フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年10月31日

18.日本人としての誇り

クアラルンプールの空港に辿り付いたが、あまりにも広すぎて、JALのチェックインカウンターを探すのに疲れてしまった。
ボーディングタイムまでは、まだまだたっぷりと時間があった。その空港は、出発ロビーだけでも、飲食店やお土産屋さん、アクセサリーと、様々な店がひしめき合っている。
僕は早めの夕食を済ませ、そこでコーヒーでも飲みながら、手持ちのPCでインターネットを繋げ時間を潰そうと思ったのだが、その空港はボーディングエリアに入らないとインターネットには繋がらないようだ。(フリーのWiFiをキャッチしており、そこには接続できるのに、インターネットには入れない・・・)せっかくそのつもりでコーヒーを注文したのに、無駄になった。

コーヒーを飲み終わるとタバコが吸いたくなり、一旦空港の表へ出た。
アジアでNo1の広さを誇るクアラルンプール空港は、やはり大きい。外でタバコを吸っていると、離陸する飛行機がまるで隣町から飛び立っているように見える。

実はこの空港、アジアではNo1であるが、世界でもアメリカのデンバー空港についで、第2位の規模を誇るのである。しかも空港施設の設計は、かの有名な日本人の黒川紀章氏だ。
東南アジアの外れに来た日本人が、空港の広さや立派さに驚きながら、そのデザインが日本人によるものだと知って、その意外さにもう一度驚く。
デザインの世界でも、こんな風に活躍している日本人がいるんだという、ちょっとした嬉しさもあった。

このように、アジアを歩き回っていると、自分が日本人ということを意識する出来事がごろごろと転がっている。アジアにおける日本の影響力というものは、それだけ大きいのである。

アジアの国々は、日本の経済力もさることながら、工業技術、建設技術など、日本に頼らなければならない部分がまだまだ多い。工業技術に関しては、アジアだけではなく、アメリカも同様日本に依存している部分が多くあるのである。例えば日本の工作機械が無ければ、軍事産業で使用する精密部品さえ作ることがままならなくなってしまうのだ。
中国は物作りに関して、安い労働力武器に日本の会社を取り込み、そのノウハウを盗み出すことに成功した。そして今は、目に見えないソフト技術を盗み出す企みを進行させようとしている。

そして広く影響力を発揮しているのが、日本のアニメやドラマである。マレーシアでは、ウルトラマンも未だに放映されている。日本アニメがTVで放映されているのはアジアだけではなく、世界中あらゆるところでお目にかかるのだが、勿論フィリピンやマレーシアでも、何本もTV放映されていた。フィリピンで魔法使いサリーと見たときにはさすがに驚いた。このような僕が子供の頃に見ていた懐かしい漫画も、時々お目にかかる。現地オリジナルとしてヒットする物の中には、実は日本の何かのドラマや番組にすこぶる似ていたりするものも多い。それらを見る度に、日本人の感性や創造力というものに、驚きを禁じえない。
今回のマレーシア人のアテンダーは、トトロ、ドラゴンボール、ウルトラマンを例にあげて、猫バスやサイヤ人、M78星群から来た正義の見方などの発想はマレーシア人には決して真似できないと話していた。たまたま古いものから新しい物への3つが例として上がったので、昔から日本人は、ずっとそのような才能を発揮し続けていたのかもしれないと彼の言葉を聞いて思ったりしていた。

一つ敢えてお断りをしておくが、僕は俗に言う「右」とか「左」と言った思想は持ち合わせていない。それをお断りした上で、ついでにもう少し自分の素直な想いを申し上げる。

日本人は、日本人がかつてとても悪いことをしたかのような教育を受けてきている。自虐史教育というものだ。自国への誇りを敢えて壊すような教育をするのである。そして中国や韓国で行われている反日感情を促進するような教育や制度に対して、文句を言うこともない。
そして正確な事実を伝えることができないから、日本では近現代史というものを学校教育ではほとんど取り上げない。実は近現代史には、自虐史教育と相反してしまう部分が多いからである。だから江戸時代後半から、明治、大正、昭和の歴史教育については、それ以前の歴史教育と比べて密度が薄かったはずである。言われてみるとそうだったかもしれないという方が、ほとんどではないだろうか。そしてかつて日本がアジア諸国を占領したり、不要な戦争を行ったかのような教育の記憶だけが、脳裏に焼きついているはずである。

しかしそれらの行為一つ一つには、しっかりとした理由があったのである。そして日本人には昔から、素晴らしい規範もあった。伝えられている虐殺行為などは、証拠がないものも多い。それをニュートラルな立場から、あくまでも自然に表現し伝えてきた代表格が、故司馬遼太郎である。彼の「坂の上の雲」などを読んだ方も多いと思われる。

先日あるサイトで、少し感動するものを見た。「真実はどこに」というタイトルのサイトである。是非次のURLをクリックしてみて欲しい。
http://nandakorea.sakura.ne.jp/media/sinjituwadokoni.swf
この中で、フィリピンはアメリカに統治されたおかげで物作りをする方法を学べなかったという内容があった。
アメリカはフィリピン人に自分たちが作ったものを一方的に売りつけるだけで、フィリピン人に自ら物を作り出す方法を教えなかったというのである。しかし日本が統治した場所は、立派に経済発展を遂げている、それは日本の教育の成果であったという内容があった。確かにその通りなのである。
かつての日本軍は、統帥権という傘の下で暴走した面も確かにあったのだが、昔から日本という国は、素晴らしい物をたくさん残してきた国でもあるのだ。
フィリピンを含めたアジアを歩き回り、僕はやはりそのようなことを感じざるを得ない。

相変わらず飛行機が数分間隔で飛び立っていく。
僕はそれを見てタバコを吸いながら、前述したようなことをぼんやりと考えていた。

そして僕は、フィリピンで買った少しのどがいがいがするマルボロを吸いながら、マレーシアにいながらにしてフィリピンをおもっていたりもするのであった。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:18.日本人としての誇り
2009年10月29日

17.アジア諸国の感性

今回のマレーシアでの日程は、到着日はホテルで寝るだけ、そして翌日仕事をして、その夜には日本への飛行機に乗るという強行日程であった。
僕がマレーシアに行ったのは、ある基板メーカーとミーティングをするためである。
その基板メーカーが日本企業へ出荷した基板に不具合があり、基板会社の簡易品質監査と品質指導をして欲しいというのが、今回の仕事の依頼内容だった。
依頼をしてきた会社の現地法人オフィスの人間が、空港へ迎えに来てくれた。男性のマレーシア人である。初顔合わせであったが、お互いの顔写真を交換していたので、空港ではすぐにわかった。
もし彼と会えなかった場合、僕は泊まるホテルもわからず、現地のお金も持っておらず、空港へ泊まるはめになる。しかも日本へのエアチケットは彼が持っており、カードはフィリピンに置いてきた。お金は持っているわずかな日本円を、空港内で現地のお金に変えることはできるが、会えない場合はもう成す術がない危険な旅である。

彼はマニラからマレーシアまでのエアチケット代を米ドルで、そして今回の日当やホテル代をマレーシアの現地通貨で持ってきてくれた。

ホテルはクアラルンプール(グーグルマップにはクアラルンプルと書いて)市内だったが、チェックイン前にホテル近くのゴールド何とか?なんとかゴールド?という、マレーシア料理チェーン店(店内には漢字の看板がかけてあったので、最初は中華料理店かと思っていた)で夕食をとった。
車を離れる際、トランクに積み込んだスーツケースにパソコンは入っていないかと訊かれた。もしパソコンが入っている場合、それを感知する機械があるらしく、トランクをこじ開けられ鞄ごと泥棒されることがあるそうである。
さすがにマレーシアくらいになると、泥棒もそんなハイテクを駆使するのかと関心してしまう。

以前イギリスへ行った際、現地の仕事仲間と飲みに行った。その時に驚いたのは、店に集まる人たちが、カーステレオや自転車のハンドル、サドルなどを、店の中に持ってきたことである。それらをそのまま置いてくると、泥棒されるというのだ。だからカーステレオは簡単に脱着できるようになっており、万が一盗まれても、セキュリティーコードを入れないと再起動できないようになっているとか。自転車も、泥棒が乗っていけないよう、主要部品を持って歩く。
飲み屋にカーステを抱えてくるのは、なにか奇妙な雰囲気であったが、どこの国でもそんな事件は日常茶飯事で、みんなが防犯に常に気を使っている。それで驚くのは日本人くらいのものだと、いつも言われる。
そのたびに、日本は世界の中で世界最高水準の平和な国だということを思い知らされる。

街中のレストランではチキン料理とカレー、そしてライスとカレーについてきたパンを食べたが、料金は一品数百円と、安かった。店内はほとんど中国人で、店員は僕のことを中国人だと思ったらしく、最初は中国語で話しかけてきた。
カレーは辛いが、南国のカレーはフィリピン以外はどこで食べても美味しい。残らず食べた僕を、マレーシア人の彼は嬉しいねと言った。マレーシアの辛いカレーは、日本人の口に合わないと思っていたらしい。生憎僕は、日本でもインド人が経営する料理店のインドカレーを好んで食べる。マレーシアのカレーは、それに近い。僕はナンプラーが隠し味で入っているような気がしたが、マレーシア人の彼は入っていないと言っていた。入っているのはココナツだけだそうである。
レストランでの食事代、そしてその後に行ったコンビニで買った水の値段など、不思議と金額を覚えていないのだが、いずれも安いという感覚があった。しかしタバコの値段だけは日本円で約300円で随分と値上がりしたものだと明確に覚えている。
数年前に訪れた時には、タバコ一箱が約120円だった。

マレーシアのホテルの部屋はとても大きい。日本円で1万円しない部屋でも不必要だと思うほど広い。部屋のドアを開けると、50平米近い部屋が突如と出現し驚く。そこには豪華なリビングセットが置かれ、シックな家具やキッチン、カウンターバーがある。そしてふと横を見ると、同じ広さのベッドルームがもう一室着いているのを見て、もう一度驚かされる。部屋の端から端まで何度も往復すると、疲れるほど広い。
以前気付いたのだが、そのようなゆったりとしたホテルに安く泊まれるため、休日にはシンガポールナンバーの車が目立つ。シンガポール人が、物価の安いマレーシアへ遊びに行くのだ。比較的安全で綺麗な物価の安いマレーシアは、休日にゆったりと過ごすには、もってこいの場所である。
それにしてもただ寝るだけの僕には、そのような広い部屋はもったいない作りである。

翌日は基板会社との交渉となるが、僕は行く前から雰囲気がわかっていた。
マレーシアだけではなく、アジアの国々のサプライヤーは、品質に対する考え方が日本人とかけ離れている。それはフィリピンも同様である。
例えば不良を出す。彼らはそれを治したら問題ないだろうと考える。しかし日本人は、再発を防止するために原因を掘り下げ、原因に納得したらそれに対する対策をし、そして更に歯止め(万が一不良が再発しても、顧客には流出しない方法)まで考える。当然サプライヤーにも同様の処置を求めるのだ。それをアジア諸国の人々は、中々納得してくれない。不良品を引き取り良品を代納したのだから、それ以上とやかく言われる筋合いはないという雰囲気なのである。
それは悪意を持ったものではなく、文化の違いからくる考え方なので、かえって始末が悪い。もっとも過剰な品質管理は、不要なコストアップを招くだけだという認識は、日本人にも必要なのだが・・・。

翌日マラッカという街にある基板会社に行くと、ミーティングに参加した5人のメンバーの内、3人が女性だった。女性はいずれもイスラム教徒がつけるスカーフ(名前を聞いたのですが、わすれました)を頭からかぶっている。
お互いに自己紹介をする際、一瞬躊躇した。それは、握手をしても良いのかということであった。イスラム教の女性は、自分の夫以外の男性には肌を見せてはいけないというのが、僕の理解だった。それであれば、肌と肌を合わせる行為は例え握手であっても、いけないことなのではないかと思ったのだ。しかし相手の女性は、全くお構い無しに握手をする手を差し出した。
肌を見せるのはいけないが、肌を触るのは問題ないのだろうか。そのあたりの習慣がよくわからないが、普通に握手を交わした。

基板会社があるマラッカはマレーシアの歴史を感じさせる、落ち着いた見所のたくさんある観光名所である。時間があれば、ゆっくりと史跡巡りでもしたいところであるが、もったいないことにまるで時間がない。どうせなら写真を撮りながらゆっくりとしたかった。

基板会社とのミーティングは、やはり予想通りだった。
一つ一つの不具合に関して、真の原因を探るだけでも一苦労である。それが一通り終了したのは、すでに午後3時であった。それからが対策検討となるが、サプライヤーが実施した対策は、どれもこれも顧客へ回答をするための対策で、不具合を発生させない、もしくは発生してしまっても流出はさせないということから、大きくかけ離れていた。
概観問題はもっと始末が悪く、それの何が悪いという話にまでなる。確かに機能不良ではないので、プライオリティーは低いのであるが、製造コストに影響の出ない管理方法もいくらでも考えられるはずである。しかしサプライヤー側は、それを不良と認識していないため、対策についてはほとんど消極的である。
そんな相手に対して、なぜそれが悪いのかを説明し、納得させ、対策考案、実施まで持っていくのは、本当に骨の折れる仕事なのだ。
相手が日本人であれば以心伝心のことが、まるで通用しない。もう一度断っておくが、それはマレーシア特有のものではなく、アジア諸国全般で言えることである。
欧米諸国の会社であれば、日本の品質管理方法を徹底的に研究しているため比較的同じ考え方を持っているのであるが、コスト優先のアジアの国々には、まだまだ日本流の考え方は通用しない。
もっとも、これが買う側に回ると、アジアの国々の人でも突然日本流に厳しくなったりする場合があるから、その背景にはコスト意識が先に立っているということもあるのだろうが。
しかし、様々なやり取りの中には、明らかにコストとは関係のない怠慢のようなものも感じる。こちらがコストに影響のない案を提供しても、言い訳が先行するケースが目立つ。
言い訳ばかりが目立ち始めると、こちらがギブアップしそうになるほど嫌気がさし、つかれ始める。
しかしギブアップをしたら、今後のことにも影響をするため、気を取り直してこちらも踏ん張る。その繰り返しになるこの手のミーティングは、本当に神経をすり減らす。

たった1日のやり取りでは、基本的な考え方のすり合わせもままならない。僕は消化不良のまま、マラッカを後にしなければならなかった。
しかし成果を出さなければならない。不足分は相手に宿題を出し、それをレポートに盛り込むことで、ようやくラップアップ(まとめ)を終了した。


マレーシアの高速道路は、広くてよく整備されている。街灯照明の数が多く、舗装も道路にうねりが少なくてよくできていると思われる。
僕はその基板会社から、今度はクアラルンプール空港へ直行となったが、時間に余裕があったので途中高速パーキングに寄ってもらった。
パーキング名は忘れてしまったが、その中は観光地さながらに綺麗な作りとなっている。広大なパーキングの中は、もともとの自然を上手に残し、川や池があり、そしてパーキングの中にはホテルまであった。人工的な印象が全くない。素晴らしい感性である。


現在日本から、この基板会社の担当者と品質に関してやり取りが続いている。
フィリピンとマレーシアは飛行時間が3時間ほどで、片道のエア代が25000円〜30000円程度である。比較的手軽に行き来ができる。
おそらく今後、このマレーシアの会社を再び訪れることがあると思われ、マレーシアも身近な国になりそうだ。
宗教的に日本とは異種文化を持つこの国は、じっくりと見ればまだまだ刺激的な事象を発見することもあると思われる。
その時にはもっと濃密な、マレーシアのレポートができればと思っている。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:17.アジア諸国の感性
2009年10月28日

16.マレーシアへ

その日は朝から、激しい雷を伴う滝のような雨が降っていた。前日の夜中あたりから降り出した雨が、ますます激しさを増しているようだった。

午後になり雨足が弱まったので、ジャマイカの家に移動し、2階テラスでぼんやりとコーヒーを飲んでいる時だった。
「マハール、大変。早く来て!」
モナの慌てた声が届いた。
モナの大変は、さほど大変ではではない場合が多い。
「なによ、なに?」

家の中に入ると、家族全員が、揃ってテレビにかじりついている。
画面を見ると、洪水、瓦礫、土砂流の様子が映っていた。普段いやというほど見ている台風の傷跡風景である。
「マハール、これ、レガスピに行く途中の道路よ」
「はあ?」
「ほら、火山の溶岩が流れた跡で、まだ工事しているところがあるでしょ、あそこ」
「これ、いつの画面?」
「いま」
「へ?」
「人も死んだって言っているよ」

未明からの豪雨で、山から流れ出した土石流が民家を押しつぶし、道路をふさいでしまったようだ。
そこは数年前に、近くにある活火山マヨンが噴火した際に流れ出した溶岩の道ができており、周辺には大きな溶岩の塊が、ごろごろと落ちている。
未明からの豪雨がマヨンの頂上近辺の土砂をすくい、噴火の時にできた溶岩の道をつたって、流れ落ちてきたようだ。

なぜそれでみんなが慌てているかというと、実は翌日は、僕のフライトに日だったからだ。
タバコシティーへメールが入り、急遽マレーシアへ出張となったために、翌朝レガスピからマニラへ、そしてその夕方、マニラからマレーシアのクアラルンプールへ飛ぶことになっていた。

チャイ○エ○ラインの往復チケットの件では、帰りの分をどうするかと迷っていたが、結マレーシアから日本へ帰ることになったので、キャンセルすることにしていた。

マニラからマレーシアまでの航空券は、既に購入している。その精算はマレーシアで行われることになっていたので、もしマレーシアにたどり着けなければ、その分は自腹を切るはめになる可能性があった。しかも、もともと持っているチャイ○エ○ラインの日本への帰国便チケット日付は、翌々日である。
翌々日のレガスピからマニラ行きの便に乗ったとしても、チャイ○エ○ラインのマニラから日本への便は午前の離陸で間に合わないから、直接日本に帰るとしたら、どちらにしても翌日のマニラ行きに乗る必要があった。

尚且つ、5日後には日本で大切な仕事が控えていた。その仕事を逃すと、僕の当てにしている大きな収入が無くなってしまう。直接日本に帰るとしたら、マレーシア行きのチケットを捨て、新規に日本行きの航空券を買い直す必要がある。

つまりは、翌日のレガスピからマニラ行きに乗れなければ、全てがうまくいかず、2重、3重の損害を被ることになり、僕は様々な点で窮地に陥るのだ。

モナの心配・どうする攻撃が始まった。インターネットでみる限り、大きな低気圧はフィリピン全土をほぼすっぽりと覆っている。予想図を見ると、翌日もその状態に変化はない。ほとんど絶望的な状況だった。
僕は既に、翌日のマニラ行きは諦めていた。
「どうするって言われても、どうにもならないなぁ」
「じゃあ、どうする?」
「マニラ行きは諦めるしかないでしょう」
「それじゃどうする?」
「どうするかなぁ〜、なるようにしかならないなぁ」
「アコ心配だなぁ、それでどうする?」
「マハール、あなたの質問に答えていても、この会話、終わらないじゃないか」
「そうね・・・で、どうする?」
「・・・・・」
いくらどうすると言われても、なるようにしかならないのである。祈りを捧げて天候が変わるものなら、とっくにそれをやっている。
マレーシア行きは夕方であるから、レガスピから飛び立つ便が2時間や3時間遅延になったとしても、十分間に合う。とにかく明日は、レガスピまで行ってみようと言った。

「マハール、明日は洪水になったところを歩いて渡るかもしれないから、半ズボンにビーチサンダルを履いてね」
それがモナからの忠告であった。

さて翌日、朝5時前に起きてみたら、青空が広がるピカピカの天気になっていた。天気予報が見事に外れたのだ。衛生画像に写っていた広大な面積の雲は、いったいどこへ姿を消したのか。
いずれにしても、飛行機は問題なく飛びそうである。あとはレガスピの空港へたどり着けるかどうかが問題だ。寸断された道は、無事に通れるのだろうか。

空港までは、ダディーがトライシケルで送ってくれることになっていた。
妊婦は大変だから、モナには家で待っていろと言ったが、どうしても一緒に行くといい、仕方なく連れて行くことにした。結局狭いトライシケルに、ママとベルも加え、一家総出で空港へ向かうことになった。
僕の恰好は、前日のモナの忠告に従い、Tシャツにジーンズの半ズボン、そしてビーチサンダルである。

問題の道にさしかかると、とりあえず通行止めにはなっていなかった。周囲の民家では、家の中からスコップで泥をかき出す作業が、至るところで行われている。
舗装の途切れたでこぼこ道は、トライシケルにはなかなか厳しい。一度ぬかるみにはまり、脱出不可能かと思われる事態になったが、ダディーが踏ん張り無事に抜け出すことができた。トライシケルは前後左右に大きく揺さぶられながら、なんとか問題箇所を抜け出すことができた。
そのあと続いた道路は、しばらくの間砂が覆い、舗装路がまったく見えない。そこが土砂の川になっていたことが容易に想像される。

ちょっとした冒険気分で臨んだ40分の旅路を経て、無事レガスピ空港に到着である。
はちきれそうなモナのお腹を見て、モナにできるだけ早く戻ると伝えた。しばしのお別れである。モナが涙ぐんでいた。別れ際に彼女が涙ぐむのは、初めてのことである。
やはりもうじき生まれるという状況が、彼女を不安定にさせるのだろうか。

約2週間のフィリピンであったが、あっという間に過ぎた気がする。2週間は本当に短い。
そしてこの2週間に、また新しい発見が様々あった。いつ訪れても刺激的なフィリピンである。

レガスピ空港内では、少しイラッとすることがあった。
手荷物検査の際、係員が僕のライターを見つけた。最初はさして気にもしていなかったのだが、一旦火をつけて、それがターボライターとわかったとたんに、没収だと言い出した。日本のコンビニで買った200円のライターなので、取られてもたいしたことはないのだが、内容を確認してから没収と決めたようなので、それにカチンときたのだ。

「一個までは持ち込み可ではないですか!」
「いや、一個でも持ち込みはできない。預かり荷物に入れる必要がある」

僕はルールを書いたペーパーを見せろと言いたかったが、時間がなかったので諦めた。
本当のルールはわからないが、前回は目の前で普通の100円ライターを一回火をつけて、オーケーと言いながら返してくれた。
今回取られたライターは、その係官のポケットに入るような気がしてならない。
日本人が何でも言うことをきくと思ったら大間違いだと、少し見せたかった気がした。
彼らは日本人が、気前の良い人種だと思っている。少し脅かしたら、ちょっとしたものでもすぐに差し出すと思っているような節があるのだ。

飛行機は予定通り飛び、40分の飛行でマニラへ到着。フィリピンエアラインは、時間に正確である。フィリピンエアのターミナルから、今度はタクシーで国際線のターミナル1へ移動。マレーシアへのフライトは夕方だというのに、あっという間に到着してしまった。
まずはチャイ○エ○ラインの復路分をキャンセルしなければならない。
セキュリティーに要件を伝え、名前を記載した後、出発ロビーに隣接するビルの4階へ向かう。
オフィスで復路のキャンセルを申し出ると、担当の男性は明らかに不機嫌な対応になった。
ビジネススケジュールが急に変更になって、申し訳ないと、マレーシア行きの電子チケットも担当者の男性に見せる。彼は無言でそれを受け取り、ジィーと確認をした後、キャンセルを受け付けたと言った。その際、何か追徴金があるという話は一切無かったので、僕はホッとした。追徴金があるなら、その場で言うべきなのだ。何も言わずにキャンセルを受け付けたということは、普通は後からとやかく言えない。あくまでも日本感覚での話しであるが。

時間が有り余る中で、空港の内外をうろうろしていたら、意外なものを発見。
Ninoy Aquino International Airport、通称NAIA(ナイア)のターミナル1(実際にはこのターミナル1をみんなNAIAと呼んでいるようである)の中で、日本の日の丸を発見したのだ。そしてそこには、このビルディングは日本のODAで建設されたと書かれている。フィリピンの一番の玄関口までODAで建設されたというのが、驚きだった。

さてここでまた、少しがっかりすることがあった。イミグレーションエリアに入る際、チケットとパスポートチェックがあるが、その係官が日本語で、「お腹すいた」と言うのである。僕が「は?」と言うと、その男はお腹を触り、再び「お腹すいた」と繰り返した。
僕は英語で、「何を言ってるのかわからない」と言い返して無視をしたが、彼の意味するところはチップをくれということなのだろう。
この空港で働く人には、この手の人間が多い。以前セキュリティーチェックでは、どうせコインは要らないだろうから置いていけと言われたこともある。
なぜもっともっとプライドを持って、毅然とした態度をとれないのだろうか。自分の国の玄関口で、外国人相手にそんなことをしていたら、自国の恥をさらすようなものである。僕はそのことに、少しがっかりするのである。彼のサラリーがいくらなのかは知らないが、少なくとも彼は、前々回の記事で書いたような貧困層ではない。立派な職に付き、食べたり飲んだりできるのだから。
新しくできたターミナル2(フィリピンエアライン)では、これまでのところ、このようなことは一切ない。

そして僕は夜の9時過ぎに、無事マレーシアのクアラルンプールに降り立った。
クアラルンプール空港は、アジアNo1の空港である。何もかもがピカピカで、たくさんのブランドショップがひしめき合い、24時間眠らない大空港だ。
立派な格好をした欧米人、地元の人が多数いる中、半ズボン、ビーチサンダルの僕は、東京のど真ん中で麦藁帽に網と虫かごをもって高層ビルを見上げているのと同じくらい、思い切り周囲から浮いていた。
途中いろいろあったが、とりあえず無事たどり着いたのだから、良しとすべきかと、僕は空港をそそくさに立ち去った。

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