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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年10月21日

617.くそヤモリ

「ヤモリは人畜無害、だから気にしないでくれ」
 フィリピンの家やホテルにいるヤモリを見て驚く日本人に、僕はいつもそう言う。しかしこれに関し、一つ緊急訂正させて頂きたい。

 相変わらず日曜早起き病が発病し、今朝もみんながまだ寝静まる中、僕は自分用のコーヒーを淹れようとした。コーヒーを淹れる前に必ず行うコーヒーカップチェック。中で蟻が遊んでいないかを確認しないと、熱湯で尊い命を奪ってしまうことになる。
 すると、カップの底に蟻よりはるかに大きな塊が一つ。何かとつまみだしてみると、それはよく乾燥したヤモリの糞。
「このくそヤモリが〜、人にコーヒーカップにくそをしやがって‥‥」
 ダジャレで言っているのではない。これはその時真面目にそう思って、あっ、くそが重なっている‥‥と気付いたのだ。
 これにはマジにムッとした。やもりが天井にくっついて歩き回っていることは、日常的に見ていることだ。机や床にヤモリの糞が落ちていることもよくある。ならばコーヒーカップにそれが落ちて「ナイス、シュート!」となっても不思議ではないが、僕は不思議とこれまで、その可能性について全く考えたことがなかった。
 泣く泣くコーヒーカップをごしごし洗ったが、今日の一杯目のコーヒーに、いつものような幸せ感を覚えることがなかった。仕方がないので、立て続けに二杯目のコーヒーを淹れた。一杯目のコーヒーでカップは熱湯消毒もされているはずだが、この記事を書きながら飲んでいたら、やはり美味しく感じられなかった。
 これからヤモリについての説明は「基本的に人畜無害である」と、基本的にという言葉を付けることにする。
「フィリピンのくそヤモリは、どこにでもくそをする」
 慣れていない人には、それをきちんと教えてあげるのが親切というものだ。

 せっかくの休日、わざわざ当ブログにお立ち寄り下さった方にいきなり不快な「くそ話し」で恐縮だったが、昨日土曜日にあったことを少し報告したい。
 昨日久しぶりに、デンゲ出血熱で死の淵から無事生還されたギョウちゃんと会った。ヤモリのくそ話しはまるで冗談のつもりはなかったが、死の淵からの生還というのも、全く冗談ではない。
 ギョウちゃんが病院のベッドの上でうなされている時、僕は奥さんからギョウちゃんの具体的なバイタル値を聞いていたので、真面目に危険な状況だと心配した。時に毒舌になるギョウちゃんだが、その時ばかりは死なないでくれと心から願った。
 人間とは状況次第で、願望のレベルが変わる。その時には、少々頭がいかれてしまっても構わないから、最悪の事態だけは免れて欲しいと真剣に思っていたのである。

 昨日会ったギョウちゃんは、高熱で脳細胞が相当死滅したはずだが、そのような様子を微塵も感じさせることなく、体も以前よりふっくらとした感じで、これまでと寸分変わらぬギョウちゃんそのものだった。
 僕の写真入り結婚記念日報告記事に、おそらくあの方? と思われる方から「我が家は嫁と喧嘩をして離婚寸前までいった」というコメントが寄せられ、昨日ギョウちゃんとあのコメントは@@さんじゃないかと話したが、あの日はギョウちゃんも、「実は我が家も離婚寸前の大げんかになった」という告白が。
 理由は、あの日の朝ギョウちゃんの奥さんから、当日ランチをするイタリアンレストランの詳細な場所を聞いたのだが、その電話の後でギョウちゃんが奥さんに、「なぜあんな店を紹介するのか、教えてあげるならこっちの店の方が断然いいじゃないか」と文句を言ったことから、大戦争が勃発したという話しである。
 わざわざ他人の家庭内騒動を暴露するのは、とりあえずそれだけギョウちゃんは元気になったということを伝えたかったためで、それも昨日は奥さんを交えて笑いの一つのネタになった話しであるから、喧嘩そのものは「犬も食わないやつだった」ということである。
 そんな話から、昨日のランチはギョウちゃん一押しのイタリアンレストランにご一緒させて頂いたが、離婚寸前までいくほど大ゲンカをしただけあって、フィリピンらしからぬ本格的な味付けのレストランだった。

 僕は初めて入るイタリアンレストランで、ほとんどミートソース系のパスタを注文すると決めている。僕はいつも、ミートソースの味付けでそのレストランの善し悪しを評価するのである。それをギョウちゃんに教え、自分のオーダーはボロネーズだと伝えた。するとギョウちゃんはオーダーを取りに来た店員(おそらくオーナーシェフの奥さん)に、「この人は見た目が日本人だが、小さい頃からイタリアで育ったので、ボロネーズで本場の味かどうかを判断できるそうだ、ということでボロネーズ!」などと、余計なことをたくさん付け加えて注文した。料理人がそれを信じたら、ドキドキしながらパスタを出すことになるだろうに‥‥。
 相当脳細胞が死滅しているはずなのに、ギョウちゃんのサディストぶりも健在と、僕の頭の中にある確認リストのSという項目にもチェックマークが入る。
 一応報告しておけば、目の焦点は合っている、ろれつは健在、まっすぐ歩ける、よだれを垂らしていないという基本的項目は全て合格で、毒舌、Sぶり等も問題なしだったから、とりあえず以前のギョウちゃんと変わり無しと判断して良いだろう。
 ついでギョウちゃんの独善ぶりをもう一つ紹介してしまうと、ギョウちゃんには僕と知り合う前から、レガスピにSさんという日本人のお知り合いがいる。僕はお名前だけはいつも拝聴しているが、まだ一度もお目にかかったことがない。食事を終えた頃、ギョウちゃんが突然言い出した。
「さて、イタリアンでお金も使ってしまったから、食後は美味しいただコーヒーを飲みに行こう」
 そう言われた奥さんが少々困惑した表情でSさんに電話すると、残念ながらSさんは仕事中のため不在で、無事にただ飲みの難を逃れることができた。
 Sさんは、ギョウちゃんが僕と知り合いになってから、ギョウちゃんが自分と縁遠くなっていることを気にし、かつギョウちゃんが僕のことをSさんに紹介したがっていないと勝手に思い込んでいるらしい。Sさんが当ブログを読んで下さっているかは不明だが、僕とギョウちゃんは現在も今後もプラトニックな関係なので、何も気にすることはないと是非申し上げておきたい。

 お互いの子供たちをモールで遊ばせている間、僕はギョウちゃんと二人で、モール近くのコーヒーショップでまったりと話しをした。内容は多岐に及び、昨日は珍しく意見の食い違いもなくゆったりとした時間が経過した。
 しばらく会っていないと僕から提供する話題も豊富で、怪しい会社からの連絡、ずっと気にしていたある方の音信、そして我が家の様子など、多くの話しをした。実は僕に、ブログ記事では一切触れていないあることが起こっていたのだが、それにまつわる我が家の中で様々な発見があった。それらも落ち付いてきたので、ぼちぼち記事にして紹介していこうと思い始めているが、先立ってギョウちゃんに色々と報告をした。
(思わせぶりな書き方になってしまったが、夫婦仲が変になったという話しではない)

 現在、ギョウちゃんの家ではインターネットがほとんど使い物にならなくなっているらしい。我が家も時々変になるが、ここ数カ月、もともと駄目だったフィリピンのインターネットがますます不調ではないだろうか。
 おそらく今日も、ギョウちゃんはこの記事を読めないだろうと思われる。たくさんギョウちゃんのことを書いてしまったが、僕の中でほとぼりが冷める頃にギョウちゃんがこれを読んでギョッとして頂くのがよい。
 ここまで読み進めて頂いた方は、お忘れになっている可能性があるので言っておくと、あくまでも本日のメイン話題は、「フィリピンのくそヤモリは、どこにでもくそをする」である。この教訓を、最後にあらためて示しておきたい。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:617.くそヤモリ
2012年10月19日

616.何のためにしたか

 先日、黒沢明氏脚本の映画を観た。フィリピンブログで有名な勝さんから頂いた、貴重な日本語DVD。
「導入は退屈だけれど、観ているうちに嵌るよ」というアドバイスと一緒に頂いたものだが、最初から最後まで面白く拝見させて頂いた。
 黒沢監督の映画は、その映画に込められたメッセージが分かりやすい。

 頂いた映画は「雨あがる」というものだ。
 さて、僕がその映画の中にどのようなメッセージを感じとったのか。その前に、簡単にストーリーの概略を紹介する。

---- ここから映画のストーリー ----
 ある貧乏素浪人が妻と一緒に旅をしていたが、長雨のため川の氾濫で、ある町で足止めをくらう。そのため夫婦は、安宿に宿泊していた。その宿には同じように足止めされた町人が大勢宿泊していた。素浪人は侍であるが、町人たちと気さくに会話を交わすので、あの侍は偉ぶることなく心根の優しいお方だと町人たちの評判が良い。
 その町人たちと、そこを定宿にしている娼婦との間に諍いが起きる。素浪人の妻は、あの女性は寂しいからみんなにつっかかるのだと言う。
 雨の降る中、素浪人はふらりと宿を飛び出し、しばらくしてから「この鬱陶しい雨を吹き飛ばすために、みんなで宴会をしましょう」と、米俵やたくさんの食材、酒と一緒に宿に戻ってきた。
 宴会もたけなわになった頃、素浪人は部屋にいる妻にお膳を運び、「あれほどもうしないと約束した賭け試合をしてしまった、済まん」と頭を下げて詫びる。そして「許してくれる証拠として、この料理を食ってくれ」とお願いする。貧乏な素浪人は、みんなのために賭け試合をしてお金を稼いだのだ。
 突然の宴会がきっかけで、町人と娼婦の間のわだかまりが解消し、安宿が和やかな空気に包まれるが、そこに素浪人の優しい気遣いの狙いがあった。

 ある日素浪人が散歩をしていると、侍同士の喧嘩に出くわす。素浪人は「刀は人を切るためのものではない、己の弱い心を切るためのものだ」と言いながらその喧嘩の仲裁に入るが、邪魔するなと襲いかかられ、侍たちを簡単に打ちのめしてしまう。そこへ城主がやってきて、藩内での揉め事はご法度だと侍たちを叱り、素浪人によくぞ喧嘩を止めてくれたと礼を述べながら、素浪人の腕を見事だと褒めてくれる。
 後に素浪人を気に入った城主は彼を城に呼び寄せ、それほどの腕を持つ身でなぜ浪人をしているのか、誰の指南でそこまでの腕前になったのかなどの素浪人の身の上話を聞き、ますますその彼を気に入る。そこで、丁度空席となり探していた藩の剣術指南役をして欲しいとお願いをする。
 城主は完全にその気になっているが、藩の重鎮たちは、どこの馬の骨かも分からない人間にそのような大役をお願いするのはどうか、せめて周囲を納得させる必要があるだろうと、御前試合の運びとなった。
 御前試合では、次の指南役を虎視眈々と狙う城下町の有力道場主が対戦相手に予定されているが、それらは実は、素浪人が賭け試合で簡単に打ち負かした相手であり、試合をしても負けると分かっているため御前試合の約束をすっぽかす。仕方なく城主は、城の中の数名に素浪人の相手をさせたが、誰もがまるで歯が立たないため、城主自らが相手をすると長やりを持ちだして対戦した。そこで、思わず本気になった素浪人が城主を池に放り込んでしまう。
 それに憤慨した城主は奥へと引っ込んでしまい、御前試合は終了。士官の話しが微妙になってしまった。素浪人は安宿にて、妻と士官決定の正式通知を気をもみながら待つ。日頃から妻に苦労をかけて申し訳ないと思っている素浪人は、その士官の話しが決まることを心待ちにしているのだ。
 ようやく城の決定を伝える使者に、素浪人と妻は並んでその言葉を受ける。それによると、指南役は十中八九決まっていたが、町の道場より、素浪人から賭け試合の申し入れがあったとの訴えがあり、武士として最低の行為をしたそなたに藩の指南役を任せるわけにはいかなくなったということだった。素浪人は首を落としてがっかりするが、妻がそれに対して切り返す。
「私はこれまで、夫に賭け試合だけはしないでくれと頼んできた。夫がこの地でそのような恥ずかしい真似をしたことにも憤慨した。しかし、これからは夫に、賭け試合をどんどんしなさいと言いたい。私は今回の件で気付いた。夫が何をしたかが重要ではなく、何のためにそれをしたかが重要だということに。しかし、すっとこどっこいのあなた様たちにはそれが分かりますまい」
 妻は夫の士官の話しがだめになっても、町人を幸せな気持ちにした夫の優しさを心から受け入れ、それを誇りに思うと言っているのである。

 素浪人夫婦は町を後にし、雨の上がった峠を歩く。素浪人は士官がだめになったことについて、妻に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、妻は晴れやかな顔で歩いている。
 その頃城では、城主が素浪人とのやり取りの報告を聞いていた。
「妻は、何をしたかではなく、何のためにそうしたかが重要だと言ったのだな」
「はい、そう申しておりました。そして、すっ、すっとこどっこいのあなたたちにはそれが理解できないだろうとも言われました」
 城主は少し思案しながら、使者を申しつけた老中を問い詰めた。
「それでそなた、それに対して何と返答したのじゃ」
「はい、特には‥‥」
「なんとそなた、何も言わなかったのか」
「はい、そもそも賭け試合をした者を配下として使うわけにはいかないと申したのは殿ではありませんか」
「ばかもの、もうそなたのような石頭には任せておけん。馬をひけ」
 こうして城主は、素浪人を呼び止め士官させるため、素浪人夫婦を追いかけ、馬で街道を飛ばす。
 そのようなやり取りの後自分たちを城主自らが追いかけてきていることを知らない素浪人夫婦は、峠から見える景色が素晴らしいと、二人で幸せそうにそれを眺めていた。
---- ストーリー ここまで ----

 この映画の中では、他にもハッとする台詞がいくつかさり気なく登場する。例えば町人たちの優しい心根や和気あいあいぶりを見て、「貧乏だということは、お互いが頼りだから」という台詞が登場する。フィリピンに住み、この国の現状を知る一人としてはそれとて見逃せない台詞であった。
 この映画は英訳の字幕スーパーがついていたので、僕の鑑賞が終わった後に、面白いからとモナにもみせた。すると彼女は、夢中になって最後まで観ていた。
 僕はフィリピン人のモナにとって、殿様が素浪人に会い、指南役を引き受けてくれとお願いをしてハッピーエンドという場面まで描かれていない部分が物足りなく感じるのではと予想していたが、観終わったモナが「最後が足りない」と言ってきたので、あまりに予想通りで可笑しくなってしまった。しかし、足りないと思うことは心にひっかかりがあるということで、それだけ余韻を残す素晴らしい終わり方だということだ。
 日本人の自分は、その類の余韻を楽しみ、最後の素浪人の驚きや喜びの表情を想像する楽しみ方を知っているが、フィリピン人に限らず日本人以外の人に、その終わり方は少々難しいのかもしれない。

 さて本映画のテーマである、「『人は何をしたか』ではなく『何のためにしたか』が大切だ」は、まさにその通りである。
 時にはしたことで法に裁かれることもあるだろうし、他人の理解を得るのが難しい場合もあるだろうが、本来その背景にあるものが重要だということは往々にしてある。
 それが、人を見る(観る)ことに繋がるのだろうと、あらためて気付かされる。
 


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:616.何のためにしたか
2012年10月18日

615.躾は大変

 フィリピンでは月の名前にBERが付けば、もうクリスマス。つまりセプテンバーの九月から、にわかにクリスマスの気分になっていく。
 昨日はモナ、ユリ、僕の三人でコーヒーショップにいる時に、突然隣町に出現したクリスマスイルミネーションを見に行こうとのお誘いがかかり、急遽無免許運転で行ってきた。
 無免許運転は大丈夫か? 信じて良いかどうか分からないが、こちらは夜や日曜日にお巡りさんの積極的な活動が停止するので、ノーヘルメットさえ平気だと言われている。実際に夜や日曜の検問をこの田舎町で見かけたこともなければ、夜はノーヘルで走っている人も多い。日本人の自分は一応、ヘルメットは自分の身の安全を確保するためのものだから、お巡りさんの動向とは関係ないと言っている。‥‥と言いながら無免許運転。今一つ自分の話しに説得力がない。
 隣町は国道をバイクで十五分程走ったところ。途中は街灯もない暗い道となる。陽の落ちたフィリピンの田舎町は、半そででバイクを運転していると寒いくらいに気温が下がる。時々大型の車がすぐ脇を追い越していくと、恐怖を感じることも。バイクのヘッドライトを目指して虫が飛んでくるので、僕の背中にピタリとついているユリに、顔を出すなと注意しながら安全運転に心掛けて現場に到着。

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 現場には、このようなイルミネーションがあった。クリスマスソングがスピーカーから流れ、多くの人が訪れている。屋台のようなものまであり、ちょっとしたお祭りのようだ。このイルミネーションは、その町に住む医者が近隣の人たちが楽しめるようにと寄付したようだが、その医者はホモで女性に興味がなく、未だ独身で貯まったお金の使い道がないから寄付したのだと、かなり余計だと思われる話しまで地元の人に聞いた。みんなのためにと寄付したのに、そのような噂がセットになって陰口を叩かれるのはあまりにその医者が可哀そうではないかと思ってしまうが、噂する方もされる方も、実はあまり気にしていないのかもしれない。

 帰りはタバコシティーの日本食レストランに寄るつもりだったが、帰り道の途中でユリが寝てしまったので、家に帰って食事をすることに。
 ここで心配ごとが一つ。果たしておかずが残っているのか。トン汁、ポテトサラダ、肉ジャガがあるはずだが、例のごとくテス叔母さんがお持ち帰りしてしまう可能性がある。
 僕が意地悪く「基本は持っていかないことになったんだよね」とモナに言うと、彼女は自信なさげに「分からない」と言う。追い打ちをかけるように「お願いを無視してまた持っていったら、もう来なくていいというだけだから、いいよ気にしなくて」などと言ってみると、ますます心配になるモナは家に電話をかけ、おかずを持っていかないように指示していたようだ。
 帰ってみると残っているはずのおかずが全てあった。これでテス叔母さんの首が繋がった(笑)
 とにかく、自分のものとそうでないものをきちんと区別してもらうことは重要だ。もしママの実家で食べ物がないなら、それをきちんと言いお願いをして持っていくか、我が家に来てご飯を食べ、ご馳走様と感謝の気持ちを表明して帰るかどちらかにして欲しい。
 これは感謝しろという傲慢な気持ちで言っているのではなく、親族に対する最低限の教育である。
 いちいちごちゃごちゃ言うのは面倒なので、僕は最近こうしたラインを明確にし始めている。お願いをきいてもらえないなら首、そして付き合わない、世話になりたいなら最低限の挨拶をする。それだけだから、決してハードルは高くないと思っている。
 これはベルやユリにもしつこく話していることだ。何かをしてもらったら、誰に対してでも「ありがとう」と言え。そして挨拶をしろ。人間としての基本であり、それができない言い訳として、フィリピンだからということを、僕は一切認めないことに決めた。

 さて、僕はもう一つの教育に目覚め始めている。それは我が家にいる犬に関することだ。
 我が家には五匹の犬がいる。それだけいるのにいつも繋ぎっぱなしで、餌をやる以外に家族はほとんど面倒をみない。犬も運動不足になればストレスがたまる。あまりに可哀そうだ。面倒をみないのになぜ犬ばかりが増えるのかと、僕は以前から苦言を呈しているが、家族の対応はあまり変わり映えしない。唯一、毛の長い犬の毛をかり、綺麗に手入れしようという動きがあった。これだけでも進展だが、それだけだ。犬は飼うのに愛情を注ごうとしない。これは僕にとってはとても不可解。番犬として割り切っている‥‥と言うなら、三匹もいれば十分だろう。
 そこで今朝、僕はまだ若い犬二匹を勝手に庭に放して遊ばせた。まだ子供なので、とにかくいたずら好きで、家の中に入り込んだりサンダルをくわえてどこかに持っていったりするものだから、ダディはいい顔をしない。

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 そこで放した僕の責任で、悪さをしたら駄目だということを教えるために、僕が犬の後ろを追い回すことになる。これが僕にも結構いい運動になり、今朝は早くからそれで汗をかいた。
 親族、子供に犬の躾。躾に追われるのは中々大変だ。



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