フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年06月11日

545.オムライスとナポリタン

ちょっとブログをさぼっていた。ブログをさぼっていると、皆さん僕が仕事で忙しいと思っていらっしゃるようだが、今回のおさぼりは仕事ではない。今思い切りはまっていることがあり、寝ても覚めてもそればかりという状態だが、ようやく一区切りついた。
僕は昔から何かに熱中し出すと他のことが一切見えなくなる性質で、まあそれで色々と失敗もしているが、モナはそんな僕のことをよく分かっているらしい。ユリも全く同じで、ユリのそのようなところは僕にそっくりだとモナが話している。

今日は違う記事を書いていたが挫折。急遽記事変更で料理報告を。
我が家は至って平和だが、モナが一昨日からやや体調を崩している。モナは体調が悪い者の特権と言わんばかりに、土曜日はオムライスが食べたいと言い出し、僕が夕食にそれを作った。我が家で初登場のオムライスに、みんながこれは何だと、初めて訪れる洞窟の探検の際、暗闇の中の様子をうかがうように、チキンライスの上にかかった卵をぴらぴらとめくり、食べる前に中味を確認していた。ジンに「朝ごはんみたいだ」と言われ、なぜだと訊いたら卵は朝に決まっているということだった。そう言えばここでは、朝以外に卵料理を見たことがない。中国に行けば「卵料理に外れなし」(僕の数少ない格言)というくらい、中国のレストランではアンパイの卵料理だが、フィリピンではランチやディナーの卵料理は反則らしい。ダディもママも、日本語で「おいしい」と言いながら食べていたが、朝ごはんだったら最高だなどと付け足すように言っていた。肝心のモナは、オムライスを食べたら途端に元気になって、食べ過ぎて苦しいとお腹を押さえていた。確かにうまかった。
オムライスはとても簡単にできる。コツは二つ。中のチキンライスをべたべたにしないよう、ケチャップを早めに入れてご飯を炒める人をよく見かけるが、そうすると逆にご飯がべたべたになってしまう。ご飯をバターと油でしっかりと炒めた後にケッチャップを入れなければならない。そうすることで、ケチャップがご飯の中に浸透するのを防ぎ、ぱらぱらに仕上がる。もう一点は、チキンライスの上にかける卵は焼き過ぎず、とろみがあるところで止める。とろとろ状態の卵をチキンライスの上に乗せるのは難しいが、フライパンの上の卵上にチキンライスを置いて、その上に皿をかぶせてひっくり返せばよい。
ぱらぱらのチキンライスにジューシーな卵が乗るだけで、もうどうやっても美味しくできてしまう。

その夜から昨日午前にかけて元気だったモナは、昨日の夕方に、再び体調が悪いと言い出し、またまた病人特権が発動した。
そんで、今度はなに?
と訊くと、モナは美味しいスパゲッティーが食べたいと言う。しかも、それは普段のミートソースではなく、トマトソースベースのイタリアンっぽいスパゲッティだそうだ。何とも我儘な病人のために、僕は再び腕を振るった。ここには酸味の効いた美味しいトマトソースがない。冷蔵庫の中には少量のひき肉があった。そこでスペシャルナポリタンを作ることにした。パスタに絡めるソースはケチャップではなく、特別に作るオリジナルソースだからスペシャルナポリタンである。ひき肉はオリーブオイルとバターでかりかりぎみに炒め、それを別に炒めたニンニクと少量の赤ワインと市販のトマトソースとケチャップを混ぜて軽く煮込む。塩と胡椒で味を整える。炒めたざく切りの玉ねぎをそこに入れて、終盤で細切れにカットした炒めたハムを入れる。最後にイタリアンハーブを食べた人がさりげなく気付く程度に入れてソースは出来上がり。ピーマンがなかったのが残念だった。あとは硬めに茹でたパスタをオリーブオイルで炒め、そこに特性ソースを絡めれば出来上がり。このナポリタンを家族は大絶賛。書くと大変だが作るのは簡単で美味しくできる。これでモナは復活。それまでの体調の悪さがどこかへ飛んで、いつもより元気になった。

チキンライスもパスタも、使用したケチャップはハインツという輸入物。これはタバコシティーのスーパーでも売っている。フィリピンのケチャップは甘いので要注意。イタリアンハーブは小瓶に入ったスパイスシリーズで売っている。これもどこにでもある。
普段手軽に手に入る材料で、いろいろな料理が作れるようになっている。
これを書いていたら、お腹が空いてきた。


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2012年06月06日

544.どうするか

アンとベルの学校初日、二人はランチのために一旦家に帰ってきた。
「アン、新しい学校はどうだ?」
「グッド、問題ない」
ベルにも同じことを訊いて、同じような答えが返ってきた。二人とも元気そうで、学校は楽しそうだった。何よりだと思った。
午後の授業も終え、夕方二人揃って家に帰ってきた。ベルは疲れたのか、少し頭が痛いと言いながら、塾(くもん)の宿題プリントをやり出した。アンは着替えをして少しの間ぶらぶらしていたようだが、そのあとどこかの部屋に入ってしまったのか、しばらく姿が見えなかった。
夕食前に、ずっとアンの姿を見ていなかった僕は、アンはどうしているかとモナに訊いた。
「アンはどこにいるの?なにか今日は静かだね、アンは」
「学校で何かあったかなぁ、アンの様子が少しおかしい」
「叔母さんは、それ知っている?」
「わからない、たぶん気にしていないなぁ」

初日がそうだったので、翌日ランチで帰ったアンと、僕はもう少ししっかり話しをしてみた。学校は楽しいか、勉強は難しいか、好きな科目と嫌いな科目は何か、友達はできそうか。嫌いな科目は数学だと言うので、今数学では何を勉強しているのか。
これらの受け答えで、特に彼女におかしな様子もないので問題はなさそうだと思った。
夕方二人が帰ってからも、アンに特に変な様子は見られなかった。ベルは家に帰ると、早速くもんの宿題プリントを始めた。
くもんの宿題プリントは結構な枚数があり、ベルは2階でも1階でも、常に片手にプリントを持っていた。半分遊びながら、半分テレビを見ながらプリントに取り組んでいるようにも見えて、遊びと勉強をきちんと区分けした方がよいと、後で言おうと思っていた。
夕食前モナに、アンが今夜から家に帰ると突然言われた。なぜ?と訊くとさぁと首をかしげるので、家に入る時も出る時も、ここでは何も気にしないのかと少し呆れなた僕は、ここはホテルじゃねえぞとぼそりとつぶやいた。
夕食後、僕はアンに直接訊いた。
「今夜から家に帰るの?」
「そう」
「バキィーット?」(なぜ?)
「ここは退屈」
「バキィーット?」(なぜ?)
アンは無言だった。
退屈だから帰ると言うのはいいが、その時点で時間は既に夜の9時半だ。場合によってはもう寝てもよい時間なのに、退屈を理由に家に帰るということは、それから何かあるのかとモナに訊いた。おそらく友達と遊ぶのだろうと彼女は言った。スクオッターエリアは夜中まで、子供がいっぱいだ。叔母さんはアンが家に帰ると言い出したことに、いいとも悪いとも言わない。まったく無反応だ。
僕にとって、アンが家に帰ると言うのはまったく構わない。親戚といえども違う家族の話しで僕には何も責任がない。それでも何かがおかしい、引っかかると、僕はしばらく一人で考えて見た。

・夜の9時や10時や深夜にかけて子供同士で遊ぶことがよいことなのか。そこには何かの罠がないのか。僕には落とし穴があるような気がしてならない。
・テス叔母さんは、アンをそんな生活から切り離せると思って安心していたのではないのか。しかしテス叔母さんは無反応だ。
・アンの退屈だからそのような生活に戻るという言葉に、大人が彼女を導くことをしてあげるべきではないのか。しかし僕は親ではないし彼女をきちんと預かっているわけではないので、そんなことを話してよいかどうか迷いがある。そこで彼女を強制すれば、僕にもなんらかの責任が生じる。テス叔母さんはずるく、心の中でこちらからここにいなさいという言葉が出るのを待っているのではないか。
・モナはアンの頭が悪いと言うが、僕の見るところ、彼女は結構素質を持っている。我が家でベルと同じように勉強をする癖を身につけたら、アンは思ったよりも伸びるのではないだろうか。長い目で見れば、ファミリーにとってそれはよいことではないか。

色々なことが頭の中を巡った。
あくまでも仮の話だが、アンがもう少し年頃になり、そんな生活の中で妊娠でもしたらどうなるか。おそらくこちらに泣きついてくる。テス叔母さんはアンが妊娠した事実をこちらに伝え、あとはお金を貸してとも助けてくれとも言わない。テス叔母さんがこちらに事実を伝えるのは、こちらが勝手に心配することを期待してのことで、後はだまっていてもどうしようかと周りが深刻に考えてくれる。テス叔母さんに親としての心配はあるだろうが、自分は何もできないという諦めが最初からある。そんな親の子供が子供を産んだら最悪だ。一から十まで孫の面倒をみるように、こちらの負担が増えそうだ。
ここで、それは親のあなたの責任だ、自分で考え自分で何とかしなさいと言えれば、叔母さんはハッと気付いて、そこで初めて親として真剣に悩みだすような気がするが、どうもここのファミリーというものはそうならない。
ママやモナは、まるで自分の扶養している家族のように、あれこれと悩みだす。放り出したらとんでもないことになると思い込んでいるから、必ず周りで何とかしようと動くことになる。そこで悩んで何とかしてしまう人だから、これまで頼られる生活を築くことができた、とも言える。テス叔母さんは何も考えることができない、考える気力のない人だから、この先どう頑張っても、アンが玉の輿に乗る以外に人並みの生活を手にすることは難しい。
そして重要なのは、我が家がアンを導くまねをしてもしなくても、最後は我が家に責任の一端があるような形になり、物心でサポートすることになってしまうだろうということだ。
毒を食らわば皿までの精神で、もう少し積極的に関与すべきだろうか。それともよきにはからえと、殿様気分で傍観すべきだろうか。
ここでにわかに、僕は悩み始めている。こんなことで悩むなんて、あ〜、僕はまだ日本人だったと気が付いた。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:544.どうするか
2012年06月04日

543.新学期

今日から子供の学校が始まった。約二カ月の休みが終わって今日から新学年となる。昨日散髪に行ったら、明日から新学年がスタートするので、今日は朝から全くお客が途切れない、アメリカは九月だが日本はいつだと訊かれたので、四月だと教えてあげた。
それにしても本当に学校の休みが長い。この新学年スタートに伴って、我が家の朝は昨日と打って変わりあわただしいものとなった。それだけではなく、我が家にはもう一つの変化がある。
昨夜から、テス叔母さんの娘のアンが我が家に泊まり込んでいる。彼女は小学校を卒業し本日から日本で言う中学に通うことになるが、その中学校が我が家の近くにあるため、ここから通いたいということである。

この家に泊まり込む話しになった時、僕は少し違和感を覚えた。泊まり込むということは、授業が終われば学校から我が家に帰り、夕食をしシャワーをし就寝し、起床、シャワー、朝食を済ませまた学校へ行くことになる。つまりこの家でベルと同様に生活するということだ。まるで我が家の娘のように、と言ってもよい。
もともとアンは、いつも我が家にいて食事も何もかも一緒だったから、そのことがこれまでと大きく変わらないといえば変わらない。それだからママもモナも安易にそうしてもよいと考えているようだったが、僕は、根城が自分の家であることと我が家になることには、簡単に考える以上の違いがあるような気がした。それは子供から大人に変わる大切な時期に、我が家でアンを預かるということと同じではないのか。
そのことは我が家にとって、どこまでの責任が伴うのことなのか、その点においてテス叔母さんとどのような話しになっているかをモナに訊いてみた。

すると、アン本人は我が家から学校に通いたいと言っているし、ベルもそうして欲しいと言っている、テス叔母さんもその方が安心のようだと言う。
テス叔母さんに安心してもらうのはいいが、叔母さんは親としての責任をどう考えているのか、僕はそれを訊きたいのだ。これで荷物が一つ減ったとういう感覚で安心されても、こちらは困る。案の定、その辺については全く考えてもいなければ、話しもしていないようだった。

犬や猫を貰ったり預かったりするのとはわけが違うと僕は言った。
もしベルやユリが、学校が近いというだけの理由で親戚の家から学校に通いたいと言いだしたら、僕は反対するがあなたはどう考えるかとモナに訊いた。モナも、それは嫌だと言った。なぜ嫌なのか、それは子供を毎日観察し、子供の変化に親が日々対応することの大切さをモナが無意識に感じているからだろう。子供と離れたくないという愛情もそこには含まれているだろう。
そんなことを考えてみれば、今回のアンの件もあの親子にとっては簡単なことでないことが分かるはずだ。ただでさえ親としての情が足りないように見えるテス叔母さんにとって、アンをこの家に預かるということは、あの親子の絆がますます希薄になることを意味する。親としての責任まで放棄されたら、自分たちはアンを我が家の娘として育てることと同じ負担を背負うことになる。経済的なことは何とかなるとしても、それ以外でそれだけの責任を負う覚悟があるのかということになる。中途半端に考えていれば、不幸になるのはアンである。
実際には他にも問題がある。我が家で僕たちがベルやユリにしてあげることを、アンにも同じようにしてあげるのか。モナはそんなことはない、そこは割り切るべきところだと言ったが、同じ家に住んでいながら二つの相反するスタンダードに、まだ子供のアンが耐えられるのか。子供のアンにそのような辛さを味あわせるのは可哀そうだとなるから、我が家でベルやユリにしてあげることにはアンにも同様にすることになるだろう。こちらの生活に慣れた人には、現地のお金持ちがするようにきっちりと分けるべきだと言われそうな気はするが、日本人の自分にそのような割り切りを持つことは、実際に難しい。
ママはこれらの話しに、確かにその通りだと同意してくれた。

さて、その話しを踏まえどうするかを、ママとモナに決めてもらった。その後の決定がどうなろうと、僕は反対するつもりはなかった。僕は伝えたいことだけを伝えただけだ。
二人の結論は、アンを我が家に泊める、ただしテス叔母さんは毎朝我が家に早く来て、朝食を一緒にすることを含めアンの学校に行く準備を叔母さんが手伝う、そして彼女がでかけるのをここから見送る、それが条件だった。
僕はなかなかよい折衷案だと思った。それをママがテス叔母さんに、アン同席のもとで話した。アンはその場で、ちゃんと早く来てねと叔母さんにお願いしたそうだ。
そして初日当日どうなったのか。テス叔母さんは、アンが学校へ行く準備をし朝食を食べ、とっくに学校にでかけてから、いつもの時間通りに我が家にやってきて、まずはコーヒーを飲み、そのあと黙々と朝食を食べていた。

おいおい、初日からそれかよ。僕が率直に思ったことだ。モナにこっそり訊いてみた。叔母さんになぜ遅く来たのかを訊いたかと。訊いたそうだが叔母さんはノーレスポンスだったらしい。あなたが直接言えば、叔母さんも従うのではないかと言われたが、僕には荷が重すぎる。英語が苦手で反応のない叔母さんと込み入った話をするのは、とてもじゃないが無理だ。下手をすればこちらの血管が、頭の中でプチっと音を立て切れる。切れると事態は悪化する。その場合の事態の悪化は、ママもモナも相当困るものになるだろう。

以前モナのビジネスで半年近く未払いになっている金を取りたてる必要があった際、モナに協力を要請された。僕はあらかじめ、僕はあなたたちのように妥協はしないし切れたら声を大にして物事をはっきり言うけれど、それでもいいかと念を押した。それでもいいと言うので僕が矢面に立って交渉し、結局それからお金の回収は進むようになった。しかしその時の僕があまりにもやくざのようだったので、モナが恥ずかしいと、その後は決して僕にお願いすることは無くなった。
今回の件にしても、もし僕が直接話しをしたら、それと同じになる可能性があることを僕自身がよく分かっている。僕に言わせれば物事を明確にしているだけだが、それがこちらの人には脅迫と同じように映るようだ。

フィリピン人とは、日本人以上に曖昧さを好む民族だと僕は思っている。それでも物事を曖昧にしにくい英語を使っているのだから、曖昧なやり取りは難しいだろうと思うが、フィリピン人は言葉の上では物事をはっきりさせる。はっきりさせたつもりなのに結果が伴わない。
もっと分かりやすく直接的に彼らの曖昧さの例をあげるとすれば、たくさん出てくる。例えば誰かと待ち合わせをする際に、それじゃ午後に、などと言って話しが終わる。午後とは何時か、1時かもしれないし4時かもしれない。そんなことは誰も決めない。それでもここでは何のトラブルもなく何とかなる。おそろしくアバウトな世界がここにはたくさんある。こんなところがフィリピン人の曖昧さの実態だ。

それは時にストレスを緩和し、みんな笑って過ごせるのだからよい面もある。僕がそこに物事をはっきりさせろと介入することは、平穏な海に大きな波風を立てることと同じだ。だから僕は表に出ない方がよい。それは僕がここで生活する上で学んだことである。そう思うことで僕自身のストレスは激減した。おそらくこのブログのフィリピン生活編を最初から辿れば、僕のそのような心境の変化が如実に表れているのではないかと思っている。
さてアンの件は、どのようになっていくだろうか。しばらく様子を見守ることになる。


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