フィリピーナと共に
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2012年07月14日

578.お前ら馬鹿か!

昨日は金曜日の週末。つまり、インターネットを繋げる約束の期限である。
いくらなんでもケーブルくらいはもう引き始めているだろうと、木曜あたりから家のテラスや屋上で、周囲で工事をしている気配がないか文字通り首を長くして眺めまわしていたが、さっぱりその気配なし。そこで電話会社に電話してみると、工事の人が休んでいる、明日工事に取り掛かると言われた。
その時に言われた明日、つまり金曜になっても、全く電話会社が我が家に来る気配なし。僕は昼過ぎに自転車で近所を徘徊してみたが、どこにも工事の「こ」の字もない。
再び電話会社に電話をしてみると、工事の人が今日も休んでいる、おそらく来週になるとの回答。出た出たフィリピン攻撃。このままずるずるといくのだろうか。とても不安だ。
当初、僕の予想は、今週中にインターネットを繋ぐという回答に対し、それが来週中になり今月中になり今年中になる可能性があるというものだったが、早速その一つが嫌な形で的中した。今回だけは信用したいと思っていたのに、なんということか。

あまりに茫然とし、意味もなく死んでしまったスマートブロをPCに繋いでみると、これが見事に生き返っている。昨日までは確実にだめだったが、ほぼ一週間かけて復活したようだ。僕はアンテナもPC側も何もいじっていないから、やはりスマートの問題だったのだろう。
電波式と言っても、アンテナを立てて拾っているものなので、生き返ったインターネットを使用してみるとかなり速く感じる。いや、あまりに遅い携帯に慣れてしまい、速く感じているだけかもしれないと、速度を測定してみた。
すると下りが1.04Mbps、上りが226.9Kbpsと出た。この1Mbpsという数字は、日本では遅いと言われるが、ここでは夢のような、これまで電波式では一度も見たことのない数字である。数回測定してみたが、やはり近い数値が出てくる。一週間を経て、どうやらパフォーマンスが向上したようだ。インターネット不通期間、設備の入れ替えか何かでトラブルでもあったのではないだろうか。
ちなみにもう一度携帯を繋いで測定してみると、下り172.0Kbps、上り22.2Kbps。僕はこれで一週間仕事をしていたのかと思うと、涙が出そうになった。昨日ちょっとしたファイルを送るのに30分もかかったのが頷けた。

これで快調になったインターネット回線で、少し世間のブログ等も徘徊してみた。
そこで一つ、気分のすぐれない事件に出くわした。大津市でのいじめ自殺の件である。
相変わらず色々なところで、学校が・・と騒いでいるようだ。
気分が悪くなった原因は、その事件を扱うマスコミの論調や、それに踊らされている人たちに変だと感じた点である。ブログでマスコミに批判寄りの姿勢をぼんやりと示しながら、そのマスコミに踊らされているか依存している様子もみえてくると、もう気分が悪くなるどころではない。事件自体の深刻性も含め、それを取り囲む日本人のあまりに愚かな言動が見えて、日本は大丈夫かという気になった。

フジテレビ系のニュースでは、いじめはなぜ繰り返されるのかなどと繰り返す。
そんな馬鹿な話をなぜするのか。いじめは大昔からあったのだ。ある意味いじめがあるのは、子供の世界では当たり前のことである。
そもそも子供とは、残忍、残酷なものであることを、みんな忘れている。自分だって子供時代には、かえるのケツの穴に爆竹を突っ込んでみたり、虫の足を取ってみたり、猫の尻尾を掴んで振り回してみたりしたものだ。友だちをいじめたい衝動にかられたことは数知れずである。逆にいじめられたことも数知れず。
現在、なぜそのような自分の残忍性が成りを潜めたのか、それは、そのようなことは悪いことだと教えてもらったし、見つかったら叱られたからである。
叱られる時には徹底的に叱られた。箒の柄で、太ももやケツを何度も叩かれたものだ。
そうやって、悪いことは何か、悪いことをしたら痛い目に遭う、痛い目に遭うということはどのようなことかを知り、次第に自分の中で、悪いこととその報いが何であるかが芽生え発酵し自分の実になった。
大人になる過程で痛い目に遭い傷つくことを覚え、それで他人の気持ちもわかるようになってくる。それを体に教え込んでくれたのは学校の先生ではなく、親であったし自分の人生経験である。
そのように教えてもらえなかった子供は、餓鬼の本性を持ったまま体だけが成長し、大人や世間や学校の先生までも舐めるようになるが、それは当たり前のことである。
なぜその本質に気付き誰も言及しないのか、それとも誰もが気付かない振りをしているのか。

そもそも学校が子供にとって一番安全な場所であるべきなととしたり顔で言う解説者に、僕は、お前はアホかと言いたくなる。
子供にとって一番安全な場所とは家庭であるべきで、そこから一歩外へ出たら、全ては危険な外洋と同じだと子供に教えなければならないし、学校が安心で安全である必要はないのである。学校が一番安全な場所であって欲しいと願うのは、親(大人)が親(大人)の責任を他人に転嫁し、自らの責任を放棄する考え方だ。

そもそも教育とは、少しばかりの困難を与えそれを乗り越えるところにあるべきである。それは大人になってからも同じで、誰でも簡単に乗り越えられるハードルの低い生活や仕事をしている人に、成長があるはずがないことは簡単に分かるではないか。
しかし最近の日本の論調は、子供に少しでも安心、安全、安楽の環境を与えるべきだという方向に傾いている。それを声高に言う人は、僕の目には犠牲者にしか映らない。しかも学校の先生が少し生徒を叱っただけで、世間の馬鹿親は真っ赤な顔をして学校に乗り込む。体罰などしたら、すぐに教育委員会だ。
叱られることもなく、ただそこに座っているだけでのほほんと平和な生活が送れる場所に、何の教育が存在するのか。

それでいてこのような問題が起これば、真っ先に学校の先生を糾弾する。本当に馬鹿な社会になってしまったものだし、それを安易にブログで取り上げ、取り立てて意見も言わず、深刻そうな顔をし、深刻そうなやり取りをしている人が大勢いるのを見ると、嫌悪感さえ覚えるほど情けない。

ならばどうすればよいか。一昔前に戻ればよいではないか。しっかりとした実体験があるではないか。何も難しく考える必要などない。なぜわざわざこねくり回そうとするのか。
学校の先生が子供に体罰を加えたら、愛の鞭をありがとうございましたと先生に感謝すればよい。それが子供に対して真の責任感と愛情を持つ親の態度だ。悪ガキを見つけたら、みんなで注意をし叱ればよい。大人とは怖いもので、学校の先生も偉くて怖いものだと子供にしっかりと教えればよい。あらゆる子供が接する世界で、悪いことをしたらしっかりとその報いがあることを、小さな悪さで体に刻み込ませればよいのである。
教育の現場では、最初に先生は偉いという序列をしっかりと叩きこむのが基本である。実際は偉くなくても、偉いと教えるのだ。もしかしたら指導者(先生)が間違っているかもしれないし至らないかもしれないが、そんなことは教えられる方が成長すれば、自ずと分かってくることである。同じ人間、教育者にも間違いもあれば愚かな部分があるこを知るのも、一つの人生経験だ。

このような僕の意見は、一般的な世間の人に受けが悪いことは重々承知している。有識者と呼ばれる人には、恰好の餌食になりそうな話しだ。有識者の意見に左右される人は、この意見に反感を持つだろう。
僕はこれを掲載することで、読者に嫌われここから離れていかれようが一向に構わない。それほど頭にきている。お前らはみんな馬鹿だと声を大にして言いたいくらいだ。
なぜこれほど頭にくるのか、今回の事件を見れば分かっていただけるだろう。これは今の日本の馬鹿さ加減を象徴する事件だからである。
それがお前と何の関係がある?それは分からない、分からないが腹が立つ。自分が日本人で、やはり日本は立派な国でいてもらいたいからだろう。
このままではきっと、これほど陰湿ないじめは日本から消えないだろう。みんなそれほど馬鹿になっている。だから歯止めがきかない。昔は様々なところに歯止めがあった。
本当に嘆かわしい。



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カテゴリー:フィリピン生活
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2012年07月13日

577.スクラップアンドビルド

昨日は久しぶりに豪快な雷を伴う豪雨に見舞われたが、夕方になったら、その嵐が嘘のようになくなり、綺麗な夕焼けが出て清々しい天候に様変わりした。
そして今朝は、青空に薄い雲が点在するほどの晴れとなり、マヨン山がすぐ近くにくっきり大きく見えている。空気に湿気を多く含む時に、そのように見える。なんともすがすがしい朝を迎えた気分だ。

話しは突然変わるが、昨日の夕食に、僕はそぼろを作った。今我が家には味りんが無くなってしまったが、調理酒と砂糖をまぜて、泡がぶくぶく出るまでよく煮詰めると、しっかり味りんの代わりになる。そこに醤油、砂糖、少々のだし粉としょうがをまぜ、フライパンでしっかり水気を飛ばしたひき肉にそのソースをかけて汁気がなくなるまで炒めれば出来上がり。じつに簡単に美味しくできる。ひき肉から出たあぶらとスープが混ざったフライパンで、そのまま入り卵を作り、それを好みに応じてそぼろと一緒に食べると、これまた相性がよい。
こんな具合で昨夜、美味しく夕食を終え、満足しながらダイニング脇のテラスでゆっくりとiPhone上の本を読んでいた。そこにモナがやってきて、自分のiPhoneで音楽を流しながら大声で歌い出すのである。僕は本に集中できず、「うるさいなぁ」とぼそりと言うと、モナは、iPhone のボリュームを絞った。「うるさいのはiPhoneじゃなくてあなたの声だ」と僕が追撃したら、彼女は二階の部屋に引き揚げた。

これで少し読書に集中できると思ったが、テラスは蚊がうるさくなってきたので、僕もそこを引き上げることにした。
二階の部屋に入ると、モナはベッドにねそべってiPhoneの音楽に合わせて歌っている。さすがに僕だって、自分があとからやってきてそれをうるさいと言うほど面の皮は厚くない。僕もiPhoneで音楽を再生し、ヘッドホンでそれを訊きながら読書を続行した。そうすることで、うるさい彼女の声が気にならない。
しばらくして、彼女が僕に何かを言っている。しかし読書に集中している僕は、それに耳を貸すのが億劫だった。すると今度彼女は、僕の肩をトントンと叩いてくる。あまりにしつこいので、僕は片方のイヤホンを取って「なに?」と言うと、モナは「おならしちゃった」と言うではないか。僕はここで、ぷぷっと笑うほど、人間ができていない。
「そんなことはいちいち報告しなくてよろしい、臭えばわかるし臭わなければ気付かない、別に毒ガスじゃないんだから、気付かなくても問題なし!」と冷たく言い放って、僕は読書を再開した。

それほどまでに集中していたのは、実は自分の書いているものである。何度も修正しながら、修正したら読み返している。いい加減飽きてくることもあるが、時には自分の書いたものにはまることもあり、そのような時には、おお、いいじゃないかと自己満足したり、気に入らない箇所にはiPhone上でマーカーを付けたりしている。そんな時にくだらないことで邪魔をされるのは、とても迷惑なのだ。

さて、こうして書き物を修正していると、ひとつ気付くことがある。
とにかく贅肉が多くて、全体の邪魔になる箇所が多いのだ。そのせいでストーリーがぼやけしまう。丁寧な説明と、余計な書き込みは違うのである。
そこまで分かっていながら、余計な部分を削ることが大変難しい。自分で書いたものにいろいろな思い入れがあるからで、その部分への思いが当事者と違う読者には明らかに邪魔になる部分を、本人は思い切って削れないのである。
それでもまさに身を切る思いで削り読みなおすと、かなりすっきりとしてよくなる。よくなるだろうという直感があって削っているのだから、それをすることでよくなる確率が高いのは当然のことだが、それは結果論で、削る時には自分がこれほど女々しいやつだったのかと思うくらいに恐怖を覚え勇気が必要となる。
そんなことを繰り返しながら、僕はスクラップアンドビルドという言葉を思い浮かべていた。

僕はこれまで、スクラップアンドビルドをいろいろとやってきた。それは、時に仕事上のことで、時に人生に関わることであった。しかしそのほとんどが、追い込まれて仕方なく壊しただけで、僕は過去、建設的な意味をもつ積極的な破壊をした記憶がほとんどないのである。
だから人としての器が小ぢんまりと固まりつつあるのだろうが、しかし、頭を使わずに破壊ばかりしてきたら、僕はもっと卑屈な人生を歩んでいただろうと思われる。つまり、壊してばかりいればよいわけではないが、上手に壊せば風向きは変わるのだ。
今僕が頭の中で考えている転身は、僕が珍しく考えている人生のスクラップアンドビルドに近いもので、フィリピン移住計画の第2ステップに相当する。

僕の友人には、このスクラップアンドビルドを積極的にできる人がいて、僕はその方を見ながら、いつもとても羨ましいと思っている。その方のスクラップアンドビルドが、常に成功しているかどうか僕にはよく分からないが、少なくとも彼は現在、東京で自分のビジネスを継続しながら立派に生活しており、頭を使わずに破壊ばかりしているわけではないことが分かる。だから僕は、おそらく彼はそのうち何かがあたり、もっと成長するという予感を持っている。

誰でも現在の足場を壊すのは怖いし、新しいことに挑戦することはもっと怖い。だから普通の人は、なかなかその点で決断できないのだ。僕などは、何度も言っているように根が小心者だから、そのような決断には人一倍敏感でいつもぐずぐずしている。だからそのような僕は、前述のような方が身近にいて勉強させて頂いていることを、とても幸せに思っている。

最近友人の一人が、転職を決意され、その思いをブログに綴られている。
僕はここ数日間、その友人に何かエールを送りたいという気持ちを抱きながら、何も送れないでいた。何か送ろうと思っても、どうしても軽薄なものになってしまったからである。

転職も言わば、一つのスクラップアンドビルドである。
壊す行為は怖いが、まずはその決断をされたことに、小心者の僕からその方に、大きな拍手を送りたいのである。そして今後、それが軌道に乗るとは限らないが、むしろ順風満帆にいく方がおかしなことで、必ず気に入らないことの一つや二つはあるものだ。もしくは全てが気に入らないかもしれないのである。その場合、その方が普通だと考えるべきで、その全てを現時点で予測するのは不可能だし、その時にはまた、僕の東京の友人のようにしつこく軌道修正し、時には壊してしまえばよい。これは口でいうほど簡単ではないが、よく考えてみれば、肝心なことは気の持ちようであることに、気付くはずである。気の持ちようならば、自分を奮い立たせるだけで済む話しで、何とかなるであろう。もともと専門的な技術や知識を持っていらっしゃるのだから、必ず何とかなるはずである。

壊す勇気を持っている人には、また新しい風が吹く。僕はそう信じて、その方にエールを送りたいのである。
ちなみに転職を決意した友人がこの記事を読んで下さっていることを信じて告白すれば、その東京のたくましい友人とは、一緒に焼肉を食べにいった方で、共通の知り合いである。そう言えば、すぐにお分かりになると思う。
彼のスピリッツには大いに学ぶものがあることを、最後に付け加えておきたい。



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2012年07月12日

576.言わなくちゃ

少し前に、ユリが風邪気味で鼻水を垂らしていた。僕はその時点で、これはやばいと思っていた。
このフィリピンでは家族の誰かが風邪をひくと、順繰りにみんなにうつってしまうからである。それも確実に、と言ってもいいくらい。
僕はこれまで、人から風邪をうつされることはあまりなかったのに、フィリピンでは簡単にうつされる。このことは、本当に不思議だと思っている。ここは日本より湿気も多いはずだから、フィリピンで風邪のウィルスが伝染する力は弱いと思っていたが、日本とはまるで逆にとても伝染しやすい。もしかしたら僕には、フィリピンで発生する風邪の免疫が極端に少ないのだろうか。

予定通り、ユリの風邪はベルにうつり、モナにうつり、僕にうつった。
しかし伝染しやすいので、モナが治っても僕の風邪がモナに戻り、僕が回復したところへ今度はモナの風邪が戻ってくる。この風邪のキャッチボール状態も最初から想定通りで、風邪のうつりやすい行為は極力控えようと二人で話しをしていたし、実際に合体の時でさえ、唇を重ねる行為を避けていたはずが、見事にキャッチボール状態になっている。
「風邪というものは、あそこで伝染するのか?」
くだらないことを、僕は本気で考えた。
もしかして専門家に訊けば、当たり前じゃないかと言われるかもしれないが、もしそうだとすると、風邪のウィルスはどこからどうやって感染していくのかなどと考えて、またもやもやとしてくる。

現在は僕の風邪がよくなり、モナが鼻水を垂らしている。ベルとユリは今のところ大丈夫そうだから、ここでモナを隔離してしまえば、家族揃って健康で幸せな状態になりそうだ。さて、隔離するとしたらどこがいいかと真面目に考えてみたが、さすがに我が家の女王様を隔離するわけにもいかず、僕はこの案を口にも出せずじまいである。もし口に出したら、あなたに風邪が戻った時に、あなたが隔離されなさいと言われそうだ。
このように根が小心者の僕は、なかなか言いたいことが言えない。言いたいことが言えなくても困ることは、たくさんあるのである。

今日のランチはコロッケとビーフステーキだった。コロッケは我が家の美味しい定番料理になりつつある。それが出てくるのは素直に嬉しい。しかしビーフステーキは、どうだろうか。
我が家のビーフステーキに使うビーフは、フィリピン産である。輸入物は隣のレガスピという街までいかないと入手できない。フィリピン産の牛肉は、お世辞にも美味しいとは言えない。臭みがきつく、しかも固いのである。モナがビーフステーキを作ると言った時に、僕はわずかに「え〜!」と言って抵抗した。するとモナは、
「ビーフステーキは私が食べたいの、あなた用にはコロッケを作るからいいでしょう」
と言うので、僕はそれで黙り込んだ。
いざ昼食のテーブルにつくと、そこに予告通り、ビーフステーキとコロッケ、そしてフィリピン料理が数点並んでいる。
事前にそのようなやり取りがあったにも関わらず、モナは自分の作ったものを僕に食べさせたいために、わざわざビーフステーキを僕の皿に取り分けてくれた。
僕は「いやいや、僕は食べなくても結構」という言葉を飲み込んで、せっかくだからとさっそくかぶりついてみると、これが分厚いゴムのようでまるで歯が立たない。ナイフを持ってきて細かく切ろうとしたが、それすら歯が立たずに一苦労である。
そこまでしてやっと食べているのだから、訊かなくてわかりそうなものなのに、モナが「どう?」などと訊いてくるから困ってしまう。
「いやぁ〜、今日のコロッケは美味しくできている、腕をあげたねぇ」
「コロッケが美味しいのは分かっているわよ、ビーフステーキはどうなの?」
「こっ、これか?そうだねぇ、胡椒で臭みが消えているから、味はまあまあいける・・かな?」
モナがペッパーランチのステーキをイメージし、スイートコーンまで付けた料理を、僕がどうして罵倒できようか。しかし僕が言葉を選びに選んで回答をしている脇でママが
「これ、お腹の中で消化されるの?」
と言った。まじまじと肉を見ながら真剣に心配している様子なので、僕が「いくら固くても、消化はされるから大丈夫」と、ついつい答えた。
ママはモナに、これ、ちゃんとチョップしたの?この手の肉は焼く前に、しっかりチョップしなくちゃだめよと、技を伝授していたので、僕もそうだそうだと、やはり心の中で言った。

同じように最近、ダディーが僕用の料理を勉強してくれている。テレビで見た料理を、見よう見まねで作ってくれるのだ。そんな料理が出た時に、ダディーは食卓でニコニコしながら、僕に「おいしい?」と日本語で訊いてくる。地元の言葉でも英語でもなくわざわざ日本語で訊くのだ。そんな状況で、それがどんな料理だろうが、ダディーが僕のために作ってくれた料理に文句を言えるわけがない。僕の答えはいつも「おいしい」に決まっている。それに気をよくしたダディーは、最近、いつもと違うアレンジ料理をよく作ってくれるようになった。本当に不味い物はないが、正直に言えばもう一つ、二つというものはある。そのように思った時には、僕は正直に言わなければならないといつも思いながら、僕の口から出る言葉は、いつも「おいしい」だ

嫁の家族と暮らしていると、いつか正直に言わなくちゃと思うことが、このようなことを含め、結構あるものだ。
どんな時でも誰にでも、ずけずけとものが言える人は、本当に羨ましい。



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