フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年12月01日

36.ビデオケバー

今、ダディーとママは喧嘩をしている。喧嘩と言っても静かな喧嘩だ。互いに口を利かないのである。
誰も喧嘩のことを僕には教えなかったが、変な様子に気付いた僕がモナに尋ねてみた。
「ねえねえ、なんかダディーとママ、変じゃない?」
「オーオー、今二人は喧嘩しているよ」
「なんで?」
「ダディーが浮気してるって」
「はぁ?それは無いと思うよ。だって浮気する暇がないじゃない」
「オーオー、私もそう思うよ。でもママは疑ってるからしょうがない」
「はあ、そうですか・・・」

どちらかというと、ママがダディーを無視する一方的な喧嘩である。必要以上にママの攻撃が続くと、ダディーはいたたまれなくなって、外へ出て行く。
そんな状況だから、ダディーは最近いつも僕に擦り寄ってくる。
今日も朝早くから、散歩に誘われた。二人で港へぶらぶらと歩いて行った。

モナの古い家の周辺は、これまでまとにもに歩いたことがなかった。
小屋のような粗末な家と、高い塀に囲まれた立派な家が混在していた。粗末な家は、トタンの屋根も壁も穴だらけで、雨の日はどうやって寝るのだろうと思われるようなたたずまいである。一方立派な家は、コンクリート作りの頑丈な家に広い芝生の庭付きで、ゲートの内側には大抵バン(乗り合いタクシー)が数台と、自家用車が1台か2台停まっている。車にGT Expressというシールが貼ってあるから、バンだということは一目瞭然である。
この辺りのお金持ちというのは、その手のビジネスをしているのかとわかる。

バンは大体がタバコシティーとレガスピの間を往復する。バンに乗る場所は決まっており、そこに行くと、数台のバンが客がいっぱいになるのを待っている。1台に14人乗ることができるから、客がいっぱいになるまで出発しない。
14人になった時点でレガスピに向けて出発するが、料金は乗り込んだときに支払う。
一人45ペソだから、定員いっぱいになると480ペソの収入となる。もし貸しきりたい場合は、定員分の480ペソを払えば良い。
レガスピでも定員いっぱいになってから出発するから、1日10往復もするとまあまあの実入りになる。
大体は雇われドライバーで、車のオーナーは、車を貸し出すだけでお金が入ってくる仕組みになっている。勿論ドライバーの取り分があり、それを差し引いた金額から、ガソリン、車の購入代金、メンテ代を差し引いた分が、カーオーナーの利益となる。

当初この手のビジネスができないかと考えたが、許認可制となっており、既に既得権益を確保しいる人たちの中へ割り込むのは、とても難しいようである。
役所の偉い人に巧みにお近づきになり、アンダーテーブルを使い認可を得なければならない。日本からポッと来た僕には、到底できない裏業である。

港まで10分程度の道のりを、朝のすがすがしい空気を感じながら歩いく。僕はいつも物珍しさにキョロキョロしているから、時々ダディーの「オーイ」という注意の声が飛ぶ。何?と思い、ダディーの指差すところを見ると、道路に犬の糞が落ちているのだ。
注意されないと、僕はビーチサンダルでそれを踏んづけ、せっかくの気持ちの良い朝の気分を台無しにされることになる。港までの短い距離で、そんなことが3度ほど繰り返された。フィリピンの道にはやたらと犬がいるから、犬の糞があちこちに落ちている。

歩く道すがら、どの家もドアや窓を全開にし、家の中からはTVやラジオ、そしてカラオケのような音が聞こえてくる。相変わらずの大音量で、フィリピン人は目が良い代わりに、耳が遠いのかと疑りたくなる。
朝6時前だというのに、ほとんどの家は起きていて、女性が食事の支度をしている。
家の前に置いた屋外テーブルで食べる家庭が多く、ご飯を炊いた鍋や食器を、もくもくと外のテーブルに運んでいる。外に置いたたらいの中で、食器をがちゃがちゃと洗っている人もいる。水は手動ポンプ式の井戸を使っている家庭もある。とってを上下させると水が出る、日本にも昔よくあったやつである。おそらく既に朝食が終わり、後片付けをしているのだ。

サリサリストアーと呼ばれるミニコンビニ(鉄格子の向こう側が店内で、客は道路沿いに立って、店の中の品物を店主に告げて購入する)が乱立しており、そのほとんどが開店している。
商品はどれもこれも安そうなものばかりで、見た目の雰囲気は、日本の昔の駄菓子屋さんである。一つ売っても数ペソや数十ペソという商売の店が、これほど乱立していてビジネスとして成り立つのだろうかと不思議である。
たまにポツポツとパン屋があり、焼きたてなのか前日の残りかはわからないが、大小様々なパンがガラスのショーウィンドの中ではなく、上に並んでいる。小さなパンは1個1ペソから2ペソ(2円〜4円)だそうだ。小さいとはいえ、一人で3個か4個も食べれば十分な大きさであるから、それとコーヒーを朝食にすれば、一人10円ほどで済んでしまう。
日本でお金が無いときに、いつも89円の食パンを買って食べていたが、それ以上に節約に貢献できる強力な値段だ。これはいいものを発見したという気分になって、1個2ペソのパンを買って立ち食いしてみたが、味がとても良かったので、ますます得した気分になった。

朝早いというのに、通りには多くの人が出ている。カメラをぶら下げた日本人が歩いていると、珍しいのかみんながじろじろと見るので、写真を撮りたい場所があっても中々カメラを向ける勇気が沸かない。
本当は、フィリピンの生活感溢れる写真がたくさんとれるシーンがあるのに、もったいないと思う。

港に出て、ようやくカメラの電源を入れることができた。
海を隔ててすぐ向かい側に、大きなサンミゲル島が見える。サンミゲルビールの供給拠点はセブにあるから、その島がビールと関係があるのかないのかよくわからない。
港には、釣りをする人、散歩をする人、そしてただ寄り添って話し込んでいる人などが大勢集まっている。子供たちも自転車で走り回っていたり、竹馬で遊んでいて、のどかな風景を作っている。

海岸沿いには、ますますみすぼらしい家が立ち並んでいて、そこに住む住人が大勢あちらこちらでたむろしている。彼らは大きな街で見かけるフィリピン人とは、明らかに雰囲気が違う。そこで見かけた人たちの共通点は、肌の色がみんな黒く、身なりがみすぼらしいことである。
その人たちに一斉にじろじろと見られると、たった一人だけ、明らかに異国人種が紛れ込んでいることを強く感じさせ、朝の明るい通りであるにも関わらず、一人では歩けないような怖さを感じる。同じタバコシティーでも、歩いて10分たらずで、こうも雰囲気が違う物かと驚かされるのである。

海岸通りを抜け、海岸から離れるに従い、また普通の町らしい通りに戻る。
ジャンクという看板を掲げた、日本のごみ置き場のようなジャンク屋がいくつかあり、そしてどう見ても普通の家にしか見えない敷地の前には、フィットネスジムという看板がかかっていたりする。コンピューターショップ/リペアと壁にペンキで書かれた、小さな小屋のような店もある。入り口は木枠にトタンを打ち付けただけのドアに閉ざされ、中の様子は全くわからない。
道路沿いの店は種々雑多であるが、どれもお金をかけず、既存の資産でとりあえず商売を始めたような店構えである。

そしてついに、その通りでビデオケバーという看板を発見してしまった。カラオケバーでもTVKでもなく、ビデオケバーと書いてある。
店構えは相当古ぼけており、まるでお化け屋敷を連想させるような店であるが、看板は間違いなくバーであった。良く見ると、道路の両脇に数件ならんでいるようで、もしかしたらここはタバコシティーの歌舞伎町?
ダディーが突然話し始めた。
「ここにはチックス(若い女の子)がたくさんいるよ。マニラはレディースドリンクがものすごく高いけれども、ここは安い。ほんの30ペソか50ペソだけだ」

僕は忘れていない。3月にタバコシティーを訪れた時に、ダディーもモナも、このタバコシティーは女性がいるようなバーは全くないと、こちらが聞きもしないことをわざわざ教えてくれたことを・・・。
しかしやはりフィリピンならではのバーが、このタバコシティーにもあったのだ。しかもものすごく家に近い場所に・・。
これは相当信用なかったなと、僕は心の中でつぶやきながら頭をかいていた。
しかし今のダディーは、僕をバーにさりげなく誘っているように見えるから不思議である。

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2009年11月30日

35.ミッキーマウス

食後にダディーと二人、いつも話をしながらタバコを吸う話を書いた。
最近はそれが定着し、食事が終わるとダディーがTVを見ながら待機している。僕と目が合うと、ダディーは親指を玄関の方に向け、いくぞと合図をしてくる。
僕は無言で頷いて、二人でいそいそと外へ出るのだ。
夕食後ともなると、タバコシティのような田舎では涼しい風が吹いていて、とても気持ちがいい。
その涼しい風を満喫しながら、タバコを吸って色々な話をする。

外から戻ると、ママやモナに訊かれた。
「二人で何をしているの?」
「ミーティング!」と僕が答えた。
「何についてのミーティングなの?」とママが更なる追及に対して、ダディーはすかさず「 チックス」と答えた。
チックスとはチキンの子供のことであるが、フィリピンでは若い女の子の意味がある。
ママもモナも、そして僕も大笑いしていた。勿論チックスの話をまじめに二人でしていたなど、誰も信じてはいない。

モナが「ダディーの英語、わかるの?」と、驚きを込めた口調で僕に言った。
そこそこの会話は、普段モナの前でも交わしているが、一対一で毎日30分も僕とダディーが話をしていることに、モナは信じられないようである。

確かにダディーの英語は、スパニッシュ訛りがある。Rの発音が「ル」の巻き舌ぎみになるのだ。例えばモーターバイクのMotor(モーター)はモートル、スポーツタイプの自転車の話をした時にはsporting(スポーティング)がどうしてもスポルテルに聞こえる。
しかし僕がフィリピンで出くわした最初の英語は、この手の英語である。工場の技術者の英語は訛りがひどく、その英語にかなり鍛えられているのだ。それはかなり前の記事でも紹介した通り、14がフォルテン、purposeがポルポスという発音であり、とても簡単な単語が理解できず、英語にまるで自信をなくしたという経験のことである。
大体「ル」というはっきりとした発音が出てきたときには、頭の中でそれをRに直し単語を考え直すとハタと気付く。慣れてくると、それが咄嗟にできるようになる。

先日インディアンの話になった時には、インディアンがエンジャンに聞こえ、それがどうしても理解できなかった。経験から学んだ「ルはR」の法則が当てはまらない。しかも突然話題が変わったので、前後の話からもさっぱり見当がつかない。

「にんじゃ(忍者)?」
「ノーノー、エンジャン」
「エンジャ?」
「ノー、エンジャン、、、、、エ・ン・ジャ・ン」
「?????」

しかし最後にはダディーが平手を口にあて、その手を口につけたり離したりしながら雄たけびをあげ、最後には両手を上と下に上下させながら踊る真似をし、ようやくインディアンの話をしていることを理解できた。

「ア〜、ネイティブピーポル オブ USA、インディアン」
「Oh,Yes, yes」
最後にはこのように、ジェスチャーで意味が伝わる。
家の前の薄暗い通りで、毎晩二人でそのようなやり取りが行われているというわけである。

しかしこのケースは、僕が英語を正しく聞き取れない例であるが、一緒に生活をしていると、その逆もある。
食事をする時に、日本の「いただきます」は英語にできない。勿論これから食べますという表現は英語で言えるが、突然そんなことを言ったら、相手は「?」になるだけである。
しかし僕は、どうしても感謝の気持ちを伝えたいので、仕方なくそれだけは日本語で、「いただきま〜す」と言う。
最初はダディーもママも、それは何?という顔をし、モナがビコールの言葉で説明してくれた。

しかし数日後、食事をしようとしたらダディーが、合唱をしながら「ミッキーマ〜ウス」と言うのである。
僕がキョトンとしている脇で、モナが爆笑している。
「ダディー、それは い・た・だ・き・ま・す だよ。ミッキーマウスじゃない」

ようやく僕も気が付いた。
「いただきま〜す」と「ミッキーマウス」・・・確かに雰囲気が似ている。

「そうか、相手も日本語が間違って聞こえているんだ」
僕が正しい発音で話した言葉でも、慣れない言葉というのは間違って聞こえるらしい。
それは逆に、僕が英語を聞く場合でも同じことが言える。
やはり異国語とは、慣れの問題があるから間違って当然なのである。
日本人が英語を話すときには、相手はそう思って聞いている。恥ずかしがって引っ込み思案になると、むしろもったいないのである。

それからは僕も食事前に、「ミッキーマ〜ウス」と言ってから食事を始めるようにしている。
みんなも最近は、同様に「ミッキーマウス」と言うようになった。みんな間違いだと知りながらも、面白がってそう言っている。そしていつも、笑いと共に食事がスタートする。

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2009年11月29日

34.アテ ベル

生まれた子供は「SAYURI」と名付けた。日本でどのような字にしようか、実はまだ決めていない。フィリピンでも日本でも、どちらでもおかしくない名前は何かを考え、この名前に決まっただけである。SAYURIは最近のフィリピンでも通用する名前らしい。フィリピンにおけるTVで、日系タレントが躍進しているせいであろうか。
最近は女優も日本人とフィリピン人とのハーフが多いようである。確かに良く見ると、ファミリーネームが日本人の名前になっている美人がTVに多く登場する。SAYURIはフィリピンでは「YURI」と呼ぶことにした。
名前の通り子供は女の子であるが、今のところ顔は全くのボーイである。

子供が生まれてからというもの、完全に子供中心の生活が始まっている。
モナのママはユリに頻繁に声をかけ、そしてモナも当然、子供がお腹を空かせたら自分のミルクをあげ、泣いたら何をさておいても抱いてあやす。ユリがちょっと笑っただけで、家族がユリの周囲に集まり喜んでいる。

そして突然、ベルが熱を出した。
これまで家の中では、ベルが一番の人気者だった。その一番の座を、待ち望んでいた妹にいとも簡単に奪われてしまい、ベルは戸惑い、そして嫉妬心を抱いているようだった。
ユリが家に来て少ししてから、ベルが時折空ろな表情をしていることを僕は知っていた。

病院にいる時から、モナにはベルのことを気をつけるように話していた。赤ん坊は自分がかまってもらわなくても傷ついたりはしないのだから、どうでもよい時にはベルのことを、しっかりとみるように言っていたが、いざ赤ん坊が家に入ると、中々理性的に振る舞うのは難しいようだ。

僕はできるだけユリに気を払わない素振りをし、ベルにちょっかいを出すようにしていた。特にモナがユリにかかりきりになっている時には、できるだけ僕がベルの相手をするようにしていた。
しかし一番優しかったおばあちゃんと、一番好きな母親がいつもユリに注目しているので、僕の気遣いなどあまり足しにならないようである。やはり、にわか作りの父親の存在力は底が浅い。

おそらくベルの熱は、みんなの注意を自分に取り戻したいという気持ちが、体調不良となって現れたものに違いなかった。その証拠に、みんなでベルの心配をしだしたら、39度もあった熱はたった半日にで収まり、すぐに元気な体に戻った。

ベルの熱が収まってから、モナがベルに「やきもちある?」と訊いてみた。その問いに、ベルは素直に頷いていた。
モナも少し反省したようであった。できるだけベルにも注意を払うようになった。

ベルはユリに嫉妬心を抱いてはいるが、それでも妹は可愛いと思っている。
実はベルはユリを抱きたいのであるが、首がすわっていないユリをベルに預けるのは怖いために、駄目だと言われていた。そしてユリにちょっとちょっかいをだそうとすると、「今寝ているから」「手は洗ったの?」「熱を出しているから近づいてはだめ」と、周囲からいろいろ言われてしまう。だからユリに近づくにも遠慮しがちになっていた。

しかしベルはユリと、正真正銘の姉妹である。ベルはママよりもユリに近い存在だ。そのベルがユリから遠ざけられるのは、あまりにも可愛そうで理不尽な気がした。
僕はモナに、ベルにユリを抱かせてあげさせるように言った。きちんと付いていて首の支え方も教えてあげれば、ベルはもう6歳でちゃんとわかる歳である。教えてしっかりとみてあげれば問題はない。
普段は大人がベルを猫かわいがりしているのに、ベルがユリを抱きたいという気持ちを無視し、大人の基準でベルの行動を判断するのはどうなのか?
一事が万事、そうであることに僕は疑問に思っていた。際限なく甘やかすかわりに、子供の行動には逐一大人の判断が入る。逐一でなければよいが、逐一である。
だからベルは、学校が終わってから外で遊ぶこともママの判断で禁止されている。たしかに外には汚い格好をした子供たちがたくさん遊んでいるから、心配になるのもわかるが、僕は以前から、そんな育て方には賛成しかねた。
時と場合と内容に寄るが、子供の意思を尊重することは、子供に大人になるための自覚を促す大切な機会であるような気がしてならないのである。

特にベルは、モナのママに散々甘やかされて育っているため、我がままなところがある。そしてメイドをしているおばさんに、敬意を払っていないような態度も目に付く。誰もそれを注意しない。
大人には敬意を払え、自分の事は自分でしろ、食事の時に片足を椅子の上に上げて食べるのはやめろ、挨拶をしろ、返事をしろ・・・。とにかくベルには言いたいことが盛りだくさんだ。しかし僕もまた、それをベルに直接言えない。言葉の壁があるからである。だからモナに注意するように話す。

そんなベルだから、今回妹ができたことは良い機会なのである。彼女にはユリを通して、我慢すること、そして他者を思いやることを学んでもらいたい。

一度ベルにユリを抱かせてみたら、ベルはユリの側を離れなくなった。ユリがぐずり出すと、腕をさすったりしながら、一生懸命になだめようとしている。
時にはズボンの上から匂いをかいで、「バホ(臭い)」と、うんちをしていることを教えてくれる。
生まれたての子供を抱く怖さを知ったせいで、決して勝手に抱き上げたりしない。

「ベルはもうアテ(お姉さん)になったから、ちゃんとユリの面倒をみて欲しいなぁ」とお願いしたら、姉としての自覚に目覚めたようだ。
「アテ ベール!」と呼ぶと、照れ笑いをしながらも、どこか嬉しそうである。
ようやくユリを取り囲む輪の中に、ベルが笑みを浮かべながら加わるようになった。

おそらくベルも、他のフィリピンの家庭と同じように、自分の妹の面倒を一生懸命にみる子になるような気がする。
ベル6歳、ユリ0歳。将来御近所でも有名な美人姉妹にでもなれば、父親として心配ながらも、鼻が高いかもしれない。

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