フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます
2012年09月11日

596.モールのトイレ1

昨日、久しぶりにモールのトイレで個室に入った。う@こをするためではない。
2時間ほどユリと公園で遊んだら、着ていたTシャツが汗でびしょ濡れになった。臭いに敏感な方々が多いこのフィリピン、これで乗り合いタクシーに乗れば、まさしく鼻つまみ者になってしまうと危惧した僕は、モールでTシャツを買い着替えることにしたのである。
Tシャツを選ぶ際、モナはデザインを意識しているため、自然と値段の高いTシャツの方へ誘導されていくが、プライスしか見ていない僕はそれに流されることなく、早々に緑色の一つを決めた。まるで自慢にならないことを承知で言えば、このような時に僕は、普段の優柔不断さがすっかりなりを潜め、頑固一徹、猪突猛進、大変意思が固いのである。メーカーだのデザインだのに惑わされることは決してない。
僕が一つの安物Tシャツを決めたにも関わらず、モナが「こっちどう?あ〜、あっちは?」と訊いてくるのが煩わしく、僕はモナの言葉を無視し「支払いカウンターはどこ?」と、少しでも早く手を打ちその場を離れたい気分になっていた。
そうやって買ったTシャツを手に、僕は個室へ潜入したわけである。

たまたま若いお姉ちゃんが、トイレの中を掃除していた。敢えて言わせて貰えば、「なぜ君のような子がトイレ掃除なんてしているんだい?」と声をかけたくなる、僕好みであった。
しかしそんな声をかける度胸も器量もないことは、自分で良く分かっている。ほんの一瞬ん目が合ってしまったばつの悪さを感じたまま、僕は個室のドアを開け、さっと中へ滑り込んだ。
「あ〜、久しぶりのモール内個室だ」
妙に感慨深いものがあった。モール内個室には、僕の深層心理に焼きついた思い出がある。それは未だ謎に包まれた神秘であって、僕はそれを告白し、読者の皆様に訊ねたいことがあってこの原稿を書き始めたのだが、とりあえず成り行きで進めていきたい。
まず、今着用しているTシャツを脱がなければならないから、購入したTシャツをどこかに置きたいが、個室内には棚らしい棚が一つもない。もし便器に蓋があればその上にポンと置けるのだが、便器には便座すらなく、薄汚れた便器がしっかりと口をあけてこちらを見ている。吸い込まれそうな恐怖感から逃れるため、僕は便器からさっと目を逸らした。眼鏡もどこかに置きたいかひっかけたいのに、その場所すらない。
仕方がないので購入したTシャツが入った普通の茶色の紙袋を片手に持ったまま、汗で汚れたTシャツを脱ぎ始めたが、体にピタリとついたTシャツが簡単に脱げない。手に持つ紙袋が、ガサガサと大きな音を立てるのがとても気になる。この脱ぎづらさでは眼鏡も危ないと思い、それはジーンズのベルトを通す箇所にひっかけた。
僕はいつの間にかTシャツを脱ぐのに夢中になり、両手を高くあげ脱ぎかかったTシャツを何とかしようともがいていたが、背の低いドアの外から、その様子が見えていたらしい。
外から見れば、ガサガサ大きな音がして、しかもドアの上から僕のもがく様子が部分的に見えている。それを哀れに感じてくれたのか、掃除をしていた女の子が外から声をかけてくれた。
「何かあったの?何をしているの?大丈夫?」
汗臭い濡れたTシャツに顔をすっぽり覆われた状態で、僕は思わず、その声に応えてしまった。
「プリーズヘルプミー!」
Tシャツ越しの僕の声は、少し猿ぐつわ状態のようにくぐもっていたかもしれない。僕はこの時、手に持つ紙袋をちょっとだけ彼女に持って欲しかったのだが、言い方がまずかった。
「はあ?何があったの?ドアを開けて!」
「ドアは開けられない。何も見えない」
この言葉を彼女はどう解釈したのか不明だが、僕の両手は上を向いて動けない状態なので、ドアのキーに手が届かないのである。
「ちょっと待って、今誰か呼んでくる」
「ノー、ノー!それだけは止めて。この紙袋を持ってくれ」
僕は購入したTシャツが入っている紙袋を振り回して、これこれと彼女に示し、ドア越しに彼女がそれを受け取ってくれた。
「あ〜、助かった。これで脱げる」
「はあ?」
「あっ、いや、こっちの話し。気にしないで」
僕はようやく脱げたTシャツをドアの上端にポンと引っかけて、さっきの紙袋を頂戴と彼女にお願いした

が、返事がない。あれ?
「ヘイ!、ミース!」※ミスは店員の呼び方
しばしドアの外に耳を傾けてみるが、やはり返事がない。
僕は一度脱いだびしょ濡れのTシャツをじっと見つめた。これを再び着て表に出るべきか。それとも上半身裸で、ドアを半開きにして覗いてみるか。
鍵を外し、ドアをそっと押しあけようとしたら、そのドアがぐっと引っ張られた。その勢いで上半身裸の僕も、半分個室の外に出る形となった。すると目の前には男性店員とさっきの女の子。男性はもしかしたらマネージャー?
「何をしているんですか?」
「このTシャツが汗で濡れたので、そのTシャツを買って・・あら?」
僕の買ったばかりのTシャツが入った紙袋を、女の子が持っていない。
「僕の紙袋は?あれに購入したTシャツが入っているのだけれど」
女の子が目を丸くして、慌ててゴミ箱の中から僕の紙袋を取り出した。幸い紙袋に汚れはないようだったので、僕はその中から新品のTシャツとレシートを取り出し、事情を男性に説明すると、男性と若い女性はソーリーソーリーと言いながら大笑い。
その間僕は、時折トイレを訪れる男性客の冷たい視線を何度も感じ、一段落ついたところでお願いした。
「そろそろ新しいTシャツを着ていいですか?」
僕はそんな場所に上半身裸でいる自分が、恥ずかしくて仕方がなかったのである。
「オー、もちろん」
彼と彼女は笑いながら、僕への何かの疑いをといてくれたようだ。
どうもこのモールのトイレは、僕にとっては鬼門のようだ。何かがよく起こる。
僕はこんなハプニングでしか顔を売るチャンスのない人間であるから、まあ良いと言えば良いのだが、トラウマになりそうだ。
せめて彼女に、誤解したペナルティーで食事にでも付き合ってくれと言いたいところであるが、妻子連れの僕に何ができるわけでもない。何も収穫がないままトイレを後にし、きっとあの方に遅いと文句の一つでも言われるかと思ったら、あのお方はユリと一緒に、シューズ選びに夢中になっていた。

さて、途中で書いた皆さまに訊きたいこと。それは単に、う@この仕方とその後の処理の仕方であるが、それは背景説明を入れて次回にでも。


↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 13:04
Comment(0) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:596.モールのトイレ1
2012年09月10日

595.フィリピン人の愛やホスピタリティー

しばらくブログから離れていると、再スタートを切ろうとした時に、何を書いて良いのか悩んでしまう。
実は、書きたいことはたくさんある。以前にも増してあるのだが、怖くて書けない。
僕の敬愛するある方のブログも偶然止まっている。先日お会いし、止まっている理由を簡単に伺った。その理由は僕のものとは違ったが、精神的に何か引っかかりが生じると書けなくなるという点が、自分と共通していた。
なるほどねぇ〜。やっぱりそうなんだと思い、たったそれだけのことでこちらの気が軽くなった。そのお方がこんなこともおっしゃっていた。
「Markさんのブログを読んで、自分のブログは一体何なのだと思ったら、一時書けなくなってしまった」
これはその方のブログが止まっている理由ではないが、併せてそのようなことも告白され、こちらは戸惑ってしまった。
ご自分のスタイルやポリシーを貫いて、コツコツ毎日、もしくは毎日に近い頻度で記事を更新されている方を、僕は心より尊敬している。その内容がエンターティメントに徹したものであって何が悪いのか。楽しみにしている読者がたくさんいるなら、それだけで記事を出すことに十分価値があるではないか。仮に、馬鹿なことばかり言ってんじゃねえよと思う方や言う方がいるとしたら、それはその方が読まなければよい話しである。こちらが万人受けするものを書くのは能力的・物理的に無理である。取捨選択の自由が読者にある限り、こちら側も楽しみにしている人たちと楽しく盛り上がらせてもらえばよい。社会性、公共性の顕著な内容は別にして、エンターティメントには文句をつける余地はないと僕は思っている。
このようなことは僕が心から思っていることであり、それをかいつまんでその方に直接お伝えしたが、単なるリップサービスとして受け取られると、少し寂しいというのが本音だ。

このように、先週は少し忙しい一週間であった。月曜からマニラに行き、金曜はタバコに用事ができたために慌てて戻ってきた。そして金曜のお出かけの中で土曜にも用事ができてしまった。この一週間、その全てに連日お酒が入った。普段お酒を飲まない自分が、少量でも一週間続けてアルコールを体に入れると、自分でも気付かぬ疲労が体に蓄積するようだ。日曜の本日、昼食後に体の疲れを癒すよう、不意に長時間の昼寝をしてしまった。
その昼寝のせいか、体も心も少し軽くなっている。先日頂いたコメントにも励まされた。そしてようやく、ブログを更新してみようという気になり始めた。

金曜は昼の便でマニラからタバコに戻り、自宅に帰って間もなく出かけた。
金曜、土曜の二日間は、地元の友人たちとのパーティーであった。二日間共、慣れない酒をたくさん飲んで、楽しく酔っぱらって、夫婦二人で朝方帰宅した。
昨夜は友人宅に招待されたにも関わらず、帰り間際一時間ほど居眠りをしてしまう醜態をさらしてしまったが、それだけ飲んで歌って話して楽しんだ。
一昨日はライブハウスのステージ前で、初めて男性とチークダンスを披露した。ダンスの相手は、海外就労から久しぶりに帰郷した人で、会っていきなり、僕に「あなたが恋しかった」と言ってくれた友人である。(オカマではない)
同席した年配のフィリピン男性は、初めての体験(ライブハウスが初めてだそう)をさせてもらい、本当に楽しかった、ありがとうと大層喜んでくれた。そう書くと、まるでそこの費用は全て自分が出したかのように聞こえるが、十数名のメンバーのうち、僕を含めた三名で割って払うことになっていたので、僕が少しだけ多めに出しただけである。もし自分の手持ちが薄く出せなければ、それを正直に言える仲間であるから、一緒にいて本当に気の休まる連中だ。
この両日で、体はきつかったが心はゆとりを取り戻した。相手はみなフィリピン人であるが、なぜ彼らと一緒だと癒されるのだろうか。不思議な気持ちになった。
少し考えてみると、一緒だったメンバーにお金持ちは一人もいないが、きっとみんな、心の自由があるのではないかという気がする。それがこちらに伝染するようだ。この心の自由が、彼らにホスピタリティーをもたらしているのではないだろうか。他人を労り慈しむには、心にゆとりがなければできないことである。

マニラに出かける前に、ある日本の友人とスカイプで話しをした。その友人は、フィリピーナとの恋愛で少々困る事態になり、軽くその相談をしてきたのだが、その中で唐突に
「マークさんにとって愛とは何ですか?」
と訊かれた。この歳になって率直にそのようなことを訊かれると困ってしまうが、僕はありきたりに「サクリファイス(自己犠牲)ではないか」と答えた。しかし、どうにも自信のない僕は、スカイプが終了後、愛について調べてみた。

----- 以下 引用 ----
愛とは何か
それは、「喜ばれるとうれしいというエネルギー」
「喜ばれたいというエネルギー(=欲求)」
「感謝のエネルギー」
「役に立ちたいというエネルギー」
「幸福になってほしいという思い(エネルギー)」
小林正観著「もうひとつの幸せ論」より

愛とは、自分自身に正直でいて、相手の自由を尊重し、
自分を愛してくれている人たちがいることを常に感じながら、
パートナー、家族、子供たち、友人たちとの関係を楽しむこと。
愛とは無条件に人々を思いやること。
愛とは自分自身を愛し、自分一人でいても快適に
感じるということ。
成功とは、達成感や存在価値、平和、喜び、満足を感じること。
幸せは、他者がどのようにあなたを評価するかによって左右されるものではない。
幸せとは、心の中の明るさや喜びといった感覚。
(参考書籍:ダイアナ・クーパー著「アセンション新しき光」)

「愛のふたつのあり方」
愛には、ふたつの在り方がある。
ひとつは自分への愛、
もうひとつは他人への愛、
それがアンバランスになると、
ちょうど呼吸せずにすべて空気をはき出すようなものだ。
数分後には死んでしまう。
エンリケ・バリオス「もどってきたアミ」より

愛は「ひとつであること」
すべてがあなたの一部であり、あなたはすべてと「ひとつ」だという、
「ほんとうの自分」を経験すること、それが愛。
(ニール・ドナルド・ウォルシュ著「10代のための神との対話」より)
---- 引用 ここまで ----

中々含蓄のある言葉が並んでいる。
なるほど、愛とは男女間のものだけではなく、自己愛、家族愛、隣人愛など色々とあるが、あらためてこのような世界に触れ、少し自分を見つめ直すのもいいものだと思った次第だ。
そして、フィリピン人と一緒にいて癒されるのは、フィリピン人がこの愛をバランスよく持っているからではないかということに気付く。
こんなことを言えば、「そんなことはない、自己愛と家族愛だけだ、少しくらい自分にも愛をくれ」と叫びたい方々がいることも承知している。
例えば抜粋の中に、愛には自分に対するものと他人に対するものの二つがあり、そのバランスが悪いと死ぬというものがある。
実際に日本のPPやフィリピンのゴーゴーバーで見かけるバランスの悪いフィリピーナは、相手に愛想を尽かされ、そこで二人の人間関係が終わるケースも見かける。しかしそれは、生きるための手段として働いている場で、そのように偏ってしまうケースや、見せかけの愛が多々あるからだろうと僕は理解している。人間追い込まれれば、愛を振りむける対象に優先順位が生じて当たり前で、それはおそらく日本人でも同じことだ。
それに気付かず、最上級の鴨になる場合もあるだろうし、いや、鴨だろうが、鴨に徹することが自分の愛の示し方だという場合もあるだろう。
どのようなケースにも、僕は肯定も否定もできないし、それで人を馬鹿にすることはない。僕自身、ケースは違うが似たような経験をし、そこには単に言葉では語れない深い事情や感情が存在していると思うからである。
恋人時代に散々ぼったくってくれたフィリピーナと結婚をし本当の家族(気持ちが通うのが前提)になれば、そのフィリピーナは夜の世界で知り合う男性を散々鴨にしながら、今度は自分をとことん守ってくれる人になることもあるわけで、それはやはり単なる優先順位の問題と割り切るべきケースが実際にあるような気がする。

僕の知り合いのフィリピン人ドライバーから教えてもらった話しである。女性が僕とドライバー共通の知人だったので、次のような話しになった。
日本経験のある女性が、日本から馴染みの客が来るというので、女性がその日本人に数日付き合うことになった。その女性にはフィリピン人の旦那がいる。旦那は妻に、数日間がんばって付き合って、できるだけお金を引き出してこいという話しをしたそうだ。旦那として、そのようなことが気にならないのか僕は不思議だったが、その日本人客が日本に帰ったあと、妻は旦那に「ケチなくせにあんなこともこんなこともして、変態の最低親父だった」ようなことを、愚痴をこぼすように言ったそうである。旦那もそれには憤慨したが、それで結局いくら稼いだのかという話しになり、四泊五日の奉仕でキャッシュ二十万円、買い物で買ってもらった物品がこれこれと説明すると、旦那はまずまずだと満足していたそうだ。その日本人客はどうだったかと言えば、大変満足して帰国したそうである。みんながハッピーになって、ビジネスとしては大変良い結果であったようだ。
免疫のない人にとっては少し衝撃的な話しかもしれないが、実はこの手の話しは珍しくない。
僕は当初この話を聞き、理解に苦しんだ。僕なら妻にそのようなことをさせるのは耐えられない。それは今でも同じである。
今でも耐えられないと思いながらも、実はその夫婦の愛とは、僕の考える愛を超越しているのではないかという気もするのである。
二人は普段、本当に仲の良い夫婦らしい。フィリピンでこのようなケースを色々見ていると、そんなことをしながら仲が良いと言われれば、それもありだろうという気がしてくる。
実はモナもかつて、僕に話したことがある。もし僕が病気になり稼げないだけでなく、病院代も大変になれば、自分は体を売って僕を守ると言うのだ。手っ取り早く稼ぐには、それしかないということだろう。
もしそんなことになれば、僕は耐えられないから死んだ方がましだと言ったが、どこまで本気か分からないけれど、彼女は二度ほどその話しを僕にしたことがある。
とにかく食うためや家族を守るためにはみんな必死になるということで、仕事上の疑似恋愛と夫婦や恋人との愛はまた別だということだろうし、それだけ深い愛がそこに存在する可能性を否定できない。

話しを戻すが、普段友人として付き合っているフィリピン人たちは、僕やモナとの人間関係を大変大切に考えてくれている。とすれば、行ける所まで行って後は野となれ山となれ的な発想は微塵も感じられず、そこには自己愛と共に他人に対する愛が感じられるのである。
愛という言葉を使うのが大げさであれば、気遣いと置き換えてもいいわけだが、そのような関係になった時のフィリピン人というものは、一緒にいてとても居心地がいい。なぜかと言えば、その気遣いは見せかけのものではないと、普通に感じられるからだ。だから敢えてそれを、こちらも愛と表現したくなる。
もちろん相手にもよりけりで、フィリピン人でも日本人でも、そうでない人はいる。それを先ほどの抜粋の中で見つめ直して見ると、そうでない人というのは、自己愛、家族愛などの限定的愛が強い人で、バランスの悪い人なのかもしれない。
今回マニラとタバコで、数人のシンガーの歌を聴いた。シンガーの歌も同じで、自己愛だけの人の歌は心に響かない。「上手だね」の一言で終わりだ。上手な人だけならプロにはいくらでもいる。その中で頭角を現すのは、ソウルを表現できる人、聞き手に幸せをもたらす人だけだろう。

この二日間楽しい時間を共にしたフィリピン人の持つ気遣いや愛は、決してメッキではない。もちろん社交辞令的な気遣いはある。あるけれども、それも疲れない。きっとそれは、彼らの心が解放されているからだろう。人付き合いの中で、できるだけ他人を傷つけてはいけないという気持ちも根底にあるのだろうと思われる。
だからこそ敢えて愛という言葉を使わせてもらうが、それは単なる気遣いとは違う。気遣いだけならいくらでもできる人はいるからだ。ただし上辺の気遣いなど、ところどころでメッキが剥がれるのですぐにばれる。剥がれるメッキならば最初から嘘をつかない方が良いし、嘘をつくならメッキを剥がさないように徹底すべきだ。
僕の場合、ばれないメッキで自分を覆うことは可能かもしれないが、それはとても大きなエネルギーが必要なので、できるだけ地でいくことにしている。
彼らは、その地でいく自分さえも受容してくれるだけの心のゆとりを持っている。その部分で自分は、とても敵わないと謙虚に思っている。
最近僕はこのようなことを考えながら、フィリピン人の持つ愛やホスピタリティーの本当に意味を、なんとなく理解しかけているような気がしているのである。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



2012年08月18日

594.不思議な体験

僕は薬屋さんに行こうとしていた。記憶では、ハンバーガー屋さんの横の狭い道を進んだ奥に、目指す薬屋さんがあったはずだ。
お〜、あったあった、このハンバーガーショップだ。しかし横道が見当たらない。どこかにその道への入り口があったはずだ。
とりあえずハンバーガーショップを通りすぎ少し進むと、見覚えのある家があった。その家に入ってみると、顔見知りが大勢いて驚いた。いつの間にか上がり込むことになり、久しぶりと言葉を交わし、部屋の道路沿いの窓から、薬屋さんに通じる道を探してみると、そこに15cmほどのサソリがいる。尻尾の先端にある針まで、しっかり見えるから、これは間違いなくサソリだ。僕は部屋の中にいるメンバーに、サソリがいると言いたいが、言葉が上手くでない。そのうちサソリが、家の中に侵入してきた。言葉を出せない僕は、サソリを指差してみんなにそれを教えようとしている最中、とつぜんサソリが空中を飛んだ。
え?サソリは飛ぶのか?
そのサソリが僕の頭上に飛んできたので、うわぁっ!と驚いて身をのけぞらし逃げようとしたら、僕は転落した。どこに?

ベッドの下に。
久しぶりの転落だった。フィリピンに来てから、三度目の、ベッドからの転落だった。
見ると、ユリがベッドのセンター寄りに大の字になっていて、その隣にモナがいて、僕が寝ていたのは、体を横にしてようやくはまり込む程の、極めて狭いスペースだ。しばし呆然とそれを眺め時間を確認すると、朝の四時を数分過ぎたばかりだった。これはもう少し眠らなければと思い、僕がその狭いスペースを少しこじあけるように入り込むと、寝ているモナが、僕の腹の上に足を乗せてきた。一度目覚めた僕はそこで、尿意を催していることに気付いた。モナの足が僕の膀胱を圧迫して、我慢ならない。僕はその重い足を、両手でよいしょとどけて、トイレに入った。時間はまだ早いのに、動き回っていたおかげで、だんだん目が覚めてきた。まだ寝たいわけではなかったが、もう少し寝ておかなければならないと思い、再び狭いスペースをこじあけるように、ベッドに戻った。

すると寝ているはずのモナが、僕をだっこちゃん枕のようにして抱きついてきた。彼女はしっかり寝ているはずなのに、顔をすりすりしながらキスまでしてくる。もう少し寝なければならないと思っている僕は、それを無視して目を閉じ、寝息まで少し大きめに立てて寝ている振りをしようと思ったが、なぜかモナがしつこい。しまいに彼女の手が、僕のパンツの中に入ってきた。
「なに?起きているの?」
僕がそう言って彼女を見ると、隣にいた女は、一昨日ジプニーで僕の斜め前に座り、最初から最後までミネラルウォーターを片手に、ずっと何かを食べていた若い女だった。
うわぁっ!と驚いて身をのけぞらして逃げようとしたら、僕は転落した。どこに?

ベッドの下に。
何が起こったのか混乱しながら、身を起して見ると、ベッドには、モナもユリもいなかった。
これは、僕の記念すべき四回目の転落なのか、それとも三回目の転落なのか、しばらく考えてもよくわからなかった。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 10:15
Comment(10) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:594.不思議な体験

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。