フィリピーナと共に
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2012年07月17日

581.エネルギー充填完了

昨日はお昼少し前から、裏の家のカラオケが再始動。相変わらず派手にやっている。一体いつまでやるのだろうか。こちらは徹夜明けで仕事を続行しているから、うるさくてかなわない。こうなれば、どちらが先にダウンするか根競べだなんて思っていたが、多勢に無勢。向こうは入れ替わり立ち替わりでどんちゃん騒ぎをしているのだから、到底敵わない。
カラオケパーティーは次第に盛り上がりをみせ、アルコールで頭が相当麻痺していることがここに居てもよく分かる。とどまるところを知らない様子に、よくまあ飽きもせず、二日も三日もそんなことをやっていられる、本当に食う、呑む、寝る、遊ぶが好きな人たちだと、呆れているのか感心しているのか嫌味で思うのか自分でもよく分からないが、心から何かを思っている。
夕食後にジュンさんが真っ赤な顔をして家に戻ってきた。聞けば裏の家でご馳走になってきたらしい。そういえばダディーの姿も見当たらない。どうやら我が陣営にも敵に精通している者がいることを知り、くだらんことで張り合うのは止めた。というか、敵ははじめからそんなことはお構いなしに、マイペースで盛り上がっているだけであるが。

頭がさっぱり回らず、パソコンに向かう時間が無駄時間になっているような気がしてきた。ふと、日本から様子をうかがうメールや電話が何もないことに気付いた。おかしい、そろそろ何かあるはずだと、一日ビクビクしながら胃が縮まる思いで頑張っていたのに、結局何もない。昨日夕食後、ふとある方のブログ記事の更新情報が来ていたのを思い出しお邪魔をしてみると、そこには休日のお話が。休日?早速日本のカレンダーを確認してみると、なんと昨日は海の日ではないか。どうりで・・。そうであれば、がむしゃらに取り組むのではなく、もう少し時間を上手に使ってうまくやれたかもしれないと思ったが、後の祭りだ。何か心のつっかえが取れてしまい、結局こちらはカラオケの騒音に包まれて、夜の九時頃にダウン。ベッドに入ってから一分間の記憶すらない。

今朝現地時間の6時半に目覚めた。目覚めた時にiPhoneがお腹の上に乗っていたから、昨夜寝る前に、僕は何かをしようとしていたようだ。
結局九時間強眠ったことになるが、まだ体がだるい。朝起きるとコメントが二つ、スカイプへの連絡が一つ入っていた。スカイプは日本の友人から。僕も丁度その友人に、お願いされていた調べ物の結果を伝えたいと思っていたから、それは本日にでも。

快晴に近い晴れで、今日は朝からとても暑い。立て続けにコーヒーを二杯飲んで、朝食も済ませた。エネルギー充填完了。しかし、しばらく波動砲の発射は見送らねばならない状況が続きそうだ。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:581.エネルギー充填完了
2012年07月16日

580.誘惑に負けそう

久しぶりに徹夜仕事になっている。フィリピンに帰ってから、仕事での徹夜は初めて。
頭が異常に重くて、さっぱり仕事がはかどらない。体も頭もかなり鈍っていることを実感している。
こんな時にはやっぱりリポビタン何とか2000とか3000・・・その何とかが思い出せなくて今苦しんでいるが、アミノ酸の一種で体が元気になるやつで、どうしても名前を思い出せないので先に進むと、とにかくそれが欲しくなる。しかし入手不可能。もしかしたらタバコシティーにたった一軒の24時間コンビニに置いてあるかもしれないが、深夜の一人歩きは重い頭がそのまま二度と働かなる可能性があるし、命があってもリポビタンを買うお金を全て失う確率は結構高く、仮に何事がなくても家族には思い切り叱られるのがわかりきっているので、今は濃いめのコーヒーでなんとかしのいでいる。
とにかくこの時間に出歩くと、薬をやっているような連中に遭遇し声くらいは間違いなく掛けられるので、家族に叱られなくても出歩きたくはない。

本日は裏の家の誰かが誕生日らしく、昼からずっと大音量でカラオケをやっていて、それがうるさくてかなわない。半端ない音量で、マイクを通し、奇声の混ざった歌声をこののどかなビレッジにずっと放出し続けている。昼のうちは、夜になって静まってから仕事に集中しようなどと思っていたが、夜中の三時を過ぎてもまるで静まる気配なしで、自分の考えの甘さを悔やんでいた。
ここでは他人への迷惑など考えないし、これが逆の立場になってもうるさいなどと怒鳴りこまれることがまずないような、恐ろしくどんちゃん騒ぎには寛容な社会で、隣の部屋のラジカセがうるさいから思わず刺しちゃったなどという日本の事件など、あれは一体なんだったんだと思えてくる。
現地時間で朝四時を過ぎた頃、ようやく奇声と音楽が止んで静まり返ったが、そうなると途端に眠くなり、先ほどまでのイライラ感は相当睡眠抑止効果あったことを知る。今は、なぜ中途半端に止めるんだ、どうせなら朝まで騒いでくれとお願いしたいくらいだ。

そんな状況で、ふと、このまま朝まで仕事をし、完成後はすぐに一旦眠るだろうから、そうすれば今日のブログを更新できないではないかと気付き、このくそ忙しい最中に突然これを書き始めた。
なんかネタがないので、それじゃあこの状況を書いてしまえと書き始めたが、ここで先に進めなくなっている。
そう言えば、今突然思い出したが、リポビタンの何とかとは、タウリンだ。僕はタウリン2000が昔からよく効く体質で、それがあると一晩くらいは平気で徹夜できる。
思い出したらタウリンが恋しくなってきた。どうしても欲しいと切望していると、ふと、その辺の連中から薬でも買ってくるかなどと思ったりするが、粗悪品でも掴まされたら体に悪そうだから止めておこう。いや、粗悪品ではなくても体に悪いということを思い出した。相当頭が朦朧としている。

今一番危険なことは、この原稿を書き終わった瞬間に、ようやく一仕事終わったと勘違いしてベッドに飛び込んでしまうことである。それだけは何としても避けたいために、何とか気を確かに持とうと頑張っている。とにかく朝まで仕上げないとやばいと思いながら、さっぱり進まない。気ばかりが焦る。焦っているのにこんな原稿を書いている。

本当に寝てしまおうか、とりあえず携帯の電源さえ切っておけば、午前中くらいはしのげるだろう。
僕は今、そんな誘惑と闘っている。その今の苦悩を、何とかお伝えしたいと頑張っている。思えば実況中継のような記事を書いたのは、これが初めてかもしれない。
怪しげなタイトルに誘われて読んでしまった方、ごめんなさい。騙すつもりは、正直に言うと・・・、少しありました。
あ〜、また誰かから、くだらないと文句がきそうだ。



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2012年07月15日

579.お前らは馬鹿か!2

モナに日本で起こっている、いじめによる中学生自殺事件で学校がマスコミやインターネットの世界で叩かれていることについて、余計な情報を入れずに率直な感想を訊いてみた。
学校はアカディミックだけで、子供の性格や素行を決めるのは親でしょうというのが、モナの答えだった。
さすがに割り切りの世界、棲み分けの世界で、この考え方はいたってシンプルだ。

しかし、日本人の学校に対する期待が大きいことは、僕にも当たり前に理解できる。僕も日本人で、日本の学校に通って大きくなったのだから当然だ。
昔の日本の学校は、その期待に応えられる要素がたくさんあったのだと思われる。しかし僕が中学生の頃、すなわち今から三十年前あたりは、少し雲行きが怪しくなっていた。少なくともその頃既に、教師の体罰が教育委員会で問題にされ始めていた。

僕が中学に入学した時に、僕の担任は時折教育委員会に呼びだされていた先生だった。入学前からその噂を聞いていた僕は、そのことに本当にビビっていた。
中学に入り、実際にその先生の生徒に対する体罰というものを、僕は何度も目撃している。
その担任教師は、クラス生徒全員の目の前で、悪いことをした連中を前に並ばせ、よく強烈な平手打ちを喰らわしたからである。しかし殴られた本人も、殴られたことに納得している節があったし、生徒もその様子にはビビっていたが、そうなった背景だけは僕を含め理解していた。今にして思えば、一発殴って、自分のしたことをよく考えろと言って終わる方が、長たらしくぐちぐち嫌味くさく言われるよりも、簡潔かつすっきりでよかったような気がする。

しかしこのような話しは、噂として父兄の耳に入る。あくまでも噂としてだ。それはまるで、今のインターネットから情報を取ることと、とても似ていた。
父兄の中には当然自分も教育者という人がいる。そのような人が、その噂をもとに教育委員会に通報するのである。その教育者の一人は僕の親友の父親だったから、その様子も詳しく聞いていた。
その担任は何度も教育委員会に呼ばれ、最後は生徒に手をあげることがなくなった。それは僕が中学を卒業してからのことだが、その話しを聞き寂しさを覚えたのは僕だけでなく、意外にもその当時殴られ常習犯だった悪ガキ筆頭までが、そのことを嘆いたのである。
現在テキヤをやっているその悪ガキ筆頭は、自分が少しは全うに生きていられるのは、その先生のおかげだと言うのだ。高校進学をしないと決めた彼は、中学三年で担任でもなかったその先生と、将来の進路について何度も話し合ったそうだ。その暴力教師は彼のことを心配してくれ、親身に相談にのってくれたそうで、自分の人生についてそれほど真剣に考えてくれたのは、後にも先にもその先生だけだったと、当時は鬱陶しかったけれどと笑って付け加えながら、語った。

ことさらこのことについて話しをすると、ごく一部の話しを美化し、感傷に浸っているだけと捉えられるかもしれないので(いや、実際にそうかもしれない)、自分の体験談の一つとして紹介するのだが、僕はこのような体験から、昔はそのような世界が、限られた中かもしれないが実際にあったと断言できる。

ただ当時、どこかに通報したり騒ぐ父兄はごく一部であったし、一旦は騒ぐ気配をみせても自分の耳目で確認し、最後は納得した人が多かったような気がする。自分の親も、そのような人間の一人だった。
今はどうなのだろう。学校の給食費は払わないくせに、そのようなことでは人一倍騒ぐ人が増えたのではないだろうか。ネットの世界では、騒ぐことが目的であるような人が、実際に多く見受けられるし、マスコミもそれと五十歩百歩の世界のように思える。
こうして学校の先生は、手足をもぎ取られるように、何もできない状況に追い込まれていったのではないかと感じている。
僕の一番下の弟は田舎で教師をしているが、彼の話しを聞いてもそれがよくうかがえる。教育委員会とPTA(と組合?)の間に挟まれ、苦悩している様子がよくわかるのである。教育に関する理想など、これっぽっちのかけらもなく、本当にくだらないところで苦労している。
僕はそんな弟に、保身ばかり考えている馬鹿な教師になってしまったと内心嘆いているが、それを口に出して言わないのは、食いぶちを稼ぐという点で、教師も職業だということが分かっているからだ。自分のことさえも満足にできない自分に、弟の人生まで責任を持てない自分がそれを口にするのは、どうしても憚られるのである。

昨夜はギョウちゃんとも、この関連の話題で随分長い時間、スカイプ議論をした。ギョウちゃんは、世の中は昔からそれほど変わっていないのではないかと言い、僕は変わっているという意見だから、そこに基本的な食い違いがあった。細かいところでは一致と不一致が色々あって、まあそれは当たり前であるが、こうして人と話しをすると、発言は言いっ放しでは済まず、反論があり、反論があれば説明する必要が出てくるから、無責任な発言がしにくい状況が生まれるのである。
しかしインターネットの書き込みという世界を少し覗いてみると、無秩序な世界の中で言いっ放し状態だ。テレビという受動的な情報享受に慣らされながらも、それにうんざりしているところへ個人の素性を明かさずに発言できる場を与えられたのだから、それははりきってものを言っている人が実に多い。しかしその発言を読みながら、素性を明かして責任を持って言ってみろというと、半数以上の人は途端に無口になるのではないだろうかということを感じる。
とかくこのような無責任発言が多いインターネットであるが、そのインターネットの影響力が無視できないものになっているのも事実で、それに世論が左右されることも珍しくない。そう考えるとインターネットとはなかなか怖いもので、それだけをとっても、世間はこの二十年間に、大きく変わってしまったのではないだろうかと思えてくるのだ。
しかしかくいう自分も、何か根拠のある統計データをもとに発言しているわけではなく、所詮は自分の直感のなすところであり、例えば学校のことにしても、個別には真剣に教師としての務めに邁進している人もいるはずだし、そんなことを考え出すと、根本的なところでは、やはり変わっていないような気もしてくるのである。
つまり、昨日からの自分の発言も、確信を持って言える部分、というより、相当の自信をもって自分が信じている部分もあれば、そうではないと思える怪しいところもあるわけで、そうなると穴があったら入りたいなどと思うところも正直に言えばあるわけだ。
やはりインターネットという一方的情報発信を利用する場合、気をつけねばならないと、あらためて考えるところである。

僕がインターネットから情報を得る場合、自分ではその情報をある程度取捨選択できているつもりだが、実は知らず知らず、それらの情報に流されてはいないかと、不安になる場合がある。昨夜のような議論をした時に、特にそれを感じる。
自分の思い込みを正してくれるのは、やはり対話を含めた双方向インターフェースに限ると、実に思うのである。

そんなことをしばらく考えながら行き着くのは、ブログと言えど何らかの発言を世間に向かって発信しているなら、もう少し自分の教養を磨かないとならないという点だ。
僕は時々いきがって、たいした教養(教育を受けたかではない)もないくせに、物事を総体的にいかにも俯瞰して捉えているかのように訴えてみようとすることがある。しかし僕にはそれをするだけの教養がなく、世間で時々ハッとするようなものに出会うと、それと張り合うだけの力が自分にはないと悟り、そのようなところは得意な人に任せ、自分はできるだけ狭い世界で物事を表現し、発言するようにしようとしている。最近は特に、それを意識している。
できるだけ個に焦点をあて、それを細かく詳しく心情も含めて書くことが、ブログや小説のだいご味であり面白いところであることを併せて考えると、それは自分の性に合っていることにも気付く。

そうなると面白いことが分かってくる。できるだけ個に絞って考えると、個とは総体的なものが見えていないことに気付くのである。ある物事の中心にいる人ほど、総体的なことが見えていないし、それが普通であることに気付くのだ。
僕は敢えてその観点から人を観察することがよくあるが、どんなに立派な人でも、渦中の人は周りや時代の流れ、空気が見えていないことが多く、同じ人の第三者的な発言や思考とのギャップを感じた時に、実に面白いと思っている。だから自分も何かを発言する場合、それとの兼ね合いがとても難しいと感じるところであるが、それが人間だから、それを生に出しても人間くさくて面白いなどと思うことがある。

おそらく例の自殺事件の渦中にいる人たちも、それぞれそのようなところがあるのではないだろうか。被害者も加害者も、それは仕方のないことである。
しかし、マスコミも解説者も、渦中の人になってしまっている節が見受けられる。
僕はそのような人こそ、時代背景や物事の遷移、状況を客観的に捉え、その観点から物を言ってもらいたいと節に願っている。彼らは報道家であって、小説家ではないのだから。

今日も何か、支離滅裂になってしまった。こんな日は、タイトルを決めるのが難しい。
面倒くさいので(というよりちょっと忙しい)、昨日の続編として同じタイトルのVol2とさせていただく。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:579.お前らは馬鹿か!2

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