フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年06月14日

548.家族サポート

アンが我が家を退屈だと言い自分の家に帰ったことで、僕はモナと、親戚に関するサポートの件で話しあった。
僕は、夕食を食べた後の家族団欒の時間を退屈だというアンの話しに、真面目に心配になったのである。普通はその時間、子供はテレビを観たり、家族と話をしたり、勉強をしたり、読書をしたり、自分の趣味の時間にあてたりするものだ。親にすればそれは、子供の様子をうかがう貴重な時間である。その時間を退屈だと言い放つアンの感性に、僕は不安を持った。夜から深夜にかけて外で遊び歩く習慣が今から身についていることに、危機感を覚えた。
普段からそのような生活をすることが、必ずしも不良に繋がるとは言えないが、子供を正しく安全に導くためのリスクは大きくなるだろう。この、正しく安全に、とは何かというところに些か議論が必要だということは分かっているが、それはひとまず横に置き、彼女も少しは年頃になり、これからは十分気をつけなければならない。モナが同じ年の頃は、遅くとも夕方6時に家に帰らされ、その後に外出するなどもっての他だったそうだ。普通の家庭では、男の子はよいが女の子には厳しいというモナの言葉に、フィリピンでも日本人と同じことを心配する風潮があるではないかと思った僕は、一度叔母さんを交え、建設的な話をしようとモナに言った。
僕は、問題が起きたら叔母さんは絶対こちらに泣きついてくるから、最初からアンを我が家に預かった方がいいのではないかと思った。問題の起きやすい場所に放置して問題が起こったと持ちかけられるより、自分たちが監視した上で問題に対処する方が、はるかに納得性がある。僕は親戚の責任をかぶるのは本意ではなく、親の責任を肩代わりするなどとんでもないと考えているが、アンの母親はあまりにも子供のことに無関心で、加えてアンの退屈という言葉を聞き、アンの家に帰るという要望を素直に受け入れるのはリスクが大きいと判断した。
もしアンの身に問題が起きた時、ママやモナはアンを投げ出すことはしないだろうと僕は思っている。いや、僕自身もどこまで冷酷になれるのか自信はない。ならば、積極的に関与した方が良いと僕は思うのである。しかしモナは、意外なことを言った。

「なぜ?叔母さんがそれでいいと言うなら、我が家は何も言うことはないでしょう、アンのことはうちに何も責任がないから」
「え?そうなの?それならそれでいいけどさぁ、でもだよ、もしアンに何か困ったことが起こったら、叔母さんはうちに相談をもちかけるよな?」
「それ、うちは関係ないでしょう」
「そう?もしもの話しだけどさ、アンが二年か三年後に妊娠なんかして、子供を産んだり育てる費用を助けて欲しいなんてことになっても?」
「それうちの責任じゃないよ」
「あっ、そうか、それならいいんだ、あ〜、そうかそうか」

責任の範疇でしっかり区分けしてくれるなら、それは僕の望むところだ。僕は、モナがそれを本心から言っているのか疑心暗鬼だが、そう言われたら、僕にはそれ以上言う事はない。
僕は既に、あることに気付いている。僕が積極的に親戚に対し何かをしようと持ちかけると反対され、逆に僕が反対すると家族は何とかしようと頑張る。エバ叔母さんの子供が入院した時もそうだった。病院代は我が家で・・、と思っていたら、最初にそれはいらないと言われた。他の細かいことで、随所にそのような傾向がある。それは僕に対する意地とか意地悪とか、そのようなものではないことは分かっている。そのような話しの時に、とげのような意固地なものは感じない。するとこれは、感性・習慣・考え方の違いだろうかと思えてくる。
冷静に振り返り、僕の意見が反対される時はどのような場合かを考える。するとそれは、僕が今回のアンの件で持ちかけたように、理屈上、間違っている時である。正論でいけば、それは筋ではないだろうという時だ。
しかしここでは理屈が通用しないことが、よくあるではないか。

僕は先ほどの会話から1時間後、2階のリビングでゲームをするモナの傍を通りかかった際に、わざと言った。
「いやぁ、よかったよかった、アンのことはこっちに責任ないもんなぁ〜、それは正しい!絶対に正しい考え方だよ、みんな成長しているなぁ」
僕はこれだけを言って、自分の部屋に引っ込んだ。すると10分もたたないうちに、モナが椅子を持って、机の前に座る僕の横に来た。これは僕が予想していたモナの行動だった。
「あのね、困っていたら可哀そうになるでしょう?」
「でもうちに責任はないよな?」
お互い先ほどと言う事が、まるで逆になっている。
「そうよ、でも可哀そうに思う気持ちはあるでしょう」
「それはあるけど責任はないよ、それで?あなたは何が言いたいの?あなたの結論は?」
「だから責任はないけど、実際に困ることがあったらその時に考える」
「だからあなたはどうしたいの?あなたの結論は、助ける?助けない?」
モナは助けるという言葉を言いたいが、意図的にその言葉を飲みこんでいるようだ。
「わからない、だからその時に考える」
「本当に困っていたら、その時に考えてどうするの?」
「たぶん助ける、かも」
「責任がないのに?」
「見えなければいいけど、見えたら可哀そうになるから」
「だったら叔母さんに、今のうちにしっかり言いなさいよ、アンをきちんとさせろって、あなたが言いづらいならママに言ってもらえばいいでしょう」
「それは私たちが言う事じゃないわよ、叔母さんの責任だから」
「あなたは権利と義務と責任(rights and duties and resonsibilies)ってわかる?いいか、自由には責任が伴い、権利には義務が伴う、これわかる?」
「たぶん、わかる」
「自由にさせてもらうけれど、責任はとってね・・・、これはおかしくない?」
「だってそれはお願いだから」
「だったらそのお願いを断る権利が僕にはあるということ?」
「そうよ、あなたが断れば、それで終わりでしょ」
「ほう、そうか、でも本当にそれで終わり?」
「終わりでしょう」
「いや、終わりじゃないな、あなたの可哀そうだって気持ちもそれで終わる?」
「それは終わらないわよ」
「それじゃ僕が断っても、それで終わりじゃないでしょう」
「どうして?」
「だって僕とあなたは夫婦でしょ?妻のあなたの心が痛いのに、僕が問題ないって言える?それは他人と同じでしょう、あなたは僕が心の痛い時に、それ私は関係ないって言える?言えないでしょう?もし平気でそう言えるなら、多分夫婦の意味がないな」
「だけどこの問題は、文化の違いだから仕方ない」
「それが文化の違い?それも違うと思う、あなたは僕の話していることを理解できる?」
「できるわよ」
「理解できるとしたらそれは文化の違いは関係ない、だってあなたは既に、僕の言いたいことを理解して納得しているのだから・・、そこに文化の違いを持ち出すのはずるいよ」
このずるいがモナに伝わらず、僕はとても苦労する。英単語のずるいという言葉を何通りも探したが、不思議とそれがモナには伝わらない。
「つまりね、あなたは文化の違いと言いながら、この問題をはっきりさせることから逃げているだけだ、家族の中に摩擦を起こすことを恐れている、それだけでしょう、それを文化の違いのせいにするのがずるいということだよ」
モナは問題先送りの図星をつかれ、笑って誤魔化した。それでも彼女はささやかな抵抗として、こんなことを言った。
「フィリピン人には、何とかなるさ(バハラナ)という気持ちがあるからなぁ」
「そうかもしれないけれど、日本人には、最初からあてにされては困るという気持ちがある、自分で何とかしようとして駄目だったら考えてあげようという気持ちは持っている」
「そうねぇ・・」
結論の出ない話しはざっとこんな感じだった。それでもモナは翌日、叔母さんにアンのことを持ちかけた。叔母さんは、アンの今の生活は問題ないと言い切った。それならそれで良い。それでは困ったことがあっても、こちらを頼らないよねと念を押したい気持ちを僕は持っているが、さすがにそこまでは言えなかった。

この話しに結論が出ないことは、僕にもよくわかっている。理屈でいくらわかっても、心情的なものが絡んでしまうからだ。僕自身にもそれは言えることである。自分がいくら割り切ったとしても、ママやダディーやモナが悲痛な顔をしていたら、僕も心を痛める。

自身の人生放浪記(改訂版)を読んでみると、そこにはこのように書かれている。
「子どもたちはリンの姪だが、リンは姪の子どもたちをまるで自分の子供のように可愛がっていたし、子供たちもリンを母親のように慕っていた。他人の僕でさえ、子供たちがまるで自分の本当に子供のような感覚になっている。フィリピン人の家族の絆は強いが、このような体験を経て初めて、この絆の正体を理解できたような気がしてきた。傍でみると、叔母と姪の関係を超え、なぜそこまで助けなければならないのかと思う場面もよく見受けられるが、その背景にあるものをまじまじと見てしまえば、それがごく当たり前の姿にも見えてくる。そうやって手を差し伸べてやらなければ、生活さえままならない環境の子供たちに将来はない。そうやって愛をもらった子供たちは、大人になって叔母であろうが兄弟であろうが、今度はもらった愛を愛で返そうと頑張る。体を寄せ合うようにして生きなければならない要素が、フィリピンにはまだまだ多いということだ。それが運命共同体の、一つの真実である。」

この背景を知らなければ、フィリピン人の家族を助けたいという心情を理解するのは難しい。もし僕がリンと結婚していたら、リンの姪たちに困ったことが起これば、僕は率先して彼女たちを助けようとしたことは間違いない。しかし今ここでその気持ちが希薄なのは、僕が突然今のファミリーに入り込んだからである。それでも頻繁に顔を合わせていれば、モナと似た感情が芽生え始めている。人間と人間が顔を突き合わせ心を通い合わせれば、それが普通というものだ。だから僕は、どうしようもない人間とは、できるだけコミュニケーションを取らないようにしている。それは自分の抱える問題を増やさないようにするための、自己防衛手段だ。
ファミリー全体を家族として捉え、それをサポートするかしないか、それはおそらく僕とモナの永遠のテーマとなる。その都度話しあいをし、状況を判断し、そこにお互いの気持ちを加えどうするかを決める。最初からルールを作るのは難しい。それが分かっていても、時には声を大きくして逆らいたくなることがある。しかし、自分でもよく分かっているから最後は折れる。その繰り返しだ。フィリピン人をパートナーとする人には、必ずと言ってよいほど家族の問題に触れることになる。

度々恐縮だが、やはり自身の放浪記(改訂版)には、次の下りがある。
「姉のポリスをしていた内縁夫は、いつの間にか警察を首になり、意図も簡単に働かず遊んでばかりの問題児になった。正確には首になったのか、それとも自主的に辞めてしまったのか、僕には分からなかった。もしかしたらリンに日本人スポンサーができたことを知り、仕事をする気が無くなったのかもしれない。当時僕は、一人の金の成る木に一族みんながぶら下がる現象が、このような社会では往々にして起こることなど知るはずもなかったから、リンの姉夫婦のことにまで、おかしな疑いを持つことはなかった。フィリピン人男性のこの手の話は、リンの家族に限らずよく耳にしていたので、仕事をしないで遊び歩くお荷物になった程度のことはたいして驚くことではなかったが、そのことではこの先も、何らかの負担がかかりそうな予感があった。」

おそらくフィリピーナをパートナーに持つ日本人は、このような予感を必ずどこかで持っている。問題にぶつかると、分かっていたのに初めて知ったふりをして、問題から逃げようと行動する。これは防衛本能からくるもので仕方がない。僕はそのことを責めようとは思わない。自分も散々通ってきた道だから、そのことはとてもよく理解できる。しかし夫婦になってしまえば、そのことをはっきりさせなくてはいつまでも問題がある度に揉め、お互いに嫌な気持ちを残すことになる。
先ほどの明確にするのは難しいということと矛盾するが、しかし、背景を理解して話しあうことと、全く理解を示さずに話しあうことは、まるで違った結果を生みだすような気がしている。話しあいが決裂しようが、前者はパートナーとの間に何かを築き上げることができる。後者はお互い不満だけが蓄積する。そのことについて、僕が人生放浪記の中に記した通り、十分すぎるほど経験済みだ。もし過去の自分が今の自分のような理解の仕方をしていれば、あの人生放浪記の結果が変わっていたかもしれない。

このように記せば、僕は色々なことを経験し、何でも上手に対応できる聖人君子のように誤解される方もいるかもしれないが、実態はまるで違う。何度も同じ過ちを繰り返し、その都度考え、たまたまここに書いたようなことを思い出し、忘れないうちに記しておこうとしているだけだ。
重複するが、この家族サポートの件は、日本人とフィリピン人の夫婦にとって一つの大きなテーマである。この件については、間違った意見をぶつけても構わないから、その都度落ち着いて、夫婦間で何度でも話しをすべきことだろうと思っている。


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2012年06月13日

547.最近のユリ

僕が一生懸命パソコンに向かっている時に、ユリがとぼとぼと歩いて僕の横にやってきた。彼女が僕の横に立っているのが僕の視界の隅に入っていた。
「アノ―?ユリチン!」(なに?ユリ)
そう言って傍らにいるユリを見て絶句した。
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ベビーパウダーが大好きなユリは、ママの部屋でそれを自分に塗りたくっていたらしい。どうりで静かだと思った。すぐに落としてやろうと思ったが、せっかくだから写真を撮ろうとカメラを向けたら、ユリは何を考えているのか写真用の顔を作った。
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足にもたっぷりパウダーが塗られ真っ白。フィリピンで有名なホワイトレディーのようだ。
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すぐにモナがやってきて、パウダーを落としてあげた。最近ユリは、ますますやんちゃになってきた。そして意思表示がはっきりしている。
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昨日はユリにジョリビーに行こうと言ったら「ノー!グレイスランド!」とはっきり言われた。どちらもマックのようなファーストフードだが、グレイスランドには滑り台やメリーゴーランドやシーソーの遊び場がある。ユリはそこで遊びたい。そこで遊んだ帰り道、ジョリビーの前を通ったら「次はジョリビー」だと、彼女は勝手に歩いてジョリビーに入ろうとしていた。
「ジョリビーはネクストタイム!オーケー?」
「オーケー」
こんな感じでユリを諦めさせた。

もうどこに何があるのかはっきり分かっているユリは、レガスピに行っても自分の欲しいもの、したいことがある場所へ勝手に行こうとする。最近は幼児の誘拐が多いフィリピン。外を出歩いた時に目を離すのが怖い。
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とにかくユリは元気にすくすくと育っている。
今日はユリの家を引っ越した。ユリの家とは彼女のクリーブ(子供用ベッド)である。最近のユリは、いつもベルの部屋で寝ようとする。しかし寝付けないらしく、結局は僕とモナの部屋にある、自分用のクリーブに戻ってくる。そこでクリーブをベルの部屋に移動した。これで昼寝も夜も、ユリはベルの部屋にいることになる。今日は六月十二日でフィリピンの独立記念日だ。それに合わせてユリの自立心を促そうというわけだ。
ユリが三歳になったらクリーブを止め、ユリの寝床をベルの部屋にある二段ベッドにしようと思っている。
ミルクはいつまでにするか、おむつはいつ外すか、そう言ったことを普段からモナと相談して決めている。
その決めたことに沿って、最近はユリにおむつをしないで、トイレの使い方などと教える日もある。今のところおもらしはしないようだ。

ユリに関する心配ごとは一つだけ。それは僕に似て、足が短いことだ。このままではまずいと、ギョウさんに教えられた通り僕は時々、ユリに足を引っ張っている。ギョウさんは、引っ張れば伸びるよと言う。
「あなた何やってるの?」
「毎日足を引っ張ると伸びるらしいぞ」
「そうなの?」
しかし先日、モナがおかしなことをやっていた。ユリをベッドの枠に捕まらせ、足を引っ張っていた。
「ねえ、それだとどこが伸びるか分からないよ、それで胴や腕だけが伸びだらどうするの?」
「あっ!そうだね」
そう言ったモナは、ユリの腰を自分の足で押さえながら、足を引っ張っていた。他人からみれば、涙ぐましい努力に映るかもしれない。ユリはそんなこととはつゆ知らず、遊んでいるものと思っておとなしくしている。
僕は自分の遺伝子に、これほど強く責任を感じることになろうとは思ってもいなかった。
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2012年06月12日

546.温泉に行きたい

先日ある方から、新しいブログを立ち上げたとの案内メールが僕のPCに飛び込んだ。ご本人が、まだ誰にもおっしゃっていないということで、ここで紹介するのは遠慮しておくが、とにかくそこへお邪魔してみた。すると温泉旅行(職場の旅行)の話しが掲載されていた。それにより、僕の温泉行きたい病が再発した。

僕は久しく温泉など行っていない。モナは温泉に行ったことないけれど、彼女はテレビや雑誌で温泉や温泉宿の雰囲気を知っている。そこでたまに、二人で温泉に行きたいという話しになる。
そんな話しになると、僕はますます温泉に行きたくなる。開けっぱなしの窓からマイナスイオンがたっぷりのひんやりとした空気が入り、窓辺に腰かけ木々を渡り歩く鳥を眺めたり、そうした空気を感じながら畳の部屋に寝転がり本を読んだり、朝靄を見ながら風呂に入り、その後に卵焼き、干物、味噌汁、海苔の朝食を味わったり、刺身や煮物とビールの夕食を堪能したり、風呂上がりにのりの効いたシーツの布団にダイビングし爽快さを感じたり、そうした全ての感触や感覚が蘇り、あ〜、温泉に行きたいとしみじみ思う。そして、あ〜、僕はやっぱり、にっぽんじんだぁ〜と思う。
しかし、どれほどあがいても、フィリピンでそれを味わうことはかなわない。

ふと、もしフィリピンでそんな温泉宿を営業したら、フィリピン在住の、同じように温泉に飢えている人が訪れてくれるのではないかなどと考える。いや、僕がそんな宿を経営するなど、ボクシングの世界チャンプに挑戦しぼこぼこに返り討されるようなもので土台無理な話だから、誰かそれをやってくれないかなぁと考える。そうしたら、僕は無理をしてでも家族を連れて、3泊くらいでお邪魔したい。
しかし、このフィリピンであの日本の温泉情緒を再現するのは、とても難しいだろうと考える。どうやったらそれができるだろうか。温泉宿周辺の木々を植えかえるだけでも大変だ。あ〜、いい風呂だったと言って、窓からヤシの木が見えたらせっかくの温泉気分が大なしだ。完璧主義の僕が目指す日本の温泉は、そこまでこだわりたい。できれば雪見酒なども楽しめると最高だ。正月には除夜の鐘だってならしたい。温泉につかりながらちらちら降ってくる雪をながめ除夜の鐘を聞く。それでこそ日本の温泉だ。人工雪に冷たい風と、金がかかって仕方がない。
そこまで言うなら、「日本に帰ればいいじゃない」と言われそうだが、僕の話しは、フィリピンでそれを再現するところがミソである。
温泉宿で出す料理の食材も問題だ。蒲鉾、海苔、蕎麦、刺身、わさび。あ〜いい風呂だったと言ったところへココナッツ料理にバーベキュウーとサンミゲルビールを出したら客に殴られそうだ。少なくとも僕が客だったら、その時点で暴れる。常に清潔な畳を維持するのも大変だ。障子も浴衣も布団も全て輸入となる。蟻やゴキブリ対策もしなければならない。やはり無理か。

仕方ないので我が家の風呂にお湯をため、昼風呂でもして気分を紛らわせようと思った。実は一度もお湯をためたことがない。ユリを誘ってバスの中で遊びながら、バスタブにお湯をためてみた。我が家のバスタブはラブホテル並みに大きいので実に時間がかかる。しかも時間がかかるので、お湯が冷めて水になる。温水器の能力を上げてもよいが、熱い湯を出すと水栓のパッキンがあっという間に駄目になるので上げることができない。結局お湯が溜まるまで一時間。しかもたまったお湯は水になった。ユリはスイミングだと言って喜んで遊んでいる。
僕は泡だらけになった水風呂に浸かりながら、あ〜、温泉に行きたいとますます思う。


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