フィリピーナと共に
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2009年12月07日

42.フィリピンは自由なのか

先日フィリピンは自由でいいねというコメントを頂いた。
僕はなぜか、そのコメントに対して「そうですね」と素直に相槌をうつことがためらわれた。
果たしてここフィリピンには、それほど自由があるのだろうかと思うからである。
コメントをくれた方の「自由」が何を意味するのかは承知している。おそらくフィリピンに来ると、自由な気分になれるという意味だと思う。それについては僕も過去、同じ気分を何度も味わったのでまったく同感である。

だから以下は、それに対する反論ではなく、たまたまこの自由というキーワードからフィリピンの状況を展開してみようと思うだけである。


少しフィリピンの統計的な情報を覗いてみる。
以下はざっくりとした数値と考え方で、フィリピンと日本の違いがどのようなものかを掴んでもらうだけの話である。細かい話に興味がある方は、再度御自分で確認していただきたい。

フィリピンの国土面積は299平方Kmで、日本の378平方Kmよりも小さい。そして人口はフィリピンが9千万人、日本が1億3万人に届く勢いとなっている。国土面積が世界の中で、フィリピン70位、日本60位に対して、人口数はフィリピン12位、日本10位であるから、日本の方が規模は大きいが、同じ島国として似たような状況となっている。
つまり国土や人口パワーとも、フィリピンは日本と同じような潜在能力を持っているとも言える。

ここでGDP、すなわち年間の国内総生産額を比較すると、日本は約550兆円に対して、フィリピンは8兆ペソ、すなわち昨今のレートを適用すれば、わずかに16兆円ということになる。GDPは国内で生産したものの総和であるから、日本はフィリピンの約30倍も物やサービスを生み出していることになるし、逆から見たら、フィリピン国内産業とは、せいぜいその程度だとも言える。

さて、このGDPという数字がが具体的に何を意味するのかを掴むための試みとして、乱暴な計算であることを承知で進めてみる。
生産、販売額から仮に15%の利益が取れたとして、その利益を人口で割ってみると、日本人は年間一人当たり約60万円、フィリピンは一人当たり約2万5千円の利益を得ることができるということになる。
つまりフィリピン人の稼ぎは、日本人の25分の1に近い金額ということになる。

これは子供も老人も全て含んだ数値なので、就労者数で割るとその金額は当然もっと跳ね上がるのだが、これは稼いだ額を、均等分配するという前提ではじいた金額である。
もし分配が極端に偏っていたとすれば、その中で多い人と少ない人が出てくる。
フィリピンは富の分配が極端に偏っていると言われるので、一般庶民の手元に届く金額はもっと目減りすると想像できる。

単純平均計算で年間2万5千円の収入と考えると、フィリピンに行ったことのある人は何となく頷けるのではないだろうか。
フィリピンのサラリーマンの給料を、こんなに安いのかと思った人もいるだろうし、また、フィリピンで暮らす人々は働いているのだろうかと感じた人もいるだろうからである。

このように考えると、フィリピンの物価やレートは、日本の20分の1でも良さそうな気がするのであるが、実際にはそれほど大きな開きはない。
それはなぜか・・。実際にはフィリピン人の購買力がもっと高いからである。

フィリピンは就労人口の2割が、フィリピン国外で働いている。
海外からのフィリピン人によるフィリピンへの送金金額は、年間で約150億ドル、日本円で約1.5兆円になる。GDPが16兆の国であるから、この送金額の大きさは尋常ではない。しかも送金額は、ほとんど購買に回せるお金である。この送金がフィリピン国内の経済を、底支えしているといっても過言ではない。
ここまで読んだ読者の中には、自分もそれに貢献している一人なのかと思った方が、いらっしゃるかもしれない。しかし日本人がフィリピンへ送金した金額は、それに含まれない。あくまでもフィリピン人自身が自国へ送金した金額である。

ここまでで、ざっくりとフィリピンと日本の経済力の違いを把握できたのではないかと思う。個別には色々なケースがあるだろうが、こうして見たフィリピンの国力はかなり弱小であることがわかる。

更に加えて貧しい国にありがちな治安の悪さがある。そして行政の一部の人間が腐っているだけではなく、国民に対するサービスも著しく乏しい。それはこれまでの記事の中でも若干伝えてきた内容である。
国民の生命・安全・財産を守るという国の根幹事業にも、国にお金が無いために疑問符の付く国である。
国のお偉い方が、自分の懐へ入れるお金を少しでも減らせば、少しはましな行政も実施できるのであろうが、この手の国の偉い人は選挙で選ばれると、様々なお金を堂々とかすめてもよいと勘違いするケースが常で、大方そのようになってしまうようだ。

このような経済状況の国フィリピンでは、大学を卒業してさえ就職したくても働き口がなく、親子や夫婦が生活資金を稼ぐために海外に出稼ぎに行き、離れ離れの生活を我慢しているケースが多い。それでもまともな職にありつければ良い。まともな職とは、建築現場などの、いわゆる日本で3Kと呼ばれる仕事も含めての話である。
出稼ぎもままならなければ、娘をバーで働かせるなどして、食いつなぐしかない。
フィリピンは日本と大差ない人口を抱えながらも、経済のマスが小さいからどうしようもないのである。
看護婦や介護士の資格を取得し、きちんとした技術を身に付けて海外で働きたくても、資格を取るための学校の学費が高いから、それができない人も多いのが実態だ。

このような状況だから、自然と海外への出稼ぎ斡旋で、法外な金額を取る業者も多数出現するが、中には詐欺まがいのものもあり、海外に出てから路頭に迷う可愛そうな人を僕は一人だけ知っている。
かつて日本へ多くのフィリピーナを送り込んだプロモーターも、出稼ぎ斡旋の一貫であるが、フィリピーナが日本へ行く際、彼らにした借金額は、紹介料、タレント養成代、飛行機代を合わせて50万円だったり100万円近い金額をぼったくられるケースもあった。そんな借金を背負って半年間日本で働いても、彼女たちが手にするサラリーは借金を差し引いて100万にも満たない金額である。
それでもフィリピン国内で働くよりはマシだと、日本での出稼ぎ希望者は、後を絶たない状況であった。
現在は日本への入国が厳しくなり、タレントとして働くのが難しくなったために、あの手この手を使わなければ日本への上陸もかなわない。
大方のプロモーターは飯の種が無くなって廃業や斡旋内容の変更を余儀なくされたようであるが、裏口入国を手配できる業者は、相変わらず暴利をむさぶっている。

仮にただの旅行で日本を訪れたいと思っても、フィリピン人が日本への観光VISAの取得には多額の費用が必要となるし、日本にいる家族へ会いに行くためだとしても、日本での召喚状が必要で、煩雑な手続きを要する。

これでフィリピンがフィリピン人にとって、自由な国と呼べるだろうか。フィリピン人には日本人が享受できるほどの自由はないというのが、僕の結論である。
そしてフィリピン人に、フィリピンは自由な国だと思うかと質問をしたら、きっと答えはノーであろうと思う。日本にいるフィリピン人に訊ねたら、日本の方がずっと自由じゃないのと言われそうである。


フィリピンで暮らす日本人にとってはフィリピンはどうなのか・・・。
まだ日が浅い自分が、このテーマでうんちくを述べるのは僭越であるが、あえて勇気を出して書いてみると、次のようになる。

鉄道やバスが整備されているわけでもなく、夜中にジプニーに乗れば、現地人でも時に強盗まがいの物取りに出くわしたりする。
田舎ではタクシーもないのだから、トライスケルを利用するしかないのだが、一人で歩きまわろうとすると、危険だからと制止される。
都会ではタクシーを利用できるが、日本人だというだけでぼったくりに遭遇する。それは夜の遊び場でも同様である。

そしてもし日本人がここで何かをするとすれば、何かとお金を取られることになる。それは日本人の顔がお金に見えるらしいからである。
よくわかっていてあえてお金を払うか、もしくはケチるのか、その判断は時として難しい。
どこまでがぼったくりで、どこまでが親切なのか、時にわからなくなることもある。

今回イミグレーションに永久VISA取得の相談をしたら、あくまでもお奨めという話であるがと前置きがあり、1年の仮VISAに4万ペソ、永久VISAは5万ペソを支払えば取得は至極簡単に済むと言われた。もしその方法でなければと、マニラでの面接多数に数々の書類を要求されとても大変だと、暗にその方法で取りなさと言わんばかりの説明であった。
またかと頭にきたので、その話はとりあえず無視することにした。

以前記事にしたモナの出産費用も、ドクターの取り分については金額を上乗せされた気配がある。恐る恐るモナにそれを訊いてみたら、彼女の答えは「たぶん」であった。
二人の結論は、モナの相手が日本人であることを知って、ドクターが金額を算出する際に1万ペソを上乗せしたのではないかということである。
病院で費用を精算する際に、そのドクターの金額だけは空欄になっており、ドクターのクリニックに行って直接支払うように言われたからである。
生まれた子供のドクターも外から来ている女医であったが、彼女の診療代は病院の請求書に載っていた。
これについては命のかかった問題なので、上乗せがあったとしても納得してはいるが、薄々このような疑惑を僕とモナは持っているのである。

そして、いつ何時でもファミリーが一緒で、行動の自由が制限される。ファミリーとはモナの親や兄弟にとどまらない。モナの両親の兄弟やその子供も含めてである。どこかへ一緒に出かけるものなら、この大所帯の交通費・食事・買い物と全てこちらが負担することになる。
あえてお金をくれとは言われないし、何か買い物をねだられることもない。しかし仮に僕がモナにちょっとした物を買ってあげようとすると、結局みんなが一緒に選んで、僕がまとめてお金を支払うことになる。外食では、支払いは当然僕であるかのように、自分の分のお金を出す素振りもない。

それが度重なると金額も大きくなるので、できればレガスピなどへ出かける時には、本当の身内だけにしたいのだが、なぜか出かける段になるとみんな集まってくる。だから迂闊に出かけようと言えなくなってしまったが、かと言って一人ででかけるわけにもいかない。
勿論家の中にいるときには、自分のプライバシーをキープするのはとても難しい状況である。

日本にいた方が、好きな時にでかけて、好きな物を食べ、飲みに行き、遊べる。
総合的に考えて、私生活では日本の方がはるかに自由なのである。勿論お金があればの話であるが、それはフィリピンでも同じで、ここでもお金が無ければ自由を満喫することなどできない。
しかしフィリピンで暮らす場合には、そのお金をこのフィリピンの環境下で稼がねばならないから、日本よりもある意味きついと言える。


さてここまで、かなり否定的にフィリピンでの生活を書いてみた。フィリピンやフィリピンでの生活の負の部分である。
しかし僕は、フィリピンは自由だということに対して懐疑的であることを書いただけで、だからここの生活がいやだと言っているわけではない。

これまで記事の中で紹介した通り、ここにはここの良さがたくさんある。
要は自分が何を求めているかでフィリピンの生活に馴染む事ができるかが決まるのであり、当然我慢しなければならないことも多くある。
我慢については、どこにいてもたくさんあるということである。

統計数字については、必ずしも正確ではなく、また考察についても素人考えが先行し、もっと詳しい方が読めば笑止千万かもしれませんが、概略を掴むには十分ではないかと思われます。その程度にお読み頂ければ幸いです。そして詳しい方からの補足をいただけると嬉しい限りです。

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エントリー:42.フィリピンは自由なのか
2009年12月06日

41.同時断水・停電

今日は朝から断水である。昨日の夜中から、水の出が悪いとは思っていたが、朝から完全に水が出なくなっていた。どうやら給水に関する何かを修理しているようである。
水道管から水が出なくなっても、誰もあまり慌てない。ダディーがどこからか、水がたっぷり入ったバケツを二つ、両手にぶら下げ家に入ってきた。近所の井戸水を分けてもらったようである。水道から水が出るようになるまで、この水運びが続くようだ。

断水になっても、みんなシャワーは欠かさない。メイドのテスが、せっせと風呂場に水を運んでいると思ったら、それは僕がシャワーをするための水だった。運び終わるなり、モナにバスしなさとけつを叩かれ、渋々水浴びをした。
風呂場に行くと、大きなたらい二つに水がたっぷりと張ってある。それをひしゃくですくい体にかけて使うのである。シャワーから出る水と違い、ひしゃくの水はダイナミックに体にかかる。しかも水は井戸からくみ上げたものだ。
「ツミタイヨ、コノミズ〜」と、体が思わず縮こまる。ドアの外では、モナやママやテスが、きっとその声を聞いて大笑いしているのだ。

そして昼食後、今度は突然電気が止まった。それまで轟音を撒き散らしていたTVとラジオがプツンと切れた。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、ノートパソコンの画面が節電モードで暗くなったのを見て、停電であることに気が付いた。
「パソコンはノートだから、バッテリーでしばらく動くので問題ないな」と思ったが、インターネットが切れているのに気付き、そこで初めてそうかと思った。モデムの電源が落ちてしまうから、インターネットは使用不能になってしまうのだ。
インターネットが繋がらないとわかったとたんにパソコンを使う気がうせ、ノートをパタッと閉じた。

電気は2時間しても復旧せず、そこで初めて「電気は夜までこないなぁ」とモナがつぶやいた。そんなものなのか?と思いつつ訊いてみた。
「水はいつ出るの?」
「わからない」
「電気も水も、いつも予告なしになくなっちゃうの?」
「水はいつもはアナウンスあるよ。車とかラジオで・・。でも今日はないなぁ。マハール、何か静かだね」
「オーオー、いいなぁ、この静かさ。テレビもラジオも要らないよ。いつもうるさすぎる」
「でもそれないと、寂しいでしょ?」
「そうかなぁ。寂しくても普通の音量で聞けばいいと思うのになぁ」

モナの診察のために町の中心部へ行くと、そこも全て電気が止まっていた。スーパーや診療所は発電機を回して電気を確保していたが、診察中に蛍光灯がチラチラと暗くなる。
ドクターが、今日は電気がないから急いで診察を進めていると話す。
診察は帝王切開の傷跡のチェックだけであるが、傷口の一番下の部分が赤く化膿していた。それほどひどくはないが、再び抗生物質を一週間服用することになった。診察後にモナが言った。
「ドクターが、あなた頭いいって話してたよ」
「なんで?」
「あなた英語が話せるからだって」
「それだけ?」
「オーオー、日本人はみんな英語話せないからだって」

どこに行っても日本人の英語オンチは有名である。最近はそうでもないと思っているのだが、一度ついたレッテルは、簡単に払拭できないようだ。
フィリピンでは英語が話せるだけで、あなたは英語が話せてラッキーだとか、頭が良いということになってしまう。ラッキーだと言われても、先天的に英語が話せるわけではないのだから、何が幸運なのかピンとこないが、とにかくそういうことになるらしい。

どの店も電気がないから開店休業状態になっている。道沿いの小さな店の従業員がここぞとばかり、店頭で無駄話をしている。
銀行のATMもとまっていた。銀行ぐらいは発電機を使えよと言いたくなる。店内は発電機を使用し営業していたかもしれないが、少なくとも外に出ているATMは、使用不可状態で誰も並んでいない。
もっともATMは、停電ではなくても頻繁に使用不能状態になっているから、それで停電がわずらわしいという理由にはならないのであるが。

家に帰ると、中は既に薄暗くなっていた。さすがに手馴れたもので、モナが大きなロウソクを5本出して、火をつけては家の中に置いていく。
もし日本で、このような長時間の停電になったら、コンビニにロウソクを買いに走ることになる。そしてコンビニのレジが動かず、結局買えないなどということになるかもしれない。しかしここでは、すぐに前回使用したロウソクが所定の場所から登場する。

昔の人はロウソクの灯りで本を読んだということを思い出して試してみたが、ロウソクの灯りはこんなに暗いのかと思うほど暗く、細かい活字を追いかけるのが辛いので、読書も諦めた。
どこからか風が入り込んでいるらしく、TVキャビネットの上に置いた2本のうち、1本のロウソクの炎だけが落ち着きなく揺れている。
ロウソクの灯りで過ごすのは何年ぶりだろうか。考えてみても、思い出すのは子供の頃のことばかりで、近年それほど長い停電を経験していないことに気付くのである。
食事もテーブルに2本のロウソクを立て、その灯りの中で食卓を囲む。暗くて不便ということはなく、かえって特別な夜のような雰囲気になっている。

食後タバコを吸いに表通りにでると、見事なまでに真っ暗闇となっていた。そこで初めて、夜の街灯や家の明かりの有り難味がよくわかる。それが無いととても一人で外を出歩く気にはなれない。そして家の中では、ダディーがこんな日は泥棒がくるから気をつけろと、冗談交じりに話していた。
結局電気が回復したのは、夜の7時40分である。昼の12時半から約7時間の停電であるが、これほど長時間の停電は、日本では災害時だけである。電力を供給する側と使う側で、基本的に停電はあってはならないという意識があるからで、特に供給側が徹底して停電を押さえ込んでいるからである。仮に事故で停電があっても、即行で復旧される。

3年前の台風被害で、この辺りの電柱が全て倒れてしまったそうだ。その時には4ヶ月間も電気のない生活が続いたそうである。生活インフラに対する考え方の違いが、この事象一つとっても良くわかる。危機管理という概念はほとんど無いのかもしれない。いつ襲ってくるかわからない不測の事態に備える余力など、この国には無いのだろう。

電気が無くなって一番困るのは何か・・あとでわかった。冷蔵庫である。
特に冷凍庫の中の物が融けてしまう。先日購入したカシューナッツのアイスクリームも、ほとんど台無しになった。要冷蔵の食品も、それだけ長時間電気が入らないと怪しいものである。幸い最近は寒いくらいに涼しいので、被害は冷凍庫だけにとどまっていると思われるが、冷蔵庫や冷凍庫を使用する商売の人は、発電機を持っていないと大損害ということになる。

結局ライフラインのうち、ガスだけはプロパンなので生きていた。プロパンは災害に強いなどと言われるが、フィリピンでは違う意味で必要かもしれないとあらためて思った。都市ガス方式で、電気、水道と同様にガスまで頻繁に止まってしまったら、たまったものではない。ただしこのプロパン、カロリーが異常に少なく、お湯を沸かしたり煮込み料理に日本のガスの倍ほどの時間がかかるのが難点である。しかしお金を払って買ってくれさえすれば、いつでも使用できる。それがどれほど有り難いことなのか、日本にいたら感じることはできない。


結局水道は、丸1日経っても復旧しなかった。翌日の明け方に、水道からちょろちょろと水が出るようになった程度である。水がこれほど長く止まるということは、これも日本の常識と照らし合わせて考えられないことである。日本であれば苦情の電話が殺到し、そして全国ニュースになっているかもしれない。
しかしここでは、半ば当たり前のこととして、住民が騒ぎ立てることは一切ない。
行政側も何もアナウンスもなければ、給水車を出すわけでもなく、それでも住民は普通に暮らしている。
もっとも、もともと水道水を飲み水としてあてにしない生活だから、あまり騒ぎにならないのかもしれないが、いずれにしても双方、気が長いことだとある意味関心してしまう。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:41.同時断水・停電
2009年12月05日

40.サラリーマンですが、何か?

昨夜は生まれて2週間少しのユリの夜泣きに、寝不足気味である。しかも風邪までひいてしまったようで、喉の痛みと共に、せきがでる。昨日から、モナが日本で買った風邪薬を飲んで、今朝は少し良くなったような気もするが、頭が重いのが風邪のせいなのか、それとも寝不足のせいなのかわからない。

ユリは生まれてからずっと、本当によく寝る子で手がかからないと喜んでいた。しかし、インターネットで調べてみると、新生児は寝るのが普通で、夜泣きというものは6ヶ月ほどしてから始まるということがわかり、少しぬか喜び気分。

ユリは普段、お腹をすかせて夜中に泣き出すことはあっても、いつもはミルクを飲んだらすぐに寝てしまう。しかし昨夜は違った。ミルクは飲んで、おむつも替えて、熱も平熱であることを確認し、体も隅々まで虫にくわれていないかなどをチェックし、全て異常なしなのに、ベッドに置くと泣く。
1時間抱いてようやく寝かしつけたと思っても、ベッドにそーっと置いて、さあ寝るかと思うと、まだぐずり出す。最後は結局モナのミルクでようやくご就寝。今朝3時前から5時までの2時間強、ずっと奮闘していた。これは仕事よりきつい。いつ終わるかわからないからである。


モナは子供が生まれてから、少し強くなった。
とくにかく最近僕は、モナに顎で使われることが多い。
彼女がユリにおっぱいを飲ませていると、自分は動けないから色々と指令が飛ぶ。

「マハール、ベイビーのおしりチェックして!うんこしてない?」
「どれどれ、あ〜、してないよ」
「マハール、ベイビーのソックス取れてる。それはかせて」
「はいはい、これでいいかな」
「マハール、ベイビー今うんこした。ダイアパー(オムツ)とウェットティッシュ取って」
「はいはい、ほい、ここに置くよ」
「マハール、おっぱい終わったよ、シート(オムツを替えるときに下にしくシート)そこに敷いて・・・あ〜、ピロー(枕)も」
「はいはい、これでいいかな・・」
「うわぁ〜、いっぱいしてるなぁ。マハール、お願い・・」
「どれどれ、お〜、いっぱいしてるなぁ・・・」
いつの間にか僕が、ウェットティッシュでユリのうんこを処理している。
「ほーれ、これで綺麗になった。気持ちいいなぁきっと・・」
「マハール、背中痛い、マッサージ頂戴」
「はあ、どれどれ、どこが痛い・・・って、おい、僕は今、仕事してるんですけど・・」
「今ブレイクにすればいいでしょ」
「それやってたら、いつもブレイクになるデバ!ほんとにもう・・、どれ、どこが痛い」

マッサージが終了すると、疲れるので本当のブレイクタイムとなる。
さすがにその時のお茶は、モナが作ってくれることが多いが、こんなやり取りが頻繁にあるのだ。会社のメンバーには、絶対に知られたくはない実態である。

仕事との折り合いが付けばそれはそれで良いのだが、少しだけ気になることがある。
それは、モナやモナの家族が、サラリーマンのあるべき姿を、まるで理解していないということである。
サラリーマンの基本は、決まった時間に仕事がスタートし、仕事の時間が始まったら基本的にはプライベートの用事はできない。定給をもらう代わりに自分の時間を捧げなければならないのだ。仮に会社の仕事がさし当たって無いとしても、その間は自分の時間ではないのだから、好きにして良いというわけではない。メールで問い合わせがきたら、すぐに調べて返事を返す必要があるし、自分の調べ物だってある。

「ねえ、僕は毎月サラリーをもらうことを選択したんだから、仕事の時間はプライベートの用事は普通できないんだよ。わかる?」
「そう?でも急ぎの仕事が無いときは、いいでしょ?」
「いや、それは会社が僕の時間を買ってるんだから、そうはいかないんだって」
「そう・・わかった」

わかったと言いながら、2時間も経つと「マハール、マーケットに買い物に行こう!」などと、平気で言ってくる。
ジャマイカで仕事をしているときは、いくら仕事が途中でもディナーの時間には帰って、一緒に食べなければならない。これは仕事の時間が終わっているのだから、ある意味当たり前であり、良い習慣でもあるのだ・・・。


僕はフィリピンでの働き方として、欧米のサラリーマンのスタイルを目指している。ヨーロッパまで含めると少し誤解を招きそうであるから、仕事の仕方はアメリカスタイル、考え方はヨーロッパも含めると言った方が正確である。

アメリカスタイルは、仕事をしなければならない時には、徹夜を続けても集中して仕事をする。そして終わったら、しっかりと休息を取る。つまりメリハリがある。プライベートの時間を大切にするというのは欧米共通の考え方であるが、ヨーロッパは仕事が途中でも、決まった時間にきっぱりと仕事を止める。だから残業はほとんどない。もし仕事が予定通り進みそうになければ、途中申告をして、人員を増強するか計画を見直す(遅延)か、どちらかで対処する。
そしてどちらも、仕事の結果はしっかりと求められる。

この欧米のスタイルに対して、日本のスタイルというのはかなり違う。
日本の場合は、一度計画がスタートしたら、基本的にはそれを遵守しなければならない。しかも計画そのものに無理がある場合が多いから、担当個人に負担がかかる。それでもがんばり通してあかつきには、ご褒美で一週間や二週間の休暇が堂々と取れるかというとそれが難しい。
それが延々と定年退職まで続くのだ。そしてこのスタイルを拒否すると、閑職へと追いやられるのが普通である。
仕事そのものに生きがいを感じているうちは、このスタイルでも良いが、一旦これを苦痛に感じ出すと地獄である。

日本をあれほど立派な国にした世代の人たちを僕は尊敬しているのだが、しかし仕事に対する考え方があまりに偏っている人が目立つのも事実である。
仕事が何よりも優先するという考え方である。

僕がまだ平社員の若い頃、休暇届けをある課長に申し出た。申請理由は私用で良いことになっているが、僕は理由を聞かれて、正直にその用事が購入した車の納車であることを話した。とたんに課長の顔色が変わり難色を示した。仕事の進捗などを聞かれ、問題ないと堂々と答えたが、遠まわしに許可できないようなことを言ってきた。
しかし僕は、課長が届出にハンを押すまで、無言でそこに立っていた。会社に休暇届の日付変更などの調整権はあるが、拒否権は無いのである。だからこちらが折れなければ、課長は最終的にハンを押すしかない。僕はそれを逆手にとって、逆にプレッシャーをかけていた。
たった1日の休暇をとるにも、これだけのやり取りがあるのだから、長期休暇を取るのは大変である。よほど面の皮が厚くないと難しい。

そして僕が上司の立場になったときには、僕が受け持つ部門の休暇取得率が高いということで、僕自身の評価のマイナスになっていたようである。事業部から何かを言われたことはないが、総務などからクレームが入ったことはある。
全てとは言わないが、全体的にこのような空気が日本の会社にあることは確かである。

そして客観的にこのスタイルを見た時に、日本人は世界中で一番がんばっているのに、世界の名だたるリゾートでのんびりしているのは、ほとんど欧米人や中国・韓国人であることを、可愛そうだと思うのである。


だから、日本スタイルではなく、アメリカスタイルが良いと思うのであるが、フィリピンでは、気を抜くと、とめどなくルーズになりそうで怖い。
フィリピン人の働くことに対する考え方は、アメリカスタイルを挟んで、日本と対極にあると言っても過言ではないのである。

まずは家族に対して、仕事の時間というものをしっかりと認識してもらわなければならない。たとえ家で仕事をしていても、それは仕事の時間であって、休みで家にいるのとは違うということを、わかってもらう必要がある。

しかしこれは、かなり難しいだろうとも思うのである。
サラリーマン家庭で育ったフィリピン人は、おそらく圧倒的に少ない。
親は仕事をしているようでしていない。お金があったら仕事をせずに、食べられない時だけ何かをする。縛りのない生活が定着し、そのような社会環境を見ながら育ってきたのだから、仕事や就職ということに対する考え方が日本人とは根本的に違う。

今後、このような感覚の違いというのは随所で顕在化するだろうと思う。
摩擦を少なくする一番簡単な方法は、僕もフィリピン人になりきってしまうことであるが、今の所それでは生活できないので、お金を稼ぐ部分ではモナやモナの家族に、少しでもわかってもらうしかない。

このようなスタイルを認識してもらった上で、色々なお願いされることは構わない。できる時には協力をする。
しかし僕はサラリーマンなのである。
仕事の時間であっても、協力するのがあたりまえという感覚だけは困るという話である。

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