フィリピーナと共に
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2012年11月23日

635.理不尽?

 写真で様子をお伝えしているように、マレーシアはとても豊かな国になった。資源を持っている強みがあり、加えて国のリーダーがしっかり国の目指すところを決め、そこからぶれずにかじ取りをしてきた成果である。以前の記事にも書いたことだが、地理的には本来日本との時差二時間のところを、マレーシア経済において日本とのやり取りは重要だからと、無理やり日本との時差を一時間にとどめた話など、まさに国の姿勢をうかがえる話である。

 そのマレーシアに入ってみると、すぐに気付くいくつかの点がある。道路などのインフラがよく整備されているのもその一つだが、下働きと呼ばれる仕事に従事しているのがほとんどインド系ということも、特に気を付けていなくてもすぐに分かる。
 例えばトイレの掃除係、駐車場の管理人、洗車人、ガードマン、力仕事などは、ひときわ色の黒いインド系が圧倒的に多い。肌の色だけでなく、顔つきやピアスの付け方などですぐにインド系と分かる。稀に身なりの良いインド系の人を見かけるが、それは本当に稀だ。モールの中にある高いレストランで食事をしているのは八割ほどが中国系で、後はマレー系とマレーシア以外の外国人である。
 いくつかの会社にお邪魔すると、多くの中国系が主要なポジションを占めている。最近はマレー系も盛り返しているらしいが、それはここ十年ほどの話だそうだ。会社の中でも暑い環境で大変な仕事をしているのは、男性も女性もインド系が多い。

 マレーシアでは、イギリス植民地時代に奴隷として外から連れてこられた人たちにインド人が多く、そのまま貧しさから這い上がることができずにインド系マレーシア人として今でも低賃金の仕事に甘んじているというのが、これらの実態であるようだ。マレーシアは独立時、インド系は建設関係、マレー系は農業や漁業関係、中国系は管理関係と仕事の割り振りを人種で決められたらしく、政府の仕事に就くのは圧倒的に中華系が多かったらしい。マレー系は最近ようやく、会社の中でも重要なポジションで働けるようになったらしく、それに伴い賃金が上向いてきたということである。
 つまりマレー系も、ある意味長年煮え湯を飲まされてきた人種であるが、今そのマレー系はインド系の上に立ち、彼らを顎で使っている。もっともそこに、それほど露骨ないやらしさはないが、見下す気持ちを持っているのが話の節々でうかがえる。

 このような最初から出来上がっているような序列が見え、ほんの十年か二十年前までうだつの上がらなかったマレー系が少し上向いて、今度はその人たちがインド系を見下すような状態を見ていると、つくづく人間は平等ではないと感じる。そして、「人間とは他人を踏み台にして幸せになるものなのか」という考えが頭の中に持ち上がる。
 似たような現象はフィリピンでも見られる。最初から生きることが難しい人たちがいて、その人たちはまともに学校で学ぶこともできず、荒れた世界で育ちマナーも覚えず、大人になっても底辺の生活を強いられる。
 例えば体を売ってお金を得る女性がいて、その向かい側にはその女性を買って楽しむ人がいる。買って楽しむ人には、彼女たちは生活をかけてそのような仕事をしているのだから、買ってあげなければ可哀そうだという理屈がある。ならば体を買わずに助けてあげれば? と意地悪く言えば、それはまた違うという話になる。そうなると、助けるという言葉が屁理屈に聞こえてくる。
 しかし、買ってお金を払ってあげれば売っている人が助かるというのも現実である。そして、買わずに助けるという行為は、意地悪で言ってみる自分にもそれは何か違うだろうという理屈と現実が分かってしまう。

 マレーシアでも、例えば洗車をする仕事がある。マンションやオフィスビルの駐車上で、週に一回、もしくは二回、駐車中の車を洗車する代わり、月に信じられないくらい安いお金を車のオーナーから受け取る。記憶が確かなら、一か月で五百円くらいではなかっただろうか。洗車をする人は、その駐車場で如何に多くのオーナーと話をつけ、洗車台数を増やすかが勝負の分かれ目となる。それにも競争があり、一週間に一回の洗車契約をしている人から、それを同じ料金で二回洗車すると言って契約にこぎつける。洗車回数で競えなくなってくると、料金を安くしたり、洗車品質を上げたりするが、貧しい人たちはそうやって、どんどん重労働に追い込まれていく。ビジネスに競争は当たり前で、そのようなことも当たり前ではあるが、お願いする方がその弱みに付け込み出すと、何か嫌なものを見てしまったような気がし始める。そしてそれを、もっと良いところがあるから当たり前だ、こちらはお金を払うほうだから安い方を選ぶのは当然だと言い放たれると、確かにそうだが、情というものはないの? と言いたくなってしまう。
 体を買うでも洗車をしてもらうでも何でもよいが、もっとハッピーハッピーの関係になれないものだろうかという気がするのである。月に五百円の支払いは大したことがないという人であれば、それを四百五十円に値切らなくてもいいのではないかと思ってしまうわけである。

 これは数ある個別の事例に対して嘆いている話ではない。このような現実を生み出す社会に対し嘆いているのである。理不尽な状況があることに、何かおかしくないかという気持ちになるという話だ。
 そんな自分もアジアの国々で活動をしていると、知らず知らず同じように、誰かの低賃金のおかげで何かしらの得を得ることがある。
 今の社会とは、他人を踏み台にして自分の幸せを成り立たせるしかないのであろうか。
 こんなことを言い出せば、収集がつかなくなることは分かっていても、何かを訴えたい気持ちになってこれを書いている。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:635.理不尽?
2012年11月21日

634.生きる意味を考え生きている

 本日はモナとの連絡に行き違いがあった。モナのPCがおかしくなっていたようで、モナが送ったメッセージがこちらに届かず、僕がモナに送ったメッセージも彼女の届いていなかった。
 珍しく全く連絡がないと、フィリピンの家に何かあったのではないかと考えたりもするが、本当に緊急事態が発生すればフィリピンで使用していた携帯がそのままの番号で繋がるので、たまたまだろうと思い直した。それにしてもそうなると、食事も終わり何もすることがなく、ブログの記事を書くにも書くことがない。書くとしても、今日は一生懸命仕事をしました…、終わり…、という内容など面白くもなんともない。
 お伝えするとしたらせいぜい食い物の話くらいで、結構つまらない生活をしていると思い知ることになっている。

 現在、会社が用意してくれた車の送迎で通勤している。その車の手配の関係で、帰りの時間はきっちり六時に決まっている。黙っていれば住まいまで送ってくれるが、今日はモールで降ろしてもらいそのまま食事に行った。会社からモールまでは、車で十五分くらいだろうか。
 今日の昼食は現地料理(インドカレー)で安く済ませたので、夜は辛いものから少し離れ、少々奮発して中華料理でも食べることにした。

昼食のカレー。今日はイカにした。見た目は悪いが味は良い。値段は百三十円くらい。
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夜の中華料理。
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 チャイニーズレストランで注文したのは、ご飯にチンゲン菜の炒め物と豚肉をとろりと焼いたものが乗っている丼もの。もう一点は、魚をすって蒸したものだと思われるが、濃厚なエビの風味とぷりぷりの食感がたまらない一品だった。すり身の下には何か分からないサクサクした食感の物があり、薄い味のついたスープに少し浸かっている。飲み物は何かの花が入ったジャスミンの香り漂うホットティー。いずれも最高に美味しい。高級店らしく値段はこれで約三十リンギット。日本円で七百五十円だから安いと言えば安いが、現地では高級な部類となる。それでも日本でこれを食べた後に千五百円を請求されたら安いと思ったに違いないから、やはり安いと言うべきだろう。フィリピンでは中々美味しい中華料理にお目にかかれないが、今日の中華は横浜中華街のレストランに勝る味で、さすがに中華系がたくさんいる国だと感心した。

 とりあえずこれだけ食べて部屋に戻っても、時間はせいぜい七時を少し過ぎたあたり。すぐに洗濯をしたが、それも速攻で終わった。部屋に置いてあったのは聞いたことのないメーカーの洗濯機で、自動モードで洗濯させると、とてもスムースに素早く洗濯が終了する。というか、もしかしたらきちんと洗濯をしていないだけかもしれない。とにかく洗濯も素早く終了するので、そうなるとかなり時間を持て余す。
 そう言えば先日ある方から日本のお菓子だと言って、栗パイを貰ったのを思い出し、コーヒーと合わせて食べてみることにした。意外とコーヒーに合って美味しい。これもあっという間に完食。
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 こんな食生活をしているから、マレーシアに来てから順調に体重が増えている。モナはそんな僕を見て、普段からもう少し太って欲しいと言っていたにも関わらず、フィリピンにいる時には中々太らないから、我が家の料理はあまり美味しくなかったのだろうと変に反省していた。実はそうではなく、食べる楽しみしかないから、とにかく食べているだけである。
 栗パイを二個食べ終わった頃に、ようやくモナと連絡がついた。彼女は自分の夕食後から僕にメッセージを送っていたらしく、返信がないので僕がまだ仕事をしていると思っていたらしい。連絡がチャットメッセージなのでテレビ電話に切り替えようとしたら、iPadをママが使っているので今はできないと言われた。

 そこで家の様子を尋ねてみると、みんな変わらず元気にしているようだ。
 以前から感じていたことだが、僕が家を留守にして仕事に精を出していれば、モナの家族は気が楽で良いのではないだろうか。数年前までモナの家族は、娘(モナ)が家を離れて稼いでいないと生活がままならなかったが、今は娘と孫が揃って家にいても生活費の心配がない。おそらくモナの両親は、かわいい孫の相手をしながら、毎日笑って暮らしているはずである。
 そして僕が家にいれば、自分に対してモナの家族がいろいろ気を使っていることを僕は感じている。食事一つとっても、できるだけ日本人の自分の口に合うものをいつも考えてくれている。しかし僕がいなければ、自分たちが長年そうしてきただろう生活スタイルで地を出しても文句を言われることなく、自由に自然に暮らすことができる。ママの家族に対するサポートもこそこそする必要がなく、誰かが我が家にいつも食事に来ても遠慮がいらない。
 みんなが、僕がいない方が良いと思っているなどとは考えていないが、いなければ気楽な部分があるだろうことは僕にも察しがつく。
 こんな風に書けば、妻子はともかく、その家族のためになぜそんな犠牲を払わなければならないのか、などと言いたくなる人もいるかもしれないが、僕はひがみ根性でこのようなことを言っているのではない。僕があの家族に入ったことで、モナの家族がいつも一緒に平穏に暮らすことができることには、自分にとっても大きな意味がある。余計な心配をせず、娘や孫と一緒に楽しく暮らせるようになったことが、モナの家族にとって幸せになった一番の部分だと考えれば、それは尚更である。

 フィリピンに住む家族は、生きていくために家族がばらばらになっていることが珍しくない。そうしなくてはならないフィリピン人にとって、それはとても大きなストレスになっているはずである。特に若い娘を海外に出せば、生活費は送ってもらえるが心配事も増えるはずだ。もしモナに変な虫がついて悲惨な目に合っていれば、モナ自身はもちろんのこと、家族も深い悲しみに包まれ自分たちの境遇を恨んだに違いない。
 しかし現在はどうだろうか。自分を立派な虫だとは言わないが、子供ができたからと逃げるわけでなく、きちんと結婚をして生活費を稼ぐ人がモナの旦那になったということは、モナの両親にとってとても安心できたことではなかったか。そして今は、娘も孫も一緒に暮らすことができている。
 ダディやママは、そのような今の暮らしがどれほど幸せなことか、その有難味を良く分かってくれる頭の良い人である。だからもっと贅沢したいと、欲求をエスカレートさせることがない。

 実は僕にとっても、このような幸せを人に与えることができることは、自分が三分の一人前からようやく半人前を少し超えたくらいにまでなったと思えるところである。そしてそれが、自分の働く意味や生きる意味を感じるところに繋がっている。五十歳に手が届くようになってようやく、自分の生きる意味を実感できるようになってきたのである。
 同時に人の役に立つ生き方が自分を浄化できるということを、この歳になりようやく分かってきた。人間これだけ生きていると、それまでの軌跡の中で少なからず悔いがある。その悔いは後戻りしてやり直すことはできないが、これからの人生でそれを取り戻したり償うことができるとしたら、どれだけ人に幸せを与えることができるか、と考えるくらいしか僕にはできない。これは随分長い時間をかけ考えて出した結論だ。
 その意味で、ダディやママが今の暮らしを幸せだと感じその有難味を良く分かってくれるならば、僕も自分の存在意義を前向きに感じ取ることができるし、それが直接、間接で自分の幸せに繋がっていくのだと信じている。
 モナには申し訳ないという気持ちはあり、彼女が自分と離れて暮らすことに不満を持つ部分はあるだろうが、モナも頭の隅では、今の生活の有難味を感じてくれているはずだ。だからこそ、僕が今回マレーシアで仕事をすることを受け入れたのだと思っている。

 田舎の母親には、働ける場所があるということは幸せなことだと言われた。日本の田舎は生きていくのが厳しくなってきていることを、肌身に感じているのだろう。
 いや、全くその通りである。本当は肉体労働でも良かったのだが、とにかく仕事を再開させ家族の安心を取り戻したのは、やはり良かったのだろう。
 今僕はそう考えながら、自分を納得させかつ奮い立たせている。



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2012年11月18日

633.一人はつらいなぁ

 日曜日の夜、いよいよすることが無くなった。
 今僕は、マレーシアのペナンのある住宅街にあるコンドミニアムに一人でいる。歩いて十分のところに大きなモールがあるとはいえ、部屋から出てエレベータに乗って下に降り、広い中庭を突っ切って、それからモールへ歩いて行くのはとても面倒なものだ。
 さて夕食も終え、TVを付けても訳のわからない言葉が飛び出すだけだし寝るには早い。そして広い部屋に一人きり。
 いつの間にか今日一日を振り返っていた。

 僕は最近、自分の行動をフェイスブックにまめにアップしている。フィリピンを離れていることの罪悪感から、自分の行動を逐一それで、モナに報告しているつもりでいる。よって写真に付ける文章は基本的に英語と日本語の二つを載せているが、面倒になると英語だけになることもある。(稀に日本語だけのこともある)
 先ほど暇に任せてそれを眺めてみると、ほとんど食い物のことばかり。それを見ている人には、この人はただ食って寝ているだけなのか? と思えるような内容になっている。
 いや、土曜、日曜は、確かにそれに近い。
 本日モナは、全く音信不通。ほんの少しチャットをしただけで、テレビ電話の会話もない。先ほどあまりに音信がないので、「大丈夫か、生きているか」とメッセージを送ってみたら、「まだ香水を作っている、疲れた」と返事が返ってきた。とりあえず生きていることが分かったので「そうか、がんばれ」と言ったら、またそれから、ぴたりと音信が無くなった。相当集中してやっているようだ。寂しい、会いたいと泣き言をつらつら言われるよりよほど良いと思っていたが、それがないと中々寂しいことが分かってきた。

 さて、僕のフェイスブックをご覧になれる方にはだぶってしまうが、どんな内容になっているのか、本日の内容をこの記事の上で再現してみたい。まずは朝一番の投稿分である。まだ元気のある内容となっている。因みに「 」内の内容は、フェイスブック上に投稿した文章の日本語部分。それ以外はブログ記事として、現在書いている部分。

「今日の朝食は、コーヒーとチーズドッグ。そのあとは音楽を聴きながらリラックスタイムです。ベランダから見える橋は、マレーシア本島とペナン島を結ぶもので、全長が13Kmあります。僕はペナン島の方におります。空港もペナン島にありま す。ようやく洗濯物が乾いたので、中庭の様子を写真に撮りました。既に子供たちがプールで遊んでいました。ここには大小二つのスライダーがあります。」

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 今日は朝から潮風がびゅんびゅん部屋に入ってきて、とても清々しい気分でこれを投稿した。そして次がこれ。

「今日は健康を考え、ランチを味噌ラーメンにしましたが、とても不味かった。それでも全部食べましたが。マレーシアの和食はフィリピンのそれより全然不味い。不味いのに高いんです(涙)」

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 健康を考えてラーメンというのも変だが、油がたっぷりのこてこてカレーだけよりは良いだろうという意味である。この記事には、ギョウちゃんの奥さんから、フィリピンが勝った、フィリピンに1ポイント!という喜びのコメントが入った。僕は今回マレーシアに来てから四回和食を食べ、いずれもフィリピの和食が美味しいと思ったので、4ポイントですと返事を書いた。

更にこれ。
「散歩から汗だくで帰ってきました。シャワーでスッキリ。コーヒーとデザートタイムです。見た目は日本風。さて味の方はどうでしょうか?」

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 味は見た目ほどではなかったが、それほど酷くもなかった。それでもケーキは、日本が断然美味しい。そして本日の最後がこれ。(フェイスブックは英語だけなので、ここには日本語訳を記載)

「今日、夕食のためにパンを三つ買ってきました。しかし夕方五時頃お腹が空いたので、そのうち二個を食べてしまいました。更に八時半頃、再びお腹が空いたのですが、残りのパンは一個だけなので、チーズソーセージとポテトを揚げました。このようなシンプルな夕食は、決してお金がないからではありません。もしそうなら、僕はそのことを正直に告白するに違いありません。単に外に食事に行くのが面倒なだけです。なんかどこかで見たことがあるような食事ですが、これは今朝の朝食の写真ではありません。シンプルですが、食べ終わってみると結構満足のいく食事でした。」

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 なんとも寂しい夕食だった。お腹が膨れたのは満足だったが、ただそれだけ。そしてこの夕食の後、静寂が僕を包み込んだ。ここで日本人の友人からフェイスブックにメッセージが届いたので、僕は喜んで、「暇です、遊びに来ませんか」と、それに飛びつくように返事を書いた。
 が、再び静寂が……。

 こうして振り返ってみると、食った話ばかり。本日だけではない。マレーシアに来てからというもの、それが圧倒的に多い。
 しかし今日お金を使ったのは、味噌ラーメンとケーキとパンだけ。スターバックスにも行ったが、そこはプリペイドカードを作っているのでそこからカード払い。スタバには二回寄ったが、一回はフリードリンクの特典をまだ使っていなかったので無料。
 ふと、ある方の言葉を思い出した。
「普段お金を使うことがないので、それにストレスを感じることがあり、こうしてたまに使えると嬉しいんです」
 これはその方が僕にご馳走してくれるための言い訳が含まれた言葉であったろうが、僕もお金はないくせにお金を使うことに喜びを感じることがあり、気持ちは何となく分かるような気がした。
 しかし今の境遇では、「今日はお金を節約して過ごすことができました」ということに喜びを感じるしかない。そんなことを思いながら、その方の言葉を思い出したという訳だ。
 ケーキの写真には、日本の友人の方より「独身生活を満喫していませんか?」というコメントが寄せられた。これら写真の数々は、確かにそのように見える側面があるし、美味しいものを食べている時には喜びを感じることも確かだが、何もすることが無くなると、ふと、大切で大きなものが抜けていることを感じざるを得ない。
 昨日辺りから、頻繁に家族の写真を眺めたりしている。やはり家族は有難い。

「ふるさとは遠くにありて思うもの」
 近くにいても思っているのだが、何かこの言葉の持つ意味を、しみじみと感じてしまう。
 さて明日は月曜日。気持ちを切り替えて、また一週間ふんばろう。
 仕事は現状把握が進んできたので、明日から具体的な内容に入っていく。一番面白いところとなる。



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