フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年06月21日

554.陰の努力

我が家のユリ(二歳半)は歌やダンスが大好きで、彼女におもちゃのマイクを持たせると、彼女は誰に指図されなくてもリビングから一段高い階段の踊り場をステージにし、本格的なリサイタルを始める。それは大げさな振り付けをしながら、日本語でも英語でもタガログ語でもない言葉を勝手に作り、延々と歌い上げるのだ。
そんな様子を見ながら僕は、半分日本人の彼女には、フィリピーナとして天性の素質がしっかり備わっていると、安心するような不安になるような、いつも複雑な気持ちで見守っている。
そんな彼女も素質だけで日々のリサイタルをこなしているわけではない。
陰ではそれ相応の練習を積み、努力している。その様子をビデオに納め、このブログでiPhone撮影のビデオ貼り付けができるかどうか、それがどの程度の手間がかかるかなどを試すつもりで、ユリの陰の努力をここに紹介しようとした。
すると、たった一分半のビデオをアップロードするのに、一時間くらいの時間を要したのではないだろうか。ここの劣悪なインターネット環境には、ほとほと嫌気がさす。
しかもアップロードが完了した時点でエラー表示。一ファイルの容量が25MBを超えています?元ファイルの容量はその半分くらいなんだけど??
容量エラーになるなら、アップロードを開始しようとする時に言って欲しい。

とにかく最近は、ここのインターネットがひどい。頻繁に切れるし遅い、かつ動作が完結しない。我慢強くジィーと待って待って、タイムアウトなどという表示が出る。なめるんじゃない!なんて吠えていたのはとうに昔のこと。今はただうなだれて溜息を出すだけ。
我が家がある場所にはインターネット用の回線がない。だから普段僕は、電波によるモバイル端末を利用している。これが劣悪だ。
本来この土地の契約書には、電話もインターネットもケーブルTVも全て完備するお約束になっているが、この土地のデベロッパーに約束通り何とかしろと交渉しても、一向に埒があかない。交渉して既に二年半。お互い何を話してきたのか忘れるくらい。そして先方のマネージャー交替で、交渉は振り出しに戻った。
現在インターネットプロバイダーを兼ねる電話会社と直接交渉をしているが、これもマニラ本社のお伺いを立てると言われてから既に四カ月。最初は一ヶ月ほどで方向性が出る、しかも見通しは明るいと言っていたのに。こうなると窓口の担当者は、マニラ本社のせいにして人ごとになってしまうから、いくら話しても無駄だ。
何とかならないかともがいてもうすぐ三年。あと、軽く三年くらいはもがき続けることになりそうな気がしている。その三年後に僕は、せめて自分の目の黒いうちに何とかしておくれと懇願しているような気がしている。そんなことを考えると、やはり溜息が出る。

画像は偽Facebookページを作り、そこに画像をアップして紹介しようともしたが、やはり画像のアップに時間がかかる上、どうも使い方がFacebookの本来の目的にそぐわないので断念。結局Youtubeに画像をアップした。起きている時にはアップロードの進捗が極めて遅いので、寝てしまい、今朝起きたら完了していた。



たかが二つの画像をここにアップするまで、僕も涙ぐましいほど努力をしている。


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2012年06月20日

553.当惑

最近モナにアレルギー反応があり、首や腕に赤い発疹が出ている。とても痒いそうだ。一度治ったが再発し、おかげで彼女は、アレルギーの原因が分かっていないので、とりあえず怪しいと思われる海鮮類、卵、乳製品などを控えなければならず、食べるものがない。そんな彼女は毎日、あ〜、魚が食べたいなどと言っている。僕はこの状況に、ダイエットができていいじゃないかと言っているが、いつもダイエットと騒いでいる当の本人は不服のようで、鬱陶しいと嘆いている。僕は一度病院に行ってこいと言っているが、ただのアレルギーだからと彼女は薬だけを飲んでいる。

今日の昼頃、ママとモナが何やら話していたかと思うと、モナがシャワーを浴びて着替え出した。どこに行くのかと訊くと、
「ママが行けってうるさいのよ」
と言うので、とうとう病院に行く気になったかと僕は安心したが、しかし彼女が続けた。
「だから祈祷師のところへ行ってくるのよ」
「はあ〜?お祈りに?」
僕はなかば絶句しながら、思わず溜息をついた。アレルギーを神頼みで治そうということらしい。以前からそんなものを信じていない僕だが、はっきりとそれを口にせず、
「そうか〜、それじゃもう治るね、よかったねぇ〜」
と回りくどく言ってみると、モナはただ笑っているだけだった。僕は、本当はこの時に、例の水はどうした、水は・・と、例の万能薬の水のことを思い出したが、さすがに冗談にならないと思って、その言葉を飲み込んだ。

一時間半後、そこから帰ってきたモナに、僕は晴れやかな顔を作って再び言った。
「これでもう大丈夫だね、すぐに治るよ、いや〜、よかった、よかった」
そんなことをきっかけに、モナからその祈祷師の様子を少し訊いてみた。
お祈りを待つ人が、随分並んでいたそうだ。三人の祈祷師がいて、五分の祈祷に一時間待ったようだから、三十人以上の人が祈祷を受けに来ていたことになる。病院よりも流行っているではないか。
モナの後ろに並んでいたのは、二十三歳のマガンダ(美人)だったそうだ。なぜそのマガンダさんがそこに来たのか、それをモナが教えてくれた。
彼女はマガンダなので、男の幽霊がいつもまとわりついて大変なのだそうだ。男の幽霊はいつもマガンダさんの頭の周りにいて、そのおかげで彼女はいつも頭痛がする。それに頻繁に耳元で話しかけてくるのでうるさくてかなわない。生きている恋人はその幽霊に嫉妬して、会えばいつも喧嘩になるから、その幽霊を追い払うまで会わないようにしている。本来自分の性格は温厚だが、その幽霊のせいで自分が怒りっぽくなっていて嫌になる。
この話には落ちがあって、モナが自分の歳を三十歳だとマガンダさんに教えてあげたら、え〜、信じられない、私と同じ歳だと思っていたと言われたことを、彼女はとても嬉しそうに話した。どうやらモナは、それが一番言いたかったらしいことが、僕にもわかった。

それにしても、二十三歳の若い娘が、男の幽霊の件でお祈りに?しかも彼氏は幽霊に嫉妬している?
何もかもが非科学的で、一体この国はどうなっとるんじゃいと真面目に思ったが、以前の僕なら怒り口調でばかばかしい、そんなもんを信じて病気がどんどん進行したらどうすんじゃい、などと言うところを、彼女たちが信じているものを頭から否定するのもなんだしと思い、僕は終始笑顔を作ってそれを黙って聞いてあ・げ・た。
すると最初は「私だってどうなのって思っているわよ」という態度だったくせに、話しをするモナの口調が次第に熱を帯びてきて、ダディーもこの前入院した時にママと二人でそこに行き、結局お祈りで治ったとか、歩けなくなったおばあさんがお祈りで歩けるようになったから、今でも定期的にそこへ通っているとか、歩けない人の場合、患者が着ていた服を脱がせ、洗濯をせずに服をそこに持っていくだけで病気の原因と対処法を教えてもらえるとか、中国人のお金持ちがいくつも病院をまわったがだめで、そこでお祈りをしたら一発で治ったので、中国人はその祈祷師に、大きな家を一軒謝礼代わりにあげたなどという話しが次から次へと飛び出した。そんな噂はすぐに津々浦々広まるようで、ますます祈祷師はありがたられて商売繁盛のようである。
そのお祈りの場所が、その謝礼代わりにもらった家だというので、まあその話しは本当のことだろう。

重複するが、以前の僕ならこのような話しをされると、馬鹿な話ばかりしてんじゃないよと一喝し、彼女の言葉を遮って自分のやりたいことに戻るところだが、今の僕は少し成長したのか鈍感になったのか、最後まで彼女の話しに付き合い、思わず確認したのは
「あのさ、もし僕が大変な病気になったら、そこに連れていかれるのかな?」
ということで、しかも気付いたら、僕は眉の間に皺など寄せて、いつの間にか不安げな表情を顔にたたえていた。そして次には
「ついでに今のうちに言っておくけどさ、その時には、何とか僕の脱ぎたての服だけで勘弁してもらえないかな」
などというお願いが口をついて出ていた。
そんな僕の頭の中にふっと浮かんだのは、「行動が要求される驚きを当惑という」などと、またしても昨日に続いた感情論だった。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:553.当惑
2012年06月18日

552.感情

僕はフィリピンに来て、フィリピーナ奥さんの家族の中に入った。モナの家族には温かく迎い入れてもらっている。
ダディーがギョウさんに行ったそうだ。モナがベルの父親と結婚しないで、本当によかったと。それはつまり、もしそうなっていたら今の生活はなかったわけで、当時はモナの妊娠とその相手の無責任な行動は家族にとっても悲痛な出来事だったが、今となれば、それでよかったということだ。怒りや悲しみが、いつの間にか喜びや希望に変わっている。
当時23歳のモナが日本へ渡り、ほんの七年で家族の暮らし向きをがらりと変えてしまったことは、驚嘆の事実のように思えてくる。僕がフィリピンに来て三年近くが経とうとしているから、あと四年で自分たちの暮らし向きを倍くらいによくできるだろうかと考えてみると、これがなかなか難しい。少なくとも今の僕は、現状維持で精一杯だ。

さらによく考えてみる。もし僕が無職・無収入で、今のように家族の生活を支えられなかったらどうなっていただろうか。おそらくモナが働き生活の糧を稼いだような気はするが、その時モナの両親の自分に対する接し方や思いはどうなるか。モナが僕を旦那と認めている以上、両親もある程度僕を認め、いや、表向きは認め、心の中で認められない部分を引きずるのではないだろうか。なにせそうなれば、モナは家族と離れてどこかで働き、僕はその稼ぎを食いつぶすごく潰しである。その点で家族が僕に、よい感情を抱くわけがない。
日本人というだけでいばるんじゃないとか、日本人のくせに稼げないのかとか、モナは間違っている、なんて感情を背景に、「いやぁ〜、モナがあの男を逃したのがいけなかった」などと、ダディーは今とまるで逆のことを言ったかもしれない。
もし僕が日本人ではなく、もっと辺境のジャングルから出てきたような男であれば、モナの両親の嘆きは度を増し、僕はこの家で、下男以下の扱いを受ける可能性だってある。ごく潰しだから仕方がないが、仮にそれを僕が悲観的に捉えたら、僕は異国の地でひとりぼっちになりいじけてしまうだろう。この時にモナが両親に、この人は優しい人だからいじめないでと訴えても、それだけで両親のわだかまりが解消するはずもない。

僕はフィリピンに関わるようになり、この感情というものが何なのかを度々考えるようになった。
例えば「548.家族サポート」の中でも書いた通り、頭では分かっていても、最終ジャッジは感情に左右されることが多い。筋ではないが、可哀そうだ、何とかしたいという気持ちの問題が、常に存在する。フィリピンに関わる人には、よく分かって頂けるのではないだろうか。
「それは可哀そうだが筋ではない」というケースもあれば、「それは筋ではないが可哀そうだ」というケースもあるから、感情と理屈でどちらが上ということはないが、感情が上に立つ場合、そこに理屈が入り込む余地が少ないことを、僕はたくさん経験した。

では、この感情とは何か。
感情というものを並べてみれば、愛、安心、憤り、怒り、恨み、驚き、寂しい、悲しい、嬉しい、楽しい、悔しい、嫌悪、軽蔑、興味、倦怠、後悔、幸福、嫉妬、希望、失望、焦燥、退屈、恥。当然ながら山ほどあげることができる。
この中で、動物としての基本感情は、興味と嫌悪、動物としての防御感情は驚き、怒り、恐怖、そして人間性の感情は、愛と希望などと言われる。
つまり、行動を拡大するための感情が興味で、自然淘汰を拒絶する感情が嫌悪である。思考停止や運動停止が驚きで、怒りは侵入者からの防衛感情、恐怖は危険から身を守るための感情だ。愛は交替する母子活動、希望は強い意志を生みだすための感情である。
もっと言えば、悲しみは愛の対象の喪失、寂しさは愛の対象の不足のアピール、憎しみは愛の喪失についての怒り、哀れみは悲しみの共感。

こうして感情を分解していくと、今まで見えなかったものが見えてくる。
つまり、悲しみや憎しみや怒り、嫌悪の裏にあるものが何か、それが分かってくるのだ。そして、わかればわかるほど、あ〜、どうにもならないなということがわかってくる。そこに諦めという感情が芽生え、諦めると、怒りという感情が抑制される。逆に自分の中に湧き起こった感情が、実にくだらないと気付く場合もある。それも自分の怒りを静める鎮痛剤のような役割を果たす。
この感情を全ての人間が持っているなら、感情と感情のぶつかり合いで、この世はもみくちゃになりそうだが、意外にそうでもないのは、人間は普段から、この実に複雑な感情関係を調整し、うまく立ち回っているからだ。その調整が大変になればなるほどストレスとなり、今度はそれに対して自分の怒りや恐怖に繋がるが、感情が何かをよく考えると、それも当たり前だと知ってなぜか落ち着くから、この感情のコントロールというものは、厄介だけれども単純でもある。

この感情が形成される背景には、その人の持つ長い歴史に裏付けられた経験も絡んでくる。そうなると、感情に支配された厄介事は、他人にはお手上げとなる。
例えば恥とは何か、それは公共ルールを逸脱した一種の怒りである。つまり暗黙の了解を含む公共ルールがなければ恥は生まれない。つまり、恥は文化が生み出したと言える。
ここでいう恥という感情は、公共ルールに基づくもので、ならばその公共ルールとは何かと言えば、法律や常識や世間体となるだろう。法律は別として、常識や世間体は、人によって随分異なる場合がある。またこれは、変化する。
すると、その恥の感情に他人が介入するには、どれほどの労力が必要か、簡単に想像がつく。周囲の人の見方や考え方を全て変え、本人を取り囲む環境を一変させなければならない。それでも恥という感情が払拭されるかは疑問で、本人の心の中にある公共ルールを、とにかく変えてやらなければならない。
人を説得する、人の気持ちの有りようを変えるというのは、このような人間の感情の仕組みをよく理解し、丁寧にアプローチしなければならないから、本来は大変なことである。
それが上手にできる人は稀だ。たいていの人は面倒になり、放ってしまう。
しかしこの放っておくのも一つの手であって、実は大外れではないところが、人間の面白いところだとも言えるのだが。

僕は自分が怒った時に、自分が何に対して怒っていたのだろうと考えることがある。つまり怒りは侵入者からの防衛感情だから、自分は何を守ろうとしているのかを振り返るようにしているのだ。それが分かると、それが自分でくだらないと思うことが多い。怒っている時にはそれを自分でさっぱり分かっていないから、ますますくだらないと思えてくる。
そんな感情のことを、早朝から一人でぼんやりと考えていた。
今日の内容は、ただそれだけで、落ちも何もない。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:552.感情

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