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2015年06月24日

741.安全保障法制法案について1

 気が付けば、随分長期間ブログを放置してしまった。モナに指摘され、焦って記事を書き出した次第だ。しかし内容は、タイトルに示した通り、こちらの近況とは程遠いものである。
 よって最初に簡単な近況を述べると、「元気ではつらつとやっている」という一言に尽きる。ダイチが腕白ぶりを発揮し、おでこに縫い傷を負うハプニングがあったりするけれど、当の本人はすぐに復活し僕とモナをいつもハラハラさせている。家族のマレーシア滞在VISAは無事に取得し、ベルとユリの学校も決まった。あとは学校の入学金と月謝の心配をするだけである。
 決めた学校は勉学一筋の名門校というより、勉学とモラル教育の双方に重きを置く方針の緩やかな校風で、一応インターナショナルスクールである。校舎はリゾート内にあり、前面が海辺になっている。そんなロケーションを活かし、料理や散策や全学年通しての様々なイベント活動が多く、学校責任者の人柄は申し分ない。キリスト系の学校であることは、モナが一番飛びついたところである。
 さて今回、少しお堅い内容の記事を書いた。書いてみれば非常に長くなったので、三日連続投稿で完結させたいと思う。書いた内容は正しいか正しくないか分からない。賛成と反対もあるだろうが、一つの読み物として書いたつもりなので、肩の力を抜いて読んで頂ければと思っている。特に初日の内容は、これとタイトルに何の関係があるのかと思う方もいらっしゃるはずだけれど、我慢して読み続けてくれれば繋がる箇所が出てくる、はずである。
 これらの内容で目を吊り上げた言い争いはしたくないし、その価値もないものだと思っているので、その程度でお付き合い頂ければ幸いだ。
 以下、本文となる。


 ベッドの上で、手足を投げ出し眠るダイチを見ていると、思わず寄り添い小さな手や柔らかい頬を触りたくなってしまう。眠っていながらも、子供が差し出した指に反応したりすると、可愛くて仕方なくなりその場を離れられない。そうこうしているうちに僕も居眠りし、気付いたら朝になっていた、ということも何度かあった。そんなときには決まって、僕はモナに「昨夜、僕はどうやってベッドに寝たんだっけ?」と訊ねてしまう。
 一方ユリはまだ親とのふれあいが恋しい歳だから、ときどき僕とモナのベッドにやってくる。今朝も妙に窮屈で起きたら、ユリが僕とモナの間にもぐりこんでいた。ベッドの端にダイチが寝ているから、大人と子供併せて四人が一つのベッドに寝ているわけで、僕はどういうわけか体をユリに向けて横向き体制だったけれど、九十度寝返りをうって上を向けばもうベッドから落ちるというぎりぎりの位置にいた。
 あまりの窮屈さにたまらずベッドを抜け出しあらためて眺めると、ぐっすり眠るモナの両脇に、二人の子供が無邪気にすやすやと寝息を立てているという構図だ。僕はそれを見て、今日も仕事をがんばらねばと奮起する。
 このような日常的で小さなことが、家族と共に暮らす幸せなのだろう。とかく子供は、ときに煩わしいくらいやかましいけれど、僕とモナの生活に潤いをもたらしていることは確かである。 
  
 こんなふうに、普段小さな子供と接しているせいかもしれないけれど、たまにインターネット上で見かける子供への虐待シーン(実録)には、たまらなく暗い気持ちにさせられる。特別探しているわけではないけれど、今は偶然、そのような画像に出くわす機会が多くなった。拡散の意味かどうか知らないが、FBなどでそのような画像が頻繁にアップされるのだ。FBの画像は無修正でかつストレートなものが多く、ときにグロテスクである。子供への虐待シーンも同様で、それらを見ると救えるはずもないのに、できることなら救ってあげたいという気持ちが胸のうちに湧いてくる。そして見たあとは、どうしようもない憤りや無力感に襲われる。
 特に酷いのは、中国人の子供に対する暴力だ。
 四、五歳の子供の背中に容赦ないとび蹴りをくらわし、コンクリートの床に全身を打ちつけぐったりする子供の足を取り、洗濯物の皴を伸ばすように上下に振って床に打ち付ける。更に子供を乱暴に床から拾い上げ、何度もコンクリートの地面に放り投げる。
 同じような幼い子供を足蹴りで倒し、頭を何度も力いっぱい靴底で踏みつけ、それでも足りないのか周りにあった道具を手に取り、それで子供の体や頭を渾身の力で殴りとおす。
 いずれも子供はすでにぐったりし、まだ生きているかどうかも怪しい有様だ。
 他にも、ヒステリックになった母親が子供を何度も殴るシーンなどは枚挙に暇が無い。何も抵抗できない小さな子供は、泣き喚くかぐったりするかどちらかでしかないけれど、どちらにしても暴力を振るう大人は手を緩めることを知らない。

 何か理由があるにしても、全ての映像においてなぜそこまでと、その行動は微塵も理解できない。 
 冒頭でも述べたように、この手の暴力ビデオ主役は中国人が圧倒的に多く、次いで韓国人が続くという印象だ。両国人の場合、子供への暴力に限らず、何かをきっかけにヒステリックな状況に陥った様子を映し出す映像が非常に多い。
 もちろん日本でも、子供の虐待事件はあるようだ。幼い少女が親の虐待に耐え切れず家出をし売春で食いつなぐことや、それを食い物にする怪しい組織があることなど、一部報道されたり書籍化されている。以前僕が住んでいた街でもそのような組織が摘発され、新聞沙汰になった。
 しかし中国人の子供に対する虐待は、何かの腹いせという域を超え、子供を殺すのが目的のように行われる。虐待する大人の中には、きっと子供の実の両親もいるのだろう。いや、むしろ親が虐待を行っている方が多いのかもしれない。また、韓国人のヒステリックは、逆上し自らが車に惹かれたり高所から落下したりと、ときに自分の命を奪うほどである。
 これらの様子は、一度火がつくと癇癪の赴くままという具合で、とても人間の仕業とは思えないほどだ。
 もちろん中国人や韓国人が、全て同じ資質の人ばかりと思っているわけではない。両国人にに、とても紳士的な人を僕も個人的に知っている。しかし同時に、ビデオの中に登場する狂人的な人を、僕は日本人の中にほとんど見たことがないし聞いたこともない。

 さて、僕が今回言いたいのは、実は子供の虐待に関することではない。
 僕が言いたいのは、これらの仕業を見ながら、子供をいたぶる、あるいは癇癪を起こし自己コントロール不能状態になる彼ら彼女らが、自分たちと同じ種類の人間に思えないということである。
 それは大げさな物言いだと疑う方がいれば、インターネット上で探して見て欲しい。決して見て気持ちのよいものではないけれど、どれだけ悲惨かは一見すれば分かることだ。自分が仮にその場にいれば、間違いなく子供を虐待する大人を殴り倒したい衝動に駆られるだろうくらい、とにかく酷い。
 人はよくそのような仕業を、これが中国人や韓国人のDNAだと言うけれど、僕はそれに少々異論を持っている。それらはDNAのせいではなく、人の育つ環境の違いから生じているのではないかと僕は思っているのだ。人間を鬼畜にしてしまう何らかの環境が、そこにあるのではないかと考える。もちろんDNAの影響をまるで疑っていないわけではないけれど、生まれたばかりの人間は白紙状態で、育て方次第で人にも動物にもなるのである。

 よく日本人の視点から、フィリピン人、中国人、韓国人がどうこうと言われることがある。僕も同じように、考え方、食習慣、行動習慣、あるいは細かいところでは計算方法やりんごの皮をむくときのナイフの使い方まで、モナと自分の違いを発見しては騒ぐことがある。
 しかし育った環境が違う者同士、色々な違いがあるのは当たり前だ。その境地にたどりつくまで僕も随分時間がかかったけれど、これは明確な事実であり、同時に不思議なことでもなんでもないのである。
 だからフィリピン人や中国人や韓国人も、各々自分たちの視点で日本人はどうこうと言っている。違いがあることや自分基準での相手への評価はお互い様で、しかもそれらは長年染み付いた習慣やその国における常識がベースになっているから、自分の方が正しいと思うことが多いというのも納得できる。おそらくその違いは、最後まで交わらないこともあれば、どこかで交わるものもあるのだろう。

 ただ、以前も書いたような気がするけれど、大切な部分での価値観が一緒ならば、決して交わらなくても許容できる違いもあるし、あるいは互いの違いが交わるのを待つこともできる。
 結局は、どうしても譲れない部分における価値観の一致が重要になる。例えばモナが自分たちの子供に対し、中国人がビデオで見せるような癇癪による虐待を度々行うようであれば、僕は子供たちを連れて彼女から離れるだろうし、彼女があまりに自分基準の常識からかけ離れた言動を繰り返すようなら、僕はそれも問題視するだろう。
 しかし僕は彼女が、基本的な躾け、マナー、道徳や他人への思いやり、愛情等々の観点で概ね自分と一致した価値観を持つことを理解しているから、ときには習慣の違いで腹の立つことがあってもそれが二人の関係に決定的なダメージを与えることはないし、安心して生活を共にできるのである。
 このようなことは、個別の家庭問題でなくてもある話しで、海外進出する企業が、現地の宗教が何かを重要視する理由もこの一点に尽きる。現地で普及する宗教は、現地の人たちと自分たちとの間で、人の言動を成す根幹的な価値観に大きな差異がないかどうかを判断する大切な指標なのである。一緒になって協力体制を築けるかどうかは、企業にとって当たり前に大切なことだ。

 話しを少し戻すけれど、僕は前述したインターネットに登場する超暴力的な人物については、決して自分と交わることのできない、自分とは決定的な違いを持つ人種だと思っている。それらの行動が仮に一時の過ちだとしても、それが決してあり得ない行動だからである。人の命を軽視し思いやりや愛情が著しく欠如していることが、画面からひしひしと伝わってくるのだ。自分と彼らと、どちらの考えが正しいかは深く考えれば不明だけれど(なぜこのような言い方をするかは後の記事で述べる)、とにかく僕は、彼らの暴力的行動に嫌悪感を抱くのだ。
 しかしよく考えれば、中国は十三億の人口を持つ国で、中国国民の生活環境は上海のような大都会もあれば山奥で電気や水道・ガスのない暮らしを強いられるケースもある。広大な土地を持ち、教育や習慣は同じ国の中で千差万別だ。
 そのような状況下、ごく少数の数パーセントの人に、自分たちとは相容れない思想や価値観や行動様式を持つ人がいても、それほど不思議なことではない気がするのである。しかも十三億の数パーセントが何人に相当するのかを具体的に考えると、その絶対数は恐ろしく多くなる。つまり、あくまでも仮であるが、中国人の十パーセントが日本人の考える異常な人だとすれば、それは日本人全員が変ということと同じ規模になる。もしそれが一パーセントであれば、東京都民全員が異常ということと同じだ。たとえ数パーセントの異常人格者含有率でも、その絶対数はとてつもなく多くなる。
 ならば韓国はどうかと言えば、人口は五千万程度で、決して大きなばらつきを持つ規模ではないけれど、彼らの癇癪をインターネットだけでなく、実際に目にする機会が非常に多い事実を考えれば、国全体の中で、そのような資質が育つ背景を持つ国ではないかと疑いたくなってしまう。
 そしてどこの国の人にも自分たちとの間に傾向的な違いが見えて当たり前だけれど、更にその中には、自分が許容できる人とできない人が含まれるのだ。もちろんそれは、個別に突き詰めていけば、自分が生まれ育った国の中の同国人にも言えることである。

 このような事実については一先ず受け入れるしかないけれど、その上で個人的には、僕は自分の許容できない人とできるだけ関わりを持ちたくないと思っている。そして、社会に、特に自分の周りに危険な性質を持つ人が相当数増える状況は、特に自分の子供を含む家族のことを考えて、直感的に嫌であるしノーと言いたい。
 これは決して人種差別と違い、実際に心配しなければならない事案が世間で一般的になる恐れがあるなら、そのような種はできるだけ社会の仕組みとして摘み取ってもらいたいというのが、一個人としての率直な思いだ。これを決して人種差別でないと言えるのは、このようなことが、仮に対象が日本人だとしも同じだからである。安心できる社会で安心して暮らせることは、住むべき場所としての基本的で重要な要件である。
 もし自分の近隣に、インターネットに登場するような癇癪持ちがいたならば、僕はその人を普段から意識せざるを得ない。その人にどこか遠くへ行って欲しいと願うだろうし、家族にはそんな人に近寄らないよう注意を促し、それでも自分の子供が犠牲になったとしたら、それは悔やんでも悔やみきれないということになる。
 逆に、もし自分がそのような危険人物の多い国に住む必要性が生じれば、僕は真剣に家族を呼び寄せるかどうかを検討するし、もちろんできれば、自分自身もそのようなところには住みたくないと考える。
 
 この辺りから、ようやく話題の核心に入っていくのだけれど、人間はこのように、当たり前ながら人によって違いがあるし、人種による傾向的違いがある。人類はみな兄弟というのは、同じ人間の姿をしているという点ではそうかもしれないけれど、内面まで考えればそれは嘘である。
 実際、他民族との交流は大切だと直接あるいは間接に言っている人でさえ、意見が対立したり言動が気に入らない人に対し、同じ民族でもそのような相手を排除しようとする。(立派なことを言う人ほど言葉が好戦的で、人としての地が見える)本人は自分の犯しているそういった矛盾に気付いていないようだけれど、結局人間とはそのようなものなのだ。
 同じ日本人同士でさえそうなるものを、更に毛色の違う他民族との間で、人類は皆仲間だ、話し合えば分かる、交流を促進し何でも和平的に解決しようなどと声高に言うことは、僕には到底理解できないことである。仮にそれを真剣に言うのであれば、意見の違う人ともきちんと建設的な関わり方をすべきであって、自分の足元でそれすらできない人が他民族との関わり方において理想論ばかりまくし立てるのは、少々愚かではないだろうか。
 少なくとも僕は、他民族との間で、手放しでそのような理想的な展開を期待するのは無理だと思っている。他民族交流は面白いし魅力的な面がある反面、リスクもあるからだ。そのリスクが表面化する確率は小さくても、表面化したときに人の命に関わる可能性があるならば、なおさら他民族との関わり方には十分考慮が必要だと僕は思っている。
 だから、そういった事実に気付かないのか、もしくは見えないのか、あるいは見ないようにしているのか分からないけれど、日本人の嫌韓、反中というある意味自然の嫌悪感から沸き起こった社会現象に、様々な理屈をつけてレッテルを貼ろうとする人を僕は、もっと素直に現実の事象事実を見つめるべきだと思っている。(だからと言って、非人道的な行動でそれを表現しようとすることに賛成しているのではない)
 民族派か何か知らないけれど(そもそも民族派って何? って思うのだけれど)、常に理想論ばかり唱えるそんな人たちは、円安で日本に大量に押し寄せる中国人や韓国人に引っ掻き回される日本の観光地の現状をしっかり捉えて考ええるべきではないだろうか。世界中で中国人や韓国人が嫌われるのは、そうなるべき理由があることをよく考えるべきなのである。

 最近はかつてのように、一部の、それなりに見識やマナーを備えた人だけが海外旅行できる時代ではない。金のない人が借金をして、金を稼ぐために海外へ出向くことや、犯罪目的の一環で渡航するなど、誰もが海外を行き来できるようになった。加えて社会や犯罪を含む様々なものが複雑化し、オーバーステイはもとより、密入国さえ珍しいことではなくなっている。そのことで、出向いた方と出向かれた方の双方が遭遇するメリットやデメリットが顕在化しているのが事実である。その意味で、社会に歪みのようなものが見受けられるようになったけれど、おそらくそれらに対処する制度や仕組みやマンパワーが追いついていないのだろう。仮に本腰を入れたとしても、完全に対処するのは難しいということも理解できる。
 ただし、もし傾向的にデメリットの部分が増長する現象や心配があるならば、国や自治体が何らかの処置をするのは当然だし、それを願う国民が増えることも自然のことである。それは少し極端に言えば、偏狭なイスラム原理主義者の入国を、国として極力阻止することに通じるものがあるだろ。つまり、場合によっては排除という強制措置も止む無しなのだ。(同じ民族でも、犯罪者は隔離される仕組みがどこにでもある。排除イコール差別というレッテル貼りは止めて欲しい)
 よって他民族との交流は、決して手放しで推奨されるものではないと思うし、僕自身は中国人や韓国人に警戒心を持っている。その上で相手の人間性を見極め、関わり方を決めるようにしている。そして、もちろん海外で出会う怪しい日本人にも、同様の心構えを持つようにしている。
 いずれにしても、他民族は違うという認識を持つことは、災難を避けたり、逆に良好な関係を維持する意味で重要なことではないだろうか。人類は皆兄弟ではないのだ。
 異民族同士、分かり合う努力が大切だということは否定しないけれど、実際には、理解し合うことが極めて困難なケースもあるということである。これは、前述した中国人や韓国人の具体例のようなケースもあれば、目的のために殺人を平気で行うISILにいる人たちのようなケースも含めて僕は言っている。(続く)



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2015年04月30日

740.家族移動完了

 その日僕は、朝から浮き足立っていた。モナと子供たちが、マレーシアにやってくる日である。
 出社前にフィリピンと連絡を取り、家族が出発に際して問題がないかを確認し、時間通りに家を出たかを確認し、一先ず出だしは良好と、僕も出社のために家を出た。
 オフィスに向かって運転中、モナからメッセージが届いた。普段、自分が運転中は無視するけれど、その日は気になって運転しながら携帯を覗いた。
「トラブルあった。今、厳しい」
 一体何のことやらさっぱり分からない。何か問題があったことは分かったけれど、それが致命傷なのか、たいしたことがないのか。
 写真も送られてきた。空港までの送迎を頼んでいた車のドライバーが、車外で警官のような人間と話している様子が写っている。交通違反で捕まったのか、それとも事故が起きたのか。写真を撮って送ってきたということは、モナたちは無事なのだろう。車にはダディやママも同乗している。その点は安心だ。
 しかし僕は、運転しながらメッセージを返した。
「何の問題? 飛行機は間に合うの?」
 これにすぐ応答がない。
 彼女はいつもそうだ。何かあったという事実は連絡してくるけれど、それでそれが大きな問題になるのか、それともただのインフォメーションなのか分からない。問題があるとすれば、僕はそれに対して何をすればいいのか、それとも何もすることがないのか。
 少し前、ユリが体調を崩したときにもそうだった。
「今病院の救急に来た」……以上。
 その後しばらく連絡なし。こちらから電話をしても応答なし。これではただ心配になるだけだ。
 今回の場合、家族の怪我を心配するような問題なのか、飛行機に間に合わなくなるような問題なのか、その辺りがとても大切だと思うけれど、彼女はこちらに心配させるだけの情報しかよこさず、あとはなしのつぶてとなる。まるで、こちらを心配させるのが目的のようだ。
 まあこんなのはいつものことで、本当にまずい状況になればもう少し詳細を伝えてくるはずだから、たぶん大丈夫だろうと思って放置することにしたけれど、メッセージを送れないほどバタバタする状況に陥っているのかもしれないと想像しだすと、やはり心配になる。
 
 会社に到着しコーヒーを飲んでいると、ようやく返事がきた。
「飛行機は大丈夫。もう空港の近く」
 随分遅い返事に、僕はもう返事をするのをやめた。するとまた少しして、「チェックイン終わった。荷物は55Kg。今搭乗を待っている」と、状況を連絡してくれた。
 これでマニラには到達できそうだ。地元からマニラへのフライトは天候に左右されやすく、簡単に欠航になるから、ある意味今回のような旅ではその区間がボトルネックかもしれない。
 こちらも仕事が忙しいので放置していると、『マニラについた』、『KL行きのチェックイン終った』、『これからみんなでランチ』、『イミグレーション終った。今ゲート』、『ボーディングは一時二十分』、『もう飛行機乗った』という感じで、メッセージが飛んでくる。
 あとは夕方まで、僕は仕事に集中していればよい。

 こうして夕方になり、家族はクアラルンプールに到着したはずだけれど、予定時間をだいぶ過ぎても一向に連絡がない。僕は、空港で無料のインターネットに接続できるから、到着したらメッセージをくれとお願いしていたのだ。
 しばらくしてから、再び問題があったことを伝えるメッセージが届いた。
「ストローラーなくなった。探すの大変。時間かかった」
 ストローラーとは、子供を乗せて押して歩くやつだ。ストローラーは、通常飛行機に搭乗する寸前まで使用でき、飛行機の入り口で係員に預ける。そして、普通は目的地に到着すると、飛行機の出口でそれを返してもらうのだけれど、クアラルンプールはそうではなかったらしい。いや、前はそうだったような気がするけれど、とにかく今回は違ったようだ。
 結局ストローラーは見つかったけれど、大きく時間をロスし、ゆとりのあった乗り継ぎ時間三時間が随分食われてしまった。
 その後、『チェックイン終った。人がいっぱいだった』、『ゲート前にきた』と順調に事が運び、いよいよこちらはペナンで待つだけと思われたとき、また問題のメッセージが入った。
「おなか空いたけど、お金ない」
「え? 両替しなかったの?」
「マネーチェンジャーが見つからなかった。ゲートの方にないの?」
 僕はすぐインターネットで探してみたら、マネーチェンジャーはたくさん出てくるけれど、その大半がチェックインカウンター近くで、ゲート側に入った場所にもあるのかどうか定かでない。だから彼女たちが出発する前に、両替だけはチェックイン後、ボーディングプレイスに行く前しっかりやっておくよう、念を押して話してあったのだ。
 マネーチェンジャーは搭乗ゲート側にもありそうな気もするけれど、探してみたらなどと言えば、何か別の二次災害(例えば迷子になってしまうとか、それが原因で飛行機に乗り遅れるとか)が発生しそうで怖いから、僕はこう伝えた。
「空腹じゃあ死なないから、とりあえずペナンまで我慢して」

 こうしてモナと子供たちは、思い切り腹を空かせて、予定時間通りペナンにたどり着いた。
 僕は出会えたモナにミネラルウォーターを渡しながら言った。
「お腹空いてるだろうから、これ買っておいた」
「なんで水だけ?」
 そう言いながらも、モナとベルとユリは、一本の水を奪い合うように回し飲みした。
「ビスケットもあるから」
 僕は従業員用にオフィスに置いてある缶から、大量にくすねてきたビスケットを鞄から取り出してそれも渡した。マレーシアの人たちはフィリピン人と同じで、いつも何かを食べていたい民族なのだ。だから職場にクッキーやビスケットなどが常に補充されて置いてある。
「どうしたの、これ?」
「オフィスで泥棒してきた」
「わるいな〜、それ」
「とりあえず車の中は、それでしのいで。家に帰ったら、すぐ何か作るから」
 と言っても、家にあった食材はソーセージとたまねぎがある程度だったような……。それであれば、簡単なスパゲッティーが作れそうだ。あとは前日作った野菜炒めの残りを冷蔵庫に保管していたので、ご飯を炊けば足しになる。
 最近は料理が手馴れて、三十分もかけずに立派な夕食をテーブルに揃えることができるようになった。よく考えたら、僕も夕食はまだで腹の虫が鳴いている。

「車を駐車場から出してくるから、ここで待っていて。車がたくさん通るから、子供に気を付けて」
 空港の外でモナにそう言いその場を離れようとしたとき、ユリがポケットから、キャンディのようなものを一つ取って「はい、パパ」と言いながら僕に渡した。
「ユリがね、パパにあげるって最後の一つをキープしていたのよ」
「おお、そうか。ありがとう」
 ユリが隙間だらけの歯を見せて嬉しそうに笑う。
 モナが、ユリはパパズガール(お父さん子)と言うくらい、彼女はいつも僕にベッタリだ。だから今回、マレーシアで一緒に暮らすことに一番喜んだのはユリかもしれない。そんなユリを、僕も普段から可愛くて仕方ない。自分のキャンディを僕のために一つとっておいてくれるようなことは、たとえ小さなことであっても僕の胸にじわりとしみ込む。
 まだ一歳少しのダイチとは、再び距離があいてしまった。僕が手を差し出しても、「アボ!(いやだ)」と言って顔を背ける。この『嫌だ』は、一緒に暮らし始めて七日間、いまだに進展なしだ。モナがキッチンやバス、トイレで姿を消したときにダイチが僕の顔を見ると、彼はすぐに泣き出して母親のモナを追いかける。僕が抱いてあやそうとすると、その泣き声がますます激しくなるから処置なしだ。これはしばらく付かず離れずで、様子を見るしかない。

 空港から自宅に車で向かう。ベルもユリも、僕が運転するのを始めてみたせいで、二人とも僕の手元に興味津々のようだ。家族で自由に使える車を持つことは、二人にとって初めてのことだし、僕が車を運転できることも娘たちにとっては一つの驚きなのかもしれない。
 普段車酔いの激しいユリが言った。
「パパの車は大丈夫」
「そっか、よかったね」
 気のせいかもしれないけれど、乗り物酔いは大丈夫と思い込むことも重要だ。
 土日に車で出かけた際、ユリは少し具合が悪くなったから、やはりそれは気のせいだったけれど、それでも窓を開けたり場合によっては停車し休憩を取ることも自由にできるから、タクシーや人の車に乗せてもらうよりはずっと楽だ。ダイチも乗り物に乗っているときには、いつでも機嫌がいいしおとなしい。

 家族は金曜の夜に到着し、その日から翌土日は僕が全ての食事を用意し、後片付けもした。ダイチがモナから離れないのだから仕方ない。スパゲッティーに始まり、カレー、ポテトサラダ、サンドイッチ、チャーハン、チャーシュー丼、つけうどん、鶏と大根の煮付け、そぼろ……。中華スープの素であるウェイパーやニンベンの麺つゆがあれば、なんでも美味しく簡単に作れてしまう。失敗知らずだ。
 つけうどん用のつゆは、ニンベンの麺つゆに大根おろしと刻みねぎをたっぷり入れると、とても美味しくなる。うどんを食べ終わったあと残ったつゆにお湯を注げば、これも美味しいスープになる。チャーシューはバラやロースのブロック肉をフライパンで強めに焼いたあと、紅茶でじっくり煮込み、最後に麺つゆに少量の酢を入れた汁で軽く煮込んでから冷蔵庫の中で漬け込めば出来上がり。好みで生姜を少々入れてもよい。
 僕の仕事が始まった月曜からは、家事は自然に分担制になった。フィリピンの家にいるとき何もしなかったベルは、食後の食器洗い担当だ。まだ洗い方が雑だけれど、少しずつ教えていけばいいだろうとモナと話している。料理は僕の時間があるときに、僕が日持ちのするものを作り、モナが時間の合間をみてメインを作る。
 夕食前後には、できるだけ子供をプールで遊ばせる。子供はとにかくスイミングが大好きだから、いつでもプールを利用できることは、マレーシアの生活で子供が一番喜んでいることかもしれない。
 家族はテレビの画面が綺麗なことにもあらためて驚いている。映画や子供向け番組は光ケーブル配信のHD番組だから、電波の悪いフィリピン自宅でパラボラで拾ったザラザラ画質に慣れていれば驚くのも無理はない。チャンネル数も豊富だから、暇を持て余すことは少ない。
 あとは必要な物を少しずつ購入していけばいい。フィリピンへの送金額がかなり少なくなるので、マレーシアでの生活はゆとりを持てそうだ。
 こうして今のところ、生活のペースをうまくつかめそうである。まだ家族のVISA取得や学校決め、医療保険をどうするかなどの大きな仕事は残っているけれど、基本的な衣食住についてはこのままこなれていきそうだ。
 明日からここも、四日連休となる。この休みは買い物と美味しいレストランへの案内、そして綺麗な観光用ビーチがあるようだから、一回くらいは家族をそこに連れていこうかと考えている。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:740.家族移動完了
2015年04月12日

739.体調不良に際して

 仕事が終わり、自ら料理した夕食に満足し、台所を片付けコーヒーを飲んでくつろいでいた。何かの小説を読んでいたような気がする。そのとき、たばこの火もついていたかもしれない。
 無意識にコーヒーカップを口元に運んだ。淹れたてのそれはまだ熱くて、香りを楽しむ前に湯気で少しむせ気味になった。そしてむせ気味でコーヒーをすすろうとしたとき、視界の隅に、小さな虫がふらりと飛んできたのが映った。蚊のような、小さな蝿のような、何かは分からない。いずれにしても、驚いて体をのけぞらすような大物ではなく、大して気になるものではなかった。それが、僕が鼻腔から息を吸い込んだ瞬間、その空気の流れに乗って僕の身体に入り込んだ。
 固いものではないし大きいものでもなかったから、特に鼻が痛いというわけではなかったけれど、鼻腔に異物が入り込んだことははっきり分かったので、僕はすぐにティッシュを手に取り鼻をかんだ。でも顔の前で広げたティッシュの中に、それらしきものはなかった。鼻腔に感じた違和感はなくなっていたし、もしかしたら僕の気付かないうちに小さな虫は外に飛び出していたのかもしれないと思い、僕はこの小さな事件をすっかり忘れていた。これが水曜の夜の話だ。
 
 翌朝、出勤の運転中、なんとなく目の周りがひりひりするような気がした。会社についてしばらくしてから、鼻の下も少し赤らんでひりひりし始めた。僕はもともと疲れると顔に肌荒れを起こす体質で、その症状に似ていなくもなかったから、連日の各方面からのアタック(攻撃)に、僕は知らず知らず疲れやストレスを感じているのだろうかと思った。
 夕方になると、鼻の下、丁度鼻穴の出口のところが、明確にただれ始めていた。その日は少し早めに家に帰り、睡眠を多めに取ることにした。

 更に翌朝、朝起きたら目の周りが腫れていた。左目の左下、左頬の少し上側も、やや赤くなって腫れ気味になってなっていた。鼻穴の出口のただれはますます激しく、まるで鍾乳洞で晶出する鍾乳石のように、鼻穴をふさぐ勢いの汚らしい蓄積物ができていた。これは単なる疲れの肌荒れではないことにさすがに気付いたけれど、一先ず顔をどうにか綺麗にし出社した。
 会社に行くと、周囲から、すぐにクリニックに行った方がよいと奨められた。ありがたいことに、今の会社はおかかえのクリニックが十箇所以上あり、そこは完全無料で受診して薬ももらえる。クリニックで病院を奨められるケースに限り、次の病院代も会社負担になるようだ。
 しかし残念ながら、その日は午後一番で顧客との電話会議があった。午前中も揃えなければならない資料がある。どうしてもすぐクリニックに行ける状況ではなかった。
 
 僕は仕事をしながら、自分の顔面で起こっている症状についてずっと考えていた。何かのアレルギーに思えるけれど、僕は基本的にアレルギー体質ではない。唯一のアレルギーは、花粉症だけだ。前日の朝症状が出始めたとすれば、その前夜何を食べたのか、懸命に思い出した。
 食べたのはつけうどんだ。つけ汁は市販のめんつゆに大根おろしと刻みねぎをたっぷり入れ、刻みのりをうどんに振りかけただけ。これが簡単で結構美味しいから、僕は頻繁にこれを食べている。その後、りんごを食べた。そのりんごも、買って初めて食べるのではなく、先週市場で五個くらい買い、三個目のものだ。もしりんごが原因なら、もう少し前に症状が出てもいいだろう。
 ちなみに最近、日本ではないけれど、ヨーロッパのどこかで危険な食べものワースト10というものが発表になった。第一位はりんごなのだ。要は、皮が薄く農薬の影響が大きく残る食べ物ということで調査した結果らしいけれど、上位六位くらいまでを果物が占め、そのあと野菜が名を連ねるという結果だった。うる覚えだけれど、一位がりんごなのはよく覚えていて、あとはぶどうが上位に入っていた。野菜で覚えているのはほうれん草くらいだ。
 そんなことが頭の隅にあったから、僕はりんごも結構疑った。そのりんごは今もまだ、冷蔵庫の中に残っている。
 仕事が終わり、小雨が始まる中、僕は車を運転してクリニックに行った。そこは二度目の来院となる。前回は風邪で熱が出て、どうしても薬をもらいたかったのだ。前回の来院時は結構混んでいたけれど、その日は待っている人が一人もいなくて、僕はすぐに、ドクターの前に通された。

「どうしましたか?」
 僕はメガネを取って、この顔を見てくれと言った。
「この症状は、昨日の朝に始まりました」
「ふーむ、もしかして、虫を触ったり食べたりしなかった?」
「え……。あっ、むし? 実は一昨日の夜、小さな虫を鼻から吸い込みました。蚊のような、小さな蝿のようなものです」
「あー、で、それは黒かった? それともオレンジ色だった?」
「視界の隅で捉えただけなのでよく分かりませんが、オレンジのやつは見たことがないので、おそらく黒だと思います。でもそうして分かるんですか?」
 僕は意表をつかれて驚きながら、思わずそんなことを訊いた。
「この症状は、まさにその虫のものだから。その虫は、毒をもってるんだよ。たぶん間違いない。原因はそれだ」 
 それでもその話しが当たっているかどうかは怪しいけれど、こちらが説明する前に虫のことを言い当てられたのだから、僕は随分すっきりした。
「クリームと飲み薬を出しますね。クリームは赤くなった肌の部分に塗って。あとは抗生物質と抗ヒスタミンと&*%$#を出しますから」
 &*%$#は聞き取れなくてよく分からなかったけれど、病院に行く前から、原因がアレルギー系であれば抗ヒスタミン、ばい菌による化膿系であれば抗生物質を飲む必要があると思っていたから、これにも納得した。

 こうして金曜日の夜から薬を飲み始めたけれど、昨日土曜の朝、僕の顔は無残にも晴れ上がり、症状が出ているところは真っ赤になっていた。これが前日であれば、会社は間違いなく休んでいただろう。でも、土曜の午後から目の周りに感じていたひりひりする痛みが和らぎ、本日日曜はすっかり顔の腫れが引いた。どうやら薬の効果が出始めたようだ。鼻の下もすっかりすっきりした。これなら外を出歩いても恥ずかしくない。
 僕が吸い込んだ小さな虫は、おそらく生ごみに寄ってくるやつだと思い、昨日も普通に料理はしていたけれど、生ごみは別袋に入れて入り口をしばり、その日のうちにゴミ捨て場に捨てに行った。
 
 モナにこの話しをすると、彼女は僕の身体の心配もそこそこに、「それ、子供に危ないわねえ、私がそこに行ったら、すぐに全部掃除するから」と言われた。
 この綺麗な部屋のどこに大掃除をする場所があるのかと思ったけれど、それは見れば分かると思って僕は口に出さなかった。
 虫で身体に変調をきたすなど、これまでの僕の人生経験で、初めてのことではないだろうか。よく、触るとかぶれると言われるものや、刺されると驚くくらい腫れると言われるものがいることは知っているけれど、子供の頃からあわせ、僕にはそんな被害経験がない。
 マレーシア特有の虫か知らないけれども、僕はまあ、よい経験をしたと思っている。
 僕は今回、自分の身体にまだ、そんな毒物に反応する力が残っていることを確認した思いなのだ。赤らんだり腫れるということは、身体が毒物に抵抗を示している証拠だ。老化してしまうとこの抵抗力がなくなり、身体の反応が鈍くなる傾向がある。だから花粉症は完治薬がないけれど、歳を取ると自然消滅する例が多くあるのはそういうことだ。花粉症が治ったということは、喜ばしいと同時に要注意でもある。
 同時に、食べものにも注意をしなければならないと、あらためて思い始めている。色々と原因を思い巡らせているときに、普通に食べているものが全て怪しく思えてくるのだ。りんごもそうだけれど、よく作るオレンジジュースも、絞るときには表皮の成分がジュースに混入しないように気をつけている。
 大根やねぎや白菜、キャベツ、レタス等の野菜、肉、米も、疑い出せばきりがない。せめて産地を確認できるものの購入や、体調に変調をきたさない実績のある店から購入するなどを徹底するくらいしか手はないけれど、気にしないよりはましだろう。
 僕は正直、それほど先の長くない自分の身体のことは、それほど神経質になっていない。ただ、子供たちがここで生活を一緒するなら、栄養バランスも含め少しでも気を遣いたい。
 市場で購入するものは地元産が多く、店と作り手が直結していることが多いため、少し安心だ。売り手の人柄もよく分かる。僕がよく買う店は、買いたい野菜を名指しするとそれを取ってくれ、こちらに渡す前に確認してくれる。少し痛んでいる箇所があれば違うものと取り替えるか、そこまでいかないものはナイフでそぎ落としてくれる。それから量り売りとなる。
 そんな誠実さが、信用に繋がるのだ。この人たちは、自分たちの食べたくない野菜を人には売らないだろうという信用である。

 余談になるけれど、最近どこかの医学学会(日本)が、使用を限りなく禁止にする薬を発表した。そのリストには、使用に際して要注意というものも含まれる。そこには市販薬も含まれていた。
 これもうる覚えで申し訳ないけれど、上位は精神安定剤のようなものが占めていた。そして副作用に、記憶障害がずらりと並んでいたのを覚えている。つまり、認知症の人には絶対に使用してはならないとか、そのような症状を促進させるという指摘だ。
 僕はそれらを眺めながら、自分が小さかった頃、認知症という病気が今ほどメジャーだったろうかと思いを巡らせていた。なにか、そうではなかったような気がするのだ。とすればそれも現代病の一つで、原因は薬を含む、口から身体に入れるものの可能性が大きいのではないかと思い始めた。すぐに明確な症状が出れば分かりやすいが、そうではなくじわりと蓄積し、徐々に弊害が出るものは厄介だ。
 僕はもともと、よほど酷くないと薬は飲まない性質だけれど、薬も気をつけなければならない。全てが限りなく上を目指すビジネスになっている今、意外と今の世の中、信用できるものが少ないのかもしれない。




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posted at 12:58
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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:739.体調不良に際して

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