フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年11月05日

21.出産に備えて

今日(11/3)もモナのチャット攻撃で少し疲労ぎみである。昼はスカイプでモナとビデオ会議。最初は30分の約束であったが、結局は度重なる延長願いで3時間続いた。彼女は決めた時間の間際になると、本当に「延長いいですか?」と訊いてくる。それを聞くと、まるでお店にいるような感覚になってしまう。僕も少々疲れてくるが、それよりも臨月に入ったモナの体が心配である。彼女は疲れると、お腹が張って大変だという話になるからだ。それに、無理をして突然産気づいても困ると真剣に思っている。どうしても彼女の出産には立ち会いたい。しかし彼女のメンタル面を考えると、無下に延長依頼を断るのもどうかと思ってしまう。その辺りが、微妙なさじ加減を必要とする。

彼女が疲れてくると、モナはちょっと寝ると言いようやくスカイプトークが終了。僕もちょっと一息つくが、すぐにchikkaでメールが入り、「マハール、眠れない。今日はチェックアップの日だった。アコ忘れてたよ」とメールが入る。
そう、今日は妊娠の定期健診の日である。僕はしっかりと覚えていた。だからスカイプでも、チェックアップが終わったら、結果を教えてねと言っていたはずなのに・・・。

検診後にスカイプでビデオ会議再開。検診結果は全て順調。子供の心音はとても元気で、現在2400gまで育っているそうである。
ドクターが僕と話しをしたがっているようだ。出産を、帝王切開でするか、それとも自然分娩にするのかを相談したいそうである。
モナがあまりにも心配だと言うので、ドクターも自信を失ったようである。
それは前回ドクターに会った時も、少しそれを感じた。モナの心配が乗り移っている。

「ドクターは何て言ってたの?」
「たぶん自然分娩で大丈夫って言ってたよ」
「それじゃそれでいいよ。ドクターの意見を尊重する。今度フィリピン行ったら、そう話しをするよ。でも何かあったら、すぐに帝王切開に切り替えるよ。それは覚えておいてね」
「わかった」

モナは以前、嫌なことを言っていた。それは、もし出産で自分にもしものことがあっても、子供だけは助けて欲しいというものだった。もしどちらかしか助からないという状況になったら、子供を助けて欲しいというのである。そしてもし自分に何かあっても、それは神様が決めることだから仕方がないというのだ。
心臓に不安のある彼女である。そんな事態も全く考えられないわけではない。だから僕も、決して彼女には悟られないようにしているが、本当はかなり神経質になっている。
それにしても「神様が決めるから仕方がない」とはなんたることか。そんな言い方は、僕には決して納得できないのである。

第一僕はフィリピンに移住するつもりでいるのに、子供を残して彼女にあの世に行かれたら、僕はいったいどうしたらいいというのだ。彼女はそれを、考えていないのだろうか?
僕がそれを言ったら、彼女は自分の家族がいるから大丈夫だと言う。そしてもし自分に天に召されても、あなたは結婚はしないでねと彼女は言った。
「あなたには子供がいるんだから、それでいいでしょ」

その言葉に、また何か違和感を感じた。モナがいなくなったから、それじゃ代わりの人と・・・などと考えられるわけはない。しかし、子供がいるからいいでしょうという問題なのだろうか。僕にはわからない。
モナがいなくなって、僕はベルと生まれた子供の父親として、彼女の家族とフィリピンで暮らす・・・。どうもイメージがわかない。

前回の出産で、モナは実際に一旦あの世に行った。それがトラウマとなり、彼女が出産にかなり神経質になっていることは理解できる。臨月に入り、それがますます顕著になっている。どうもそれが、ドクターと同じで僕にも乗り移っているようだ。ついつい最悪の事態を考えてしまう。

当然自分の出産への付き添いも含め、万全を期したいとは考えているが、万が一不測の事態に陥ったら、僕は子供よりも彼女の命を優先したいと考えている。最悪の場合、どちらかを選べと言われたら、迷わず彼女を取ると決めているのだ。後々彼女に文句を言われたとしても、僕は絶対にそうすると決めている。
勿論母子共に無事に済んで欲しいと、強く願ってはいるが・・・。
そして彼女には、余計なことを考えずに自信を持って出産に臨んで欲しいと思っている。僕はそれが、出産時のリスクを軽減することに繋がると信じているからである。

だから僕は、彼女のメンタル面にはかなり気を使っている。そして自分の不安は、決して彼女に見せないようにしている。とにかく大丈夫だと励ましている。下手に心配ばかりするのは彼女の体に障ると思っているからだ。

「イカウなんでそんなに自信ある?」
「だって前とは全然違うでしょ。病院はプライベートで、パブリックよりはるかにサポートがしっかりしている。産まれそうになったら、ドクターが家からマンツーマンで付き添いになる。そして今回は旦那もちゃんといる。輸血の準備もあらかじめお願いしている。もし危険になったら、その場ですぐに帝王切開に切り替える。ドクターも事前にあなたのことを良く知っている。全然問題ないでしょ。これ以上、何を準備するの?」
「オーオー、そうだね」


この前フィリピンへ行った時には、ホテルへ宿泊している時はいつも一緒にシャワールームに入り、彼女の体を洗ってあげた。特に足は、お腹の大きい彼女が自分で洗うのは大変なので、僕がそれをやってあげる。バスタブの出入りは、滑って転ばないように、常に手を取ってあげる。
歩きつかれた時には、それがレストランであろうとどこだろうと、足裏マッサージをする。
ホテルの部屋に帰っても、そしてモナの家にいる時でも、とにかくマッサージはこまめにやっていた。それをやると、とたんにパンパンに張っていたお腹が柔らかくなる。リラックスするということは、これほど体に効果があるのかと驚くばかりであった。
外を歩く時には、彼女が転ばないように手を取り、陽射しが強いと短い距離でも、彼女の頭にハンカチをかざしてあげる。
そんな献身的な僕を初めて見るモナは、「イカウ前と全然違うなぁ。それ妊娠のせい?妊娠終わったら、また冷たくなる?」と言うので、「そんなことはない」ときっぱりと答える。
とにかくできる限りの安心感を彼女に与えるために、僕は常に気を使っている。

「妊娠になったら、女はセクシーじゃないから、男は冷たくなると思ってたよ。浮気もするかなと思ってた」
「そんなわけないじゃない。あなたもお腹の子供も大事だから、僕だってがんばるよ」
「その言葉、気持ちいいなぁ。ありがとうマハール」
・・・・出産とは、まことに難事業である。


ちなみにモナの出産に関しては、後日談がある。
モナが産気づいたら、レガスピまで自分がトライスケルで連れて行くとダディーが言い出したのだ。ダディーがそれを言った瞬間、ママとモナは同時に「え〜」と声をあげたそうである。
「がたがた40分も揺られていたら、トライスケルの中で産まれちゃうよ」

本当にその通りだと思う。健康な自分でも、トライスケルでレガスピまで行った時には疲労感に襲われた。乗っているだけで一仕事という感じである。とても産気づいた妊婦が長時間乗るものではない。
ドライバーの何人かに声をかけておき、それが夜でも電話ですぐに駆けつけてくれるようにお願いしておけばいいのだ。その際、運賃は通常の3倍でも4倍でも払うと言っておけば良いのである。それにドクターが、場合によっては自分の車で連れて行くとも話してくれている。
無理にトライスケルで行く必要はない。
「オーオー、それグッドアイディアだなぁ、それダディーに話してみるよ。トライスケルはアコ自信ないなぁ」

ダディーも少し、気が焦っているのだろうか?
ますますモナの出産が、現実味を帯びてきた昨今、僕も落ち着きが無くなっている。ふぅ〜。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:21.出産に備えて
2009年11月03日

20.再びサラリーマンに

帰国後の仕事はすぐ始動した。帰国の飛行機代をかけてでも、十分元の取れる目玉の仕事である。

最近の仕事の内容は、明らかな傾向がある。昨年末あたりから、電気自動車関係が増え出したが、今年はLED照明や太陽電池関係など、エコ関係の仕事が目立ち始めている。
どこの会社も人員が不足しているらしく、いざ仕事が動き出すとアウトソーシングに頼らざるを得ない状況があるようだ。
外に頼らずに社内だけで踏ん張っているところは、社員が悲鳴をあげながら仕事をしている。
世の中はこのように確実に動き出しているのだが、ただし手ごたえが今ひとつである。
それは、仕事を手伝っていてわかるのだが、この商品は面白い、売れそうだという感触を得るに至らないものが多いということである。
また商品的には魅力があっても、コストを何とかしないとヒットするのは難しいのではと思われるのである。

どのメーカーも、売るものがなく苦労している。少し前に業界の救世主的存在だったゲーム機器も、新しい製品を出せずに、プライスダウンで急場をしのごうとしているように思われる。
そのような状況の中、今年のクリスマス商戦はただただ寒いと言わざるを得ない。
少し目新しいのは、Windows7が搭載されたパソコンくらいのものか。
このブログの読者はエンジニアが多いので、この話を読んで「まったくだ」と寒い悪寒がおぼえている人もいることであろう。
このままでは、大好きなPPにも行けないと泣いているのではないだろうか。

漠然とした感触であるが、このままでは日本の将来は暗いと思えて仕方がない。これぞ日本と自慢できるような民生品がない。より高度な技術を要する産業機器は強いものの、アイディア次第で大きな売り上げと利益に結びつく民生品が弱いのだ。これは技術力がないということではなく、一般の人が欲しいものがない、もしくは何が欲しいのかわからないという局面に入っているということである。
ほとんどが、故障、老朽化などによる買換え需要に頼っている。i-podのような、新しい需要に結びつく新製品が育たない。
僕は新製品アイディアを考えるときに、身の回りにある全てのものの頭に、「電子」という言葉を付けてみる。例えば「電子フラワー」「電子枕」「電子ベッド」「電子カップ」「電子スプーン」「電子ジーパン」「電子小物入れ」「電子灰皿」というように、何でもである。それから、それって何?と、具体的な商品のイメージを考えてみる。機能や性能のイメージを膨らませてみる。そこから何かのヒントが見つかるかもしれない。
もし新製品で悩んでいる方がいれば、試してみて欲しい方法の一つである。


さて先日の記事の中で、僕は大きな決断をしたと書いた。
追々そのことを紹介すると書いたが、早速その件に触れようと思う。

実は今回、以前からお世話になっている、ある会社の社長から呼び出しを受け、フィリピンへ行くなら、まずは生活のベースを作るように言われた。
下手をしたら、お前はフィリピンに埋もれて死んでしまうぞとも言われた。そして、もし何かやりたいことがあったとしても、生活に疲れるとやりたいことにも十分な力が発揮できないだろうということであった。
それは確かにその通りである。生活に疲れだすと、何かを考えるゆとりがなくなるということは、いやというほど経験した。
社長がそこで言った生活のベースとは、直近の安定した生活に加え、将来の年金生活のことも含んでいる。フィリピンに骨をうずめるにしても、年金があれば全く違うというのである。勿論それは、日本にいても同様である。

そして自分の会社に入り、フィリピンで活動をしないかという有り難いお誘いをもらった。
厚生年金を日本でかけてやるから、真剣に考えろという申し出である。

この御時世に46歳の自分が就職のお誘いを受けるなど、本当に有り難い話である。
この不景気のせいか、その会社では連日就職希望者の面接が実施されている。それを差し置いて、社長自ら声をかけてもらえるなど、もったいない話である。

僕はモナと相談し、その話を受けることにした。僕はフィリピンで安定した収入を得るかわりに、結局自由が制限される会社員に逆戻りすることを選択した。
給料はそれほど大きくはないが、しかしフィリピンで生活するには十分な金額を提示してもらった。
そこからそれを増やすのは、自分のがんばり次第ということである。

前提はあくまでも、フィリピンで仕事をするということである。そして必要に応じて、時々日本へ帰って仕事をすることにもなりそうだ。
当面フィリピンの事務所は、フィリピン支社になるのだろうが、社長はそれを現地法人にしたいようである。フィリピンでの会社立ち上げに関する法律を調べておくように言われたので、一通りそれをまとめた。

現地での仕事は、パターン設計、ソフト設計、ハード設計、そして生産品の品質対応と多岐に渡る。具体的にお前の仕事はこれだというものは、今のところない。
とにかく現地でビジネスを拡張してもらいたいというのが社長の意向である。

いくら会社員になったからといっても、僕は自分の食い扶持くらいは自分で稼ぎ出したいと思っている。そこでフィリピンで何ができるのかを、今色々と考えている。
しかし具体的に考えると、結構難しい。いずれにしても、最初はローテクで勝負をすることになるだろうと思っている。組み立て屋さん、量産フォロー、基板設計等々である。
手離れが良い安い仕事を数多くこなし、売り上げを積み上げていく方式である。
現地にどのようなニーズがあり、それがどの程度のボリュームがあるのかも調査しなければならない。

そして最終的には、自分の食い扶持を稼ぎながら、フィリピンでの雇用の創出に一役買いたいという、密かな夢もある。それがほんの数人でも構わない。
フィリピンでのビジネススタイルが確立するには、半年や一年はかかるだろうし、もしかしたら一年も経たずして首になっているかもしれない。
しかし今は、そんな将来を考えることを楽しんでいる。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:20.再びサラリーマンに
2009年11月01日

19.苦しい生活

クアラルンプールから飛行機が飛び立った。フィリピンのローカルエア、そして台湾とマニラ間、マニラとマレーシア間の中型機にしばらく慣れていたせいか、大型ジャンボの加速と離陸が、すこぶるか軽やかに感じる。
あの広大な空港があっという間に全景を見渡せる高度になり、空港周辺のオレンジ色の街灯が、空港を取り巻くように綺麗なカーブを描いているのが見える。
そしてすぐにクアラルンプールの街が見渡せるようになるのだが、その夜景が何とも素晴らしい。
飛行機の中から見える夜景としては、おそらく世界でも有数のものではないだろうか。

隅々の道路まで整備されたオレンジ色の街灯が、広大な面積に広がる宝石の海のような絵の輪郭を作り出していて、この街がきちんとした計画のもとで作りこまれたことがうかがえる。そしてその街灯が作り出す輪郭の合間にちりばめられた不規則な光の明滅が、まるでダイヤが埋め込まれているように見えるのだ。そして何よりも、それがあまりにも広い範囲で続き、目が離せない状態となる。
感覚的には東京の10倍以上の面積に渡りその素晴らしい夜景が続くのだが、いくら首都と言っても、とても国全体で3千万を切るほど少ない人口の国の、一つの街とは思えない。
地図で見ると、それほどの街が大きく広がっているようにも思えないから、なぜそのように感じるのか不思議である。それほどのボリューム間を感じる夜景であった。
あれほどの街を築き、そこへふんだんに電力を供給するマレーシアの国力とは、いったいどれほどのものなのだろうかと興味が沸いてくるほどである。


マレーシアから日本までは、6時間〜7時間の飛行となるのだろうか。日本へは朝の到着となる。これまで何度も飛行機に乗ったが、おそらく朝帰国というパターンは初めてである。
途中居眠りをして、気が付くと夜が明けていた。窓の外を見ると、すでに房総半島が見える。そしてまもなく、飛行機が大きく傾き旋回を始め、そのまま飛行機は、成田空港に吸い込まれるように日本へと着陸した。
朝7時前の成田空港は、あらゆる店がオープン前で閑散としていた。24時間世界中の人で賑わっているクアラルンプールとは大違いである。世界第2位の国の玄関口としては、寂しい限りであった。マレーシアでもらった米ドルも、銀行が閉まっているので両替できない。なんとも中途半端な空港を作ったものだと、あらためて感じる。

そしてバスの中では、2週間ぶりの日本の景色を見ながら、また重苦しい気分に陥る。
フィリピンから帰った時にはいつも寂しい気分になるのだが、今はそれだけではない。けだるくてため息がでるような、どんよりとした気分になるのである。
最近日本の生活は、孤独でつらく、またその生活に戻ってきたのかと思うと憂鬱になるのだ。

最近ブログのコメントに、僕の生き方に共感する、かっこいいというようなものが寄せられたが、僕の実際の生活は、そんなにいかしたものではない。
少し誤解があるかもしれないと思い、タイミングを見て自分の生活実態を一度、レポートしようかと思っていたが、今回はそれを少々書いてみたいと思う。


会社を辞めたときには、何も後ろ盾がなくなったことに漠然とした不安を感じ、人生の落伍者にでもなったような気分であった。
その後仕事が順調だった頃には、サラリーマン時代よりもはるかに多い収入を得て、自信も取り戻しつつあったが、一つつまずくと、とたんに坂道を転げ落ちるように生活が不安定になる。

昨年末に一時仕事が途絶えた。その後、以前やった仕事の後始末で、3ヶ月間無給で時間を取られるはめになった。合間に細かい仕事を入れてなんとかしのいでいたが、その後100年に一度と言われる不況に襲われ、仕事も減り、わずかな仕事の支払いも遅れ出した。
本当に苦しい時には、不動産屋さんに部屋代も待ってもらった。

一度そのようなものが滞ると、今度は部屋代や高熱費、通信費などを払うために働くかのように、それらに追われることになる。
常に次に入るお金の時期と金額を気にしながらの生活となり、その当てが外れた時には死にたくなるほど苦しい状況となる。
その間は、海外に出るなど夢のまた夢で、日本での生活が青色と息となり全く身動きができない。そして少し余裕ができても、何かがあると入ったお金は右から左へと無くなってしまう。
ここ一年近くは、そのような不安が常につきまとう生活だった。決してゆとりがあるわけではなかった。

最近は仕事のやり方を変え、安くて手離れの良い仕事を数多くこなすようにしている。
トータル収入は、忙しい割りに少なくなったが、それでも確実な収入に繋がり出している。
そして世間の景気が上向きかけているのか、最近仕事の数は突然急増している。
おかげでモナの生活や病院代、そして結婚手続きなどが辛うじてできているのだが、仕事が好転しなかったらどうなっていたかと思うとぞっとするくらいである。

貧乏な生活をしている時には、おそらくサラリーマンをしている方には想像もできないくらい、僕はどん底の状態にあった。

たばこを買うお金がなくなり、吸い終わったタバコの葉を集め、ノートをちぎって巻き直して吸ったりもした。これは初めての体験であった。タバコを巻くノウハウも習得した。葉の密度が高すぎても低すぎてもだめであり、ほどほどの詰め具合が必要とある。
前回フィリピンのタバコはイガイガすると書いたが、この再生タバコは、吸い始めはやや焦げ臭く、吸い終わりはかなりのどにくる。吸い始めの焦げ臭さは、当然最初に吸い終わった時の燃えカスが混ざっているからだ。しかし燃えカスを含まないようにすると、再生できるタバコの葉を多く取ることができない。そこでタバコを消すときには、できるだけつぶさないようにする癖がついた。暇なときには、ノートの切れ端を巻いて、葉を入れる入れ物をせっせと作るのであるが、それは今でも手元に取っている。

米びつに米が無くなった時には、涙がでるほど悲しくなった。それからは、近くの安いスーパーで89円の食パンを買ってしのいだ。これで1日は持つ。外へ出るときには外食をするとお金がかかるので、サンドイッチを作って持参する。誰かと一緒の時にはそれを驚かれたりするのだが、正直に貧乏だからと答えていた。

一時はインターネットの契約を打ち切られそうになった。これは仕事にも支障をきたす。勿論ブログの更新もできなくなってしまう。契約会社に電話をして、打ち切りを待ってもらい、ついでにインターネットの継続使用もお願いした。

電気・ガス・水道を順に切られたこともあった。
笑ってしまったのは、ガスを止められるとシャワーが水になってしまうので、止められる前に慌ててお金を支払いに行ったのだが、ホッとしてシャワーを使おうとしたら、水が止められていたことがあったことだ。
シャワーの温水コントロールは電気で行われているので、ガス、水道、電気全てが揃っていないと、温水シャワーは使えないということに気付いたのも、そんなどん底生活の中であった。

このような苦しい生活をしばらく余儀なくされていたのである。
会社に属さず、自由を手にするということは、このようなことなのである。
他人には自由人の良い面だけが映っているのかもしれないが、その裏には精神的・肉体的にかなり辛い状況があったりする。


今回の帰国は、ある仕事をするためである。2〜3週間で、渡航費用7万円(オープンチケット)、結婚手続き代行代10万、出産費用10万円、マンションや高熱・通信費10万円、当面の生活費10万円と、もろもろで最低40万円以上は稼がなければならない。
子供の出産費用が、フィリピンで10万円というのは高いと感じた方もいるかもしれないが、今回は設備やフォローが行き届いている個人病院で産むことにしているからだ。フィリピンではパブリック(公立)病院は比較的安いのだが、医者もスタッフも設備も不足しており、まともな医療を受けることができないケースがある。出産に関して体の心配が多いモナの場合、命に関わることが心配されるので、先日訪比した際にあらかじめ現在かかっているドクターと相談し、できるだけリスクの少ない病院を手配してもらった。
他にもモナの検診代や生活費、薬代、フィリピンの家の建設費、ダディーの薬代を振り込む必要がある。そして自分の荷物をフィリピンへ送るにも、お金がかかる。

現在のところ、予定外の仕事も取り込むことができ、運良く目標を上回っている。フィリピンへの送金もぎりぎりながら繋がってはいるが、いつも何かにしがみつく様に、本当に必死の想いで日々を送っている。これが実態なのである。
最近は体に染み付いた貧乏生活が抜けず、多少お金に余裕がある時(あくまでもどん底状態に比べてという話であるが・・)にでも節約生活を続けており、外での仕事は弁当持参で外食は滅多にしない。

今現在は仕事も順調で、精神的にはようやくゆとりを取り戻しつつある。そして僕は今回の帰国で、今後の生活・人生設計に関わる大きな決断をした。
それは追々、ブログの中で紹介していきたいと思っている。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:19.苦しい生活

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