フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年12月02日

638.心のやり取り

 先週は日本から偉い人がやってきて、夜は連日お付き合い。お付き合いといっても軽くお酒を飲みながら食事をするだけだが、帰宅が毎日夜九時から十時になった。そうなると、もはや美味い物をただで飲み食いできる特典などどうでもよくなる。海外生活が長くなると、日本流の付き合いがとても億劫で、とにかくそのようなものに疲れを感じる体質になっている。僕にとっては日本の偉い人などどうでもよいが、現地の人の気の使いようが半端ではなく(以前勤めていた会社でも同じで、気持ちはよく分かる)、僕がつっけんどんな態度を取ると現地の方々に迷惑がかかってしまうので、仕方ないと諦めて四日間我慢した。

 しかも仕事では大問題が発生し、昼はその対応でてんやわんや。問題の詳細(現象、原因)は結構面白く、知ればためになる人も多そうだが、さすがに匿名でも人様の会社の実情を暴露するわけにはいかず記事には書けない。
 少しだけ概要をお伝えすると、問題の内容はハイテクな技術問題ではなくローテクな人災である。それはそれで対処が難しい。僕が世話になっている会社の顧客への対応が難解である。正直に説明すれば信用問題になり、かといって嘘をついても辻褄が合わなくなるから、その辺りのさじ加減が難しい。しかも金銭問題に繋がるケースでは、腹をくくらなければ上手に物事を運べない。しかし修羅場をくぐった経験が少ないせいか、誰も腹をくくろうとしない。説明はできるだけ事実に沿い、今後の問題発生防止策とリカバリーをこちらからきちんと提出すれば、あとは如何に謝るか営業の腕の見せ所だと僕は思うのだが、みんなどこかに責任を押し付けたいようで、そのしわ寄せがどうしても現地人スタッフに行く。だったら周囲は余計な口出しはするなと言いたくなる場面も多くあるが、日本人側はどうしても言いたいことが色々あるらしい。
 電話ミーティングで、僕は日本と現地の間に入り、状況説明、通訳とアドバイスをする係をしていた。日本人側はとにかく御託を並べどうにもならないことを何とかしろと言う。問題が起こると、人間の器の大きさが肩書以上か以下なのか良く見えてくる。こちらはできないことはできないと明確に伝え、現地マネージャーにこの部分は気にするな、無視して良いと耳打ちをする。
 とにかくこのように、多大な疲労が蓄積した一週間だった。ストレスになっていたのは僕だけではなく、むしろ日本側から散々責められた現地マネージャーの方が大きかったと思われる。
「事件は現場で起こっているんだ!」
 今は日頃からこのセリフを吐きたくなることが多く、自然と僕の気持ちは現地人マネージャー寄りになっている。

 ひと段落ついた金曜日の夜、一緒に問題と対峙していた現地の中国系マネージャーさんからお酒のお誘いを受けた。メンバーは今お世話になっている会社から二人、マネージャーさんの社外のお友達が四人、そして自分の総勢七人。いずれも中国系マレーシア人である。
 どこに行くのかと思ったら、これまで車の中から見かけていた怪しそうで気になっていたお店。店内の様子を見たいが、小心者であるがゆえに躊躇していたところである。店の外にはパブという看板がかかっていたが、中に入ると本当にイギリスにあるようなおしゃれなパブで、決して怪しい店ではなかった。値段も非常に安く、七人でピッチャービールを三つくらい飲んで七十リンギット(二千円弱)。食べ物のお金は、近所のピザ屋さんから届けてもらい、それはビールとは別で五十リンギットほど(約千三百円)。
 そこをあっさり引き上げ次にたどり着いたのは、僕が住んでいる場所にとても近い、KTVという看板のかかった本格的に怪しいお店。何が怪しいかといえば、KTVと書かれた看板の店に入り口が見当たらないのである。しかも煌びやかな看板の下の壁には、ウォールアートのような絵が描かれている。とても一人では入れないと思っていた店だったが、これも店内に入ってしまえば普通のお店であった。ちなみに入り口は、少し離れた同じ名前のレストランと共用になっており、店内でKTVルームに繋がっていた。KTVと言っても女性が隣に座るわけではなく、日本のKTVのあるスナックのような場所である。
 ここで一週間分のストレスを発散するかのようにビールを飲みまくり、酒に弱い僕も中国流乾杯に付き合った結果、かなりヘロヘロになってしまった。中国人というのは宴会の最中、とにかくしきりに乾杯をしたがる。何度乾杯したのかさっぱり覚えていないが、一番勢いの良かった人が終盤で撃沈したので、彼も同じ人間だったことを知り安心した。
 最初の店で僕は支払いを拒否されたので、二件目のKTVでは遮る手に無理やり百リンギットを握らせたが、おそらくそこも安かったのではないかと思われる。
 最後の締めはいつもラーメンだそうで、またぞろローカル食堂に移動してカレーミーというカレーヌードルを食べた。これが思わず唸ってしまうほどの絶品で、スープを全て飲み干した僕は、周囲の驚きをかっていた。ここの支払いも受け取りを拒否されてしまったが、ラーメンと飲み物で十リンギット(二百五十円)ほどだと思われる。
 このような楽しいひと時が一週間の締めくくりとしてあったのは、僕にとって救いであった。

 現地の人たちには最初、突然現れた日本人の僕を自分たちの敵か味方が値踏みしている雰囲気が感じられたが、こうして現地の中に溶け込むことができつつあると実感し始めている中、仕事も面白味を増している。実際に品物をハンドリングする現地人の信用を得ないと、実態の把握も上辺だけとなり、大切なことが見えてこない。すると、自分が何をするべきなのか分からず、的外れの仕事を増やすことになってしまう。
 現地の人の信用を得るためには、同じ足場に立って苦労を共にすることが一番だ。データを持ってこさせ、それを見て叱責したり指示を出すだけではどうしてもだめである。大変な時には自分も実務も分担し、お互い取得した情報をすり合わせ、一緒に悩んで正解を導きだすことが必要となる。これは以前勤めていた会社で学習したことだ。
 こうして生きた情報が自分に集まり出すと、それを掌握する者はどんな世界でも自然と強くなる。これが最大のアドバンテージとなり、仮に自分の周囲に僕のやり方に文句を言いたい日本人がいたとしても(実際にいつもむっつりしている人が少なくとも一人いる)、何も文句が言えなくなってくる。

 土日は相変わらず暇を持て余しているが、仕事や普段の生活は軌道に乗り、マレーシアで元気に過ごしている。フィリピンの家族も、相変わらずの調子で元気にやっているようだ。
 日本では知り合いの日比夫婦に問題が発生しており、昨日マレーシアのスターバックスでまったりしていた僕の携帯に、イマージェンシーメッセージ(緊急連絡)が入った。何事かと思えば、少し度を越した夫婦間の危機である。
 これまでその奥さんは、自分でできるだけ何とかしたいと話していたが、昨日は助けて!という内容でメッセージが入ってきた。奥さん側の一方的な話を解釈すれば、日本人旦那側に大きな問題がありそうだが、さて本当のところはどうなのだろうか。
 この件は当人からモナにも連絡が入っており、彼女も内容をよく知っている。モナは、「%$@ちゃんは、あまり勉強してないな〜」と、友人の男を見る目が足りなかったことを指摘した。その陰にフィリピーナ側の打算があったのかもしれないし、真実はどうなのか異国にいる自分たちは全く分からないのだが、奥さん側の話を聞くだけならば、確かにそのような部分も感じられる。
「あなただって、ベルのお父さんの時に同じ失敗をしているじゃないの」
「だから私はそれで勉強したでしょ!」
「%$@ちゃんも、これが勉強になるんじゃないの?」
「あ〜、そうねぇ〜」
「ところで、あなたは何を勉強したのよ」
「最初に日本に行った時、優しい日本人からたくさんプロポーズされたけど、私はその人たちをじっくり観察した。みんな優しかったけど、どの人にも顔が二つあるなぁって思ったよ。だから全部断った」
「だから優しくない僕を選んだの?」
「あ〜、気付いた?気付いた?それ気になった?」
 モナはここで、はしゃぐように喜んでそう言った。

 人の心をつかむというのは、意外なところにポイントがあったりするようだ。
 しかし仕事やプライベートにおいて、マレーシアの現場の様子にも書かせて頂いたように、心を通わせることに国境の壁はさほど無いように思われる。正しいと思われることを通していると、自然と理解を得られることが多いからである。しかしいくら正しいことでも、理屈ばかりが先行するとうちとけ合うのは難しい。相手の気持ちを考えながら折り合いをつけるところがミソのような気がする。人間の気持ちとは、常に正しい理屈に沿って動くものではないからだ。そこが人間の弱さであり、人間らしいところでもあるということを認めなければならないと思っている。

 僕はまだ詳しい事情を知らないため、相談を受けた女性の日本人旦那を一方的に責めるつもりはない。そして、二人の気持ちの問題については他人の自分が一切介入することはできないと伝えている。
 それはないが、もし旦那側が、フィリピーナ妻の彼女が慣れない日本で何もできないという安直な考えの上に胡坐をかき彼女に酷い仕打ちをしているとしたら、僕は事務的な手続きに関して、弁護士や日本のフィリピン大使館に勤める日本人、日本に長く住む信用できるフィリピン人夫婦の紹介など、彼女の孤独を救う最大限のバックアップをしようと考えている。
 そうなる前に、是非当人同士で気持ちの折り合いをつけて欲しいと切に願っているが、まずはお互いに、相手の気持ちをじっくりみつめ直して欲しい。それがなくして、心を通わせ合うのは難しいだろうと考える。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:638.心のやり取り
2012年11月25日

637.相性

 昨日モールをぶらぶらしていたら、ホールの特設ステージでダンスコンテストが開催されていた。四つほどのグループ(男・女・男女混合)を見たが、それが限界。まだまだ続くようだったがあまりの寒さに見ていられず、僕はその場を後にした。見ていて楽しくないダンスは、とても寒い。
 フィリピンでも同じようなイベントをたまに見かける。ダンスもあるし美人コンテストもある。出場者はみんなが素人だが、僕はそれらを見て寒いと思ったことが一度もない。それどころか足を止め、しばらく見入ってしまう。フィリピンの場合、出場者のパフォーマンスはみんなさまになっていた。
 そんなことに気付いた僕は、改めてフィリピン人が素晴らしいものを持っていることを再認識したが、残念なことにフィリピン人自身は、そのことに気付いていないような気がする。好きだという自覚はあっても、それがいつの間にか、他国の人に比べて抜きん出たものになっているとまでは思っていないだろう。それどころかフィリピン人は、フィリピンが経済的に立ち遅れていることを卑下し、経済だけではなく全てがだめだと思い込んでいる節がある。しかし、決してそんなことはない。あなたたちは素晴らしいものを持っていると、僕は声を大にして言いたい。
 だってマレーシアはフィリピンより暑いけれど、寒いんだから。
 素人におけるレベルには、天と地ほどの違いがあった。このことを、全てのフィリピン人に教えてあげたい。そして自信を持ってもらいたい。自然とそんな風に思った。

 さて、先日マレーシア人男性に、フィリピンには綺麗な女性がたくさんいると言われた。実はそんなことを言われたのは一度だけではない。最初は僕がフィリピンから来ているのを知りお世辞を言っているのかと思った。しかしマレーシアには、悲しい現実がある。
 以下、失礼な話になるかもしれないが、たまたま僕が目にしている主観的事実を述べたいと思う。(あくまでも主観で、人によってまるで異なる感想をお持ちの方がいるだろうし、それを否定するものではないことをあらかじめお断りしておきたい)
 最近のマレーシアでは、前方に抜群のスタイルを持つ女性を発見することが多い。そのような時に僕はついつい気になり、なんとか回り込んでちらりと前方確認させてもらっていたが、たまたま僕の場合は九十パーセントがそんなことをしなければ良かったと後悔することになった。あまりにそのケースが多いので、現在は夢を壊される悲しみに耐えられず、敢えて前方確認をしないようにしている。
 それにしてもあの素晴らしい体型とそれにそぐわない顔立ちの組み合わせというものは、不思議なほど慣れない。なぜ慣れないかと言えば、フィリピンで後ろ美人は前方美人という女性を見慣れているからだ。それが自分の頭に既成概念としてこびりつき、その既成概念とここでの現実が喧嘩をしてしまうようである。マレーシアの男性が、フィリピンに美人が多いと言うのは、心から納得できる。
 当然の話であるが、これは百パーセントの女性に当てはまる話ではない。もし身近にマレーシアの女性がいる方は、自分は希少価値のある女性をゲットした、もしくは知っていると思って読んでいただければ幸いである。
 しかしながらここでも僕は、全てのフィリピーナにこの事実を教えてあげたい。あなたたちはアジアの真珠と言われるだけの実力を確かに持っているということを伝え、自信を持ってもらいたい。

 しかしこんなことを言った後で全く説得力がないが、外見は所詮外見である。僕も半世紀近く生きた人生の中で、頭でいけないと思いつつ心が言う事をきかずにはまり込んだ経験が数知れずある。なぜ心が言う事をきかないかと言えば、やはり人間はキャラクターが重要だからだ。キャラクターに魅かれ出すと最初は印象の悪かった相手が、どんどん美人に見えてくる。どれほどいかんと思い自制しようとしても、一旦そうなるとどうにも止まらない状態になる。逆にどれほどの美人でも、性格ブスが相手では一年ももたない。それは僕も重々承知しているし、それが分からない人間は、男も女も必ず失敗を繰り返すと思っている。

 ではマレーシアの人間の性格はどうかと言えば、半分は陰気で半分は陽気だという印象だ。どちらかと言えば陰気な人間は中国系に多く、マレー系とインド系は朗らかでフィリピン人に共通したものを感じることが多い。特にマレー系は時間にルーズで自分と他人に甘く、諍いを好まないという点が似ている。僕はこれを、典型的な南国体質と名付けている。
 しかしたまに、非常にやっかいな性格のマレー系がいることも感じる。よく感じるのは、スーパーのレジを担当するマレー系女性に、異常なくらい無愛想な人間が多いことである。スーパーのレジでハッとする女性はまだ一人も見ていないが、せめて愛想くらいは見せて欲しいと思うことが大変多い。

 先日スーパーで買い物をした際、レジで商品の勘定が終わり、僕の目の前に購入した商品が積み上がっていた。ついついフィリピンの癖で、それらをレジ担当が袋に入れてくれるものだと思い突っ立っていると、レジの女性はそれを無視して次の客の商品を勘定し始めた。それが完全に自分を無視した状態なので、僕が「袋はない?」と訊くと、その女性は冷たく「ない」と言った。しかしレジの下に、スーパーの袋が束になってかかっているのが見えている。
「こんなにたくさん、どうやって持っていけというのか」
 僕は少々ムッとして、そんな言い方で問い詰めた。しかしスーパーのレジ女性は完全無視を決め込んで次の客の対応をしている。たまりかねた僕が「そこにある袋が必要だ」と袋を指さして言うと、その女性もムッとした表情で「0.2リンギット」と答えた。「あっ、ここではレジ袋は有料なのか」と初めて知った僕は、一リンギットを差し出して袋を二枚くれとお願いした。しかしその女性は、袋は一枚で十分だと言い二枚売ってくれないのである。「いや、二枚必要だ」ともう一度言ってみたが、結局僕の差し出した一リンギットから一枚分の料金を差し引いたお釣りと袋一枚をよこし、またすぐに違う客の対応を始めた。
 僕は品物が重いので、二つの袋に分散して両手にぶら下げて持ち帰りたかったのだが、結局重い一つの袋をひぃひぃ言いながら、部屋まで持ち帰ることになった。
 非常に後味の悪いやり取りで、その時には、彼女は自分の何が気に入らなかったのだろうと思ったが、実はそのような対応はここで当たり前ということが次第に分かってきた。
 フィリピンでも客を客と思っていない店員はたくさんいるが、マレーシアにはそれに輪をかけて態度の悪い店員がとても目立つ。
 しかし全員がそうではないことを知ると、なるほどこれは、個々の性格の問題もかなり大きいと分かってくる。おそらく、相当卑屈な気持ちで仕事をしているか、もしくは相当割り切っているかどちらかであるが、いずれにしてもそこから想像できる彼女たちの性格や考え方は、僕には馴染めそうにない。

 スーパーやレストランで働く女性でフレンドリーな対応をしてくれる人は、僕のこれまでの経験で全体の五パーセントほどである。こんなマレーシアを見ながら、一つの仮定の元に考えてみた。
 もし自分が独身であったら、初めてフィリピンを訪れた時のようにこの国の女性に嵌ることがあっただろうか。
 この仮定で考えるのは非常に難しいが、暇に任せ、一度心から独身になり切って考えてみた結果、どう考えてみてもなさそうだという結論に至った。必ずとは言い切れないが、その確率は極めて低そうである。
 実はこのマレーシアでも、歳の差夫婦というのは意外によく見かける。しかしここでの歳の差夫婦は、フィリピンで見かける異人種カップルと違い同民族同士で、最初は親子か夫婦か見分けがつきにくい。異人種夫婦が誕生しにくい背景には、宗教の問題があるような気がする。僕の先ほどのシミュレーションにおいて、マレーシア女性と結婚した可能性が極めて低い理由の一つに、宗教上の問題も含まれている。(イスラム教は異教徒との結婚を認めていないので、どちらかが改宗する必要がある)
 しかし一方フィリピンでは、これは危険だと感じるシチュエーションに結構出くわす。自制しなければ、僕はおそらくフィリピンで何度も嵌っていたに違いない。
 そんなことを考えてみると、僕がフィリピンに移住することになったこれまでの経緯は、偶然ではなく必然ではなかったかと、強くそんな気がしてくるのである。
 こんな考察を通して思い知る僕とフィリピンの相性の良さはいまだ健在で、それはこれからも、簡単に変わりそうにない。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:637.相性
2012年11月24日

636.言葉

 今日の土曜日、八時過ぎまでゆっくり寝ていた。起きてすぐにコーヒーを淹れ、すぐさま洗濯機を回した。少しすると洗濯機がピーピーと音を立てている。相変わらず洗濯の終了が早いと思いながら洗濯機の前に言ってみると、操作パネルインジケーターの横に、インジケーターに表示される記号の意味が書かれていることに気付いた。
 それをじっと見てみると、洗濯機はピーピー言っているが、彼はまだすすぎの段階であることが分かった。よってそのまま放置して様子を見ていると、注水が始り洗濯機が再び動き出すではないか。ということはこれまで僕は、すすぎの初期段階で洗濯物を洗濯機から取り出していたことになる。これまで、洗濯物に洗剤の香りがしっかりついているのでいい匂いだなんて思っていたが、単にたっぷり洗剤が残っていただけのようだ。
 既に乾いた洗濯物がたくさんあるが、それを再び洗い直すのも面倒だ。とりあえず一巡するのを待つことにするが、これで雨に濡れたりするものなら着用衣類から泡が吹き出すのではないかと、しばらく心配しなければならない。
 こんなことを書いているうちに、また洗濯機から呼び出しを受けて見に行った。洗濯機が何を訴えているのかさっぱり分からないが、激しくピーピー音を繰り返している。インジケーターの表示も内容がめまぐるしく変わり、洗濯が終了したのかどうかさっぱり分からない。しばらく見ていると、また注水が始りすすぎ状態となった。
 人間も機械も、時として外国製は何を考えているのかさっぱり分からない。これは呼び出しを無視し、完全におとなしくなってから洗濯物を取りこんだ方がよさそうだ。
 この心構え、取り扱い方法は、人間に対しても共通するものがあるかもしれないなどと、ふと思った次第である。

 さて、マレーシアでは時間があるので、たくさんのブログを読んでいる。しっかり読んでみて、面白いと思われるブログをたくさん発見した。僕のスマートフォンには、ブックマークしたブログが随分と増えたが、読むほどに味の出るブログは、ブックマーク上の順位を編集して上げている。よってずらりと並ぶブックマーク上には、上の方に自分が好んで読んでいるブログが並び始めている。

 ヤフーブログを集めたブックマークでは、ヒロシさんのブログが一番上にある。つまり自分がかかさず読んでいるブログである。
 そのヒロシさんの最新記事の冒頭で、政治のことに触れられていた。現在日本のマスコミで阿部叩きが蔓延していることは知っていたが、そのことを嘆いておられる内容だ。
 今の日本のマスコミ論調は狂っている、偏重しているということだが、僕も全くの同感である。
 かつて僕は、ある組織の関係で民主党を応援しなければならない立場だった。そのような立場になると、立候補議員の人柄が分かるほど議員と距離が近づくこともあったが、そうなると人様には民主党をお願いしますと言いながら、自分の投票は必ずしも民主党議員にはならなかった。それでもそんな縁があって、あの党の政権運営を興味深く見ていたが、日本がどんどん失速するのを肌身で感じるほどで、完全に期待を裏切られた結果となった。

 直近の例をあげれば、十一月十三日にチベットのダライラマ法王が来日し国会内で講演をした際、人権救済法案がどうこうと騒いでいた民主党議員は見事にこれを黙殺し、全員が講演に欠席した。人権を声高に主張していた政権与党の人間が、一体何をしているのであろうか。おそらく中国に遠慮したのだろうと思われるが、そんな政党は今後何を言っても信じることはできないし、日本を任せられないと強く感じる。マスコミも揃ってこのことを黙り込んだ。今の日本の与党やマスコミの体質を、如実に表している事実である。
 現在の日本のマスコミは、自分たちにとって都合の悪いことを隠し、または自分たちの思想を浸透させるために歪曲した論調で情報を流しているため、日本に住む方々は要注意である。それに踊らされていると、日本は再び間違った選択をすることになり、今度こそ取り返しのつかないことになってしまうと危惧している。
 間近に控えた選挙は、日本を立て直す重要なものとなる。狂ったマスコミに惑わされることなく、自分の目で見て頭で考え、投票先を選んで欲しいと切に願うところだ。

 そのヒロシさんのブログの中で、最新記事とその前の記事に中に、日本人が百戦錬磨のフィリピーナに騙されないための指南が書かれている。とても面白く、その中で若干僕が言いたいことがあったので、記事を無断で紹介しながらここで書いてみたい。

「嘘」  http://blogs.yahoo.co.jp/zappspongi/10104678.html
という記事では、フィリピーナの言葉を真に受けたり自分に都合よく解釈してはならないということが書かれている。

----ヒロシさんの記事から引用----
「マハリキタ・グストキタ」(愛してる・好きです)この言葉は「おはよう・こんにちは」位の挨拶なので信じてはいけない。
----引用ここまで----

 僕がもしこの言葉をフィリピーナに言われたら、おそらくは、「フィリピンでは、今頃魔法使いサリーが流行っているのか?」と思い、それで終わったに違いない(笑)。僕にはその言葉が、魔法の呪文に聞こえるからである。

 更に
「言葉の壁」  http://blogs.yahoo.co.jp/zappspongi/10098572.html
という記事では、日本人おじさんとフィリピーナの現地でのやり取りが紹介されている。確かにさもありなんという内容で面白く読み進めていたら、最後の方に次のような内容が出てきてぎょっとした。

----ヒロシさんの記事から引用----
若い時に遊んでいない人が40を過ぎてから博打や女に嵌ると抜け出せないと聞いた事があります。
----引用ここまで----

 ここで僕は、「それって僕のこと?」と、素直に思ってしまった(笑)。抜け出せなくなった顛末例として、僕を見ていただくとよく分かるということを、僕はここで言いたい。

 さて、これらの記事は言葉の問題(言語能力)に起因する誤解、勘違いや、表面的な言葉を信じてはならないという、僕も百パーセント同意する内容が書かれているのだが、実は違う側面から、僕は全く逆のことを思うこともある。
 というのは、フィリピン人家族と暮らしていていつも思うのは、自分が現地の言葉をよく理解できないおかげで、心の平穏を保つことができていると感じることがあるからだ。おそらく家族の話していることをよく理解できてしまったら、僕の血圧が上がる回数は今の何十倍にもなるだろうことを、自分で分かっているのである。
 しかし現在、言葉を理解できないため事あるごとに腹を立てることがなく、傍目にはよきにはからえ状態になっていることがあり、結果的に家族が平和に暮らせている。ならば、言葉が分からなくて良かったと思う部分があるのだ。

 仮にフィリピン人が僕のことを大変馬鹿にする暴言を吐いたとしても、僕には分からないからボーっとしている。そのことで更に馬鹿にされることがあるかもしれないが、やっぱり分からないからボーっとしている(笑)
 僕は自分で、些細なことには動じない人間になりたいという願望がずっと昔からあったので、フィリピンに住んでから、図らずも自分が自分の理想としていた人間に近付いている? などと思っているのだ。
 当然僕にも、現地の言葉を覚えもっと家族と意思疎通を図りたいという気持ちはある。しかし人間、態度や表情で言葉が通じなくても分かりあえるところがあり、逆に言葉が誤解を生んでしまうこともある。よって僕は、言葉が通じない今の期間、そんな人間関係の機微を勉強することができていると思っている。
 もちろん現地の言葉を覚える必要性は十分感じている。それは全く否定するものではなく、逆に肯定派である。ただしその中には、人を馬鹿にしたり傷付ける、覚えなくて良い言葉もありそうだ。そして「マハリキタ・グストキタ」という言葉も、魔法の呪文程度に思っている方が幸せなこともありそうだと思うのである。

 言葉は時として危険である。言い方で相手にどうとでも解釈させることができる。今の日本人はマスコミの言葉に踊らされるより、今のどの政治家がどのような態度で何をしているのか、それをしっかりと見極めた方が良い。



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