フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2012年02月04日

435.方針変更

実は現在、ある仕事ではまっている。作ったソフトが思った通りに動かない。(ソフトといってもVerilogという言語を使ったハードロジック回路設計)
というか何とかしようといじってみるが、いじればいじるほど動かなくなり、振り出しに戻る状態に。
本人(僕)も「はれ?なで?どってどって?」(なぜ、どうしてどうして)と、口から出てくる言葉が、既に心が壊れかけていることを示す始末。
体も疲れていたが、さすがにこうなると精神的ダメージが大きく、ぐったりしていた。

そんなところに事件が起きた。
今住むマスリーマンションに帰り、いつものようにコーヒーを淹れた。
ところが記憶はそこまで。翌日目を覚ますと淹れたコーヒーは手つかずでそのまま。そして布団が焦げてたばこが転がっていた。
しかし、コーヒーを淹れてから眠ってしまう前までの記憶が全く無し。たばこに火を付けた記憶もまるでない。
何が起こったのかさっぱり分からないが、どこかでぶっ飛んでしまったようだ。もしかして本当に気絶したのだろうかと、我を疑った。
タバコの件にしても、これまでこのようなことは無かっただけに、これはいかんと落ち込んだ。
その日一日、ますますどんよりとした気分で過ごした。

当日の夜はたまたま日本Sさんからメールを頂き、それにその事件を含めた近況を、思い切り愚痴まじりで返信した。この愚痴はブログにも公表しよう、読んだ人がくら〜くなるような淀みきった記事を書いてやる〜、などとそのメールに書いた。

とにかく現在、そのような状況である。
こんな状況でも、仕事が容赦なくどんどん入ってくる。以前からお客とやり取りしていた仕事も正式に決まってしまった。これがシリーズで立て続けにやってくる。
何もこの時期に決まらなくても・・と思っているが、その最中、営業から来週は一日一緒にお客の所へ行って欲しいと言われた。
以前ちょっとしたソフトをフィリピンで作ったことのあるお客だったが、何か相談したいことがあるそうだ。新規設計依頼が前提となっている。
そうであれば行きたくないが、そうであるから行かなければならない。そこが複雑だ。

そこで急遽方針を転換した。
既に、ある仕事を一つ外注に振ったが、これからは外注展開を積極的に行っていこうということである。
最近は自分の設計能力に限界を感じている。明らかに能力が落ちている。
日本Sさんへの返信メールには引退を考えているとも書いたが、外注展開に徹する方針は、ある意味設計の前線から身を引く決意の表れである。
少し寂しい気もするが、この方針転換にはいくつか意味がある。

外注コントロール方式が慣れて軌道に乗れば、フィリピンから外注をコントロールしながら日本の仕事を進めることができる。
基本の生活をフィリピンに置きながら、必要な時に短期で日本を訪れる。一つだけの仕事では経費が捻出できない可能性はあるが、複数の仕事を抱えていればこれは十分可能だ。
しかも付き合いのある外注は、みんな僕がフィリピンに住んでいることに理解を示してくれている。打ち合わせはフィリピンでやろうなどとも言ってくれる。費用の問題がなければ、そのようなアレンジもメリハリができてお互い面白い。

そしてこれは、フィリピンで仕事を展開するスタイルの一つとして、新しい試みである。
日本でフィリピンの外注をコントロールする方式は他でもやっているが、これは逆パターンとなる。
フィリピンから日本をコントロールするというよりも、国境を意識しない仕事の仕方を具体的に進めてみようというスタンスで考えている。

これから新規設計が3つ入ってくる予定だが、3つ全ての前情報を既に外注に流した。
今週からそれらの打ち合わせに入る。
B型は思い付きで突き進むことができる。これだと思えば即実行。後で泣きをみるかもしれないが、今はうまくいくことだけを考える。
こちらの役目はそれらの監修となる。仕様決め、設計構想への関与、進捗管理と顧客窓口、完成品評価となる。それ以外にも、外注と請負金額の交渉、できるだけ分割払いで外注に細切れに支払いできるようにするための顧客との交渉、そのためのマイルストーンの決定など、調整するべきことは多くある。
一旦仕事に入ったら、外注にはできるだけ設計に没頭してもらい、煩わしいことはできるだけこちらで引き受ける。

そんな構想を思い付き、実行に移そうとしている。
具体的な設計業務から解放されたら、僕はコンサルタント業務にも注力できる。
これまで実際に、メールやスカイプでの相談ごとが多かった。フィリピンでやっていたことは、このコンサルタント業務が3割ほど占めている。
基本的には無料でやるが、レポートが必要なものは少々お金をもらったりした。ここでのやり取りが新規設計受注に繋がるので、これはフィリピンの自宅にいながら、営業活動をしているようなものである。それらが実際、現在の新規設計受注に繋がっている。

さてこの試み、これからどうなることか。少なくとも今月の終わりには、外注展開による4本の仕事が始まっていることになる。その後は、追加で2本から3本の仕事がちらほら見えてきた。
よって2月は、できれば一旦フィリピンに帰ろうかと思っていたが、それを取りやめた。
3月の終わり頃までは、日本に居てこの試みの様子を見ながら、今後のベースを作ることになる。
問題が発生したら、自分が設計のお手伝いをすれば良い。そのスタイルが見えてくれば、フィリピンに居ながら設計の一部を向こうで分担することができる。それにより、外注の負荷を軽減できる。悩みどころでは、僕がどこにいようが知恵くらいを出す事もできる。
これは良いとお互いが思えるよう、当面の仕事を通して外注との信頼関係を築くことが当面の課題である。

それは良いとして、まずは今目の前にある問題を、この2日間で片付けなければならない。
昨日ようやく出口が見え始めたので、今日は突貫工事になりそうだ。ふぅ。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:435.方針変更
2012年01月29日

434.暗い淵

昨日の昼に会って食事をした女性とは、モナの友達のEちゃんである。
僕が彼女と初めて会ったのは、彼女に言わせると6年前だそうだ。彼女はモナが横浜で働いていた店の同僚だったフィリピーナである。当時モナとEちゃんは、店の中では一番仲の良い友達だった。

その6年前、Eちゃんには自慢の日本人の恋人がいた。その恋人とは僕も何度か顔を合わせたことがあるし、モナを含めて4人で食事をしたこともある。
その彼には、Eちゃんに限らずモナも絶対の信頼を寄せ、当時のモナは冷たい僕と彼をことごとく比較しながら、頭が良くてハンサムで優しい恋人を持つEちゃんを、心のどこかで羨ましいと思っていたことが言葉の端に現れていた。

確かに彼は、普通のフィリピンフリークとは違っていた。
年齢は僕より9歳年下だったから、当時は34歳だったはずだ。
彼はまだ若かったが、人並み以上の常識と見識を持ちスマートな印象を受ける人間だった。
妙にお金を持っているように見える人で、彼はEちゃんに様々なプレゼントをしお金も渡していた。そのような具合だったからEちゃんが彼に傾倒し、モナも良い人だというのは分かるような気がした。
実はEちゃんと彼のことは、過去にも記事にしている。それと重複するが、簡単に彼とEちゃんの顛末を説明すると、次のようになる。

Eちゃんと彼はめでたく結婚することになり、Eちゃんは一旦フィリピンに帰ることになった。彼は結婚手続きでEちゃんを追いかけるようにフィリピンに行くことになっていたから、Eちゃんは幸せな気持ちでフィリピンに帰ったのである。
しかしEちゃんがフィリピンに帰ると、1カ月ほどして日本にいる彼の連絡が途絶えるようになった。次第にそれが顕著になり、Eちゃんが何度彼に電話をしメールを出しても、彼のレスポンスが全く無くなってしまった。

連絡が途絶えてしまい、Eちゃんの心の中にたちまち暗雲がたちこめていった。
不安になったEちゃんは当時まだ日本で仕事をしていた僕に頻繁に連絡を取り、まずは彼が元気でいるのか、事故や病気で病院に入ったりしていないのか、それが心配だから確認してくれないかとお願いしてきた。
僕は彼の勤める会社を良く知っていた。職場に電話をしてみると彼は外出中だったため、僕は受付の女性に自分が彼の昔からの友人だと言い、彼が音信不通で心配しているが、事故や病気などなく元気に過ごしているか仲間で心配しているので電話をしたと嘘を言い、彼の様子を簡単に聞きだした。そしてやはり元気に過ごしていることが確認できた。

一つ目の心配が払拭されると、Eちゃんはそれまで湧きあがっては必死に押さえ込んでいた次の心配が、今度は抑えきれないほど大きくなってしまった。
病気や事故は心配であったが、しかしどうしようもない事情があって連絡が取れないということは、彼女の中では矛盾する希望でもあったのである。
当然彼の無事が確認できたら、自分は裏切られたのではないかということが濃厚になってきた。
そうこうしているうちに、彼が東京のあるPPに入り浸っているという情報が、フィリピーナのネットワークを通してEちゃんにもたらされた。
彼の周囲に女性の影がちらほらと見え始め、Eちゃんはいてもたってもいられない状況になったが、既にフィリピンに帰ってしまった彼女にはどうしようもなかった。
もし裏切られたとしても、Eちゃんはどうしてもそれが信じられないが、本人と話しができないのだから彼女は気持ちの整理がつかない中途半端な状態で、それから2年以上を暗い気持ちで過ごすことになった。

当初食事も喉を通らず憔悴しきった彼女の様子は、自殺してしまうのではないかと心配になるほどだった。マニラで会った彼女は信じられないほど痩せていて、彼女の苦悩のほどがひしひしと伝わってきた。
お金を稼ぐ術を失った彼女は、経済的困難にも襲われていた。運悪く父親が病気になり、その治療費、手術代、入院代を捻出するために、日本で働いて購入した家も手放してしまった。彼女の空白の2年間は、彼女から全ての希望をはぎ取ってしまったのである。
普段の生活にも困る有り様で、僕とモナがマニラに行く際には彼女と会い、ささやかな援助を繰り返した。

2年を経過し、彼女の心にもようやく落ち着きが見え始めた頃、彼女はシンガポールに働きに出ると言い出した。体を売ることが前提の仕事であった。
その話しは大変怪しいもので僕とモナは危ないと反対したが、こちらは彼女の生活の面倒を見てあげるわけではないので、強引に彼女の決断を阻むことはできなかった。
しかし運が悪かったのか良かったのか、彼女の2度のシンガポール行きは、最初はシンガポールの入国イミグレーションで、そして2回目はフィリピンの出国イミグレーションで阻止された。
昨日の話しで、その働き口のバックにいた人間はシンガポールのマフィアだったと彼女が白状した。やはりシンガポールは行けなくて正解だった。もし無事にシンガポールに入国していたら、今頃薬漬けにされ、シンガポールにいる間は借金に追われ体を売る羽目になっていた。

再び彼女は窮地に追い込まれたが、追い込まれた人間は強いもので、今度は日本行きを画策し始めた。
そして運よく相談に乗ってくれる人がいて、その人の手引きにより彼女は、とうとう合法的に日本に戻ることを実現してしまったのである。

昨日会ったのは、足かけ3年の時を経て日本へ戻ったそのEちゃんであった。
Eちゃんの来日は急で、彼女の日本行きを知ったのは彼女が日本行きの飛行機に搭乗する寸前、彼女がよこした電話だった。よってフィリピンで彼女に会うことはできなかったのである。

昨日の再会は、マニラで会った昨年の10月以来であった。ようやく再出発に目処が立った彼女は一見元気そうで、自分を裏切った彼のことも忘れることができそうだと話していた。
僕はEちゃんに、彼に連絡をとってみたかと訊いてみた。

かつて彼が使っていた電話は、既に不通になっていた。
唯一繋がる電話には、いつも女性が出るそうだ。女性が出るとEちゃんは無言になってしまうが、すると電話の向こうの女性はタガログ語に切り替え、誰ですか、どこにいるのですかと話しかけてくるそうだ。
電話の向こうの女性は、電話をかけた無言のEちゃんが、彼の前の恋人であることを感じているらしいということだった。Eちゃんは電話をそのまま切ってしまうそうだが、相手の女性は、彼の昔の女性の影に怯えているようにも感じるらしい。
もちろんEちゃんには、そんな厭らしい復讐をするつもりはなく、純粋に、どうしても乗り越えられない最後の壁を打ち破るため、彼から少しだけ話を聞きたいのである。
謝って欲しいわけではない。もう別れたこと、二度と昔には戻らないこと、それだけをはっきりさせたいのだ。
電話に出る女性はおそらく彼が結婚した相手だろうから、Eちゃんはその女性が出る番号には電話しづらいようだ。しかし職場には電話をしていない。

彼女は、彼を責めたり騒ぎ立てたりする気は全くないと言っている。
彼のことはもう忘れることができる、前向きに生きる、もう大丈夫だと言うEちゃんには、随分元気になって良かったと思うのだが、しかし気がつけばEちゃんの話しは彼との思い出話になっている。
昨日彼女と会った場所は、かつてEちゃんとその彼が初めて出会った場所である。少し街を歩けば、そこら中に思い出の名残が潜んでいるのだ。
そんなEちゃんの様子をみながら、彼女の中では未だに決着がついていないだろうことが察せられた。
普段感情を表に出さないモナも、このことでは珍しく吠えた。
「彼女はゴミじゃないよ、なんでそんな捨て方をするの!最後にはっきりと話しをしないと、彼女は先に進めないでしょ!」

その言葉は僕の胸にも突き刺さった。全くその通りである。彼女は人の心を持つ優しい女性だ。他人の色恋沙汰には首を突っ込みたくない僕も、少し心が揺れた
僕は以前勤めていた会社を辞めた際、会社との厭らしいやり取りをブログに公表し、虫けらにも魂があると書いたことがある。
会社から見れば自分は大勢いる従業員の1人に過ぎないが、そんな小さな自分も心を持つ人間であり、それを全く気にかけない会社に対する憤りを表現した言葉だったが、まさにそれと同じだと思った。

それでも彼女は、フィリピンの家族のために、再び日本でがんばろうとしている。
そんな彼女がいじらしく、僕は昨夜彼女をどうしても応援したい気持ちになり、ブログ仲間との一次会終了後、失礼を承知で彼らと別れ彼女の働くお店に顔を出した。
一緒だった地元のshunsukeさんにだけは付き合ってもらった。
Eちゃんをshunsukeさんに押し付けるつもりは毛頭ないのだが、何か困ったことがあれば僕ではなく彼に連絡をするようにと冗談を言い、僕はEちゃんに彼を紹介した。
shunsukeさんは、それは困るなぁと笑って言いながらも、自分の名刺を彼女に渡してくれた。
それが実行を伴わないものであっても、心ある日本人が自分の傍にいるというだけで、彼女の心には少し灯りが灯るような気がしている。
今は、彼女が日本で1人ではないということを知ってもらうだけで良いのである。

彼女が最後の決着をつけられるよう、僕は昔の恋人に連絡を取ってみることをEちゃんに約束した。
喧嘩はしないよねと、それだけ念を押した。
今さら騒ぎ立てても何も始まらないよと言ったら、彼女はそれも分かっていると答えた。
とにかく最後のひと押しが、彼女には必要であるようだ。
そしてその気持ちは、僕にも痛いほど分かった。

どんな人間にも魂がある。
人は、できるだけ人の心の痛みを知って優しくなった方が良い。
傷つける人間は、日本人の側だけとは限らない。フィリピン人も日本人を傷つける。
傷ついた人間の苦悩とは、時として他人の想像をはるかに超える深くて暗い淵となる。
人はそれを良く知るべきだと思う。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:434.暗い淵
2012年01月28日

433.いい加減の勧め

一つの大きな仕事が佳境を迎えていた。
この度の来日で大きな目的の一つとなるある製品の製作とソフト変更である。
比較的すんなりいくはずだと楽観視していたが、それほど甘くはなかった。
フロントやリアパネルの印刷や塗装の出来が悪く、何度も業者につき返し、組み立て、検査の日程が後ろへずれ込んだ。
その間に基板を単品で検査しておこうと電源を入れると、数種類あるうちの一つの電源が入らない。地道に回路を追いかけると、ある部分が基板パターン上でショート(短絡)していた。以前製作した時には問題なかった箇所で、なぜ変わっているのかを確認したら、スイッチや表示部分の位置を微調整したので基板に設計変更を入れたことを告白された。
ようやく使えるパネルが仕上がり取り付けようとしたら、今度は1か所だけスイッチ位置が1mmずれていて、パネルとパネル基板が合わずに取りつかないことが分かった。

トラブルの原因は単純ミスばかりで、ミスをした本人は焦ったり落胆したりする。特に今回は、本人も周囲も想定外のポカミスだらけだったから尚更だ。
納期が目前に迫る中、ミスが発覚する度に周囲が大騒ぎになる。
僕は周囲の大騒ぎする声には一切耳を貸さず、いつも間違い部分をひたすら観察し、まずそれがアウトかセーフかを考えている。納期に支障をきたす致命的なものか、それとも手直しで何とかなりそうなものかを考えるのである。
手直しの方法が見えたらすぐに作業に取り掛かる。
失敗に対しては一切文句を言わないことにしている。文句を言っても、失敗を帳消しにすることはできない。どうしたら無事に完成にこぎつけられるか、それだけを考えることにしている。失敗の修復でロスする時間を、どうやってリカバリーするかも考えなければならない。そのような一連の流れを含めて、納期に対してアウトかセーフかの判断に必死である。

いけそうなら「とりあえず何とかなるぞ、良かった良かった」と笑って言えば、失敗をした人間はホッとした表情を顔に浮かべ、できるだけ自分も協力しますと心から言ってくれる。急いでいる時には、その気持ちと協力が必要となる。
他人の失敗で大変な目に遭った時にいつも思うのは、自分の奥さんにも同じように寛容になれたらどれほど良いかということだが、不思議とこちらは簡単に地が出て難しい。

営業がどうかと心配そうに尋ねてくるので、その時は「頭を下げる心づもりをお願いします」と脅かす。そうやって、この営業はどこまで腹が据わっているのか、どこまで信用して良いのかを見極める。
そこで「え〜!」っと驚いて、「状況と見込みをお客さんに直接説明してくれませんか」と言ってくる営業は全くだめだ。そのような人は、全てのことであてにならない。実際にこの製品の営業担当がそうである。

頼りになる人は多くを語らず、だまって見守ってくれる。何が起きても大仏のようにどんと構えて動じない。
そのような人は、最悪のケースでどう対処するかを、あらかじめが分かって決めているのである。もしくは状況に応じて即座に物事を判断できるトレーニングを積み重ねてきた人である。人を束ねる人にはそのような資質が必要である。
そのような「できる人」は、何があっても最後まで責任を果たしてくれる。謝る時には自分が先頭に立って謝るつもりでいる。目先のことより中長期で物を考えている。仲間のモチベーションを高めるのが上手である。そして大切なのは、適度にいい加減であることだ。
物事全てを完璧にしようとしたら、いくら時間があっても足りずに物事が進まなくなってしまう。意味のない完璧主義は極力排除するのが肝要だ。
もっともそれが行き過ぎて、僕は過去に何度もやけどを負っているが、この性癖はなかなか治らないので、もう諦めるしかないと半ばかんねんしている。

最近は物事に動じない大仏様のような人が稀で、大騒ぎする割にすぐに嫌なことから逃げる人が多い。その種のいい加減は如何なものかと思うが、今取り組んでいる製品の営業担当もそうである。人間性は悪くないが、彼の言動に時折納得がいかず、ついつい苛めたくなってしまう。
心配して作業場に頻繁に顔を出し、出先からも状況はどうかと電話をしてくる。
今日は夜遅くならないと見通しはわからないと言ってみると、最後には、直接帰宅するので後は宜しくなどと言ってくる。そこで彼が本気で心配していないことを分かってしまう。
あげく、もし何かあれば直接お客さんに電話をしてくれなどと言うので、それが納期や金額に関することであれば営業経由でお願いすると、こちらもわざと言ってみたりする。
営業の自分は細かいことは説明できないなどと言い訳を言うので、細かいところは自分が出向いて直接説明するから、納品が遅れる場合には、それを営業からきちんと伝えてくれとたたみかけると相手は無言になった。

営業にはどうなるかわからない、最悪は謝ってくれと言ったが、自分の中では全く諦めていなかった。まだまだ何とかする時間はあると思っていた。
腹をくくって会社でコンビニ弁当を食べ、栄養ドリンクを飲んだ。そうした戦闘準備を整えて製品と向き合っていたが、検査過程で新たな問題を発覚した。万事休すかと思われたが、粘ってみた。結局数ある部品の中に2個の壊れているものを発見し、それを交換すれば不具合は解消されるのではないかと期待しながら、そのまま朝を迎えた。出社してきた人間に交換部品をもらい修理すると、無事に不具合が解消された。
不具合箇所の特性再検査に2時間ほどかかったので、その分が予定より遅れてしまったが、発送手配(大きなものなので、トラックを頼んであった)については営業担当が調整してくれ、一番納期がきつかった先行品を無事出荷することができた。

木曜から金曜にかけこうして徹夜作業となったため、金曜は半ドンで仕事を上がったが、その後コーヒーショップに行ってくつろいでいると、いつの間にかそこで居眠りしていた。
せっかくの半ドンで時間があるから寝るのはもったいないと思いながらも、さすがに徹夜の後遺症には勝てなくなってきたようだ。歳をとると共に体力・気力が落ちている。
部屋に帰り夕方近くから爆睡した。

ひと山越えてしばし休息モードに入りたいが、この週末にもうひと山ある。お客さんより、どうしても月曜までに欲しいと言われている回路があり、そのプログラミングと動作確認を、月曜の昼までに終わらなければならない。日曜の夜は、再び徹夜となる可能性がある。
それが終わっても、すぐに別件が2つ控えている。いくら峠を越えても、目の前は別の峠が現れるので気の休まる暇がない。

それでも土曜日には、2つの約束がある。
突然意外なフィリピーナから僕の携帯に電話が入り、昼はその女性と食事の約束をしている。モナから自分の携帯番号を聞きだしたようだ。日本に何度も来ているが、外で女性と会うのは初めてだ。モナにはその件を報告しているから、決して怪しい密会ではない。
夜はブログを通じて知り合った方との約束がある。

くそ忙しくて気の休まる暇のない時ほど、このようなリラックスタイムは気分転換になって良い。
土曜は昼まで仕事をし、後は気分転換の時間にすると決めた。そう決めれば遊びに集中できるので、リラックスタイムの効果は抜群に上がる。
僕にとっては何事も、この「決める」ということが重要である。だからいつも、決めて心の整理をつけてから事にあたるようにしている。
あとは適度ないい加減を通り越さないよう気をつけるだけだが、その部分のコントロールはまだまだ修行が足りずいつも反省することになる。
しかし毎度反省するだけでは意味がないので、そろそろ「反省することを止める」と決めようかななどと思っているからどうにも始末が悪いが、僕はこうして自分の精神バランスを保てているのかもしれないなどと最近思えるようになってきた。
人間思い詰めるとロクな事はない。いい加減を積極的に実践することは実は意外に難しいが、いい加減が良い結果に結び付くことが多々あることも事実である。

するとフィリピンでは、良い結果だらけになってもおかしくないが、あの姿に癒される人が多数いることが既に良い結果であり、見えざる良い点はやはり多くありそうだ。
フィリピンは、ある意味行き過ぎるとこうなりますという良い見本でもあるので、それを踏まえながら、僕はこの「適度ないい加減を少し意識してみたらどうですか」と、是非多くの方にお勧めしたい。
意識したいい加減は、意識しないいい加減よりはるかに始末が良いのである。


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