フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年02月18日

438.一歩

ここ1週間は実に苦しかった。月曜日徹夜、火曜日は夜10頃に寝る、水曜日深夜2時頃に寝る、そして木曜日徹夜、金曜日は夜10時頃寝て土曜の現在に至るという生活だった。
いずれも徹夜の翌日は、次に寝るまで仕事を継続していた。その結果、金曜日は疲れが蓄積し、昼の間も頭が朦朧とし他者との会話における自分の発言内容が妙におかしいことに自分自身で気付いていた。目は開いているのに意識がどこかへ飛んでいる状態で、これはいかんと夜の8時過ぎに職場を出てきた。

このような生活が断片的に続くと、これが人間の生活かと強い疑問を抱くようになる。
人間以外の動物の寿命が短いのは熟睡できないからだと信じている僕は、このような生活が明らかに自分の寿命を縮めていると信じている。
いくら食いぶちを稼ぐためとはいえ、現在のこのやり方で良いのか、そこまでするほど価値のあることなのか、たった80年ほどの人の人生というものを俯瞰するように考えながら現実と比較し、そんなことを考えられずにはいられなくなる。

普段フィリピン人の生活態度を冷ややかに非難しながら、実はそこにこそ人間本来の幸せな生き方があるのではないかと羨ましく感じるのも、僕の根底に、日本人にありがちな仕事一筋の生き方に対して否定的な考えがあることと通じている。
この考えは、社会に入ってその厳しさを知り、それから逃れるために自分の中に構築されたものではなく、実は社会に入る前から僕はそれを持っていた。
前の会社に入った新入社員当時から、できれば会社を40歳前後で辞めたいと考えていたのもそのせいである。
それは、実社会で生きる厳しい現実を知らない自分が、夢と現実の見境がつかず夢物語のように思っていたことでもあったが、社会に入り、数多くある機械の歯車の一つのような働き方を強いられるようになってから、ますますその思いを強くするようにもなっていた。
反面、生きるためには生活の糧を稼ぐ必要があり、それも簡単ではないことを分かるようになっていたため、実際には身の振り方をどうすればよいのか、悩みどころでもあったわけである。

御存知の通りそのような悩みを吹き飛ばすかのように、様々あったトラブルに後押され会社を去ることになったが、いざ去ってみると、もともと自由に生きたいと強く願っていたにも関わらず、無職という形で社会に放り出されたことにどうしようもない不安を感じ、長い間大企業の庇護下にあった自分が、精神的に随分と弱体化したことを嫌というほど気付かされたものだった。
おそらく会社を辞めてしまえばせいせいするだろうと思っていたが、まるでその反対だったことは、自分でも大変意外だったのである。
そして気が付いてみれば、また同じように仕事に追われ、家族を顧みる時間もない状況に陥っている。お金を稼ぐとはどこかで責任を負うことであり、結局そのようなことであることは承知しているつもりでも、何か割り切れないものがいつも心の隅に残るのである。
そしてこれでいいのかと、同じように繰り返して考えることになる。

しかし自分が以前と少し変わったこともある。
実際に個人事業主として数年間を日本で過ごしながら、お金を稼ぐ厳しさやお金の管理の大切さを愚直に体験し、また一見無謀のように思えたフィリピン移住で2年以上を経過してみると、その実績の中で何とかなる部分も結構あるということを知ることになった。
それらの体験は、これから何が起こっても何とか乗り切れそうだという安易な考えにも結びつき、裏返せばそう考えることができる自分は、以前よりも逞しくなったということだと自画自賛する一面もあるのである。

まだ子供が小さいから、長期的な展望を持ちたい気持ちは相変わらずあるが、ばたばたやっていくでもいいではないかという気持ちを持つこともできるようになってきた。
理想と現実の中で、折衷案のような考えや気持ちというものが自然と芽生えてくることも知った。そのようなシチュエーションの中で選択する案が一番現実的であることを知ると、最初からできるだけパーフェクトに計画を練ることの無駄がどこにあるかも分かるようになってきた。
これは決して無計画を勧めるものではない。計画やシミュレーションは大切だが、新しい試みはどうしたって見ることができないものが存在するわけで、逆立ちしても分からないことに悩んで足踏みをすることには、気付きにくい無駄が多いのである。
ただその中で大切なことは、譲れることと譲れないことは何か、そこにしっかりと線引きをすることであり、それがないとまたずるずると底なし沼に足を踏み入れることになってしまい自分を見失うことになるということである。
そのことに気付くまで、僕は随分と長い歳月に渡り無駄を繰り返してきた。

今自分の譲れないことは、寝る時間もないような生活、家族と離れ離れになる時間が長い生活からは何とか脱却しなければならないということだ。そのためには、今直接自分が抱えている煩わしいほど厄介な仕事を早く片付け、以前述べたような外注展開を本格的に軌道に乗せるまで、もうしばらく辛抱しながら方向転換を図っていかなければならない。
それが安定したらその時にまた新たな問題が出てくるだろうが、それはその時に同じように考えていけば良いことで、最初からあれやこれやと考え、完璧なシミュレーションが完成しないと次へ進めないなどと言っていたら、結局何も進まない。

一歩足を踏み出せば意外に事は進むことや、その一歩を踏み出せないために結果が零になることは、多くの人が各自の経験で知っていることだろう。
ほんの一歩だが、されどその一歩を踏み出すのが大変怖い。だからこそ計画やシミュレーションは大切となるが、足を踏み出すために何よりも大切な鍵となるのは、どれだけ自分の力を信じることができるかである。

自分を信じることは意外と難しい。
自分を信じられるようになるためには体験が必要で、体験するためには一歩踏み出す勇気が必要だという矛盾のある話しになるが、それをグルグルと回せない人は結局何も打開できず、現状に踏みとどまるしかないということになる。
できるだけ小さな勇気で済むような体験を積み重ねながら、回す輪を大きく育ていくイメージを持って事に当たっていくことが重要かもしれない。

さてここで、そんなことを意識しながら自分の過去を振り返ってみれば、実際に40年以上生きてきたわけだから、実は今後に生かせる体験を数多く持っているのである。
それはどのような人でも同じで、その中で自分の強みや弱みも熟知しているはずである。
これが中々実感を伴わず、自分にはそんな大層なものはないと思いがちになるが、おそらくそんなことはない。
少し視点を変えて、自分の何がこれからに活かせるかではなく、無理やりにでも何かを活かそうと考えてみると、少し自分の強みが見えてくる。
意外と他人の無責任な直感的発言がそれをいとも簡単に教えてくれることが多いので、信頼できる友人とそれについてディスカッションをしてみるのももよいかもしれない。
自分の強みをしっかりと自覚すれば、それが一歩を踏み出そうとする自分を後押ししてくれるのは間違いない。

僕は人生の終盤にさしかかるほど、自分の人生を積極的に作っていきたいと思うようになっている。それはおかしな強迫観念さえ伴っている。それが焦りなのか何なのか、自分自身でもよく分かっていない。
しかしそれらは、今の家族がいて、自分がフィリピンに移住し、そして自分の年齢が上がってきたことと複雑に絡み合った感情であることは間違いない。
そんなことは若いうちから考えて実行しておけば良かったのだと後悔の念もあるが、若い時分にも実はそれなりに考えていた。しかし若い時には、わずかな一歩が踏み出せずにずるずる時間ばかりが経過していたのである。無駄な時間を費やしたという言い方もあるが、その無駄が今の自分を作り出しているのも事実である。
僕は、若い人間は無駄なことをたくさん経験した方が良いという考えを持っているが、今の自分を振り返ると、やはりそれは間違いではないと思っている。

しかし、歳を取ってからの無駄はダメージが大きい。無駄ばかりしていると、その無駄を活かす時間が足りないのである。
だからこそここ数年は、できるだけ恐怖を克服しながら一歩を踏み出すように心掛けている。それでも全く不十分だと感じているが、そこは零よりはましではないかと前向きに考えるようにしている。

最近不思議なことに、今後の人生をどうするかについての悩み事がたくさん耳に入ってくる。みんな同世代であるから、そんな悩みを真剣に抱える年齢なのだろう。
自分がこれからどうするかについて強迫観念を抱いて考えることは、実は内容の濃さ、深さ、広さは違えど自分だけではないのだと知ることになった。
とすればそれは、お肌の曲がり角に悩む女性と同じことかもしれない。
それと一緒にされたくないとの反論はあるかもしれないが、その程度に考えることも大切なのではないかと言いたいのである。
いくら深く悩んでも、逆に浅く悩んでも、一歩を踏み出さなければ同じである。
まるで悩まず思い付きで一歩を踏み出してしまう人もいて、それが功を奏すこともある。
だったら自分ももっと軽く考え、とりあえず小さな一歩を積み重ねていこうなどと思ったりするのである。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:438.一歩
2012年02月13日

437.有り難い親心

日曜日はこのブログ始めて以来の訪問者数(1000人)、アクセス数(8000)となった。普段は一日の訪問者数が700人、アクセス数が2500〜3000であるから、これは紛れもなくヒロシさんがご自身のブログで当ブログを紹介下さった影響であり、その凄まじい影響力に驚くばかりである。

幅広く当ブログを知って頂ける機会を作って頂いたヒロシさんには、あらためてこの場を借りて感謝申し上げたい。本当にありがとうございました。
これだけ多くの方々に読んで頂くと少し怖い気もするが、ヒロシさんに乗せられて騙されたと思った方は、一言二言言いたいことがあったとしてもそこはグッと飲み込んで、静かに見て見ぬ振りをして頂けると大変助かる(笑)

さて本日は久しぶりの帰省から、ほんの2泊を経て神奈川に戻ってきた。
ジェンさんのコメントにあったように、どうせならもっとゆっくりしてくれば良いのだが、今回は納品日を後ろに2日ずらして帰ったこともあり、それ以上の我儘を言える状況ではなかった。確かに日数が少なくて残念だったが、それなりの実りはあったように思える。

両親は共に今回の僕の帰省を喜んでくれ、僕の帰り間際に母親は、この2日間を振り返って何度も楽しかったと言ってくれた。
スカイプでモナやベルやユリと僕のやり取りを見て、きっと安心してくれたところもあるだろうし、何よりも両親とモナがTV電話で話しができたことが良かった。
本来はフィリピンの家族が日本へ来て直接会えれば一番良いのは当然だが、すぐにそれを実現できないのであれば、第一ステップとしてはまずまずである。

母はモナを綺麗な人だと言い、ベルが8歳とは思えないほど大人びて見えると驚き、ユリのやんちゃで元気な様子に目を細めていた。
母とモナが話をしている最中、少し目を離した隙にユリはモナの化粧道具を勝手にいじり、自分で化粧をしたものだから、その顔が面白くてみんなで大笑いになった。
ユリは一旦お絵描きに熱中すると、いくらユリを呼んでもユリの視線はノートに釘付けで、その集中ぶりに舌を巻いていた。
僕が驚いたのは、母がユリにワットユアネーム?と英語で話しかけたことだったが、ユリはしっかりと自分の名前を答えてくれたので、母はそれに大いに満足していた。
ユリの様子を見る度に、母は僕に、先はまだ長いのだから健康管理に気を付けるようにとくどいほど何度も言い、モナにも僕の健康をしっかりと管理してくれるよう、特に食べ物に関して具体的にお願いする場面もあった。

父は無料で国際テレビ電話ができることに、本当に驚いていた。両親とも簡単にそのようなことができるパソコンを少し見直していたようで、モナがすぐにパソコンを買ってあげなさいなどと簡単に言う場面もあったが、パソコンだけがあってもどうにもならず、インターネット回線の手続きやスカイプの設定など、ほぼ完ぺきにお膳立てをしなければ猫に小判状態になるのは目に見えていたので、いずれしっかりと時間を取り設置に出かけなければならない。

今回はダディーが緊急入院をしてしまったために、ダディーやママに両親が挨拶できなかったのが残念だった。
ママは僕の両親と話をしたことがないので、モナが僕の日本の家族に本当に受け入れてもらえるのかを以前から心配していた。
ここにも親心が見えるわけで、親の子を思う気持ちは万国共通で優しさと思いやりに溢れている。
だから今回は、僕の両親を安心させると同時に、フィリピンの両親をも安心させる良い機会だと思っていたが、それはまた次の機会に譲るしかなさそうだ。
モナがママに、僕の両親と会話をした時の雰囲気を説明してくれたら、ダディーもママも少しは安心できるだろう。

久しぶりに会った両親は、思った以上に老けていた。顔に刻まれた皺が一層深くなっているように感じられ、僕は最初に両親の顔をまともに見ることができなかった。見るのが怖かったのである。現実を直視できなかったと言いかえれば分かりやすいかもしれない。
しかしこちらももうじき50に手が届く歳になっている。お互いを直視できないのは両親も同じであった可能性もあるが、それでも長い年月のギャップを埋めるにはそれほど時間がかからなかった。

今回実家でご馳走になった料理は、全て僕が子供の頃によく食べたものばかりだった。
きりたんぽ鍋に始まり、翌日はちらしずしにおはぎ、きんぴらごぼうにとろろこんぶを入れた味噌汁、イチジクの甘露煮、メンチコロッケに焼き鮭、キャベツの油炒め。
どれも素朴な料理ではあるが、懐かしいものばかりで、全て美味しく平らげた。
がっつく僕に母は驚き、モナにもう少ししっかりと噛みながらゆっくり食べるよう注意してあげて欲しいなどと話していた。

帰りは最寄りの駅まで両親が車でおくってくれたが、その時には紙袋に弁当やおはぎ、とっておきのコーヒーやクッキー、みかんなどを詰めて持たせてくれた。
若い頃であれば道中で食べる弁当など荷物になるだけで、食べるものならどこでも買うことができると断るところであったが、今回はそれを心から有り難いと思い受け取った。

秋田発15:06の新幹線「こまち32号」に乗り、東京到着予定7時を考慮し、6時にその弁当を新幹線の中で広げた。
弁当は前日作ったちらしずしである。それは煮込まれた卵焼き、シイタケ、油揚げ、かんぴょうに紅ショウガを混ぜた具が白ゴマを混ぜた酢飯の上に上がっているもので、煮汁がかすかに酢飯に混ざり、本当に美味しくなっていた。煮汁が外に漏れ出さないようにラップで厳重にくるまれていて、細かい気遣いが感じられた。
僕は新幹線の中で、親心とは有り難いものだとしみじみ感謝しながら、ラップの包装を一つ一つ丁寧に解き、しっかりと味わって食べさせてもらった。
前日も食べたちらしずしであったが、何度食べても美味しかった。
それ以外にもおはぎが6個ほどパックに詰められていたので、それは帰宅後に冷蔵庫に入れ、明日の夕食に取っておくことにした。

無事に今の仮住まいに着いたことを知らせた時に、弁当が美味しかったと礼を言うと、母は嬉しそうにそれは良かったと答えていた。その時にもやはり母は、今回の僕の帰省は楽しかったと数回繰り返していた。
それを聞くたびに、ふらりと帰り忙しい思いをさせただけであるが、顔を見せるだけでも親孝行になるということを痛感するばかりであった。

田舎の両親に無事に帰った報告を済ませた後、モナとスカイプでダディーの病状について話をした。
ダディーはまだ微熱があるそうで、それが消えないと退院できないようだ。しかし39度以上あった体温は今37度を少し超える程度となり、もうじき微熱も収まる見通しだそうである。
体調が落付いたら今度は、マニラの病院で治療を続けるそうだ。
ダディーは肝臓に問題を抱えているにも関わらず、酒もタバコも止めようとしない。
もし本人に病気であることの自覚がなくかつ病気を克服するつもりがないのであれば、高い薬代や治療費はもう出さないと、ママとモナ2人からきつく言い渡してくれとお願いした。
それについては僕からも直接言いたいところだが、娘婿としてどのような態度や言葉で伝えるべきか、少し悩まなければならない。
それよりもまずは、ママやモナがきつく言った方が効果的だと思われる。

そのスカイプにビコールのSさんが加わり、今度は当ブログの本日の状況の話しになった。
Sさんは、3人同時にスカイプ会話ができることに驚いていた。そう言えば、Sさんを入れて3人以上でスカイプ会話をするのは初めてだった。
その会話の中で驚いたのは、Sさんに2名の日本人の方から、タバコシティーに日本人のブロガーが居るようだから会ってみたらと連絡があったことだった。言うまでもなくこれは、ヒロシさんのブログの反響である。
Sさんが既に僕と知り合いだと教えると、僕がどのような人間か根掘り葉掘り訊かれたそうだ。
その返事としてSさんの口から出た言葉は、「普通の人が普通に生きている感じ」だったそうである。
普通の人になることも、普通に生きることも難しいのだとSさんはおっしゃっていたが、そう・・、僕は自分でも認める普通の人である(笑)
それにしてもインターネットは本当に世界を小さくしたと感じる一幕である。
しかしながらそこにぶら下がる人は億の単位になるわけだから、ヒロシさんのブログが幅広い読者を持っていることには驚きを隠せない。

とにかくこの休日は、ダディーの緊急入院、帰省、ブログ関係と、特異なことが立て続けに起こった不思議な休日であったが、いずれも今の生活において、何やら編曲点になるような意味のあることがまとめて訪れた休みとなった。
とんぼ帰りのように帰省し、そして色々なことがあったが、今不思議と疲れはなく、ここ一か月の仕事の疲れが吹き飛んだような気持ちになっている。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:437.有り難い親心
2012年02月11日

436.帰省

トンネルを抜けると圏外だった。
ついでにそこは、雪国でもあった。
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携帯はどうでも良かったが、インターネットモバイル端末が働かないのは困った。
仕事で急ぎのファイルのやり取りをしていたところだったからだ。
しばしパソコンのキーを叩く手を休め、窓の外の流れる気色に目をやった。
久しぶりに見る白銀の世界は、素朴で幻想的でさえあった。
今僕は、その雪国にいる。

列車の中から見た雪は美しく、それに自分を包み込んでくれそうな優しささえ感じたが、いざ自分の身をその中に投じてみると、骨にまでしみる寒さの中で普段使わない筋肉をこわばらせながら歩くただそれだけのことにも難儀し、雪国の厳しさをたちどころに痛感することになった。

道中、居眠りばかりしていたせいで、乗り継ぎ駅に到着する度に慌てて次の電車に移るということを繰り返しながら田舎にやってきた。実家のある町の駅に到着したのは、夜の9時半だった。米沢から6時間もかかったことになる。

一昨日は東京で知人に会い、帰宅したのが深夜1時を少し回った時間であった。
お客に約束させられた仕事を終えたのが3時半、昨日は5時半に起きて最寄りの駅から電車に乗ったから、睡眠時間が2時間にも満たない状況だった。
朝の8時前には東京駅に到着していた。
最近の移動は飛行機ばかりだったから、久しぶりの乗客で賑わう東京駅新幹線ホームにさえ田舎に通じる情緒を感じた。
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乗客は結構いるもので、窓際の指定席は完売だった。
新幹線の改札を通る前に、ここから先にタバコが吸えてコーヒーが飲める場所はあるかと尋ねたら、駅員さんがコーヒーとタバコは別々だけれどと前置きをしてその場所を丁寧に教えてくれた。
教えられた通りにホームに上がってみると、新幹線ホームに小さいながらも喫煙室があった。中はすし詰め状態で、大勢の人がタバコをふかしていた。喫煙者の自分にしてあの中に入るのは体に悪そうだと思わせるほどタバコを吸う人の人口密度が高い部屋だったが、そこに飛び込んでまずは深呼吸をしてみた。
自分のたばこを吸わなくても、その中で息をしていればタバコを吸った気分が味わえるかもしれないと思ったからだったが、それは全く無理だとすぐに分かったので、自分の一本を取り出し火をつけた。
喫煙者は人でなしのように白い目で見られるこのご時世、ホームに喫煙場所があることに驚いたが、列車に乗って座席の横に100Vコンセントがあることにも驚いた。グリーン席でも何でもない普通の指定席で交流100Vが使える。JRも本気でお客へのサービスに力を注いでいることが伝わってくる。お客様は神様だ。
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今回はブログに写真を載せようと、新幹線の中に置いたパソコンや携帯の写真を撮ろうとし、「おっ?iPhoneがない?」などと、手に持ったiPhoneで写真を撮ろうとしているのに、画面の中に無いiPhoneを探してしまった(笑)
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こちらにもお客にせかされているものがあったので、新幹線の中でそれを作ることにした。
お客には半日はかかると言ったが、やってみたら30分でできてしまったので、新幹線の中からできたファイルをメールで送った。
ついでだから他のメールも拾って、返事が必要なものに手当たり次第に返信し、現在外注で進めている仕事のやり取りが始まってしまった。
お客の意地悪とも思える厄介な返事が返ってきたので、それに応戦しながらやり取りが佳境に入ったところでメールが送信不能状態になった。
インターネットの携帯端末を見たら、圏外表示でノーサービスと表示されていた。
目的地の山形県米沢に近づき、辺りに民家がちらほら見え始めた頃には携帯電話は電波を取り戻していたが、肝心のインターネットの方は米沢駅に到着する直前まで使えなかった。
続きは米沢駅で拾ったタクシーの中で行ったが、歯切れの悪い状態で目的地に到着してしまった。
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米沢での仕事は順調に進み、午後の3時半には再び米沢駅に戻っていた。
そこから山形行きの普通列車に、発車1分前に飛び乗った。
田舎の列車らしく、都会の電車のような窓際に一列に座るシートの他に、4人が対面で座る席もあったのでそれに座った。発車したら自分が進行方向に背を向けて座っていたので、すぐに向かい側に移り進行方向に自分の体を向き直した。
座席がとても暖かい。座席の下の強力なヒーターがフル稼働していた。まるで敷き詰められたカイロの上に座っているような感覚に、田舎ならではだと懐かしさを覚えた。そしてそれがどうしようもない眠気を誘った。

読んでいた本を何度も列車の床に落とし夢と現実の世界を交互に行き来していたが、ふと気付いて車内アナウンスを聞いたら、この列車は米沢行きだと言っていた。
慌てて列車から飛び降りたら、既に列車は山形駅に到着し、折り返そうとしていた。そしてすぐ隣ホームに新庄行きの列車が止まっていたので、発車間際のその列車に飛び乗った。
朦朧とした頭で慌てて行動することに不安を覚えたが、田舎では電車を一本逃すと、またしばらく待たなければならない。幸いそれで正解だったが、今度は新庄駅に到着した時に同じように深い眠りに陥っていて、再び眠ったまま山形方面に降り返してしまうところだった。
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新庄駅から、ようやく行き先が秋田という列車に乗る事ができた。
乗り継ぎの時間に30分ほどあったので、一旦改札の外に出てぶらついてみた。
周囲は雪が積み上がっていて、その上に細かい雪が風に乗って斜めに降り注いでいる。駅の照明に浮かび上がるその雪に、雪国に来たという実感がますます呼び起こされた。
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山形まで行けば秋田はすぐそこだという感覚を持ってしまうが、実は山形からは東京に出る方がずっと早い。新庄という山形の外れからでさえ、そこから秋田市までは普通列車で実に3時間かかる。
その3時間は一番長い工程で乗り継ぎの心配が不要にも関わらず、それまで熟睡していたせいか今度は眠れなくなってしまった。
3時間、本を読んだりインターネットを徘徊したり、時間を消化するのは大変だった。
せめて窓の外の景色が見えたらよいが、まどは水滴で曇っていて、全く外が見えなかった。
たまに停車した駅名を確認するため窓の曇りを小さな範囲で拭い去ってみるが、その度に手がびしょびしょに濡れてしまうほどだった。
ようやく秋田駅に到着し、隣のホームに停車していた、更に北へ向かう列車に乗り換えた。秋田駅から一つ目の駅が、実家のある町の駅である。
実家の地元の駅から出ると、道路はがちがちに凍っていた。積もった雪が溶け、いびつな形に再凍結して固まっているから歩きづらい。
実家は駅から徒歩10分足らずなので歩いていくと言ってあったが、母親が車で迎えに来てくれていた。おそらく4年ぶりの再会である。随分と長い間親不幸をしてしまったものだ。

実家に入ると、秋田名物のきりたんぽが用意されていた。トリモツ・セリがふんだんに入ったきりたんぽを食べ体が温まった。
食後にスカイプでフィリピンと繋げた。インターネットはこちらの電波が弱くてぶつぶつ切れるが、母親とモナが初めて顔を合わせて話をした。
写真でしかモナを知らない母親は、モナを綺麗な人だと言った。若さだけでない綺麗さがあると付け加えていた。ユリもスカイプの画面に登場した。子供がまだ小さいから、健康管理をしっかりしなさいと更に母親が付け加えた。
モナは母親が僕と似ていると言っていた。父親は既に寝ていたから、今日の夜にでもまたスカイプを繋げることにしている。

モナとは朝から電話で連絡を取り合っていた。ダディーの体調が良くなかったからであった。
ダディーは1週間前から体調を崩し、熱を出して寝込んでいた。単なる風邪だと思い薬を飲ませていたらしいが、熱が下がらず嘔吐や下痢もある、そして肌の色がパールになっていると一昨日訊き、それはただごとではないと直感し、本人が嫌がってもクリニックではなく病院に連れていくように言った。そして昨日病院に行き、即入院となった。
とりあえず点滴をしながらベッドの上でゆっくりし、顔の色がノーマル状態に戻り体も落付いてきたようだったので、まずは一安心だ。
薬だけでも相当お金がかかったようで、モナは高いから効かないと困るなどと話していたが、今はお金がかかることは気にするなと言っておいた。

ダディーはお金がかかることに遠慮していたのかそれとも病院が嫌いなのか、ママが説得しても本人が病院に行くことをかたくなに拒んでいたようだった。
一昨日僕がその状態を聞き、お金の心配などせずすぐ病院へ連れて行くように言ったら、モナがママと相談すると言ったので、相談などせず本人を引きずってでも必ず病院へ連れていけと言った。勿論ママやモナは、ダディーを病院に連れて行き、しっかりと治療を受けさせたいのである。お金は気にせず治療優先と僕が言ったことについて、モナからありがとうとメッセージが届いていたところをみると、やはりみんながお金のかかることを気にしているように感じられた。
どうやらダディーは2〜3日の入院になるようだ。

入院しているダディーには申し訳ないが、僕は本日土曜日、久しぶりに何も考えず何もせず、朝からゆっくりくつろいでいる。
母親が朝にスペシャルコーヒーを淹れてくれたが、確かにスペシャルと言うだけあって、初めて飲む不思議な風味のコーヒーで実に美味しい。これだったら一杯千円でも飲みに行きそうだ。ある場所から特別に取り寄せているものらしい。
明日の日曜は、昼頃に神奈川に向けて帰路につく。つかの間の帰省ではあるが、年老いてきた両親に顔を見せることができて、良かったと思っている。
ダディーは検査結果をもとに、適切な治療で早く良くなって欲しいと、心から願っている。


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