フィリピーナと共に
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2012年04月25日

509.アンメルツ

「マハール、コーヒー!」
朝はいつも、モナのこの呼びかけで目覚める。
モナが作ってくれたモーニングコーヒーが、パソコンデスクの上に置かれている。
ベッド脇の窓から、真っ青な空を背景に、鱗雲のような小さな雲が綺麗に整列し浮いているのが見えた。今日も良い天気だ。清々しい風がカーテンを揺らしている。
まさにリゾート気分。これぞフィリピンの田舎暮らしの醍醐味だ。

もそもそとベッドから這いずり出て、デスクの前に座った。ラップトップパソコンの上に無造作に置いてあったメガネをかけて、ディスプレーを眺めながらコーヒーをすする。
いつもこうして、頭が覚醒するのを待つ。

その時、何かが視界を横切った。何かはわからないが、ぼんやりとした何かだ。
幻覚か?まだ寝ぼけているのだろうか・・・。
ディスプレーに視線を戻すと、再び何かが視界を横切った。幻覚でも気のせいでもない。しかし、その何かを目で追いかけようとしてもそれはすぐに消えて、正体がつかめない。

30秒間か1分間か、僕は何かが見える度に、ロボットのように首を右に振ったり左に振ったり、正体不明の物体を追いかけた。
血糖値の高さが、とうとう目にきたか・・。一瞬真面目にそう思いかけたが、ハッとしてメガネを外した。裸眼でメガネをじっと見つめる。
すると、0.3〜0.5mm程の小さな蟻が一匹、僕のメガネの上を這いずりまわっていた。とても小さい蟻のくせに、秒速1mもあるのではないかと思われるほどの恐ろしく素早い足取りで、メガネのフレームやレンズの上に、まさに神出鬼没に姿を見せる。
僕は思い切り息を吹きかけ、その蟻を吹き飛ばした。どうやら彼は、どこかへ消えさったようだ。

再びメガネをかけてディスプレーを見ると、また蟻が僕の目の前を横切った。メガネを取って吹き飛ばす。しぶとい奴だと思いながら、その動作を3〜4回ほど繰り返したところで、
「その蟻ははやいから、大丈夫よ」
と、モナが横から言ってきた。

はやい蟻は大丈夫という意味が分からない。はやい蟻とはなんだ?早い蟻か?それは早起きの蟻ということか?それとも見た目通り歩くのが速い蟻という意味か?大丈夫とは何が大丈夫なのか?とっても鬱陶しくて、ぜんぜん大丈夫ではないのだけれど・・・。

恐ろしく移動速度が速くて恐ろしく小さな蟻は、人に噛みつかず、人畜無害で大丈夫だという意味らしい。
しかしメガネの上でうろちょろされたら、気が散るではないか。既に十分害を及ぼしている。
しかもなぜこいつはこんなにしぶといのだ。吹き飛ばしても吹き飛ばしても、結局はメガネのどこかに隠れている。これも自然と共存することの、試練の一つなのか。

しばらく日本で暮らしていたせいで、ここは家の中に蟻がたくさんいることを、すっかり忘れていた。
しかし以前、散々蟻と格闘をした自分も、少しは賢くなっている。蟻はメントールに弱い。
それはメントールで蟻が死ぬということではない。
蟻は独自のフェロモンを出しながら歩いている。その臭いで、蟻は自分の進むべき道が分かるのだ。蟻の道にメントールを少したらしてやれば、フェロモンの匂いがかき消され、蟻は路頭に迷う。もしメントールで蟻を囲うように円をかけば、蟻はしばらくその円の中から出ることはできない。
逆に一旦蟻に円を描くように歩かせれば、蟻は延々と、その円状を歩くらしい。死ぬまでそうするという噂もあるが、それは試してみたいと思っていながら、まだ試せていない。

机の上に、日本から買ってきたばかりのアンメルツゴールドEXがちょうどあった。ただのアンメルツではない。ゴールドEXという奴で、一本1400円もした。
ボトルには「つらい肩こり、筋肉の痛みに」と書いてある。
つらい場合にも良く効く奴だったら時々背中が痛いというモナによいだろうと、少々高いと思いつつも、妻をいたわる気持ちが僕に購入を思い切らせたものだった。きっと強力タイプに違いない。

強力なやつであれば、それは蟻対策でも良く効くのではないか。
「高い>良く効く>蟻にもばっちり」というシンプルな3段論法で確信を得た僕は、アンメルツゴールドEXを片手に、机、床、めがね、パソコンと、それを塗りまくった。
本来の使いみちとは随分と違うことに心は痛んだが、とりあえずの実験である。

目が少しスースーするのは失敗だったが、僕の身の回りから蟻が姿を消した。さすがゴールドEXはよく効くと満足していた。
・・・が、10分後、アンメルツを塗った場所を、蟻が堂々と歩き始めた。どうやら実験は失敗のようだ。これならマッサージ用メントールオイルの方が、はるかに効果がある。

それでも朝からメントールのさわやかな匂いに包まれ、仕事ははかどった。おかげで午後から閉店だ。
昼食後はレガスピに散歩に行った。
ユリを連れて歩くのは、かなり疲れた。そのせいで、帰宅後はアンメルツゴールドEXの世話になった。
おかげでアンメルツゴールドEXは、疲労には十分効果を発揮することを、身をもって確認できた。1400円も出した甲斐があったと、安堵した。

出かけている最中に、日本からいろいろとメールが入っていたが、今日は仕事をする気が失せたので、何もせずに寝ることにした。
久しぶりのフィリピン生活、まずまずのスタートではないだろうか。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:509.アンメルツ
2012年04月24日

508.やっと帰った・・3

(前回の続き)
翌日(4/19)はたまたまSさんの奥さんがアラバンの自宅にいるというので、お土産のバッグを持参してお宅におじゃました。Sさんはビコールに残り、仕事と子供の面倒に忙しくしているとのことだったが、一番の目的は奥さんにお土産を手渡すことだったから、とりあえず奥さんがいれば良かった。
普段からSさん御夫婦にはお世話になりっぱなしで、鶴の恩返しの真似ごと一つでもしたいといつも思っていた。
御夫婦にお世話になるというのは、たいていは旦那が物事を決め、その裏で奥さんが食事を始めとした具体的な段取りで苦労するものだから、そのような場合僕は、できるだけ奥さんに感謝の気持ちを伝えなければならないと思っている。気持ちを伝えることは旦那も奥さんも同じだが、具体的な物で感謝の気持ちを表す場合には、特にそうすることにしている。今回は、その絶好の機会であった。
後日奥さんは、御自分のフェイスブックに肩から鞄を下げた写真を、マイスポンサーに貰ったとコメントを付けて掲載していた。それに対して、私もスポンサーが欲しい、鞄が欲しいなどと多くの方がコメントを寄せていたのを、気付いたモナが教えてくれた。どうやら鞄はそれなりに喜んで頂けたようで、苦労してスーツケースに詰め込んだ甲斐があったというものだ。

もともとその日は、子供のためにエンチャンテドキングダムという遊園地に行く予定で、モナに言わせるとアラバンの近くだと言うから、丁度良いではないかという話しでもあった。
しかしアラバンで具体的なエンチャンテドキングダムの場所を聞けば、それはサンタロサだと言う。モナはもともと、マニラからタクシーでその場所に行こうと思っていたらしいが、それにしては少し遠すぎではないかと驚いた。フィリピーナの地理感覚を信用するとと、時としてとんでもない目に遭うと、忘れかけていた教訓を思い出す。
結局Sさんの奥さん、そのお母さん、お兄さんも一緒に行くことになり、お兄さんの運転でそこへ行った。ところが当日はスポンサー企業の貸し切り日で、僕たちは門前払いをくらってしまった。
Sさんの奥さんが、わざわざ遠くから来ているのにそんなバカな話はあるかと食い下がってくれた。ビコールにいたSさんが電話で、一矢報いなさいと奥さんを焚きつけたからだった。

本日貸し切りであることを新聞やTVやラジオを通して宣伝したのか?ウェブサイトに出した?バカじゃないの?パソコンを持ってる人がみんな見てると思ってる?そもそもパソコンを持ってない人はどうするの?そんなのは知らせたとは言わないでしょ!わざわざビコールから時間とお金をかけて来たのよ、どうしてくれるの?遊ばせろとは言わないから、中に入って子供たちにアイスクリームを食べさせるくらい許可しなさい、明日はただで入れるから勘弁しろ?明日はビコールに帰るわよ、今日じゃないと駄目なんだから、何とかしなさい!

延々30分、粘っても無駄なことは承知で、それでも一言言わなければならないと車を飛び出し、もうとっくに百言以上言ってくれただろう時間になっても奥さんは全く車に戻ってくる気配がない。
奥さんを車に連れ戻すために、お兄さんと一緒に再び奥さんに近づくと、責任者らしき人がいかにも悲痛な顔を作り、本来TVやラジオで知らせなければならなかったが、お金がかかるのでできなかった、入れてあげたいが本日はどうしてもできない、本当に申し訳ないと英語で僕に謝ってきた。
そもそもかなり暑い炎天下の屋外型テーマパークで遊ぶなど、自殺行為に近いではないかと考えていた僕は、その謝罪に素直に頷きたかったが、奥さんの手前、分かったとも納得できないともどちらもつかないような中途半端な態度を示すしかなかった。お兄さんも、妹に逆らう行動は極力避けたいようで、傍らで無言を貫いていた。
こうなるとフィリピーナは最強だ。なんびとも下手に逆なでしてはいけないというピリピリした空気を周囲がしっかりと読みとって、各自が自分の言動に気を付けている。その意味では、エンチャンテドキングダムの方と、僕や奥さんのお兄さんの間に、奥さんに気付かれてはならない連帯感が生まれていたような気もする。
それゆえエンチャンテドキングダムの交渉人はやけに丁寧で、徹頭徹尾紳士だった。ついでにかなりハンサムだった。このハンサム具合がどれほど影響したかは不明だが、とにかく話しあいは無事終結した。

結局子供たちには悪かったが、近くのコーヒーショップに寄って、お茶でお茶を濁すことになった。
しかし、マニラからわざわざタクシーで行き門前払いをくらっていたら、それはそれで深い悲しみと憤りに襲われただろうことを考えると、Sさんの奥さんたちが同行してくれたことは、大変有り難いことである。もしタクシーで行っていたなら、僕は本格的に暴れていたかもしれない。最近は僕が暴れるとモナも便乗し暴れるので、収拾がつかないからそれだけは止めて欲しいと密かに思っているのだが、そうはならずに済んで本当に良かった。

とにかく至る所に、悶着のねたが転がっているフィリピンで、最終的には「フィリピンだから仕方ないでしょ」という話しになるところが、この社会の面白いところでもある。
いや、本当に面白いのは、「フィリピンだから・・」というそれだけの言葉に、フィリピン人も含めたみんなが妙に納得してしまうところなのだが。
後日Sさんに聞くと、そのような場合、中に入れないのであれば騒ぎ立てることで思い出の一つでも作ってきなさいという意図があったようだ。なるほど思い出というものは、甘いものもあれば苦いものもあって、それを作る方法も奥が深いものだと感心する。

前日食事の約束をしたKさんが、アラバンのSさんの自宅へ僕たちを迎えに来てくれることになった。車で来るということだった。
Kさんは日本を飛び出しフィリピーナの奥さんとフィリピンで暮らしていたが、生活に行き詰って相談しにきた(というより、愚痴を言いにきた?)方である。その時に、僕とSさんが関わった。今では無事フィリピンで就職し、立派なサラリーマンとしてルソン島内を忙しく動き回っている。
僕はKさんが車を購入したと思い、もう車が買えるくらい生活が安定したようだと、モナや奥さんに報告した。
すると車が欲しいモナが僕に向かって、「あなた負けたなぁ〜」などと言ってくる。そんな低レベルの作戦に動じる僕ではない。
「僕はね、そんなことで勝ったとか負けたとかは、もう卒業したんだよ」
ついでに、成熟した文化生活が身についた人とは、物欲からはとうに解放され、所有物で人間の価値が左右されるなんて思っていないのだと偉そうな態度で補足したかったが、口にしたところで理解してもらえないだろうと、そのセリフは飲み込んだ。

Kさんがマツダ車に乗ってやってきた。良く聞けばそれはカンパニーカーだそうで、(そうだよ、サラリーを貰えるようになったといっていきなり車など買っていたら、また生活に行き詰ってしまうから、カンパニーカーを使えるならどんどん利用した方が得策だ)と、僕は一人で納得した。
「Kさんの会社はマツダなの?」とモナが言いだし、僕が否定する脇でKさんが、「モナさんって天然?」などと言っていた。
確かにモナは時々天然っぽい言動はあるが、しかしそれを言うならフィリピーナ全体が天然と言えるのではないかというセリフも、フィリピーナに囲まれた席では飲み込んでおいた。

Kさんの奥さんがSさんのアラバン宅を訪問するのは初めてだった。旦那から、家の中にプールがあるなどの噂は聞いていたようだが、自分の目で見てその豪華さに驚いていたようだった。
そんな様子のKさんの奥さんに、「いやいや、成熟した文化生活が身についた人というのは、、物欲とは程遠い世界に存在し・・・」などと僕がうんちくを垂れるはずもなく、僕でも羨ましく思うほど優雅で落ち着いた家である。
まだまだ若いKさん夫婦は、50歳にもうじき手が届く自分よりもはるかに大きな可能性が前途に広がっているのだから、2人でこの家を見ることはよい刺激になりそうだ。

マニラに移動してから、Kさん夫婦と僕たち家族で、ホテル内の和食レストランに行った。ユリは既に疲れて寝ていたので、万が一熱いものをこぼしても大丈夫なように、レストランの座席で端の方へユリを置いた。おかげでゆったり食事をすることができた。
向かい合わせで座ったKさん夫婦には、以前生活に窮していた頃に比べ、随分と明るさが戻っていた。
前回一緒に焼肉を食べた時には、子供のミルク代の捻出にも困っていたようだ。食事の後に、遅いからタクシーで帰ってくれと千ペソのタクシー代を渡し、もしバスで帰るならそれは子供のミルク代にあてて欲しいと言った。おそらくそれは、ミルク代になったはずである。
1万ペソの死に金もあれば、千ペソの生き金もある。生き金であれば、こちらももったいないなどとは微塵も思わない。

もともと恋愛を経て結婚した2人であるが、いくら愛があっても、ご飯を食べるのも苦しくなれば諍いも絶えずギスギスするものである。それが現実というもので、愛や夢だけで全てを乗り越えることができるのは、極々限られた特別な人だけだ。
自分がその特別な人だと思うのは勝手だが、僕は何年も前にそのような幻想から解き放たれた。だから自分はこのフィリピンの地で、生活の糧には必要以上に神経を使う。
Kさんも、若いうちに貴重な体験ができて良かったのではないだろうか。苦しい体験というものは、若いうちにした方が良い。若いうちは恥もかき捨てで済ますことができる。その一環で人に頼ることもできる。だから何とかなったりするが、歳をとれば、苦しいまま沈没してしまうことも珍しくない。僕の場合、何かあればその沈没組みに入る可能性が高いわけで、その恐怖との戦いとなる。
それらを口にするといかにも年寄りくさいので、僕の自尊心がそのセリフを飲み込ませたりするのだが、本心でそう思っている。

26歳の若いKさんの奥さんは、少し前を振り返り、ほとほと喧嘩は疲れ果てたと言った。Kさんは口にはしないものの、自分だってそうだと言いたいだろう。生活が苦しくなれば、若い2人にはお互い言いたいことがたくさんあったはずである。ただでさえお金がもとの諍いは、神経を消耗するものだ。
喧嘩は疲れたと言った矢先、Kさんのへそくりの話しで2人は小競り合いを始めた。奥さんの口から、遠慮の無い旦那の悪口が次々と飛び出す。Kさんが誤解を招くからやめろと言えば、誤解ではなく本当のことだと奥さんが応戦する。しかし2人の顔には、笑顔が浮かんでいる。そうなれば、ただのじゃれあいである。笑いを伴った小競り合いができることは、十分幸せになったという証拠でもある。
せっかくフィリピンで暮らすなら、言いたいこともできるだけ明るくやりあいたいし、笑って生きたいものだ。
そんな明るい2人を見て、その幸せがこの先ずっと続くよう祈るばかりであるし、そのような2人を見て、他人のことばかり気にしているわけにはいかない自分を振り返りもする。
自分たちの現在の生活も、大切に維持していきたいとあらためて切に願うのである。

こうしてマニラでの二泊三日を経て、翌日僕らは4人揃ってビコールに帰った。
第4ターミナルは、予定通り重量オーバーの手荷物とライター数個を、簡単に見逃してくれた。
ビコールも暑かったが、緑の隙間から吹いてくる風には、マニラとは違った清涼感があって救われた。それにより、ホームタウンに帰ったという安心感さえ覚えた。
僕はそれから底なしの睡魔に襲われ、散々寝ることになるのだが、久しぶりの夜のお勤めだけはかかさず何とか頑張っている。それに体力を消耗し、また眠気を誘われてしまうのだが、これも幸せになるための小道具のようなもので、ないがしろにはできない。

先ほどようやく、日本から持ってきた特別なコーヒーの封を切った。封を切っただけで、香ばしく奥深いコーヒーの香りが鼻をついた。
成熟した文化生活には、仕事も子育ても生活苦も何もかも一時忘れさせてくれる素晴らしいコーヒーとこの大自然がかかせないと、テラスでコーヒーを片手に、壮大なマヨン山を真正面に臨みしみじみ思った。

いつの間にか僕は、「違いのわかる男」になり切っていた。
(「やっと帰った」・・は、やっと終わった・・笑)


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2012年04月23日

507.やっと帰った・・2

(前回の続き)
フィリピンに帰る際には、いつも搭乗口付近の売店で、最後のお土産であるおにぎりを買う。たかがおにぎりだが、されどおにぎりで、万が一このお土産を忘れようものなら、モナの機嫌が斜めになってしまうほどの重要アイテムである。
確かにフィリピン入りしてから、小腹が空いた時に食べるおにぎりは美味しいが、モナがそこまでおにぎりに固執する理由は未だに分からない。今回は4種類のおにぎりが並んでいたので、各種類1個ずつの4個を購入した。この購入個数もモナが指定してくるもので、おそらく今回は、家族4人分で4個ということだろう。僕は1個と言われたら1個、10個と言われたら10個を買うだけで、その理由を問わず要求には一切逆らわない。

おにぎりを買う際、愛用の小銭入れが無い事に気付いた。リムジンバスの中にでも落としてしまったのだろうか。結局それは未だに見つかっていないから、やはり紛失してしまったようだ。中味はリムジンバスのお釣りだった500円硬貨が1個と、あとは10円、5円、1円硬貨だけであるから大したことはないのだが、革製の財布がもったいなかった。しかし紛失するのであったなら、100円と50円硬貨全てをタクシードライバーにあげておいて良かったとも思った。

搭乗してから食事が出るまで、いつ離陸したのかを含めてほとんど記憶が無い。
飛行機の中では、食後も本を読みながら居眠りをし、気付いたら窓の下にジャングルに覆われたルソン島が見えていた。ずっと眠っていたので、まさにあっという間に着いた感じだった。やっぱりフィリピンは近い。
飛行機が高度を下げる頃には、遠くに近代的高層ビルが見え、すぐ真下にはトタン屋根のぼろくて小さな家がひしめき合っているのが見えてくる。飛行場のすぐ近くにあるそれが何となくアンバランスに思え、いつ見ても何とかならないものかと思ってしまう光景である。

短時間で入国手続きが済み、荷物の中に入っていた土産のブランドバッグ3個が税関で引っ掛からないかと心配だったが、それもあっけなく通過できた。
バッグは売り物ではないので申告書には記入していないが、もし見つかったら、またお金目当てで何かを言われかねない。そして仮にお金の要求があれば、その直後に僕が「ボスを出せ」というセリフを言う事になっていたはずだ。

マニラ空港第2ターミナルの外へ出ると、予想外の暑さにたじろいだ。すぐにタクシーに乗り込み、モナとの待ち合わせ場所である第4ターミナルへ向かった。
タクシードライバーの話では、最近のマニラは大変暑く、当日は34度、前日は気温36度だったらしい。体感温度はそれ以上で、最近ではそれほど暑いフィリピンはあまり記憶にない。
携帯に電源を入れると、「ボーディング(搭乗)1時半」というモナからのメッセージが届いた。モナはユリとベルを連れ、マニラに向かっている。飛行機は無事に飛んだらしい。
久しぶりの再会に、スカイプではパパ、パパと叫んでいたユリはどのようなリアクションをするだろうか。娘に会うだけなのに、妙に心臓の鼓動が高鳴っている。

タクシーの窓から見る街並みに、いつもはようやくフィリピンに帰ってきたと感慨深くもなるが、今回は不思議とそのようなものもなく、僕は淡々としていた。相変わらずの雑踏ではあったが、初めて見たフィリピンの、あのおもちゃ箱をひっくり返したような面白さが、少し薄れてきているようにも感じられたし、旅立つ前の苦労に比べ、あまりにあっけなくフィリピンに上陸してしまったせいかもしれなかった。
フィリピンが変わったのか、僕が変わったのか、それともいつもと何かが違ったのか、それはよく分からなかった。
とにかくあと1時間も経たないうちに、しばらくぶりでモナや子供たちに会えるという喜びだけは、押さえようながないくらい大きく膨らんでいた。

第4ターミナルに到着し、屋根のかかっている場所で暑い陽射しを避け、モナたちの到着を待つことにした。
第4ターミナルと言うと日本人には馴染みが薄く、そんなターミナルあったか?と首をかしげる人もいるかもしれない。第4ターミナルは国内線格安航空専用ターミナルで、ZestAirを利用する場合はこのターミナルでの発着となる。格安専用というだけあり、近代的建物とは程遠い小さなレトロ風のターミナルで、チェックインカウンターでの預け入れ荷物の計量は大きなアナログの測りを用いるなど、建物や設備は昔からのものをそのまま使用している。気のきいたコーヒーショップ一つない質素なターミナルだが、チェックインカウンター続きの待合室に喫煙ルームがあるところがちょっと嬉しい。更に荷物のチェックが甘いので、重量オーバーの手荷物や、ライターなどもほとんどフリーパスとなるため、余計な神経を使わずに済む、有り難いターミナルである。

建物の外にある待合場所に陣取ると、早速怪しいおじさんが携帯のロードは要らないかと話しかけてきた。要らないと答えると、なぜ要らないのかと更に訊いてくるので、僕の携帯はポストペイドだからと言ったら彼は納得してあっさり引き下がった。引きさがる時に、そのおじさんが足の悪いことに気がついた。そこで携帯ロードを売ることが、唯一彼の食いぶちかもしれないと思うと、少しは彼に協力してあげたい気持ちにもなったが、僕の携帯は本当にポストペイドでロードは不要である。
おじさんと僕のやり取りに、明らかに関心を寄せていることが分かるよう、周囲の大勢の人がこちらを見ていた。もともとローカル便は日本人が少ないが、第4ターミナルの外の待合場所ともなれば全く日本人をみかけないので、周囲の人には珍しかったのかもしれない。

日陰に居ても、相変わらず外は暑かった。タバコを吸いながら一旦本を広げてみたが、どうも集中できなくて、すぐにたたんだ。時計を見ると、まだ到着する時間には早かった。それでも念のためにモナの携帯に電話を入れてみると電波が届かないというメッセージが流れるので、それで容易に、彼女はまだ機上の人であることの察しがついた。
ようやく本格的に本に集中し始めた頃、モナから到着したとメッセージが入った。いよいよ久しぶりの再会である。
荷物を受け取り外に出るまで時間はかかるだろうが、それでも少し遅いと感じた頃に電話をしてみると、コール音は鳴っているが彼女は電話に出ない。
相変わらず電話に出ない、何をしているのだろうと思った矢先、僕の背後から「おかえり!」と、人を脅かすような声と共に肩を掴まれた。驚いて振り向くと、期待通りに驚いた僕に満足げな表情のモナと、きょとんと僕を見るベルとユリが立っていた。
ユリは僕を無言で見つめていた。僕がユリに声をかけると、抱きつくでも退くでもなく、意味の無い視線を誰もいない宙に固定させ、まるで石像のように表情なく固まってじっとしている。ユリは決して僕と目を合わせようとしない。僕も最初はそんなものだろうと予想はしていた。
しかし慣れるまで、10分とかからなかった。ホテルまでのタクシーの中では、既にパパ、パパとまとわりつくようになり、いつものしつこいユリに戻っていた。
タクシーで移動中、フィリピン在住のKさんから、そろそろ帰った頃だろうと電話がかかってきた。特に帰国日を含めた情報を流していなかったので、なかなか鋭い勘だと感心しながら、早速翌日の夕食を約束した。

ホテルはプール遊びがしたいという子供のリクエストに応じ、パンパシフィックホテルを予約していた。整備されたプール(つまり清潔なプール)があればどこでも良かったが、僕にはこのパンパシフィックホテルが一番おちつく。
このホテルは清潔感がありいつも質の良いサービスを心掛けているように感じられる。そして寝具へのこだわりがあるように思える。勿論寝具などは、もっと高い高級ホテルでは同等のものが用意されているが、それと同等であるパンパシフィックの宿泊代はそのような高級ホテルよりもずっと安い。そして子供連れの場合、このホテルはクリーブの用意、子供の朝食無料など、いつでも気付いたことは、その場でできるだけサービスしてくれるのでとても安心できる。
同ランクで近くに存在するDホテルは、いつでも団体客用の大型バスが出入りし、うるさい海外観光客がひしめき合う落ち着かないホテルになってしまった。従業員の対応もいつもマニュアル通りで融通がきかず、一流ホテルとは名ばかりになっている。同じサービスであれば少々価格の安いDホテルに宿泊するのだが、最近はこのホテルで憤慨することが多いので、宿泊はパンパシフィックホテルに固定しつつある。
今回気付いたが、パンパシフィックホテルの場合、最安値と宣伝し評判もある大手ホテル予約サイトより、ダイレクトにホテルに予約した方が安い。宿泊代に数千ペソの違いが出る。全てがそうではないと思われるが、とにかく今回はそれに気付きダイレクトに予約した。他のホテルの場合も、料金の違いを良く調べておかなければならない。

いつも通り素早いチェックインで、ホテルラウンジのウェルカムドリンクをそこそこに切り上げ部屋に入った途端、子供たちがプールに行くと騒ぎだした。
僕は部屋でくつろぎたかったが、久しぶりの家族サービスをないがしろにするわけにもいかず、どうせプールに入るのならとシャワーも割愛し、海水パンツに着替えて屋外プールのあるフロアへとお供した。プールの入り口でルームナンバーを告げると、プールサイドに案内され、ミネラルウォーター、バスタオル、おしぼりなどが出てきたので有料かと思ったが、チェックアウト時の料金には加算されていなかった。
かなり暑いと感じたフィリピンでも、プールからあがり風にあたると寒さを感じたが、プールサイドに温水のジャグジーがあり、最後は38℃前後のお湯の中でユリと一緒にまったりとしていた。ぬるめのお湯に心地よい眠気を誘われプールから引き上げようとすると、「アヤウアヤウ(いやだいやだ)、スイミング」と体を左右に揺すりながら、もっとスイミングしたいとユリに駄々をこねられ、ほんの4カ月で、こちらの話している意味を理解し、明快に意志表示をするようになったユリの成長ぶりに、困惑しながらも驚きと嬉しさを感じた。

夕方6時半頃に、モナの従妹のティナイと、トンボイでティナイの恋人のシェーンが2人でホテルにやってきた。最初からモナが夕食を共にする約束をしていたようである。
6人でパンパシフィックホテルのすぐ近くにある焼肉屋に行った。フィリピンの暮らしをしているフィリピン人をもてなすのは、やはり焼肉屋である。特に若い彼女たちは普段、僕らが気軽に入る焼肉屋など高くて入れないから、そのようなところで食事をするというだけで大変な楽しみになるようだ。
その店はそれほど高い焼肉屋ではなくても味はそこそこで、僕やモナはその店をよく使う。
フィリピン人同様に僕も焼き肉は大好きだが、その日の僕は、肉はそこそこに、野菜中心の食事をした。
日本で受けた健康診断の初回検査で血糖値が高く、再検査を受け、そこである数値が糖尿病ぎりぎりであることが判明したからだった。数値は平均値に入っているが、上限ぎりぎりとなっていた。

身近な知り合いに、長年自分でインシュリンを打っている自称糖尿病プロがいたので、僕は検査結果を持ってその方に相談もしてみた。そして彼に、糖尿病予備軍と判定されたその数値の意味、これからの心得などをレクチャーしてもらい、これであれば食事に気をつければまだまだ治るとレクチャーを受けた。
それが判明してから、疲れた時によく飲む甘い缶コーヒーを止め(甘い缶コーヒー一本に、角砂糖5〜6個分の砂糖が入っているそうだ)、ご飯の大盛りを止め、ラーメンを止め、カロリー控えめの食事を良く噛んでするようになった。もちろん間食は一切しない。
厳しい食事制限をするほどではないにしろ、暴飲暴食を控え、美味しい物はだいたいカロリーが高いから、「とても美味しいのでお代わりは結構です」という姿勢を貫くようにしている。
もしかしたら疲れた内臓機能が一時的に低下しているだけかもしれないので、3か月後くらいに、また同じ検査をしてみようと思っている。
血糖が増えることの恐ろしさは、ドクターや自称糖尿病プロの方に、多く聞かされた。
糖尿病は通称サイレントシック(静かな病気)と呼ばれ、それ自体の自覚症状は無く、しかし気付かぬうちに血管がもろくなったり、失明に至ったり、その他命に関わる合併症状を誘発する恐ろしい病気である。
仮に、一時的に血糖値が上がっているだけとしても、その間猛毒と化した血糖が体をむしばんでいることに変わりはなく、健康管理の重要性をあらためて思い知ることになった。

モナの従妹のティナイは、とても痩せている女性で、見た目通り食が細い。その恋人役のトンボイも、見た目は男っぽいが食の細さは女性並みだった。(いや、本物の女性だが・・)子供たちもモナも食の量はたかが知れている。よって、遠慮するな、好きな物をどんどんオーダーしろと言ってみたところで、みんながボソグ(お腹一杯)という状態まで食べても、6人の料金は3200ペソであった。一回の食事に一人500ペソは安くないけれど、マニラの焼肉屋で6人の料金として考えれば、リーズナブルである。
その後、どこかでコーヒーを飲みながらデザートでもどうかと勧めたが、お腹が一杯でもう入らないということだったので、みんなで部屋に戻って、日本から持ち込んだコーヒーを淹れて歓談した。
僕はベッドの上に寝転がり本を読みながらくつろいでいたが、従妹やモナ、子供たちは、部屋の窓から見える夜景をバックに写真を撮ったり話しをしたりと、しばらく賑わっていた。
傍らにそのようなアットホームな光景が展開される中でくつろいでいた僕は、ここでようやくファミリーの中に帰ってきたという実感が湧きあがり、一見彼女らに無関係を装い本を読んでいるようでありながら、実はゆったりとして癒されるような幸せな時間を満喫していたのである。
(続く)


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