フィリピーナと共に
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2012年07月22日

584.酒飲み文化

インターネットラインを引く約束が反故され続け、僕はフィリピンでの約束という言葉を次のように定義した。
フィリピンでの約束とは、その場の人間関係を取りつくろう空虚な取り交わし、非生産的なやり取り、不毛な決めごと。
これで今後僕は、日本流でいう約束が守られた場合、話しが違うではないかと驚くことになる。ちなみにインターネットラインの次の約束は、一ヶ月以内だそうだ。今週中が一ヶ月以内に昇格したのだから、ある意味予想が順当に当たっている。僕はこの一ヶ月以内という話しも、怪しいと踏んでいる。この次に、やっぱり今年中という話しが出ないことを、僕は切に願っている。
しかし、人間心の持ちようでいか様にもなる。最初からあてにしなければよい。今回は、少し喜んでしまったからがっかりしただけの話だ。
仮に今月中にでも工事が終了しましたなどと言われたら、今度の僕は本気で、アンビリーバブルと叫ぶだろう。とりあえず従来使用していたインターネットがまずまずの調子なので、それが救いである。

このように、フィリピンは日本人からみるとめちゃくちゃな部分があることは確かだが、しかしこの社会が無秩序というわけではない。フィリピンにもそれなりの社会規範というものがある。それを広範囲にひっくるめて、フィリピンの文化ということになるのだろう。
その中で日本人の自分が暮らす際、自分がそれに合わせる必要が出てくるし、合わせないことには落ち着いて暮らせない部分がどうしても出てくるが、これが理解に苦しむような事象に出会うと、ここに慣れてきたと思っていた自分の自信が途端に揺らぎ出す。こうやってすごろくのように、少し進んでは振り出しに戻ったり、三個戻るなどということを繰り返し、自然に少しずつフィリピンに馴染んでいくのだろう。
おそらくこれは、日本で暮らす国際結婚の家庭でも、夫婦間の文化摩擦を繰り返し、同じようなことが起こっているはずである。
しかし、仮にいつも家庭内で激しい文化摩擦が起こっていたとしても、焦る必要はない。どうやらこれまで僕のみてきた印象では、人を愛するという気持ちだけは万国共通のようだ。つまり、それだけがしっかりしていれば、あとは時間をかけて家庭内文化がじっくり醸成されていくものと、僕は信じている。
この過程で、自分が全て相手のしきたりに合わせる必要もないと思っている。当然僕にも、これだけは譲れないというものがある。それが自信を持って言えるものなら、必要以上にへつらうことなく、堂々と持論を展開すればよいし僕はしている。そうしてこそ、その家に融合された新しい文化が形成されていく。それが異民族混合の良いところで、おかしいと思われるところも含め全て相手に無理に合わせようとすると、それがストレスのもとになるし、せっかくの異文化融合のチャンスを、みすみす逃すことになる。
巷でよく言うのは、混血は美男・美女で優秀な人間が生まれるケースが多々あるということだが、それは遺伝子の影響ではなく、そんなところからくることかもしれない。人間の内面は顔に出るともいうから、美男・美女の話しにしても、異文化融合の影響が少なからずあるように思われる。

先日友人宅へお邪魔した際、女性はTVのある居間に集まり、男性は別室で酒を酌み交わした。これもこちらの、普通のスタイルである。残念ながら僕は、酒をほとんど飲めないので、少量のブランデーとコーラや水で男性陣に付き合っていたが、そのような時に仲間が、よくフィリピンの文化というものを教えてくれる。その時に教えてもらったのは、フィリピンでは最初にたくさん食べて、その後にたくさん酒を飲むということだった。しかも飲む量が半端ではなく、とにかくフィリピンはドランカーが多いという。その友人の父親はこの二十年間、500mlのブランデーを毎日欠かさず一本空けるそうだ。その日によって、そのブランデーに加え一リットルのビールを飲むらしい。噂の当人である父親は英語が分からないらしく、そんな話しをする僕たちの前で750mlブランデーをかぱかぱ飲んでいた。驚く僕に彼は、そのような人はここでは珍しくないと教えてくれた。

我が家では、ダディーやジュンさんがお酒が大好きだが、特にジュンさんの酔っぱらいぶりは、いつも尋常でない。彼はいつも、完全に正体を失うまで飲んでしまう。
今朝朝食の席にジュンさんがいないので、僕が家族に、ジュンさんはどうしたのかと訊いた。すると、ジュンさんは昨夜酔っぱらって家に帰り、まだ頭痛がするらしく自室で寝ているとのことだった。
僕はモナに、死んでいるかもしれないからちょっと様子を確認してくれとお願いし、どうやら生きているという返事を貰うまではよかったが、朝食が済んでコーヒーを飲む頃にジュンさんがコーヒーカップを片手に居間に姿を現した。
僕は冗談めかして、「元気?大丈夫?」とジュンさんに訊くと、彼はニタリと笑ってオーケーと言ったのだが、その後彼が場所を変えた際、彼の右目の横に大きな痛々しい傷があるのを発見した。
「あ!それどうしたの?結構ひどい傷だ」
僕は慌てて、モナにアルコール、赤チン、化膿止めの塗り薬、バンドエイドなどを用意させ、傷を浄水で洗い流してから明るい場所で手当てをしようとしたが、よく見るとそれはざっくりと切れて、かなり深い傷である。
「あ〜、結構深いなこれ、とりあえず応急処置をして、あとで病院かもしれない」
どうやらジュンさんは、家族の誰にも傷を負ったことを隠していたようで、その騒ぎでダディーもママも、初めてジュンさんの怪我に気付いたようだ。
僕がアルコール消毒をしジュンさんが痛みをこらえている脇で、ママのジュンさんに対する説教が始まった。綿棒で傷口の中に化膿止めを塗り込む時には、こちらまで痛みのおすそわけを貰っている気分になった。
昨夜のジュンさんはいつものように、歩けなくなるまで飲んで、このビレッジの敷地のどこかで転倒し怪我を負ったようだが、本人も詳しいことは覚えていない。
「あなたは死ぬまで、お酒を止めないの」
相変わらずママの説教と鋭い視線が、ジュンさんに投げかけられている。
しかしジュンさんはおそらく、本当に死ぬまで酒を止めないだろう。かけごと、女遊び、趣味など一切ないジュンさんにとって、酒だけが彼の人生において、唯一の楽しみである。そのことを知っている僕には、ジュンさんの体のことを本気で心配していても、そんな彼に無碍に酒を止めろと言うのは躊躇われるのである。
どうやら酒飲みの文化というものも、愛と同様万国共通のようで、この悪しき文化には、ママでさえどうにもならないところがあるようだ。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:584.酒飲み文化
2012年07月20日

583.約束が約束でないフィリピン

昨日は夕方から大雨となったが、それから随分と涼しくなった。涼しいというよりも寒いくらいで、昨夜のベルは夕食前からベッドに入るまで、ずっとブランケットをまとって離さなかった。今朝はモナの左肩の下に、大きなほくろを発見した。こんなところにほくろがあっただろうかと思っていたら、実はそれは蝿だった。あまりに涼しさに蝿も動きが鈍くなり、モナが動いても人の温もりにしがみつく蝿は、簡単に動こうとしないのである。日本は暑いという話を聞くので、もしかしたら昨日、今日は、フィリピンの方がずっと涼しいかもしれない。
昨夜七時頃にテラスに出てみると草むらから、いつもに増して鈴虫のような鳴き声の激しい大合唱が聞こえていた。基本的にその手の虫は年がら年じゅう鳴いているが、日本の秋虫と同じで、涼しい方が元気になるようだ。
フィリピンと言えば常夏のイメージでがあるが、ここでは不思議と蝉の鳴き声が目立たない。フィリピンに蝉はいないのかと思っていたが、注意をすると鳴き声が聞こえるからいることはいるようだ。しかしどちらかと言えば、日本の秋虫のような鳴き声の方が、はるかに多く耳に入ってくる。これはフィリピンに住むようになってから、意外に思ったことの一つである。

気付けば今日は金曜日で、今週は一週間があまりに早く驚いた。仕事に追われて日々を過ごすと、時間の経過が断然早い。いつもフィリピンと日本の時間の流れ方が違うと思っていたが、自ら佳境に入ってしまえば日本もフィリピンも大差ない。このように、日本の時間の流れをここに持ち込むと、周囲と自分の入り込んだ仕事の世界とのギャップに自分が浮いているような違和感があり、少々やり辛さを感じることがある。
そのような時には、せっかくフィリピンに住むなら、ゆっくり遊んで生活できるだけのお金を持ち、残りの余生をじっくりと噛みしめるような過ごし方の方がよいと思うが、そうやって心身共にどっぷりとここの空気に浸ることで、生き甲斐というものまで見失うのではないかと不安を感じる部分もある。
仕事を持たずにここで暮らすなら、よほどしっかりとした人間でなければ、家族と一緒の方が良い。そうでなければここでは、本当に生き甲斐を見失う可能性があるように思える。それだけゆったりしているのである。

さて金曜日と言えば、先日お願いしたインターネットラインを引く約束が本日までである。一度先週中という約束を反故にされ、次に来週中と言われた期限が本日ということだが、我が家にインターネットが来る気配がまるでない。少し前に、この国はどんちゃん騒ぎにとてつもなく寛容な国だと書いたが、客に対する約束にもひどくルーズで、それに対する客側の対応もまた、信じ難いほど寛容である。我が家でインターネットラインの約束を気にしているのは僕一人で、他の誰もがすっかりと忘れている。ダディーにその会社で様子を聞いてきてもらったが、どうだったのかと言えば「まだって言われた」の一言で済まされた。まだはいいが、それではいつまでどうするというのがない。子供の使いじゃあるまいし、せめて状況なり様子なりを聞いて欲しいが、そのような点にはまるで無頓着だ。

なぜこれほどまでにフィリピン人は約束事に寛容なのか、僕はずっと考えていたが、最近はその理由がさっぱり分からなくなってきた。というのもフィリピン人は、人との争い事を嫌い、穏やかでおっとりした人が多いからだろうと思っていたが、それがそうでもないということに気付き始めたからである。
最近僕は、立て続けに目の前で二つの喧嘩を見たが、こちらの人は意図も簡単にどつきあいになる。僕が先日ライブハウスの入り口近辺でたばこを吸っている時に、いきなり目の前にいた見知らぬフィリピン人男性からどつかれた。それで僕は驚いたが、頭から湯気を出して怒っている喧嘩の相手が僕の後ろに回ったらしく、気付いたら僕は、二人の喧嘩のど真ん中に入っていたのである。おそらく僕は、邪魔だ、どけと言われてどつかれたのだと思われるが、もし僕がやくざのような人間なら、その喧嘩に大きく花を添える結果になったはずだ。残念ながら小心者の僕はそうはならず、ただ喧嘩の成り行きを野次馬根性で見届けたいと思っただけである。そこへ一緒のフィリピン人仲間が異変に気付き、慌てて僕を連れ戻しにきたので、僕はその場を離れることなってしまった。
少し喧嘩を垣間見た中で、店の人間が慌てて仲裁に入ったが、その店の人間も触発されて一方の人間と喧嘩になった。その仲裁に入った人は中年のかなり太った女性だったが、激昂している男にまるでひるむ様子がなかった。すぐ近くにいた拳銃携帯のガードマンの方がよほどへっぴり腰で、遠巻きにそれを見ているだけであったから、あなたは役立たずだと分かったから明日から来なくてもいいと、店のオーナーに通告されていないか、僕は心配になっている。

ここで喧嘩を目撃せずとも、激情型フィリピーナの話しは昔からよく耳にするし、我が家の中では内気で大人しいと思っていたジュンさんが、新しい家族となった犬に気に入らないことがあれば平気でボコボコに殴り、その度に犬がキャンキャン喚いている。
このように、激しい一面をみんなが持ち合わせているにも関わらず、約束の反故に関しては驚くほど寛容なのである。つまりこのことは、約束事がどうなろうと、ここの人にとっては怒ることに値しない、まるで気にならないことなのだろう。とすればフィリピンでの「約束」という言葉を、もう一度定義し直さなければならないと僕はまじめに思っている。

しかし、サービスを提供する側、受ける側共に、このような約束事に関して見事なほど寛容な社会をみると、自分も気楽に感じる一方、別の意味では暗澹たる思いにも至る。それは、ビジネス上でこのような習慣のあるフィリピンが、世界を相手に競争することはとても難しいと思えるからである。僕はもう少し、フィリピン人に這い上がって欲しいという気持ちを持っているし、そうなった方が親戚や自分の子供のためによいと思うが、そのためにはこの国に、世界にその名が知れ渡る会社の一つや二つくらいは必要だと思っている。経済を活性化させるためには、蒸気機関車程度でも牽引車は必要だ。しかしこのような社会風土を持つフィリピンは、よほどゆるぎない特別な特許や技術にありつかない限り、そのようなことは夢のまた夢のように思えてしまう。
時折経済カンフル剤のように、マニラやその近郊に大型商業施設が建設されたり予定されたりしているようだが、アジア最大規模と言われるモールオブエーシアでさえ、人はたくさん訪れても、肝心の買い物をしてお金を落とす客が少ない。そのモールで具体的にお金を使う客で賑わっているのは、ファーストフードを始めとする飲食業だけに見える。
それは、フィリピン国内のお金が回る仕組みがいびつだからである。一部の人に膨大なお金が集まり、その他大勢の人は搾取同然の低賃金と低条件で使われている。頼るは海外からの送金となるが、現状はそのお金が世の中で潤滑に回らない。せっかくつぎ込まれたお金はどこかへ集約されて終わりだ。
賃金が上がらないのは、世界へ出て行く企業がほとんどないからで、世界標準で闘える付加価値を持つ企業が増えれば、日本が辿った道のりと同じく、おのずと賃金を含めた労働条件は世界標準に近づいていくはずである。その為には、サービス面を含めた付加価値を生み出すことの重要さに気付かなければならないが、今のままでこの国は、ますます世界の中で埋もれてしまう。
僕が一介の旅行者で、遠巻きにこの国を眺める立場であればそれでも一向に構わないが、死ぬまで根を張り続けようと考えている身としては、少々気になるところである。



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2012年07月19日

582.デジタル回路思考

このくそ忙しい時に停電。仕事に熱中していると、最初は停電もすぐに気付かない。妙に暑いなと思って部屋の中を見渡すと、二つの扇風機が休眠中。そういえばインターネットも切れている。パソコンの画面が暗くなっているので、バッテリーで動いているようだ。

なんてこったぁ〜と家族に訊いてみると、停電はレガスピを含む広域にわたり、本日一杯続く予定だとか。慌てて中途半端なデータを日本に送り、あとは命の続く限りではないが、バッテリーの続く限り普通は仕事をするのだろうが、僕の場合はなぜかこの記事を書き始めた。
悲しい習性だと自分でも思う。

停電なら仕方がないと変なケツのまくり方をして、それじゃあちょっと一息入れるかとコーヒーを淹れるために電気ポットのスイッチを入れたら、てーでんじゃねぇーか!
再び悲しい習性だと思った。
コーヒーカップに入れたインスタントコーヒーの粉末を、一体どうしてくれるのだ。啄木さんが貧乏に打ちひしがれてじっと手を見るなんて言っていたが、僕はコーヒーカップの中の茶色の粉末をじっと見て、少しシケッてしまったけれど、もったいないからコーヒーの瓶にそれを戻した。
やっぱり悲しい習性だ。

さて、書き始めたはいいが何を書こうか決めていない。バッテリーの余命がいくばくもないから、強迫観念に襲われ慌てて書き始めただけだ。
ある方に言わせれば、書きたいことがあって初めて生きた文章が書けるんだと言うので、こんな不始末をここで暴露すればまたお叱りを受けそうだが、悲しい習性には逆らえない。こんなことを書けば再び「呼んだ?」なんて、あの方にしては気の効いた書き出してコメントが入りそうで怖いが、まあその時はその時だ。

最近僕はデジタル回路をやっている。名前だけはよく聞く人も多いだろう。デジタルは凄いとか高性能などというイメージも世間にはあるようだ。
かつて古い友人が自慢げに、「俺の頭の中はな、デジタル回路思考なんだ」などと訳の分からないことを言っていたが、僕はそいつに、お前は馬鹿かと言ってやった。そもそも言っていることの意味がわからない。きっと彼は、自分の頭はコンピューター並みにすごいということを言いたかったのだろうが、僕は平気で無視した。

僕は彼に、少しデジタルの話をしてやった。
A男さんが、B子さんと付き合っている。A男さんはB子さんが大好きだ。A男さんはB子さんの機嫌が悪い時には、おべっかを言い、食事を豪華なレストランで奮発し、プレゼントまで買ってあげる。A男さんはB子さんの機嫌が良い時には、結合しようと誘う。
A男さんのB子さんに対する行動パターンというのは、このいずれかしかない。これがデジタルである。
A男さんが浮気をしてC子さんとも陰で付き合う。すると、B子さんもC子さんも機嫌が悪いこともあれば、どちらも機嫌がよい事もある。B子さんの機嫌が良くてC子さんが不機嫌だったらA男さんはB子さんに結合をせまり、その逆であればC子さんに結合を迫ればよいが、どちらも機嫌が良い場合や悪い場合、A男さんはどう行動すべきかを決めなければならない。なぜならA男さんはデジタル人間だからだ。相手の様子、組み合わせで、常に自分の行動パターンを決めておかなければ、A男さんは落ち着かないし何もできなくなってしまうのである。
つまり、組み合わせでどうするかを決めるのが、デジタルだ。決めないと回路が成り立たず、自分の行動が生まれないのである。しかも決めた内容に間違いがあれば、その間違いはどこまでもたたることになる。僕はその間違いに、今とんでもなく酷い目に遭っているが、まあそれは脇に置いておいて、話しの続きはこうだ。

これがデジタル思考ってもんだ。これのどこがいいのか。人間はそもそも究極のアナログ、デジタル混在で、モラルやルール、常識、哲学、法律でデジタルに行動が決まる場合もあるが、それは無数のアナログ的感情の組み合わせにも左右されるもんだ。しかも常識もモラルも哲学も法律も変わる。そんな中で、自分の行動パターンというものを最初から決めていたら、とんでもないことになる。本物のデジタル回路思考ってのはな、俺の頭はデジタル回路思考だと聞いて、即座にA男さんやB子さん、C子さんが登場するチープながらもラブストーリーの一つくらいを思い浮かべて、即座にお前は馬鹿だと判断して説明できるような、そんな頭のことを言うんだ。
すると彼は、つまり本物のデジタル回路思考を持つお前は、本物の馬鹿だという答えが返ってきたので、そうだ、デジタル回路思考というのは、結局馬鹿と同じなんだと、彼にとてもよく理解してもらった。

どうだろうか。少しはデジタル回路の様子が分かって頂けただろうか。デジタルは時にとてつもなく高性能になるが、組み合わせで決まるそれには自ずと限界がある。
コンピューターが人間を追い越せないのは、その辺りにあるようだ。
それにしても、頭の回転の速い友人と話をするのは、とても楽しい。



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