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2013年01月19日

657.マレーシア帰着

 マレーシア・ペナンの大型モールの中にあるスターバックスにて、僕は相変わらずコーヒーを飲みながら無駄時間をむさぼっている。
 喫煙のできる表通りに面した屋外スペースで、僕は台風の前触れにも感じられる強い風(基本的にマレーシアに台風はない)を体で受け止めながら、時々持参した本を読んでは、またそれをパタリと閉じて世間を眺める。
 この地を通り抜ける風や、時折見かけるベンツやBMWなどの高級車や、豪華な二階建てバス、番号が電光掲示されている公共バスに小さな庶民カー、十分おしゃれなホットパンツ姿の若い女性に掃除を生業とする肌の黒い男性、コーヒーを飲みながら会話を楽しむ欧米人や突然始まる豪雨。
 周囲は既に、十分見慣れた景色ばかりだ。これらの光景に食料や生活用品を買う場所、食事をするレストラン、両替場所、くつろぐ場所と、それぞれの目的に応じた場所に関する知識が自分の頭や体の中に蓄積され、それらを探し当てることで僕はこの街に慣れてきた。
 部屋の中にはインスタントコーヒーとドリップコーヒーとオレンジジュースが常備され、クラッカーやポテトチップスなどもある。バターと少し高級なジャムも購入し、外に出るのが面倒な時には、コーヒーと合わせジャムやバターを乗せたクラッカーをつまみながら、軽い音楽やインターネットによる日本のFM放送をバックに本を読むというだけで、十分くつろいだ空間を部屋の中に作ることにも成功しつつある。
 慣れるということは知ることであり、麻痺することである。慣れるに従い興奮に似た感情が薄れる一方、生活には安定した落ち着きが出始めている。それはそれで悪くない。
 スターバックスからは一カ月半後に引っ越しをする予定の白くて新しい近代的なコンドミニアムが、通りを挟んだ低層の商店街の向こう側に堂々と見えている。現在住むコンドミニアムは二月の終わりで契約が終了する。そこをそのまま継続してもいいが、便利なモールまでやや遠いことを理由に引っ越すことを決めた。僕にとっては新しいとか古いというのはどうでも良かったが、プールがあることは絶対条件だった。僕がスイミングをするためではなく、ベルやユリがそれを楽しみにしているからである。大型モールの直近にあるという条件も、家族が来た時のことを考えてのことである。僕が仕事で家を空けている間にも、そこであれば家族に全く不便はなく退屈もしようがない。家賃は現在より二万円ほど高くなるようだが、そのくらいの待遇改善は許容範囲内のようだ。

 このような落ち着きを得ることができたのは、先日日本での仕事を無事に終わらせたことによる。今回の仕事は、以前自分が設計した測定器のリピートオーダーに対応するためであった。これがロングセラーになっており、ワンセットがかなり高価な商品にも関わらず、十台単位ほどでぽつりぽつりとオーダーが来る。僕は今後、基本的に日本の仕事はしないと宣言しているので、日本側でこの仕事を引き継ぐ人が用意されていた。引き継ぐ相手は十分経験のある有能な技術者であることに加え、その方の思考が前向きだったので、こちらとしては大変やりやすかった。
 そして何より今回の仕事に対するプレッシャーは、引き継ぎではなくソフトの変更であった。数あるお客に対応するために細かい仕様が追加となり、その度に機能追加となる。昨年マレーシアに居る際その内容の連絡を受け、変更は概ね安全に容易にできると踏んだが、一か所だけ不安を感じた。これまでの経験でその手の不安はほとんど的中するが、案の定そこだけは時間がかかり苦労した。それを日本最終日の夜中過ぎまでかかり仕上げ、今は顧客の評価待ちとなっている。一旦形を作ってしまえば、その後の細かい修正要求は容易だから、とにかくこれで一安心しているところだ。
 ソフトに関する引き継ぎはできない方だったので、今後大がかりな仕様変更要求が入れば再び実機検討のため日本に戻ることもあり得るが、遠隔操作の下地ができたことで、これからは仕事で日本に行く機会がぐっと減ることになると思われる。

 今回は最短距離の日程を組んで日本に行ったため、仕事関係やプライベートにおける知り合いで、多くの方に義理を欠いた。特に仕事関係では、日本に帰っていることがばれて食事のお誘いがいくつかあったが、時間の調整がつかずその全てをお断りすることになってしまった。その度に、次はプライベートで来るのでその時にはたっぷりお付き合い下さいとお願いしたが、「プライベートで」という部分は僕の本心で、家族連れでゆっくり日本に帰りたいという希望はこれまでにも増して大いに持っている。

 最近はたまにしかない日本行きの機会。本来はやっておきたいことがたくさんあったが、結局仕事に追われ、仕事は完了したもののプライベートのことはほとんどやり残してマレーシアに戻ってきた。
 午前十時半の成田発マレーシア便に乗るため、ホテルを出たのが朝の五時十五分。その日は仕事が朝方の二時過ぎまでかかり、ぎりぎりで荷造りをして一時間の仮眠をとって出てくる慌ただしさだった。
 せめて日本語の小説を少々まとめ買いしたいと思っていたにも関わらず、それもできずに成田に到着したので、飛行機のチェックインが済んで直行したのが空港内の書店だった。そこで適当に見繕って五千円ほど本を買い、次に子供たちからリクエストがあったお土産を探してみた。子供たちのリクエストは、モナによるとベントキャンディーというものだった。ベントという名前から、クニャクニャ折り曲げ可能なキャンディーなのかと想像していたが、それらしい物は見当たらなかった。モナに電話を繋げ、話しながら空港内をうろついていると、僕は偶然、変なキャンディーを発見した。弁当の形をし、ごはんやおかずが全てキャンディーでできているものである。
「弁当キャンディーなら、目の前にあるんだけどねぇ」
 僕は冗談のような軽い気持ちで言ったつもりが、モナから意外な反応が返ってきた。
「え? それそれ、ベントキャンディーよ」
「はあ? あなたが言っているのは、ランチボックスの『べんとう』のこと?」
「そうよ、何だと思った?」
「ちょっと待って、今画像を送るから」
 僕がモナの質問に答えず、早速TV電話に切り替えてフィリピンに弁当キャンディーの画像を送ると、「あ〜、それそれ。本当は自分でベントを作るやつだけど、それでもいい」と、軽快な返事が返ってきた。やはり「ベント」にしか聞こえない。
 ベントが弁当ということは、ベルやユリは日本でそのような物が売られていることを知っていたことになる。どうやって知ったのかを聞くと、YouYubeで見ているらしい。子供の世界にもボーダレスが浸透していることを知り、世界は本当に狭くなったと痛感した。

 とにかくこうして、子供のお土産を何とか買う事ができた。
 僕は僕で、以前から欲しかった本を手に入れることができたことに満足していた。空港の書店に、村上春樹氏の「ノルウェーの森」を見つけたのである。
 もともと僕は、村上春樹氏の小説は読まなかった。というより、以前たまたま手にした本が退屈だったので(おそらくその良さを理解できなかった)、その後は一切彼の著書を敬遠していた。しかし読みたい本も無くなって来た頃再び彼の著書を何気に買い、それから彼の本に嵌るようになった。それをギョウちゃんに教えたところ、彼は村上春樹はそれほど好きではないが、「ノルウェーの森」だけは今でもよく覚えている、良い読み物でお勧めだというので、それからずっと僕の中にその言葉がくすぶっていたというわけだ。

 子供のお土産を買い、自分の読む本を買った。そして他に、日本でやり残したことで空港で埋め合わせのできるものがないかを考えてみた。そうやって思いついたのが、日本の寿司を食べることであった。空港内に、聞いたことのある漁港の名前を冠した寿司屋があったので、そこで朝食をとることにした。
 他にやれることはないかを考え、最後は田舎の母親に電話をして搭乗間際まで取りとめのない話をした。母親も年のせいで、同じことを繰り返す傾向が出始めている。おかげで飛行機への搭乗が、一番最後になってしまった。

 飛行機は定刻に動き出した。そして滑走路の手前で、前にいる一機の離陸待ちをするため停止した。自分たちの離陸を妨げていた飛行機が飛び立つ様を見ながら、なんとも不思議な気がした。
 滑走路を走る飛行機は、どうみても時速五十キロ程度にしか見えない。(実際は時速三百キロオーバー)それがしばらくすると機首をふわりとあげ、角度を維持しながら空へ向かっていく。あんな重くて大きなものがまるで糸でつるされているように浮かんでしまうことが、どうしても自分の中で理解できない。もちろん揚力の概念は持っている。それでも感覚的に納得できない。
 自分たちの番になると、傍でみるよりも飛行機には加速感やスピード感がある。そして飛びあがる。機体の下から、おそらく車輪をしまい込む機械音が機体に響きながら聞こえてきた。そのすぐ後に、比較的低い高度(それもそう感じただけかもしれない)で、飛行機は急な右旋回をした。機体が右に大きく傾き、右側の窓から地面がすぐ近くに見える。
 なぜこれほどの低空でこのような急旋回をするのか。旋回の前に聞こえたあの機械音は、本当に車輪を格納するための音だったのか。旋回後中々高度を上げない飛行機を、僕は何かあったのではないかと疑い始めた。

 頭の中を、三十年前に起こったJALボーイング機の御巣鷹山墜落事故がよぎっていた。
 あの事故は、羽田空港離陸後間もなく発生した隔壁破壊が原因だった。そのせいで四系統あった油圧システムの全てが同時に壊れ、機体は操縦不能に陥った。パイロットたちは何かの爆発があったことに気付いた当初、自分たちの飛行機が操縦不能に陥っていることに気付かなかった。まさか油圧システムが全てだめになっているなど、予想できなかったのである。飛行機の上昇、下降、旋回をつかさどる機構は大きな機械のため、動かすには大きな力を要する。そのため飛行機は、ジェットエンジンを利用し高い油圧を作り、それにより各種機構を動かす仕組みになっている。その油圧システムが機能しなくなれば、飛行機の操縦は不可能となる。油圧がだめになったら飛行機が操縦不能になるという事実は、当時からパイロットたちを始めとした業界で、大きな不安材料だと提言されていた。
 既に上空八千メートルに到達していた墜落することになる飛行機の機内は、乗客室内を通常気圧に保つための隔壁が破壊され、すぐに低気圧・低酸素状態になった。それを検出すると客室には非常用の酸素マスクが自動的に降りてくる。しかしこの酸素は、五分程度しかもたない。よってすぐに、飛行機の高度を下げる必要があった。しかし飛行機が言う事を聞かないのである。
 そして操縦ができないことを知ったこの飛行機のパイロットは、車輪を降ろし空気抵抗をあげることで高度を下げようとした。それ以外の高度調整を、エンジン出力の上げ下げで行った。この際、エンジンの出力を下げ過ぎても上げ過ぎても機体の角度が大きくなりすぎ、失速・墜落を招く。
 ようやく三千メールまで高度を下げることに成功した飛行機は、機内の酸素不足の心配はなくなったが、今度は高度を下げたため、山にぶつかる危険と向き合うことになる。
 飛行機は操縦不能で、風が右から吹けば左に流され、逆から吹けば右に流されるという紙飛行機状態になっていた。パイロットはエンジン出力の上げ下げだけで高度を維持し、両翼のエンジンの片側を入り切りすることでかろうじて飛行機の進む方向をコントロールしていた。
 機長は異常発生後すぐに地上へ緊急事態を連絡し、羽田へ引き返す決断をした。名古屋空港に降りるという選択肢もあったが、すでに緊急着陸を想定していた機長は、救命体制がより整っている羽田に戻る決断をしていたようだ。
 それでも紙飛行機状態の機体を羽田に向けるのは至難の業であった。福生の米軍基地も着陸受け入れ態勢を整えた。そのような状況の中、操縦不能な飛行機は何とか羽田空港まで十五分という福生近辺まで辿り着いたのである。しかし急上昇、急降下ができない飛行機は、あくまでも緩やかに下降するしかない。福生近くに到達した飛行機が、すぐ近くの飛行場に着陸するのは不可能であった。しかも一歩間違えば住宅街に墜落し、その被害は甚大なものになる。
 青色吐息で羽田に進路を取ろうと必死にもがいている飛行機に、更に困難が襲った。飛行機が風に流され、山脈が連なる意図しない方向へと向かい始めたのである。飛行機が山脈群に入ると、低空を飛んでいる飛行機は山をかわすのが精一杯の状況になった。
「これはだめかもしれんね」
 墜落前に、機長のこのような声がボイスレコーダーに残っている。
 僕の曖昧な記憶によれば、飛行機はかろうじて二つの山をかわし、三つ目の山に激突したのではなかったか。
 操縦不能に陥ってから、この飛行機は奇跡的に三十分も飛び続けることになった。この種の不具合が発生してから三十分も飛び続けた事実は、航空業界では神業だったと言われているようだが、この時間は乗客が遺言を書く時間にもなったようだ。
 乗客、乗組員が、どのような気持ちでいたのか、想像に難くない。それを思うと、こちらにまで無念の気持ちが乗り移ってくるようだ。

 御巣鷹山の墜落事故は、こうして起こった。事故の原因となった隔壁破壊は、少し前にその部分に行われたボーイング社の修理作業ミスで、強度が弱っていたと発表された。そこに金属疲労が蓄積し、この惨事に結びついたとされている。
 よって僕は、感覚的に理解できない飛行機という乗り物にいつも懐疑的で、利用回数が多いにも関わらず、その度に真剣に事故が発生する可能性の恐怖と闘っている。着陸後はクリスチャンでもないのに、胸で十字を切って無事を感謝したい気持ちになるほどだ。

 マレーシアに向けた飛行機は、気が付いたらしっかり雲の上を飛んでいた。僕はあれこれ考えながら、寝不足がたたっていつの間にか眠っていたようだ。それもかなり深い眠りに陥っていた。それは目覚めた瞬間の、どんよりとした頭の重さ、鈍さで分かる。膝の上には、買ったばかりの村上春樹の本があった。
 飛行機の中で、面白いことがあった。僕がトイレの前で空くのを待っていると、マレーシア人のスチュワーデスが飲み物を準備する場所から僕を手招きする。僕が人差し指で自分を指して「僕?」と言うと、相手はコクコクと頷いてまたおいでおいでと言われた。物陰に隠れてキスでもしてくれるのかと近づいてみると、彼女は突然僕の来ていたジャンパーを引っ張り、機内で配るピーナッツが十個袋詰めになった開封前のものをまるごと僕のポケットに突っこんできた。
「はあ? これ、くれるの?」
 彼女はまたコクコクと頷き、人差し指を自分の唇の前で立てて、「内緒」を表現した。
 僕は用を足し、座席に戻りポケットのふくらみの感触を確かめながら、飛行機がクアラルンプールに到着したら何かしらのお誘いでもあるのかと期待してしまった。もしそうなったら、どのように断るべきかを考えていたが、飛行機の中で彼女とはそれ以外に接点がなく、最後も顔を合わせることもなく飛行機を降りることになり、僕は期待外れに少々がっかりした。
 クアラルンプールでペナン便までの乗り継ぎ時間を利用し、タバコを一服ふかした時にピーナッツがそのままであることに気付き、あれは一体何だったのだろうと考えながら、ピーナッツをくれた彼女の顔を思い出そうとしたが、輪郭がぼけてどうしても思い出せないことが名残惜しかった。



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エントリー:657.マレーシア帰着
2013年01月15日

656.心のクリアランス

 久しぶりの日本は寒い。今朝はみぞれまじりの雨におののいたが、その後みぞれは本格的な雪に変わり、信じられない勢いで積もる雪の様子を、僕は思わずフィリピンの家族に実況中継した。ユリはその雪にとても喜んで、雪のすべり台で遊びたいと言っていた。こちらは寒い、大変だと騒いでいるが、テレビ電話の向こう側はそれとは対照的にはしゃいでいる。寒さが伝わり麻痺した交通機関の被害者にでもならなければ、この大変さは中々理解してもらえないようだ。
 雪は数十センチも積り、夜には溶け出してぬかるみや表面がつるつるになっている。どちらにしても道は歩きづらく、時々綱渡りをするように体のバランスを取りながら、極めて慎重に歩かなければならない。成人式で勢いづいた若者もこれには辟易しているようで、滑りやすいピカピカの革靴で、何度もずっこけそうになっていた。
 ただでさえ南国からやってきた自分には、成田空港に降りた時からサーマルショック状態で寒さが身にしみていたのに、まさか大雪のおまけまでつくとは思ってもみなかった。

 成田に到着して思ったのはこの寒さと、そしてそこが日本の玄関にも関わらずなぜこれほど地味なのかということである。寒さと相まって、今回もそれを痛感した。色使いの問題なのか、配置の問題か、それとも構造の問題か分からないが、海外の主要空港と比較し成田空港は見劣りする。機能を満足していればいいと言われる方もいると思われ、それもそうだと思うところが自分にもあるが、人が集まる場所というものは機能に加え感性に訴える何かがあった方が、よりベターではないかとも思っている。
 そんな殺風景な成田空港の様子をみると、その都度、日本人はあそび心が少し足りないかもしれないと考えたりする。つまり日本人は生真面目過ぎる性質を持っており、時にはそれが大きな力を発揮するが、時には融通が利かなかったりゆとりを失ったりすることに繋がるのではないだろうか。
 機械でも何でもそうだが、「あそび」(クリアランス)が必要なことは工学の世界にも多々あることで、それがないと動きに問題が生じる、壊れやすいという危うさを伴う。もちろん全てに適用できる話ではなく、そのようなこともあるということである。
 それでも今回僕が飛び立ったマレーシアのクアラルンプール空港は日本人のデザインで、これはなかなか素晴らしい空港だ。考えてみれば日本のアニメが世界的に浸透し、ファッションは世界をリードしていると言われることから分かるように、日本人は感性の世界でもその活躍が目立つ部分がある。よってもともとそのような世界でも、日本人は素晴らしい力を発揮できる能力を十分有していそうだ。よってその気になれば、日本人はもっと、あそび心を発揮できる民族だと思われる。

 久しぶりに日本の街中に足を踏み入れてみると、何か元気が足りないように思えた。すぐに感じたのは、色々なところでの人出が少ないことである。そして笑い声が少ない。例えばフィリピンやマレーシアではコーヒーショップにいるだけで、うるさいほどの話声と笑い声が響いてくるのが珍しくないが、そのような光景を日本ではあまりお見かけしない。食事をする場所でも同じである。
 一昨日夜友人と一緒に行った日本のフィリピンには、お一人だけフィーバー状態の壮年男性がいて、思わず「いいね」というスタンプをそのおでこに押してあげたくなったが、それ以外は広くて落ち着いた店内に客が少なく、まるで高級ホテルのロビーかサロンのような雰囲気であった。僕は静かな方が好きで、リラックスしてその場をゆっくり楽しめたが、やはりそこにも元気がないという印象があった。
 とにかく静かすぎる日本をこの目で見ると、新政権によって日本が少しでも早く元気を取り戻して欲しいと切に願いたくなる。そして、この閉塞感漂う日本でがんばりながら悶々としている方々には、心の「あそび」を意識してもらいたいなどとも思ってしまうのである。この「あそび」を意識するだけで、普段の生活の中で少しは嫌な空気を受け流せるゆとりを持てるかもしれないのである。もちろんここで言う「あそび」とは御乱交の遊びではなく、心のクリアランスを意味する「あそび」のことである。

 昨日はスターバックスに行ったが、日本のスターバックスのコーヒーが結構高いことを改めて認識した。普通のコーヒーが小さいサイズで三百円少し。昨日は真ん中のサイズのコーヒーを頼み、四百円と言われた時に驚いた。そこでサイズ変更などとみみっちいことを言うのが恥ずかしいので仕方なく四百円を払ったが、僕の中で四百円と言えば、コーヒーとハンバーガーを買える値段である。それでもここには学生を始め、多くの人がいる。みんな高くてもそれに見合う何かを感じ、ここで過ごしているのだろう。そこにはきっと心のクリアランスを持てる何かがあり、肝心のコーヒーもまあまあ美味しい。だから少々高くても、人が集まる。

 スターバックスで、僕のすぐ隣では、マスクをした女性が医療関係の勉強をしていた。マスクで覆われていない部分から想像する彼女は大変綺麗な人だ。これを言うと、また始まったかと言われそうだが、今回の場合に限って嘘はない。
 そう思った時にふと、先日ある方が言った「マークさんは何でも美味しいと言う」という言葉を思いだした。
 僕の目には誰もが綺麗で、僕の舌には何でも美味しい……。そのようなことかと思ってから、たぶんそのようなことなのだろうと自分で思った。自分という人間は貧乏育ちのせいで、基本は贅沢のない人間のような気がするからである。僕は身につける服や物、食事、周囲の人間と、酷くなければほとんど許容できてしまい、少し程度が良ければすぐに満足してしまう人間である。このように自分が、とてもお得にできている人間だと自分でも思っている。
 つまり基本は、「まあ、いいんじゃない」で済んでしまう人間である。女性にしても、すぐに綺麗な人だと思ってしまうし、見た目の印象が悪くても性格が良ければ満足する。そしてそれが、自分の人生の中で感じる幸せの回数を増やしているように思える。
 僕は自分のこのような部分に、前述した「あそび」の意味を重ね合わせて考える。つまり、心の中にあるクリアランスのことである。何事にも重箱の隅をつつくような細かいことを求め出したら疲れてしまうし、世の中にパーフェクトは中々ない。完璧を追い求めると無駄も多くなる。実害のない部分については常に許容できるゆとりを持ち、本質的なところで妥協できるならば、「いいんじゃない」で片づけておいた方が楽なことが多い。しかし何でも「いいんじゃない」で片づけていたら、社会的な信用を得られず、言っている本人も得るものが少なくなるから、もちろんこだわるべきことというものはある。僕は、そのことまでを否定するつもりは毛頭ない。

 一つ、技術の世界における例を紹介したい。
 自分はとても真面目で、しっかりしていて、仕事も妥協しないと考えている人には、実は二通りの型が見受けられる。一つは要所を押さえ判断しようとする人で、もう一つは、加減が分からないので全てを把握しようとする人である。後者は全てを把握しないと心配で仕方がない人である。つまり言い換えれば、それとなく的確な勘を働かせ大丈夫だろうと思うことができない人である。そのような人は有能とは呼べず、効率が悪く、持っているスキルも成熟していない人と言える。
 もちろんその人には、糞がつく真面目さがあることだけは確かだ。物事のばらつきを含め全てを把握するのは不可能だが、それをしようと頑張る点は偉いと言えば偉いからだ。しかし実際は全てを掌握することなど不可能で、それにも関わらず全てを追及するあまり肝心な点で抜けが出る傾向がある。ならば感覚的に要所をつかんでパッと評価できる人の方が断然効率がよく、しかも理論的に説明できない部分においてその勘所が大いに役に立つ。
 つまり、的確ないい加減さで「まあいいか」と言える人、思える人というのは、それだけ心にゆとりを持てる人であり、また物理的なゆとりの時間をも作れる人である。
 最悪なのは、よく分からないけれど面倒だから「まあいいか」という適当さで、これは実害に直結しやすいから本当に危険だ。

 この例は、技術(仕事)の世界の話だけではなく、日常の生活にも同じようにあてはめて考えることができる。
 自分が何を求めているか、何を大切に考えているか、それが分かれば心のクリアランスを持ちやすい。お互いにそれを重視し、どうでもよい部分を受け流すことができれば、仕事も生活も随分楽になりそうな気がする。企業はもっとアジアで物を売ることができるようになるし(重箱の隅をほじくるように作る製品は高くつく)、日本社会はもう少し住みやすい場所になるのではないだろうか。
 久しぶりの日本、何もかもきっちりしている点は相変わらず感心するが、それでも南国体質の僕には、少々窮屈を感じてしまう。
 意外と技術屋さんがフィリピンに嵌りやすいのは、その辺に要因があるのではなどと、ふと思った次第である。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:656.心のクリアランス
2012年12月28日

648、奇襲攻撃

 クリスマスの後に台風という嵐がやってきて、それが過ぎたら今度は別の嵐が何の前触れもなくやってきた。突然どやどやと、ダディの親族が我が家にやってきたのである。
 ダディの親族、普段はほとんど交流がないので、僕には誰が誰だか良く分からない。ダディもママもいなかったら、親戚だと言われて我が家の食卓に座られても僕にはさっぱりで、「まあ、食事をどうぞどうぞ」となってしまう。一部の人は古い家に住んでいた時に近所で顔を知っているが、本日は知らない人も数名いた。子供も何人いるの?というくらい、ぞろぞろ数珠つなぎで家に入ってくる。数えてみたら子供だけで八人。それだけで、家の中は一挙に賑やかになった。
 この時期だけ、それだけ子供の頭数を揃えてやってくるなんて、本当に分かりやすい人たちである(笑)

 とにかく急なことで、我が家はもてなす準備が何もない。今日は日本向けの一日仕事が入っていたが、僕も急遽キッチンに呼び出され、モナと二人でばたばたと料理をするはめになった。(ママは体調不良で料理できず。風邪で熱を出している)
 良く見ると子供の中に、以前、突然我が家に置き去りにされた女の子もいた。前回もやはり前触れなく我が家を訪れ、ランチを一緒に食べて行った女の子だ。彼女は少し僕に慣れているので、その子だけはキッチンに様子を見にきて、「何を作っているの? う〜ん、いい匂い」などと声をかけてくれる。以前感じた、行儀が良く人懐こい印象はそのままだ。
 その女の子を見て思い出し、ダディのファミリーとは基本的に、奇襲を得意とする家系ではないかという疑いが頭をよぎった。

 子供の中に、もうじき四歳になるという男の子が一人いた。その子が酷かった。
 最初に僕とモナの部屋にずけずけと入り、部屋の中の物をいじくりだした。フィリピンではたまにこのような子供を見かけるので、その時点で僕は嫌な予感がした。要は遠慮、恥じらい、物おじが一切なく、本性むき出しのままに振る舞う子供である。
 その後、僕の嫌な予感はしっかり的中した。その子は、誰かが遊ぶものを手当たり次第に欲しがり、母親がみんなで遊びなさいと注意をすると、大声を出して暴れ出す。食べ物も座って食べず、食べ方はまるで犬か猫のような行儀の悪さに加え、その辺にぼろぼろと食べ物をこぼす。そこまでは許せたが、床に落ちたものを足でぐちゃぐちゃに踏み潰したところで、僕の血圧が十目盛りは上昇した。それをカーペットの上でやった時には、更に血圧が二十目盛りほど上昇。おそらく僕のこめかみ辺りの血管が、浮きだし始めた頃である。
 CDプレーヤーに目をつけたその子は、CDトレイを出したりしまったりとガチャガチャ遊びだし、プレーヤーの中や周辺にあるCDを手当たり次第に取りだしばらまき始める。止めなさいと誰かが止めると、鼓膜が破れるほどの大声で、手足をばたつかせ泣きわめく。しかも一緒に来た子供(お兄さんやお姉さん格)と何かを取り合いになると、相手を殴る蹴るという暴力でそれを奪い取る。よってユリがその子に近付くと、心配で目が離せなくなる。体が大きく(すごいデブ)、そうなると年上でもてこずるくらいだから、ユリなど簡単にブッ飛ばされてしまいそうだ。(ユリは危険を察知して、できるだけ遠巻きにしていたが)

 目に余る傍若無人に僕はむかつき、近くに立ちつくす僕の右手は自然と握りこぶしになっていた。そのこぶしがわなわなとみんなの視線にふれる高さまで上がると、モナやママやその子の母親は、それが僕の冗談だと思ってゲラゲラ笑い出すが、まるで冗談ではない。僕は本当に、頭のてっぺんから火花が出るほどの喝をガツンと一発入れてやりたかったのである。久しぶりに高ぶる自分の感情を認識したが、この国では子供に対する暴力は御法度。クローズな関係で相手が信用できるなら良いが、後で何をされるか分からない人の子供にやきを入れようものなら、後日警官がやってきて、訴えが出ているからとしょっ引かれる可能性がある。これは学校の先生も同じで、この国では教育的指導でも、子供への体罰は厳禁だ。馬鹿な政治家が人気取りで制定した法律だろうが、そのせいで学校では子供たちが先生を怖がらなくなったと聞く。

 それにしても、親が抑えきれない子供(幼児)の横着とは一体何なのだろう。親も本当に情けない。その子の親は子供の我儘ぶりを認識しているにも関わらず、おしりを引っぱたくことすらしない。口では叱っても、なだめすかす程度である。それも人のうちにお邪魔してそれだから、自分の家では推して知るべしだ。生まれてからずっとそれでは、子供になめられて当然である。
 この国の子供の躾は、人によって本当に問題があると思うことがあるが、親族にもこのような輩がしっかりといたということだ。知らないところにぞろぞろ親族がいるのだから、それも当たり前と言えば当たり前。まだまだ自分の未知の世界が、親戚という狭いカテゴリーの中に多く存在していることを、僕は再発見したような気分だった(発見したくなかった…汗)

 そんな様子に辟易しているところに、ビッグニュースが飛び込んできた。じきに来る大みそかには、このダディのファミリーといつものママのファミリーが我が家に集結することになったそうだ。なぜそうなったの理解できなかったが、こちらからお誘いしたことではないそうだ。先方からお邪魔してもいいか? という感じで確認され、それにたじたじとなりながらも頷いてしまった……と、そんな感じだったようだ。お邪魔してもいいか? と言われ、それは困ると堂々と言ったらそれまた大発見でもしたように僕は驚くだろうが、ここは堂々と、困ると言って欲しかったのが本音である。
 これまで疎遠を貫き通してきたダディのファミリーのすり寄りは、少し嫌な予感がする。本日我が家に来た叔母さんのうち二人は、過去から引きずる因縁がある。それはママが嫁いじめされたところから始まり、モナがベルを身ごもって出産した際、良からぬ噂を近所に広められたことで、両家の犬猿関係が決定付けられた。性格の悪さは人相にも十分出ていて、一人は数年前から見事な悪人面をしていたが、外から嫁に入った叔母さんまで、歳を重ねることに同じような面構えになってきた。この悪人面コンビ、我が家に来る時はいつも一緒である。

 年末に勢ぞろいすることにえ〜っと驚く僕を見て、モナは嫌なの? なんで? と言うが、答えは簡単。人間的に嫌いだからだ。普通は嫌いだという言葉を遠慮して言わないものらしいが、僕は嫌いな人は嫌いだとはっきり言う。(本人に向かって言うことはあまりないが)
 理由を尋ねられたら、だって嫌いだから……と言う。それでもしつこく理由を追及されたら、聞き手がもうやめてくれと言うまで嫌いな理由を適当に並べたて、つまりは波長が合わないということだ、それって嫌いだからじゃないの? と少し訳の分からない論法で締めくくり煙に巻くことにしている。
 そもそもかつて隣同士で住んでいた時に、その叔母さんと我が家で朝昼晩の挨拶を交わしていたのは、まだ右も左も分からない娘婿の僕一人だけだった。ママやダディは顔を合わせても知らんふり。モナは挨拶をしていたが、いつも無視されていたそうだ。それほどお互い犬猿の仲だった。
 それが突然一緒に年末年始をやろうというのは、一体何なのだろうか。

 僕が年末にその皆さんと一緒したくないのは、本当は理由がある。
 一つは、今日一日遊びに来てくれただけで、僕は目眩を感じるほど疲れたからだ。それはどうしようもない餓鬼が一人いたせいでもある。
 もう一つは、これが御縁であのファミリーと距離が近づくことが嫌だからだ。ママのファミリーとはこれまで散々言いあって、お互い何を尊重しているか、何をしたらいけないか、ようやく分かり合えてきた。だからみんながここに遊びにきても、僕が疲れることはあまりない。強いてあげれば、音楽の音量をもう少し落としてくれない? 程度である。
 そのような分かり合う努力をそれ相応の体力を使い別の方々と一からやり直すことは、考えただけで気が遠くなる。
 そしてお近づきになれば、必ずお金の問題が発生する。これまでの様子を見ている限り、ダディのファミリーはお金に関して図々しい。かつては日頃の挨拶を無視するにも関わらず、叔母さんはママがいない時を見計らってモナにお金を借りに来た。モナが断れないのを知ってそうしていたのだ。その時の態度もまた、妙にふてぶてしいのである。
 よってリスクはできるだけ小さくしておくために、親しく付き合う親戚は限定し、これ以上広げたくないというのが、ダディの気持ちを無視した僕の勝手な考えである。
 そういえばダディの側には、今日はいなかった強力な御老体がいる。過去二回、いずれも不意打ちを食らわすように現れて、飲み食いし酔っぱらって僕に絡み、最後にお金を集金して上機嫌で帰るつわものだ。その方まで加われば、これはもう大変なことになる。

 さて、普段顔を合わすことのないダディとママの二つのファミリーが一緒になり、一体どうなるだろうか。この家に僕が入って初めてのことだが、長いダディとママの歴史の中でもお初のことのようだ。
 久しぶりに、記事を書く気力が満々となりそうな年末になってきた(T_T)



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