フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年05月10日

524.デンタルクリニック

ダディーが入れ歯を作った。
デンタルクリニックから戻ったダディーに、みんなが笑ってみてと言うと、ダディーは綺麗に揃った歯をしっかりと出しながら笑ってみせていた。
それを見て僕は、笑ってとお願いされて笑えるのはフィリピン人の特技ではないかと思っていた。写真を撮る際にも、みんな笑顔を作る。ユリでさえ、写真撮影用の顔を作る。しかし僕は、写真を撮る際に笑顔を作れないし、笑ってと言われると逆に顔が引きつる。なぜ笑える状況ではないのにあれほど見事に笑えるのか僕には不思議で、それはフィリピン人の特殊技能のように思えてしまう。
とにかくダディーの歯がない事で間の抜けた笑い顔は、突然締まった印象に変わった。
あまりに色男になってしまうとママがダディー虫につくと心配するが、もう簡単に虫がつく歳でもなければお金持ちでもないので、少し立派に見えるようになって良かったのではないか。

僕はフィリピンのデンタルクリニックには行ったことがないし、これからもできるだけ行きたくないと思っている。
もともと歯科医院が嫌いなことは勿論である。(好きだという人はあまりいないと思うが)あの、見事に人の神経を逆なでする電動ドリルの歯を削る音が、大嫌いだからである。
それに、子供の頃に通った歯科医院の歯科医が、帽子とマスクで顔の大部分を覆い、わずかに露出している目に細いメガネをかけていたその容姿が全く堅気の人には見えず、とても怖いと感じてトラウマになった。
最近は優しそうな歯科医も増えたが、「痛かったら手を上げて下さ〜い」などと軽く言ってくれるので少し安心して治療を受け、とても痛いので手をあげたら「我慢してくださ〜い」ともっと軽く言うので、「あああ・・」と呻きながら何のために手をあげるんだと憤慨し、それから歯科医の上辺の優しさを信用しないことにした。

それでも歯に問題があれば、行きたくなくても行くことになる。特に最近はできるだけ早めに治療するように心掛けているし、時間があれば定期健診とクリーニングなどのために、通った方が良いとも思っている。前回の日本訪問時は健康診断に留まったが、次回は歯科検診に行こうと思っているくらいだ。
なぜそうかと言えば、できるだけフィリピンのデンタルクリニックには行きたくないからで、何か問題があるなら日本で治療を済ませてしまいたいと思っているからに他ならない。

フィリピンで気が付くことの一つは、歯が欠けている人が多いということだ。ダディーももともとは、上の前歯が一本か二本しかない。
原因の一つは、いつも酒を飲んで酔っ払って歯磨きせずに寝ることと、虫歯になっても歯科医院に行くお金がないことだと思っていたが、他の理由があることを知った。
仮に歯科医院に行っても、こちらの歯科医は簡単に歯を抜いてしまうのである。乳歯でなければ二度と生えてこない歯を、もったいないなどと躊躇せずに抜き、その後は入れ歯を入れたら良いと考えている。
もちろん虫歯の早期段階で歯科医院に行けばよいのかもしれないから、痛くて我慢ならなくなるまで放っておく本人も悪い。
しかし、そのうちデンタルクリニックに行かなくちゃと言っていた人がいざ行くと、ばたばたと歯を抜かれて歯抜けになってしまう。一度の通院で、3本くらいは平気で抜いてしまうらしい。僕はその実際を聞いてぞっとした。

かつて日本のPPで、若く美しいフィリピーナが大笑いをした時に、口から入れ歯が飛び出し同僚フィリピーナが慌ててそれを受け止めた現場にも居合わせたことがある。これには本人も含めみんがますます大笑いだったが、美しいフィリピーナが歯抜けの状態で大笑いするのは、幻滅するので止めて欲しいと願ったのも事実だ。

僕の日本人の知り合いは、フィリピーナに、歯の治療はフィリピンが早くて安いから良いとそそのかされ、それを真に受けてフィリピンで治療をしたら総入れ歯になってしまったという笑い話も実際あった。(話しを聞いたその時は、ここで笑っていいのかいけないのか、随分悩んだ)
なぜ治療方針をきちんと確認しなかったのかと尋ねたら、医者との話しはフィリピーナが仕切って勝手に話を進めていたので、自分は身を任せていただけという話だった。
(それはあんたが間抜けすぎると言ったところで、場がようやく笑ってもよいという雰囲気になり、やっとみんなで笑えた)

しかしこれらの事実は、今の自分には他人事ではなく、もし自分がフィリピンのデンタルクリニックに通うはめになれば、その無残な過去事例を十分に活かさなければならない。
とにかく治療に対する考え方が根本から違うのだから、フィリピンでの歯の治療は要注意である。

日本の歯科医院に通ったフィリピン人がよく言うのは、日本は治療が長い、何度も通わなければならない、だから面倒だ、ということだ。確かにそれは認めるが、日本の歯科医は治療に際し、オリジナルの歯をできるだけ残す治療方法を考える。そのために根の治療に時間をかけるから、治療期間が長くなる。
そのような治療は、フィリピン人の気質に合わないのか、それともフィリピンの歯科医にはそんな技術がないのか、もしくは歯科医がそのような計画的治療を好まない(できない?)のか、とにかく「抜いて入れ歯」がこちらの歯科治療の基本であるように見えて仕方がない。(田舎町だけの話しかもしれないが・・)
良く考えれば、現存の歯を丁寧に治療するには優秀な歯科医だけではなく、優れた接着材や材料、優秀な技工士、細かい道具や設備、薬など、様々な周辺環境が必要となる。このフィリピンの田舎に、それほど素晴らしい環境が整っているとは考えにくい。

ダディーは入れ歯の具合が悪く、装着すると痛いと言って顔をしかめていたが、歯科医には3日間は外すなと言われたそうだ。日本のように、入れ歯をその場で丁寧に合わせてくれることはせず、歯ぐきが入れ歯に慣れるまで待てというのが基本らしい。もっとも日本でも、入れ歯は慣れるまで大変だという話しを聞いたことがあるから、それに関してはそれほど差がないかもしれない。
とにかくダディーは入れ歯の違和感と痛みに耐えられず、翌日には入れ歯を外していたようだ。このように現地の人も入れ歯には辟易しているにも関わらず、歯科治療で入れ歯になることは珍しくない。
もっともダディーの場合は、もともと歯がなかったので入れ歯を作るしか選択肢がなかったわけで、これはもう諦めて、入れ歯を使いこなしてもらうしかないのだが。

フィリピンにもインプラントがあり、それは日本に比べて随分と安いらしい。
しかしインプラントは、歯ぐきの下の骨まで削り、そこにボルトで義歯を固定する立派なオペなので、いくら安くてもフィリピンでそれをするのは技術的に大丈夫かという余計な心配がついてくる。
その治療内容をきくとフィリピン人は、顔の骨を削るのは怖いと感じるらしく、金額的なことや技術的なことより恐怖が先に立ち、インプラントをあまり考えないようだ。
しかし本当に上手に安くできるなら、入れ歯よりはインプラントの方がはるかに良い。骨に直接固定し、まるで自分のオリジナルの歯と同様に使えるからである。

僕もこのままフィリピンに住み続ければ、気付いた時には総入れ歯になっている可能性があるが、できるだけ今持っている歯を大切にしたいし、必要な治療はできるだけ日本で行いたい。
今ある歯のうち2本は、大枚をはたいて入れたセラミック製の義歯である。我が家で2か月間食べていけるだけの値段がしたので、それも要らないなどと簡単に抜かれるのは悲しすぎる。それは僕には珍しく、後々自分の財産として残るお金の使い方をした物なのだ。
それ以外には、若干の革製の鞄があるだけで、他に財産と呼べるものが自分にほとんどない。(普段使用しているブランド品はメガネだけ。時計も財布も身につけるものはほとんど安物。アクセサリーはもともと嫌いなので結婚指輪以外なし)
これまで結構なお金を使っているつもりで、自分に何も残っていないというのは何なの?・・・という気がしないでもないが、つまり口の中にある2本のセラミック義歯は、物として、僕にとっての希少で貴重な財産ということになる。

しかし幸いなことに、フィリピンではこのセラミック義歯の貴重さが分からないようだから、金歯のように殺されて持っていかれることはなさそうだ。
殺されて歯抜けの状態で発見されるのは、余りにも悲しすぎる。
想像した歯抜けの死体で発見される自分にぞっとしながら、「金歯はやばい」などと考えていた。


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エントリー:524.デンタルクリニック
2012年05月09日

523.ハム発見

昨日朝、モナがビコールSさんの奥さんへ電話をかけ、ベッドの上でくつろぎながらしばらく話していた。現地の言葉で話しているので、僕に話しの中味はとんと分からないが、時々楽しそうに笑っている。

机で仕事をしている僕のところへ、モナが電話を持ってきた。
電話を耳につけると、向こうも丁度奥さんからSさんへ変わっているようだった。
「もしもし〜、今、ルソン島の北の端まで来てるんですよ」という、Sさんのはつらつとした声が電話から響いてきた。
「台湾が見える場所です」
「え?台湾が見えるんですか?」
本気で驚いて聞き返したら、「いやぁ、実際には見えるわけはないんですけどね」と言われた。

Sさんは落ち着いたら家族旅行でもするかと言っていたが、アラバンの自宅からバギュー(マニラ北寄りにある観光地、高地で涼しい場所)へ寄り、ぶらぶらしながらとうとうルソンの最北端まで行ってしまったようだ。
「昔現地に日本の将校の娘が置き去りにされて、みんなが殺してしまえなどといきり立っていたらしいんですが、神父さんがその娘を守ったなんて話が聞けて面白かったですよ」
などと、途中で寄った村か町で仕入れたエピソードなどを交えながら状況を説明してくれた。

「ところで今妻から聞いたんですが、例の水を飲んだらMarkさんがとても元気だなんて言ってますけど、そうなんですか?」
「その元気とは、夜のおはなしで?」
「ええ、まあ、そういうことになるんですけど」
どうやら話題の核心に入ったらしい。
「やっぱりそんなことを話していたんですか、そんなことはないですよ、いつもと同じですって」

などと言ったあとに、いつもそんなに元気なんですかなどと突っ込まれるかもしれずしまったと思ったが、まだ日の高い午前中から、そこまで突っ込んだ話にはならずに済んだ。
まあ、「強いて」言えばその日はたまたまという言い方もあるが、正直なところ、いつもとそれほど変わりはないと思っている。魔法の水のおかげで自分が元気になったなどということはないはずだ。
ついでに「強いて」言えば、元気だったのはモナの方ではなかったか。水に効力があると信じ切っている彼女がそのように感じただけかもしれないし、そのような雰囲気に勝手に包まれていただけのような気がする。まあ気のせいだとしても、それで幸せな気分を味わってくれたなら、それは水の効力と認めようではないか。体調というものが気持ちに左右されるのは、僕自身の体験で良く知っている。

あとで聞いたら、モナはSさんの奥さんに、Sさんにも飲ませたらいいわよなんてことを進言したらしいから、「知らないうちに盛られている可能性があります」ということを、Sさんには御忠告申し上げなければならない。
盛られていることを知った上で、Sさんがどのように対処するか(夜、狼男に変身してみせるかどうか)、それはSさんの御判断である。
盛られたことに気付かない振りをして、「あれ?今日はなんか変だなぁ、なんていうか、その・・、パワーがみなぎっているというかムラムラするというか・・」などと言って盛り上がった夜を演出しようものなら、その後で交わされるモナと奥さんの会話がどれほど盛況になるか、目に見えるようだ。

昨日は仕事が昼過ぎに終わったので、午後からまたレガスピに行った。早朝から気合を入れて仕事に取りかかったせいもあるが、なぜか一昨日に引き続き仕事がはかどった。
レガスピはもちろんユリも連れ、アンも一緒だった。ベルは公文塾の授業だったので、それが終わってから合流である。
モールに行ってあちらこちらを歩きまわり、ベルの授業が終わったら、僕は13Kgのユリを抱いて片道10分、往復20分を、ベルを迎えにいくために公文塾へ歩いて行った。モナは既に疲れていたようで、僕がベルのピック役を仰せつかったのである。
ユリが一緒だと、いくら手を繋いでも、道路を歩かせるのは車やトライシケルが危険なことと、まだ道路に頭が近いユリにとって外を歩くのは暑すぎるので、抱いていくしかないのは分かっていた。だから本当は一人で行きたかったが、ユリがどうしても一緒に行くというので、諦めて連れて行ったのだ。
モールに戻ってからは、更にまた歩き通しだった。

普段はこれほど歩きまわると、僕は口をきくのも億劫なくらい疲れ果て、本気でタクシーで帰ろうかなどと思ったりする。
しかし昨日は疲れ知らずで、家に帰ってからも元気だった。本当に魔法の水のせいかなどと頭をかすめたりするほどである。おそらくは、最近節制した食事をすることで体調が良いと感じていたので、体力がかなり回復しているせいだと思われるが、モナは全く疲れた様子を見せない僕にほくそ笑んでいるのがはっきり分かった。これで彼女の中では、魔法の水はますます株が上がる。
しかし肝心のモナはかなりお疲れのようで、ぐったりとして魔法の水はあまり効いていないようだ。僕は逆にそのことで、水の効果がないみたいだねなどと、彼女の心をちくちく刺すように言ってみてほくそ笑んでいた。

さて昨日、レガスピで嬉しい買い物をした。
一つは、ベッドで使える読書用照明である。僕はベッドに寝転んで読書をするのが大好きだが、夜になると部屋の電気は消されてしまうので、読書用の照明がなければそれができなかった。そのためモナが、電池式のLEDライトを買ってくれたが、2晩も使うと暗くなって使い物にならないことが分かってから、ベッドの上での読書が中断されていた。
しかし今回購入したものは、AC電源で充電をするタイプで、ベッドの背もたれの部分にクリップで固定できるものである。明るさも十分で、またベッドの上での読書が再開できることになった。
照明のヘッドについている白色LEDの数を数えてみると、20個もついていた。価格は200ペソ(400円)だが、LED1個が5円だとしてそこに100円の材料費がかかる。それにACからDCへのトランスを含めた変換回路、バッテリーと充電回路、LEDを点灯させるドライバー、外装、電源ケーブル、組み立て費、輸送費を加えて考えてみると、一体どうやって400円で売れるのか不思議でならない。当然外装にはモールドの金型を何個も作っているはずだから、相当なお金がかかっている。大量生産、大量販売しなければ、決してもとは取れないだろうと思われる。おそらく中国製だが、日本で販売しても問題ないようないい出来で、僕はそれをまじまじと見て、中国マジックをあからさまに見せつけられたような気がした。
とにかく明るくてとても便利だ。問題は、どれほど長く使えるかだが、400円であれば故障しても、毎月購入しても良いくらいだ。
それを見越して、故障タイマー内臓(意図したものかどうかは別にして)の可能性はある。

二つ目はハムである。レガスピのスーパーに少しだけ寄ってみたら、スーパーの入り口付近で、美味しそうな何種類ものハムがたくさん並んでいた。
一目で美味しいと分かるもので、良く見たら輸入品だったが、フィリピンの田舎で初めて見た高級ハムだった。(つい高級ハムと書いてしまったが、日本で普通に売られているハムと同等か、ほんの少し上等そうなやつである)
価格は薄切り12枚入りで約100ペソ(200円)。現地でそれだけのハムに100ペソ払う人は少ないかもしれない高級品だ。
2種類のハムをパックで3つ購入し、早速一つを食べてみたが、味は予想をはるかに上回り大変美味しかった。それだけのハムならば、塊を買えばハムステーキができるし、ナポリタン、ポテトサラダ、ハムサラダ、冷やし中華と何でも使える。
ママは食べる前にじぃっとハムを観察し、さらにひっくり返し、更には透かして見て、これは調理済みか、本当にこのまま食べられるかなどを確認してきた。
一口食べた後、無言だったのでさして感動を呼ぶものではなかったかもしれないと思ったが、その後もハムに箸(実際にはスプーンとフォーク)が伸びていたので、やはり美味しいと感じたらしい。
ベルは「すごく美味しい、マイフェバリット(好物)」だと喜んでいた。
現地で売られているハムは、何の材料でどうやって作っているのか分からないが、なかなか自分の口に合わないので、ハムごときの話しではあるが僕にとってこれは、とても嬉しい発見だった。
現地の方々大勢が、そのハムの美味しさに気付いて買ってくれることを、心より願っている。こちらのスーパーは、売れ行きの悪い物はすぐに販売を取りやめるからである。
今年のクリスマスまでそれが売られていたら、その時にはまるごと買って、ハムステーキを作ってあげることをモナに約束した。

不便なところに住んでいると、不便だが、些細なことでの喜びもたくさんある。
最初はそんな喜びに気付かず、不満の方がはるかに大きかったが、いつの間にか自分も慣れてきたようだ。
おそらくこのフィリピン生活の記事を自分で読み返してみれば、自分のそのような心境の変化を読みとれるかもしれない。そんな気がしている。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:523.ハム発見
2012年05月08日

522.続・ネズミ講

昨日あれほど輝いていた月は、今日は一転低い位置で、真っ赤と表現してもよいくらいの不気味なオレンジ色を放っていた。モナは、いよいよモーモー(おばけ)が出そうで怖いと騒いでいる。

さて昨日セミナーで紹介されたビジネスをネズミ講と呼ぶのは間違いのようで、セミナーから一夜明けて僕も少し勉強をしてみたが、どうやらそのビジネスは、ネットワークビジネスと呼ばれるものらしい。コメントでも指摘があり、モナもそうだと言っていた。
しかし、ネズミでもネットでもマルチでも、楽して儲けを得たいために騙し口上を並べ得体の知れない商品を暴利で売り付けたり金を集めるならば、僕にとってそれらはどれも違いがない。

昨夜ユリの頭皮に軽いかさぶたがあることに気付いたモナは、早速例の妙薬をユリに塗り、今朝治っていたと喜んでいた。何となくモナは、液体をつけたユリの頭をごしごしこすっていたようにも見えたから、それは水でもベビーオイルでも同じ結果になったような気が激しくしたのだが、ともかく昨日ベルの頭が良くなった上、さらにユリのかさぶたもすぐに治るとあって、モナはますます勢いを増している。

昨日の記事を読んで、激しい夫婦喧嘩をしているのではないかと心配になったビコールSさんから、今朝恐縮にも電話を頂いた。
その時にSさんから、その水はフィリピンに昔からあるやつで、有名なんですよと教えてもらった。どんな風に有名なのかはその時の口調ですぐに察しがついたので、なるほどやっぱりそうかと思ったが、Sさんは、まあ頭ごなしにケチをつけるのも何だから、試しに飲んでみるかくらい言っておけばいいんじゃないですかと助言を頂いた。
記事には少し厳しく書いたが、実は決して夫婦喧嘩をしているわけではなく、今朝もモナはモーニングコーヒーを淹れてくれて、僕がサンキュウと言えば、彼女はウェルカム(どういたしまして)の代わりにアイラビューと「ラ」の部分を高めのイントネーションにして返してくるほど、能天気な夫婦関係を継続している。
その能天気さに、夫婦の間では妙薬も深刻な問題にはならないが、それはそれでまた問題なような気もしてくる。

僕が苦言を呈したことなどまるでよそに、朝僕が仕事をしている最中、モナが新しい水を入れておいたと言いながらペットボトルを持ってきたが、当然それは、例の妙薬入りだ。
まあ彼女は彼女なりに僕の健康のことを考えてのことだから(ついでの夜の期待もあってのことかもしれないが)、そんな水が飲めるかなどと文句を言うほど僕も子供ではなく、苦笑いしながらありがとうと言って受け取った。
とりあえずそれを机の上にあげておけば、喉が乾くと手に届くところにある水にも自然に手が出るというもので、ちびりりびりとそれを飲んで仕事をしていた結果、不思議と今日、思いのほか仕事がはかどった事実は、口が裂けても彼女には言えないと思っている。

今日は朝4時にアラームをセットし、早朝から仕事をスタートしようと思っていたが、結局何度かアラームを消して、起きたのは6時頃だった。前夜寝たのが深夜2時ということもあり、心身ともにフィリピンに同化しつつある身では、さすがに睡眠時間2時間の4時起きは無謀な予定だったようだ。
2時間のロスタイムを挽回しようと朝食抜きで仕事にいそしんでいたら、その懸命さがモナに伝わったようで、実は8時頃にセミナー主催者であるグレゴリーが我が家にやってきて僕と話がしたいと言ったそうだが、モナの段階で今日は忙しいようで話しができないと断ってくれたらしい。

鉄は熱いうちに打てというのは、どうやらオランダ人にも通ずることわざのようで、彼は昨日の今日でしっかりフォローしておこうという魂胆だったようだが、英語での攻防戦はやはりむこうに分があるというもので、会わずに済んで良かったと僕は正直ホッとした。
僕は自分でも不思議に思うのだが、以前から怒りが増すと英語がすらすら出てくる傾向があり、シンガポールで程度の低く超しつこいカラオケの女性と大げんかをした時にも、周囲が目を丸くして驚いたほど英語でめちゃくちゃに(正しい英語かそうでないかもわからないくらい)渡り合っていたらしい。
つまり彼が僕を一気にヒートアップさせてくれたら、対等に話せるどころか、雰囲気だけで相手を飲み込んでしまえるほどのチャンスが到来する可能性は十分あるのだが、家族がいる中で自分の本性をあからさまに見せるのも遠慮があるというもので、仕事の合間の休憩時には、彼との英会話シミュレーションで、成分、効能、怪しい、ただの水、証明、世紀の大発見、嘘、健康、人間の体、仕組み、洗脳・・・などという、どちらかと言えばネガティブな言葉を英語で何というか、無意識に頭の中で予習などしていたのである。

実はオランダ人の英語は、少し聞きとりづらい。英語が第一言語ではない人たちなので、使う単語は比較的簡単で分かりやすいが、肝心の聞き取りに難があるとこちらは少々疲れる。しかも時々文法・用法に間違いがあると、まるで煙に巻かれたようになってしまう。
良く行くコーヒーショップの若いフィリピン人男性店員はとてもフレンドリーで、僕が行くといつも英語で話しをするが、時々彼が何を言いたのか分からなくなる。
なぜ分からなくなるのかを注意深く探って気付いた一例を紹介すると、男性のことを話しているのに、彼はその人を突然She(彼女)と言ったりするのである。それは話題になっている男性オーストラリア人を指さしてSheと言ったから分かったようなもので、男性の話題に突然女性が登場すると、いつの間に話題が変わったのかとこちらは混乱してしまう。(HeをSheと言い間違えるのは、フィリピン人に多く見られるそうだ)
相手は英語をすらすらと話すから、その口から出る英語も完璧だと思っていると、こんな単純な相手の間違いで(単純だからこそなのだが)窮地に立たされることがある。
それはグレゴリーも同じで、現在形や過去形や過去完了形の使い方なども適当だから、こちらも適当に聞いていないと分からなくなることがあるが、根っからの日本人に、英会話で適当に聞いて適当に話すなどの芸当は難しく、彼と会話をする時に、僕は頻繁にソーリー?と訊き返すことになる。

そのような状態で自分のビジネスに誘い込みたいオランダ人と、近寄りたくない日本人が英語で対決するのだから、やはり予習は欠かせない。
最後の手は、大切なビジネスのことを自分の理解の薄い英語で話されても判断できないので、日本語を良く覚えてから出直してくれと言っても良いのだが、もしそんなことを言うものなら、ビジネスに参加したいモナが通訳をしゃしゃり出ることは分かり切っていて、しかも彼女に通訳させれば、そのビジネスの安全性、社会への貢献性、自分たちの生活の安定、行く末などの見地からそれはとても素晴らしいという、歪曲に歪曲を重ねた意訳でこちらに伝わってくるのは、火を見るよりも明らかだ。
それはトランスレーターではなく協力者と呼ぶべきもので、モナの通訳を挟んだら事態はますますややこしくなるに決まっている。

とにかくこうして、むこうはできるだけ早く仕掛けてこようとしている。
こちらもできるだけ先入観を捨て、心を無にして素直に対応してみようと思っている。
良く考えてみれば、素人の素朴で率直な疑問や意見ほど、怖い物はないのである。


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