フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます
2012年09月20日

599.二泊三日のマニラ

 18日マニラ入り、20日の本日には自宅に帰ってきた。来週再び、マニラに行く。
 今回マニラでは、とても多くの日本人と会った。といっても個人的に会って食事をしたのではなく、昼食や夕食のレストラン、ホテル、モールで、いつも周囲に日本人がいたということである。あまりに日本人が多いと、こちらは不思議と落ち着かない。いつもマニラでそれほど多くの日本人を見かけないので、そのことをモナに話したら、モナも同じことを感じていたそうだ。ホテルがマラテだったのでその界隈だけでの話しだけだが、最近は日本人勢力が少し盛り返しているのだろうか?
 モールですれ違った日本人とフィリピーナの日本語会話が耳に入ってきた。
「少しくらいは買い物すればいい」
「ミルミル(見る見る)だけでいい。だって恥ずかしいでしょう」
 二人が後方に離れた時、僕とモナは思わず顔を見合わせ、その初々しい会話にクスクスと笑った。今回見かけた日本人とフィリピーナカップルには、いずれもしっかり会話があったことが特徴だった。
 
 昨夜はフィリピン在住の方と奥さん同伴でお会いし、お互い夫婦で焼肉を食べKTVにも行ってきた。一回しか行ったことのない店に入った途端、「久しぶり〜」と腕を取られちょっと焦ったが、数少ない知り合いの女の子に座ってもらうと、その子が前回行った時の僕の様子をしっかりモナに説明してくれた。
 実はある方のブログに掲載された前回の店での写真をモナが見つけ、彼女に少々誤解されていたのである。それが元で二人が険悪になったわけではないが、そしてまた、僕が店の女の子にその時の状況説明をお願いしたわけでもなかったが、二人の女の子がその写真を撮った時の様子をよく覚えていてくれ(僕が本当は逃げ回っていたが、両脇をがんじがらめにされ、いかにもご乱交のような写真を撮られたこと)、それをモナに、勝手に説明してくれた。この時の二人の証言が見事に一致したことで、僕は無事、「無罪」の判決を勝ち取ることができた。
「多くの日本人は遊びに来る際指輪を外しているが、あなたは前回も指輪をしていた。あなたは正しい人だ」などと二十歳を少し過ぎたばかりの女の子に言われ、逆にこちらが「恐縮です」と頭をかくなど、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 ご一緒した夫婦はお二人共まだ若い方で、つい先日大ゲンカをしたそうだ。奥さんが、旦那が浮気をしていると決めつけた喧嘩である。会う前に旦那から聞いていた話しは、最近勤め出した会社の仕事がとても忙しく、毎日帰宅時間が遅くなることで浮気の誤解を受けているとのことだった。これも特に詮索したわけではないが、その話しを奥さんが食事中に話してくれ、それによると、新しい会社で働き出した旦那が突然結婚指輪をしなくなったというものだった。なるほどそれはあなたが悪いと、僕とモナと奥さんと、三人でその若い日本人男性を指差し糾弾することになり、少し奥さんの気が晴れたようだ。
 上機嫌になった奥さん、特にこちらが聞かなくても、何でも話し始めた。先日僕の書いたう@この話題になると、それがもとで奥さんが、日本人はおしりを紙で拭くだけだが、それは汚らしいと顔をしかめて言い出した。ついでに「彼のパンツを洗濯する時に、時々パンツにう@この痕がある、きたな〜い」などと言い出し、旦那が「なんでそんなことまでこの場で言う必要があるのか?」と、引きつり笑いを顔に浮かべながら焦っていた。しかし、焼肉、KTVと、その奥さんのガス抜きが目的の半分であったから、この会合はまあまあ成功を納め、深夜の解散と相成った。
 嫉妬の激しいフィリピーナであれば、要らぬ苦労することもある。夜遅くまで必死に仕事をし、それを浮気と決めつけられるのも辛いものだ。モナが別れ際、彼女に言ったそうだ。
「あまり厳しすぎると、逆に旦那の気持ちが冷える。厳しくても厳しくなくても、浮気をしたくなればいくらでも隠れてできる。厳しすぎるのはマイナスも大きい」
 全くその通りだ。ちなみに話しをした限り、その旦那は浮気に関して全くの白である。彼は今、自分たちの生活のことで頭が一杯で、浮気をするゆとりはない。それがこちらにしっかりと伝わってくる。そのことは食事中、僕も奥さんに言わせてもらったが、果たしてどこまで信じてくれているだろうか。

 昨夜寝たのが夜中の三時近くだったため、今朝、二人でしっかり寝坊した。フライト時間が正午だったので、ホテルを九時に出るとモナが話していたが、起きたのが八時四十分。慌てて二人でチェックアウトの準備を始めたが、そのドタバタの中で僕が、正午の飛行機でなぜ九時に出るのかということに気付いた。チケットを購入した際、確かに旅行会社の人はエアポートに十時には居るようにと言ったが、エアポートは十一時で充分だ。
 しかし、旅行会社の人間に言われると、モナはそれが正しいと譲らない。折衷案を取って九時半にホテルを出た。友人の奥さんへのアドバイスはナイスだったが、融通のきかない点が、少々彼女の難点だろうか。
 今回はマニラで少しゆっくりできたので、モナも楽しかったようだ。和食の食材を買い、ラーメンや寿司を食べ、ホテルの部屋に備え付けのジャグジーでリラックスできた。充分モナのガス抜きにもなったようで、彼女も終始、ご機嫌だった。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 21:51
Comment(10) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:599.二泊三日のマニラ
2012年09月17日

598.肉体と精神の乖離

 このお題に、皆さんは何を想像されただろうか。人によって、色々な解釈や想像があり得ると思われる。例えば、幽体離脱のような超常現象の話しとか、学術的な脳神経学的話しであるとか‥‥。
 
 実は現在、小説を書いている。先日ブログ仲間の方々とお会いした時に、どんな内容を書いているのか尋ねられ、説明に窮した。秘密なのかと言われ、そうではないと答えながらもうまく説明できなかったので、ここで簡単に紹介したいと思う。
 一つだけお断りしておくが、この紹介は、宣伝でも何でもない。ブログのリーダーに宣伝しても、その数はたかだか知れている。単に、今自分が、どのようなことに取り組んでいるかを紹介したいだけである。

 一つはエンターテイメントである。ある高校生がいつの間にか他人の意識に入り込み、事件に巻き込まれるという話だ。フラクタル、カオス、そして人間の意識とは何かを掘り下げながら物語が進み、主人公の高校生がその中で成長し、そしてフラクタルやカオスに支配された人生の不思議な体験をするストーリー。
 人間が認識する世界の全ては、全て個人の意識の中にある。つまり戦争や貧富の差や奪い合いなど、それは様々な人の思惑の混在がその流れを作っているのであり、世の中の人の心が乱れたら、世界も乱れ不幸な世の中になる。人間が醜い考えを持てば、それはどこかで自分に跳ね返るということを訴えながら、人がどうあるべきかということをテーマにした物語だ。テーマは良いが、エンターテイメントとしてのストーリー作りが難しく、その部分で苦しんでいる。ストーリーが面白いかどうかは別として、人の人生の不思議さを疑似体験できるよう、高校生に通じる言葉を使い、学術的なフラクタルやカオスの内容を、できるだけ簡単に取りこんでいる。

 もう一つは、人間の性と愛を考える作品。ある古風で地味な女性が性体験をしながら、自分がそれまで考えていた神聖な性と実際のギャップに気付きはじめる。ある男に愛を求めながら、性欲のはけ口を誰かに求める。そうやってその女性が肉体と精神の乖離に悩みながら、愛とは何かを考える。これはエンターテイメントではなく、純文学的内容である。おそらく自分の持ち味を、もっとも活かせる内容ではないだろうか。面白いストーリーではないかもしれないが、できるだけ深みを出しながら作り上げ、どこかの作品公募に出してみようと取り組んでいる作品だ。
 これは数回前の、愛について考えた記事と関連している。性とは何か。それと愛との関係は。フィリピンに関わっている方々には、ある意味興味深いテーマかもしれない。実は先日の愛の記事にも書いた通り、愛と体の関係を意識した内容となっている。

 以下はその小説の一部分。主人公の真理子が、人生で四人目に体を交わす相手との一場面である。まだ推敲前の原稿だ。真理子がさりげなく心を魅かれる相手と、ホテルに宿泊してしまう場面である。

----- 以下、小説からの引用 ----
 部屋はツインベッドだった。それぞれ順番にシャワーで汗を流し、部屋に備え付けの浴衣に着替えた。そして部屋の灯りを落とし、お互い別々のベッドの上に寝転がった。その時男が言った。
「もしあなたがそうしたければ、こっちに来ていいよ」
 真理子はどう答えるべきか、自分の心が揺れるのを感じた。
「あなたはずるい。あなたはどうしたいの? それは男のあなたが決めるべきよ」
 それは自然と真理子の口をついて出た台詞だったが、彼女は後で振り返り、それがあなたの好きにしなさいという大胆な台詞であったことに、何度思い返しても顔が熱くなる。
 男は真理子のその台詞を聞いたすぐ後、「確かにそうだね。悪かった」とだけ言い、静かに真理子のベッドに移動した。そして真理子にそっとキスをした。
 真理子は男と唇を重ねた瞬間から、それまで感じたことのない興奮を覚えた。一度唇を離した男が言った。
「僕はあなたの将来に責任を持てない。それでもいいか?」
 真理子はその言葉に、心から頷いた。男は真理子の浴衣の紐をほどき、胸の前で重なる浴衣の布をゆっくりと真理子の体から剥いでいった。自分の体が男の目にさらけ出されるほど、真理子の興奮は急激に上昇した。最後に下着を脱がされ全てを男の前にさらけ出した時、真理子は自分が丸裸になっていることさえ分からないほど、我を忘れていた。男が真理子の体に手を触れる前から、真理子はまるで過呼吸状態にでも陥っているかのように、呼吸を細かく早く、激しく繰り返していた。
 暗闇に慣れた男の目には、しっかりと真理子の全身が見えていた。そして、それが三十を超えた女の体とは思えないほど、目の前に横たわる体を美しいと感じていた。男は再び彼女の唇に吸いついた。執拗に彼女の唇を吸いながら、右手は彼女の乳房を包み込んだ。乳房全体をゆっくりと揉みながら、時折乳首に刺激を与えた。真理子はそれを、身をよじるように感じた。
---- 引用 ここまで ----

 ここで登場する真理子は、大学時代に初めての体験をし、その後二人の男性と、空虚な体の関係を結ぶ。その中で男女が体を重ねることの意味を彼女は一つの自己概念として築き上げていくが、引用で紹介した人生四人目の男性と交わした情事で、初めて性の喜びを知りながらこの男に傾倒していく。体の関係と愛が一致していく中で、自分がますます性の喜びと深みを実感しながら、それまで自分が築き上げた概念が崩されていく。それに不安や幸せや不思議さを感じていくのであるが‥‥、という物語である。

 僕も愛と体の関係について、最近分からなくなってきた。若い時分、愛と性交は一致するものだと思っていた。当然自分のパートナーが他の男に体を許すなど、考えられないことだった。しかし最近、その考えに変化が表れている。それはフィリピンで、様々なケースを見るようになってからである。そう言いながら、では自分の妻が自由奔放にどこかの男と体の関係を築くのが平気かと言えば、それは嘘になるから、そこに自己矛盾を感じたりもするのであるが。
 僕は人間の性に関し、取り立てて隠すものではないと思っている。もちろん一般的な人は、それをできるだけ隠したい気持ちを持っていることは理解している。しかし人間が本能で持っている性欲というものは、誰にも理解できる共通した内容だ。なぜそれを隠したいと思ってしまうのか不思議であると同時に、心の中に抱く愛と人間の本能としての性欲の関係を、同じようにどう考えれば良いのか、少々混乱するのである。
 
 数日前に、モナが突然僕に言った。
「責任さえ果たしてくれたら、あなたの好きにしていいわよ」
 これまでの彼女の言動からかけ離れたこの言葉を聞き、僕は驚いた。
「おっ? 今確かに言ったぞ。その言葉を決して忘れるな」
 モナは僕のその言葉に、明らかに躊躇した。僕のその言葉に、僕が本当に好きにしそうだと思ったのだろう。
「あと十年したらね。今はだめよ。わたしもまだやりたいから」
「あっ、話しが変わった。なんでなんで? あと十年したら、僕の方が駄目になるかもしれないじゃないか」
「大丈夫よ。男は六十を過ぎてから、本当のスケベになるんだから」
「へ? そうなの?」
「お店に来ていたお客さんは、みんなそうよ」

 僕はモナとこんな会話を交わしながら、少し考えた。仮に自分が不能であるにも関わらず、モナが性欲をため込んでいたらどうするか。彼女の幸せを真剣に考えた時に、彼女が自分の性欲のはけ口を、誰か違う男に求めるのを僕は許容するのではないだろうか。その時に、二人の愛はなくなるのだろうか。おそらくなくならないような気がする。
 逆に性欲だけで、僕が他の女と遊んでいたらどうだろうか。彼女の言葉通り、彼女や子供に愛を込めた責任を果たしていたら、二人の愛は変わらないのではないだろうか。
 そして一つ気が付いた。最近他の女性と遊びたいと思わなくなった自分を不思議に思っていた件である。それをある人は「あなたが幸せな証拠だ」と言ったが、実はそうではないということだ。幸せであることは間違いないが、実は僕は、肉体と精神を乖離させることができないから、他の女を求められないのである。その部分で、僕はとても不器用なのだ。もし他の女とそのような関係になった時、おそらく僕は気持ちも奪われる。それが分かっていて、それが怖いから、僕は他の女性に興味を失ったのである。
 そのように考えてみると、それはある意味深い愛を持っているように聞こえてしまうが、僕は、愛も成熟すれば、体と精神は乖離するのではないかと考えている。いや、きっとそうなる。男は六十を過ぎて、本当のスケベになるというのは、実はそれではないだろうか。
 つまり、僕という人間は、まだまだ未成熟なのかもしれないなどと思いながら、この小説の中に、自分の考察を織り込んで書いているのである。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 14:20
Comment(8) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:598.肉体と精神の乖離
2012年09月11日

597.モールのトイレ2


先ほどの続きを書いてしまったので、再びアップすることにした。

あれはもう、十年も前のことになる。
セブのアヤラショッピングモールを歩いている時に、お腹の調子が悪くなった。痛みを伴うゲーリー大佐の急襲である。
セブのアヤラショッピングモールは、日本の百貨店のような綺麗なモールであるが、う@こをホテル以外でしたことのなかった僕は一旦ホテルに戻ろうかと迷った。しかし事は急を要する。ティッシュなども持っていなかったが、これだけ綺麗で大きなモールであればと、体から湧き出る冷や汗を感じながらトイレを探した。
ようやく見つけたトイレの個室にかけ込むと、先日のモールと同じように、薄汚れた便座のない便器があった。しかも間口が大きい。これはどうみても座れないだろう、僕の小さなお尻では壺にすっぽりと収まり、次は抜け出すのに苦労しそうである。そこで便器の上に足をおいてまたがってみたが、体が不安定で心もとない。今度は体の向きを変えて水タンクを抱き抱えるようにしてみたが、実が便器の外にはみ出しそうだ。それ以前にズボンにひっかけそうで、そうなったら個室から出られなくなりそうなことが怖い。今では当然とわかるが紙もない。とにかく、実がすぐそこまで来ているのを必死に肛門を絞りながら、僕は汗だくで悪戦苦闘した。
結局そこでのう@こを諦め、時々体がエビゾリ状態になる滑稽な歩き方で、近くのホテルまでようやく辿り着き、事なきを得たという経験がある。

それからしばらく経て、僕は地元のマイナーなバーに行った。よく考えてみると、僕はその類の店でトイレにも入ったことがなかったが、そこで小をもよおしたのである。僕はそこで、初めて本物のローカルトイレと出会った。便器などという気のきいたものはなく、その辺の壁に向かって適当にどうぞという感じで、大も似たようなものだった。そして水の入ったバケツが置いてあったので、それで手を洗えということかなどと思っていた。
その当時、僕はう@この後に、バケツの水で洗い流すということを知らなかったのである。
とにかくそこでは小だったので、特に気にもせず壁にぶちまけ席に戻ると、一緒にいたある方が、大丈夫だった?と気にかけてくれた。
とにかくトイレでの作法がさっぱりわからず、随分長い期間、それは僕にとって不思議の連続であった。

今ではフィリピンに住んで三年以上、紙のないトイレでも平気で使用できるようになり、慣れない当時の疑問が、自分の中では全て氷解していたつもりでいたのである。
しかし先日僕は、そこに一石を投じるようなあるブログに出会ってしまった。
それは、記事の中かコメント欄のやり取りかは忘れてしまったが、次のような記載があったのである。
「う@この後にケツを手でふくと勘違いしている大バカがいるが、そんなことも知らずにフィリピン通をきどっているんじゃない」
僕はそれを読んで、目が点になった。僕の告白とはまさしくそれで、その記事によれば僕は大バカである。
それからというもの、僕は個室で用を足したあと、必ずそのことが頭をよぎるようになった。そのブログに書かれた内容に、囚われの身となってしまったのだ。
「それではどうすればよいと言うのか?」
そのようなことを言うなら、しっかりと回答も書いて欲しいものだと、そのブログに出会ってから数週間、ずっと切に思っている。
今では我が家にも、トイレ用シャワーが取りついているが、その水流を当てただけではどうしても心もとない。特に粘度のきつい場合は、それだけでは落ち切れないのである。
とすれば、僕の薄弱な頭で思い付くことは、患部に水流を当てながら手で綺麗に洗い流すということだけだ。我が家の場合は紙もあるが、紙はトイレに流すなということになっていて、脇のダストボックスに捨てないとならない。(これも下水のないフィリピンで、当然と知ったのは最近である)
すると、う@このついた紙をそこに捨てたら片付ける人は嫌だろうし、僕としても自分のう@このついた紙をそこに放置することは、自尊心が許さないのである。

当然の成り行きで、手を使う。資源を無駄使いせず、患部はすっきり爽快で、慣れるとこれもなかなか良いではないかと思っていた。一応全ての処理が済んだ後は、手を鼻に近付け臭いが残っていないかを確認する。確認後に洗面台に用意されたハンドソープで手を洗うのだから、どうせならハンドソープで洗った後の確認で良いではないかと、自分のその行為を自問自答という形でいつも振りかえってしまうのだが、とにかく僕の普段のやり方というものは、そのようなものである。

このやり方を否定されてしまうと、僕にはどうすれば良いのか分からない。
まず、手の臭いを確認するのは、ハンドソープで手を洗ってからにしなさいと言われるなら、それは十分理解できる。
もし、フィリピンにおけるトイレでの正式な作法を御存知の方がいれば、是非ご教授願いたいのである。
ちなみに、子供が大股を広げ大の字ですやすやと眠っている姿を見ると、どうしようもなく愛おしくなってしまい、眠る子の頬にキスをしたりするのだが、大股を広げて昼寝をする嫁を見た時に目をそむけたくなるのはなぜであろうか。先日愛について語ってみたが、僕には愛が足りないのか?
何らかのご回答を持っている方がいれば、是非そちらの方も・・・。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 15:59
Comment(6) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:597.モールのトイレ2

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。