フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年12月31日

63.大晦日

今年もとうとう最後の日になってしまった。まったく実感はないが、誰かが決めた1年という区切りの、一つの節目に差し掛かっていることは確かである。
人並みにこの一年を振り返ってみれば、自分の中でもけじめがついた年であったような気がする。

一昨年のクリスマスと年末年始は、モナが日本にいたから一緒に過ごした。モナは、僕に彼女の他に女がいるだろうと疑っていたので、そのようなことはないという証明として、一緒に過ごしたのであった。
昨年のこの時期は、フィリピンにいるモナと仕事で全く身動きできない僕はスカイプで話をしていた。
仕事漬けで特別な日であることなど微塵も感じない年末に、スカイプ越しに楽しそうなフィリピンの雰囲気を感じ取り羨ましく思っていたことを思い出していた。このときには、僕の一つの決断、つまりモナとの結婚の話をスカイプでモナに匂わしていた。

そして今年、2月〜3月にかけて渡比し、モナへプロポーズをし彼女の両親へ結婚のお願いをした。その後日本へ帰ってから、このブログをスタートさせた。
ほぼ同時にモナに子供ができたことが判明した。

そして今、ついこの間初めて対面したモナの両親と一緒に暮らし、モナのお腹の中に芽生えた命は、ユリと名付けられて自分のすぐ近くでスヤスヤと眠っている。

なんとも月日の経つのは早いものである。年をとってから、月日の経過が加速度的に早くなっているような気がしてならない。このままでは、何もせずに老人の域に入り、何もせずにこの世とおさらばなどということになってしまいそうで、怖くなってくる。

モナのママが彼女に言ったそうである。結婚をしたら、これからは夫が今後の日々の生活と人生の方向性を決める。あなたはそれに従わなければならないと・・・。
それを受けて、モナが僕に、唐突にかつストレートに、あなたのプランは何?と訊いてきた。

さて、プランは何かと訊かれ、情けないが僕は返答に窮した。
この歳になって、これからの人生設計が無いことに気付いた。おそらく人生の折り返し地点を過ぎているのにである。しかも年々、時の経過が早くなっているのにである。

それからというもの、他人の人生が気になるようになった。
小説の中の架空の人物であれ、実在する諸先輩であれ、とにかく人の生き様を覗き見たいと思うようになった。
他人の人生と自分の人生は勿論別物であるが、自ら自分の生涯像を描けない今、人がどのように生きているのかを意識的に良く見てみたいと思うようになった。
単なる好奇心ではなく、あくまでも自分のこれからのイメージを明確にしていくためのお手本としてである。

そして気が付いた。人は立派な人生像など描いていなくても、それがあるのごとく生きている人と、そうではない人がいるということにである。
何か芯がある人は、何をしても立派に見える。芯の無い人は、軟弱に見える。
芯の種類は人様々であるように思える。何か芯がある人は接してみてわかるのであるが、その芯が何かを考えると不思議と見えないのである。
わからないが、わからないなりに想像してみると、楽しみを持っている、責任感がある、自己表現がうまい、哲学がある、オーラがある、裏表のない優しさを持っている、寡黙である、行動力がある・・等々。

幸いブログでも、諸先輩の生の声を聞かせていただく機会に恵まれた。
当ブログで関わりを持った方々は、不思議と魅力のある人が多かった。かけていただく言葉一つ一つに重みがあり、そして感謝した。
総じてそのような方々にも芯を感じる。芯があることはわかるが、それがどのようなものかはやはりわからない。いや、感じることはできるが、明確に書き記すことが難しいと言った方が正確かもしれない。
特にこの地で暮らしている人には、敬服の念を抱かずにはいられない。
海外で暮らすということは、人の気持ちを読め、場の空気を読め、自己反省ができ、相手を導くことができなければ長続きしないと思われるからである。
僕がここに住みついたわずかな期間で感じたことである。

さて、僕のプランはというと、これは難しい。
前述したことを踏まえながらも、今のところは小さな目標を持ち、それをクリアーしながら少しずつ実績を積み上げていくような日々を送ることになりそうである。


今年の3月27日から始めた当ブログは、最初は低調であった。
1日に50のアクセスを超えると喜び、300を越えた時には快挙を成し遂げたと思った。
しかしおかげさまで、当ブログはこれまで30万のアクセスを超えるに至った。
勿論人気ブログを発行している方からみれば笑止な数字ではあるだろうが、当の本人はこの数字に驚いている。
記事は今回を含め266で、頂いたコメントは343であった。(自分のレスを入れるとその倍)
全く予期せぬ展開となり、ややもすれば怠惰になりがちな自分が、コメントに励まされてなんとか続けることができたわけである。

当ブログの特徴は、頂くコメント内容が濃いことだと自負している。
記事の至らない部分を十分に補って頂き、読者の中には最近コメントにフォーカスしているということを、個別メールで頂いたこともあるほどである。
個人の思いあがりや勘違いを正していただき、当ブログの充実度を確実にあげていただいた数々のコメントには、心から感謝を申し上げたい。

本日は何やら忙しくなりそうな雰囲気である。
実は元旦の明日は、生まれた子供の洗礼がある。ユリに何人かのニーノ、ニーナ(セカンドファーザー、マザー)が決まる。その後にささやかなレセプションも用意している。
その準備で、買い物に出かけなければならない。

今年お世話になった方々に、ブログを読んで下さった方々に、この場を借りて感謝を申し上げて、今年最後の記事を締めくくりたいと思う。

今年は本当にありがとうございました。
来年も是非、宜しくお願い致します。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:63.大晦日
2009年12月30日

62.仙人になろう

前回の記事に書いた、クリスマスに僕が野暮な質問をした背景について、少し触れておこうと思う。

僕が「叔母さんの旦那はきちんと会社に勤めていて、ちゃんとサラリーもらってるでしょ。」と例えに出した叔母さんというのは、旦那と一緒にマニラに住んでいたのだが、10月のマニラ大洪水のどさくさで1歳の子供と一緒に田舎の実家に帰ってきた。旦那はマニラにある会社の寮で暮らしているそうである。それはそれで良いのだが、その叔母さん、マニラから仕送りがあるにも関わらず、実家に帰っても生活費を一銭も家に入れないらしい。そのことでジュンという叔父さん(その叔母さんの兄でママの弟)と喧嘩になり、ジュン叔父さんが憤慨した気持ちを引きずったまま、ママに愚痴を言いに来たことが以前あった。

実家のおばあさん(ママの母親)には、月に2000ペソの年金が出ているらしい。
そのわずかな年金を、みんなが当てにして暮らしている。何人いるのか定かではないが、少なくともおばあさん、おじさん2人、モナの従妹の大人が4人がそこで暮らしているはずである。従妹は早くに両親をなくし、現在モナが学費を払って大学へ通っている女の子である。加えてそこに寝泊りだけしている、我が家のメイドをしているテスとその娘のアン、そしてジャマイカの家の番人のジュン叔父さんがいる。ジュン叔父さんは普段ジャマイカの家に寝泊りしているので、その実家にはたまにしか帰らない。

実家に住んでいる叔父さんの1人はトライスケルのドライバーで、1人はたまに市場で魚などを売って小遣い稼ぎをしているとのこと。しかしジュン叔父さんが言うには、叔父さん2人は生活費をまともに家にいれないらしい。
よっておばあさんの2000ペソの年金で生活費が足りるはずもなく、叔母さんに文句を言ったジュン叔父さんの少ない稼ぎ、つまりジャマイカの家の番人としてモナが支払っているサラリーで買った食べ物をせっせと実家に運んでいるらしいのだ。そんな状況のところへその叔母さんがマニラから突然転がり込んできたのだから、旦那にサラリーがあるのであれば、せめて少しくらいは助ける気持ちが欲しいということである。僕はその話を聞いて、ジュン叔父さんの気持ちがよくわかる気がした。
その叔母さんは、時々子供と一緒に僕たちの家にも朝から来て、夜帰っていくことがある。まるで1日ただで食事をするために、家に来ているような印象がもともとあった。

加えて最近、不穏な動きがある。
実家に住んでいた、たまに市場で魚を売っているという叔父さんが、ジャマイカの家に住みついている。
ジャマイカの家は、誰も住んでいないと物騒だからと、ジュン叔父さんに番人をお願いしているのだが、そのジュン叔父さんが休暇を取りたいということで、その間もう1人の叔父さんに番人をお願いした。しかしジュン叔父さんが番人に復帰しても、彼はそのままジャマイカの家に居付いてしまったのである。ジャマイカの家の食費はこちらが出しているから、居付いてしまった叔父さんは、現在ただ飯を喰っていることになる。

もともとの番人ジュン叔父さんは、いつもジャマイカの家の掃除をし、何かあると小まめに動く人である。たまに僕がジャマイカに行くと何かと気を使ってくれるので、僕も時々ジュン叔父さんに煙草を買っていく。何よりも彼はとても優しい。
しかしあらたに住みついた叔父さんは、僕とモナの部屋もまるで我が物顔で自由に行き来し使用し、そして自転車やバイクも使用したい時には当然のように「キー」と言って手を差し出してくる。一体どちらが家の主なのかわからないようなその態度が少し癇に障るのである。
にわかに感じるその雰囲気から、以前僕は恐る恐るモナに尋ねた。

「あの叔父さん、少し変な感じがするんだけど・・・」
「なに?」
「ジャマイカの家がまるで自分の家みたいにしているし、バイクや自転車も自分の物みたいにしてるんだけど・・」
といい、彼の態度を説明した。
「その態度は悪いなぁ。あの叔父さんは、それあるからアコもあまり好きじゃないよ。だから部屋はいつもロックしてるでしょ」
「そう?それじゃなんであそこに住みついてるの?」
「ママ決めてるだから・・・」
「仕事はしてないの?」
「たまに市場で魚売ってる。でもいつもじゃないよ。時々だけ。なまけものだよ」

こんなことがあるから、僕はこの状況が拡大することを恐れているというわけだ。
気が付いたら、自分の下にたくさんの扶養者がいるという状況は耐えられないのである。
正確に言うと、がんばる人にはそれなりに尽くしたいが、最初から当てにされるのは納得できないということである。
楽をして食べさせてもらえるのなら、僕だってそれに甘える。
だからどこかでけじめをつけておきたいという気持ちが働いてしまう。そのラインを、どのようにして明確にしようかということを、最近の僕はいつも心の中で模索している。

そして僕はモナについつい、その気持ちを愚痴のような形で漏らしてしまう。
お願いごとは、自分たちがジャマイカの家に住み始めたときに、自分たちの部屋のプライバシーはきちんとキープしてもらうということである。
あそこだけが自分の砦である。だから叔父さんには自由に立ち入って欲しくはない。
そして叔父さんの面倒まで僕は見きれない、もし一緒に住むのであれば、それはダディーとママの責任で養ってもらいたいし、食費は入れてもらうということも話していた。
モナの返答は、一緒に住むのは有り得ないというものである。
しかし、とかく何事もずるずると流される傾向があるこの地のことである。僕も今から、どうしても予防線をはりたくなるのである。

僕がこのような愚痴をこぼすと、モナはいつも黙って聞いている。あえて反論せず、かといって肯定もせず、僕の言葉が文句に近いものになっても決して切れたりしない。
そしていつの間にか、細かいことは改善されるか、もしくはその努力の跡を見ることになる。
だから僕も、口では色々と言うが、大枠はモナに任せているし、そのようなことで二人が喧嘩になることはない。
モナが僕と家族の間に入って思案することも多いことは承知しているから、逆に感謝している。
僕がモナに、少々がんばったクリスマスプレゼントを贈りたいと思ったのは、実はその感謝の気持ちが含まれているのだが、彼女はそのことを知らない。自分の気持ちを素直に表現するのが苦手な世代なのであろうか。

以上書いたことは、くだらない愚痴のように思えるかもしれないが、実はフィリピーナと関わりを持ち、そして結婚などということになった場合には重要な意味を持つ背景であるから、あえて紹介をしてみた。

おそらくフィリピンで長く暮らしている方々は、このような細かいことには動じない、仙人のような境地に行き着いている人も多いのではないかと推測している。そうでなければ暮らせないよと言われそうな気がして仕方がないほど、わかっているつもりでもある。
だから僕も、早く仙人になりたいと思っているのであるが、まだまだ未熟で、多くの修行を積まなければならないことを自覚している。

仙人になろう・・・これ、来年の僕の密かな抱負です(笑)

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:62.仙人になろう
2009年12月29日

61.初めてのクリスマス

マレーシアから戻り、その足でレガスピのモールへクリスマスショッピングのため直行。いささかハードなスケジュールに、家にたどり着いたらすぐに居眠りをしてしまった。タバコシティーに着いたらダディーのプレゼントのシューズを買いに行く約束をしていたので、目が覚めるなり「今何時?」と叫びながらも自ら時計を見ると、既に夜の7時半。
「何で起してくれないの?ダディーのシューズを買いに行くって話してたじゃない!まだ店はやってるかな?」
「今日はわからないなぁ。でもダディーはお金でいいって」
「はあ?そう?それが良いならダディーは特別に現金でもいいよ。いくらにする?」
「どうせお金が無くなったら、またちょうだいって言われるから、少しでいいよ」
「少しっていくら?」
「う〜ん、1500かな?」
結局1500ペソの現金支給となったが、ダディーはそれを喜んでいるようである。

24日は夜の12時を回る頃に、みんな揃って食事をする慣わしらしい。メインの料理はスパゲッティーとチキンと、春巻きのような食べ物。ケーキはモナの手作りで、飲み物はワインを2本買った。
ご飯は夜中までお預けということで、モナ、ベル、ベルの従妹のアンと4人で、ぶらぶらと町のセンターまで散歩に行くことにした。ダディーがトライスケルで送ると言ってくれたが、モナが珍しく歩きたいから大丈夫と言うと、結局ダディーも歩いてついてきた。今の時期は物騒だから、心配で付いてきたのだろう。とにかく僕が日本人であることに、相当気を使ってくれている。

町は確かに騒然としていた。バス、車、バイク、トライスケルが入り乱れて道路に詰まっており、道の両端も歩道から溢れんばかりの人で、まっすぐ歩くのがままならない。そして露天がいたる所で店を構え、LEDがピカピカと光るステッィクやイヤリング、そして太鼓を叩くおもちゃなどを売っている。売られているものはおもちゃだけではなく、ポップコーン、ウィンナー、ピーナッツ、フルーツ、ミネラルやジュースなど、日本のお祭りのような様相を呈している。
セントラル広場ではステージと会場が作られており、夜中の11時頃からバンドの演奏が始まるそうだ。
爆竹の音が360度全ての方角でランダムに鳴り響き、時には人ごみの中のすぐ近くでもそれが炸裂するから、その度にのけぞるような驚きを覚える。
教会は教会の形に沿って電飾がほどこされているので、遠くから見ると暗闇の中で建物の壁が見えなくても、巨大な教会が宙に浮かんでいるように、その形がくっきりと浮かび上がっている。
教会の敷地の中はカップルや家族連れで賑わっており、その向かいにある公園にはサンタやトナカイ、城、巨大ツリーなどの飾りが無数のイルミネーションできらびやかにデコレーションされているので、こちらも若者を中心に賑わっている。
立派なカメラを持った人が数人公園の中をうろついているが、これはきっと記念撮影でお金を稼ぐ人である。

スリが虎視眈々と獲物を狙っていると聞いていたので、持ち物は小銭入れ一つと煙草だけで家を出た。いつもよりもはるかに多いポリスが、あちらこちらで巡回している。時折パトカーが人ごみを押し分けるように進んでいるが、あれも巡回なのだろう。パトカー一台の中には4人の警官が乗っている。

特に何をするわけでもなく、ベルとアンにLEDでぴかぴかと光るおもちゃイヤリングを買い、ポップコーンとジュースを公園で食べて飲んでそれだけで家に帰ってきたが、クリスマスの雰囲気を確かめるには十分であった。
帰り道、すぐ近くで爆竹音が鳴って驚いたが、もっと驚いたのは、それは爆竹の音ではなく、家の門に仕掛けられた電気仕掛けの爆竹の音がする装置が発する音だということだった。家の中にいても、この爆竹音があちらこちらで鳴り響いているのが聞こえる。これが特別な日であることを強調しているように、闇夜に響き渡るのである。

家に帰るとモナがお腹が空いたと言い出し、つまみ食いを始めた。それをきっかけに、みんながつまみ食いを始めたが、つまみ食いというよりは、どう見てもつまみ食い風に食事をするという感じである。僕ももれなくお相伴にあずかり、結局みんなで「ボソグ ボソグ(お腹いっぱい)」と言い合いながら、それぞれ好き勝手な事を始めた。
そして僕はいつの間にか再び居眠りをし、目覚めたのは午前1時。

「あれ?みんなディナーを一緒にしたの?」
「しない。みんなお腹一杯になったから、あのあと寝ちゃったよ」
「そう???」
日本の年越しのように、25日の午前0時がクリスマス本場の山場と聞かされ、そしてそう思い込んでいた僕にとっては少々拍子抜けである。
みんなが寝たと聞いて、僕は再び眠りに陥った。マレーシアの疲れがまだ蓄積していたらしい。

翌日目を覚まし、モナに「いっぱい寝ちゃったねぇ」と言うと、「アコのクリスマス、待ってたのに・・・」とさりげなく言われた。
「あなたのクリスマス???何それ?」
「わかるでしょう!」
「はあ?・・・ !!あ〜、あなたのクリスマスかぁ」
「オッオー」

翌日25日は、昨夜のパーティーの不発を補うように、朝からご馳走の準備がせっせと行われている。本来は僕は仕事をしなければならないのだが、とても仕事をするなどと言える雰囲気ではない。みんながクリスマスムード一色に染まっていた。
道路に出ると、いつもは朝早くからそれなりの往来やざわめきがあるのだが、何となく静まり返っている。おそらくみんな夜更かしをして、ゆっくりと寝ているに違いない。

モナは、6歳のベルがサンタを存在を信じていると信じている。そのモナはベルが眠りについたあと、枕元にプレゼントを置いたらしい。そのベルも家の中は既に騒然としているにも関わらず中々起きない。ベルがどんな顔をするのか僕も楽しみにしていたが、ベルはプレゼントの包みを見るなり、サンタパパ、サンタママありがとうと言った。どんな意味で話しているのか僕にはわからなかったが、モナはそれを聞いて僕に、「ベルはなんかわかってるなぁ」と言った。自分の昔を振り返っても、小学生の頃には全てを承知していたのだから、ベルが真実に気が付いていても全く不思議はないのであるが、モナはそれが残念で仕方がないような口ぶりである。

昨日購入したプレゼントが順次配られた。ママにはズボンと服。わざと若いカラーのポロシャツを選んだ。モナはそれとは別に、ママにアクセサリーも用意したようだった。おばさんにはハンドバッグ、従妹のアンにはワンピース、すぐ下の弟にはバスケットシューズ、そして一番下の弟にはメーカー品のハーフパンツ、モナにはイヤリング、そして僕は新しい携帯、生まれたばかりのユリにはベビーカー、その他におばあさんや他の従妹、叔父さん二人・・・その他諸々。とにかく大判振る舞いのごとくプレゼントが配られる。このシーズン、フィリピーナを嫁にした宿命として、この日の出費には目をつぶるしかない。

ランチはジャマイカの新居にてパーティーが始まった。初めて見る面々もいらっしゃる。

僕はモナに素朴な疑問を投げかけた。
大勢集まった面々にこちらからクリスマスプレゼントを渡し、そしてご馳走を振舞う。みんなは当たり前のように食べて、飲んで、楽しく騒いでいるが、ベルやユリにクリスマスプレゼントをくれたのはたった一人、ダディーの兄の奥さんだけであった。はて、なぜこのような不平等になってしまうのか、なぜうちばかりが振舞うのかがわからない。僕はそれをモナに訊いてみた。
「うちは親類縁者の中でも特別な家なの?」
「違うよ、何で?」
「だってみんなここに集まって飲み食いするだけで、誰もベルやユリにプレゼントをくれないでしょ?」
「それは気持ちの問題だから・・・」
「そうだねぇ、それはわかるよ。だから10ペソのおもちゃでもいいから持ってきてくれる人はいないのかなぁって思っただけなんだけど」
「そうねぇ・・・」
「日本とは随分違うなぁ」
「みんなお金ないからでしょ。大変だからしょうがない」
「でもさあ、叔母さんの旦那はきちんと会社に勤めていて、ちゃんとサラリーもらってるでしょ。そしたら気持ちがないってことかなぁ?」

それに対してモナは何も言わない。
僕も決してけちな了見を口にしているわけではない。それは僕にとって、普段から感じる素朴な疑問なのである。
なぜこのうちばかりがみんなをもてなす役割となるのか?
それはお金があると思われているのか、それともあると思われて欲しいのか?

この普段から感じる素朴な疑問にはそれなりの背景もあるが、クリスマスの野暮な話は早々に切り上げ、パーティーの輪に加わった。
そして飲みなれない奇妙な味のブランディーに酔いながら、25日も幕を閉じようとしていた。僕は酒に弱いので、酔うとすぐに寝てしまう。

モナがしきりに飲みすぎるなと牽制してくる。
「あなた酔っぱらってる?」
「少し・・でもまだ大丈夫」
「そうかなぁ・・。アコのクリスマス、今日もないなぁ・・」
「はぁ?」一呼吸置いてから僕が答える。「あー、それか・・」
「なに?あなたわかる?」
「オッオー。あなたわかりやすいなぁ」と、僕がにやけた顔で答える。
「なになに?あなたなにわかった?」
モナの顔も少しいたずらっぽい表情が浮かんでいる。
「あなたのクリスマスでしょ」
「オッオー」と少し顔を赤らめながら、嬉しそうにモナが答えた。

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エントリー:61.初めてのクリスマス

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