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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年12月09日

641.起伏

 昨日の土曜、日本ではアメーバのフィリピン関係ブログの方々で、忘年会が開催された。もし自分がフィリピンにいたら、フィリピン-日本の往復無料チケットが手に入るので、とんぼ返りで参加させて頂きたいという考えもちらりとあった。それがかなわず寂しい思いをしているところへ、会場から実況中継が入り、恥ずかしさと驚きで心が飛び跳ねた。
 マレーシアのだだっ広い静かな部屋でボーっとしている中、ちょうど開催の乾杯の様子が中継された。こちらはTシャツに室内用ショートパンツ(下着のパンツと見分けがつきにくい)で、だらしなくソファーに寝転がっているところへのTV電話だったので、慌てて姿勢を正し、できるだけこちらの下半身が映らないよう気を付けながら、その様子を見させて頂いた(汗)。
 日本の会場の熱気がiPhoneからむんむん伝わってきて、自分の部屋とのギャップにやや戸惑いを感じながらも、羨ましいというのが正直な感想だった。その後、次に中継が入ったのが三次会のPPでの様子。これには僕も、インターネットはTV電話も自在にできるようになったのだから、人も瞬間移動できるようにして欲しいと真剣に唸った。それが可能なら、シャワーをしてすぐに着替えるから十分待ってくれと言い、即決で日本に飛んだはずだ。
 三次会ともなればみなさん酔っぱらっており、おそらく自覚は無いと思われるが、画面に登場したサラマさんはろれつがおかしく、隣に座る奥様は怒った表情と優しい表情を五秒間隔で切り替えるなど、やはりアルコールの毒牙にかなり侵されている御様子。相変わらずムッとされているのか機嫌が良いのか、分かりづらい方である(笑)
 楽しいひと時を元気に過ごされているようで、こちらも寂しい夜に一花添えて頂いた嬉しい出来事だった。

 そんな僕は昨日、部屋から一歩も出ずに一日を過ごした。ランチは食パンとチーズ入りウィンナーを食べ、夜は非常用カップラーメンをついつい食べてしまった。少々足りないので、昼の残りの食パンにチーズ入りウィンナーを挟んで、追加で食べた。
 こんな生活をしながら、昔の貧乏生活を思い出していた。
 フィリピンに移住する前の、ユリがモナのお腹に入っていた時期だ。仕事のお金が入るのはずっと先で、フィリピンには生活費やモナの妊娠定期健診代を送らねばならず、日本の自分が綱渡り生活をしていた時期のことである。一個の百円食パンで何日生きられるかという生活に、それこそ十円や五十円、百円のコインを大切に使っていた。五百円硬貨を死ぬほど有難く感じる生活であった。
 しかしふと気付いた。嬉しいこと、楽しいことはそのまま残っているが、苦しいことは過ぎてしまえば笑い話になっていることが多い。せめて教訓として残っていればよいが、それすらない場合もあり、人間として成長できない自分の南国体質を思い知る。
 そのような苦しい時期に、書き残したものがあった。ブログにも投稿していない原稿である。自分の心境をベースに小説を書いた、その出始めの一節である。そこには次のようなことを、当時の自分が書いている。

 生きることは難しい。切ないと言った方が正しいほどだ。早く楽になりたいと思いながら、ちっとも楽にならない。
 これまで悪くなりっ放しでないことに救われてきた。上向くこともあるのだ。そうでなえれば僕はとうに、この地球上から姿を消していた。
 自分の人生、まるで山脈を縦走する時のように、ほとほと疲れる起伏に満ちている。上向いて今度こそと思うとまた下り出す。
 周りを見渡せば、みんなそれなりにやっている。自分の歩く道だけがぬかるみだらけに思えてしまう。僕は生きる素質がないのだろうか。そんな気がしてくる。虚無感、閉塞感、倦怠感が自分を襲う。
 そんな時に、突然一通のメールが自分の携帯に舞い込んだ。
「元気? 会いたい」
 この極めて簡単な文章に、僕は救われた。それだけの言葉に、一体何のエネルギーが潜んでいるのだろうか。不思議でならないほど僕は救われ、僕は再び山の上を見て歩きだす元気を貰った。

 こうしてメールを貰った「僕」は、メールの差出人とのやり取りを通し、生きる意味を見出していくという物語である。背景は自分の当時の心境がベースになっており、実際にこの簡単なメールを送ってくれたのはモナである。自分が誰かに求められているという事実が、自分の心を救ったという話だ。
 誰かに必要とされることの大切さを知り、同時に誰かを必要とすることの意味も知る。人間は一人では生きづらいということであり、その中で、自分の最後まで傍らにいて、最後まで自分を必要としてくれる人が、生きる上でどれほど大切であるかに気付く。それを知れば人に頼ること、必要とすることにも意味があることがおぼろげに見えてきて、生きる上で気持ちが楽になる。

 さもしい生活の中で過去を思い出した自分は、起伏を上り下りする度に、少しは精神的に強くなったのかなと振り返っていた。
 過ぎれば笑い話。次の下り坂は最初から笑って下りたいものである。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:641.起伏
2012年12月08日

640.続・売春について

 先日の売春に関する記事は、普段懇意にしているAさんからも反応があった。Aさんは僕をよく知り、しかも普段から僕のブログに関し、文章、内容にお褒めやいちゃもんを下さる方である。Aさんは記事タイトルを見て、僕がとうとうマレーシアでそのような体験をし、そのレポート記事を出したのかと勘違いしながら、ドキドキワクワクして記事をあけたそうだ。もっとも本当にそうだったら、「まずいですよ〜」などと言いながら、きっとお叱りを受けたに違いない。ちなみにその方は売春とはまるで縁遠い人で、普段も盛り場にさえ行かない人である。

「Markさん、売春を肯定しちゃだめですよ、そのような話しは胸のうちにしまっておかなくちゃ」
 さっそく苦言を頂いた。そう言われ、それは僕ももともとそのように思っているので、きっかけはある記事にムッとし、そう思っていたところにヒロシさんの記事が出たので、ついつい嬉しくなって目の前にぶら下がった餌に食いつくように前回の記事を書いたと説明した。(明確な共通の反論対象…というより何か言いたかった…があったので、尚更こそこそするのが卑怯に思えたというのは本当のことである)
 少々記事に関する議論を挟み、Aさんはどちらかと言えば売春否定派として持論を展開されていたが、いつの間にか話が変な方向に流れていった。

「そりゃあね、僕だって中学生くらい若い女の子のおま@こをペロペロしたいと思うこともありますよ。Markさんだってあるでしょう?」
「はあ? いやあ〜、僕は全くないですけど」(僕は真剣な口調で答えてしまった)
「いっ、いや、中学生はちょっとだけど、高校生くらいのおま@こを綺麗だなぁなんて思いながら、ペロペロしたいなんて思いません?」
 その方の人格、風貌からとてつもなくかけ離れた表現方法や話しにやや違和感を感じながら、僕は答えた。
「いやいや、そっ、それも全くないですけど」
「そっ、そうなの〜?」(冗談話だと思っていた僕は、そこで真面目に驚かないで欲しいと切に思った……汗&笑)

 実は僕は今、妻以外の女性に全く興味が無くなり、男として問題があるかもしれないと、軽く、あくまでも軽くであるが悩んでいるのである。誤解を招かぬように言えば、機能不全を起こしているわけではない。ついでに打ち明けてしまえば、実はモナから、十二月に子供を作ろうという申し入れがあり、考えた末にそうしようと了解もしている。つまりもうじきフィリピンに帰れば、僕は子作りに励むことになっている(汗)
 なぜ十二月なの? と尋ねると、モナとユリは誕生日が一日違いなので、次の子供は僕と近い誕生日にしたいという狙いがモナにあるようだ。僕にはそのようなこだわりは全然ないが、近いというのは誕生日パーティー開催を考慮すると厄介なので、どんぴしゃで同じか、せめて一日違いくらいにしたいというのが僕の希望だ。そうなれば、パーティーの回数を減らせるなどと、まだ上手くいくかどうか分からない話に、真剣に悩んでしまった。

 話を戻すが、Aさんはばつが悪くなったのか、何となくしどろもどろになって話題を変えた。
「とにかくコメントのやり取りを見て、僕はドキドキしちゃいましたよ。気の強いと思われる僕は気が弱いんだけど、気の弱いと思われているMarkさんは本当に気が強いんだから」
「いやぁ、僕もあんな風に言われると、ついつい相手の気持ちを逆なでしたくなっちゃうんですよねぇ、悪い癖で(笑)」
「とにかく面白い、面白い、いやぁ〜、面白かった」

 この会話にあるように、先日の記事に対し、賛否両論のコメントを頂いた。
 僕は賛成派の方と、それもありだよね〜などと連帯意識を持って売春万歳などと言うつもりは全くないし、反対派の人に突然迎合し、おっしゃる通りだ、ごめんなさいなどと言うつもりも毛頭ない。どちらにも迎合するつもりがないから、本来はこの話題や考えを胸にしまっておくべきだったのかもしれないが、敢えて出したのには誰にも想像のつかない訳がある。
 きっかけは先ほど述べた内容に間違いないが、僕は頭の中にある特定の人を思い浮かべ、その人にあの記事の内容を語りかけたかったのである。実はある事情により、最近の記事のほとんどは、その特定の人に語りかけているつもりで書いている。そして僕はその特定の人に、人間と人間の関わりについて、様々な角度から考えて欲しいと願っているのである。
 ただし本人にも周囲の人にも、そんなお節介なことは打ち明けていない。もしかしたら、当事者は僕の記事を読んでいないかもしれない。

 その延長の話題として、更に書き進めてみたい。たまたまブログに寄せられた反論的コメントで、良いネタがあったのでそこから入りたい。
 世の中にはそのような仕事に従事したおかげで、心に深い傷を負った女性がいるという話があった。
 僕はそのような女性を身近で見て関わった経験があり、そのような方の心の痛みについて一緒に涙を流したほど、そして思い出しても目頭が熱くなるほどよく分かっているつもりである。
 僕は日本でもフィリピンでも、ある時期盛り場に散々通ったが、実はヌードショーだけは今でも行かないし行きたくない。バーという類の店は数えられないほど通ったが、ヌードショーをメインにしている店は、セブで二か所、マニラで一か所の三回しかないと記憶している。
 なぜそうかと言えば、ステージで踊っている女性の顔が悲しそうに見えるからだ。いずれのヌードダンスでも、ダンサーは笑顔一つ見せず、大勢の男の前に自分の裸をさらす自分の境遇を、恨んでいるように見えてしまうからである。実はそうではないかもしれないし、笑顔を振りまいていたらさまにならないから、そうしているだけかもしれない。しかし僕には、そう見えてしまうから仕方がない。これが楽しそうにやってくれたら、こちらも楽しんで、チップをステージに投げ入れて盛り上がる(一緒に盛り上がってあげる)のだが、どうにもそうはならない。そう感じることで相手に感情移入してしまうため、自分が暗い気持ちになってしまう。
 マニラでは一度だけ友人の付き合いで行ったが、その時はモナも一緒で、僕はほとんどステージから目をそむけてモナと話をしていた。

 ところがバーの女性は比較的明るい女性が多く、こちらも心から楽しむことができる。こちらが心から楽しめば、座ってくれた女性も楽しい気持ちになってくれるようだ。(そう錯覚させてくれたなら、それも技ありで良いと思う)
 そこで楽しい時間をくれたお礼の気持ちをチップで渡せば、一瞬驚いた顔をされ、頭をペコっと小さく下げてお礼をくれる。その一瞬の動作に、女性たちの素直な本当の気持ちが見えることがある。一瞬のやり取りで、しかももう二度と会わないかもしれない相手だが、男女の恋愛感情を抜きにした人間対人間の、気持ちの通う瞬間を感じる取れることがあるのである。そんな時には更に嬉しい気持ちで、店を後にすることができる。
 周知の通りバーで働いている女性たちは子供や家族を抱え、できれば昼の仕事をしたいが働く場所がないため、時には嫌な気持ちになるのを承知でそれを我慢し頑張っているという人が多い。かつてのモナもそうだった。その手の話を百パーセント信じられるかどうかは脇に置き、相手の態度や目を見てそれを信じられる気持ちになれば、僕は心から頑張ってるね、これからも頑張れよと応援したい気持ちがわき起こってくる。そのような相手と心が少しでも通じ合えば、相手は仕事をして報われた気持ちになってくれるかもしれないし、当然こちらも嬉しくなる。
 その相手がバーの女性ではなく、体を売る仕事をしているケースでもこれは同じである。彼女たちがノーチョイスでその仕事をしているのであれば、そしてそのようなこちらの気持ちを理解してくれる女性であれば、せめてつかの間の幸福感をあげたい、仕事のやりがいを感じさせてあげたいと思ってしまう。一生懸命奉仕してくれたなら、あ〜、気持ちいい、良かったよと言ってあげれば、彼女たちはその段階でプロとしての喜びを感じることにもなる。そのお礼として代金を少し奮発してあげれば、彼女たちは満面の笑みを浮かべることもあるのである。もし満足できなければ、満足できなかった理由をきちんと教えてあげたらよい。あなたは貧乳だから、こんなテクニックを使えばもう少しチップが稼げるようになるとか、ベッドの上では今一つだが、あなたの笑顔や性格はいいねとか、そんな会話をしてみれば良いのである。自分の希望を教えた後に、「それじゃあもう一回それで試してみようか」「わかった、いいわよ」などというやり取りに、何かいやらしさや人間としてロークラスな印象があるだろうか。

 さてここが僕の言いたい重要なポイントになるが、それが自然とできるためには相手を下に見ず、対等に向き合わなければならない。相手が何人でどのような仕事をしていようが、対峙しているのは同じ人間である。売春をしているというだけで、相手を傷つける権利は誰にもない。ただし相手が箸にも棒にもかからない人間ならば、気に入らなかった事象に対し、同じ人間として文句を言えばよい。そこからできるだけ偏見を除外できれば良いと思う。
 ベッドの上でボディーラングエッジを交わすのは相手が商売としてやっているのだからよいが、相手も自分と同じ人間であるのだから、相手をきちんと尊重してあげる気持ちを持つべきだと思うのである。そのようなことは、自然と相手に伝わる。その気持ちが伝われば、相手は居心地の良さを感じたり、僅かな幸福感を得ることになる。文句を言われても、きちんと言えば納得性が増す。
 しかし世の中には、色々な人間がいる。それは女性側もそうであるし、男性側も同じだ。その時に、そのような仕事に従事する彼女たちが変な男に変なことを強要され、それでも仕事だからと我慢をし、更に値切られて丸損な客にあたってしまったということよりは、彼女たち自身をしっかり見れて気持ちを尊重できる客にあたった方が、彼女たちははるかに幸せではないだろうか。僕は彼女たちの心の中にある痛みや影を知るほどに、そのように真面目に思うし、良い客に恵まれて欲しいと切に願うのである。
 だから僕は、ヒロシさんのような優しさと寛容さを持つ人が、どこかのエリアの大勢を丸ごと買占め楽しく御乱交してくれたら、よほど彼女たちが幸せなひと時を得ることができるだろうと真面目に思うのである(済みません、変なところで引き合いに出してしまって…汗)
 なぜ僕がヒロシさんをそれほど信用しているかと言えば、ヒロシさんのフィリピン人に対する接し方を見聞きして、ヒロシさんに人を人として見ている姿を強く感じるからだ。気に入らないことがあれば本気で怒るし、時には口が悪くなるが、がんばる人間、気持ちが通じる人間を決して見捨てず、もし自分が悪いと気付けば反省をし、それらの態度には相手を蔑む様子がない。
 口やブログでいくら良いことを言っても、僅かでもそのような気持がある人は、小さなことからほころびが出る。それに気付いて反省をする人なら良いが、気付かない人もいれば開き直る人もおり、そのような人は救いようがない。善人ぶっている人の口から、あの女はもう切ったとか切るなどという言葉がぽろりと出てくれば、その一言だけでその人の相手に対する立ち位置を知ることになる。

 もちろん売春をする女性たちを、自分の力でそのような生活から救ってあげることができればそれに越したことはないが、そんなことは無理である。そして、生きるために必死でそのような仕事をしている女性に、無責任にそんな仕事は止めろということはできない。また、だったら買う人間がいなくなればいいんだと言う人がいるが、これは絶対になくなることはない。古代から続いてきた原始的な商売で、しかも国に寄らず貧しい人がまたぞろその稼業を生業にしている現状を見れば、これから突然売春が無くなることは無いと言い切って良い。
 それであれば、僕は売春という商売やそれをする人を気持ちの中で特別視するのを止めようと思うのである。同じ人間として相手を見て、自然な関わり方をしたいと思っている。
 よって売春・買春に関わらず単にPPに通う人であっても、相手を上から目線でしか見れない人に僕は馴染めないし、そうでない人には御乱交だと騒ぐ人でも嫌悪感を抱くことはない。ようは、それをする人間がどのような気持ちを持つ人か、ただそれだけを見ている。

 さてそこに、法律論を持ち出された反論があった。実は僕はその方に、法律って何ですか? と問いかけようとして、ややこしいやり取りが始まりそうな予感にそれを消したのである。そうなると面倒ということもあったが、仕事中でまともにやり取りできない状況下、厄介事を避けてしまった。
 法律とは、世の中の規範を作っているものの一つだ。同じ法律にも、たくさんの種類と考え方がある。インターネットでちょっと調べれば、その範囲の広さに驚かれるだろう。しかし所詮人が作ったものである。人が作ったものがパーフェクトであるはずがなく、そのために裁判がある。状況を調べ、現行の法律をベースに状況判断を入れて判決が出される。殺人をしても、場合によっては情状酌量が入る。つまり実態をよく見て、そこに世論も加味した上で量刑が決まるのである。しかも法律には優先順位というものがあり、当然憲法が一番上にくるが、場合によっては世の中の規範が優先するものもある。つまり法律とは絶対ではなく、議論を付き合わせなければ結論が出ない程度のものもある。
 例えば自分の目の前に、妻や子供を殺そうとしている人間がいたらどうするか。相手を殺してでも家族を助けようとするのではないだろうか。その時に、法律では殺人や傷害はいけないことだと犯人に呼びかけたり、自分に言い聞かせたりするだろうか。そのような時に法律では……と叫ぶのに、どれほどの意味があるかお分かり頂けると思う。
 こんなことを書くとまた、殺人と売春を同じレベルで論ずるなと言われそうなので、最初から言わせて頂く。僕はこの事例で、法律という言葉をかざすことは、時して空虚な物言いと態度になるよと言いたいのである。それを承知で、まだ言いますか? と聞いてみたいのだ。自分の経験をもとに、自分なりの考えや気持ちを伝えられた方が、よほど説得力があるし、こちらも真面目に答えようという気持ちになる。

 さて冒頭のAさんの話に戻るが、Aさんに売春を肯定しちゃだめだと言われた。それに対する僕の回答は、僕は売春という行為を肯定も否定もせず、それに関わる人間そのものを見て、人間そのものを認めたり否定したりしたいのだ。
 よって売春に関わる方には、相手を傷つける言動を、是非謹んで頂きたいと心から願っている。相手が頑張っている女性であれば尚更である。もちろんお金を払い短期契約の関係だから、言いたいことはきちんと言えば良いが、その時には相手と全うに対峙して欲しいと思われる。
 日本人は他国の人に比べ、その点で安心感がある。自らを最低のフィリピーナ末期中毒患者と称する遊び人の方も、明らかに経験が少なく震えているような女性を前にし、チップを渡すだけで帰したという話を読んだが、日本人にはそのような気持ちが残っている。
 僕はそのような方を否定する気持ちを全く持ち合わせていないし、それを上辺だけで誹謗中傷する人には、どうしても一石を投じてしまいたくなるひねくれものである。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:640.続・売春について
2012年12月06日

639.売春について

 先ほどロビー近くの喫煙所でタバコを吸っていると、掃除のおばちゃんが男性を連れてきて、この人にトイレの場所を教えてやってくれとお願いされた。僕は毎日、食堂や掃除のおばちゃんと会えばおはようやこんにちはという挨拶をするので、ようやく友達の一人として認められつつあるようだ。その証拠に、このようにフレンドリーにお願いごとをされるようになっている。僕も小銭がなくて自動販売機のコーヒーが飲めず困っている時、両替して〜とお願いすることがあるので、持ちつ持たれつの関係となっている。
 その男性、一見日本人に見えるが、ここでは相手が何人なのか分からないことが多く、英語で話しかけると英語で答えてきたので、あ〜、やはり日本人ではなかったかと思いながらトイレに連れていった。
 再びタバコを吸いながらまったりしていると、トイレを終わった男性がやってきて、「すいませんでした」と言うので、だったら最初から日本語で話してくれよと、驚きながら思った。本当に紛らわしい国である。

 さて、昨夜ヒロシさんのブログをチェックしてみると、売春に関する記事が更新されていた。

『「売春」ってやっぱりいけない事なの?』
http://blogs.yahoo.co.jp/zappspongi/10170132.html

 あるブログの「売春はいかん、止めなさい」という記事に対する反論記事であったが、そのヒロシさんの反論が素晴らしく、僕は思わずヒロシさんに、その記事に賛同の意を表するプライベートメールを送った。当然プライベートメールのやり取りは表に出ることはなく、自分が言い難いことを、世間に隠れこそこそ「よく言ってくれた」と話をするのも卑怯な気がしたので、僕も自分のブログでヒロシさんの記事に賛同する旨、ここで堂々とお伝えしておきたい。

 そもそもその記事に賛同したい気持ちになったのは、いくつかの理由がある。
 一つは、ヒロシさんの反論対象となった記事(未確認だが、おそらく僕も同じ記事を読んでいる。自分もその記事を読んで少々いらっとした)では、人間の本質的な部分をまるで無視し、もっともらしく上から目線で書かれていること。
 二つ目は、その対象記事が男性側の意見として書かれた記事であり、その男性側にも様々な意見があるだろうが、女性側の立場に立って考えた時にはこれも様々な意見があるだろうということ。女性も明確に賛同できなくても、背景にある様々な事情を加味すれば仕方ないだろうという意見が必ずある。むしろ女性の方が、理解を示す場合が多いかもしれない。
 三つ目は、仮に日本人がそのような遊びをする場合、相手の気持ちを考えた態度を取る方が多いこと。無意識に、決して相手の嫌がることを無理強いせず、お互いハッピーな関係を求める人が多い。それは傍目ではめちゃくちゃに見える方にも多くいらっしゃる。どちらかと言えば鬼になれる日本人が少ないくらいで、あげくケツの毛までむしられながら、悩み喜んでいる姿を散見する。
 四つ目、ここが大事だが、普段ヒロシさんが毛さんの詭弁には敵わないと言っておりながら、この記事の詭弁ぶりが大変見事で感服してしまったこと。反論記事の見本ともいうべき内容で、僕もこれほど堂々と詭弁を発信できるよう、もっと修業しなければならないと本気で思った。ご自分で詭弁と言いながら、それを僕がまるで詭弁に思えなかったのは、僕の思慮が足りないか、書き手がはるかに上をいくかである。

 以上が理由である。やはり説得力のある記事は読んでいて面白い。
 僕は最近、心の問題、男女の問題を意識しながら書いている記事が多い。当然それら人間関係には言葉の問題が内在するが、ボディーラングエッジというものは言葉で解決できない問題を解決できるものであり、もしくは新しい人間関係を築くための強力なコミュニケーション方法である。それは動物の本能がそうさせる場合もあれば、肌と肌の触れ合いを通して感じ取れるものが、実際に多くあるからでもある。ボディーラングエッジから読み取れる相手の気持ちというものが実に多いということは、おそらく大方の人が実感してきたことではないだろうか。だからお金を出してそうした時に、分かってしまえば虚しさを感じることがあるのである。(経験者は語る…汗)
 僕はそのような人間関係をお金を出してでも幅広く求める方々は、必ずしも下半身の快楽を追い求めているのではないと思っている。冒険心、新しい出会い、恋愛のトキメキ、自分の再発見と、実に多くの人間くさい要素が意識下にあって、それがそのような欲求という形で表れるのではないだろうか。
 つまりそのようなコミュニケーションを衝動的に求めたくなるのは、人間にとって自然のことであり、そこにお金が介在するかしないか、それだけの違いである。
 しかし、たまに理性の強い方がいて、理性で自分の中に感じる欲求を抑え込みながら、そこに踏み込めない方も見かける。それはそれで、その方の生き方、考え方であるから、僕は全く否定しない。
 僕は以前は理性重視タイプで、その後ヒロシさんタイプに変わり、現在は再び理性に負けている口だが、また何かをトリガーにしてヒロシさんタイプに戻るかもしれない。(どんなタイプだと、突っ込まないで欲しい…笑)
 しかし、人間の根底にそのような欲求があることを認めることは、人間として大切ではないだろうか。それを認めることで、男も女も気持ちが軽くなることが実際に多くある。逆にそれを認めないことは、人間として不完全であると言ってもよい。そして大方の人は、おそらく認めているし、認めない人は、その振りをしているだけだと思われる。
 ただし、いずれのケースにおいても相手があってのことなので、その手のコミュニケーションには最低限のマナーが必要だろうことは間違いない。
 個人的にはもっとたくさんの意見を持っているが、ヒロシさんのように的確に鋭く述べることができないので、ここではヒロシさんの記事に賛同することを、再度明確にするに留めておきたい。

 そう言えばフィリピンは大型台風が通過し、いつもと同じように大きな爪痕を残していったようだ。特にダバオ周辺の被害が大きく、おそらく連絡が取れないだけだとは思っているが、今僕も、知り合いの安否を気にしている。
 ブログ読者の関係者がいれば、その方々も含めて関係者の無事を、心から祈っている。



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エントリー:639.売春について

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