フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2009年10月19日

9.結婚手続き2

相変わらずダディーとママ、そしてモナは口数が少ない。
僕は結婚の手続きに関して、どうにもならないなら仕方がないと考えていた。勿論努力はするし、きちんとした結婚手続きをやめようというわけではなく、無理なことに無理に抵抗するのはやめようということである。不可能なことで苛立っても、それは結局モナの体に負担をかけるだけである。
とにかくなるようにしかならないし、まだ全容がはっきりとわからないので、絶対にすぐ結婚手続きができないのか、それとも何か手立てがあるのかさえはっきりしていない。だから僕は、絶望の淵に立っているという心境ではなかった。

気になったのは、これから先、フィリピンでの生活で何か問題が起こったときに、同じような雰囲気になるのか・・・と言うことだった。
僕は役所の対応や、フィリピンの仕組みを恨んでいるわけではないし、心配しているわけでもない。
僕はこの件で、何が起こっているのかわからないので、自分で確認したり、意見を言ったりすることができない。それがもどかしくて仕方ないのである。そして一緒に行動をしているが故に、尚更孤立感を感じるのである。
関係部署を巡り歩いている中で、僕は言葉のハンディーを強烈に感じた。フィリピンで過ごした中で、僕が外国人であるということを、その時ほど強く感じたことはなかったかもしれない。

同時に、モナが日本にいた時に、同じような想いを彼女にさせていたことはなかっただろうかと、僕はまるで結婚とは関係のないことを、弁護士事務所へ向かうトライシケルの中で考えていた。
おそらくあっただろう。自分で覚えていないということは、無意識にそうしていたのだろうし、その時僕が置かれた状況も、悪意でそうなったわけではなく、ダディー、ママ、モナは問題の厄介さに頭がいっぱいで、きっと僕のことにまで気がまわっていないのだ。

異国の地で生活をするということは、このようなことなんだと学んだような気がした。
思わぬところに大変さが潜んでいる。きっとそれは、氷山の一角だと思った方が良い。
僕はそれから真剣に、タガログとビコールの言葉を勉強することを考え出している。
家族の一員として生活に参画するためには、地元の言葉をしっかりと覚えることが必要であると痛感していたのである。


弁護士事務所ということで、きっとホテル付近の賑わっている場所にあると思っていたが、そこは地元の庶民が暮らす家が密集した、小さな路地を入ったところにあった。
斜め向かいには小さな教会があり、たまたま近隣の住民が、教会から溢れるほどに集まっていた。そこへ日本人を含めた4人が歩いて近づくと、よそ者を見る目つきで大勢の人がこちらと見ている。それはお世辞にも居心地が良いものとは言えなかった。
モナの大きなお腹とその両親らしき人、そして日本人が一緒に弁護士事務所へ入っていくのだから、人々が好奇の目で見るのもわかるような気がする。きっと彼ら彼女らは、全く別のトラブルを想像しながら、こちらを見ているのだ。

一見弁護士の事務所は、ロイヤーオフィスの看板がなければ気付かないほど古ぼけた家だった。入り口のドアは最初から開放されており、中へ入るとすぐ正面にディスクが置いてある。入って左側にもディスクがあり、若い女性が一人、そこでボーっとしていた。仕事をしている風ではなく、さりとて無関係者でもなさそうである。
僕たちが入っていっても、その女性は受け付けるという素振りをみせずに、ただだまって椅子に座り、こちらを見ているだけである。
奥から初老の男性がやってきた。背丈も小さく痩せており、顔の頬がこけて栄養失調にかかっているような人である。とてもロイヤーには見えない。

早速入り口正面にある机を挟み、結婚手続きに関する相談を始めた。
そのロイヤーは、僕にもわかるように努めて英語で話をしてくれたが、時々込み入った話になると、ビコールの言葉になる。しかも彼の英語は訛りが激しく、時々聞き取れない。僕はかなりの神経を耳に集中させながら、彼の話を聞いていた。
わかったのは、結婚の手続きに最低でも半年、通常は8ヶ月かかるというのである。しかも申請(ファイリングという言葉を使っていた)するには、8万ペソ(約16万円)が必要だということであった。以前はそのような手続きは不要だったが、今はルールが変わり、それはどうしようもないということである。
手続きの中には、何とかという公的機関で面接のようなことも数回必要となり、物理的にも時間がかかるとのことだった。
僕はそのロイヤーが、信頼できる人物かそうでないかを見極めようと、彼の言動全てを漏らさずに観察していたが、結局はよくわからなかった。
身に着けている衣類、時計などは質素で、庶民の味方のような雰囲気もあるが、支払い金額についてはこちらの様子を伺っているようにも感じる。

それにしても8万ペソとは随分とふっかけられたものである。僕はフィリピンの弁護士報酬に関して、全く無知ではない。通常公式ペーパー一枚作成するのに、その費用は大体1000ペソ(2千円)である。都会ではもう少し高くつくかもしれないが、それをどんなに積み上げても、どうやったら8万ペソになるのか、全く想像できない。
しかもこの件は、個人のトラブル解決で動いてもらう話ではなく、結婚という公的な手続きの話だ。
あげくその8万ペソは、単純に弁護士報酬なのか、それとも役所に収める金額を代行で徴収するのか、それを明確に言わない。その点はモナもローカル言語で確認をしたらしいが、納得できる回答は得られなかったらしい。
しかし、パブリックの手続きに8万ペソが必要などということは考えられないらしく、おそらくそのお金は、誰かのポケットに入るのだろうと言うのがモナの推察だった。

モナのママは、後ろで話を聞きながら、マニラで手続きをしようと言い出している。それが弁護士に対する牽制なのかどうかわからないが、少なくとも弁護士の話は、即決できる内容ではなかった。百歩譲りお金を出したとしても、手続きが終了するのは数ヶ月後というのが最大のネックである。
手続きを早く終わらせるには、あといくら必要かといういたずらな質問が一瞬頭をかすめたが、口にするのは止めることにした。もしかしたら、最終的にこの弁護士に、手続きを依頼するかもしれない。あまり足元をみられるような発言はしない方が良いと思った。

30分は話をしたような気がする。相談料のことは出さすに、今日は決断に至らないからこのまま引き上げてもいいかと訊ねたところ、「オーケーオーケー」と言って、握手の手を差し伸べてきた。

たらい回しになる都度、モナと両親の顔色が険しいものへと変化していく。
うなだれるような3人プラス普通を装っている日本人の御一行は、再び教会に集まる人々の好奇な視線を浴びながら、その場を後にした。


家へと帰るトライシケルは、窓もドアも無いオープンな作りにも関わらず、重苦しい空気を一緒に運んでいるような雰囲気だった。誰も何も言わない。何かを思案しているのか、それとも諦めているのか、怒っているのか悲しんでいるのか、会話がないのでわからない。

とりあえず家に帰った僕は、マニラの知り合いに連絡を取ってみることにした。
その人は、もう5年の付き合いになる信頼できるフィリピン人で、日本人男性とフィリピーナの結婚を数多く手がけている人である。
通常は15万円の報酬で、結婚の手続きを3週間ほどで片付けてしまう。おそらく非合法な方法を使うのだろうとは思うが、その内容を詳しく尋ねたことはない。
本当は最初から相談しようと思っていたし、僕の結婚の話も彼にしていたのだが、モナが大丈夫だと言っていたので彼に頼らず手続きを進めることにしていた。彼も、もし可能であれば、高いお金をかける必要がないし、何かあれば相談にのると言ってくれていた。

早速電話で状況を説明したところ、やはりそうかという言葉が返ってきた。実は最近、同じような話を聞いたというのである。ただし全ての場所で同じではないため、モナが太鼓判を押しているのであれば、タバコシティーは問題ないと思っていたらしい。
マニラで手続きをするのは難しくないのだが、基本は結婚する二人が揃ってマニラにいる必要がある。
しかしモナの体は、飛行機にはもう乗れない。そして12時間以上かけてバスで行くのは、もっとリスキーだ。どうしても決行するのであれば、ドライバー付きのレンタカーをチャーターするしかないが、それでもそんな長旅に僕は反対である。
しかし、結婚をせかしていたママも、それを急ぐことでモナにあまり無理をさせないで欲しいという話をし出していたので、相談は、マニラに行かずとも結婚の手続きを早くできないかというものになった。

彼はその辺りの事情をよく理解してくれた上で、少し確認をしてみると言い電話を一旦切った。そして30分後に、彼からコールがあった。彼はいつもレスポンスが早く確実である。後で電話をすると言って、そのまま1日2日放置するようなことは決してない。

結論は、モナがマニラにいなくても、結婚の手続きは3週間で完結するというものだった。
費用は10万円かかるとのことである。そのことから、彼が自分の報酬をかなり削ってこの件で動いてくれるのだとわかった。10万円は立替で動いてくれるというので、すぐに書類の準備を進めることにした。

翌日には、僕とモナがサインをすべき書類が手元に届いた。LBCという郵便宅急便のようなもので、彼がマニラから必要書類を送ってくれた。
中を見ると、電話ですでに確認を済ませた送り返すべき書類リストが、丁寧な説明と共に入っている。
申請書に二人のサインをし、そして僕の書名欄にははんこを押した。海外の申請書なのに、日本人の場合ははんこの押印が必要らしい。
僕は二人のサインが入った書類をダディーに手渡し、これで手続きを進めますが良いですかと、あらためてダディーとママに確認をとった。
二人はにこやかに勿論と言い、僕は二人の前で頭をさげて、日本語で宜しくお願いしますと言った。

僕たちの手元に、送り返すべき必要書類はそれでほとんど揃った。若干コピーをとらなければならないものがあったので、街の複写屋さんでそれを準備し、書類をまとめてすぐにLBCで送り返した。
最後にモナが、リストにレ点を入れながら、漏れがないことを確認している。その姿があまりにも真剣で、そこにあらためて彼女の強い想いを見たような気がした。

翌日には彼から書類が届いたと電話連絡が入り、これからすぐに手続きを始めると言ってもらえた。
(この時点では、手続きが終了するのは3週間と言われていたが、現時点でそれは順調に進んでおり、あと2週間で完結するとのことである。)

二人が揃ってマニラにいないため、手続きは従来の方法と若干異なるが、詳しくその方法を聞いたところ、それはやはり関係者に特別なお願いをし、特別なはからいを受けないとできない方法である。彼はそれを特に言わないが、方法を聞いただけでそれがわかった。ブログというオープンな媒体で、その詳細を報告するのは憚られるので、申し訳ないが割愛させて頂く。
必要に応じてその方法を知りたい、もしくはその人を紹介して欲しいということであれば、個別メールで信用のおける方であることを確認した上で、対応することが可能だと思われるが、マニラの友人の活動に支障をきたす恐れがあるため、慎重にならざるを得ないことを御了承いただきたい。

これでようやくトンネルの出口が見えてきた。モナと両親の顔にも、陽が差し込んだかのように晴れやかになっている。僕もようやく、重苦しい雰囲気から解放された。
フィリピンに住んで長いある方から、フィリピンではお金をケチると、もっと大変なことになり出費が嵩む場合があると忠告されていたが、確かにその通りだった。
しかし、お金には注意を払わないと、無尽蔵にお札に羽が生えて飛んでいくような気がしてしまうのが、フィリピンである。その辺りの調整が難しいと、つくづく感じるのである。

そもそも、結婚の手続きを間際まで遅らせた自分が、諸悪の根源である。
これから結婚を考えている方がいるようであれば、是非とも余裕をもって臨んでもらいたい・・・(偉そうに言って、申し訳ありません・笑)

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エントリー:9.結婚手続き2
2009年10月18日

8.結婚手続き1

マニラの日本大使館で、結婚に必要な書類を簡単に取得できたために油断していた。後はその書類をシティーホール(市役所)に出せば、事は自動的に運んでいくものだと二人は思っていた。
モナはインターネットから取得した、結婚の手順を鵜呑みにしていた。

いざ書類を持ってシティーホールへと行った。モナの両親も同行した。
一般の市民は部屋の中にいる役所の人と、小窓を通して話しているが、僕たちはその部屋の中へと通された。どうやら結婚の手続きは特別扱いらしい。
木製のディスクの前に椅子を二つ用意され、そこへ座るようにと促された。
神妙に二人で座ると、おそらく50歳ほどの小太りタイプのおばさんが突然やってきて、机を挟んで反対側の椅子に腰掛け書類に目を通し始めた。挨拶など何もない。無言で座り、無言で書類に目を通す。
そしてビコールの言葉で、何やらモナに話をしている。その間、笑み一つ見せず、言葉は全くわからないが、その口調が詰問調で何かに怒っているように聞こえる。
モナの両親も、脇でその言葉を聞いているが、両親とモナの表情が曇っていくのがわかった。
「ねえ、このおばさん怖いけど、何か怒ってる?この人誰なの?」と、おばさんにばれないように、日本語でモナに訊いてみる。
しかしモナは、僕のその問いかけに答えない。何かに憑かれたかのように、怖いおばさんの顔をじっと見ながら、話を聞くのに集中しているように見えるが、呆然としているようにも見える。
部屋の中では僕に一切の説明がないまま、話が終了し、ぞろぞろと4人で部屋を出た。
僕は何が起こっているのか、さっぱりわからない。シティーホールの建物を出てから、ようやくモナが、先ほどのやり取りについて説明をしてくれた。

それによると、日本人とフィリピーナが結婚をする場合のルールが変わり、二人の結婚はアルファベット3文字(済みません、忘れました)の、ある機関の承認が必要だということだった。そう言えば、怖いおばさんが何やらペーパーを振りかざして話をしていた。それが新しいルールを記した紙だったらしい。
「結婚の承認は、時間もかかるし大変だって。今までそこに行ってから、役所に戻ってきたケースは一度も無いって言ってたよ」
「つまりそれは、承認されたケースは一つも無いって意味?」
「わからない」モナが泣きそうなくらい、弱々しい声で答える。
「ねえマハール、どうする?あのおばさん、二人は結婚できないみたいな言い方だったよ」
「どうするって、その場所に行って話を聞くしかないでしょう?他に何か説明があった?」
「何もない。ただルールが変わった、紙に書いてあるからそこへ行けってことだけ」
「それじゃさっきのおばさんは、詳しいことはわからないってことでしょう?」
「たぶん・・・」
「そしたらそこへ行って、詳しい話を聞こうよ」
「オッケー」と返事をするモナの声は、もう何日も食事を摂っていない人のそれのように、か細く張りがなくなっていた。市役所に入る前の意気揚々とした元気さを、完全にあのおばさんに搾り取られたようだ。

ダディーのトライシケルで、その何とかという機関に行ってみた。
ビルディングの中には、いくつかの何かの機関が入っているようだ。僕たちが行きたいのは2階のオフィスだと言われ、階段を上がる。モナとモナの両親の足取りが、明らかに重くなっている。僕は、結婚の意志がある二人が結婚できない仕組みなどありえないと思っていたから、その事務所で話をすれば、きっと何か突破口が見つかるに違いないと思っていた。

階段の両脇には、要らなくなった椅子や机、書棚などが乱雑に放置され、さらに2階の廊下も同様だった。迂闊に歩くと、顔にくもの巣でも引っかかりそうなほど薄汚れていて、何かの公的機関のオフィスビルとは思えない荒廃ぶりである。

事務所はすぐにわかった。2階の廊下は、やはり粗大ごみのようなものですぐに行き止まりになっており、入ることができる部屋の入り口が、たった一つしかなかったからだ。
中が全く見えない、木製の扉が閉じられている。ドアを開けようと思った瞬間、ドアノブのすぐ下に、大きな南京錠でロックされていることに気付いた。
時間はすでに午後2時になろうとしているから、随分と長いランチタイムだと思ったが、しかしドアの向こう側から、物音と共に人の気配を感じる。
思い切ってドアをそのまま押してみると、南京錠が固定されている金具ごと、ドアがすんなりと開いた。

部屋の中は10畳ほどの広さで、男性一人と女性の事務員4人が、一斉に何をしにきたとばかりにこちらを見る。
ドアに近いソファーに座っている女性は、僕たちの訪問を全く意に介せず、視線を自分の爪に戻し手入れを続けるなど、なんとなく怠惰な雰囲気が感じられる。
部屋に入って中ほどのディスクに座っている女性が、対応してくれた。
モナが持参した書類を見せながら、その女性に要件を伝えると、女性が短く説明をし、モナと両親がますます苦痛にゆがんだような顔をした。
ものの1分の立ち話で、3人がぞろぞろと入ったばかりのドアに向かって歩き出す。
女性の話を聞いた3人は、怒っているのか落胆しているのかわからないが、無言である。僕はやり取りの内容を全く理解できないので、何が起こっているのかわからない。ただみんなの後に従うだけであるが、自分で何もできないのが辛くなっていた。
モナにやり取りの内容を確認すると、どうやら弁護士を介して申請して欲しいと言われたらしい。そして、結婚はできるが時間はかかるという話だったそうだ。
再びトライシケルに乗って、先ほどの事務所で紹介を受けた弁護士のもとへ行くことになった。
僕は、苛立ちを覚えると同時に、結婚の件でたらい回しにされ落ち込んでいるモナの表情を見ながら、彼女の体のことも心配になっていた。
心配症で、物事を楽天的に考えられないモナである。おそらくすぐに結婚できないかもしれないということが、モナに相当なストレスを与えているはずだった。
しかし僕にもその時点で、何が起こっているのかが理解できていないので、モナにかける言葉は見つからないが、頭の中では最悪のケースを想定しながら、どうするかを思案し始めていた。思案と言っても問題を打開する妙案があるわけではなく、何ができるかを考えていたに過ぎない。
すぐに結婚できなかった場合、一番の問題は子供の国籍のことである。最後はフィリピン国籍でも仕方がない。そして自分のフィリピンでのVISAは、延長申請を繰り返すしかないなど、半ば心の準備のようなものもしていた。
そして理不尽な対応については、日本大使館にでも相談してみようかということと、子供の籍の問題は、日本に帰ってから役所に相談をしようというその程度のものである。

僕は子供の国籍を、できれば日本にしたいと考えていた。それは、フィリピン人がいつもVISAの問題で苦労しているのを見ているからである。日本人が当たり前のように享受している自由が、フィリピン人というだけで制限される。それは経済や安全などの国益を考慮した上で成り立つ各国の政策であるから当然だけれど、当人には至極面倒な壁である。できることなら、排除できるハンディは最初から取り除いておきたいという親心である。

日本の国籍法を調べてみると、子供の日本国籍取得の条件が、必ずしも出生時に父親と母親が結婚していなければならないということではない。
※参考 http://www.clair.or.jp/j/info/kokusai/theme/foreigner/122.html
このページに、子供の国籍に関する内容が記載されている。手続きが煩雑にはなるが、最悪は後追い結婚でも、子供の日本国籍を取得できそうな雰囲気である。

4人は重苦しい雰囲気を抱えたまま、弁護士のいる事務所へと向かった。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:8.結婚手続き1
2009年10月17日

7.ジャマイカの家

タバコシティーに到着したら、本来はジャマイカの新居で過ごす予定だったので、部屋のペイントを急いでもらっていた。ペイント屋さんは、当初僕がタバコシティーに到着する10月7日には間に合うと話していたらしいが、相変わらずフィリピンスタイルが発揮され、予定は未定である。二人の到着が1日遅れても尚、それから2日ほどかかるとのことで、とりあえず以前宿泊したホテルへ2泊することになった。まあ、最初から期日通りできるとは思っていないし、あと2日という話も、話半分に聞いいたのだが・・。

タバコシティーは、以前訪れたときと何も変わっていない。相変わらず自転車とバイクのトライシケル、バス、車がごちゃ混ぜになって道を占めている。これでよく交通事故が起きないものだと思うくらいに、それぞれが好き勝手に走っているように見えるが、実はそれなりの暗黙のルールがあるようだ。そればかりは慣れないとわからないし、自分で運転をしたら、最初は周囲にかなり迷惑をかけることになりそうである。特に左折(車は右側通行なので、日本の右折と同様)時や大通りに割り込む場合などは、慣れと技が必要だと強く感じる。日本の関東の運転に慣れた人が、関西で運転をすると怖いと感じることがあるが、それより数倍も恐怖感を感じるほど路上は煩雑であり、その中での暗黙の了解がわからない。自分だったら間違いなく躊躇しそうなケースで、車の鼻先を出して割りこまなければならないし、そこに自転車が走ってきていたとしても、それを無視して車を出すと、相手がぎりぎりでかわしてくれる。冷やりとする場面など、日常茶飯事であるが、車も自転車も人も、それが当たり前のように平然としているから、見ているこちらとしては、ますますわからなくなってしまうのだ。

他にも理解に苦しむ現象はたくさんある。
今はバイクのヘルメット着用が警察官に厳しくチェックされるようで、交番があるメインストリートだけは、みんな必ずヘルメットを着用する。バイクは3人乗りでも4人乗りでも可であるが、不思議なのはヘルメットを着用するのはドライバーだけということである。バイクに何人乗っていようが、ドライバー以外の人はみんなノーヘルメットであることが、見ていて違和感がある。バイクに4人も乗っていたらどう考えても危険だし、何かあった時には、ドライバー以外の人の方が不意のアクシデントでは危ないような気がするけれど、まあこれも、フィリピンスタイルの一つなのだろう。ちなみにトライシケルであれば、それがオートバイタイプであってもドライバーはヘルメットをする必要がない。

余談であるが、トライシケルは車輪が3つであれば、バイクでも自転車でもトライシケルという。「バイシケルはバイなので2輪、トライシケルはトライなので3輪。あたり前でしょう」と以前モナに言われて、なるほどと初めて気が付いた。
トライシケルはフィリピン特有のバイクにサイドカーが付いた乗り物で、その乗り物を示す固有名詞だと思っていたが、実は英語でいう3輪車のtricycleだということだ。それって皆さん気付いていただろうか?敢えてカタカナで、トライシケルと現地の発音で書いている通り、僕は教えてもらわなければ、ずっとそのことに気付かなかった。
(この話は以前も書いたかもしれませんね・・・重複していたら済みません)

ホテルにチェックインの際、ホテルの受付けの若い女性2人が7ヶ月ぶりの僕を覚えていてくれた。田舎の小さなホテルに、日本人が現地女性と長期滞在をしていたら、忘れようにも忘れられないだろう。
彼女たちは大きくなったモナのお腹を見て驚いていたので、「7ヶ月前にこのホテルでできた子供だ。だからこのホテルは思い出深いホテルだ」と言ったら、彼女たちは大笑いしながら、「それは光栄です(Its pround for us!)」と言っていた。

ホテルへチェックイン後、さっそくジャマイカの新居へ、ペイントの進捗状況を確認しに行くことに・・。

<新居概観・・塗装はこれから>
新居概観.JPG

<フロントヤード・・芝生が少し。これから緑を増やしていく。>
フロントヤード.JPG

あらためて説明しておくと、ジャマイカとは新居を建設している場所全体の総称で、決して中央アフリカのジャマイカという国のことではない。フェンスで囲まれた広大な土地に、おそらく100戸分ほどの土地を分譲販売したのではないかと思われる。おそらくというのは、土地は全て完売しているが、家が建っているのはまだ20戸ほどで、他はほとんどが空き地や畑になっているから、最終的にどのくらいの数の家になるのか、よくわからないのだ。
近所のお金持ちは3戸分の土地を購入し、ゴルフができそうな芝生で青々とした広い庭を有している豪邸を作ったが、将来その庭はプールになるらしい。このように、一人で複数の土地をまとめて買っている人もいるので、将来家がどの程度になるのかは尚更わからない。

僕とモナが2階に上がると、二人の作業員が、モナの両親の部屋とベルの部屋の二手に分かれてペイント作業をしていた。どちらの部屋もまだ壁は未完成で、僕が訪れたときには、長い柄のついたローラーで、天井の塗装をしていた。

僕とモナの部屋は、ペイントがほぼ完成している。塗装は完成しているが、部屋に入るなり塗料の臭いが鼻をついた。

壁は明るい色であれば何でも良いとモナに一任していたが、薄い黄色になっている。

<部屋の入り口・・モナデザインのキャビネットがある>
ルーム入り口.JPG

キャビネットや僕のワーキングディスクも、部屋の色に合わせてペイントされていたが、ワーキングディスクにパソコンを置いて、いざ使おうとしたらいきなり問題発見。

<ワーキングディスク・・入り口と対角にあるディスク。モナのお腹が大きい>
モナのお腹.JPG

「これってワーキングディスクだよね」
「そうよ、なんで?」
「だってこのディスクの周りに、コンセント(アウトレット)が無いよ」
「へへへ、気が付いた?アコ忘れたよそれ。エクステンド(テーブルタップ)で使ってちょうだい!」

全ての部屋のディスクやキャビネットは、モナ自身がデザインして作ってもらったものらしい。それ自身は、重要書類入れに鍵がかかる、書類が十分収納できる、衣類は種類別に収納するよう、引き出しが十分あり、また吊るすスペースもきちんと確保されているなど、機能的でよくできていたが、コンセントについては間が抜けていたようだ。
結局ワーキングディスクに関しては、設計で使うワークステーションのスペースを考慮すると、モナがデザインしたものは少しスペースが足りないようなので、日本で僕が使用しているものを送り、それを二人の部屋とは別の部屋に置くことにした。仕事部屋と普段の居住部屋を分けた方が良いというのが、二人の結論である。
そこで3階の、滅多に誰も上がってこない部屋を、仕事用してもらうことにした。
二人の部屋にあるディスクは、おそらくそこに二人のパソコンを並べて、ネットサーフィンをしたり、家計簿をつけたり、メールなどをするような、そんなディスクになりそうである。

ベッドは現在自分が日本で使用しているものを送ることにしている。セミダブルなので広さは十分ある。しかも使用マットは、どこかのメーカー製で、スプリングレスの高反発タイプであるが、その上に低反発タイプの薄いマットを重ねている。
僕の仕事は、スケジュールがハードな場合、寝る時間も無いほど忙しくなるので、少ない睡眠時間でもできるだけ体の疲れがとれるようなマットを選んだ。いや、それだけの理由ではなく、もともと寝る時間を8時間と考えると、人生の3分の1はベッドの上にいるわけだから、少しくらいお金をかけても、心地良くゆっくりと寝れるような寝具にすべきだというのが、僕の考えである。だから枕も色々試して、最終的には北欧の、高級低反発タイプに落ち着いた。そんな思い入れのある寝具なので、多少送料がかかっても、今使用しているものを送ろうと考えているし、モナも横浜時代にそのベッドは体験済みで、気持ちがいいと話していたから、そのベッドを日本からわざわざ送ることについては賛成である。
ちなみにベッドの送料は、分解せずにまるごと送ると、木枠に入れて5万円、自分で分解して運送屋さんに渡すと、おそらく3万程度だそうだ。現地でベッドを購入する場合も、マット込みで2万から3万程度はかかりそうなので、自分で厳選した物を送ったほうが良いという話である。

二人で家具の配置も相談した。ベッド、テーブル、TV、できればソファ、部屋の外にあるテラスには、ミニテーブルとサマーベッドのようなものを置きたいと考えている。話が具体的になってきたので、モナの夢ははちきれそうなほど大きく膨らんでいくし、僕もそんなプランを考えていると、とても楽しい。

モナと僕の二人の部屋には、奥の扉を開けると二人専用のトイレ付きバスルームが備わっている。

<洗面台・・まだピカピカ>
バスルーム2.JPG

<バスタブ・・湾曲している二つ凹みに大人がゆっくりと座れる>
バスルーム.JPG

僕が日本人なので、モナがわざわざバスタブも備え付けてくれた。3月に訪れたときには、バスタブはまだ無かったので、実物を見るのは初めてだった。写真では見ていたバスタブの実際は、大人二人でもゆっくり入れるほど大きく、僕が日本で使っているバスルームと、そのバスタブの占める面積が、ほぼ同じという大型のものであることがわかった。
「二人で一緒に入っても、これだったらゆっくりでしょ!」

これもモナの夢の一つである。以前横浜で、ゆったりとしたホテルライフを再現したいようだ。
ジャグジーこそついていないが、確かに以前宿泊した高級ホテルよりも、はるかにゆったりとしたバスになっているので、明るいうちからのんびりとお湯にでも浸かっていたら、体も心も安らぐことは間違いない。その後でテラスのサマーベッドに寝転んで、大自然を眺めながらビールでも飲んでゆっくりしたら、まさに命の洗濯ができるというものだ。自分の中でも、そんな夢のような生活をいつの間にか頭の中で描いてしまっている。
果たしてその通りの生活になるのかどうか、それはわからないが、その気になれば、そんな快適な生活を実現できる環境が整いつつあることも確かである。そしてそんな生活のイメージを持つことが大切だと思っている。お金持ちになる、社長になる、有名人になるなど、何事もイメージを先行させた方が、夢が実現する確率はぐっと増す。
事実、モナはいつでも具体的なイメージを持って、大小様々な自分の夢を、着実に実現している。僕は彼女によく小言を言うし、面と向かって「僕はあなたをたいしたもんだと思っている」などとは決して言わないが、しかし彼女のそんなところを、実は心から尊敬しているし、信頼もしている。だからこそ、思い切ってフィリピンでの生活を決めたのだ。

新居の2階には、モナの両親の部屋、そしてベルの部屋、モナの両親とベルが使用するシャワールームとトイレが別にある。

<ベルの部屋・・ピンクに塗装中。勉強机とキャビネットがある。>
ベルの部屋.JPG

そして階段を上がった所に、8畳ほどの2階のエントランス的コモンスペースもある。そこにはソファーやTVを置いて、セカンドリビングにする予定だ。

<2階のミニリビング・・壁の塗装はまだ。写真右側は1階のリビングから吹き抜けとなっている>
2ndリビング.JPG

また2階には、僕とモナの部屋、そしてモナの両親の部屋にテラスがあるが、それ以外に、みんなで使える贅沢な広さを持った3つ目のテラスがある。そこは屋根もかかっており、家族だけであればバーベキューや食事のスペースとして活用できる。

<2階の共有テラス・・仮設手作りブランコで遊ぶベル(手前)と従兄弟のアン(奥)>
2階テラス.JPG

加えて屋上にも大きなパーティーができうるほどのスペースがあり、大人数のバーベキューや食事会を、そこですることができる。フィリピンでは、日本では見たことのないような、大きなビニールプールが売っているが、モナは子供用に、そのプールを屋上へ置きたいようだ。

<屋上スペース・・この倍ほどのスペースがある>
屋上.JPG

とにかく、天候や人数に合わせて、多目的に使用できるスペースがふんだんにあるのがこの家の特徴となっており、周囲の自然と合わせて、日本では考えられないほど贅沢な作りになっている。

現在1階のシャワールームとトイレと2つの部屋、そしてキッチンは既に完成しており、2階もほぼ完成している。
よくよく考えると、未完成の1階リビングルームを除いても、現在モナとそのファミリーが暮らしてる家よりは、はるかに広いスペースが確保されていて、既に住み始めても問題はないのだが、家は完全に完成するまで住み始めていけないというフィリピンの古くから伝わるしきたりに従い、モナの両親は狭い家に頑固に住み続けている。
だから今回僕が、モナと一緒にこの家に宿泊することに関しては、モナの両親にとっては大きな妥協となるらしい。
しかも、これは以前も書いたかもしれないが、僕とモナの二人がここに寝泊りする前に、年をとっても仲良く暮らしている老夫婦に、最初にこの家で一泊してもらうのが良いらしい。それが僕とモナが末永く幸せに暮らすこと繋がるそうだ。
更には、二人が住み始める最初の日の早朝は、米と何かを持って行き、何かの儀式をするつもりだったらしい。そのほとんどは、家族の幸せを祈願するためのものである。
一大事や普段の生活の中で、様々な古いしきたりを大切にしようとするモナの両親の姿勢に、古き時代の日本と同じ臭いを感じるのだ。
しきたりを大切にするということは、やもすれば厄介な感じもするが、しかし長年の経験から得た知恵を伝承することにも繋がるし、様々な物事に対峙するときの、自分たちの気持ちの持ち方にも大きく影響を及ぼすことだってあるはずである。何よりも、幸せになりたい、幸せになって欲しいという純粋な強い願いや愛情が、そんな言動からひしひしと伝わってくるのだから、それに逆らおうなどという気には到底なれない。おそらくふた昔前の日本にも、そんな想いがあちこちに満ち溢れていたのだろうと、あらためて感じてしまい、経済復興と共に時間に追われる生活を余儀なくされ、気付かぬうちに効率を重視し大切なものを見失ってきた日本への憂いを覚えるのである。

ホテルは2泊で引き払ったが、結局新居はまだペイントの臭いがきついということで、現在モナのファミリーが住んでいる古い家の方へと引っ越すことになった。
モナの両親は、僕が狭くて汚い(僕はそう思わないが、モナの両親がそう思っている)家に寝泊りすることを恐縮しているようだったが、家の中は毎日綺麗に掃除され、またよく整理整頓されているので、全く不快感はない。フィリピン人は体の清潔感にこだわる(こだわるというより、汚いのが我慢できない・・)が、居住スペースについても同様に、大変綺麗好きである。
それに、狭い家に一緒に寝泊りする方が、フィリピン本来の生活を良く知ることができるというものである。

僕は最初からそれでもいいと言っていたのだが、どうやら僕のその真意は、モナの両親に伝わっていなかったようだ。モナは二人のプライバシーを少しでもキープしたかったようで、僕のその言葉を、両親に伝えていなかったようである。
実際に両親の古い家で共同生活をしていみると、確かにプライバシーなど確保できない。
リビング一間に、それ以外は小さな部屋が一つあるだけの家では、当然である。
普段両親はリビングに寝て、モナとベルは4畳ほどの小さな部屋に寝ているようだが、僕がいる間、両親はその4畳の部屋に寝て、広いリビングを僕とモナとベルの3人に提供してくれた。

狭い家ながらも、僕にとってここでの生活はなかなか快適であり、かつ刺激的でもあった。
夜窓を開けてタバコを吸いながらパソコンをいじっていると、藪蚊が襲い掛かってくる。テーブル下にある足のあちらこちらが痒いと感じ始め、そのうち腕も痒いと感じるころには、足の痒みは我慢できなくなってくる。僕が体のあちこちをかきむしり、薬を塗っている姿を見て、2日目の夜からは、モナの両親が僕たちが寝ている間、2つの扇風機を蚊よけに回してくれた。1台はわざわざ新規に買ってきてくれたものである。
僕は昔から、登山をしたり、自転車で日本全国を回ったりしていたので、薮蚊の攻撃や寝る場所のスペース、食べるものなど、細かいことはまったく気にならないのであるが、モナの両親は、日本人の僕にはフィリピンの生活は大変だろうと、あらゆる面で気を使ってくれるから恐縮するのであるが、その気持ちは本当に嬉しく思っている。
シャワーは水しか出ないが、それも冷たいだろうと、わざわざお湯を沸かしてたらいにためようとしてくれた。僕は水のシャワーが大の苦手であるが、そこまで過保護にされるのはさすがに気が引けたので、それは最後まで固辞して努めて慣れるようにした。
人間厳しい環境になると、さすがに順応するもので、「死にそうだ、心臓が止まるう〜」と騒いでいた水のシャワーも、最後の方はかなり慣れてきたから不思議である。

狭い家で一緒に生活をすると、新しく見えてくるものが数多くあった。
それらはまた追々報告することにするが、次回は結婚の手続きについての話を報告したい。これが予想外の展開となったからである。

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posted at 11:25
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:7.ジャマイカの家

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