フィリピーナと共に
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2009年10月24日

12.ダディーの体調不良

ある日ダディーがお腹の脇を押さえ、苦痛に顔をしかめた。
3月にフィリピンに行った時も、わき腹付近が痛いと言っていたが、それがずっと続いていると聞いて、少し深刻だと思った。
ダディーは大の病院嫌いで、いくら家族に病院に行けと言われても、それまで絶対に首を縦に振らなかったようだ。

しかし、今は少しくらいはお金があるからと、モナが差し出した2000ペソ(4000円)で、ダディーがようやく検査を受けることを了承した。結局ダディーは、病院嫌いもあるのだが、お金のことも気にしていたのではないだろうか。
そして自分の体が普通の状態ではないと感づき、このまま放って置いたらまずいという気持ちと、とんでもない病気が発覚したらどうしようという恐怖が混ざった、複雑な境地で我慢していたような気がする。

フィリピンは日本のような健康保険制度がないので、医療費が高い。その時にも、検査代が750ペソ(1500円)、そして検査結果が出た後に処方された薬代が約1000ペソ(2000円)かかった。薬は一週間分である。一月では約1万円ほどの薬代がかかる計算になるが、その金額は日本人にとっても、安くはない金額である。

ダディーの検査結果は思わしくなかった。内臓のエコー検査結果をみんなで見る。ダディーとママは、既にドクターから説明を受けた内容を僕とモナに教えてくれた。その検査で、ダディーの腎臓に石があることがわかったのだ。石については、薬で溶かすようにしながら様子を見て、それで回復しないようであれば手術すると言われたらしい。単純に石だけであれば、それほど焦ることもない。確かにお金はかかるが、お金をかければ比較的簡単に直る病気である。少しホッとはしたが、それ以外にも問題がある可能性があるとのことで、後日再び再検査となったらしい。
ダディーは早々と、手術だけは絶対にいやだと宣言しているが、そんなダディーはママとモナに叱られて舌を出している。

その日から、ダディーは好きなワインをやめ、タバコも一切吸わなくなった。そして、食べるものにも、相当気を使い出した。
ママもダディーの食べ物には、とても厳しい。ダディーがたまにずるをして、肉を食べようとするとすぐに怒って止めさせる。僕は、石くらいでそれほど大げさにしたら、ますます体が悪くなるのではないかと思って見ていたが、口出しするのは止めておいた。
ダディーの食べることができるものは、魚と野菜だけである。米はカロリーが高いと言い、主食もパンに切り替えた。(これは本当かどうかわかりませんが・・)コーヒーは1日1杯。それ以外に、米を煎って作った米コーヒーを自家製薬だと言って、ダディーは自分でそれを作って飲んでいた。フライパンで米を煎ったものをつぶし、粉上にしたものを布でこしたものである。色は茶色で、見た目はコーヒーと大差ない。ダディーはそれに、僕が日本から持参したクリープを入れて飲んでみたらしいが、コーヒーと違い、相性が悪くとてもまずいと言い、それからは何も入れずに飲んでいた。
この米コーヒーは、頭痛の時などに飲むと効くらしい。
僕も味見をさせてもらおうと思いながら、ついつい忘れてしまい、試すことなく帰国してしまったので、次は是非試してみたい一品である。

そんな状況の中で、僕は一つ失敗をした。僕は日本の料理を作ってあげるといい、大根と鶏肉の煮物と、クリームシチューを作ったのだが、煮物は鶏肉でたっぷりとだしをとるため、スープ上に鶏の油がたくさん浮いているから、ダディーは禁止。そしてクリームシチューもギトギトしているので食すのは禁止となった。
作った料理は評判が良く、煮物はママやモナ、そしてシチューはベルやママの妹のテス、そしてモナが、美味しいと口々に言いながら、それをダディーの目の前でぱくぱくと食べている。フィリピンでは大皿に料理をよそい、それをみんなで取り分けて食べるから、それらの料理はダディーの目の前にあるのだ。ダディーは自分でもかなり料理をする人なので、僕が作った料理にとても興味を抱いていたが、自制半分、ママの禁止令が半分で、それらの料理に手を出すことができない。
あまりにもダディーが可愛そうで、我慢ばかりしている方が体に毒だと、僕が少しだけ助け舟を出したことで、ママからダディーに味見の許可がようやくおりた。
ダディーは喜んで、一口ずつそれらを味見していたが、僕はそんな様子を見ながら、モナも将来ママと同じように厳しくなるのだろうかと、そちらの方を心配しながら恐々としていた。

後日、再検査のための病院から帰ったダディーとママの顔がとても暗い。話を聞くと、検体はマニラに送られ、そこで精密な検査をするそうだ。わざわざマニラへ送るということに、ダディーがきっと自分は悪い病気だと、完全に意気消沈している。
マニラで検査することについて、それが意味することは何か、誰にも詳しいことはわからないが、モナも、マニラで専門家による検査が必要だということは、とても心配だと言い出した。
処方された薬についてモナと一緒にインターネットで調べてみたが、それは確かに腎臓の石に対応したもので、癌や他の重病用の薬を密かに処方されているわけではなさそうだった。
僕は、もしかしたら医療の世界でも、異常がないのをわかっていながら、お金を取るために特殊な検査をしたりするのだろうかと、そんな疑いも持ちながら、今回はよほどそれである方が良いと思っていた。

ダディーは周囲に心配をかけまいと、できるだけ明るく振舞っているが、時折見せる表情で病気を恐れていることが伝わってくる。


後日、この検査が結果が出た。それは僕が日本へ帰ってからのことである。
結果はC型肝炎だった。肝硬変には至っていないということである。
この結果に、ダディーもママも衝撃を受けたようだった。モナが連絡をしてきた時に、ママが泣いていると言っていた。

C型肝炎は、完治するのが難しいと同時に、治療費が嵩む病気である。
インターフェロンという薬を定期的に投与しなければならない。
肝臓の異常は、よく健康診断の血液検査で見かけるGOT値、GTP値の値を見て判断できる。その値の変化を観察しながら、タイミングを見計らってインターフェロンの投与するようだ。
ウィルスによる病気で、一般的には血液感染であるので、輸血、注射針の共用などで感染する。日本では、血液製剤による感染で有名になった病気だ。
僕は直接検査結果を見ていないので、病気の進行状況を把握できていないが、普段は普通に生活できたりする病気でもある。
ウィルス自体は何もしないのだが、体の中の免疫システムがこのウィルスを殺そうと活発に動き出すと、それがウィルスだけではなく、自分の肝細胞も壊してしまうという怖い病気だ。この病気は、肝硬変に移行すると高い確率で肝臓癌になると言われているが、肝臓癌になる時には、きっとその状態になっていることを指しているのではないだろうか。

ダディーは冗談を言ったりしているそうだが、心中は穏やかではないはずだ。治療はマニラで行う必要があるとドクターに言われたようで、治療費がどの程度かかるのかも説明があったようである。
それは僕の予想とほぼ一致した金額で、月に日本円で10万を少し越えるほどだそうだ。
ドクターからは、半年治療をして様子を見ると言われたそうだが、この病気との闘いは、5年や10年、もしくは死ぬまでというスパンで考えた方が良い。
最近日本では、C型肝炎は直るという宣伝をTVでよく見かけるので、場合によってはそれも考える必要がある。

僕は、できる限りのことをしよう、治療には勿論協力すると申し出たが、ダディーには、そんなことにお金をかけるなら早く家を完成させなさいと言われた。しかし家は、ほとんど住める状況になっている。そしていま作業を止めても、またあとで再開すればいいだけの話だが、病気は待ってくれない。
モナは、僕には責任のないことで、ごめんなさいと言ったが、今は僕は、ダディーと家族同然である。短い2回の滞在で、僕は本当にそれを感じている。
そして実は既にフィリピンで、僕とモナの結婚が成立している。それは数日前に連絡があった。思ったよりも早く手続きが完了したのだ。モナの姓は、既に僕と同じ姓となっている。つまり僕は、法律的にもモナのファミリーの一員である。
何よりも、僕がフィリピンへ訪れた時には、いつもダディーが色々な点でサポートをしてくれる。どこへ行くにも自分のトライシケルを出し、お願いごとにもいつも一生懸命に動いてくれる。そんなダディーには少しでも元気になってもらいたいというのが、僕の本音である。

とりあえず来月、僕がフィリピンへ行った時に、マニラで合流し、一緒に病院へ行くことで話がついた。モナは田舎で留守番となるが、おばさんのテスがいるので心配ないということで、1日か2日、我慢してもらうことにした。
これからどれほどのことができるのかわからないが、とにかくできるだけがんばろうということで、モナと確認をした。
僕の言葉で、ママやダディーは少し明るさを取り戻したようだ。

この話には、後日談がある。
冗談を言えるほど元気を取り戻したダディーは、今日、モナを通して僕にお願いごとをしてきた。
それは、今度フィリピンへ来るときに、gumを持ってきてくれというのだ。これはチャットでの話しなので、文字でgumと言われ、僕は「ロッテのガム?」というと、モナが「違う、コンドーム」と言う。
ママがコンドームがないと、ダディーとセックスしたくないというので、ダディーがそれを持ってきて欲しいというのだ。
僕はC型肝炎はセックスで移る心配は少ないと思っていたが、モナにそれは違うようだと言われた。そんな話よりも、娘にそんなお願いごとをするオープンさに、僕は驚きを隠せなかった。
ダディーはそれを、笑いながらみんなの前で、モナにお願いしたそうだ。

「それ冗談?」と訊いた僕に、モナは「わからない」と答えた。
「フィリピンでコンドームは売ってないの?」
「売ってるけど、自分で買うのは恥ずかしいって・・」
「そう?・・・わかった、それいっぱい持っていかないとだめ?」
「わからない、10ピースでいいんじゃない?だって、毎日じゃないでしょ?」
「はあ?それはわからないけど・・・とにかくそのくらいなら、買っていくよ。もし足りなかったら、僕がフィリピンで買ってあげる。自分で買うのは恥ずかしいだけなんでしょ」
「あなたは恥ずかしいはないの?」
「だいじょうぶ。しょうがないでしょ」

親のセックスの話で、僕とモナが真剣に話をしている。フィリピンは奥が深い・・・。

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2009年10月23日

11.フィリピンでの暮らし

フィリピンでの朝は早い。6時には全員が起床している。
僕の日本での生活は、睡眠時間が極端に少ないので、夜11時に寝ると朝は5時前に目が覚める。ベルとモナは、まだ布団で熟睡中だ。
ダディーとママも、同じような時間に起きだしてくる。年齢が近いせいなのか、妙に生活のリズムが一致するなぁと思いながら、小さなテーブルで3人顔を突合せ、モーニングコーヒーを飲むのが日課となっていた。僕はそのような、時間の流れに自然に身を任せたゆったりとしたひと時に、大きな贅沢な感じていた。

朝飲むコーヒーは、僕が日本から持参したコーヒーである。日本では炭で焙煎したコーヒーを豆のままで購入するが、フィリピンに持っていくものは、あらかじめ挽いてもらう。
それを僕が3人分入れるが、ダディーもママも、相当薄めてあげないと僕のコーヒーは濃すぎると言う。僕が、これではただ色がついたお湯ではないかと思えるくらいに、薄く入れたものが、二人には丁度よい濃さらしい。
今回は、日本からクリープも持参した。このクリープがとても評判が良い。フィリピンにも同じようなコーヒー用クリームは売っているが、それとは全く違う味わいだということだった。それはモナも同じことを言う。普段モナは、コーヒーに砂糖しか入れないが、今回はいつもクリープをたっぷりと入れ飲んでいる。

6時頃になると、ようやくモナが起きてくる。ベルの学校が7時からスタートするのだから、起床は遅くてもそのくらいの時間となる。そして朝食がテーブルの上に揃い終わる間際に、ようやくベルの起床となる。
よって、歳の順に起床の時間が早いというパターンである。

朝食には、必ずママが作るスクランブルエッグが登場する。そのスクランブルには、玉ねぎとトマトなどが入っていて、とても美味しい。ダディーは、日本にもそのスタイルの卵料理はあるかと聞いてきたので、ありますと言うと、それは調理がとても簡単だと話していた。
しかし、自分で作ったスクランブルエッグは、ママが作ったものに比べて数段味が落ちる。簡単な料理でも自分が作るものとは全く違い、これは本当に美味しいというと、ママはとても喜んでいる。それ以外にはソーセージ、野菜炒めやチキン、魚などがあり、加えてトーストとライスの両方が用意される。食事は野菜、肉、魚のバランスが意識的に考えられている。
朝からとても豪勢な食事だというと、食事は朝と昼は大事で、夜はお腹がある程度満たされたらそれで良いと言われた。理にかなったもっともな話で、事実夜の食事はいつも残り物で簡単に済ませる。
ただし夕方5時頃には、スナックと称して軽食を取る習慣があり、最初はそれがディナーだと勘違いしたものだ。軽食といいながら、時にはディナーさながらのボリュームがあるので、数時間後にまたディナーがあると思うと、信じられないという境地になる。
僕は今回、フィリピンへ渡航する前に体重が激減(マイナス6Kg)していたが、フィリピンへ行ったとたんに、きっちりと以前の体重に戻った。
しかし今回は、体重が戻ってもお腹は全く出ていない。モナは僕のお腹をペチペチとたたいたり触ったりしてチェックしながら、とても良い傾向だと言っていた。
とにかく痩せていることをきらうフィリピン人である。モナもママも、最初に痩せた僕を見て、もっと太らないとだめだと口を揃えて言うのだ。
以前からわかっていることなのだが、フィリピーナは恰幅の良い男が好きである。日本ではそれがメタボだと気にするレベルであっても、不思議とその方がもてる傾向がある。そのせいか、二人とも痩せているのはだめだといい、また痩せて見える服を着ようとすると、それも二人からチェックが入る。

ベルが学校へ行くと、外門と家の入り口の間にある小さな庭や、家の中の掃除が始まる。どちらの掃除も、時間を1時間ほどかけて、塵一つ見逃さないようにとても丁寧に行われる。日本で使うような掃除機は2つもあるが、それはカーペットだけに使用し、それ以外は全てほうきをつかう。掃き掃除、拭き掃除が終わると、次は洗濯。
洗濯も、なぜか洗濯機が2つもあるのに、たらいで手洗いで行われる。手洗いのためか、それに要する時間は3時間にも及ぶのではないだろうか。それだけ時間がかかるのに、なぜ洗濯機を使用しないのかというと、新しい洗濯機は使い方がわからない、古い物は使うのが面倒くさいということであった。
新しい洗濯機は、洗濯槽のドア扉が前面についた最新式に見えるが、よく見ると、確かにボタンやつまみの説明をよく読まないと、使い方がわからない。おそらく全自動であることには違いないのだが、ボタン一つで自動の設定が行われるわけではないらしい。購入してからすぐに一度使ったらしいのだが、どうしても自動排水しないらしく、新しい洗濯機はもったいないことに、まるで使用されないまま家の片隅に追いやられていた。
普通買ってきたばかりの洗濯機が動かなければ、購入した電気屋さんに問い合わせるなどするものであるが、ここの人は違うらしい。不思議である。もし不良品だったらどうなるのだろう。
ジャマイカの家へ持ち込んでから、本格的に使用するので、その時に設置を含めて、僕がみることになった。

フィリピンの家電製品ショップに行くと、電気製品全体は一見日本と変わらない品揃えに見えるが、売っている洗濯機は、半分ほどが2層式であり、また1層式の全自動に見えた洗濯機は、なんと脱水専用というものも多数置いてある。脱水専用なので価格は安いが、スペースと材料、お金の無駄に思えてしまうのは、日本人の発想なのだろう。全体的に所得の低いフィリピンで物を売ろうと思えば、そんなニーズにも応える必要があるのだろうなとあらためて思った。そのような状況であるから、乾燥機付き洗濯器などは皆無である。
白物は洗濯機に限らず、極力機能や材料代を削り、庶民が買いやすい値付けを心がけた製品が多いように思われた。
反面TVは大型液晶が売り出されているが、日本メーカー製は、日本で買うよりも随分と高い。全体的に日本で買うよりも5割増しから、メーカーによっては倍近い価格がついている。関税が多くかかっているのではないだろうか。


11時過ぎに一度ベルが学校から戻ってきて、みんなで昼食となるが、洗濯はメイド(ママの妹テス)がしてくれるので、ママは早い時間から昼食の準備をしている。
よく見ていると、ママは朝早くから朝食を作り、一段落すると昼食用の買い物に行き、帰ったらまたすぐに昼食を作り始めるので、午前中はずっと、家族の食べる物を準備することで一杯だ。それが毎日繰り返されて、日々が過ぎていき、そして歳をとっていく。ママは何年も同じ事を繰り返しながら、生きてきたのだろうが、そのことに不満を持っているわけではなく、そんな生活の中に幸せを見出して生きている。
僕はそんな生活をまじかに見て、生きるということに少しヒントをもらった気分だった。日本で暮らしていると、いつも何か良いことが起こることを望み、探し、いつの間にかそれがないと幸せになれないような気になっていることに気付く。同じ日々の繰り返しに、何か淋しい気になったりし、刺激や変化を求めたりしている。
しかし、大方の人の人生は、平凡な出来事の繰り返しだ。それであれば、その中に幸せを見出すような価値観を身に着けるべきではないのか。そんな視点で、自分の人生を見直してみるべきかもしれない・・・僕は日本よりも時間の流れが緩やかなフィリピンの中にいて、時々そんなことを考えていた。

だから僕は、フィリピンに日本らしい生活を持ち込むことに抵抗がある。設計の仕事をフィリピンで継続するのも、それ故に悩むところだった。できればそんな仕事はしたくないというのが、本音である。しかしお金がない生活苦も、家族内で様々な摩擦を生む。そんなことでギスギスしたくはない。
自分とモナとの間で、どこまで価値観を共有できるかという問題になるだろうが、やはり現実的なところに着地点を見出してしまいそうである。

僕のような庶民には、理想と現実のギャップというのは、常につきまとうものらしい。

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エントリー:11.フィリピンでの暮らし
2009年10月20日

10.フィリピンでの学校教育

結婚の話も先が見えて、モナの精神状態も安定してきたようであった。
モナの両親も一安心といったところである。彼女の両親も、モナと同じくらい気を揉んだに違いない。
二人の心配は、僕がモナと、本気で結婚をする気があるのかというところから、始まっていた。訪比をずるずると遅らせたことに、ダディーもママも疑心暗鬼の日々を送っていたことと思う。時折それが、モナとの会話に見え隠れしていた。
しかし遅くはなったが、僕はフィリピンへ行き、マリッジライセンス申請書にサインをした。これでお腹の中にいる子供が、父親のいない子供にならずに済みそうだと安堵したはずだ。

彼女の両親は、モナの幸せを一番に考えている。そしてモナが、生涯の伴侶は僕でなければだめだという、彼女の強い想いを良く知っている。
だから、二人のことに関して、両親はほとんど口を出さない。心配で仕方なく、そして何か想うところがあったとしても、二人の問題に口をはさむべきではないと考え我慢している節がある。

モナが僕に話していたことである。
「アコは一つ秘密がある。それ、誰にも言ってないよ。ヘイセルにも話してない。あなたがフィリピンに来てから話する」
僕はその言葉が、ものすごく気になっていた。彼女は親友のヘイセルには、何でも自分のことを話していた。しかしその秘密は、その親友にも告げていないと言う。
僕は、もしそれが自分にとってショッキングな話であれば、自分は平静を保てるだろうかと思っていた。そしてフィリピンに行ってから、僕はその秘密についてモナに訊ねたのである。
最初モナは、やっぱり話すのを止めると言い、僕もモナのその言葉に少し安心して、「そう?」と言ったきり、それ以上問い詰めなかった。僕もそれを聞くのが怖かったからである。しかし時間をおき、心の準備をしてから、やはりその内容をもう一度尋ねてみた。
「アコね、もしあなたが私と結婚できなかったら、新しいバハイ(家)ができてから、死のうと思ってた。バハイができたらファミリーはもう安心でしょ。たぶんそれ、アコが30歳の時よ」
「はあ?あなたの秘密って、それ?」
「オーオー」
「なに馬鹿なこと考えてるの?僕がどうしようと、あなたにはベルがいるんだから、そんなこと考えたらだめでしょ!大体なんでそれが秘密なの?」
「だってそれをあなたに言ったら、脅しているみたいでしょ!」
「はあ、なるほど・・・だから秘密か・・」
まったく違う毛色の話を想像し、僕はどきどきしながら聞いたのに、全く拍子抜けする話である。しかし彼女のその話は、全くの作り話にも思えなかった。

彼女は常々、「アコはあなたと初めて会った時から、あなたとずっと一緒したいって思った」と話す。「なんで?」と聞くと、「わからないけど、最初からドキドキしてたから」と答えるのである。
少々思い込みが激しくはないかと思える話ではあるが、彼女のその強い想いは、二人が出会った頃から強く感じていた。だから、二人が結ばれなければ死ぬという言葉が、まんざら嘘に聞こえない。
モナの両親は、彼女のそのかたくなな気持ちを、十分理解しているのだ。そしてそれだけに、心配の大きさも半端ではないはずである。


さて、フィリピンでのモナファミリーと共にした生活の話を少しずつ紹介していきたい。

モナの家は、タバコシティーの中心部から、自転車で3分、あるいても10分ほどのところにある。
ベルの学校は近い。歩いても十分通える場所にあるが、ダディーが必ずトライシケルで送り迎えをする。現地の小学校は、親が送り迎えをするのが普通のようで、一人で登下校している生徒はいない。一人だと危険だからそうだ。
ベルの学校は私立である。しかし公立の学校があるかといえば、それが見当たらない。以前モナに、公立はあるのかと訊いたことがあったが、ないと言われた記憶がある。
そうだとすれば、高い学費を払えない家庭では、子供を学校へ通わせることができないのかという話になるが、この辺の事情については、いつも詳細な話を聞くことを忘れてしまい、まだ確認していない。少なくとも小学校は義務教育のなので、学校へは行かせたくても、行けないという話はないはずなのだが・・。

タバコシティーに到着した日、ベルも空港まで迎えにきてくれていたが、午後から彼女は学校に行った。学校へ行く際、ベルがモナに耳打ちをしていったそうだ。それは4時に授業が終了したら、僕と一緒に迎えにきて欲しいというものだった。
ベルは感情をあまり表に出さない子供なので、そんな話を聞くと、すこし安心する。

4時になり、モナと二人揃って学校に行くと、廊下を歩いている辺りから「ダディーマーク!ダディーマーク!」という、複数の子供の声が聞こえる。
その言葉を発している子供たちの輪の中に、よく見るとベルがいた。
ベルは自分のお父さんが来るという話を、学校の友達に話しているようだった。
教室の前に着くなり、ベルは無言で僕の手を引っ張り、僕はそのまま教室の中へと連れて行かれた。教室の中には、大勢の父兄が子供たちが授業で使う椅子に座って、先生が教壇の前に立っている。そう、その日はたまたま、先生と父兄のミーティングがある日だった。

当然皆さん、こちらを一斉に見る。僕は頭を掻きながら、「どうも・・」という感じで軽く頭を下げると、年配の女性の先生が寄ってきて、挨拶をしながら僕の椅子を用意してくれた。ベルは6月に小学校に上がっていたので、その先生と僕は、それが初対面である。
座りなさいと促されるままに、僕はモナと並んで、まるで先生の授業を受けるような格好で椅子に座った。
ベルが学校の先生に、僕の話をしているというのは、前から聞いていた。

あとでモナと話しをしてわかったのだが、ベルのクラスには20人〜30人ほどの生徒がいて、その中で父親のいない子供はベルを含め3人だそうだ。ベルは自分に父親がいないことを、普通と違うと、昨年あたりから意識し始めているようである。
だから、僕が父親になることで、普通になれることに喜びを感じているらしい。

ミーティングでは、まず先生がゼスチャーを混ぜながら、地元の言葉で一生懸命父兄に何かを説明するが、僕には何を話しているのかわからない。
先生の話をよく聞いていると、時々英単語が混ざっているので、僕はそれを手がかりに、何の話をしているのかを想像し、頭の中でストーリーを作っている。そのうち辻褄が合わなくなると、「あっ、きっと違う話をしている」と思い直し、そしてまた新しいストーリーを頭の中で描きながら、話を聞く。
だから真剣に聞いているのだが、もしかしたら周囲の人は、僕がビコールの言葉を理解してるのかもしれないと、勘違いしていたかもしれない。

僕が数少ない英単語から想像したストーリーは、「子供たちにとって英語能力は大切だから、家庭でもそれに力を入れて欲しい。今学校では、プロの特別な先生を招いて、英語教育を更に充実させようと計画しているが、皆さんはどのように考えているか」というようものだったが、結果はまるで違った。
「子供たちはノートの使い方をわかっていない。ノートを前から順番に時系列に記入していくという概念がないので、私が生徒のノートを見ても、どこをチェックしたら良いのか、探すのが難しい。よってそれを家庭でも、きちんと指導して欲しい」ということだった。
なぜこれほど食い違うのか、自分自身でまるでわからない。もしかして僕が英単語だと思っている言葉は、実はビコールの言葉なのか・・・。
同じようなことを何度も繰り返し、僕の想像は常にパーフェクトに外れた。

そのうち父兄の一人が手を上げた。父親である。日本の学校の授業参観やPTA会議は、ほとんど母親が出席するというイメージがあるが、ベルのクラスでは父親が7〜8人来ていた。これも前述した通り、彼の話した内容に関する僕の想像はまるで見当違いであったが、その父親が相談をしたのは、次のようなことだった。

「自分の妻は、子供が勉強がわからないと、スパルタ方式で覚えさせようとする。暴力を振るうのだけれど、自分はそのやり方に反対だし、心配している。だから今日は、妻ではなく自分がこの場に来た。先生はこの件について、どのように思われますか?私はどのように対応したら良いでしょうか?」

このような話を、みんなの前で相談として持ちかけているらしい。日本では考えられないことである。日本の父兄であれば、そのような込み入った話は、会議の後でこっそりと先生を呼び止めて相談したりするだろう。

勿論先生は、「暴力を使って教えるのは駄目だ。それは子供のためにならないから、すぐに止めさせなさい。子供には、じっくりと教えながら、やる気を引き出してあげることが大切だ。親も根気が必要だが、それはとても大事なことだ」と、回答したそうである。

最後に、子供の成績表のようなものが配布された。僕はベルの成績表を見たが、それが良いのか悪いのかさっぱりわからない。細長い紙の右側には、科目別にBとかCとか書いている。そして表の下には、各アルファベッドの意味(クライテリア)が書かれていた。

簡単に言えば、Aが良くてEが悪いという、5段階評価となっている。
ベルの成績は、Bが半分、Cが半分、A,D,Eは無しである。
まあ普通なのだろうなと思いながら、それを持って廊下に出ると、二人の父兄が「あなたのところの成績はどうだった?」と言って、うちはこれだと自分の子供の成績表を僕の前に差し出した。見るとオールCとなっている。成績表を見せ合うのは、フィリピンスタイルなのかと、僕もおそるおそるベルの成績表を彼の前に出した。
彼らはそれをジィーと見て、うちはだめだなぁというようなことをボソッと言って、僕の前から立ち去った。

これには少し驚いた。他人の子供の成績を気にすることはあっても、確認する親など日本では考えられない。しかもその日初対面の人である。そしてかなり自分の子供の成績を気にしている様子。先ほどの父兄の相談でも、教育熱心のあまり体罰を与えるという内容だった。そしてモナも、ベルが幼稚園の頃から、家では一緒に勉強を見てあげるなど、かなり教育熱心だということが伺える光景を、何度か見ている。
日本では勉強をしなさいと、口やかましくいう親はいるかもしれないが、必要であれば父親が学校へ出向き先生と相談したり、親が一緒に根気よく子供の勉強を見るということは、自分の勝手な想像であるが、少ないのではないだろうか。

見ると、父兄はもらったばかりの成績表を、誰かに見られることなど全く気にせずに、手に持っている。僕は単なる好奇心で、それをちらちらと見てみたが、やはりオールCの人が多い。よってベルはましな成績なのかと思ったが、日本流に考えると小学校の成績など、全く当てにならないから、特別嬉しいとか鼻が高いなどという気持ちもなかった。そもそも絶対評価なのか、相対評価なのかもわからない。クライテリア(評価基準)の詳細がわからないのだから、僕には意味のない文字表であり、そこから感じ取るものは何もなかった。モナも、成績表の結果については何もコメントがない。そして家に帰っても、ダディーやママのそれを見せてたりはしない。
ただノートの使い方についてだけ、早速チェックを入れ、僕にもったいない使い方をしていると言ったあと、ベルを呼んで指導していた。


フィリピンの親は、もしかしたら日本以上に教育熱心なのかもしれない。子供は一流大学を卒業させ、きちんと就職させたいという想いが強いのだろうか。
学校のカリキュラムがまたすごい。
小学1年のベルの、授業開始時間は朝7時である。もっとも最初の15分は、フラッグセレモニーとなっているので、勉強時間ではないが、それから11時までが午前の時間となっている。
一旦11時に帰宅をし、ランチを済ませてから、午後は1時に再登校する。そして終わるには午後4時となっている。
僕が小学校1年の時には、授業は午前中で終了していたような気がする。今はゆとり教育と称して、ますます授業時間が短縮されているはずだ。

低学年からしっかりと授業時間を確保していることに驚かされたが、勉強内容が進んでいる。小学1年の4分の1で九九算はとっくに終わっており、四則演算の組み合わせ算も終わっているようだ。日本では、それをやったのはもっと高学年ではなかったか・・・。
ちらっと見ただけであるが、進み方が早いという印象である。


教育は国の根幹を成す、大変重要なものである。だから僕は、フィリピンを知る上で、またフィリピンの将来を予測する意味でも、かなり興味を持ちながらベルの学校の様子を観察している。そして、生まれてくる子供を、その教育システムの中に組み込んで良いのかどうかについての参考にしている。
フィリピン全体の教育行政については、よくわからないし、僕はまだちらっと覗き見をした程度なので、これからもじっくりと観察したいと思っている。

フィリピンに住んでおられるある方が、自分の子供についておっしゃっていた。
「(フィリピンと日本教育について)双方に一長一短あると思いますが、就職して、人の痛みが判り、普通に生活できる人生を送ってほしいと思っています。欲を言えばせっかく日本人とフィリピン人の血を受け継いたのですから双方の良い所が出てほしいと思ってます。」

確かにそうかもしれない。実は自分の望みも、同じようなところにある。ベルや生まれてくる子供には、「成績は良くなくても、生きる力を身につけて欲しい。そして、人の痛みがわかる人間になって欲しい」である。


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カテゴリー:フィリピン生活
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