フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年06月03日

542.アプリケーション

モナと子供の教育に関する話しになった。二人の教育に対する基本的な考え方は、全く異なる。
モナは、とにかく学校の成績が上がれば満足する。それ以外に望んでいることはないようだ。学校の成績が上がるとは何か、それが何を意味するかはよくわかっていないようだ。
学校の成績が上がることについては僕にも異論はない。上がればそれに越したことはない。とりあえず小学生の今は、学校の成績が上がることは反復練習・訓練の効果が上がっていることだから結構なことである。しかし僕がもう一方で重要視するのは、その成果を応用(アプライ)できるかである。基本が分かっていないと応用は難しい。応用(アプリケーション)とは組み合わること、発展させること、視点を変えることである。そのためには基本を知らないといけない。3+5を8と答えられるより、なぜそれが8になるかを分かっていないといけない。その部分を考えるために寄り道をすることで学校の成績が上がらないのであれば、僕はそれを大歓迎だ。そこがモナにはどうしても理解できないし、僕が上手に説明することも難しい。

モナに質問した。円周長の求め方は何だ?2×r×πと答えが返ってきた。
なぜその数式で円周の長さが求まるのか?πは3.14だがこの数字は何か?
モナは途端に答えに詰まる。実は分かっているけれど分からないことは多くある。
円を描いて円周上に縫い糸をぐるりと置いて長さを測ってみる。それでおおよその円周長さが分かる。その長さを半径r割ってみたら、3.14×2に近い数字が電卓から飛び出す。どうやらπは、やっぱり円周と関係ありそうなことが分かってくる。
正三角形の頂点を合わせ6個並べると正六角形ができる。正六角形の外周長は簡単だ。正三角形の一片をrとすれば、外周長はr×6である。これを変形してみると2×r×3となる。ここの3とπの3.14が似ている数字になるのは偶然ではない。正n角形のnをどんどん増やしていけば正多角形は最後に円になる。そうやって3の数字を詳しく探っていくと、これがやがて3.14になっていく。そこで、やはり円周率は3.14になると分かってくる。これは大人でもまじめに取り組むと面白い。
日本では最初に直角を90度、一周すれば360度と教わる。高校に進むとこの一周360度をラジアン単位として2πと教わる。なぜ2πなのか。半径rを2π分ぐるりと一周させれば円周長になるのだから、この2πという表し方は実は合理的である。
基本はこうして密接に関連し合っている。このような基本を理解してしまえば応用が楽になる。

もっと平易な例で言ってみよう。
足し算は足すことである。しかし積み重ねの意味がある。積分の意味を熟知している方なら、それはすぐにピンとくるだろう。割り算はものを分ける意味がある。しかし割合の意味が含まれている。これはパーセントの計算ができる人ならすぐに分かるだろう。+や÷の単純記号を様々な視点から捉えれば、そこには実に多くの意味が含まれている。3+5の答えを8と答えてくれることに満足するのはよいが、+や÷の意味が何かをしっかりと教えことも有意義だと分かってほしいのだ。
長方形の面積の求め方は短辺長×長辺長である。なぜそうなのか。これは短辺長を長辺長分だけ積み重ねて求められたものである。つまり足し算でも計算することができることを知るのが応用に繋がっていく。

モナは突然、最近は雨が多くなったねと言った。昨日は本当に、強い風を伴う雨だった。小さな船が行方不明になり40人が行方不明になる事故も発生している。
どうやらモナは頭が沸騰し始めたようだ。しかし僕はしつこい。
ロープレッシャー(低気圧)になるとなぜ雨が多くなるのか?モナがロープレッシャーだからでしょうと答える。なぜロープレッシャーだど雨が多くなるかを訊いていると追い込むと、やはり彼女は口をつぐむ。
水は高いところから低いところへ流れる。電気(電流)も高いところから低いところへ流れる。空気も同じで高い気圧のところから低い気圧のところへ流れる。するとどうなるか。低いところへ吹く風に乗った雲が低気圧のエリアに集まってくるではないか。四方八方から空気が流れ込めば、それが渦巻きになって雲を巻き込んだ台風になるではないか。
つまり上空の気圧をコントロールできれば、人は天候をコントロールできることになる。雨が欲しければ気圧を下げ、周辺の狙った雲をおびき寄せる。明日は運動会や遠足だからと上空を高気圧して雲を一掃すれば、気持ちのよい晴れになる。そうなればこれからはテレビで流れる天気情報は、天気予報ではなく天気予定となる。「国の発表したところによりますと、向こう一週間の天気予定は次の通りです、洗濯物、イベントはこの日にして下さい」などとなる。台風被害の大きいフィリピンは、周辺海上の気圧をコントロールし台風の発生を防止することもできる。
自然をコントロールすることは是非があるだろうが、これは単なる例である。基本を知って何かを考える、すなわちこれがアプリケーションだ。
このように言えばモナにも分かる。しかし3日も経てばまたもとに戻る。なぜなら彼女は、フィリピーナだから。
フィリピーナに対しては、基本を知ってアプリケーションに至るまでもたずに沈没する方が多い。これはまことに残念なことだ(笑)


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:542.アプリケーション
2012年05月31日

541.線引き

フィリピーナと付き合う時の線引きについて尋ねられた。どこまで彼女たちをサポートし、どこで他人として突き離すかについての線引きである。
これはとても難しい。相手がフィリピーナでなくてもそうだ。
僕は一度この質問に、最初は悩まずに答えた。自分の生活のことは自分の責任で行わせる。生活の面倒は一切見ない。それを明確にして相手が離れて行くなら、それは仕方ない。
これは僕の経験則である。生活の面倒をみすぎて失敗し、そのあと間逆の態度を貫いて今の結婚に至った。ある意味正解だ。
しかし僕は、それを自信満々に伝えたわけではなかった。これが不正解だと、僕自身がどこかで勘づいているからである。
結局は、無理をせずにできる範囲で助けるのがよいという話しになった。自信もなければふらついた話にもなった。

僕はこのことについて、後にじっくりと考えてみた。なぜ自分の答えに自信を持てないのか。なぜそれが不正解だと勘づいているのか。考えて気が付いた。
僕は最初の経験で、自分が他人をサポートする才覚に欠けていることを気付いたのだ。だから次に、きっちりと線を引いてしまった。最初から線を引けば楽である。そのルールに従って自分の言動を決めればよい。迷ったときにはそのルールに従う。状況判断が不要だ。才覚のない人間でもそれならなんとかなる。僕の最初に話したことは、このように苦し紛れに決めた自分だけのルールにすぎない。そんなものを、自信をもって他者に勧められるわけがない。

本当の意味で頭のよい人は、いつも的確な状況判断ができる。状況判断をするためのパラメータは人によっていろいろあるだろう。
相手の自分に対する気持ちの変化、相手の努力の状況、どの程度切羽詰まったものか、相手から見合うだけの幸せをもらっているか、信頼関係に基づくお願いか単に鴨扱いか、同義的意味があるか、そして肝心の自分の気持ちはどこにあるか。
この中で、自分が客観的に判断できるものとそうでないものがある。自分の気持ちがどこにあるのか、これだけは自分自身のことなのに、客観的に捉えるのが難しい。いつの間にかそこに理屈を入れてこねくり回すと、時に底なし沼の泥の中に沈んでいく。それが状況判断を難しいものにする。そこさえしっかり掴んでいれば、自ずと答えが見えてくる。

愛とは見返りを期待するものなのか?愛するということは、それほど冷静なことなのか。
答えは二つ。イエスとノーだ。人は心のどこかで、必ず何かを天秤にかけている。こんな人と恋人同士になれたら幸せだろう、こんな人が自分のパートナーになってくれたら僕の人生は充実するだろう。それは紛れもなく一つの期待である。誰かに魅かれるというのは、きっとそんなところだ。相手の何かに共鳴し、期待を持ち始め、その人が必要だ、その人が欲しいという気持ちに変わっていく。
その気持ちが強いほど、それは無条件の愛や友情に変化する。そうなると心の中の天秤は、単なる参考程度になり下がる。相手を喜ばせたい、安心させたいという気持ちが強ければ、相手につくすことで自分が安心して幸せになる。その心情には自己満足的要素もあればもっと純粋な気持ちも含まれているが、それを区分けするのは難しい。
ここにこそ、自分の気持ちを客観的に判断できなくなる要因が含まれている。

ここでまた一つ、自分の経験則を言わせてもらうと、状況判断で底なし沼に入る人は、多かれ少なかれ相手に対する愛もしくは友情、もしくは極めて人間的な情を持っているといってよい。そうだからこそ悩んでしまう。
よって、悩んでみても分からな人は、迷いながら相手を助け、そのことでまたどうしたらよいかと悩んでしまう。その点で僕の本当の結論は、悩んだら徹底的に進んでみる、である。進むということは、決して際限なく相手を助けるということではない。逃げないという意味だ。逃げないということは、悩むことを恐れず、その都度考え結論を出し、それを相手にぶつけて理解を得ることだ。進んでみて何があるかは分からないけれど、それが悪い結果をもたらせば、一つの教訓になる。それこそが貴重な人生経験となる。こうして得た結果は、それがどのような結果になろうと後悔が少ないように思える。

状況に依存しない安易なルールは、実はもろ刃の剣と同じだ。それで人の心を掴むことは難しいからである。なぜ人が人に心を奪われるのかをよく考えてみれば分かる。優しさ、慈悲といった人情のない、まるでコンピュータープログラムのようなルール追従型の人に、誰が魅力を感じるだろうか。人間はぶれるからこそ魅力がある。何が飛び出すか分からないから面白い。決まったルールに沿っていつも分かり切った答えを出す人は、先が読めてつまらない。そんな人は、悩むという人間に与えられた最大の機能を放棄したマシンと同じだ。この世の人間が全員マシンになってしまえば、おそらくこの世に愛という言葉はなくなるだろう。

ついてはどこで線引きをしたら分からない人は、悩んで頂きたい。悩むことが当たり前で、その都度悩んでみようと腹をくくれば、悩むことに恐れがなくなる。自分は大丈夫かと不安を覚えることも当たり前のことで、みんなが同じだと認識すればよい。悩むところに人間としての味が滲み出る。悩む際に、自分が譲れないことだけを、一つか二つ決めておく。長い将来を見据え、今、自分の生活基板を考えるのが大切な人は、援助できる上限を決め、その範囲で悩めばよい。
おそらく人とは、誰もが死ぬまで何らかの悩みを抱えるものだろうと思われる。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:541.線引き
2012年05月29日

540.非常事態

つつがなく夕食が終わった。今日はパパイヤのココナッツミルク煮のようなものと、ポテトとチキンのスィートアドボ・パイナップルソース(僕が勝手に名前を付けた)。僕が以前、フルーツはご飯のおかずにはならないだろうと記事に書いて、フィリピンではそれも夕食のおかずになるという鋭い指摘をコメントで頂いたが、今日はまさにそのご指摘通り、フルーツづくしのおかず。僕はもともとフルーツをまぜた料理が嫌いで、例えば日本でも見かけるマヨネーズを使ったサラダにリンゴを入れるとか、缶詰のみかんが入っているものはほとんど受け付けない。見ただけでげんなりしてしまうが、今日のおかずは一味違った。パパイヤの方はコクがあり、南国のカレーを思わせる味。僕は食卓に胡椒と唐辛子を持ってきて、それにがばがば振りかけてみると、なんとカレーになった。そしてパイナップルの方は、ほんのり甘いソースにパイナップルの酸味が効いてこれもなかなか。自分もここの料理に慣れてきたのかもしれないなどと思いながら、満足してご馳走様を宣言した。
二階へ上がろうとした時に、モナがグヤバノを買ってきたから食べようと出してきた。以前初めて見せられた時には、白くてぐちゃぐちゃした実に一瞬たじろいだものだが、勇気を出して食べてみたら美味しくて、それから好物になった。いいねと言って早速ダイニング脇のテラスに移動し、モナと一緒に食べた。

いやぁしあわせしあわせ、ごちそうさま〜、などと叫んで二階へあがると、階段を上がり切って廊下に足を付けた瞬間、ビチャ!
誰か何かをこぼしてそのままにしたなあ、しょうもないなぁ〜などと思い、もう片方の足を床につけると水をかくような妙な抵抗感が。床が白いタイルなのですぐに分からなかったが、廊下はなぜか水浸し。
あああああぁぁぁぁ〜、たいへんだああああぁぁぁぁ。
それがまるで総員出撃ぃぃぃ〜とでも聞こえたのか、家族全員がどたばたと二階に上がってきた。
みずぅ〜。あああ!これなにぃ?ん?トイレから何か聞こえる。
僕が二階の廊下突き当たりにあるトイレのドアに耳を付けると、シャーっという音が。ノックしながら、さっきまで全員一階に揃っていたのだから誰もいるはずがないと気付いたが、一応三回のノックに応答がないのを確認し恐る恐るドアをあけると、お尻洗い用シャワーホースの付け根から水がほとばしり、トイレの床はちょっとしたプール状態。後ろでモナの、キャッ、すべる〜などという声を聞いてハッとした。
ユリはどうした?ユリはクリーブの中よ、ベルは?ママの部屋。
こんな所でベルやユリが転倒して頭でも打ったら大変だ。とりあえず安心するが、確かにトイレまでの道のりはツルツルして危なかったのを思い出し、総員退却ぅぅぅ〜、じゃなかった、スリップちゅうい〜と僕が叫ぶ。
後ろを振り返ると、狭い廊下にモップを持ったモナやママやテス叔母さんやジュン叔父さんが、戦闘準備オーケーと言わんばかりに既に並んで待っていた。
とつげぇきぃ〜〜という合図で、みんなが一斉にベルの部屋、廊下、二階リビング、テラス前へと散らばり、せっせと床掃除を始める。
被害ほうこくぅ〜!僕の部屋、ママの部屋は双方被害なし。よし!ベルの部屋損傷多し。分かった!リビングのソファー裏にも浸水!心してかかれ!まるで戦闘状態だ。
ユリは何も知らずにクリーブの中で、iPadで遊んでいる。
どうやらトイレのシャワー工事をしたのはダディーのようだ。ダディーがママやモナの集中砲火を浴びてたじろいでいる。ビコール語に慣れてきた僕にも何を言っているのかさっぱり分からない言葉が、まるで機関砲から飛び出す火の玉のように飛び交っていた。
アノサビモォ〜?(何言ってる?)
僕の大きな一声に、いつも心のないロボットのようだと非難されるテス叔母さんが、珍しくふふふと笑いだす。
ようやく鎮火、いや、水を吸い出し拭き作業が終了すると、今度は廊下にあちらこちらから扇風機が運び込まれ、電源が入れられた。なるほど乾燥作業に入ったらしい。非常時になると日頃ファミリーの結束が固いと言われるだけあって、素晴らしく素早い連携プレーと機転のきかせ方だ。
え〜、とりあえず平常に戻ったので、これで非常態勢を解除する。
気が付いたら司令官は、汗だくになっていた。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:540.非常事態

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