フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年11月28日

33.現在の仕事環境

実は今、古い家に住んでいる。ジャマイカの新居への引越しには、大きな問題が一つあるからだ。それはママがかたくなに守っているしきたりである。
引越しは満月の夜でなければならない。そして引越しには良い月があり、次の良い月は1月となる。逆に12月は絶対に引越しできない月だそうだ。1月の満月の日だけであればまだ良いが、ついでに8日と18日が良いときた。「そんなに条件が重なる日があるのか?」と言いたくなってしまう。

実はママ以外は、みんなジャマイカに引越しをしたがっている。ダディーも本音を言えば、新しく広い家に早く移りたい。もちろんモナも、一刻も早く引っ越ししたい。
今の古い家は狭すぎるし、プライバシーが全くと言って良いほどキープできないからだ。
モナはそのことに、事の外不満を持っている。既に子供がいるとはいえ、新婚なのにいつも一つの部屋でみんな一緒に団体生活をしているようなものだから、モナにとっては耐え難いことなのだろう。

「生活の事は全部ママが決めるよ。ママがボスだなぁ。アコ、自分の生活を勉強したいよ」と、モナが珍しくこぼした。自分たちの生活を彼女が主体的に進めたいという意味である。
「それじゃ自分が決めればいいじゃない。ジャマイカの家のオーナーはあなたなんだから」
「・・・・・」

どうやらママは、相当強力らしい。ダディーはどんなケースでもモナに、「あなたのしたい通りにすればいい」と言う。しかしママが遠慮なく口出しをすると、ダディーもそれ以上は何も言わない。

今日モナが、たまには広い家でのんびりしたいからジャマイカに行くとママに話した。しかしママに、まだ子供が小さいから、ジャマイカに行くのはやめなさいと言われた。ジャマイカは蚊が多いし、外はばい菌がいっぱいだからだそうである。
僕に言わせると、この家にも蚊がいっぱいである。蚊だけではなく、アリもボテキ(やもり?)も共同生活をしているごとく、たくさんいる。ばい菌などは、外も家の中も大して変わらないのではないかとも思っている。
更に言えば、子供は多少ばい菌にさらした方が強く育つ。これは全くの嘘ではなく、最近日本ではアレルギー体質の子供が増えているが、あれはあまりにも神経質に子供を育てたことが影響している可能性大である。もちろん子供を清潔に保つことは大切だが、アレルギー体質を防ぐために一番効果があるのは、乳幼児を連れて動物園に行くことだそうだ。動物園には動物の毛や細菌を含んだ空気が漂っているために、それを吸わせることで、抗アレルギー体質になるそうである。これは医者がテレビで話していたことであるし、体の仕組みと照らし合わせて考えても、ある程度信用できそうな話である。

いずれにしてもモナは今、この狭い家に缶詰状態となり少し気が滅入っているが、いそうろうのような僕には何も言うことはできないから、今は聞こえない振りをしている。
さすがに僕だって、ママと張り合うことなどできない。

実はジャマイカに引っ越すためには、もう一つクリアーにしなければならないことがある。
それはジャマイカにインターネット回線を引けないということだ。
ジャマイカの分譲契約書には、ケーブルTVと電話回線、電気、ガス、水道などのインフラを、早期に整備するとある。
しかし電話回線とケーブルTVが、いまだに整備されていない。その為に住人がインターネットを利用したい場合、何らかの無線方式インターネットに頼らざる得ない。そして電話は携帯のみである。
フィリピンの無線方式インターネットは、日本と違い最悪である。少なくとも携帯会社の一つであるスマートという会社が提供するスマートブロというサービスは、とても使い物にならない。回線速度を実測すると、数十Kbpsということも稀ではない。スペック上のマックス速度がどの程度になっているのかは知らないが、実態はいつもその程度だ。メガのオーダーになることを見たことがない。そしてプツプツと回線が切れる。料金は30分で10ペソだが、一回接続するとその時点で10ペソ取られるので、接続後1分で回線が切れると、また10ペソをかけて接続する。そんな料金システムにしておいて、プツプツと頻繁に回線が切れるのでは、まるで詐欺ではないかと言いたくなる。

ジャマイカの電話回線については住人からの苦情が多く、先日分譲会社と団体交渉の運びとなった。その結果、来年1月には電話回線を引くという回答を得たようであるが、さてさて、フィリピンでこの手の約束がどれほど有効なものか、怪しい限りである。

インターネット回線は、仕事をする上での生命線である。
もしジャマイカに引っ越すことになれば、必ず必要になる。そのために、場合によっては個人負担で道路からケーブルを引く話もしている。いくらお金がかかったとしても、それだけはどうしても譲れない。


というわけで長々と、生活を古い家でしていることを書いてきたわけだが、インターネットの関係もあり、仕事もこの古い家でしている。

家の中では、午前中はラジオががんがん鳴り響き、午後からは目の前にあるTVがスタートする。左にはベイビーが眠っていて、お腹を空かすとビービーと泣き出す。
モナは退屈になると、「マハール、一緒にお茶しよ」と言ってくる。そしてきっかり昼の時間と夕方4時から5時にかけて、スナックと称するプレディナーを、みんなで揃って食べなければならない。
そんな中で、僕は細かい回路図を追いかけながら、う〜う〜と唸りながら頭をフル回転させている。
時には泣いている子供を片手で抱きながらあやし、もう一方の手で日本からのメールに対する返信文をパソコンで書いているのだ。
日本にいる会社の社長や仲間には、とても見せられるものではない。
仕事の電話がかかってくると、僕はすぐに家を飛び出して電話に応答する。家の中では、あまりにも生活感が漂う雑音が多すぎて、電話の相手が、目の届かないことをいいことに僕が仕事をサボっていると勘違いしそうだからだ。そしてスカイプでミーティングしようと言われないことを、ちょっとばかりドキドキしながら祈っている。

しかし僕は、この劣悪とも思える仕事の環境に結構満足している。可愛い子供を見ながら仕事ができるなんて、幸せなことではないかと思っている。家族と仕事のことを、リアルタイムで折り合いをつけながらの生活は、中々楽しい。
これは日本で会社勤めをしていたら、決して体験できないことである。
日本式の考えでは、仕事と家庭のけじめをつけるべきだという話になるかもしれないが、けじめのついた環境で仕事をしようが、サボるときにはサボる。気分が乗らないときには、仕事をしている振りをしたりもする。今は昔と違いPCに向かってさえいれば、仕事をしているように見えるから、サボるのは簡単である。
ここでは振りをする必要はない。気分が乗らなくなったらティータイムにし、そしていつ何時仕事に対する妨害があるかわからないから、できる時には仕事に真剣に集中している。
朝は5時前に起きて、朝食前にも仕事を進めたりしている。この時間は誰にも邪魔されずに、いつも進捗が良い。そして1日分の大半が片付くと、その日はゆっくりできるなぁなどと思い、朝からリラックスした気分になれる。
とにかくメリハリがあって、不思議な充実感があるのである。

というわけで、僕は毎日ものすごい雑音の中で、せっせと仕事に励んでいる。結果をきちんと日本に送れている・・・つもりである。
そして結果さえだせば、文句はないだろうとも思っている。
いつまでこの強気が続くかわからないが、しばらくはこのスタイルとスタンスでがんばれそうな気がしている。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:33.現在の仕事環境
2009年11月27日

32.お金のない国

僕はフィリピンのパブリック病院が、どれほどひどいものなのか実態をよく知らないが、話を聞く限りでは怖いものがある。
国に金がないということが、身近なところに様々な影響を及ぼすものだと、フィリピンにいると実に良く感じる。
日本で暮らしていたら、政府の動向や国の借金など、まったく違う次元の話のような気がしてしまうのだが、フィリピンでは違うのだ。
若いフィリピーナの多くが、自国の政府に対する様々な意見を持っていることに、かつては感心したものだが、今ではそれが少し理解できる。生活の背景が全く違うから、若くても自然とそのようなことに関心が高まるのだ。

今回モナの出産では、お金がないとまともな医療が受けれらないということが、どれほど悲惨かを身をもって僕は感じていた。
もし今回、お金がなくて病院の選択肢がなかった場合、もし不幸なことになれば僕は貧乏なことを呪っていたことだろう。
しかしそれは、僕が日本人だから貧乏を呪うなどと思うのであって、本当の貧困層の人たちは、仕方がないと諦めるのである。本当の貧乏は、人から希望も気力も奪ってしまうものだからである。

フィリピンは日本と比べると劣悪な医療体制だと思われるが、それでも世界の中で見比べればずっとましな方である。僕はもっとひどい現場を、レポートだけであるが知っている。
上には上、下には下があるということであり、所詮人間は、与えられた環境の中で精一杯生きるしかないのかもしれないのである。


最近夕食後、ダディーと一緒に外の風を感じながらたばこを吸うのが日課となっている。
ダディーは病気があるので、ママやモナから禁煙を命じられているのだが、食後に僕と外で話をする振りをして、こっそりと一緒にタバコを吸っているのだ。

その時間、二人の話題は多岐に渡る。
ダディーの若い頃の話、迷信、台風、タバコシティー、宗教、植物とフルーツなど、毎日何かの話を30分くらいするのだ。

その中で、フィリピンの災害の話から、ここでのレスキューはひどいものだという話になった。
フィリピンは金が無いから、漁業で沖に出た船が台風に遭遇して遭難しても、助けるためのヘリコプターが無いから、救助活動はしないそうだ。家族はほとんど諦めながらも、わずかな可能性を信じて、心配し途方に暮れながらも、無事に遭難者の帰るのをただ待つのみとなる。
フィリピンには飛行機やヘリコプターが全く無いわけではない。アメリカのお下がりをもらうらしいのだが、その少ないヘリコプターを頻繁に飛ばす燃料代が無いから、簡単には飛ばないということだそうである。いや、そもそも不測の事態に備えた体制がないらしい。
そしてビコールのような田舎町では、緊急災害における軍隊の出動も期待できず、もし何かあったら運を天に任せるしかないらしい。
かつてタバコが台風被害で大洪水にみまわれた時にも、復旧は全て住人自らの手で行われたそうだ。家や財産を失った人は翌日から路頭に迷うことになる。
フィリピンはそんなところが、まだまだ遅れているという話だった。

僕は今回のモナの出産を機会に、このフィリピンではお金を持つことが、とても重要だということを感じ始めている。
何かあった時に、お金が自分や家族の安全を、より確かなものにするからだ。
国や地方にお金がないということは、いざ何かあっても、日本のように他者の助けを期待できないのである。
フィリピン人はそのことを、よく自覚しているようだ。(その割にはその日暮らしが定着しているようであるが・・???)
だから全てにおいて、自己責任ということを念頭におき、普段の生活をしている。
もっともそれはフィリピン人だけではなく、日本以外の外国人は、総じてその傾向があるのだが・・。日本人が、一番危機意識が希薄で、危機管理を怠っているような気がするのだが、それだけ日本は安全で、平和な国ということの裏返しでもある。

当初僕は、フィリピンでは生活費が安いから、サラリーもそこそこで大丈夫だと思っていたが、その考えに甘んじていてはいけないと思うようになってきた。
蓄えられるものなら、できるだけ蓄えることができるよう、少しがめつく考えておく必要がありそうである。
ある方が、フィリピンでケチると、時にとんでもないことになると忠告してくれていたが、ケチるということは、お金はあるが出し惜しみするということであって、お金がなければケチるも何もないのである。

観光でフィリピンを訪れ路頭に迷っても、日本へ帰ることができればなんとかなるだろうが、ここに生活の根を張るということは、それとは雲泥の差があるということだ。
もっとも、単発で訪れた異国で路頭に迷うということは、それはそれで、それなりに大変なことではありますが・・。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:32.お金のない国
2009年11月26日

31.モナ退院

出産翌日、モナは普通に話ができるようにはなっていたが、お腹を開いた傷のために2日間はベッドの上でじっとしていなければならなかった。その間飲食は厳禁で、体に必要な栄養は点滴のみである。抗生物質と痛み止めと、子宮の中にある不要な残骸を外に出すための薬が、手の甲に刺した点滴用針を通して一定時間毎に投与されるが、新しい針を刺すわけではないのに、その薬を流し込む時は痛みを感じるらしく、モナは眉間にしわを寄せ「アライコー(痛い)」と声を漏らす。
尿はチューブを通して排泄され、またお腹からの排泄物(出血)は大人用の紙おむつで受けとめるから、起き上がる必要は皆無である。時折看護婦が紙おむつを開き、出血具合も確認していた。

16日の夕方にドクターがやってきて、モナの傷をチェックしてから、ベッドを30度だけリクライニングさせても良いと言った。病室のベッドは電動リクライニングになっており、背もたれのリクライニング、ベッドの高さ、そして腰あたりの盛り上がりをスイッチ一つで調節できるようになっている。

限定ながら、飲み物もようやく許可がおりた。温かい紅茶、ミルク、ミロ(フィリピンではマイロと言う)などを少しずつ飲み、翌日のチェックで経過が良ければ、ビスケットやおかゆなどの軽い食事も始めるとのことだった。

17日の朝、ドクターのチェック後に尿排泄のチューブも外され、軽く歩くようにとの指示がでた。午後1:00には、子供を病室に連れてきても良いという許可もおりた。
尿は紙おむつにするように言われたが、モナは紙おむつを外し、僕の介助の元、歩いて部屋の中にあるトイレへと行くようにした。

彼女のお腹の傷に力が加わらないよう、ベッドから起き上がるときには、まず始めに足をベッドの外へおろし、そして彼女の上半身を起し、ベッドに腰掛けるような状態にする。そして立ち上がるときにも体を支えながら持ち上げる。ベッドに横たわるときにはその逆のことをする。
力を抜いた人間というのは予想外に重く、僕はケアギーバー(介護士)の大変さがよくわかるよとモナに話しかけながら、それをやっていた。
片手は点滴スタンド、片手はモナを支え、彼女の歩く歩調に合わせてゆっくりとトイレまでついていく。トイレに座るときもお腹に力がかからないよう、僕が支えながら、ゆっくりと体を下げてあげる。

手術後初めてのトイレでは、尿と一緒に、子宮からの排泄物も一緒に滴り落ちる。血と混ざった何かの塊が落ちたあとを見て、出産の大変さをあらためて実感した。トイレの中の水が鮮血で赤く染まったという程度ではなく、それはまるで、どす黒い血の色をしたヘドロのようであったからだ。

モナがしきりに時計を気にしている。子供を迎えにいく時間が待ち遠しいのだ。彼女はまだ、直に子供の顔を見ていない。モナが見た子供の顔は、僕が携帯で撮った写真だけであった。
そしていよいよ子供との御対面の時間となった。病院の係員が車椅子を用意して、病室にやってきた。モナはそれに座り1階のベイビーセンターまで移動する。
ようやく苦労して産んだ子供を自分の手にしたモナは、もう離すまいとばかりに大事に子供を抱え、病室までずっと抱いたまま再び車椅子で病室に戻った。

病室に帰ってから、僕も初めて子供を抱いた。何もかもがか細くてふにゃふにゃしている子供を抱くのが、最初はとても怖かった。一度抱いてもまだ、僕には彼女(子供は女の子)が自分の子供だという実感が沸かないが、母親のモナは違うようである。10ヶ月も自分の体の中で育んできたからであろうか、すぐに母親としての本能に目覚めるようだ。
ベッドの自分の脇に寝かせた子供の顔を穴の空くほど見つめながら、まだほとんど生えていない眉毛が自分に似ているとか、あとは全部僕に似ているなどと話す。耳は聞こえているか、目は見えるかなどのチェックもしている。実は僕も、密かに手と足の指の数を数えていたから、人のことは言えないのだが。

生まれたての子供の目は見えないはずであるが、モナは子供が光に眩しそうな反応をしている様子と見つけると、目は大丈夫そうだとか、音にびくつく様子を見ては、耳は聞こえているなどといちいち報告をする。
それ以外にも、手を上げた、笑顔を作った、えくぼがある、おならをした、目を開けたなど、子供の一挙手一投足に反応し、その度に「マハール!みてみて!」とお呼びがかかる。確かに子供は見ていて飽きないが、いつもいつもお呼びがかかると少し面倒くさくなってくる。次第に、「そう?」「よかったね」などと、適当に相槌をうって誤魔化したりする。

しかしモナが眠りにつくと、僕はずっと子供を抱きながら、その顔を見ていたりするのだ。
ドクターが、ベイビーの顔は完全にあなたと同じだと僕に言った。彼女の顔は、フィリピーナではない、日本人かチャイニーズだと・・。
確かに目を閉じているときには細い目をしており、日本人ぽい顔に見える。目を開けると意外とぱっちりしてはいるが、それでも日本人に見える。何が一番日本人ぽいのかを分析をしてみると、顔が丸々としているところであるようだ。フィリピン人の子供は、通常それほど顔が丸くないようである。
子供の顔は、僕に似ていると自分でもわかるほどよく似ている。今の僕の顔は丸くないが、子供の頃の自分は真ん丸い顔をしていた。

「顔が丸いのは僕のせい?」とモナに聞いたら「あなたの卵だからでしょ!」と言われた。
モナは精子を卵と言う。本当は女性の体の中で卵が出るのだから、いつもその卵という表現は間違っていると思うのだが、僕は特に何も言わない。

モナの術後の経過は良く、18日には退院の許可がでた。一週間は覚悟していたので、思ったより早い退院となった。
その時に、ドクターにそれとなく病院の支払い金額を訊いてみた。
入院前は、通常分娩で3万ペソ(6万円)、帝王切開で5万ペソ(10万円)だと言われていたから、きっと5万ペソくらいなのだろうと思っていた。
しかしドクターの口から出たのは、大体8万ペソ(16万円)になりそうだということであった。そのうち自分の取り分は3万3千ペソだと言う。
子供を取り出した後の処置にも色々かかったために、当初の予定金額をオーバーしたという話であった。
そして病院から正式に計算してもらった請求書は、ドクターから聞いた8万ペソを更にオーバーして9万5千ペソ。約19万円であった。日本の出産費用は今30万ほどなのだろうか?それよりは安いが、予定より倍近い金額である。さすがに驚いた。
次のサラリーまでの生活費を全て放出して、ようやく病院に支払いを済ませた。支払わないと退院できない。病院を出ないと、入院費がどんどんかさんでいく。
後先考えずに、病院をいち早く出ることが先決であった。

支払いがぎりぎりであったことは、一緒にいたモナのママも見ていたから知っている。
何はともあれ、無事退院となり、僕も4日ぶりに家に帰ることができた。
少ししか住んでいないにも関わらず、我が家は落ち着くなぁという気分になるから、不思議である。家に帰るなり、ダディーがコーヒーを入れてくれた。きっとお疲れ様という意味だと思い、恐縮しながらも有りがたく頂戴した。

モナの退院後、ダディーが朝5時くらいから外に出かけ、朝食前、そして昼食前に食べ物を運んでくるようになった。
モナに確認をしてみたところ、僕たちにお金が無くなったので、ダディーは朝早くからトライスケルで食べ物代を稼いでいるようだった。
僕は少し悪いような気もしたのだが、今はそれに甘えるしかなさそうである。
まさか食費まで世話になるとは思ってもみなかった。しかしモナの薬代、子供の紙おむつ代、検診代なども必要である。それらを考えると、今は少し世話になるしかない。

モナの薬代はとても高い。一番高いのは抗生物質である。あまりに高額のせいか、病院で50%と30%のディスカウントカードをくれた。それぞれある薬を買う時にだけ有効なカードで、使用できる店も2つのチェーン店に限られている。それを使っても一週間分で、他の薬を合わせ1万円を越えた。普通に買えば、一週間分で2万円ということになる。日本の健康保険に慣れているせいか、なんとも高いものだと驚くしかない。

しかし今回は、いくら高くついたからと言っても、文句の言える筋合いのものでもない。なにせモナの命がかかっていた可能性があるからだ。
もし身内が死んでしまったら、金で生き返るものならいくらでも積むという人は、大勢いるだろう。しかしそうなってからでは、どんなにがんばっても遅い。
高いなぁと愚痴を言えるのも、全てが無事に済んだからである。

おかげでモナは、順調に回復している。お腹の傷は痛々しく残ってはいるものの、今日からはシャワーも解禁になった。
帝王切開で開いた傷口には、透明の四角いテープが貼られているから、直接傷に水がかかることはないのだが、もしシャワーの水でそれがはがれてきたら、自分の取り除いても構わないとのことである。
もちろんモナは元気に歩き回っているし、子供の面倒も自らみている。
そして相変わらず「マハール、みてみて!」攻撃も続いている。

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