしまうのか、もしくは最初からその程度のものだったのかと思った。もちろん彼女の言葉は、一時の感情が入り込んだものだろう。それを差し引いてもそれは、僕には胸の奥に突き刺さる言葉であったし、客観的にそれは言ってはならない言葉ではないかという気がした。

 それから数日間、モナとは朝夕の挨拶も含め、メッセージのやり取りが途絶えた。その代わり、リンと何らかのやり取りが始まったということもない。彼女が僕に友達申請をして僕がそれを承認したが、それに対して彼女からはありがとうの一つだってメッセージはない。もちろん僕も、リンには何も言葉をかけていない。彼女は僕の家庭を壊すつもりは毛頭ないし、自分自身の今の生活をも大切に考えているのだ。僕は彼女の、そんな賢さを信頼している。彼女が僕に友達申請をしてきたのは、おそらく僕がリンに対して持っている感情と同じものからの行動だったと僕は思っている。お互いに幸せならばそれで満足だし、ただどうしているのか気になるという、単にそれだけのことだ。

 僕はモナが、そのような自分の気持ちを簡単に理解できないだろうことは分かっている。場合によっては誤解をするかもしれないとも思っている。しかし仮に僕がモナではなくリンと結婚をしていたら、僕はリンのことを大切にしながらモナのことを同じようにずっと気にかけただろう。幸せに暮らしていることが分かれば安心し、自分の心が救われるような気持ちになったはずだ。様子が分からなければ知りたいと思い、もし苦労していると知れば心を痛めたはずである。しかし単にそれだけで、相手が誰であれそこから以前と同じ関係が復活するのはあり得ない。よほどのことがあり何かをお願いをされたなら、まずはそれに自分の判断を入れ、手を差し伸べる方へ気持ちが傾けば妻に正直に相談する。これは結婚した相手がモナでもリンでも同じだったはずで、僕が現在のリンに対し、男女の愛を意味する感情を持っているわけではないのである。

 このことはきっとモナも同じで、少し前はベルの父親からモナにメールかチャットが入り、彼女は彼と時々簡単なやり取りをしていた。その中で彼は既に僕と結婚しているモナに、一緒に海外に行こうなどという馬鹿な提案さえしていた。もし彼女がその誘いに乗るようなそぶりがあったなら、僕はモナに、幸せに暮らしている元恋人にそんな馬鹿な提案をする男は、絶対にあなたやベルを幸せにできないと忠告しただろう。かつてモナとベルを捨てた男は、その時から今に至るまで自分勝手で自分中心の考えしかできない男であることを、僕はその時はっきり知ったのである。彼がベルと会いたいと言ってきた時にモナは僕に相談してきたが、僕はベルの気持ちを確かめようと冷静にそれに答えたし、そのようなやり取りをするモナに、僕は怒りを覚えなかった。なぜなら僕は、モナがその彼と寄りを戻すことなどまるで考えられないほど、モナのことを信じているからだ。そしてそう信じられるからこそ僕もモナを裏切れないのである。
 だから僕には、モナが勘ぐるようなリンに対する下心は一切ない。僕がここで述べたモナや子供たちに抱く愛情、そしてリンに対する気持ちについて、僕はモナによく知っておいて欲しいのである。

 モナが僕に一つ言った言葉に、次のようなものもあった。
「あなたがリンと友達になったことを、あなたのブログのリーダーが知ることになるでしょう」
 確かに今、僕はフェイスブック上で多くのブログリーダーと友達になっている。僕のブログリーダーは僕とリンの過去の経緯を知っているから、その人たちは何か好奇の目でそれを考えるのではないかということだ。おそらく僕が何も言わなければ、ブログリーダーは何も気付かないはずだが、モナはそのことで自分が貶められる気分になると感じているようだ。しかし僕は、自分のブログにきてくれる人たちとのやり取りを通じ、このブログの読者にそのようなあさはかな人は少ないと感じている。それでもモナが気になるのであればと、僕は改めて事の経緯や自分の気持ちをこうしてブログに公開している。そしてモナもこの記事を自動翻訳機にかけ読むのである。おそらくモナは、ここに書かれていることがとても大切なことだと感じ、自動翻訳で分からないところを僕に直接確認してくるだろう。そして僕はそれに説明をする。とても回りくどいやり方だが、僕にとってはそれが、自分の気持ちを伝えやすい方法だ。

 そして少しはそのような自分の気持ちをモナに感じて欲しいと思い、僕は自分のフェイスブックページの顔となるプロフィール写真とカバー写真を差し替えた。ベルとユリと自分の三人で写っていたプロフィール写真をモナも入っている四人の写真に変え、風景写真であったカバー写真をベルとユリの二人が写っているものにした。どちらも自分のお気に入りの写真である。それはこの写真を見ているはずのリンに、僕はこの家族と幸せに暮らしているし、今の家族を大切に考えているというメッセージであるし、モナに対しても同じメッセージになる。そしてどうやらモナに、その気持ちが通じたようだ。
 その写真が入れ替わった翌朝、モナは自分のページに「みなさんおはよう・・・みなさんにご多幸あれ」のような英語のメッセージを出したが、その最後に日本語で「愛されてる気分」と書いていた。単純と言えば単純で、今日はいつもと変わりないモナとのメッセージのやり取りが復活した。

 ついでに一つ、人間の心理の一つを書いておくことにする。人間は、身近にいる人より離れている人の方が気になってしまうものだ。疎遠な人ほどどうしているかを想像し、思い出し考えることが多くなる。もちろん過去、それなりの関係のあった間柄に限る。これは分かれた恋人同士に特に多く見られる心理現象で、それがゆえに一旦別々の道を歩んだ二人が久しぶりに再会すると、昔の関係が復活する率が非常に高いのである。実際に、別れた恋人が再開した場合、非常に復縁率が高いという実態調査結果が出ている。そんな別れた恋人同士に見られる代表的な心理現象は、別れた時には分かれた理由があったはずだが、一旦時と距離を隔てると嫌な思い出は忘れ去られ、良い思いでだけが膨らんで蘇る傾向が強いというものだ。その理由として、離れると相手のことを考えることが増えるからと言われている。復縁が正解か不正解かは人によるだろうが、復縁は妙な幻想が後押しした結果のケースも多いということである。
 
 僕の中でリンのことが気になるのは、おそらく一般的に見られるそんな心理現象の一つだろうと僕は割り切っている。だからあまり気にせず彼女のことを気にかけているが、そこで妙な自分の幻想に自分自身が巻き込まれ、道を踏み外したり見失ったりしないよう、それも意識的に気を付けている。

 リンとのことはお互いの息災を祈り、お互い遠くから見守り合い、それぞれの家庭を大切にしていけたらと強く思っている。
 もし僕が、リンがどうなったとしても自分の知ったことではないと考えたら、それはモナが愛してくれた自分ではなくなることを意味しないだろうか。

 最後に一つ付け加えると、今週リンは子供を連れてマニラに行った。僕はこれが、カナダへの渡航に関する手続きが目的ではないかと思っている。そしてそのタイミングで僕に友達申請をしてきた。もしそうなら、これから彼女もますます幸せな道を歩むのではないだろうか。是非そうであって欲しい。



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2013年07月09日

686.Nさんの恋人は誰?

 昨夜は早い時間に夕食を済ませ、六時頃からソファーの上で居眠りをし、そして目覚めたのが十一時頃だった。一旦目覚めると今度は眠れなくなってしまい、何とか眠ろうと頑張りながら時間が夜中の二時を過ぎた頃である。ポロリという感じでフェイスブックのチャットメッセージが携帯に飛び込んできた。それはNさんが初めてフィリピンを訪れた際泊めてもらった家の女性ではなく、最近子供を出産したばかりの、その女性のお姉さんからだった。実は最近、妹の方(もともとのNさんの友達)からも頻繁に連絡が入るようになっている。それがだいたい真夜中になるため連日の連絡になると少し煩わしいが、お姉さんは更に上手で丑の刻の連絡だから、あの家族の生活は一体どうなっているのだろうと勘繰りながら僕はチャットに臨んだ。

 だいたい彼女たちから連絡が入りそこで話題になるのは、Nさんがなぜ自分や自分の家族を無視(しかと)するようになったのか、一見バラエティーに富んだ話をしているようで話題はいつもそこに帰結する。彼女や彼女の家族は、Nさんが自分たちの何かを怒ってそうしていると信じ込んでいて、まずはその理由が分からないと心地悪くて仕方がないようだ。これはあくまでも本人談で、僕には彼女たちが執拗なほどNさんとの繋がりを維持しようとしているように見えるから、僕はそこで「そうしたい本当の理由は何なの?」と思わず訊きたくなるのである。そんな欲求をこらえながら僕が「Nさんは怒ってないし、彼は簡単に怒る人ではないと思うけど」と言うと、「それじゃあなぜNさんがフェイスブックやスカイプで私たちをブロックするのか分からない、マークさんがその理由を知っているなら教えて欲しい」と彼女たちはいつも熱心に僕に訴えるのだ。

 最初その理由が本当に分からない僕は「さぁ〜」と答えていたが、彼女たちの熱心さにほだされ「ちょっと待って、過去にNさんが話していたことをよ〜く思い出して、Nさんが僕にこぼした愚痴や気付いたことを、これから正直に話してあげるから」と僕は言った。その言葉に待ってましたとばかり食いついてきた彼女たちに、僕はその場で思い出したことを、ありのままストレートに教えてあげることにした。
「そういえば、仕事中の忙しい時にチャットや電話をされるのが大変で、仕事ができないと言っていたよ」
「だって私たちは彼がいつ仕事で忙しいか分からないから」
「まあね、あなたたちが連絡していたのが昼か夜か分からないけど、日本人は忙しい時はいつでも忙しいからねぇ」
 昼夜問わず連絡を入れていたことを知っていた僕は、素知らぬ振りでそう言った。
「分かったわ、彼が仕事をしている時はもう連絡しない」
「そうだね、そうしてあげて、国交が正常化(Normalization of relations)したらだけど…」
「国交正常化って何よ」
「フィリピンと日本だからね。国が違うと修復は大変なんだよ。あ〜、そうそう、そういえばNさんは、ODAが大変だって話してた」
「ODAって何よ?」
「O・D・A、知らないの? official development assistanceだよ」
 僕がフィリピンの空港やモールオブエイシアのある広大な土地埋め立ては日本国のアシストで出来たことを教えると、彼女は不服そうに言った。
「Nさんからアシスタンスはあったけど、私たちはそれを望んでいるわけじゃないわよ」
「分かってるよ、それは。それにNさんはODAを楽しんでいるからいいんだよ」
「楽しいの?」
「時と場合と相手によってムカつく場合もあるけど、Nさんは楽しんでいた。間違いない」
「それ、嘘じゃない? 彼は怒ってなかった?」
「嘘は言っていないよ。僕の勘違いはあるかもしれないよ。でも僕は今、正直に話しているつもりだけど」
「それじゃあ彼は、私のことを愛してる?」
「なんでここでそういう展開(deployment)になるわけ? 愛してないでしょう。だいたいあなたはこの前恋人がいるって白状(admit)したのに、彼の愛を期待(expect)してるの?」
「恋人との関係は、今うまくいってない(complicated)のよ」
「どうして?」
「彼はラグナで離れてるから」
「あーた、アンティポーロとラグナで問題なら日本はもうだめでしょう。Nさんの愛を期待してもそりゃ無理だ」
「期待していないわよ、誤解しないで、ただ訊いてみただけ」
 彼女は焦りながらそう言った。僕は別の日にこんなことも言った。
「Nさんがフェイスブックであなたをブロックしていた理由が分かったよ」
「本当? 教えて、お願い」
 この切り出しに、彼女の食いつきは恐ろしいほどよかった。
「Nさんのフェイスブックには秘密が隠されていたんだよ。彼はあなたに、それを隠したかったんだ」
「その秘密って、プライベートなこと?」
「プライベートと言えばプライベートだ。Nさんのフェイスブックには、ある女性と仲よく一緒に映っている写真があるんだよ。Nさんはきっと、それをあなたに隠したかったんだ」
「もしかしてそれは、黄色の服を着たフィリピーナ?」
「黄色かどうか覚えてないけど、フィリピーナだよ。なんであなた、それを知ってるの?」
 彼女は僕のこの問いに答えなかったが、僕はここにスパイのにおい嗅ぎ取り、彼女たちが始終Nさんのフェイスブックを監視していることを感じ取った。
「その女性はNさんの恋人なの?」
「恋人じゃないでしょう。ただの友達って聞いてるけど」
「それは嘘。新しい恋人よ、その女は」
「いやいや嘘じゃないって。それに新しいってなに? それじゃあ古い恋人は誰よ。あなた?」
 ここでも彼女は黙り込んだ。これまでも彼女は、きっとNさんには新しい恋人ができたと、しきりに「新しい」を連発していた。僕はそれを聞くたびに、彼女はNさんを虜にしていたつもりでいたように感じてならなかった。自分はしっかり恋人をキープし最初はそれをNさんに隠しながら、彼女はNさんが自分に夢中になるよう仕向けていたのかもしれない。そうすることで自分に様々な恩恵があることを、彼女は本能的に嗅ぎ付けているし、実際に携帯(スマートフォン)を始めとした金品をNさんから得ている。僕は彼女の話を聞きながら、時々彼女にそんな小悪魔的な一面を感じることがあるが、何せ彼女は頭隠して尻隠さず的な間の抜けたところがあり分かりやすい。そこがまだ純粋さを残している証拠でもあり、とにかく彼女は二十歳にも満たない小娘なのだ。
 こんなやり取りをしながら彼女は僕に、Nさんに対するメッセージを託した。僕がそれをNさんにそのまま渡すと、Nさんはすぐ彼女に連絡を取ったようだった。Nさんから報告が来る前に、彼女から「Nさんがスカイプのブロックを解除してくれた、ありがとう」と連絡が入った。僕はこの時、こんな分かりやすい人たちに囲まれ僕は果報者だと感じた。

 とにかく最近彼女とこんなやり取り続き、昨夜はその勢いでお姉さんの方から、丑の刻にチャットメッセージが入ったわけだ。そのチャットの相手をしていた僕はますます眠れなくなってしまい、「ところでなんでこんな時間にチャットなの?」と質問してみるとお姉さの答えがしばらく途絶え、よく確認したら彼女はオフラインになっていた。何かいつもマイペース過ぎて、仮に日本人が真面目にあの家族と付き合えば、これはフラストレーションが溜まりそうだと思いながら、Nさんが彼女たちから少し距離を取ろうとしている気持ちもよく理解できるような気がしてきた。
 僕は「あのなぁ〜」と一人で呟きたくなってしまったが、とにかくますます眠れなくて起きていると、今度はフェイスブックに友達申請が来ているとのメールが入った。その相手が意外にも、かつて僕をフィリピンワールドに導いたリンからだった。リンとはずっと音信が途絶えていたし、僕も敢えて連絡を取らずにいた。お互いフェイスブックを開設していることを知っていながら、お互い友達申請を出すこともなく数年が経過している。それはお互い別々のパートナーを確立し家庭を築いたからであって、幸せに暮らしているか気にはなるが、必要以上に関わらない方がお互いのためだと信じていたからであった。
 本来この話題は封印するつもりだったが、今日のある出来事で気が変わり、僕はそれにまつわることを書くことにしたのである。



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2013年07月07日

685.コーヒーショップにて

 IPTVのお金を払うためすぐ近所のモール内郵便局へ行ったら、土曜の午前なのになぜか休みだった。その辺で床掃除をしているお兄さんになぜ今日は休みなのかを訊いたら、彼も分からないと首を捻る。その後僕は、更に近所にIPTVの支払ができると噂のある電話会社があることを思い出し、そこに行って支払い可能かと尋ねるとマシンで簡単にできると教えられ、実際にやってみたら確かに簡単に支払ができた。これは良いことを知ったと思いながら、せっかくスーパー の近くまできたのだからとそこに入ろうとしたら、入口でメンバーカードの見本を見せられ足止めされたので、後で作るから結構と無視して中へ入ろうとすると再び足止めされメンバー以外は入れないと言われた。きっとメンバー限定のタイムサービスか? と勝手に思い込んだ僕は「何時から入れるの?」と訊いてみると「あした」という答えが返ってきて意表を突かれた。今日は中でそんなにすごい特売でもするのだろうか? 一日メンバー限定日に驚きながら、その時僕は無性に買い物がしたくなっていて、気付いたらそこの前からバスで大型モールに向かい、結局は買い物などせずスターバックスでコーヒーを飲みながら、携帯電話でこの記事を書いている。
 携帯電話で記事を書くというのは大変だ。文字の打ち間違いや変換ミスがあり面倒なのだ。せっかく大型モールに来ているのだから、記事を書きやすい大型画面を持つ新しい携帯を買ってしまおうかという気に一瞬なったが、まてまて、衝動買いはいかんとぎりぎり踏みとどまり、気を取り直してiPhoneでこれを書いている。

 さて、最初は何を買いたかったんだっけ? なんて考えてみると、浮かんでくるのがジャガイモや人参くらいで、そうだ、僕は土日 の倹約生活のためにカレーを作りたかったということをようやく思い出した。倹約するつもりが高いスターバックスのコーヒーにクロワッサンサンドまで頼んでしまい、「あ〜、スターバックスはやっぱり美味しい、この後はマッサージにでも行きたい気分だ」なんてまったりしながら携帯まで新調したい気分になっていたのだから、日本人体質の中途半端な贅沢が染み込んだ身体に、倹約は中々難しいと思ったりする。
 とにかくIPTVの支払いだけのつもりで外に出て、見えない何かに導かれるようにお金のかかるモールに行きついてしまったのだし、モナもリラックスしなさいと言ってくれたことだから、今日はお言葉に甘えて何か美味いものでも食って帰るかと考えてみた。しかしいざそうなると、今度はどこで何を食べたいのか分からない。たまには贅沢をしようと思い、いざ贅沢をと思えばどうやって贅沢を満喫すべきかその仕方が分からないから、この辺が庶民の限界かと割り切って、この後カレーの材料を買って帰宅することに決めたばかりだ。

 前々回の記事で不安定な身の上であることを書いたが、それから更新がパタリと途絶え、人によってはいよいよ職場を追い出されて死亡寸前の報告更新記事を楽しみに待ってくださった方もいるかもしれないが、実はあれから職場では、怒涛のごとく天から仕事が舞い降りてきて忙しい毎日を送っていた。今週はKLやジョホールバルにも遠征し、ようやく帰還したと思ったら来週も週中から週末まで大都会KLへ出張確定中だ。このようにこちらは、来月予定しているフィリピン帰国は本当に大丈夫かと心配になる有様になっている。不思議と職場では社員にならないかとしつこく誘われ、それがひと段落するとあなたの常駐工数を入れ込んだ見積もりを再提出してくれと言われ、一体あなた方は何を考えているのかと最近馬鹿馬鹿しくなってきている。というのも、マレーシア国内で少し遠征してみたら、自分の古巣の会社を含め、三つの見積もり案件が舞い込んできたし、先週は日本から舞い込んだ仕事を忙しいという理由で人に譲ったばかりだからだ。僕の中にはそれらを横目にまた見積もり交渉からやるの? という疲労感が漂い始めている。しかし乗りかかった船だし、今はとても抜け出せる状況でないことも確なので、仕事の方はまあぼちぼちやるかというところだ。

 最近は少し書きたい事がありながら、なぜかブログに向き合う気力がわかなかった。おかげで更新実績は皆様御存知の通りだが、意外と街中でコーヒーなどをすすっていると、こうやって何かを書きたくなってくる。
何を書きたいかというと一つは中国や韓国のことで、アベノミクスで一時円安に向かった為替レートが反動のように円高方向に行き、最近はようやくまた落ち着き始めている。それがきっかけで、世の中一体どうなっているのかを自分なりに調べてみると、円が揺り戻しのように円高に向かったのと同時(5月20日頃)に、投資家資金が新興国から引き上げられている状況が見えてくるのだ。その資金が円に向かい円高方向に向かっていたようだ。上海の株の動きが顕著でさらにインターネットを徘徊してみると、中国の経済シンクタンク(発展研究センター)副所長が内部用として書いた中国経済崩壊説報告書が流出し出回っている。それによると、中国経済が7月に崩壊するということらしい。いや、正確に書くといつ崩壊してもおかしくない状況で、遅かれ早かれやってくるというものだ。(日本の週刊誌にもスクープされている)
 そんなものが出回るのが不思議で何か意図的なものを感じないでもないが、実際の中国内部では、数年前まで鞄にたっぷりの現ナマを入れ豪遊していた人たちが、次々と資金繰り困難に陥り自殺に追い込まれている様子や、一部銀行ATMで現金引き出しが制限されている事態が報じられている。中国の銀行は国内企業への融資に厳しい土地担保を義務付け貸し渋りしているようだが、中国では有効な土地担保を持たない企業が圧倒的に多く、当然それらの企業は資金繰りが困難になり、多くは金利の高い別金融に頼りながら繋いできている。しかしここ最近は投資現物の稼働率や回転率が急激に悪化し、金利の支払さえできない状況に追い込まれている人たちが多く発生しているようだ。このように中国のバブルは弾ける寸前(実質既に崩壊している)で、中国政府も臭い物に蓋をしながらふらつく片足で踏ん張って立っているような状況である。
 先日は韓国大統領(クネちゃん?)が米国、中国を訪問し、日本を外した米韓中仲良し組を作ろうと画策する見え見え外交を展開したばかりだが、それに対しオバちゃんは社交辞令でかわし、シュウちゃんも適当なお土産を持たせ(通貨スワップ協定)あしらい、クネちゃんは実績を作ったと自画自賛した。中国のシュウちゃんは今それどころではなく、足元がぼうぼうと燃えている大火状態なのだ。おそらくシュウちゃんは、中国共産党崩壊の危機を肌身で感じている最中ではないだろうか。そんなシュウちゃんがクネちゃんと思惑が一致するのは、中国国内情勢不安定化に際し、日本をやり込めることで民衆の点数を稼ぎ人心を繋ぎ止めたいという点だけだろう。クネちゃんも同様、日本を袖にすることで韓国国内での点数稼ぎをしようとしているが、結局は自ら身動きできないよう自分の首を絞めているだけにしか見えない。日本の阿部政権は早々と韓国との通貨スワップ協定打ち切り方針を決め、韓国があべちゃんにゆさぶり作戦が通じないと分かってきたら、突然日韓の外相会談が実現することになった。結局韓国は日本からそっぽを向かれると困るし、そのうちお隣さんのよしみで…などと頼み事をしてくる可能性もある。クネちゃんのこのようなこうもり外交は最悪で、青色吐息の韓国経済傷口に塩を擦り付けるばかりだから、この時期韓国は最悪の大統領を選んだように見える。ちなみに日本人の韓国に対する印象度合は過去最悪というアンケート結果が最近出ている。

 こんな情勢の中、世界経済は中国バブル崩壊を引き金に再び暗黒時代に突入する気配を見せ始めている。しかしそもそもリーマンショックを始め世界恐慌の理由は色々と言われるが、こうなってくると不況の原因とは、実は現在の経済の仕組みが飽和し限界を迎えているだけに過ぎないのではないかと思えてくる。景気が復活したとしても潤うのは一部の人たちで、日本を除けば富の再分配に問題のある国ばかりだし、世界人口の大半を占める人たちの暮らしが一向に良くならない状態で現在の経済システムが上手に機能するのか甚だ疑問になってくるのだ。そもそも経済が巡回し潤うというのは、多くの人が働き適正な賃金を得て、地球全体の付加価値をあげていくことである。それぞれが時間と頭を使い何かを創造し、得た賃金で他の人が創造したものを利用できるということだ。経済とは本来、そうやってみんなの暮らしを豊かにするものではなかったか。しかしみんなが豊かになれば食糧問題やエネルギー問題がますます顕在化する。そこには何らかのコントロールが必要になっているのだろうが、コントロールする側の人間とはいち早く政治的・経済的優位に立った一部の人たちで、世の中はそのような人たちのエゴで動いている部分が大きい。
 そして僕が恐れるのは、この状況を打開するのに手っ取り早いのは何かを考えた時に、戦争という言葉が頭をよぎることである。戦勝国になって敗戦国から搾取することや、地球上の人減らしを図っての戦争である。そのような背景の大規模戦争が起こる可能性もあれば、中国共産党軍が暴走してもおかしくない環境が整いつつある。そこに北朝鮮が世の中を振り出しに戻そうという短絡的な考えで同調する可能性だってある。少し前まで読み物的に面白いねという内容が、何となく現実味を帯びてきていないだろうかという気がするのだ。

 僕は最近友人に、人間は暮らし方・生き方を考え直した方がいいのではないかと話している。僕自身について言えば、フィリピンのジャングルでバナナやヤシの実を取り、川魚を捕まえ畑を耕して暮らすのがいいかもしれないなぁとぼんやり考えたりする。なぜかと言えば、僕は自分が働くということでおそらく世の中の大きな経済活動の一端を担っているのだろうが、それが世の中(地球上の多くの人)のために役立つことより、極一部の人を潤す結果になっているのではないか、そんな大きな歪が今の世界経済にあって、それがますますいやらしい形で表面化しているのではないかという気がするからだ。そのようないやらしさのある世界で、神経をすり減らすのが馬鹿らしく感じ始めている。
 僕などは残りの人生せいぜい生きて30年かそこらだから、今更自分の生活で大それた方向転換を実際にしようとは思っていないが、実際の僕の生活は、いくらマレーシアでお金を稼いだとしても自分が感じる幸福感に一定の限界があり、これは稼げるお金が十倍になったところで変わらないだろうことを確信している。家族と離れて暮らし、僕は生活費を稼ぐ人、嫁は子供を育てる人という分業体制の生き方は、どうしても幸福感に限界があるようだ。
 人はもう少し素に帰り、自然に暮らすのが良いのではないかと思えてくる。幸い自分はフィリピンに根城がある。フィリピンの多くの方々はそのような暮らしを実践しながら、一方で現代経済システムに翻弄される部分もあるわけだが、もし世界が暮らし方を見直す動きに振れるとしたら、日本人よりフィリピン人の方が、はるかに頭の切り替えは早いだろう。一見質素に見える彼らは、意外に日本人よりずっとオアシスに近い場所で暮らしているようにも思えるからだ。それが、フィリピンやフィリピン人が日本人の心をひきつける一面なのだろうなとおぼろげながら僕は思っているのだが、その人たちの実際に抱える苦悩をよそに、自分もそこにどっぷりと加わりたいなどと思ってしまう昨今だ。
 僕は最近、醜い情勢が世界の国々で見受けられ、そんな世界から離脱したい心境になることがあるのである。ちょっと疲れてきたかなぁ〜。
※土曜の携帯原稿を日曜に手直しした記事です。



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posted at 18:34
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:685.コーヒーショップにて

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