フィリピーナと共に
ブログ構成がわかる目次はここから入れます

フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年08月06日

590.共鳴

僕がこの異変に気付いたのは、おそらく三週間前くらいだと思う。
タバコシティーに、突然美人が増えたように思えて仕方がないのである。
もしあのひろしさんがこの街に来たなら、自称ブス専を名乗るひろしさんにとって、かつてのタバコシティーは、まさに天国のような街であったはずだ。しかし残念ながら、今のこの街は、ひろしさんにとってそれほど嬉しい街ではなくなってしまったような気がする。
このように書いてふと思った。以前ひろしさんのブログで、モナのことを過分に褒めて頂いたことがあるが、ブス専のひろしさんに褒めてもらうということは・・・。

何でも正直に書くことをモットーにしている僕でさえ、この先は恐ろしくて書けない・・。

とにかくひろしさんに、一度この街に来て頂きたいと考えている僕は、この事態をまずいと思ってしまったのである。そこで、なぜこの街に美人が増えだしたのかを考えてみた。
この目が慣れてきたのだろうか。それであれば僕の感性の問題だけであるから、さほど考える必要はない。
しかし、目が慣れると言えば、あのお方(あのお方も時々これを読んでいるので、濁して書いている)に初めて会った時にはかわいいと思ったが、慣れれば慣れるほど、その時に持った印象が薄れている。双方歳をとったということもあるだろうが、そこから考えるに、目が慣れてしまったら美人が増えるという理屈は、どうも無理がありそうだ。

この話題は、かなり危険な要素を含んでいることに、ここまで書いて気付き始めている僕であるが、何をどうやっても、あのお方が話題に絡んでしまう。

そう言えば、「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」などという名言があった。
僕は三日で飽きたくちか、それとも三日で慣れたくちか?
これを考え出したら、ますます迷路に入り込んだようにわからなくなり、僕はあのお方を横目でちらちら見ながら、一人で勝手に混乱しているのである。
こうなると、まるで自分の目が信じられなくなってしまうから、始末が悪い。
誤解を招かないように言っておきたいが、僕はこのことで、決して悩んでいるわけではない。あのお方の胴回りや腰から足にかけて、見事な成長ぶりに気付いていたとしても、僕の彼女に対する信頼や愛は変わらないのである。僕はただ、別の角度から考えてみた時に、人間の心理というものを探りながら、それを自分にあてはめて、果たしてどうなのかということを考えて混乱しているだけである。

しかしこの問題を突き詰めて行くと、実に真面目な問題になっていく。
女性の場合、ブスより美人の方が得をする機会が多いだろうが、また、男性も同様の可能性はあるが、しかし最後に人間とは、無意識に相手の内面をみることになる。
どうせ同じ時間を共有するなら、お高くとまり性格の悪い美人より、素直で優しいブスの方が楽しいということは、往々にしてあるだろう。男の願望としては、美人で性格のよい子がいいに決まっているが、そのような人は早々と売れてしまう。神のいたずらで、人を魅了する全てを授けられた人を見つけるのは、つまり難しいことである。よってそのような人に巡り合った人は、相当な幸運の持ち主だと思った方がよく、そのことに心から感謝すべきである。普通はそれほどうまくはいかないし、それが世の常というものだ。

高いダイヤモンドを買い、それを眺めがら満足し、他人に自慢する人もいるだろうが、ある日それがただの石ころだと気付き、突然虚しくなる人がいるだろう。
馬鹿な僕はかつて、あれほど固いものは、仮に火の中に入れても再利用が十分できると信じていたが、化け学専攻の友人に、あれは石炭と同じだからよく燃えると聞いて、愕然としたことがある。僕はその瞬間から、ダイヤに対する関心を全く失ってしまった。
ダイヤと信じて高額な金を支払い、後でそれが、騙されてガラスであったと知ったら、間違いなくがっかりし、怒りさえ湧き起こる人もいる。
しかし、石そのものの魅力をよく理解している人は、決してそのようなことはない。まず、騙されるということがない。小さな塊そのものの魅力を理解し、自分の価値判断に基づき、提示された価格が適正かどうかまでを的確に判断できる。

僕は、ブス専と自らを称して、堂々とそれを名乗る方といういうのは、実はこのケースでは後者ではないのかと思っている。
実はその時々に、ケースに応じてしっかり判断を加え、結果的に一時しのぎはこれで十分、などと考えた結果、そうなっているのだろう。自分の理想に沿って突き進み、無理をしたら釣果はゼロになるということであり、実に正しい結論を導きだしているような気がしている。
実は僕も過去、同じ境遇に至ったことがあり、それが痛いほどよく分かるのである。フィリピンを訪れ、綺麗な子の外観に騙され何度か心に傷を負ううちに、外観上不具合のある女性の方が一緒にいて楽しいではないかと思ったのだ。その意味では、僕も潜在的ブス専であると言ってもよい。その時に仲間から、誰もが一度はその世界に行き、たいがいは戻ってくるが、たまに戻ってこない人がいると言われたことがある。そうおっしゃった方は、戻ってこない方に対し、困ったものだという雰囲気でおっしゃていたので、この場合、戻ってきた方が正しいのか、それとも稀な戻ってこない人の方が正しいのか、それを考えて迷路に入り込んだ気分に陥ったことがあるが、それはやはりケースバイケースで、どちらが正しいということはないと、今の僕は分かるようになった。

先ほども述べたように、全てを兼ね備えた人に出会える確率の方が、はるかに低いのだから、内面重視の人が正しい判断を加えたなら、いつもブスばかりと一緒にいる確率の方が、多くなるというものだ。
ブス専恐るべし・・などという結論を導き出すために、この話を続けてきたのではない。
僕はこの話を通して、人は、いかに人の内面を見極めることが大切かを、言いたいのである。
人は誰かと時間を共有する時に、相手の内面が、自分の幸・不幸を左右する。これは相手にとっても同じことで、自分の内面が相手に作用する。この時にお互いの外観は、ほとんど関係がなくなる。双方が上手い具合に相手を刺激し合い、居心地がよい現象を、僕は共鳴という言葉で表現する。
つまり、昨日の話題で触れた、身体的に何かの障害を持つ方にとっても全く同じで、最後は内面の問題が、その人の対人関係を左右し、共鳴が生まれたら幸せになれる。
この共鳴を理解できない人は、生涯で手にすることができる幸せが、少ないのではないだろうか。
ちなみに、フィリピンには、この共鳴を自然に理解している人が多いような気がするのは、僕だけであろうか。
そのようなことを信じながら、タバコシティーに美人が増えた現象の件は、僕がそう見えるならそれだけで自分がハッピーなので、これ以上深く掘り下げるのは、止めにした。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 12:13
Comment(10) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:590.共鳴
2012年08月05日

589.フィリピン人

昨日ビコールに戻り、その後友人の誕生日パーティーに招かれていたので、夕方からバイクでそこに行ってきた。途中で同じくパーティーに招かれている友人をピックしたために、主役の友人宅へ行く頃には、とっくに日が暮れていた。
場所はマリナオという隣町だと聞いていたが、マリナオの中心地から街灯もない暗い道をひたすら山の方へ走ったところに、彼の家はあった。
帰宅は深夜になったが、帰る際に仲間が来た道と反対方向へ行こうとするので、なぜ違う道を通るのかと尋ねると、来る時に通った道はNPA(フィリピン共産党 軍事部門・反政府ゲリラ)の残党がいて危険なので、人の多いところを通って帰ると聞き、さすがにここはサードワールドだと実感し僕は驚くのだが、もしかしたら日本人の自分がいたので、仲間がいつもより注意を払い、遠回りしてくれたような気もする。

彼の家にはバイク4台を連ね総勢8人で行ったが、僕やモナにとって、彼の家は初めての訪問である。そこには71歳になる母親と友人、そして友人の弟の3人が住んでいるそうだ。
初めて彼の家に行くと、母親が出迎えてくれた。そして母親は、輪になって座る自分たちの中に友人の弟を、手を引き連れてきた。その弟は28歳になるそうだが、一目で分かる重度の身障者である。生まれつきの知能障害があり、心臓にも欠陥があるそうだ。以前彼にそのような弟がいることを聞いていたが、彼に直接会うまで、すっかりその話しを僕は忘れていた。
僕を除く全員が彼のことを知っているらしく、みんなが和気あいあいに彼とハイタッチを交わすので、僕も見よう見まねで同じようにした。彼は僕の出した手に自分の手を合わせてくれたが、見慣れない人間がいることを察知し、舌を出した顔で、警戒心のある目を僕に向けている。
彼は身長が140cm台と小さく、首が異常に太く体の横幅もあり、更に手足の長さのバランスが悪い。顔は童顔で、目つきが知能障害者特有の、どこを見ているのかわからないようなところがあり、常に舌を口の外に出している。だから僕は最初、彼の年齢がさっぱり分からなかった。
僕が持参したケーキを彼に勧めると、彼はスローモーションのようなゆっくりした動作で、自分の親指で自分の首をかく仕草をした。僕はそこで初めて、友人たちから、彼が一切言葉を発しないことを聞いて知った。
甘いものを食べると死ぬという意味らしいが、その後、それじゃあコークはどうかと訊いたら、それにも同じ仕草を返された。僕は彼が、甘いものは全て嫌いなのかと思い、ならばアルコールはどうかと言ってみたら、それも同じだった。
僕があまりにしつこく色々なものを勧めている時に、周囲の人間はケラケラと笑っている。

少ししてから、女性陣と男性陣に別れて飲みだした。男性陣の席に、母親がその弟を連れて僕の隣に座わり、その時に母親から、彼の詳しい話しを聞くことができた。友人のセッツが、母親と僕の会話を英語とビコールで通訳をしてくれた。
母親は、彼を47歳の高齢で産んだから、そのような体で生まれたと言う。47歳と28歳を足したら75歳であるから、母親が71歳というのは計算が合わないと思ったが、そこは無視して話しを聞くと、最初は医者に、彼には心臓に異常があることを宣告されたそうだ。それ以来28年間、彼は毎月一回、健康診断を受けなければならないようである。現在でも彼の血圧は200前後で、普段から鼻血が絶えない。甘いものを食べると、更に血圧が上がり危険だというのを、そこで初めて知ることになった。気を抜くと危ない体のようだが、本人もそのことを、よく理解しているのである。本来は国から僅かな援助金を貰うこともできるらしいが、手続きがとても煩雑で、たいていの人はそのプロセスの過程でお金を貰うことを断念するようだし、仮に貰えたとしても、雀の涙程度だそうだ。

彼の父親、つまり話し手の母親の旦那さんは、もう十年以上も前に亡くなったそうで、それからは1ヘクタールの田んぼから取れる米を売り、生計の足しにしているそうだ。
当日の主役である友人は、昨日33歳の誕生日を迎えたが、彼は高校生の時に大変な問題児で、高校をいくつも変わったそうである。高校を卒業してからも、相変わらず問題児ぶりを発揮していたようだが、父親が亡くなって初めて自分の振る舞いの愚かさに気付き、そして家族を養う責任に目覚めたと、本人が話していた。
彼には3歳になる子供がいる。相手の女性との結婚は、面倒をみなければならない母親と弟を抱え、その家の生活の責任を負う身なので諦めていると本人は言うが、母親は率直に、子供と彼女の写真を見せながら、私は彼女の態度が気に入らなかったと、当人の目の前で教えてくれた。

障害者の弟を交え、僕たちはそのような話しをしていた。
日本であれば、重度の障害者はもっと厚く保護してもらえるのだろうが、この国ではそのようなことは望むべくもない。金銭的な負担と介添えの負担。年老いた母親が他界すれば、友人の負担はますます増えることになり、他人事ながらそれを考えると、僕は気が遠くなるほど大変だと思ってしまう。

このようなシチュエーションで僕が感心したのは、この国の人たちは、身障者を特別扱いせずに、普通に接することである。そういえば、その場にいた友人セッツの奥さんも、生まれつき左手の指の4本が極端に短く無いに等しいが、その件についても、子供の頃はそのせいでいじめられた話や、そのことで不便に感じることなどを、以前普通の会話の中で普通に話したことがある。本人も隠さなければ、周囲も何か気になれば、その話題を普通に出す。
僕は以前、ボランティアトレーニングの一環で、介護トレーニングを受けたことがある。その際、介護トレーニングで身障者の方々や介護のプロから教わったことは、本人を特別扱いしないこと、そしてボランティアをするなら気まぐれで止めず長く続けることの、二つであった。ボランティアを突然止められると、当てにしている側にとってはとても迷惑になるそうだ。そのような話しを聞きながら、僕はその世界の真剣さを感じ取り、ボランティアという行為を慎重に考えるようになった。
そして、この普通に接するというのが、最初は意外に難しいのである。どこかで特別扱いをし、気を使ってしまう。今でこそ、障害者の様子なども普通に書けるようになったが、以前はおそらく、怖くてそのようなことは書けなかった。

なぜこの国の人たちは、それが自然にできているのだろうか。そのくせ、可哀そう、助けたいという気持ちも持っているのである。以前僕は、身障者の方に会った時に、このかわいそうという気持ちを自分の心の中から排除するのに、躍起になっていた。
おそらくこの国の人たちは、そのような人の受け入れ方が、日本人と根本的に違うのだろうと僕は思っている。そのような不可抗力的なことを気にして、どうするの?それは仕方ないでしょう、それはそれで受け入れましょうということである。しかし、それでも大変でしょう、自分のできることであれば、手助けしますよという気持ちを、自然に身につけているし、自然にできるのである。

友人は普段、トライシケルのドライバーをしているが、田んぼがあるので、時々カラバウ(牛)のドライバーもやっていると、身ぶりを混ぜて笑いながら教えてくれた。普段はお互いの仕事の話しをしないので、各自が何をやっているのか、実は知らない場合が多い。
母親は、朝から来客が絶えず、もうほとほと疲れたと正直にこぼしながら、もう何も食べるものが無くて申し訳ないと言ってくる。確かに自分たちに出されたものは、ビーフン一皿と食パンが数枚にコーラが二瓶。ビールは押しかけた友人たちで買い、大きめのバースディーケーキもこちらで持参した。
友人たちは、そこに満足な食べ物がないことくらい、最初から知っているのである。それでもみんなで祝ってあげようという気持ちがあって、ささやかな土産を持って押し掛けている。

もちろん全てがそのような人たちではない。日本人にも様々な人間としての種類があるように、フィリピン人も同様である。しかし、そのような人たちだからこそ、こちらも友達付き合いが続いている。
身障者に対する接し方、そしてバースティーパーティーに駆け付ける気持ち。
この国の人の優しさ、懐の深さ、切なさ、大変さを垣間見た、昨夜のイベントであった。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 16:54
Comment(4) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:589.フィリピン人
2012年08月03日

588.日本人の集まり

ギョウちゃんのアラバン宅へ居候して、既に五日目。モナやベル、ユリは、月曜日にビコールの自宅へ帰った。家族と離れるのは寂しかったが、パパも一緒に帰ろうと騒いでいたユリは、家に帰るとママに、「パパは置いてきた、でもマミィが一緒だから問題ない」などと言い、意図も簡単に裏切り者に成り下がり、そうなるとますます会いたくなってしまう、悲しい父親の心理を刺激されている。

さて、本日はギョウちゃんの義父の誕生日。それに合わせ、タマラオさん勝さんsilang junさんlovelyjoanさんがギョウちゃん宅に招かれた。
いずれも奥様がフィリピーナのフィリピン在住日本人で、勝さん、silang junさんは、僕の初めてお会いする方である。
タマラオさんが、ギョウちゃんと僕に紹介したいということで、アレンジして下さった客人であった。
勝さんは、フィリピンブログ界では重鎮として有名な方で、silang junさんはフィリピンブログ界一の紳士ということで有名な方である。lovelyjoanさんは、僕と同郷の若い方で、優しい妻の尻にひかれる(魅かれる?)、以前から交流のあった若い方だが、タマラオさん同様、勝さんを愛してやまない人の一人だ。silang junさんは、奥様とお子さん同伴でみえられた。

昼過ぎから始まった宴会は、日本人男性六人で盛り上がった。lovelyjoanさんは、奥さんの「オマエ ツマト ソッチト ドッチガ ダイジカ?」というメールに震えあがり、みんなに裏切り者呼ばわりされながら、夜の七時頃に涙目で帰ってしまったが、それ以外は更に話し込み、十時頃まで宴会が続いた。
僕は昔からきちがい水は飲めないので、ほんの少量で付き合わせて頂いたが、きちがい水をたらふく飲んだ他の方々は、夕方過ぎには前頭葉に支障をきたしたと思われる症状が出始めており、話しは勢いを増すばかりである。
ブログ界一紳士のsilangjunさんは、きちがい水を飲めば飲むほど声が大きくなり、ますます素晴らしい紳士に変身していくのだが、重鎮の勝さんは、飲むと人が変わるという噂をこの目で確かめようと思っていたのに、初対面ということで最後まで本性を隠し通しておられ、名物の酩酊ぶりを見られなかったことが少し残念であった。タマラオさんは、普段とても真面目で、言葉使いも終始丁寧ではあるものの、きちがい水の毒牙に時折口を滑らしてしまい、しまったというような本音トークが面白い。lovelyjoanさんは、最初に死ぬほど飲むと宣言していたが、奥さんの恐怖メッセージに怯えているせいで、完全に酔い切れなかったようだ。

それでもあれほどきちがい水に犯されながら、にこやかな話しに終始できるということは、さすがにいずれもタマラオさん推薦人物で、皆さんがお帰りになった後でギョウちゃんは、「楽しかった」「気分がいい」を連発しながら、かなりふらついて、娘さんに支えてもらいながら僕の存在を忘れたかのように、寝室へ消えていった。

こうしてまた、僕は新たな日本人と知り合いになれたわけであるが、今回会った方々も、良識のある素晴らしい人たちであった。フィリピンで出会う素晴らしい日本人は、実にいきいきしている。そして若々しい。これは気のせいではなく、人生における考え方や、生きる姿勢が、間違いなく外面に現れているのである。
本来それは、フィリピン在住日本人に限られたことではない。その気になれば、日本でも他の国でも、同じような生き方ができるし、それを実践している人がいる。ほんの少し考え方や生活環境を変えただけで、人はいきいきと生きることができるのである。そのような姿勢が、顔や態度に現れる。そのように生きている人は、こうして接するだけで、実に刺激的である。
フィリピンには、一部におかしな日本人もいるのだろうが、素晴らしい方も大勢いるということを、ここできちんとお伝えしておきたい。



↓ランキング挑戦中
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ



posted at 02:19
Comment(18) | TrackBack(0)
カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:588.日本人の集まり

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。