フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年11月24日

30.生還

子供のお披露目があってから、2時間以上経過した。
間違いなく何かが起こったはずであったが、病院側からは特に説明がないので、それほど緊迫した状況ではないだろうと、むりやり気持ちを静める。とにかくじっと待つしかない。
待っている部屋の隅にサントニーニョ(神の人形)が飾られていて、その前でロウソクの炎を真似た電飾が一つ、ユラユラと揺れていた。揺れる炎のような電飾を見つめていると、吸い込まれそうな気分になってくる。
僕は無宗教であるが、その時ばかりは祈る気持ちでサントニーニョを見つめていた。

ドアの向こうであわただしく人が動く気配を感じた。もしかしたらと思い立ち上がって小窓から廊下を盗み見ると、ベッドで一人の患者が運ばれてくる。
きっとモナだと思い、目の前のドアが開くのを待った。

突然反対側のドアが開き、彼女を病室まで運ぶストレッチャーが入ってきた。
そして手術室側のドアが開き、モナが横たわるベッドがようやく出てきた。
モナはベッドの上でかすかに目を開けているが、意識は朦朧としていた。呼びかけに対して、彼女は弱々しく手を差し出したが、その手を握るとすぐに彼女の腕から力が抜けた。
ようやく彼女の顔を見ることができて少し安心したが、病室へ運ぶ途中、彼女は全身痙攣のような症状を見せているので、僕は相変わらず、漠然とした不安を払拭できないでいた。彼女の体が小刻みに震えるたびに、何が起こっているのかと心配になる。

病室に入る頃、ドクターが僕たちに追いついたので、手術の結果を確認してみた。
ドクターの話しによると、帝王切開で子供を取り出してから、子宮内で原因不明の出血が起こったそうだ。モナがベルを出産した時の症状を、あらかじめドクターに詳しく説明していたので、ドクターは、これか以前の出産時に起こった出血なのかとすぐに気が付いたそうである。
もし自然分娩で同様の出血が起こった場合、出血部が見えないので、結局すぐに開腹手術を行うことになったらしい。そして出血が止まらない場合、おそらく子宮を全部摘出することになったそうだ。
今回は最初から開腹手術で、患部が見えていたからすぐに適切な止血処置ができたそうである。輸血も行わずに済んだそうだ。
しかし出血の原因はわからず、モナは何らかの問題を持っている可能性が高いという話であった。

結果的には、最初から帝王切開で臨んで正解だったということである。
前回のお産でモナが生死の境を彷徨ったのは、やはりこの原因不明の出血である。大量の出血に際し、当時のドクターが血液センターに輸血用の血液を要請したが、血液を提供するドナーが見つからないと、現在の血液ストックは出せないと断られたらしい。(このやり取りは、少し意味不明・・)
今目の前に生死を分けた患者がいるのに、なぜ血液を回せないのかとドクターが怒鳴っている声を聞きながら、モナの意識は混濁していったそうである。そして心停止にまで至った。その時ドクターは、成すすべがなかったそうである。

今回は手術前に輸血用の血液が用意され、それ以外の出血に備えた準備が最初からされていた。事前の様々な準備が、モナの命を危険にさらさずに済んだということである。

モナが時折見せる痙攣は、実は痙攣ではなく、単に寒いと感じて震えているだけだそうである。それは麻酔の影響なので、心配はないということだった。
朝の6時までは、本人が望んでも水を与えてはいけないらしく、また話をさせることも厳禁だと言われた。話をするとお腹にガスがたまり、本人があとで痛みに苦しむことになるそうである。
モナの意識は相変わらず朦朧としていて、こちらの呼びかけもわかっているのかどうか不明であるが、とりあえずよくがんばったと声をかけてみた。それに応えるように彼女は手を差し出すが、やはり力は全くない。そしてすぐに目を閉じて、再び深い眠りについてしまう。
手の甲には手術前と同様の点滴チューブがついており、また下からは尿排泄用のチューブと、その先に尿をためるパックがぶら下がっている。尿に血液が混ざることがあったら、すぐに連絡をするように言われた。見る限り、なんとも痛々しい姿であった。

とにかく彼女が落ち着くまで、ベッドサイドに椅子を置いて、ずっとついていた。ママはソファーで寝てしまっているから、どのみち僕の寝る場所はない。
ダディーや子供たちは、病院の入り口にあるソファーで既に寝ていた。実は入院病棟は子供が立ち入り禁止である。だから大人一人が、必ず子供をみていなくてはならない。
ダディーは生まれた子供の顔も見ることができずに、ずっと子供たちに付き添っていた。
それが気の毒で、モナには自分がずっと付き添うから1度家に帰ってくれとお願いしたが、やはりモナのことが心配なのか、決して帰ろうとはせずに、結局ダディー、ママ、子供たちが帰ったのは翌日の午前10時である。

モナが病室へ戻ってから、30分置きに看護士が病室を訪れる。毎回バイタルチェックを行い、体の状況をチェックするのだが、点滴のホースを通して、数々の薬も注入される。
それが大げさにも見えて、モナの体はよほど悪いのかと勘ぐりたくなるほどである。

そして細かいチェックは有り難いのだが、30分毎に訪問されると患者も付き添い人も眠ることができない。モナは夜中の2時くらいには意識が戻り始め、こちらの話に相槌を打つことができるようになっていたが、少し眠ろうとすると看護士のチェックで目を覚ますということを繰り返していた。

僕は朝まで起きて、モナの様子をみていた。明け方の3時過ぎになると、モナの意識はかなりはっきりし、僕の話しに頷いたりできるようになっていた。しかし話をしてはならないと言われているので、神経質なモナは医者の言うことをかたくなに守り、一言も口をきこうとしない。何かを言いたい時には、手話のようなゼスチャーとクチパクで意思表示をしようとしている。
僕が子供の様子を伝えると、笑顔を浮かべながら、どんな顔かとゼスチャーで訊いてきた。
モナはまだ、子供の顔を見ていないのだ。
みんなが僕に似ていると教えてあげたら、少ししかめ面をしていた。

ようやく元気になってきたようである。そんな様子を見ながら、僕もようやく一安心となった。
彼女は時折眠気が襲ってくるのか、パタっと寝てしまうのでだが、しかし例のバイタルチェックで目覚めてしまう。少し休ませてあげたいと思うのだが、手術当日のチェックは間違いなく実施しないといけないらしい。

モナは2日間は歩いてはいけないと言われた。僕のインターネットで調べた予備知識では、帝王切開の場合できるだけ早期に歩行させるとあったが、フィリピンでは違うのだろうか。

子供が生まれたのは11月15日。そして日付が変わった16日は、モナの誕生日である。
せっかくの誕生日に、もしかしたらベッドに上にいるかもしれないなどと話していたのだが、本当にその通りになってしまった。
フィリピン人はバースディーをとても大切に考え、そして盛大にパーティーでお祝いする。
それがもしできなかったらきっと残念がるだろうと思い、せめてプレゼントくらいはと、僕は密かに安いネックレスを日本から買っておいた。
そして病室で、誕生日のお祝いと、出産をがんばったご褒美だと言ってそれを渡した。
彼女は満面の笑みを浮かべながら、ありがとうと喜んでいたが、僕も心の中でしみじみと、がんばってくれてありがとうという言葉を返していた。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:30.生還
2009年11月23日

29.出産

陣痛が本格的にならずに12時間以上が経過した。しかし微量の出血は続いている。
嫌な予感がした。このまま放置しておくと、子供に何らかの影響がでそうな気がし、とうとうしびれを切らし、ドクターに電話を入れた。15日の午前10時である。
ドクターはレガスピの自分のクリニックにいたが、状況を報告すると、すぐにレガスピの病院に行くように指示された。

すぐに車を手配した。病院へ持ち込む着替えなどの荷物は、既に整えてあった。
その他、食べ物やお湯を入れたポットなど、モナのママが様々なものを用意している。まるでピクニックに行くような様相である。ダディーは現地の足を確保するために、一人トライスケルを運転していく。車にはモナと僕、ママ、ママの妹とその娘のアン、ベルの6人が乗り込んだ。
いよいよ病院へ行くことになり、モナはまるで重病人のように弱々しくなっている。多分に精神的なものだろうと思ってはいるのだが、それでも僕は彼女の横に座り、いたわりの気持ちを持って彼女を励ましていた。

到着したレガスピの病院は、モナが卒業した大学の付属病院であった。
建物はそれほど新しいものではなく、ある程度の歴史を感じさせる外観の病院である。
正面から奥の方に、5階建ての白い病棟らしき建物が見えた。

病院はドクターが既に連絡を入れていたためにすぐに話が通じ、まずはイマージェンシールームへと通された。通常は救急患者を最初に見る部屋である。
そこに入るとすぐに、モナのバイタルチェック(血圧・脈拍数・呼吸音確認)が始まった。
同時に入院手続きのための書類作成が、ヒアリングによって始まる。
名前・年齢・職業・国籍などを聞かれ、パスポートを提示しながら若い病院担当者へ答える。最後に出来上がった書類へサインをして、入院手続きは完了する。
よく見ると、書類には病院でかかった費用を間違いなく支払うことに同意するという内容が書かれており、そのすぐ下に、プリントネーム(ローマ字)と漢字によるサインをした。

手続きが終わる頃に、かかりつけのドクターが自分のクリニックから駆けつけてきた。
すぐにモナはカーテンで仕切られた部屋に移動し、そこでドクターによる検診が始まった。とても元気な子供の心音も確認され、今のところ大きな問題はなく、昼過ぎに始まる陣痛を待つために病室へ移動することになった。
病室は4人部屋がセミプライベートで1泊990ペソ、個室のプライベートルームが1泊1650ペソとのことで、個室をお願いした。

目の前にキャリングチェアが用意され、モナは病室までそれで移動する。本人はまだピンピンしているのだが、まるで重病人扱いである。
病室は4階にあった。エレベーターで4階フロアーに到着すると、すぐ右手にナースセンターがあり、その前を通り廊下を進む。廊下の両脇にある全ての部屋の前に、部屋のナンバーと、プライベートスイートと書かれたプレートがついている。
プライベートスイートと名づけられはいたが、部屋は普通のビジネスホテルのような1ルームとなっており、トイレ、シャワー、電話、TV、冷蔵庫などが部屋に備えられている。
ベッドの脇には3人がけのソファーがあり、そこが当面自分のベッドになるのだと思った。

部屋の奥には大きな窓があり、そこからマヨン山と、そこに続く原生林の全景が見渡せる。まるでリゾート地を思わせる、素晴らしい眺めである。もちろんその眺めは、ベッドにいる患者からよく見えるようになっている。

部屋に入って間もなく、病院の看護士(男性・女性)たちが4〜5人、どやどやと部屋に入ってきた。そしてすぐに血圧測定、体温、脈拍、問診が始まる。先ほどやったばかりであるのに、随分と細かいことだと思ったが、その日は30分置きにそれをするのだそうだ。
そしてかかりつけのドクターもやってきた。やはり子宮口が開いてきたそうである。子宮口が8cmになったら産まれるそうだが、まだ3cmらしい。これから1時間に1cmずつ広がっていくので、分娩室へ入るのは5時間後の予定だと言われた。
昼過ぎにまた来ると付け加えて、ドクターは再び自分のクリニックへと戻っていった。

モナと顔を見合わせ、やはり今日産まれるのかという話をした。二人とも、なぜか実感が沸かない。それは陣痛が本格的に始まっていないせいかもしれなかったが、この世に二人の子供が誕生することへの、不思議な気持ちの表れでもあった。
五体満足で元気な子供だろうか、どんな顔をしているのか、心から可愛いと思えるだろうか・・・と、子供に対する心配ごとも現実味を帯びてきている。

モナの陣痛が本格的にならないので、昼過ぎから出産を促す薬を投与することになった。若い看護婦が、彼女の手の甲の血管を探しながら太い針を打ち込もうとしている。看護婦の「あっ」という声と同時に、突然針の根元から血液が飛び出し、針を刺したモナの甲からも、多量の血が滴り落ちた。どうやら失敗したようであるが、看護婦は落ち着いていた。慌てず確実に止血処理をし、針を刺す手を左手から右手へ変更する。その対応ぶりから、見かけによらずベテラン看護婦であることがうかがえた。
失敗した注射針は捨てられ、新しい針がパックから取り出された。1度でも使用したものは、使用者が本人であっても捨てる物らしい。衛生観念は日本の病院とかわらず、しっかりとしているようである。

右手は一発でうまく血管を探し当てた。血管に針が刺さってから、その針を血管に沿って心臓に近い方へと1cm以上は押し込んでいく。見ていて気持ちが良いものではない。
そしてその針を通して、陣痛促進剤が点滴でモナの体に流し込まれた。

点滴を始めてまもなく、モナに定期的な陣痛が始まった。それまでの軽い痛みとは少し違うようだと、彼女の表情を見ていてわかる。
陣痛が始まってすぐに、かかりつけのドクターも部屋へやってきた。ドクターは部屋の椅子に座り込み、学会の資料のようなものを読みながらモナの様子をずっと観察している。
そして、1時間毎に子宮口の広がり具合を確認した。

通常1時間に1cmずつ広がっていくようであるが、モナのそれは少し広がるのが遅いようである。片や陣痛が少しずつ本格的になっていった。
そして午後5時、子宮口の広がりが5cmで完全に止まってしまったことを受けて、ドクターは帝王切開を決断したのである。僕とモナはドクターの判断にすぐに同意した。

ドクターは部屋を飛び出し、オペルームの手配をし、手術に関する同意書を病院へ用意させた。見習い看護士がすぐに同意書を部屋へと持ってきた。
生まれて初めての、手術に関する同意書へのサインだった。
手術が決まってからは慌しかった。モナを着替えさせ、点滴に数種類の薬を注入し、そして数人の看護師と共にストレッチャーが病室に入ってくる。
掛け声と共にモナは病室のベッドからストレッチャーに移され、とうとう病室から1階にある手術室へ向けて運び出された。
いよいよである。モナ本人も、複雑な表情をしている。僕はベッドの脇について、モナが手術室エリアに入る寸前まで付き添った。

手術室エリアの前に二重のドアがある。
病院の廊下に繋がる最初のドアはロックがかかっており、インターフォンを押して、担当者が内部からロックを解除しないと、そこから先には入ることはできない。
中に入ると、3mほど先にもう一つのドアがあり、そこからはドクターや看護士・手術患者しか入れないようになっている。手術室はそのドアから、まだ奥に入ったところにあるようである。
ロックのかかったドアと、もう一つのドアの間が、手術をする人の家族が待つスペースとなっているのだが、そこの壁にガラスの窓がついており、窓の向こう側にカーテンがかかっている。その部屋は新生児ルームになっており、生まれた子供は全て、24時間そこで様子をチェックされることになっているのだ。
たまたま出産を終えた女性がストレッチャーで運びだされ、その後家族に、生まれたばかりの子供がガラス越しにお披露目されていた。カーテンが開いたその隙に、新生児ルームの中の様子を垣間見ることができた。
部屋の奥にはベッドが5台並んでおり、いずれも生まれたばかりの赤ん坊が寝ている。各赤ん坊のベッドにはそれぞれ2個のウォームランプが取り付いており、赤ん坊を照らしながらその体を温めている。自らの体温調節機能が不完全な新生児への対処である。
中で子供の面倒を観ている看護士は、防菌服を着てマスクをしている。見ている限りは日本と同様の衛生システムの元で運用されているように見える。


帝王切開の手術は、通常1時間程度だと聞いていた。子供を取り出すまでは、その半分程度の時間で終わると思われる。
少し遅れてやってきたママと一緒に、僕はウェイティングルームで手術が終わるのを待っていたが、その時間が長く苦痛である。タバコを吸いに外へ出たいが、ドクターが何かあればすぐに相談にくると話していたので、その何かに備えて一歩もそこを離れるわけにはいかない。じりじりとした想いで、ただそこにじっとしているしかなかった。
約1時間後、年配の男性が小窓から顔を出し、子供が取り出されたという報告をくれた。子供は体を綺麗にあらい、服を着せたらガラス越しに見せてくれるという話だけでまた奥へ引き返そうとしたので、子供と母親は元気かと尋ねたが、「今のところ(so far)元気だ」と答えてそのまま引っ込んでしまった。
「今のところ」というのが意味ありげで、また余計なことを考えてしまう。聞かなければ良かったと思いながらも、無事に子供が生まれたということで気を取り直して、子供とモナを待つことにした。

ママは突然そわそわし始め、カーテンで閉ざされているガラスの所で、しきりにわずかな隙間から中を覗こうとしているが、所詮無駄な努力である。既に試してみて、がんばっても中の様子がわからないことを僕は知っていた。
あとで見せると言われてから30分以上経過しているが、一向に子供が登場する気配がない。

こちらのイライラ感を察してくれたのか、先ほどの年配の男性が、再び「ベイビーはもうそこにいるよ」と教えてくれた。
ようやくカーテンが開いて、すぐ目の前のベビーベッドの中に、小さな赤ん坊が寝かされている。
目は閉じられ、寝ているかのように見えるが、その目をかすかにあけて大声で泣き出した。1分間泣くと、また1分間寝るというインターバルを繰り返している。目が細く、明らかに日本人のような顔つきである。女の子だから目はパッチリしていた方が良いのだが、第一印象は、かなり目が細いように見える。ママが、ベイビーは僕にそっくりだと言った。病院関係者も口を揃えて同じ事を言う。鼻も高いというが、生まれたての子供の鼻の高さなど、僕には高いのか低いのか、さっぱりわからない。僕に似ていると言われると、確かにそう思えるのだが、ガラス越しに眺めているだけなので、まるで自分の子供だという実感が沸かない。可愛いとか抱きしめたいといった感情が全く沸かないのである。
気になるのは、手足の指がきちんと5本ずつあるのかどうかであるが、両手・両足にはぶかぶかの手袋とソックスがかぶせられているので、それもよくわからない。もし何か問題があれば、きっと深刻な顔つきでドクターがやってきて告知してくれるだろうから、おそらく何もないのだろうとは思うのだが、やはりその点を、自分の目で確認したかった。
それがかなわない今、気になるのはモナである。

普通は開いたお腹を閉じるだけなので、直に出てきてもいいはずなのだが、それが中々出てこない。
子供のお披露目があってから1時間以上経過しても、全く彼女が手術室から出てくる気配がないのである。
きっと何かあったなという予感を抱きながらも、僕は再びじっと待つしかなかった。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:29.出産
2009年11月22日

28.モナの定期健診

翌朝予定通り3時半に起床し、4時にはホテル前からタクシーに乗り込んだ。
レガスピへのフライトは6時半であるから、時間は余裕がある。昨夜までの渋滞が嘘のように解消し、30分たらずで空港へ到着する。
天候も良く、フライトも問題なさそうであった。

搭乗前にモナに電話をすると、ダディーがもう家を出るところだということであった。レガスピには、ダディーが自分のトライスケルで迎えに来てくれることになっていた。
僕はレガスピから自力でタバコシティーまで行きたかったので、わざわざ迎えに来なくても良いと固辞していたのだが、中々それを許してはもらえなかった。

レガスピへの便はPAL(フィリピンエアライン)である。以前セブパシフィックが安いからと、それを2回ほど利用したが、あまりに時間にルーズなことに愛想がついてからというもの、国内便は常にPALを使うことにしている。
PALは特に何もなければ、時間は正確である。その日も予定通りにレガスピへ到着し、ダディーのトライスケルで無事にタバコシティーへ到着したのである。

モナの家について、ようやく出産までに間に合ったことへの喜びが沸いてきた。モナもそれは同様である。一人で子供を産む不安を隠しきれない彼女であったから、僕の到着に心から喜んでくれた。そしてベルも首を長くして、僕を待っていてくれた。数日前から、あといくつ寝るとダディーマークが来るのかと、何度もモナに訊いていたそうである。

そしてタバコシティー到着当日の午後、モナの定期健診へと一緒に出かけた。
ドクターは40過ぎの中国系女医である。身長がおそらく175cmはあろうかと思われる長身で、顔は全くの中国人である。眼鏡をかけたその顔は、一見神経質そうにも見えるが、話をすると気さくに何でも説明をしてくれる、丁寧な医者であった。
普段そのドクターは、レガスピの病院の一室でクリニックを開業しているのだが、週に2度、タバコに出張診療に来ている。その診察室は普通のビルの2階にあり、ビルの入り口に突き出ている階段から直接入ることができる。看板も何もなく、言われなければそこにクリニックがあるなど、全くわからない。
同じ2階フロアーには、つぶれてしまった旅行会社なのか、いつも人がいないツアーディスクがあり、PALの看板やボラカイのポスターが壁に貼り付けてあり、そのほか書類やパソコン、プリンターが、2m四方の範囲に整理された状態で配置されている。
そのすぐ脇に椅子だけが並べられたちょっとした待合室があり、その前が診察室のドアとなっている。診察室の中に入ると約8畳ほどのスペースが手前の診察ディスクと奥の診察ベッドが部屋の中ほどのカーテンで仕切られている。クリニックではなく、何か普通のオフィスを思わせるような雰囲気のたたずまいなのだが、壁には女性の体の模型図と、妊娠初期から出産までの子供の様子などがわかる解説図も並べてかけられている。それらが辛うじて、そこがクリニックであることをうかがわせている。

ドクターと挨拶を交わし、簡単な問診と血圧・体重チェックの後、カーテンの向こう側でモナがドクターのチェックを受けた。ビコールの言葉で会話が交わされているので、僕には何が話されているのか全くわからない。

5分ほどの内診の後にカーテンが開き、モナが神妙な顔つきで説明を始めた。それによると、子宮口が既に開き始めていて、おそらく陣痛がその日の夜か次の日には始まると言われたらしい。既に軽い出血も認められるそうである。
出産予定日は11月25日であったから、僕は実際のお産はまだ先だろうと思っていたのだが、それより10日も早まりそうである。
モナは出産を目前にして、突然怯え出している。当初はお腹のカット(帝王切開)は絶対に嫌だと言っていたのに、突然オペにして欲しいと言い出した。ドクターは、モナの気持ちは良くわかると言いながら、帝王切開は術後が大変だからあくまでも自然分娩を目指すと話している。そして不測の事態が生じたときに初めて、どうするかを決めるというものだった。僕もそれに同意し、陣痛が始まった時の簡単な打ち合わせをして、その場を後にした。

家に帰ってから、モナは明らかに動揺していた。もうすぐ子供の顔を見ることができる喜びより、お産で自分がどうなるかの心配が勝っているのである。彼女は突然体の調子が悪くなったような気になり、いつも眉間にしわをよせながら、話をする声にもすっかり張りをなくしていた。

夕方から、モナのお腹が若干痛み出した。しかし軽い痛みがあるだけで、すぐに収まってしまう。ドクターからは、15分間隔で痛み出したらすぐに連絡をするように言われていた。夜中でも明け方でも、テキストメールではなく、電話をするようにと強く念を押された。もし自分が熟睡していたら、メールではおそらく起きないから、必ず応答するまで電話を鳴らすようにとのことであった。そうは言われていたが、モナのお腹は兆候はあるものの、どうも本格的な陣痛には移行しない。しかし軽い出血だけは続いている。その日はとうとう決定打にかけ、家で眠ることになった。

寝る前にもモナは、お腹が痛み出したらちゃんと起きてね言いながら、相変わらず悪いことばかり考えて、心配ごとをずらずらと並び立てる。
「子供産むときは、すごい痛いなぁ・・」
「それは仕方ないよ。我慢するしかない」
「またブラッド(血)いっぱいになったらどうしよう」
「それはドクターもわかってるよ。もしあなたの体にブラッドが足りなくなったら、ちゃんと準備しているから問題ないって言ってたでしょ」
「あ〜、マハール、やっぱりオペがいい。オペにして!」
「それはドクターと話しした通り、危なくなったらオペに切り替える。最初は普通に産むのがいいって、ドクターも話してたでしょ。全部モニタリングしながら進めるから、大丈夫。ドクターはあなたの前の経緯もちゃんとわかってるから」
「でも産むとき痛いでしょ。痛くない方法、ないのかなぁ」
「日本はその方法もあるよ。薬で無痛分娩(ノーペインデリバリー)できるらしいけど、ドクターによっては、あまり良くないっていう話がある」
「なんで?」
「だって痛くないから、いつ力を入れていいのか、お母さんはわからないでしょ」
「そっか・・でも痛いの嫌だなぁ。ねぇ、マハール、代わってくれる?」
「代われるもんなら代わってあげるけどねぇ・・・」

いつ終わるかわからない心配や弱気の話に僕は根気よく付き合いながらも、ここは何とか自信をつけてもらうために色々と励ましの言葉を捜す。とにかく彼女には、安心してしっかりと睡眠をとって欲しかった。直に正念場となる。体力だけはしっかりと温存しておいて欲しいと思っていた。

ようやく彼女を寝かしつけてからも、僕はしばらく眠ることができなかった。表向きは平静を保っているものの、実は僕も心配なのである。もしかしたら、モナはまた前と同じように、生死の境を彷徨う状況になりかねない。もしそうなっても、自分には何もできることがないのである。ただひたすらドクターを頼り、結果を待つしかない。神頼りに似た無力感で、胸のうちがいっぱいになってくる。そして若干の緊張感と共に、よからぬことだけが次々と頭をよぎっている。やはり以前に考えていたのとはまるで緊迫感が違う。出産が目前に迫ると、現実味がまるで違うのである。最悪のケースでは、僕は若い妻に先立たれて、フィリピンで二人の子供を抱えることになるのだ。そんな悪いことを考えてはいけないと知りつつも、そんなことが頭の中を駆け巡るのであった。

翌朝目を覚ますと、モナが隣で熟睡していた。どうやら本格的な陣痛はこなかったようだ。拍子抜けに近い想いと同時に、もしかしたら子供が生まれるのはまだまだ先ではないのかと、錯覚にも似た思いが頭の中をよぎった。
しかし本当に眠れない夜は、その日の夜に訪れるのである。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:28.モナの定期健診

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