フィリピーナと共に
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2012年11月07日

626.人間関係

 モナが始めた香水ビジネスで、いよいよ仕込みの終わった香水の瓶づめ作業が始まった。おかげで部屋には香水のいい匂いが充満し、申し訳なくて部屋ではタバコなど吸えない状況になっている。よって僕はコーヒーとたばことパソコンを持って、テラスでパソコンをいじくる日々が続いている。
 香水は売る前に、家族で試して肌荒れが起きないか、匂いはどの程度長持ちするか、匂いが変質しないかなどの基本的な確認をすることになっていて、早速ママがお出かけの際、香水の一つをつけていった。
 ちょっと使ったママが、「これは水を使っても匂いが落ちない」と言ったところ、モナが喜んでその気になり、「宣伝文句にウォータープルーフと書こう」などと言いだすから、「ちょっと待て、誇大広告は後で問題になる」と、僕がそれを慌てて制したりしている。そんなやり取りにも笑いがあって、今のところ楽しいビジネスごっこになっている。
 他にも品質確認項目を考えてみると、香水の分量、異物混入、瓶や箱の傷、ラベルの傷、蓋の締め具合等々色々あり、それは追々リストを作っていこうと思っているが、さて、肝心の匂いの確認はどうするかという問題が残った。かなり前に、日本のある会社から匂いを定量的に表すことができないかと相談されたことがあったが、センサーを何にするか思い付かなかった。その時に匂いセンサーなるものがあったような気もするし、「匂いとは何か」を勉強すれば何かのセンサーを組み合わせて代用できそうな気もするが、人間の五感で感じ取るものを機械に肩代わりさせるのは結構厄介である。
 これは匂いマスター制度を作り、認定者が匂いの確認をして合否を決めた方が手っとり早そうだ。とにかく、日本では当たり前の安定した品質も、このフィリピンでは差別化アイテムの一つになりそうである。香水ビジネスが本格的になった時に、家族に匂い試験を実施してみると面白そうだ。匂いマスターを制する者が一番重要なポジションにつくことができると言ったら、みんな真剣に匂いを嗅ぐのではないだろうか。
 宣伝用ちらしやインターネット宣伝用画面の準備も始まった。

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 これによると、タバコシティー発のワールドクラスクオリティーらしい‥‥(汗)
 これからクリスマスシーズン。身の周りの女性にプレゼントするにはお手頃な商品だなどと、モナはクリスマス商戦も睨んで販売を考えているようだ。
 ちなみに30mL入りで、マニラのお店のレディスドリンクと同等もしくはそれより安い値段を設定しているので、周囲にたくさん配らなければならない女性がいる方は、一度問い合わせを頂ければ相談に乗れる‥‥かもしれない。

 さて、モナはそんな調子だが、こちらはいよいよマレーシア出張の段となった。チケットを手配したが、レガスピからマニラまでのベース運賃が五千ペソを少し超えるくらい。そしてマニラからクアラルンプールまでのベース運賃が三千五百ペソと大変安い。なぜ国内線の運賃が国際線より高いのか‥‥、これには感覚的に納得がいかず、レガスピ-マニラ間はマニラ-マレーシア間より安いチケットを探し、最終的にマニラまで二千ペソとなった。
 やれやれと思っていたら、今度はマレーシアまでベース運賃三千五百ペソが、締めてみたらトータルで倍以上の七千ペソ以上になった。これはおかしいだろうと詳細を確認すると、通常のタックス(税金)以外にトラベルタックスなるものが千六百ペソもついている。航空会社のページから説明を読むと、それには空港使用料七百五十ペソも含まれているようだが、それ以外のトラベルタックスは、外国人が海外に出る際に加算される税金とある。おそらくこれまで何度も払っていたのだろうが、貧乏になるとそんな細かいところまで気になり出すから、今回ようやくそれに気付いた。
 おそらく僕は永住VISAを持っているので、そのタックス以外に空港で約二千五百ペソを別途徴収されるような気がしているが(一応空港で確認してみる)、フィリピンは外国人からできるだけお金を取る仕組みがあちらこちらにあるから、それが目の前にのしかかってくると、「あ〜、また地雷を踏まされてしまった」と嫌になる。
 とにかく無理やり自分を納得させ、チケットを購入した。

 今回は一人なので、マニラのホテルはいつもと違う安ホテル。初めて泊まるホテルで、先日ある方が「一人だったらいいかも」とおっしゃっていたホテルだ。
 モナに電話予約してもらったが、デラックス三千六百ペソ、スタンダード二千六百ペソと電話口でモナが言うので、僕は迷わず即効で、「スタンダード、朝食抜き」とリクエストした。家族で泊まるホテルの半分以下、というより三分の一に限りなく近い。できれば二千ペソ以下のホテルにしたいと思っていたが、今回はちょっと行きたいところがありロケーションを優先した。
(実は中途半端な書きかけ原稿の続きをそのホテルで書いているが、中々良いホテルだ。今のところ、一人の時の定宿にしようかと思っている)

 様々な手配が全て終了してようやく一息ついたと思った頃、日本のある方から、マレーシアは長いのですか? とメッセージが届いた。それに対する返事で、どうなるか分からないので、今回は片道切符で行くことにしました‥‥と、そこまで書いてハッと気付いた。
 片道切符? 果たして片道切符でマレーシアに飛べるのか? 通常、日本までの航空券か、パーマネントVISAのあるフィリピンへの復路チケットが無いと、空港のチェックインカウンターで門前払いになるのではないだろうか。少なくとも日本発であればそうだ。
 すぐにセブパシフィックに電話をしてみた。すると何と、フィリピン人ならそうだが、日本人や欧米人の場合は分からないという答えが返ってきた。
 分からなくてもよい、実際のチェックインカウンターで、お宅の会社はどのようにジャッジするのかと訊いても、相手は明確に答えたくないようで、大使館に訊いてくれの一点張りである。拉致があかずイミグレーションの知り合いに電話をすると、それは飛行機に乗れないということだった。
 慌てて再びセブパシフィックに電話をし、マレーシアからフィリピンへの帰りの飛行機の手配を始めた。オープンチケットはないかと訊くと、何と今度は無いという回答。日付指定で購入し、帰りの日時を変更する度に三千五百ペソのチケットに千八百ペソの変更代プラス変更日価格との差額を払わなければならないそうだ。日付を二回も変更したら、片道分のチケット代となるが、これも仕方ないと諦めて手を打った。

 とにかくバタバタしながらチケットを手配したが、こんなことをしているだけで、フィリピンはなぜかストレスが蓄積する。航空会社も増えたので、今後少しは競争原理が利用者に有利に働くことを期待するが、今のところはまだまだと感じることが多い。
 しかし、だからこそフィリピンには日本流の顧客重視サービスが受け入れられる余地が多くある。モナの香水ビジネスは、サービスにも日本の匂いをたっぷり含ませたいものだ。

 さて、前回の記事を書いてから、その記事から何か大切なことが抜け落ちているような気がし、僕はずっともやもやしていた。それを書こうと思いながら、書いてみると内容が思うことと違う方向に行き、加えて出張の件、子供のおもり等でバタバタしていたので、書くことを中断しブログを数日間お休みしていた。
 そんな折に、ヒロシさんの記事が更新された。その記事の内容が自分の言いたいことと随分かぶっていたので、勝手に以下に紹介させて頂く。
「最近、考えている事」

 この記事の中には、上手く言えないのだが、フィリピンやフィリピン人の本質的なものが垣間見られるし、フィリピンやフィリピン人と関わる際の、日本人の心構えのようなものが的確に書かれている。
 心構えなどと言ってしまうと、こちらも書いたご本人がそんな大げさなつもりでないことは重々承知するところであり、おそらく一人の人間として、自分の胸の内を正直に表現されたと思うが、僕も日頃から同じようなことを思っている。

 その記事の中で、フィリピン人を常に上から目線で見る自己中心的な日本人は、フィリピンで、もしくはフィリピン人伴侶との生活で幸せを享受することができないということが間接的に書かれており、僕も確かにその通りだと思うのである。
 思っていながら、気が付けば傲慢になっている自分に気付くことも多く、日々反省を繰り返している駄目人間の自分が言うことではないが、相手を尊重できない人間関係など、どんな組み合わせの夫婦でも恋人でも友人でもうまくいくわけがない。

 そのように言う自分も、その部分では理想的な人間になれず苦労を感じることが多いのだから、人間の心理の奥深さ、人間と人間の関わりというものは複雑で難しいと思っている。
 しかしそんなことを考えながらも、他人(家族、嫁、子供、友人、他)との関わりは理屈ではなく、至極原始的な直感、感覚的なものが大きなウエイトを占めていることも分かっている。
 例えば人の匂い、安心感、信頼感のようなもの、それを人間とは、他人に対して不思議としっかり見抜けるものだ。これは日本人もフィリピン人も同じである。そのような感覚的に感じるものとは、愛情や憎しみ、相手を尊重する、見下す、尊敬する、馬鹿にする、利用価値を考える等々の気持ちが、人の言動や人相に現れたものとなる。
 初めて出会った人に理屈抜きで許せない相手だと感じたり、逆に何でも許せる相手だと感じることがあるのは、相手から無意識に感じ取る何か‥‥に自分が左右されている可能性が大きい。

 少し距離のある人、短い時間の付き合いだけの人にはそれが分かりにくいことがあっても、身内だけはしっかりと分かっていたり、長く時間を共にして見えてくるものがあったりする。これは、口先で騙されていたことに気付いたり、その逆に冷たいと思っていた人の奥底に、信じられないほど暖かいものが流れていることに気付いたりと、両方のケースがある。
 そして、人間関係においてお互い相手に我慢ならないものがあったとしても、自分が重要だと思っている価値観において相手に信用できるものを一つでも発見すれば、それ以外のことを許せたり、普段の悪態や喧嘩も最終的には人間関係で障害にならないこともある。
 そのような意味で人間関係というものは、他人からはまるで見当がつかない分かりにくいものと言えるが、個々にとっては単純な感覚的判定の積み重ねが、相手への評価や気持ちの依存度を決めていることが多いのではないだろうか。

 男女間の人間関係は、心からの愛があればそれが自然と伝わるようだ。僕の自分に対する愛をずっと疑っていたモナは、最近僕に疑いの目を向けなくなった。彼女が執拗に僕の彼女に対する愛を確認することがなくなったことから、僕はそれを感じるようになっている。そうなると少しの喧嘩や言い争いくらい、二人の関係には何も支障をきたすことがなくなる。逆に安心して喧嘩ができる。喧嘩をした時には胸くそ悪いが、それで別れようとか、彼女に対する自分の態度が険悪なものに変わるということはない。台風が通り過ぎれば、またいつもの通りとなる。

 心の底にある考えや気持ちは、どんなに誤魔化そうとしても表面を取り繕うだけのメッキとしていつか剥がれてしまう。よって、自分はまずいと自覚のある人は、心を入れ替える努力をする必要があると思われる。心を入れ替えるのは中々難しいが、自分が幸せになるためには、人を幸せにできる人にならなければならず、難しいと分かっていてもそうなるように考え、勉強し、自分の振る舞いを修正していかなければならないと、僕はこれまでの自分の失敗を振り返り、本気で思っているのである。これは、フィリピン人と関わるようになってから、特に考えさせられるようになった。
 なぜなら、フィリピンという国の持つ背景と、日本という国の持つ背景に大きな違いがあるため、迂闊に物事を考え行動していると、いつの間にか自分の傲慢さが際立ってくることが多いからである。
 白状すれば、公共に向けて自分でこんな偉そうなことを言うのが正直怖い。後ろめたい気持ちも持っている。しかし僕は、過去に何度も自己嫌悪に陥って、それが分かるようになってきたつもりでいる。

 実は最近、心が寒くなる話しが耳に入ってくることが多い。日比夫婦の関係がうまくいかず、相談されたり愚痴を聞かされるケースである。
 僕は自分のことも手探りでやっているくらいだから、他人の夫婦のことを相談されても「がんばって仲良くやって」と言うくらいしかできないが、話しを聞くほどにもやもやとしたものが心の中に芽生えてくる。
 最近とても印象の残った言葉に、はるばる日本から寄せられた「何をされても言われても、自分のVISAの命運を握る旦那には逆らえず我慢するしかない」というフィリピーナの悲痛な叫びがある。それを聞いた時には、詳細は分からなくても、少なくともその部分に僕は、素直にアンフェアだと感じた。その言葉の裏に、夫に対する信用・信頼が薄れていることが伺える。
 自分の伴侶として決め自国に呼び寄せた奥さんならば、日本人旦那はたまに自分の胸の手をあて、相手の立場で物を考えているか、相手を理解する努力をしているか、相手を尊重しているか、それを自問自答しながら、胸を開いて奥さんとの会話に臨んで欲しいと切に願っている。



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カテゴリー:フィリピン生活
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2012年11月02日

625.フィリピン人には敵わない

 昨日のお墓参りは人出が多くて驚いた。以前の墓参りにまるでそのような印象が無かったのでなぜだろうと思っていたら、昨年は日本から戻ったのがお盆シーズンが終わってからで、シーズンに遅れて墓参りに行ったからだということを思い出した。
 昨夜はずっとユリを抱いていたので、とくにかく疲れた。出店でトウモロコシを三本買って家に持ち帰ったら、一本が既に壊れていて食べられなかった。他の二本は問題無かったので、上手に混ぜて売っていたようだ。
 トウモロコシを売ったお兄さんの顔はしっかり覚えている(誰かに似ていたので、僕の知っている人か? とたまたまよくその人の顔を見ていた)ので、次回は絶対に彼から買わないと、勝手に誓いを立てている。

 さて、話しは数か月前、日本の盆休み前後の時期にさかのぼる。
 丁度その頃僕は、自分の中である決心をしていた。それは、現在の仕事を止めるということである。それは、フィリピンで設計業務をする際の効率の悪さや、自分の能力の衰え、長期海外出張の多さなどを総合的に考えてのことだった。
 仕事を止めるということは、収入が無くなるということだ。我が家に遊んで暮らしていけるほどの蓄えがあるわけでなく、家族が暮らしていくためには他の収入源を何かを考えなければならない。

 家の中で無収入宣言をすると、家族が慌てた。ママがモナに、生活をどうするのかと心配そうに尋ねたそうである。モナは、今月は何とかなるが来月からは分からないと答えた。これは、僕がしばらくは大丈夫だなどと、楽観的なことを言うなとお願いしていたからである。
 すると我が家の中で、面白いことが起こった。時々ご飯が、雑穀のような物が混ざったすごい物が出てくるようになった。おかずも小さな魚を焼いたものだけという、質素な物に変わった。僕はそれでも構わないが、「米、変わった?」と訊いてみると、朝、昼、夕の学生が移動する時間帯だけトライシケルを走らせ自分の小遣いを稼いでいたダディが、トライシケルの上がりから魚や米を買ってくるようになったようで、ダディが買ってくる米は安米なのでそうなるらしい。
 同時に、完全な居候と化したモナの弟ロンに、ママやモナから働きなさいというプレッシャーがかかるようになった。
 そのママは毎晩町に行き、酒場で働くようになったと言えばみんな驚くだろうが、残念ながらそうではなく、ロト(宝くじ)を買うようになった。ロトの発表になると、ダディとママがTVにかじりついて、真剣に当たり数字をメモする光景が目につくようになった。
 ロトはどうかと思うが、みんなが生活の心配をし、我が家の中にそうした緊張感が生まれたことは良かったと思った。安心感は人をだめにすると再認識したような出来事だった。

 しかし、ダディが魚や米を買ってきたのは一週間で終わり、いつの間にか食卓には綺麗な白い米ばかりが登場するようになった。おかずも肉や野菜料理が並ぶなど、いつもの通りとなった。ママのロト狂いは一ヶ月以上長続きしたが、モナの弟ロンは相変わらずだった。
 モナは家族に、来月からの生活はどうなるか分からないと言っていたが、実際にその来月になったら、従来通りメイドに給与が払われ、ママや弟に僅かな小遣いが渡され、食事もいつも通りである。この辺からこちらの嘘がにわかにばれ始めた。嘘といっても無収入になったのは本当のことである。
 更に次の月になってもこれまでと同じ生活を続けていると、我が家の家族の生活は、ほとんど元通りになってしまった。
 逆にダディに新しいバイクを買う口実を与えてしまったようで、我が家に新しい新品バイクが一台増えた。つまりこれまでの古いバイクでは、稼ぎに限界があるということで、ダディはそれを理由に新車を購入した。確かにこれまでのバイクは頻繁に壊れいつも修理していたから、それをフル稼働させるのは辛いかもしれない。
 このバイクはダディの責任において月賦で購入したもので、慣らし運転が終わればトライシケルに取り付けるらしいが、今のところトライシケルは古いバイクのままである。詳細な支払いシステムはよく分からないが、バイクの代金は毎日八十ペソの支払いになるそうだ。トライシケルの上がりが、これまでのダディのやり方であれば一日百ペソ〜百五十ペソ程度と思われ、そこから八十ペソを払うらしい。するとガソリン代を差っ引けば儲けが出ないではないかと言うと、堂々と「三年我慢すれば(ローンを払い終われば)、その先は利益が出る」という答えが返ってきた。
 さて、ではその三年間どうやって食っていけばいいのか。それはまるで考えていないらしい。つまり僕の無収入宣言は、ダディの以前からの念願だった新車購入に繋がっただけということになる。ママは毎日百ペソ前後のロトを購入していたので、一ヶ月に三千ペソ前後をそれに費やしているようだった。

 こちらはそのような家族の様子をしばらく黙って見ていたが、新しいバイクを買ってトライシケル業に励んでいたダディは、また、朝、昼、夕だけの出勤に戻りつつある。
 ロンは働く気配なし。むしろ最近、自由になるバイクが我が家に増えたことで夜な夜な遊び歩くようになり、朝は全く起きてこないという生活態度になった。ロンにこれからどうするかと訊けば、今いくつかの会社に就職のお願いをしていると言うが、同じ答えを三年間聞き続けた僕は、彼が就職にどれほど真剣に向き合っているのか疑わしいと考えている。

 ロンの生活態度については、これまでモナとも色々な話しをしている。どこかに就職が決まらずとも、収入を得る手段は何かしらあるのではないか。例えばパジャック(マニラではイエローキャブと呼ぶ‥‥自転車にサイドカーのついた交通手段)でもやれば、わずかでも稼げるではないか。我が家には家族サービス用のパジャックが既にある。そう言ってみると、モナから意外な言葉が返ってきた。
「パジャックドライバーは世間的に非常に地位の低い職業で、それをするのは彼のプライドが許さないだろう」
 僕などフィリピンの世間体に犯されていないので、時々パジャックに家族を乗せて町に繰り出したりしていたが、するとそれは、周囲から見れば日本人が世間では最低の仕事のパジャックドライバーをしているように見られていたのだろうかと気付き、みんなからじろじろ見られていたことが妙に頷けた。しかし逆に考えれば、お金持ちだと思われている日本人がパジャックドライバーをやり、会話や特別なサービス(例えば子供にキャンディーをあげるとか、日本の写真(定期的に内容を変える)が入った宣伝用紙を印刷し、乗客に配る等)をしながらやってみれば、名物パジャックになるかもしれない‥‥などと考え、いざとなればパジャックドライバーをやるかと真剣に思ったりするのだが、やはり地元の人にその仕事は抵抗があるようだ。
 しかし、いくら収入が少なく地位の低い仕事であろうが、生きるためにそれをたくさんの人が仕事としてやっている。タバコシティーのパジャック登録数は三千だそうだ。その収入が僅かなものだとしても、就職が決まるまでの臨時だと考えれば良いではないか。僕はパジャックドライバーだろうと、自分の体を張ってがんばっている彼らは立派だと思うし、すねかじりで家でごろごろしている人に、パジャックドライバーを云々する資格はないと思っている。

 我が家の僅かな蓄えは次第に減少し、これで生活費がなくなったら本当にどうするのだろうかと僕は心配になってきた。仕事は実際にストップさせ、夏から収入は零になっている。現在は銀行にあるお金が目減りするだけだ。モナには、いざとなれば日本に行き肉体労働に従事すると話していたが、モナも胃が痛くなるほど先行きを心配していた。僕は夏頃からしばらく、自律神経失調症か何か分からないが、体調に支障をきたすほどどうするかを考えてきた。一時ブログを停止していたのは、丁度その頃である。
 僕やモナが身を削る思いでどうするかを考えている脇で、お気楽に生活をする家族たち。当時は自分と彼らのギャップの大きさに驚いたり嘆いたりした。

 時間が経過するにつれ、こちらの心配が増大するのに反比例し家族の心配は薄れていくように感じられた。そして僕は、家族が一度実際に、どん底を経験しなければだめかもしれないと思い始めた。もしどん底になればかなり悲惨なことになるが、僕の中では半ば根競べだとまで思うようになった。
 いざとなったらどうするか、こちらも少しは具体的なことを考えていた。マニラで新しく事業を始める人を紹介をしてくれるという話しもあれば、日本で会社を経営する人が雇ってくれるという話しもあった。しかし、頭脳(設計)労働はもう止めたいというのが自分の希望だった。設計業務は頭の切り替えが難しく、自分の好きな小説を書くのに支障があるからである。せっかく職替えをするなら、肉体労働をしながら小説を書き、小さなチャンスに挑戦したいというのが僕の希望であった。背水の陣で臨みたいなどと、恐ろしい賭けをしたいという密かな望みもあった。
 モナもしばらく色々と考え、今やろうとしている香水ビジネスに行き着いた。そして実際に、着々と準備を進めている。
 しかし、香水ビジネスでみんなが食べていくのは難しい。これから立ち上げるビジネスが、どうなるかもさっぱり分からない。それを当てにできないことは明らかである。いよいよ自分に決断が迫られた。

 家族の様子を見ていると、根競べはこちらの分が悪そうだ。モナの家族(一般的なフィリピン人と言い換えてもよい)は筋金入りの放浪生活者である。これまで長年、何とかなるさで何とかなってきた人たちにこの手の根競べを仕掛けても、こちらに勝ち目はないことを僕は悟った。
 これは全く敵わない。本気で勝負するなら、僕も放浪生活者として同じ土俵に立たないといけない。同じ土俵に立った時に、僕に放浪生活ができるか。おそらくそれにおける逞しさは、僕はフィリピン人に敵わない。すると、僕の放浪生活は何とかなるさと思っても、おそらく何とかならないだろうと思われる。そしてこのような根競べで、子供を犠牲にするのは忍び難いということになる。

 これらを通し、僕はあることが分かった。
 フィリピンの家族がお気楽な背景には、うまくやれば日本人にぶら下がって楽をして生きていけるというずる賢さがある訳ではなく、彼らには根っから何とかなるさという考えがあること、そして、自分たちが頑張ってもたかがしれているという諦めのようなものがあるということである。
 確かにトライシケルドライバーのダディがどれほど頑張っても、月収が二十万円や三十万円にはならない。それはモナの弟のロンにしても同じだ。
 僕はそこに、それでも少しでも‥‥という努力の姿勢を見たいのだが、フィリピンの人の頑張るというものが、日本人の考える頑張ると根本的に異質であるから、みんなそれなりに考え頑張っているが、こちらから頑張っているように見えないだけなのである。おそらくフィリピン人に日本人と同じ頑張り方を強要したら、彼らはストレスで簡単に病気になってしまうかもしれないし、それ以前に続かないだろう。

 そこで僕は、発想を転換しようと思った。
 フィリピン人家族に、日本人と同じ考え方、同じ努力の仕方を期待するのは止める。つまり、それができないからと嘆いたり腹を立てるのは止めるべきだということを、自分にしっかりと言い聞かせるということだ。但しこれまでと同様、どうしても許容できない考え方については話し合いを継続する。話し合いには応じてくれる素養をみんな持っているし、同調できる部分については、みんなそれなりに気付いて実行してくれる。
 生活をリードする者と、ぶら下がる者には大きな違いがある。つまり生活をリードする自分には、それなりの利益というものがある。
 自分の地が出て我儘になっても、家族がそれに我慢してくれることが結構ある。モナや子供たちと外食したければ自由にできるし、マニラに行きたければ行ける。お金の自由にならない家族は常にそのようなことを我慢し、自由を享受できない。それでも何か必要なことがあれば、こちらにお願いをしなければならない。
 この違いは実はかなり大きい。それを普段から甘んじて受け入れているならば、それ以上の要求を突き付けるのは止めるべきだろう。
 もちろんモナの両親には、両親としての敬意を払い、楽しみを共有したいという気持ちを残しておく。そうでなければモナの幸せは半減する。
 モナの弟や親戚には、それなりに一線を引きながら接する。何かあった時には、家族の気持ちを加味しながら、相談で決めていく。
 結局これまでと大して変わらないが、それを肝に銘じてそうすることと、そうでなくてイライラしながら状況に対処するのでは、たぶん違うだろう。

 こうして僕は、マレーシアの仕事を渋々引き受けることになった。マレーシアの仕事は、実は夏前から話しがあった。丁度その頃、現在の仕事を止める決心をしていたので、それを断り続けてきたのである。
 幸いこの仕事は相変わらずオファーがあるので、僕はそれに乗ることにした。また家族と離ればなれの生活が始まるが、僕は根競べで負けたのだから仕方がない。しかし、納得ずくでの負けである(笑)
 来週はフィリピンを離れ、一旦マレーシアに飛ぶことになる。当初週明け早々にと思っていたが、なんとフィリピンは現在銀行が休みだということで、月曜からの移動は無理になったが、いずれにしても来週移動の予定だ。
 マレーシアには家族を呼んでも良いということなので、実際にはどうなるか分からないが、念のためにユリの日本パスポートを先日申請した。もう出来ているはずで、六か月以内に引き取りにいけばよい。

 僕はこうして、三カ月間自由に好きなことをした。小説書きに没頭し、マニラで人に会い、そんな生活をブログで紹介してきた。ブログを読んで下さる読者は、おそらくそのような暮らしを知りながら、お気楽で羨ましいと思った方もいるかもしれない。
 しかし、このような裏にある事情も説明できず、お気楽生活ぶりをブログに書く自分は、何らかの害を公共に撒き散らしているのではないかという罪の意識が少なからずあった。
 しかし実際、生きるのは僕も例外なく大変で、一般の人たちと同様、僕もお金を稼ぐということに真剣に向き合っている。
 しばらく僕が抱えていた葛藤というものを今日は告白したが、ようやく告白できるような心境になったということである。



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2012年11月01日

624.フィリピンはお盆

 本日は日本で言うお盆。スーパー、その他色々と休みになるらしいが、銀行まで休みになるのは計算外で、来週の海外出張出発日の見直しをしなければならない。
 今日はみんなで、お墓参りをする予定だ。
「あなたは家で待っている?」とモナに言われ、「なにをおっしゃる、僕も行くよ」と答えた。モナのおばあさんがいなければ、この世にモナはおらず僕はここにいない。ユリだって誕生しない。そんなご先祖様を偲び敬う気持ちは自分にもある。宗教やしきたりは違っても、自分流で墓前で手を合わせようと思っている。

 昨日は夕方から子供たちを連れてジョリビーに行き、僕はハッシュドバーガー、チャンプスというビッグバーガー、フライドポテトなどをたらふく食べたが、そのせいか朝からゲーリー大佐の急襲に遭った。
 実は昨夜から兆候はあった。お腹が痛いことはなかったが、ベッドの上で自分のおケツから出るガスが催涙ガスよろしく強烈で、モナに「バァ〜ホォ〜、息できない」と言われるほどだった。僕も同じことを思ったが、張本人が口にする言葉ではないだろうと僕は黙ってそれを聞くだけにした。もしかしたら、我が家に帰ってきたばかりのご先祖様も、強烈な臭いでのたうち回っていたかもしれない。
 ベッドの脇では、床にマットレスを敷きベルとユリが寝ていた。
「子供たちは寝ている?」とモナが訊いてきた。僕にはそれが「子供たちは生きている?」と聞こえたが、僕も心配になって様子をみると、二人共すやすやと寝息を立てて熟睡していたから、「大丈夫だ、生きている」と短く答えた。

 そのような強烈なガスが腸で生成されるからには、自分のお腹の中で何かが起こっているのだろうと僕は思っていたが、案の定、今朝の惨事である。
 昨日、日本の友人との会話の中で、ちょっと嫌なことを聞いた。よく、家庭で生ごみをバクテリアを使ってたい肥にする装置があるが、その装置にあの手の店で売られているフライドポテトを入れても、ポテトだけはたい肥にならないそうだ。あれだけのポテトを販売しているのだから、ジャガイモ生産は効率を追い求め、遺伝子組み換え品を使用しているらしい。農薬を使用しなくても虫のつかないジャガイモを使っているらしいのだ。そしてそれはたい肥にならない。それは一体何を意味するのだろうか。
 僕のゲーリー大佐急襲の裏に、遺伝子組み換えの影響がないのだろうかと不気味に思っているし、今後子供には、その手の物をできるだけ食べさせない方が良いかもしれないという一抹の不安がよぎる。
 考え過ぎると食べるものが無くなってしまう今の世の中。あまり考えすぎないようにしようと思うが、思わず我が家の畑をもっと充実させるべきか、などと考えてしまう。

 今日は親戚も我が家に集まるようだ。ママからスパゲッティーの要請があった。いつもであればナポリタン用ソースを作るのだが、日本のジェンさん(当ブログの読者)のフェイスブックに載っていた数々のパスタ料理に触発され、今日はオリジナルスパゲッティーを作ろうかとモナに言った。
「オリジナル‥‥?」
 モナが語尾を曖昧にしながら、不安げな目を僕に向ける。「それ、大丈夫なの?」というモナの飲み込んだ言葉が聞こえてくるようだ。
「畑にペッチャイ(チンゲン菜)はまだある?」
「それはもうないなぁ」
 僕の頭の中には、ニンニクをオリーブオイルでしっかりローストし、醤油とバター、塩で味付けした、ベーコンとチンゲン菜の和風スパゲッティーが浮かんでいたのだが、あの美味しいチンゲン菜が無いとすれば代わりに何かないか、後で畑に捜索しにいかなければならない。やはり我が家の畑を充実させたいと、先ほどの考えが再び頭をよぎる。
 とにかく今日は、多くのお店が休みとなる。ある材料で何とかしなければならない。丁度ワインが切れているので、できるなら和風が良い。また後で、ジェンさんのフェイスブックを訪問して、イメージトレーニングをしなくては‥‥。

 実は本日、まるで違う話しを書こうと思っていたのだが、前段の余談で随分スペースを使ってしまった。ただでさえ長いと不評を買うこともある当ブログ。この後に更に本題を‥‥などと言えばげっそりされそうなので、それはまた明日にでも。



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