フィリピーナと共に
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2009年10月27日

15.フィリピンも変わるのか?

午前中は大音量のラジオ放送が、狭い家の中に響き渡っている。さほど音質の良くないラジオ放送は、とてもレトロな雰囲気をかもし出している。
僕の子供の頃にも、家には大型のラジオが一つ、食器棚の上に乗っかっていた。ラジオは庶民の貴重な情報メディアだったような気がする。
とても懐かしい気がした。

ラジオの内容はあまり気にしていなかったが、ふと赤鼻のトナカイの歌が流れていたので、モナに訊いた。
「フィリピンは10月からクリスマスシーズンなの?」
「そうよ。October(10月)November(11月)December(12月)は、みんなバーが付くでしょ。バーがついたらもうクリスマスよ」
「あ〜、そうなんだ」
初耳だった。また一つ賢くなったような気になった。

それにしても大音量である。そういえば、普段見るテレビの音量もでかい。
初めてフィリピンを訪れた時に、タクシーの中でラジオが大音量で流れていたので、なぜあんなに大きな音を出しているを訊いたことがある。
そしたら「速い(早い)、寒い、大きい(音量)」が、タクシーの3大サービスだと聞いて、そんなものなのかと、少し疑問符をつけながらも納得した記憶がある。
確かにどのタクシーもその通りで、運転は怖いと思うほど急発進、急停車にスピード凶、室内は何か羽織るものが欲しくなるほどエアコンが効き、加えて大音量の音楽。
全てが迷惑なくらいのものなのに、それが3大サービスというから面白いと思った。
人間は、無いもの、不足しているものを求めるのだから、速い、寒い、大きいが、フィリピンでは不足していて、提供されると嬉しいものの一つなんだと、勝手に理解した。

色々と歩き回っていると、店先に大きなスピーカーを置き、大音量で音楽を流している店が目に付く。これはフィリピンだけでなく、中国でも同じだ。
だから街にでると、どこを歩いてもいつも何らかの音楽が耳に入ってくる。

しかし街の中だけではない。住宅地を歩いていても、玄関を開けっぱなしにした家から大きなテレビの音や、重低音を伴った大音量の音楽が鳴り響いてくることは、日常茶飯事である。


ある日ジャマイカの家で、フィリピンのパナソニックで働いているモナの一番下の弟が送ってきた、DVDコンポを開梱した。送ってきて半年も放置されていたのだが、せっかくあるのだからと僕とモナの部屋に、とりあえず設置することになったらしく、その配線をお願いされた。
「配線はできる?」と訊かれ、多少オーディーに凝ったことがある僕は、自信満々に「勿論」と答えた。

早速開梱となったが、なぜか次々と大きな箱が、部屋に運び込まれてくる。なんでこんなにたくさんあるの?と思いながら、箱を良く見ると5.1CHサラウンドと書かれていた。

配線をなめきっていた僕は、その製品を前に困ってしまった。スピーカーが7個もあり、どれがメインスピーカーで、どれがサラウンド用なのか、さっぱりわからない。
これは説明書を見なければわからないということになった。

説明書は複数の製品の共用取説となっているために、よく見ないと理解できない。思ったよりてこずっている。
サブウーハーってどれ?メインスピーカーは?と、実物と説明書の写真を照合しながら、ようやく接続完了。音を出して確認をしたいが、手元にはDVDもCDもなかったので、とりあえずラジオで音を聞いてみることに・・・。
FM用の簡易アンテナとAM用のループアンテナを接続し、スイッチを入れてみると、FMを一局だけ拾うことができた。
重低音を伴う、僕に言わせると「海外の音」が、そのシステムから飛び出してきた。

モナが「これ、カセットテープは聞けないのかなぁ」と言うので、「そんなものあるわけないじゃない!」と僕が言い終わるか終わらないうちに、モナがボタンを一つ押すと、カパッとフロントの一部が手前に開き、カセットテープ挿入口が・・・。
「あら?・・・あるね、カセットテープ・・・」
「あったね、へへへ」

とにかく大きくて、ごてごてしていて、何でも付いている。電気を入れるとものすごい大きな音が出て、とにかく存在感が重視されたような製品である。

日本でも昔はそうだった。大型オーディーがもてはやされ、山水、マランツ、アカイなどのオーディオ専門メーカーが大型製品をラインアップし、僕を含めたオーディーマニアは、いつも店の中で視聴しながら、ばか高い製品を羨望の眼差しで眺めたものである。
しかし現在の日本は、場所を取らない小型でシンプルなものが主流となり、かつて全盛を極めたオーディオ専門メーカーは、ほとんど姿を消してしまった。
市場の価値観が変わり、ニーズが完全に変化したためである。
今日本で、一本50万円もするスピーカーを購入したなどと自慢すると、お前馬鹿じゃないの、などと言われかねない。それですごいなぁ、いいなぁなんて話は、根強い一部のオーディオマニアだけの話になってしまった。

僕もそのDVDシステムをくれると言われても、あまり嬉しくはない。もっとコンパクトで、音が良いシンプルなシステムが欲しい。今日本で使っている、JBLのプリアンプ付き小型スピーカーとi-podがあれば、十分である。DVDが欲しければ、小さなプレーヤーを一つ買えばいい。
その話をモナにしたら、「そう?」と納得していない様子。彼女はそのごてごてのシステムを、そのままずっと部屋に置きたいようだった。


そんな様子を見ていると、フィリピンは日本の軌跡を後追いしているようにも思える。
今はフィリピン人にとって、大きくて派手な存在感のあるシステムがいいのだろう。

おそらくフィリピンだけではなく、経済が充実する過程では、どこでも似たようなことが起きるのではないだろうか。
とすると、今後フィリピンでは電気製品の話だけではなく、他の様々なものが日本と同じように変化していくかもしれない。実際にマニラでは、女性の服装が変化している。

今フィリピンは、僕が子供の頃、もしくはもう少し進んだあたりにいるような気がする。
ファーストフードが充実している点などは、部分的にはもっと進んでいる。先進諸国の資本がどんどん入り込んでいるから、その流れは日本よりも速いかもしれない。

これからフィリピンでは、少子化が起こり、親戚付き合いや近所付き合いが希薄になり、核家族化が進み、価値観の多様化が起こり、差別化が進み、伝統文化がないがしろにされていくかもしれない。
それがフィリピンにとって幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか、日本を振り返ってみても、判断できないのであるが、今のフィリピンを見ていると、良いものがたくさん失われそうで、淋しい気がしてしまう。
しかしそれは、経済発展を既に遂げた日本人のエゴであり、身勝手な感傷と言われても仕方がない側面がある。日本も戦後は、アメリカに追いつけ追い越せの精神で邁進し、それなりの経済的恩恵を受けてきたのだから。

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2009年10月26日

14.貧困社会の心理

僕が宿泊していたホテルの隣には、フィリピン料理のファーストフード店がある。日本のマクドナルドのような店を想像してもらえばよいのだが、店舗内道路側は客席になっていて、大きなガラスから中が見渡せる。
そのガラスの外側が、ちょっとした軒下になっており、そこに一人のホームレスが住んでいた。彼は日本のホームレスのように、ダンボールなどで家を作っているわけではない。いつもただそこに座っている。
僕は前回3月にフィリピンを訪れた時、彼の存在に気が付いた。ホテルに住んでいると、必然的に毎日彼と顔を合わせることになる。

僕は前から彼のことが気になっていた。それは彼が、あまりにも無防備に見えたからだ。日本で見かけるホームレスは、ホームレスとは言っても棲家の中にはそれなりの生活感がある。簡単な寝具があり、防寒用の新聞紙を用意し、読むための拾った雑誌があり、ペットボトルに水がある。移動するときには、ナップザックなどを持っていたりする。
僕は昔、自転車で全国を駆け巡っていたときに、ホームレスと一緒に1週間ほど生活をしたことがあるので、彼らの生活実態が何となくわかる。彼らは死なないように、食べ物や飲み物、そしてお金さえもしっかり持っているのだ。頻繁にワンカップ酒を自動販売機で購入するので、どこからお金が出てくるんだと、驚いたものである。
彼らには仲間もいて、グループを作ってお互いに助け合って生きている。

しかしフィリピンで見かけた彼には、そのような最低限のものが全くない。擦り切れた半ズボンとランニングシャツを着て、裸足でそこにいるだけだ。身に付けているものは、プラスティック製のピンクのコーヒーカップ一つだけである。ホームレス仲間は一人もいない。孤独にそこで、たたずんでいるだけである。

一体どうやって生きているのだろうか。彼に対する僕の興味はそこから始まった。

一度、ホテルのベランダから外を眺めていると、そのホームレスがピンクのコーヒーカップを持って、道路を渡っている。道路の向かい側には、ポリスステーション(交番)があるのだ。彼がおまわりさんに、コーヒーカップを差し出すと、おまわりさんはそれを当然のように受け取って、交番の奥へ姿を消した。そして、カップの中に水を入れて、彼に戻したのである。
「あ〜、飲み水はこうやって、手に入れているんだ」
それを発見したのは、前回訪比した3月の話であった。

モナの話しによると、彼は知能障害をもっており、病気だと言っていた。もう何年間もそこにいて、町ではちょっとした有名人だそうである。
ファーストフード店に出入りする人間に手を差し出し、お金や食べ物をお願いしているが、しつこくはない。僕も何度もお願いされたが、どう対応して良いのかわからず、いつも戸惑っていた。

ある日みんなでファーストフード店で食事をした後、店を出たら彼が手を差し伸べてきた。
「マハール、コインあるでしょ?それ彼にあげて」
「おお、あるよ、あげて、いいの?」
「オーオー、大丈夫よ。彼は病気だから可愛そうでしょ」
僕はモナに促されて、初めて彼にお金をあげた。彼はにこりともせず、ありがとうとも言わなかったが、ペコリと頭を下げた。

「そうか、お金をあげていいんだ・・・」
僕はわずかなコインがもったいないわけではない。彼に得たいの知れない恐怖を感じていたわけでもない。ただ単に、どのように対応して良いのかわからなかっただけである。
自分が若い時に、日本でもたまに同様のことがあった。街で偶然見かけた困った人を助けたい気持ちがあっても、どうしてよいのかわからないという、それに似た感覚である。


後日僕は、ファーストフード店の店員が、彼にハンバーガーを手渡しているのを偶然に発見した。彼は僕がお金をあげた時と同じように、ペコリと頭を下げてそれを受け取り、地べたに座りながらハンバーガーにかぶりついていた。
普通ファーストフード店のまん前にホームレスが陣取り、店を出入りする客に物乞いをしていたら、そこから立ち退いてくれと文句を言いそうなものだが、店員は逆に、彼にわずかな食料を提供しているのだ。

また違う日の朝、ファーストフード店で注文品したものを待っていると、彼が店に入ってきた。
店員の一人は何も言わずに、販売用のプラスティックのドリンク容器に氷と水を入れて彼に手渡した。その時に、会話は一切なしで、勿論お金のやり取りもない。

そんなことが、あまりにも自然に行われていることに、僕は驚いていた。
きっと彼は、みんなのわずかな施しを受けながら、そうやって何年も生きているのだ。
誰も彼を怖がることがなく、疎むこともなく、可愛そうだからとできる範囲で助けている。
いや、特に目をかけているわけではなく、しかし阻害しているわけでもなく、さりげなく自然に、気付いた時だけ助けてあげる。ホームレスの彼が、誰かと親しげに話をしているのは見たことがない。
ホームレスと住民のそのような絶妙な距離感覚は、これまで見たことがなかった。

行政はそんな彼に、救いの手を差し伸べることはないそうだ。そのようなシステムがあるかどうかも僕にはわからない。
しかしもしそれがもし日本で、行政の保護が全くなかったとしたら、彼はとっくに死んでいるだろう。フィリピンのその町だから、生きているようなものだ。
キリスト教の教えがあるからか、それとも長年培ってきた助け合いの精神からか、とにかく住民の懐の深さが、彼を生かしていると思えるのである。

僕がそんな様子に驚き、なにかを発見したような気になるのは、きっと僕が日本人だからではないかと思うようになった。
日本人とフィリピン人との間で、何か決定的な違いの一つをそこに見ているような気がするのである。

どん底の貧困の中で、そこから這い上がることできた人は、まだ底でもがいている人を助けるというのが、貧困社会の常識という話を聞いたことがある。それはフィリピンの話ではない。フィリピンなどはるかにましという、アフリカの話である。
しかしそれは、フィリピンにも共通するものがある。フィリピンにおける家族、親族の助け合いの精神というのが、それに通じていると思われるのだ。

基本的に食べることができないアフリカの一部では、キリスト教の教えなどくそ食らえである。
信じたら食っていけるのであれば別であるが、食えないものには基本的に興味はない。
これはキリスト教を侮辱しているのではない。アフリカでは、貧しい人を少しでも救うために、自己犠牲をいとわず親身に活動をしている神父様が、大勢いらっしゃることは良く承知している。食べることができないほど絶望の淵で喘ぐ住民の、心理の話をしているだけである。
しかしそんな社会でも、そこから這い上がった人が貧しい人を助ける。
だからこのような行動心理は、実は宗教的な教えとは、関係ないのではないかと言いたいだけである。
とすれば、裕福な日本人が、貧困社会の常識を理解するのはかなり難しいと言える。
いや、貧しさそのものを理解するのが難しい。


マニラや大きい街では、ストリートチュルドレンが大勢いる。
彼らは道路で待機し、車・タクシーが信号待ちで停車すると、すぐにそばに寄ってきて、窓の外からちょうだいポーズをしてくる。
僕は最初、子供たちが、なぜあのような危険を冒して道路に出ているのか、よくわからなかった。
それは、車を持つことができる人、タクシーに乗ることができる人が、他人に多少のお金をあげることができる余裕のある人だということを、彼らがよく知っているからだということに、僕はこの前の訪比でようやく気が付いた。
余裕の無い人が、余裕の無い人にお金をくれとお願いするのは、具の骨頂である。タクシー代を払える人が余裕のある人だと見分ける、一番手っ取り早い判断基準なのである。
日本人は、本当に貧しいとはどのようなことなのかを知らないので、貧困というものを想像できない。本当に貧しい人の行動心理もわからない。だからすぐに、そんな簡単なことにも気付かないという一例である。

タバコシティーのホームレスの彼も同じである。
タバコシティーの彼が、ファーストフード店で食事ができる、余裕のある人をターゲットにしているということは、理にかなっているのである。
以前書いたように、ファーストフード店の価格は、決して安くはないからだ。日本でのファーストフードは、手軽な食事どころの代名詞的存在であるが、フィリピンではとてもそうは思えない。朝食セットを1つ頼んだだけで、200ペソ(400円)近くとられるのだから、その金額は日本と大差ないと考えて良い。全体的な給料が、日本の何分の一という経済状況で、そのような価格で勝負するファーストフード店が、大成功を収めている方が、僕には不思議でならないほどである。

ホームレスの彼は知能障害があっても、そこにいた方が実入りが多く、生きていける可能性が高いことを、本能的に知っているのではないだろうか。窮地に追い込まれたら、生きることに関しては研ぎ澄まされた嗅覚というものが芽生えるような気がする。
そこから派生する様々な感覚や考えは、日本人には中々理解できない。


フィリピーナと結婚をした日本人が、フィリピンでの家族・親戚の助け合いを理解できないという話をよく聞く。
その背景に貧困というキーワードがあるのであれば、それは当然のことかもしれない。

僕はここまで書いて、かなり的外れなことを言っているのかもしれないと思うところもある。自信を持ってこれを書いているわけではない。自分自身が理解できていないことを述べているのだから。
しかし、何かそこにヒントが隠されているような気がしている。

どん底に陥った人、傷ついた人だけが、他人の痛みを心から理解できるという。それは本当の話である。しかし、日本人の言うどん底という姿は、まだまだ甘いという実態が、世界には多くあるというのも事実である。
そのような社会の心理を理解するのは、並大抵はない。

フィリピンは今、どん底の貧困社会というわけではない。
しかし、そんな過程を経て、社会規範や心理を醸成してきたと言える。
もし自分のパートナーの行動が理解できない人がいらっしゃるのであれば、そんな視点で考察してみるのも、一つの手かもしれない。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:14.貧困社会の心理
2009年10月25日

13.戸惑うオープン感覚

前回ダディーの病気で少し暗い話と、そして父親と娘の会話とは思えない、とてもオープンな雰囲気を少し紹介したが、一緒に暮らしていると、そのオープンさで少し戸惑うことがある。

それはモナの僕に対する接し方である。
どこかへみんなで一緒に出かけると、両親やおばさんが一緒でも、モナは手をつないでくる。最初はそれが少し、抵抗があったし恥ずかしかった。
僕とモナのママとの歳の差は2歳、ダディーも6歳しか違わない。
僕がモナと同世代で、若い二人が仲良くしている姿は微笑ましいなどと言われるくらいなら気にもしないが、いくら実際の年齢より若く見えると言われても、僕は正真正銘46歳である。(実はブログを始めてから、また1つ年輪が増えてしまいました・・T_T )
他人に言わせると、若い彼女が甘えてくると、可愛いでしょうということになるらしい。僕も他人事であれば、きっとそうに違いないと思ったはずだが、実際に直面すると、当惑する方が多いのである。

しかしモナの甘えは、それだけにとどまらない。
家の中で、何かあるごとに軽いキスをしてくるし、僕が何かをしている時は、後ろから抱きつき気味で話しかけてくる。僕はそんな時、モナの両親がどこで何をしているかを、キョロキョロと確認し、ダディーと目が合うと、とてもばつが悪くなる。
ほぼ結婚が決まっていて、お腹の中には子供がいたとしても、ダディーにとっては娘である。その娘が家の中で、よその男といちゃついているのは如何なものか。いや、決していちゃついてはいない。あくまでもモナの一方的な行為である。それでも日本流で考えると、ダディーのひんしゅくをかっても、おかしくはないと要らぬ心配をしてしまう。同時に気恥ずかしい。
僕の考え方が古いのだろうか。ママも何も言わないし、何とも思っていない節はあるのだが・・・。


ある日ジャマイカの家で、僕は床の上に敷いたラグカーペットの上に寝そべりながらテレビを見ていた。
ニュースは毎日のように、台風の被害を報道している。よく見ると、毎日同じ映像が使用されるので、言葉のわからない僕には、過去を振り返って何度も繰り返し同じニュースを流しているだけなのか、それとも何か新しく発生した事態の補足で同じ画像を使っているのかよくわからない。
フィリピンの台風被害の凄まじさは、何度も見せられて頭に刷り込まれてしまった。
レスキューが自分の危険をかえりみず、人助けのために必死になっている姿や、避難した人たちに救いの手を差し伸べる公的機関やボランティアの人たちの姿をテレビ画像を通して見たときには、フィリピンも他の国同様、使命感を持って仕事をする人たちが大勢いるのだとわかった。

チャンネルを変えると、バラエティー番組をやっていた。番組の中でお金を手に入れるプログラムである。この手の番組が、フィリピンでは実に多い。
芸能人ではなく、一般の人が何かでゲームに参加するチャンスを得る。そしてファイナルゲームの中で、得ることのできる金額がどんどん増えていく。金額は日本円で100万や200万という話だ。自分が手にすることができる金額が増えていくたびに、おばさんが喜びを体全体で表現しながら、狂喜のあまり我を失う姿を見て視聴者が喜ぶという、そんな番組である。獲得金額が増えていくと、ブラウン管の中の参加者と共に、テレビの前にいる視聴者もヒートアップしていくというのは、普段のモナの家族を見ていてわかった。

そして面白いのは、コマーシャルが、昔日本で見たことのあるものが多いことだ。例えば子供が白い運動服を着て、どろんこになり遊び回る。そして二着の泥だらけになった運動服を、2種類の洗剤が入った水につけて、この製品はもう一方と比べ、こんなに白くなりますというCM。その作り、雰囲気が、まるで昔見たものにそっくりである。他にも同様に、あれ?と思うものが多い。
なるほどアイディアというものは、新しい物が全てではなく、他国になれば古いものでもそれが通用する。これからテレビが出回りそうな国にいけば、僕もTV作家やCM作家で通用するかもしれないなどと、くだらないことを考えたりしてしまう。

ついでにもう一つ申し上げれば、トレンドドラマのストーリーにはあるパターンがある。
それは恋愛三角関係ものが多いということだ。自分の親友が、自分の恋人と愛し合う関係になってしまうストーリーである。だから言葉がわからなくても、なんとなく話しの筋がわかり、ついついはまって見入ってしまう。
男優はイケメン、女優はものすごく綺麗な人が多い。やはりフィリピンは美人が多い。フィリピーナはアジアの真珠だという言葉を、テレビに登場する数々の美女を見て思い知らされる。

いつもそんなことを考えながら、タガログのテレビ番組に、意味がわからないながらも集中している。
その時もそうだった。英語の番組は見ていて疲れるが、タガログの番組は頭を使わず見ることができる(もともと言葉がわからないから)ので、逆に僕はテレビ画像に引き込まれるように見ている。
そこへペイントのチェックを終えたモナがやってきて、僕の横へ並ぶように寝転がると、僕の腕を自分の頭の下に持っていき、腕枕を作ってから僕に寄り添うようにしてテレビを一緒に見始めた。家の中には、モナの家族がいる。叔父さんも叔母さんもいた。少し気が引けたが、その時2階には誰もいなかったので、まあ良いかとそのままテレビを見続けていた。
しばらくリラックスムードで、二人で話をしたり、テレビを見たりしていたが、そこへダディーがやってきて、僕の横にちょこんと座り、壁を背もたれにして任天堂のDSでゲームを始めた。最近はダディーは、よくゲームに没頭している。
しかしモナは、ダディーがいようがお構いなしで、話をしながら僕の胸に顔をうずめ、抱き合うような恰好にまでなった。
「マハール、背中いたい。ちょっとマッサージして」
「どれどれ、こ、ここ?」
「そこそこ、あ〜、気持ちいい」
「お、おい、変な声だすなよ。あなたのお父さんが、間違うでしょ?」
僕はダディーと言わずに、完全な日本語でモナに言う。
モナの気持ち良いという言葉とは裏腹に、僕は少し居心地が悪くなっていた。

さほど歳の違わない男に娘が抱きついて寝そべっていて、その脇では娘の父親がピコピコとゲームをしている。ふ〜む、少し不思議な光景かもしれない。本当にこれでいいのだろうかと、僕は真剣に思っていたのだ。
しかしダディーは全く意に介さず、ゲームに夢中でピコピコやっている。モナも全く気にしない。僕だけが何となくやましい気分になり、気まずい気分で、テレビを見る振りをしながら固まっている。

それは夜寝るときも同じである。
僕とモナ、そしてベルは、狭い家のリビングで寝ているのだから、寝始めの頃はダディーもママも、近くをうろうろすることがある。
モナは寝るときには、いつも僕に抱きついて、僕の胸や肩に顔をうずめて寝るのだが、ダディーやママが話しかけてきても、その姿勢のままで話しをする。
彼女は親の前でそのような態度をとることに、全く抵抗感がない。

実は僕は、モナの家で初めてシャワーを使うときに、ドキドキしていた。モナが体を洗ってあげるとか、一緒に入るなどと言いださないだろうかと思ったからだ。さすがに彼女はそこまではしなかったが、その辺に関する感覚は、明らかにモナやモナの両親は、日本の一般的な人たちと違うような気がする。
日本の古風な父親であれば、血圧があがり、「はしたない」などと言いそうなものである。

ダディーやママがモナに甘く、彼女の言うこと、することを何でも許すかというと、そんなことはない。
例えばみんなで外へ出かけるときなど、モナが下着が多少透けて見えやすいTシャツなどを着ようものなら、ダディーは顔をしかめてそれはだめだと着替えさせる。妊娠前の以前は、短いショーが入り、トパンツや少し丈の短いスカートも、まず間違いなくママやダディーのチェック駄目だしが出ていた。勿論過度に露出しているものではない。日本では、ある程度若い女性なら普通に身に付けているような服である。
僕はそんな時は逆に、モナの服は全く問題ないように思っているから、その古風な考え方に驚いたりもするのだ。
だから、そんな厳しいモナの両親の一面と、家の中での先ほど述べたような状況とのギャップに、僕の戸惑いは絶えないのである。

モナに言わせると、両親は色々と厳しいが、二人のことについては僕はもうモナの夫同然で、二人が仲良くすることは当然であるし、むしろ自分が幸せそうにしていることは、両親にとっては安心なことで喜ばしいことらしい。

余談であるが、モナとママの二人で、次のような話があったそうである。
ママはモナに、ちゃんとセックスをしてもらい、あそこを広げておきなさいと言ったそうだ。そうすれば、子供を産むときに少し楽になるとのことである。

「はあ?そんな話するの?」
「オーオー」
「それ、ほんとのはなしなの?」
「わからない。でもママの話はまじめな話」
「それで、あなたはなんて言ったの?」
「わかったって」
「その話をした時に、ダディーもいたの?」
「近くにいたよ」
「ダディーはなんか言ってた?」
「何も言わない。でも話は聞いてた」
「そうですか・・・」

やはりフィリピンは、なかなか奥が深いのである。

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