フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます
2013年06月10日

681.海外は面白い

 アメリカ様と中国様の首脳会談が終わった。日本新政権は未だ中国首脳との会談ができておらず、その道筋も見えていない。中国首脳から「一部の国家(日本)は挑発的行為を止めるべきだ」と言う発言があったようだが、あちらこちらに火種をまき散らすご本人が何を言っているのだろう。ここまで自己中心的な思考や発言に、日本人は不思議な感覚さえ覚えるのではではないだろうか。しかし海外に出れば、そのような言動の理解に役立つ身近な例がいくつもある。あくまでも一つの例だが、例えばこのコンドミニアムでは、家族で出かける際誰か一人が先にエレベーターを呼び、残りの家族がやってくるまでいつまでもエレベーターを止めて待っている。他の階で多くの人がエレベーターのやってくるのを待っているとか、そのようなことを考えない。先に来た人は、まるでやってくる気配のない家族を、携帯をいじりながらエレベーターを開けっ放しで待っている。日本人なら一旦エレベーターをやり過ごすところが、こちらの人は他人のことをあまり考えないのが普通だ。それが普通で当たり前という風潮だから、自分勝手に見える他人の行動に接しても、こちらの人はあまり腹を立てない。それに類する行動は、中国、フィリピンでも多く見られる。
 そのような人たちが国益の絡んだ駆け引きの場で、突然人が良くなるわけはない。あくまでも発言や行動の基準は自分たちの利益であり、それが当たり前というわけだ。
 一方で、中国は北朝鮮を見放した。中国に突き放されたことを感じ取った北朝鮮はあまり図にのるとアメリカのミサイルが飛んでくることを感じ取り、突然態度を軟化させている。それは正解で、一旦攻撃を仕掛けたいと思えばアメリカは無理矢理にでも攻撃できる環境を整え実行する。アメリカが口先でいくら優しい建前論を言おうが、アメリカとはそのような国であることをみんなが知っているから、アメリカの抑止発言は効果てきめんだ。中国もアメリカと事を起こせばかなわないし、体質的にもそれができない事情があるから、水面下でアメリカを取り込むのに相当のお金をかけている。そんな中国が、いざとなれば北朝鮮をポイ捨てするのは当然だ。
 北朝鮮は指導者が変わり何をするのか心配だが、取り敢えず今回は理性的な判断をしたようだ。北朝鮮の緊張は日本の緊張に直結するから、日本は安穏としてはいられない。北朝鮮工作員が、何度も日本へ上陸し原発や貯水場の周りをうろついたと証言している。朝@総連がそれらの工作に関わっているケースも指摘されている。その朝@総連と密接な関係を持つのが@@学会や一@会で、更に電@、N@Kと繋がる。そんな危険な状況で、僕は日本も抑止発言が効果を発揮する環境作りをすべきと考える。僕は戦争を望む者ではなく、日本はでるだけそれに巻き込まれないで欲しいと考えている口だ。それは当たり前で、誰が殺し合いに加担したいなどと思うだろうか。自分の身内、友人、友人の身内の誰一人そんなものに巻き込まれて欲しくない。だからこそ戦争をしなくて済む、巻き込まれないで済むような環境作りが大切だと思っている。これは単なる思想・言論の戦いではなく、現実の世界の考え方、動きからそう思っている。
 中国様は今回の首脳会談で、領土問題では一歩も引かないことも宣言した。ますます日本の対応が難しくなりそうで、戦略思考でそれらに対峙しなければ、日本は追い込まれて苦しくなるだろう。日本とは政治の動きとは別のところで底力のある国だと信じるが、今の時代は日本カンパニーという考え方も必要なケースが多くなっている気がしている。


 視点を家族に移せば、昨日モナがフィリピンでクリニックに行った。ユリを妊娠した時にお世話になったところだ。そこの女医さんはユリをモナのお腹から取り出してくれた人である。中国系の医者で、ユリの時には日本人価格を提示されたような気はするものの、モナの出産時の異常(大量出血)を直に見た人だからそれなりの安心感がある。
 早速女医さんは、出産時の大量出血に備えるための提案をしてくれたそうだ。要は体の中にできるだけ血をたくさん作る薬を用意するとか、食事の計画を考えてくれるということだ。対処療法ではあるが、出血の問題があることを認識してもらえるのはありがたい。
 診察の結果、妊娠に関しモナの身体に異常はなかった。この時期の異常とは何なのか詳しく知らないが、主に子宮に繋がる場所に病気がないということらしい。もしモナの病気が発見されたら僕も病気持ちの可能性が大で憂鬱になってしまうが、ひとまず経過は順調だ。それを聞いてモナは安心したようで、まずはそのことが良かった。心配性のモナは、クリニックに行く前からドキドキしていると言いあれこれ考えていたからだ。心配の内容は、今回がノーマルな妊娠かどうかということで、この段階でノーマルもなにもないだろうと思った僕は先が思いやられながら、心配ばかりしていると身体にさわるから考えすぎるなと彼女に言った。
 僕は別の意味でドキドキしていた。ブログでモナの妊娠を公表しお祝いのメッセージまでいただいたので、僕は今更、妊娠は間違いでしたと言えない状況にあった。逆にモナは妊娠が間違いという心配は全くなくその先のことばかり考えていたが、妊娠の事実はクリニックできちんと確認され、僕は僕なりの理由で安心した。
 ユリの出産が帝王切開だったので、次の出産もそうなる。予定日は二月九日だが、腹を切る日は一月の末あたりから好きな日を選べるらしい。つまり子供の誕生日を選べるわけで、早速モナに「何日がいい?」と訊かれたが、そんなことは考えたこともなく僕は返答に詰まってしまった。自然に予定日かその少し前がいいのではないかと思っている。
 出産手術に関し僕の知っている限りでは、昔の日本は帝王切開の際に横に切ると次の出産は縦、最初に縦に切ると次は横と腹に十字マークを作ることになる。あなたもきっと腹に十字架を背負う(腹負う?)ことになると僕が言ったら、彼女は冗談だと思い笑いながら、フィリピンは違うときっぱり言われた。問題がなければどうでもよいことだが、同じラインで切って本当に良いものなのか、いずれ産婦人科医の友人に確認してみたい。

 クリニックが、モナが飲むミルク(栄養補給用)を出してくれたようだ。昨日ユリはお腹の中のベイビーがそれを飲むから、早く飲め飲めとモナにしつこく迫ったようだ。同じミルク族として、ユリはユリなりに心配している。僕はその話に思わず笑いながら、ユリがどこまで分かっているのかを考えた。三歳のユリにとって、弟か妹ができるということはエキサイティングな出来事なのだろうか。モナの身体から、新しいおもちゃが出てくると勘違いしていないか。ベイビーが思い通りにならなければ、殴ったりつねったりしないだろうか。もしくはモナを独占するベイビーへの嫉妬でそんな行為にでないかだろうか。
 モナに心配するなと言いながら、僕も生まれてくる子供やユリへの対応を自然と考えている。こうしてしばらくは、まだ豆粒より小さい命を中心に、僕たちの生活が回り始めるのだろう。僕はモナの妊娠中またしても異国の地にいるが、今回僕とモナはきっちり結婚をしているし、築いてきた人間関係からママは僕が逃げる心配をすることもないはずで、精神衛生上はユリの時より今回の方が、ずっと良い環境が家族やモナに整っている。ママは出産時のモナの身体を心配しているが、子供が生まれたらユリと同様目に入れても痛くない可愛がり方をするはずだ。モナは男の子が生まれるまで頑張ると言うが、本当のところ彼女は、今度の子供が男でも女でも打ち止めと考えているような気がしている。せっかく授かったのだから、モナには流産しないよう気を付けてもらい、何とか無事出産にこぎつけたい。

 昨日ベルとユリが公文へ行き、そのあと彼女たちがクリニックに行っている間、僕は地元の方の結婚披露宴に招待され出かけていた。モスリンの結婚式は初めてで、お祝いをどうするか、恰好はどうあるべきか、適当な時間に行き適当な時間に帰れるのか、とにかく分からないことだらけだった。
 よく知る会社ドライバーが披露宴に参加するというので、僕は彼の車で会場に連れていってもらうことになっていたが、当日直前、ドライバーは見事にドタキャンを連絡してきた。こちらの人の約束があてにならないことは想定済みで、僕はすぐに知り合いのタクシードライバーに電話をした。タクシードライバーに披露宴招待状の地図を見せ会場にたどり着いたが、会場入り口で招待状を見せると、それが別の披露宴であることが分かった。なんでも適当な南国にありがちの間違いで、僕は大笑いをして、そこで正しい場所を教えてもらったあと再びタクシーで本当の会場に到着した。
 僕は結婚した本人にお祝いの言葉とご祝儀を渡したら早々に引き揚げるつもりだったが、珍しい日本人客(日本人は僕一人だった)ということで特別扱いされ、それから大変な目に遭った。まず案内されたテーブルは、披露宴で新郎新婦が並んで座るテーブル(ひな壇)だ。ここは客の座る場所ではないだろうと言ったが、「ネバーマイン(気にするな)」と言われ、「いや、気にするよ」と僕は言ったのに、結局会場全体が見渡せるそこに座らされた。居心地最悪なそこで出された料理をようやく食べ終えたら、新郎の親、兄弟が代わる代わる挨拶がてら食べ物を持ってきてくれ、僕は完全に帰るタイミングを逸した。ようやく僕の傍を立ち去った親戚が再びやってきて、「ちょっと待って、あなたのためにスペシャルミールを持ってくるから」などと言ってくれる。もうお腹が一杯だという僕の言葉に、誰も耳を貸してくれなかった。もてなしの気持ちが伝わってくるのでほとほと困り、僕は出されたものを完食し、破裂寸前のお腹を抱えその場をあとにした。腹が重すぎて、少々足元がふらついていたかもしれない。
 とにかく異国では、このように日本の常識では考えられないことに出くわす。それがまた面白いことでもあるけれど、帰り際に持たされたお土産の中に含まれる卵がゆで卵か生卵か分からず、昨日から割ってみるべきかどうか、僕はまだ悩んでいる。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ




posted at 00:45
Comment(4) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:681.海外は面白い
2013年06月08日

680.また一人生活

 モナや子供たちがここマレーシアにいる間、僕は彼女たちにたくさんの小言を言った。
 使わない部屋の電気を消せ、誰もいない部屋にエアコンまでついている、電気はただじゃない、食事をしている間は歩き回るな、ご飯を残すな、勉強するなら集中しろ、集中できないなら勉強を止めろ、ついでに真面目にやれないなら公文なんかやめてしまえ、自分が注文した食べ物はきちんと食べろ、食べ物を無駄にするな。
 僕は時にはこれらの小言に怒りを込めたが、「お前たちはチキンか、三歩歩けば全て忘れる」と言いたくなるほど、それが彼女たちに効果がないように見えた。効果が薄いほど僕の声は大きくなったが、糠に釘、馬の耳に念仏、暖簾に腕押しとはまさにこのことで、最後に僕は、自分の叱責の弱さに本気で疑問を抱いて「どうして?」と首をかしげるばかりになった。そんな僕の前を三羽のチキンが首を縦に振りながら平然と歩く。少なくとも僕にはそんな風に見えることがあって、暗澹たる気持ちになることが度々であった。
 しかし…、しかしだ。彼女らが文明社会の一員として資源や食べ物やお金や時間の大切さを理解するのが先か、それとも僕が慣らされるのが先なのか、これは僕にとって重要な闘いであった。重要だから、僕は簡単に負けるわけにいかない。モナは食べ物のことは良く分かっているが、子供たちはその辺りのことに無頓着だった。一見食べるに困らない生活をし、人より少し大きな家に住み、時々田舎の都会に遊びに出かけ、塾も通い、そして海外旅行を経験できる田舎者は、往々にして勘違いをしている可能性がある。これから大人になり国際社会で生きていく子供たちには、嫌われようが疎まれようが、僕がしっかりと教えこまなければならないことがたくさんあるように思えた。今回の生活では、日々そんなことをまざまざと気付かされたのである。
 そう意気込む僕の前で、三羽のチキンはそれぞれ次々と夢中になることを見つけ、憤る僕を置き去りにして気付くとネクストステージで楽しいことに熱中している。そして僕は、「分かっているのか」と溜息をついて、一人でベッドルームに引きこもる。

 そんな彼女たちも二か月間小言をくらい続け、僕が日頃から言うことに気を付けるようになった。レストランで何かを頼む際、お腹に入りきらないと判断したものは頼まない、もしくはシェアを前提にドリンクはベルとユリで一つだけのオーダーとする。親もドリンクは僕とモナでシェアすることがよくあったから、ウエイトレスに「ドリンクは(四人で)二つですが」とよく言われたが、そんな言葉にはひるまず堂々と「あとはサービスティーを二つ」と言い返す。料理の品数も無理をせず、足りないと感じた時に追加注文をする。家の中では電気を小まめに消す習慣を身につけ、外出時もエアコン、ファン、照明の消し忘れを各自がチェックする。ついでに忘れ物はないかを確認し合う。モールに行ったら欲しい物を全て買わず、我慢の上購入品を絞り込む。食事前は「いただきます」、食後は「ご馳走様でした」と日本語で言い、食事ができることに感謝する。ジュースを飲む時や何かを食べる際は、必ず両手を使いあいている手で食器やグラスをホールドする。少なくともあいている手をテーブルの下にだらりと下げて食事しない。鉛筆のような尖ったものを持って走らない、ふざけない、遊ばない。転落や転倒の危険があるベッドの上やシャワールームではじゃれ合わないしプールサイドも走らない。TVは見ていない時に消す。
 僕はこのような気付いたことを、その都度できるだけ言葉にして出した。最後まできちんと実践できなかったことの一つは子供たちの早寝早起きで、これは逆にかなりルーズだった。就寝や起床時間のルールを決め子供を従わせるのは、ルールを守ることの訓練である。大人になれば自分で決めたルールにきちんと従うことも時には大切で、それが人間の一つの芯を形成する。モナにはその意味をも説明した。
 
 こうしてようやく僕の言わんとすることが伝わり始めた頃、彼女たちはフィリピンに帰った。基本的に三歩の歩行で重要事項を忘れる人たちで、フィリピンに戻って様々なことがリセットされないか心配ではあるが、海を隔てた場所に離ればなれになってはこちらも手出しできない。あとはモナを信じて子供たちを託すしかないのだ。その分モナに対する小言は増えるが、彼女は僕の意味するところを理解できている。ただしそれは頭で理解している部分が多く不完全だ。大切なことを体に染み込ませ、自然に子供たちを教育する必要がある。人の思考はご都合主義に陥り易く、子供に教えるべきことは親の体に染み込ませなければ教育に一貫性が失われるからだ。いくら子供でも、叱責に一貫性がなければそれを本能で簡単に見抜く。そうなると説得力が薄れ教育効果は激減する。

 しかし僕は、小言ばかりでいつもいらいらしていたわけではない。毎日家族一緒に取る食事の美味しさに満足し、子供たちと触れ合う時間を十分楽しく有意義なものとしてとらえていた。その分自分の時間や体力や財力は奪われたが、家族を愛しく思う気持ちの方がそれにまして大きくなっていくのだから、様々な物理的ロスのことなど本心では気にしていなかった。「ケーキが食べたい」とか、「どこそこのミルクティーが飲みたい」といった類の突発性欲求にもできるだけ応え、使い走りも十二分にやった。特にユリは三歳の可愛い盛りで彼女の我がままなど全て許したくなり仕方なかったし、その気持ちを見透かすようにユリは体当たりで僕に愛嬌を振りまいた。よってユリを叱ったり我慢させたりすることは、自分の中である種の苦痛を感じるものだった。同時にベルが同じような時期、僕とユリの間に存在するのと同じコミュニケーションを彼女と持つことができていたら、どれほど良かっただろうと痛感した。子供のこの時期、身近なところで愛情を注ぐことの大切さを、僕はユリとのコミュニケーションを通し肌で感じ取っていた。この時期の子供というのは、愛情を注ぐほど親も目に見える形で子供から幸せをもらえる。それが相乗効果を生み、親子の絶対的な絆を作り上げるのが容易なのである。
 ベルは僕が時にユリのおしりをひっぱたいたりデコピンして叱ることの意味を、まるで理解できないようだ。彼女は経験がないから、それらが愛情に裏打ちされたやり取りであることが分からずユリが可哀そうだと訴えた。しかしユリがそんな僕になつくのも、同時に不思議な気がしたのではないだろうか。それを単なる血のつながりに依存したものととらえられたらこちらは辛いが、この二か月間で僕はベルとのコミュニケーションもずいぶん取れた。僕はベルから信頼されているだろうが、それはおそらく、この人についていけば生活は困らない、少しの贅沢ができる、エキサイティングな経験もできる程度のことが大きいのかもしれない。もっともそれも信頼の一種で、結婚する男女間の絆の一歩はそれだから、その部分も大切であることは間違いない。しかし僕がベルにもっと望むのは、離れたら寂しい、会いたいという感情が芽生えることであり、そこがどこまであるのか僕にはまだつかめないところである。
 ただ一つ、実は最近ベルの名字が僕と同じになったが、ベルは新学期からその名前を使えることを心から楽しみにしていた。早く名前を書きたいとフィリピンに帰ってからはしゃいでいたようで、ベルは自分の名字がモナやユリと違うことに、密かに疎外感を持っていたのかもしれない。そんなことを一つずつ取り除いて時間をかければ、僕とベルも本当の親子に近づけそうな気になっている。

 さてこんな生活が自分の励みになっていたことを、僕は彼女たちがこの家から消えて嫌というほど気付かされた。突然小言を言う相手がいなくなった僕は、まるで乾いた荒地にポツンと取り残されたような侘しさを感じ、生活の潤いが一気に消滅した。会社からできるだけ早く帰宅したいという気持ちがなくなり、料理もする気が起きなくなった。一人で飲むコーヒーの美味しさが半減し、たばこも不味いと感じ始めている。もっともたばこの不味さは、銘柄をこれまでのたばこの半額品に切り替えたせいで、不味いから吸う本数が減り、この不味さがたばこ代の節約に一役買っているということだ。このままたばこを止められるかと期待しているが、そこはなかなか上手くいかずに気付いたら不味いと思いながら吸っている。禁煙先送りは、しばらく継続となりそうだ。
 家族で生活をすると部屋の汚れも激しく、随分と生活空間が煩雑となり汚れた。ベッドシーツや枕カバーやバスタオルなど、彼女たちが直前まで使用していた物の後片付けも必要で、今週の僕のアフターファイブは洗濯や掃除に忙しかったが、それら行為の一つ一つは家族が生活していた匂いを消しているようで、それがまた、自分の中に不思議な寂寥感を巻き起こした。
 しかし始終そんな感傷を引きずるわけにもいかず、自分の目の前には仕事上の問題が山積している。これらの問題がなくなるほど僕のお払い箱になる日は近付くが、僕はその日に向け、仕事に対して真面目に取り組んでいる。どこかで生活の安定感があるせいか、仕事には集中できる精神状態を保つことができている。

 家族がフィリピンに帰る日の早朝、おそらく五時くらいだったと思うが、僕は隣にモナの気配を感じてうっすらと目覚めた。薄目を通し、モナが少しにやけた顔でこちらを見ているのが分かった。僕は寝ぼけ声で「今何時?」とモナに訊いたが、彼女は時間を答えず、僕に「おめでとう」とだけ言った。また訳の分からないことを言っていると思った僕は、モナに背を向け再び眠りにつこうとしたが、寝返りを打つ途中ではたと気付いて、モナの方へと向き直って言った。
「もしかして、チェックしたの?」
「した」と彼女は笑みを浮かべて言いながら、銀色のパッケージから妊娠チェッカーを取り出し、二本のマークが浮き出たチェッカー窓を僕に向けた。僕はチェッカーのパッケージをモナから奪い取り、そこに書かれた説明書きと実際のマーカーを見比べ、確かにそれが妊娠を示すマークであることを確認した。
 チェッカーは前日の朝モナに言われ、使い走りで僕が食料品を買うついでに薬局で購入したものだ。数日間の妊娠兆候はあったものの、その購入を頼まれた時に僕はまだ早いんじゃないの? と言ったが、どうしてもというモナのお願いに従って買ってきたものだ。
 身体の兆候と妊娠チェッカーの結果を合わせて考えれば、妊娠はまず間違いないと思ってよいだろう。小さな命がまた彼女の中に芽生えた。
 僕はもろ手を挙げて喜んだわけではなく、もちろん失望したわけでもなく、そして不安になったわけでもない。昨年の終盤あたりから具体的に望んでいたことであるから嬉しいことは嬉しいが、半信半疑で実感が湧かず喜んで良いのかそれがまだ早いのか、そんなことに戸惑うのが精いっぱいだった。だから相変わらず僕の口は重く、素直に喜びを表現できない。「嬉しい?」とモナに訊かれた僕は、「嬉しいよ」と答えただけだった。
 対してモナは、早速その日の朝食時、ベルとユリに「このお腹の中にベイビーがいる」と告知していた。ベルは弟、ユリは妹がいいという話にまで発展し、それを横目で見ていた僕は、「そんな話は病院に行って確認し、安定期に入ってある程度確実になってからでもいいんじゃない?」とモナに言った。ベルとユリをがっかりさせることにならないか、僕は往生際悪くそんなことを考えていた。
 しかしそんな僕も、途端にモナが荷物を持ったりすることが気になり始めた。彼女が家の中の片付けを始め、ゴミ袋を持つのさえ「おいおい」と声をかけそうになるほど気になった。家族がフィリピンに帰る際は、自分もクアラルンプールまでついて行こうかと考えたくらいだが、クアラルンプールに行けばマニラまで付き合いたくなり、気が付いたら自分がレガスピにいそうなので、お別れはペナンの空港でと我慢した。
 
 家族のマレーシア最終日は、モナのリクエストに応じてモールにラーメンを食べに行き、そこを早めに切り上げ部屋でモナに仮眠を取らせ、そして夕方予定通り三人を飛行機に乗せた。
 空港でユリは飛行機に乗れることにわくわくし、僕とのしばしのお別れを認識していないように見えた。モナとベルがトイレに入っている間、僕はユリを抱き上げ二人で頬をすりすりとすり合わせて別れを惜しんだ。その後僕はセキュリティーをくぐる三人の姿をガラス越しに追いかけていたが、彼女たちは無邪気に手を振り搭乗ゲートの方へと姿を消した。風前の灯で少し大きくなった炎が、ふと消えた瞬間だった。
 二人の子供を連れて飛行機を三つも乗り継ぐ長旅は大変で、それに加えモナの体調や芽生えたばかりの小さな命のことも心配だが、翌日になれば彼女たちはフィリピンの家族に保護される。十数時間の辛抱で、三人は首を長くして待つダディやママに包まれるのだ。そのことは、離れた場所にいる僕にも、深い安心感をもたらすものだ。
 そして来年二月か三月、無事に進行すれば我が家はまた一つ賑やかになる。ユリのお姉さんぶりがどうかという点も楽しみの一つだ。
 モナの喜びはそれはもう大変なもので、フィリピンに帰ってから毎日、生まれてくる子供のドリームを見ているそうだ。

 こんな二か月の家族団らん生活は、悲惨な事故も遭ったけれど概ね成功だった。おそらくベルの胸には、生涯に残る思い出がいくつか刻まれただろう。ユリはまだ小さいから思い出という意味ではどうか分からないが、彼女の中ではきっと、僕が父親であり、その父親という存在がどのようなものかという概念がしっかり形成されたに違いない。そしてモナには妊娠というめでたいおまけがついた。
 自分がいつまでマレーシアにいるか分からないが、僕は今、度々家族がここに来てくれることを心から望んでいる。いっそ家族がずっとここに住んでもいいが、そしてそのことは少し考え始めていたことだが、モナの妊娠というファクターも考慮する必要が出てきたので、具体的な計画はまだない。
 ここで四羽のチキンにムッとしたり笑ったりしながら過ごしたら、歳を取るのも早そうだなと考えながら、最近の僕は近未来の自分の生活ぶりを想像している。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ




posted at 14:19
Comment(17) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:680.また一人生活
2013年05月18日

679.日本人ってそんなに悪い?

 橋下大阪市長の発言が随分と世間を賑やかにしたようだ。『従軍慰安婦』問題だが、あのお坊ちゃまは自分の立場をわきまえない発言が多すぎるかもしれない。彼は世間の注目が自分に集まれば満足しているように見えるが、そのうちそれが、彼の命取りになるのではないか。僕はもともとあの青二才発言や行動が嫌いだから彼がどうなろうと知ったことではないが、日本中にくだらない議論を巻き起こしたことが残念だ。
 最近はインターネットの普及でマスコミの偏った意見に左右されない人が増えつつありあまり実害はないかもしれないが、ここぞとばかり「日本人は日本がやった残虐・残酷行為を反省し、今後も決して忘れないようにしなくてはならない」という一点張りの論調で語られる、マスコミプロパガンダ記事の提灯ブログ記事を読むとうんざりしてしまう。
 このような論旨で記事を展開する人は、一体それを、誰に向かって言っているのだろうか。日本語記事だから日本人に言っているのだろうが、日本人にそのようなことを言うなら、まずは韓国語や中国語を勉強し、人権蹂躙国や世界一の買春国・レイプ天国と噂される国に言ってやった方がよほど世の中のためになると思われる。
 中国も韓国も怒っている? 当たり前だ。外敵を作ることを国内統制の一助とし、捏造した歴史を用い反日教育を長年続けてきた国が、ここで怒らないでどうするというのか。しかも戦争にまつわる話はそれらの国の重要外交カードの一つだ。そんな国がこのようなチャンスをみすみす逃すはずもなく、ここぞとばかりに言ってくるのは当然である。
 アメリカも怒っているではないか? 当たり前だ。日本はアメリカに対する中国のロビー活動に完全に溝をあけられている。よって昨今のアメリカは、中国の意見になびきやすい体質を持っている。今日本はそれに気づき、巻き返しを図ろうとしている。アメリカにそもそも主義などないことを気付いている人は少なくない。歴史に学べという人は、これまでアメリカが何をしてきたか歴史によく学んだ方がよい。特にアメリカがイラン・イラクにどのように関わってきたのかを知れば、アメリカが、主義ではなく如何にしがらみや国益中心で動いているのか分かるはずだ。

 つまり日本人は、それらの国の足元をよく見た上で自分の考えを持つべきである。党に不利益な発言を封じ込め、言うことをきかない人間を粛清するC国。他国領土では常識などお構いなしに侵略を意図し、アメリカに代わって世界の唯一無二の覇権国になろうとしているのは明らかだ。しまいには世界中がC国のものだと言い兼ねない国が(実際ハワイは中国だと過去に言っている…笑)、他国に侵略の歴史を反省すべきだなどと主張するのはお笑い種である。まずは自分の足元から綺麗にしなさいと言いたい。そして日本人にはそれらの発言を、外交カードとしてのポーズありき発言であることを十分差し引いて聞いて欲しい。しかもその国では、巷に日本など比べものにならないくらい売春を生業とする女性がはびこっている。建前上は買春禁止で国は時々見せしめに摘発をするが、その国はトラックの荷台の檻につかまえた女性を放り込み市中引き回しで見せしめにする国だ。たまたまトラックを見かけた自分は、それを見ただけで嫌な気分にさせられた。役人の賄賂にしても時々見せしめ摘発で死刑にするが、通常は誰もが知っている通り賄賂天国である。
 かたやレイプ天国K国。海外から働きに行く女性にとって、とても危険な国だとの定評がある。その国の方々は海外に出かけても昼も夜も傍若無人の振舞を繰り返し、夜の街では目を覆いたくなる悪行の現場を目撃することもある。国によってはK国人との結婚に、法律で規制をかけたところもある。法律の規制対象になるということは、日頃から大体どのような振舞いをしているのか想像に難くない。
 例えばフィリピンの夜の世界で働く女性たちは、毎日客を相手にしながらどの国の人なら一番安全・安心にお金を稼げるかをよく知っている。紳士で金払いがよく情にもろいのは何人かということだ。その国の人は時には体を売らなくてもお小遣いをくれる人もいる。身の上話に同情の涙を流す人もいる。相手の気持ちを尊重してくれるので商売もやりやすい。お近づきになれば本気で結婚してもよいという気持ちも起こる。それが海外における日本人の実態だ。それは日本国内でも同様で、実際に優すぎるほどの貢君がたくさんいるではないか。

 ここにあげた例はそれぞれ、それらの国全ての人に当てはまるわけでないことは、賢明な読者であればお分かりだと思うが、少なくとも日本人は国内・海外において、他国の人と比べ素行が悪すぎる、礼儀がなっていない、女性を蹂躙する、人種差別が激しいということが決してないことは、現代に生きる方々であれば明白に感じ取れるはずだ。付け加えておくなら自分の個人的な印象は、むしろ日本人は素行面で紳士である。それは夜の女性が肌身で感じ良く知っていることで、だからお金を稼ぐなら日本人相手が良いということになる。ただしお金を度外視した恋愛対象となれば若くてハンサムなK国人というトレンドも実際にあるようだが、同時にお腹が大きくなればかなりの確率で逃亡する危ないお国柄の人という説も定着しつつあるようだ。

 さて話は戻るが、自分たちは悪い遺伝子を受けついているのだから、過去の教訓を常に忘れず反省もしながら肝に命じておきなさいと宣伝するような記事を、僕は一体だれに申しているだろうかと素朴に思ってしまう。もちろん何かの意図がありそうするなら理由が明白で読み手のこちらもすっきりするが、そうでなく真剣そのもので訴える人というのは前述のような現実が見えていないのだろうかと不思議にさえ思えてくるのだ。つまり紳士の部類に入る国民に、どちらかと言えば紳士から外れる方々の多い国から文句があったではないかと、吊り上げた目が想像さえできてしまうような物言いに、僕は何か本末転倒のような印象を持ってしまうのである。
 そもそも、怒っていると言うアメリカ様の主張には、妻や恋人のいる方が他の女性にうつつを抜かすことも女性蔑視だということが含まれる。盛んに女性蔑視を訴える方は、自分のそのような行動を棚に上げて申していないことを祈りたい。

 もちろん過去には様々な事実があったことだろう。しかも戦争中のことである。混沌とする実態があってもおかしくはない。それは日本だけではなく、どの国でも戦争とは頭の痛い問題を抱えるものである。だから基本的に橋下市長の言いたいことは理解できるのだが、それにしても立場や発言場所や言い方をわきまえないと国益まで損なってしまうことになる。ここで言う国益とは、現実と乖離した騒ぎによる日本人の自信喪失や、周辺国のつけあがりを誘発することである。このことにより、外交上で不利な背景が醸成されてしまいかねない。中国との経済的繋がり、韓国との中国包囲網の協力を考えれば、単純にそれらの国と子供のように喧嘩をするわけにもいかないだろうから、政府としても領土問題を抱えながら、どう手綱をさばこうか手探り状態だったはずであり、そのような中、今回の一連の騒動は政府にとって相当迷惑だったことがうかがえる。ついでに橋下発言は、アメリカ様という虎の尾を踏んでしまったかもしれない。
 本来は、内政干渉に相当する教科書問題、国の精神文化に繋がる靖国問題を始め、戦時中の侵略云々のいちゃもんや慰安婦の問題など、経済援助を含め敗戦国としての賠償を十分してきたのだから耳を貸さなければ良いのである。人のよい真面目な日本人は、すぐに耳を貸し援助として金を出すから、いつまでもつけ上がる国が出てくるのだ。つつき得になるならつつこうというのが世界の常識であり、日本から出たことのない日本人には分かりにくい部分である。もっともそれが、日本人の人が良いことの証明でもあるような気はするのだが。

 ドイツが過去の深刻な戦争問題を上手に片付けたのは、一度けりをつけた後に、一切他国の言葉に耳を貸さなかったからである。言っても無駄な国には誰も言わなくなる。
 ドイツは色々な工夫もしている。例えば日本人の精神を疲弊させた教科書問題で、ドイツは教科書の内容を全て地方に任せているので、外交レベルで文句を言われても対処できずに困るということになっている。攻め入る方も他国の地方行脚を強行し一つ一つ因縁をつけるのも疲れるから、結局は諦めてしまった。どこの国もこれらは単なる外交カードだから、効果がないと分かれば簡単に諦めるのが実態であることは、ドイツの例をみて明らかである。
 いつまでも目を吊り上げて騒いでいるのは日本人くらいで、そろそろ目を覚ましてはどうかと言いたくなる。世間の騒ぎは人権問題が核になっているのではなく、むしろ別のところにあるケースが多いのだと気付くべきだろうと思っている。
 ある方が中国へ行き、中国人に日本はかつて御国や御国の人に大変悪いことをした、本当に申し訳ないと話したそうだ。その時の中国人の反応は、なぜあなたが私に謝るのか理解できない、それは変だろうということだったそうだ。国と国の駆け引き、もしくは一部の思想家どうしのやり取りを真に受けて、とても恥ずかしい思いをしたということである。一般的な中国人の日本人に対する態度をよく見れば、取りだたされる日本たたきが独り歩きしている部分が相当あることに気付かされる。現実の物事とは、やはり現実的に動いているものだ。もちろん各人に主義主張と言うものがありそれを頭ごなしに否定するつもりはないが、リアルな現実を噛みしめながら言わないと恥ずかしい人、痛い人になりますよということを最後に付け加えておきたい。

 ちなみに我が家はようやく光通信インターネットが設置され、ベルはiPadで、ユリはiPhoneで、僕とモナはパソコンで、それぞれお気に入りの映画・アニメを快適に見ることができるようになった。
 昨夜僕とモナはベッド脇にコーヒーを用意し、ベッドに寝転んで二人でゆっくりHD(高解像度)の映画を楽しんだ。その横でユリが別のアニメを見ていた。ベルは自分の部屋のベッドで、自分のお気に入りを見ていた。昨夜の過ごし方はそれぞれそのような形で、我が家はますます平和である。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ




広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。