フィリピーナと共に
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2013年02月14日

663.素晴らしき宇宙人

 目覚めた時に、ユリがベッドの端でぐっすり眠っていた。その寝顔をじっと見ていると、彼女が安心して眠れる環境を整えることができている自分に心からほっとする。
 その手前、つまり僕の隣にはモナの寝顔があるが、新婚でもない現時点でその寝顔からしみじみと何かを感じることはなくなっているものの、とりあえず彼女も心の平和を保っていそうなことに安堵する気持ちが、僕の中のどこかにあることは確かだ。
 肝心の自分は、嫁と娘が大きく占領したベッド上の僅かな余り、おこぼれのような隙間をいただいて辛うじて寝かせてもらっているようなものだ。たまに帰ってそのようなことだと、我が家でも僕の中ではしっかりと居候感が漂う。ベッドに横たわる時に、恐縮してお邪魔しますと断りを入れる必要がありそうだと思ってしまうくらいだ。一晩で最低二度はベッドから押し出されそうになり、落下直前に無意識の防衛本能がそれを食い止める。この防衛本能も鈍ってしまえば自分は簡単に床に転落することになるが、仕事の最前線に復帰したおかげかそのような神経まで研ぎ澄まされているようで、熟睡していながらハッと気づく自分に人間本来の能力を取り戻しつつあることを喜ばしく感じている。

 先日フィリピンの友人がフェイスブックに僕と一緒に写った写真を掲載すると、日本の友人から「今どこにいるの?」とコメントが入った。その写真は、天に向かってそびえ立つ五本か六本の巨大な石を背景に撮った写真だった。
 僕は「火星で遺跡を発見してしまいました。ここにはフィリピン人と呼ばれる陽気で何事にもめげない宇宙人がたくさんいます」返事をした。
 そう、僕はチャイニーズニューイヤーの連休にあわせ、フィリピンの自宅に帰っていた。しかし既にお伝えしている通り、マレーシア現地ではいまだ多くの問題を抱えているために、自宅でのんびりできる期間は僅か四日間。本日は既にフィリピン最終日の移動日である。つまりこれをインターネット上にアップする頃には、僕はマレーシアの自分の部屋に戻っていることになる。

 レガスピに到着した日は日本で言う見事な五月晴れ状態で、清々しい風が深い緑を蓄えた木々を揺らしていた。馴染みのタクシードライバーになんとも気持ちのいい日だと言うとドライバーは、昨日までの三日間はずっと雨で、あなたがここに帰ってきたからこの天気になったとお世辞を言いながら笑っていた。
 短い休暇だが短いがゆえに有効に過ごしたいと考えた僕は、ベルの学校が休みの翌日曜日に子供をどこかにスイミングに連れて行くことをあらかじめ決めていた。子供にはできるだけアクティビティーの機会を与えたい。全てのアクティビティーが子供の糧になるとは限らないが、自分がそうであるようにそのうちの一つか二つは一生心に残るものが出てくるはずだ。
 モナも同じことを考えていたようで、僕がこのプランを持ちかけた時には既に地元の友人とお出かけの約束が出来上がっていた。目的地はフィリピンでも有数の高級リゾート、ミシビスベイである。ビコールのこのリゾートはあまりに高すぎるため、客はほとんど外国人だ。僕もフィリピンでは外国人だが宿泊するのは夢のまた夢という高値で、一泊一人三万円ほどかかる。我が家の家族が揃って出かけたら、一泊二十万円ほどかかることになる。今回の目的地は高根の花であるリゾート本拠地の燐場に位置する自然公園だった。こちらは入場料が一人二十五ペソ(五十円)とリーズナブルだ。リーズナブルでもそこからしっかり、見る場所によって緑色や深い青色に見え方が変化する海に小さな島が点在する、極上と呼んでもよいほど美しい自然の風景を堪能できる。

 そこは本格的なリゾートで、人里から随分離れた秘境を思わせるロケーションに展開されている。そのためそこまでの道々は自然の厳しさをそのまま残した山と谷を越えて行かねばならない。よって急勾配の上り坂で、一緒についていったダディのトライシケルが全く歯が立たないのだ。少し手前の町の人がトライシケルでは上れないと忠告してくれたが、お得意の何とかなるだろうで行ってみると、何とかするために大変な労力を要するはめになった。
 友人たちとバイク六台プラストライシケルというツーリング構成で臨んだ一行は、ダディのトライシケルが上り坂途中で悲鳴を上げ止まると、ママ、ベル、ユリをトライシケルから降ろし、他のみんなは自分のバイクを降りトライシケルを押し、ようやく勢いづいたライシケルは再び停止するまで少しでも多く先に進む。残されたママ、ベル、ユリを他のバイクに再配置するが、予定外のメンバーに各バイクは乗員ぎりぎり。危険なところは無理にバイクに乗ることを止め、誰かが犠牲になり徒歩で進む(僕とママが一番歩いた?)。こうなると行楽日和でなによりであった暑い天気が恨めしいほど邪魔になる。木陰でのんびりランチを楽しんでいたはずの時間に、僕たちは真上近くなっている太陽の灼熱攻撃を身体に受けながら、汗を流して坂を上るトライシケルを押していた。おまけに腹も空いている。無口になったママを見ながら「怒ってるよ」というモナの一言が僕を震え上がらせ、前途多難、疲労困憊という文字が頭の中を駆け巡った。
 更に帰りのことを考えるとますます憂鬱になってくる僕をよそに、ダディや他のメンバーは、「これぞアドベンチャーだ」「これも貴重な経験だ」と奇声に近い声を上げて喜んでいた。本当に前向きな人たちである。中国と日本の問題がトリガーとなり第三次世界大戦に突入しフィリピンが巻き添えをくっても、この人たちはきっと同じことを言っているだろう。この宇宙人たちの特性は、相当陽気でポジティブらしい。

 現地に到着しても僕とモナは、プールで遊ぶベルとユリをプールサイドでぐったりしながら見ていた。僕たちは子供と一緒にプールに入り遊ぶ体力を、目的地にたどり着くことだけで根こそぎ奪われていた。現地にはドリンク販売をしている場所もなく、僕は「よく冷えたビールを飲みたい」とぼやいてうなだれていた。皮をむいたグリーンマンゴを手渡され、グリーンマンゴってこんなに美味しいものだった? と不思議に思うほど身体が水分を欲していた。その頃ようやく僕は、どうやら自分たちが本格的なサバイバルに突入していると気付いた。
 食い物だけはたくさんあった。各自持ち寄ったものだ。彼らの食べ物はビコールエクスプレスと呼ばれるパイナップルやオキアミや野菜の混ざった辛いものや、とてもしょっぱい魚の干し身や、チキンの揚げ物や煮物のようなものや、皮のついた豚肉の料理だった。サバイバルに突入するとこれが何でも美味い。普段僕はあまり食べない彼らのしょっぱい干物がやけに美味しく感じられ、そのことで労働すると塩分が欲しくなることを久しぶりに思い出した。久しぶりと言えば身体を張った遊びも久しぶりだ。そう考えると先ほどのアドベンチャーという言葉も、なるほどそうかもしれないと思えてくる。空腹が満たされひとまず落ち着いているからそう感じるに過ぎず、再び渦中に入ればそんなのんきなことは言えなくなることは分かっていても、とりあえず冒険に苦労はつきものだと前向きに考えた方が気は楽だった。
 プールの後にはスカイウォークという遊びをした。要は高所にかかる傾斜ロープに滑車金具のついた命綱を使いぶら下がり、ターザンのように傾斜を滑り降りるやつだ。高所恐怖症の僕は上までいくと気持ちのよいものではなかったが、やるやると張り切って言ったユリも上に上ると泣いて尻込みをした。下手に暴れて落下したら命に関わる。係員もよく心得ていてまずは泣くユリに命綱をつけ反対を柵に取り付けた。滑り降りること自体は恐怖感も何もなくたいしたことはないが、大抵の人は高所から飛び降りるような最初の部分に尻込みをする。
 その後教会を見学しようやく予定のスケジュールを全て消化したと安堵していたら、今度は記念撮影だと言って様になる背景を探してはみんなでそこに行く。この人たちは疲れるということを知らないらしい。とにかく彼らは自分たちが地球上を探検している証拠写真を残すことに余念がないのだ。フェイスブックにアップされた写真も、その場面で撮った一枚である。僕が写真をパスしてバイクの近くでたばこを吸いながら待つと言っても、彼らは決してそれを許してくれない。楽しみを共有したくて仕方がないのである。だからみんなで撮らなければ意味がない。時間とお金をかけてやったことは未来永劫再び楽しめるようデジタル情報にして格納・いつでも閲覧可能な状態にするのが彼らの流儀のようだ。

 今度は来た時と逆に山と谷を越え人里を目指す。ママとベルとユリは最初からダディーのトライシケルを放棄した。そのことで軽くなったトライシケルは、今度はロープで引いたりみんなで押さなければならない回数が三回〜四回で済んだ。行きの学習効果が帰りに生きて快調に進む。その様子に彼らには高い学習能力があることが分かる。険しい道が終わったところでモナが無免許の僕と運転を交代しようかと言ったが、日曜日は検問がないという言葉を信じそのまま僕が運転を続行した。そこには彼女の運転よりも無免許の僕の運転の方が安全という判断があった。ところがもうタバコシティーが目と鼻の先というところで、しっかり検問に出くわしたのである。彼らは何でも大丈夫と考える癖があることを、痛いほど実感した瞬間だった。検問三十メートル前で気付き、僕はモナに相談するためバイクを止めた。選択肢はUターン、振り切り(検問無視)、袖の下など色々とある。袖の下が通用するか分からないが相手は四人。「一人千ペソで四千ペソか、いてぇ〜なぁ」などと僕は考えていた。お巡りさんから見える場所でぴたりと止まったこと自体、既にかなり怪しい。そうしているうちにお巡りさんにおいでおいでをされてしまった。お巡りさんは今にもこちらに歩いてきそうな雰囲気だ。
「このまま行って」モナが言った。
「このままって、このまま?」
「大丈夫だから」
 この宇宙語の「大丈夫」という言葉を再び信じていいものだろうか、僕の中には大きな躊躇があった。しかしとにかくこのまま前に進めと言うので進んでみると、おいでおいでをしているお巡りさんは僕たちにそのまま行けと言っている。つまりおいでおいでという仕草は最初から行け行けというサインのようで、これがどうにも紛らわしい。彼らにはすぐに判別できるらしいが、僕には皆目区別がつかなかった。とにかく行ってもよいと言うなら、ここはしっかりお言葉に甘えさせてもらった。しかしどう見ても怪しいのだから止められてもおかしくないが、お巡りさんたちは僕が通り過ぎるのを気にも留めない様子でただ突っ立っていた。彼らの職務に対する責任感や考えを、少し垣間見たような気がした。

 家に帰ってからママが僕にぼそりと言った。あの場所には二度と行かなくていいと。
 宇宙人と思っていた人たちの中にも僕と同じ気持ちを持つ人がいるのだと分かり、目からうろこが落ちるようにハッとしながら僕は感動にむせた。
 久しぶりのアクティビティー、このような感動で終えることができたことは、幸せだったの一言に尽きる。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:663.素晴らしき宇宙人
2013年01月30日

662.人生が動き出すか?

 僕はベッドの上に横たわり、胸の上に置いたアイフォンに語りかけていた。アイフォンからは、フィリピンにいるモナの声が明瞭に聞こえてくる。天井で回っているファンがいつでもお前を殺すことができると言っているように、ぐらぐらと楕円運動を繰り返しながら真下の僕に風を送っていた。大きな羽の回転と同期したこの揺れがいつかファンを天井につり下げるフックの金属疲労を引き起こし、深い眠りについている僕の寝首を本当にかいてしまうのではないだろうかと気にしながら、僕は会話をしていた。外の音が一切入らない室内には、ファンの回る風きり音だけが静かに不気味に響いている。
 会話にはバイバーというインターネット電話を使っていた。これはデータ使用量が少なく済み、厳しいインターネット環境のフィリピンとの間で格段の通話品質を確保できる。アイフォンのフェイスタイムも音質や画質は良いが比較的多くのデータを要するため、マレーシアでパケット量に制限のあるインターネットを使用している僕はできるだけバイバーを使用するようにしている。(制限を超えるとお金を継ぎ足して使えるのだが…)

 会話がちょうど区切りよく終わり、そろそろ通話を止めようかと話していた時だった。モナが忘れ物に気付いてしまったというように、「あっ」と声をあげた。
「今日ロンが泣いてたのよ」
 それまでぼんやりと彼女の話に付き合っていた僕は、この意外な言葉に気を引かれた。
「どうした? 何かあった?」
「分からない。でも泣いていた。泣いているのを隠していたけど確かに泣いていた。彼女と別れたかなあ」
「まだ続いていたの? あなた前に、もう別れたかなって言ってたじゃないの」
「それはたぶんでしょ。たぶん今日別れたなあ」
 前もたぶんで、今回もたぶんだ。次にもしロンが泣いていたら、またたぶんという言葉が登場しそうだと思いながら、僕はモナの話の続きを聞いた。
「そのあとロンは元気ないのよ。すぐに部屋に入ってずっと寝てたみたい。ぜんぜん部屋から出てこないのよ。ごはんの時もよ。たまに出てきて水を飲んで、また部屋に戻るの」
「もし別れたとしても、それは仕方ないな。仕事をしない男にずっと付き合うほど、彼女も馬鹿じゃなかったってことだ」
「そうねえ、彼女は前わたしに教えたよ、彼女のロンに対する一つの不満はそれだって」
「当たり前じゃない。将来のない男といつまでもくっついている女の方がおかしいよ。そうそう、彼女は賢いってことだ」
 ロンの彼女が初めて我が家を訪れた時、ロンにしては頑張って可愛い子を見つけたものだと僕は感心した。細身で小柄で、目のくりっとしたフィリピン美人だった。小顔の整った顔は利発そうに見えた。具体的な顔がなぜか思い出せなかったが、僕はその印象を頭の中で再構成しながら言った。
「そのことは僕が前から話していたでしょう。このままだったらロンは恋人に逃げられて、まともな結婚だって一生できないかもしれないって。その予感の一つが当たっただけだよ。いや、これは予感なんていう生易しいものじゃない。予言だ、予言。これからもこの予言は当たるぞ」
「予言って何?」
「いいんだよ、そんな面倒くさいことは気にしなくて。予感みたいなもんだよ」
「そうか、でもそうねえ」
 自分で自分の話が変な言い回しだと思い調子が狂ったが、モナはまるで気にしていなかった。
 僕はこの時自分の考えが的中し、少し得意げになっていたかもしれない。しかも僕は、モナやママの心に根付いている家族へのだらしない寛容さというか、家族をだめにする優しさというものに対して気付きを与えることができるチャンスだと思った。
「そもそもさあ、あなただってそれを分かっていたでしょう。でもフィリピンの人たちはいつも実際にそうなってから慌てるんだよ。それじゃあ遅いってことがたくさんあるでしょう。あなたたちって僕がだめだと教えても、その時は全然反応しないんだから。いやあ遅い遅い、遅すぎるよ」
「しょうがないでしょう、それ。フィリピン人のキャラクターなんだから」
「そうだね、しょうがないね。それじゃあロンが恋人に逃げられたのもしょうがないってことだ。そしてこれからロンがもっと不幸になっても、それもしょうがないね」
 さすがにここまで言うと、モナは反論の余地がないようで口ごもった。彼女はロンが幸せになることを心から願っている。ロンが本当の意味で幸せになるために、モナはロンに何が必要かを初めて真剣に考え出したようだ。
「そうねえ……、ねえマハール、わたしロンを少し遠くにやった方がいいと思うんだけど」
「遠くにやるってどういう意味?」
「アブロード(海外)で働かせるって意味よ。わたしそれ、彼に話してみようかな」
「だからさあ、それは僕が前から話していたことでしょう、早く家を追い出した方がいいって。僕たちの生活がまともなうちに。それだったら何かあっても最低の手助けはできるんだから。だけどそれを今やるの? ロンは泣くほど落ち込んでいるんでしょ? 僕は本人を直接見ていないから判断できないけど、こんな時ってそっとしてあげた方がいいんじゃないの?」
「そうなの?」
「だってさ、泣くほど落ち込んでいるロンを遠くにやって、あなたは心配じゃないの?」
「それはすごく心配よ。今でも気になって仕方がないわよ。時々ロンの部屋に行って、寝ているロンが、あ〜、息してるって確かめてるわよ」
「だったら少しだまっていたら?」
「でも気になるのよ。心配もあるのよ。でもロンは何もいわないからなあ」
「言いたくないからでしょう。今は少しだまっていなさいよ。もし働かせるなら魚屋のおじさんにお願いして、サラリー要らないって言って働かせてもらいなよ。忙しく身体を動かしているといいもんだよ、こんなときは」
「ねえ、ねえ、マレーシアはだめ? サラリー要らないから、あなたの近くで働けない?」
「あなたは何も分かっていない。いいか? 食べるものに困ることなくこの部屋で快適に暮らすってことは、今と何も変わらないんだよ。彼に必要なのは一生懸命になることだ。がんばるのが足りなかったら食べるものに困って、寝る場所もなくなって、どうしたらいいかを必死で考えながら生活することだよ。だから僕は彼を家から追い出せって言ってるんだよ。これ、意地悪じゃないからね。ロンが心配だからそう言ってるんだよ。分かる?」
「あ〜、それ分かる。だからあなたは、前わたしに厳しかったのか。今それすごく分かるよ。あなたはわたしを愛していたから、わたしを試したり厳しかったんだ」
「なっ、なんでそんな話になるの? ばか、それは違うよ、全然違う。それはあなたの勘違いだよ」
 突然話が僕の予想外のところに飛び、しかもモナは二人の過去を振り返り真剣にそう言いながら感心したり感動しているから、僕は可笑しくなって笑ってしまった。
「なんで嘘言う。あなた笑ってるから、それは嘘だな。あなたは嘘を言う時いつも笑うからね。あなた本当は、わたしのことを真面目に考えていたんだ」
 被害妄想という言葉があるけれど、モナのそれはまるでそれと反対だった。本人が勘違いで喜んでいるならそれでもよいが、ここで「その通りだ」と嘘を言っても嘘はどこかで辻褄が合わなくなる。そのような嘘は将来ばれても構わないが、そうなれば僕はモナに追及され、その時に僕はこの会話と雰囲気を再現し、そしてあなたが勝手に勘違いしたということを丁寧に説明しなければならない。そんなことは想像しただけで僕は憂鬱になる。だから僕は、それがモナの大きな勘違いだということを正直に言っているのだ。しかしモナはまるで信じてくれない。ロンのことが心配だと言っていた彼女が、電話口の向こうでうっとり悦に入っているのが見えるようで、そうなればなるほど僕はそれを否定したくなった。
「あのね、それは本当にあなたの勘違いだから。前の僕はムッとしたら怒って邪魔だと思ったら知らんぷりしてただけで、あなたの将来のことなんかこれっぽっちも考えてないって。僕は人の将来のことより、自分の将来のことで頭が一杯だったんだから。将来っていうよりさ、その時の自分のことで精いっぱいだったよ」
「なんで嘘言う? あなた変だなあ」
 どうしても笑ってしまう僕に対して、モナはますます真面目に言ってくる。そして僕はますます笑ってしまう。
「なんでそんな話になるんだよ。今はロンの話でしょう。恋人という心の支えがあればロンも一人で海外でがんばれるかもしれないけど、今はどうなの? ちょっと厳しいんじゃないの?」
「わたし今、彼の働く場所探しているわよ」
「ばか、ロンはもういい大人だよ。なんでそこまであなたが面倒みるの? そのくらい自分の気力でやらないと続かないからだめだって」
「ロンも自分で調べてるしアプライ(申し入れ)もしてるよ。あっ、ペナンは一杯仕事あるよ」
「だあからあ〜、僕の近くはだめだって。あなた人の話をちゃんと聞いてる?」
「だってあなたが近くにいたら安心でしょう」
「それは安心かもしれないけど、だめだって」
「だったら日本で働けないかなあ。わたしの知り合いの社長にお願いしてみるか」
「日本はやめた方がいいんじゃない?」
「バアキィーット?(なんで?)」
「日本人の女がロンと恋人になったり結婚すると思う? ロンはずっと寂しくなるよ」
「お金たまったらフィリピンに帰ってフィリピン人と結婚すればいいでしょう。ロンはまだ若いのよ。それに少しくらい歳をとっても、お金があったら結婚したいフィリピンの女はいっぱいよ」
「そっ、そう? それじゃあ僕もお金をセービング(貯金)しておかなくちゃ」
「ああっ?それ、どーゆー意味?」
「保険だよ、保険。あなたに捨てられた時の」
「あ〜、あなた嘘言ってる。あなた若い女をゲットしようと思ってるんでしょう」
「そうじゃないよ。ただね、お金があったらきてくれる女がいっぱいいるんでしょう? その必要がある時にそうできるようにしておいた方がいいじゃないの。そうしたくてもできないより、それができた方がハッピーでしょうよ。でさあ、なんでロンの話しがいつもこうなるわけ? 今はロンの話しでしょ」
 僕は自分の失言が話の方向を狂わしたことなど棚上げし、そう言った。
「おお、そうだった。ロンが日本で働くとしたらあなたの友だちに相談できない?」
「できるよ。例えばリトだったら、もしお願いしたら真剣に動いてくれるよ。僕が悪いと思うくらい一生懸命に」
 リトとは前職の時にフィリピン工場で働いていたスタッフだった。現在は彼もかつて一緒に働いていた会社を辞め、自力で日本の会社に就職し、日本で家族と一緒に幸せに暮らしているフィリピン人である。信じられないことに彼は本名で登録していない僕のことをフェイスブックから探し出し、僕が日本にいる時に突然連絡をくれた。あまりの嬉しさに僕はすぐ新幹線で彼の住む場所に行き、久しぶりに再会を喜んだ仲だった。
「リトには時間のある時に訊いてみるけど、日本は止めた方がいいと思うよ」
 こうと決めたらまっしぐらのモナは、とにかくロンを海外で働かせることで頭が一杯になってしまったようだ。ひとまず様子を見ようとか、身近なところで労働させようという僕の言葉がまるで耳に入らない。
「ロンは人が背中を押さないと動けないタイプだから」
 僕の話しなどお構いなしに、モナはそんなことを独り言のように言いインターネットで調べ物をしている。そして日本やペナンや台湾や香港などの地名が、ロンの就職候補地として彼女の口から飛び出す。
 そんなモナに付き合いながら、気付いたら昨夜は深夜零時を三十分も過ぎていた。

 僕の周りでまた、一つの人生が動き出す気配を見せ始めている。脚光を浴びせなければ誰も気に止めない単なる他人の人生だが、こうやってスポットを当ててみれば、人それぞれに自分が重いと感じる自分の人生と同じものが、川べりの石ころと同じようにそこらじゅうにごろごろと転がっている。
 僕はモナと結婚をし、彼女の人生の中で彼女の人生を左右する大きな役割を担うことになった。彼女もまた同様に僕の人生を左右する大きな役割を自らに与えた。そして二人は、今や子供たちの人生をも背負っている。既にお互い、とても重大な役割を担ってしまっている。これは二つの人生がどこかで融合していることと同じだ。そのモナの人生の中で、彼女の弟であるロンの人生は、家族として彼女の人生の一部になっているのだ。こうして他人の人生は、自分の人生とどこかで接点を持つことになる。
 僕とモナの人生の融合は、どれほど喧嘩をしようが、どれほどムッとすることがあろうが簡単に解消できないし、もしそうなることがあるならそれなりの意味や理由がなくてはならない。人の人生と自分の人生が融合したり接点を持つということは、そのくらい重大なことだろう。ついでに言えば、その重みは日本人もフィリピン人も何人でも変わらない。その意味で人はやはり平等である。
 さて僕は、身内としてロンの人生にどこまで踏み込んでいけるのか、それは僕には分からない。最後は自分の人生だ。各々が責任を持って自分の人生図を描いていかなければならないが、自分が人の人生の中で何か重要な役を演じることができるとしたら、それは時に自分の喜びに繋がるのかもしれない。そこから生じる苦悩があったとしても、それすら自分の人生の一部になればそれはそれで何かを感じながら、それが自分をどこかに導いてくれることもあるだろう。
 そのことでぐちゃぐちゃになっても構わない。雨降って地固まるという言葉もあるくらいだ。五十年近く生きている自分は、これまでそのようなことを散々経験している。最近は意識的に、波風を起こすことで地を固めるずる賢さが身についている自分に気付き、これが処世術というものの一つかもしれないと自分に対して冷やかな感心を抱くこともある。そして僕は、気付いたら固まった地を自らほじくり返しながら今に至っている。そう考えればまだまだ若いロンは、紆余曲折の放浪を経験し挫折を味わってもたいしたことはない。必要なのは前に進もうという気力だけだ。
 つかず離れずの距離を保ちロンの行く末を見守りながら、僕はこれからモナを通し、好むと好まざるに関わらず彼の人生に関わっていくことになるのだろう。
 そんなものはほっとけえ〜という声が、日本の方角から聞こえてくる。この幻聴は、現実のものとなるのだろうか。僕の予言はよく当たる。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:662.人生が動き出すか?
2013年01月28日

661.エバおばさんマニラへ

 日曜日は午後二時過ぎに部屋を出て、モールをぶらついた。家電売り場で売れ筋のパソコンを触り、食品売り場で自炊をイメージしながら野菜や肉や魚のチェックをし、雑貨屋で調理器具の質と値段をみて、ダイソーで細かい生活便利用品を物色した。これだけまわりながら買ったのははさみとホッチキスだけで、今日のところはウィンドーショッピングといったところだが、それなりに楽しんだ。
 その後はスターバックスでコーヒーを飲みながら考え事をし、五時頃に早めの夕食として中華レストランに行き、蟹とホタテのチャーハンとマーボー豆腐を注文した。
 丁度マーボー豆腐が目の前に届いた頃、Nさんからスターバックスで僕が出したチャットメールへの返事が返ってきた。
「マークさん、お久ぶりです。いま、個室でガンバってますので、また、後ほどメールさせて頂きます。PoPo」
 最後のPoPo(うんこ)という言葉にクスッとしながら、僕もそれに返信した。
「ちゃんと水で洗って下さいね。フィリピンスタイルで・・」
 それに対してNさんは速攻で、親指を立てたオーケーサインの絵を送ってきた。相変わらず面白くてタイミングの良い人だ。おかげで少しだけ、目の前のマーボー豆腐をみる目が変わり食欲が減退した。

 マレーシアの中華料理はとても美味しくて食べたいものはたくさんあるが、一人では食べきれないので注文はせいぜい二品までとなる。辛みの効いたマーボー豆腐は大きな皿にたっぷり入って出てくるので、それだけでも食べきるのがようやくだった。食べている途中で妙にお腹がきついと思ったら、どうやらチャーハンも一人分ではないようだ。チャーハンというのはこじんまりしているので少なく見えるが、実際は量がある。今日のチャーハンは見かけからしてこじんまりしていなかった。最初からそのことに気付くべきだったのかもしれないが、ついつい僕はNさんの個室事情に気を取られていた。
 テーブルが五十もあり中国独特の色彩と飾り物が散見される立派なレストランで、たった一人で食事をしているのは僕くらいのものだった。そもそも中華とは、複数人で食べることを前提に料理メニューが決められている。少量で安く設定した料理がないところに文句を言いたくなるが、そこは調理の効率が優先されるのか、もしくは美味しく作る量の問題があるのだろう。それが嫌であれば来るなと言われるとそれも困る話になるので、そこはこちらが折れるしかなさそうだ。次第に込みあってきた中華レストランで、たった一人で一つのテーブルを占有することに居心地が悪くなった。僕は食事が終わると同時にきついお腹を庇うようにしてそこを出た。僕も個室で「食べたばかりのマーボー豆腐がもう生まれました、あ〜もったいない」と実況中継の返礼をしてあげようと思ったが、日本も食事時の時間帯に入りそうなので止めておいた。

 もう一度スターバックスに戻り食後のコーヒーを楽しもうか迷ったが、家に帰ればコーヒーがある。高いコーヒーをがぶがぶ飲むのはもったいないと気を引き締めて、そのまま部屋に直帰することにした。
 今日、夕食前のスターバックスで色々な考え事をしたが、部屋に戻る帰り道でも同じ事に耽って危うく車にひかれそうになった。というのもフィリピンの車は右側通行で、道路を横切る時はまず自分の左を確認しなければならないが、マレーシアは日本と同じで車が左側通行だから、道路を横切るにはまず自分の右側を確認しなければならない。これが時々混同し、逆側を見て安心して渡ろうとすると、見ていない方から車が来ているのだ。中国に行った際は車が右側通行なので、これもよく間違えて危ない目に遭った。随分昔アメリカで車を運転した時は、ロータリーでついつい逆走してしまうことがあり、危うく他の車と正面衝突しそうになったこともある。どうも右だの左だのとややこしい世の中で、なぜ世界で統一してくれなかったのだろうかと言いたくなる。きっと車の進行方向を決める時に、今のように世界中の人々がこれほど異国を行き来するなど、想像できなかったのだ。
 車の右側、左側が決まった理由として面白い説がある。日本は武士の時代、刀を左側にさしていた。すると歩く際に刀がぶつからないよう左側通行が便利なので、人を含めた全てが左側通行となり、その流れを継承し現在に至っている。しかしアメリカのような広い大陸では馬車の多頭引きが多かったが、御者(馬を操る人)が右手で鞭を扱うため、自然と座る位置が左側になったそうだ。するとすれ違いの場合は右側通行の方が便利になるため、そのまま右側通行になったとか。ほんとかどうか定かではないが、そうだと言われたらそんな気がする程度の説得力はある。

 ついつい嵌り込んだ考え事というのは、例の「ノルウェーの森」のことであった。一人称の思い出話という点で、自分がブログを始めた物語に随分共通するものがあったが、中味の充実度はケタ違いだった。なるほどこうして書くのかという見本のような本だったが、気付いても真似できるというものでもない。それでも僕は何かヒントを得たような気がして、そのヒントを何とか頭の中で形にしようと頑張っていた。そして車にひかれそうになった。
 ひかれていたらショックでよい考えが浮かんだかもしれないが、驚いただけで終わってしまうと掴みかけていたイメージまでが吹っ飛んだ。その代わりのように、僕はNさんから返事が来ていないことを思い出した。歳をとると、一つの引き出しを閉じないと別の引き出しが開かないようなっている。そこでようやくNさんのメールの内容に思いが至った。随分長いポポだと思ったが、さすがにもう個室は出払っているだろうと思った。Nさんは、開けた引き出しをしまい忘れて次の引き出しが開かないようなところがあるので、メールの返事が来ないのは、きっとそんなところだろう。きっと僕より少しだけ重症だ。

 今日はフィリピンから、一つのニュースも届いた。子供が貧弱でよく入院騒ぎを起こすエバおばさんが、今日の夕方のバスでマニラに引っ越したようだ。そのため昨日、マニラで働いていたおじさんがタバコシティーに家族を迎えにやってきたという情報がもたらされた。情報提供者はママの弟のノエルだった。第三者の情報だけが我が家に届き、本人たちはマニラに引っ越すことを一切告げず挨拶にも来ないようだった。エバおばさんと一緒に暮らすテスおばさんでさえ、ノエルの一報をもらうまでそのことを知らなかったそうだ。そんなことに呆れているモナをみて、ここは僕も一緒に呆れてあげるべき場面だとピンときたから、僕も一緒に呆れておいた。(僕はとうに見抜いているので、十分あり得る話ではないかと驚きもしなかった)
 そのことにママは怒っているようだった。僕もそのことは、しばらく離れ離れになるのだから決して軽いことではないと思う。我が家の家族はみな同じように感じたそうだ。
「もうあの家族に我が家は一切関係しない」
 ママがそう宣言したとモナが僕に教えてくれた。いや、モナ本人も見切りをつけたようなことを言う。そのようにいきり立つ気持ちは良く分かる。これまでエバおばさんや子供に何かあれば、自分たちのこと同様に心配し助けてきたのだから。
「あの伯父さんと叔母さんは、本当にコモンセンス(常識)がないんだね」
「そうよ」
「まあこれで、ママの実家も食いぶちが減って少し楽になるでしょう」
「わたしも昨日それ言ったわよ。一緒に暮らしても、ひとつもお金ださないんだから」
「だったら楽になって良かったじゃない」
「そうよ」
 モナの憤慨が電話の声から伝わってくる。
 結局マニラに旅立つ直前、エバおばさんはほんの少しだけ家族を伴い我が家に顔を出したそうだ。誰かの御注進に従って、仕方なくといった感じの訪問だったようだ。ママはおじさんに、一言も口をきかなかったそうだ。エバおばさんには、子供だけは責任もって守りなさいと、険しい顔でそれだけを伝えたそうだ。
 基本的に僕はママやモナの憤慨に理解を示しているが、心の中ではママやモナと一緒になって「なんなんだよ」とは思っていない。エバおばさんはママやモナと暮らし向きがまるで違うからだ。本来貧しければ何でも許されるわけではない。貧しくても立派な人はたくさんいるが、貧しければ心が貧するというのも、僕の頭の別の引き出しに入っている事項である。
 マニラで働くおじさんからエバおばさんに送金されるお金は、月に千ペソ(二千円)だ。それで二人の子供を抱え、「いったいどうするの?」という具合だ。そんな夢も希望もない生活を続け今後も良くなる見込みがないとしたら、捨て鉢になってもおかしくないし、そこに同情する余地はある。特に今日のように蟹とホタテのチャーハンだのマーボー豆腐などを食べたりすると、そんな贅沢をしている自分があの貧乏で苦しんでいる人たちを責められるかという気分になってしまう。おじさんは曲がりなりにも働いている。働いても自分にどうしようもない限界があるなら、尚更単純に責めるわけにはいかない。もっともそれとは違う次元で、世間の常識から逸脱している部分があることは確かであるけれど。

 僕は基本的に曲がっているので、みんなが憤慨すればそうやって同情するし、みんなが同情して甘いことをしようとすればブレーキ役になる。つけ上がれば厳しくなるし、謙虚になれば甘やかす。あえてそうしているのではなく、自然とそうなってしまうから僕も自分のことがよく分からない。
 それは人の心情として普通だということならば、僕も普通で良かったと思いながら、しかし感情に流されそうで困る時には、法律のような何らかの確たる基準に沿って決めてしまいたいし、そのための基準もしっかり持っていたいのだ。
 エバおばさん一家がマニラに旅立ったあとママの兄弟全員が集まった中で、心配だけれど厄介払いができて良かったじゃないという話になったそうだ。
 僕にはそれが、心配な気持ちを静めるための、単なる方便にしか聞こえなかった。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:661.エバおばさんマニラへ

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