フィリピーナと共に
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2014年09月17日

729.不幸は突然やってくる

 不幸というものは、幸福よりもはるかに高い確率で、突如天から降ってくるものだ。棚ぼた方式の幸福など、最近いつお目にかかったか思い出せないくらいだが、不幸に出くわした記憶ならいくらでも出てくる。先日も、その不幸に見舞われた。しかも、近年ないくらい、ひどいものだった。それが神の仕打ちならば、僕は生涯無宗教に徹するだろうというくらい、ひどかった。

 会社帰り、一つ目のバスを降り、次に乗るべきバスへと向かった。それは比較的日常のことでいつもは迷わずバスを乗り継ぐが、その日に限って、一瞬、タクシーを使おうかと思った。
「いや、もったいない。バスで帰ればタクシーの十分の一の値段だ」
 僕は自分のなまけ根性を戒めるようにそう思い直し、タクシー乗り場を素通りしたのだ。
 バス乗り場に着くと、たまたま家の前を通るバスが来た。いつも乗るバスとは番号が違うが、間違いなくそれも自宅前に停車する。一時間かそれ以上の間隔で走るそのバスに巡り合うなど珍しいことだし、全く待たずに乗れるなんてラッキーだなどと、僕はその時はそう思いながら、すぐにそのバスに乗り込んだ。
 バスが発車してからすぐ、僕はささやかな異変に気付いた。それは、(あれ? 今日は何となくタバコがまずいな)とか、(おや、最近、大の方をしていないな、前にしたのはいつだっけ?)というのと同じような、本当に小さくささやかなことだった。  
 
 こちらのバスは、公共の乗り物とは思えないくらい運転が荒い。アメリカの広大な土地に突然発生し、木々や家や車を丸呑みしながら進むハリケーンのような勢いを感じさせるくらい、猪突猛進という感がある。コーナーも、重心の高いバスは倒れ込むのではないかと思えるほど攻め込むし、突然車やバイクが目の前に現れたら、タイヤがロックするようなブレーキのかけ方をするのだ。立っている僕の体も、当然バスと一緒に前後左右に激しく揺さぶられ、体を支えるためにポストにしがみつく腕がだるくなってくる。
 体に力を入れているうちに、先ほど気付いた小さな異変が、少し成長していることを認識したが、その時はまだ余裕があった。まだ、冷や汗が出るほどでもなく、もちろん肛門に力を入れる必要もなかった。
 
 ふと、バスがいつもと違う道に入った。なるほど、同じく自宅前に停まるバスで番号が二つあるのは、バスの走るルートが違うからなのかと、また少し賢くなった気分だった。今後のためにルートを見極めようと、僕は道筋を車内から懸命に眺めていた。これはずいぶん遠回りになると気付いたときに、ささやかだった異変が、それほど無視できない状態であることを自覚し始めた。
(あっ、これは少しまずいかも)
 さりげなく重苦しかったお腹に、時々差し込むような痛みが出始めたのだ。最悪は途中で降りなければならないが、どこで降りたら用がたせるのだろうとシミュレーションをしている間に、痛みが徐々に増長してきた。そのうち、車内に降りますという合図のランプがつくと、そのたびに僕の中に焦りが浮かぶようになり、冷や汗ものになっていった。

 急発進、急停車、そしてコーナー攻めは、お腹に刺激を与えるが、この調子でどんどん進めという具合に、その速度感が頼もしくも思えてきた。これでバス停での停車がなければ最高なのだが。 
 そしてついに、立っているのが辛くなった。五メートル先の座席シートは空いている。それでも座った方が良いのか、それとも立ったままの方が良いのか、すぐに判断がつかず、結局現状維持を選んだ。
 あと十分か十五分、何とか持ちこたえて欲しいという願いが強いほど、痛みも同じ強さで押し寄せてくる。既にお腹は、苦しい痛みと落ち着きをある周期で繰り返していたが、間隔が短くなっているように思えた。痛みに襲われているときは、きりきりと差し込み体を動かせず、それに耐えて次の落ち着きが来るのをひたすら待つという状況だ。痛みが絶頂期を迎えているときに自宅前バス停に到着したら、僕は自力でバスを降りることができるのだろうか。僕の顔は、そんな恐怖に引きつっていたと思われる。

 とにかく進んでくれ、誰も途中下車しないで欲しい。僕のそんな祈りは各バス停で裏切られ、そのたびに愕然としながら、僕は肛門をきつく絞っていた。ふと、バスが再び横道に反れたときには、本当に気絶してしまいたいくらい目の前が暗くなった。この期に及んで更に遠回りなどされたら、通勤バスの中で大事件が発生してしまう。
 どこかで、僕のプライドが、大事件なんか絶対起こさないぞ、と叫んでいる。周囲の外国人労働者たちは、僕の中で何が起こっているかなど知ることもなく、ふざけあったりバスストップのボタンを平然と押した。ポーンという音と次は停車しますという赤いランプが、お腹を刺激する。それらは既に、拷問の領域に達していた。
 
 そうそう、急いで急いで、ブレーキなんか踏まなくてもいいから、あっ、でも揺れはだめ、あっ、だめっだって、もっと優しく、でも早く。
 僕の心からの祈りは、ドライバーに届いているのだろうかなど、本当は考えるゆとりもなかった。なぜあの時、タクシーに乗らなかったのか、などという後悔もなかった。とにかく無心になることに集中し、自宅前バス停まで、自分の中の時間を止めるしかないと思っていた。余計なことは一切考えない。気付いたら到着していた、という状態を作ろうと懸命になった。

 もしぶちまけるとしても、バスの中では絶対に無理だ。せめて自宅前のバス停から自宅まで道なら、まだごまかせるかもしれない。コンドミニアムの敷地に入る際、ガードハウスの横を通るが、素早く通り抜ければ何とかなるだろう。近道の駐車場内は明る過ぎてだめだ。若干暗い駐車場横の道を通れば・・・。問題はエレベーターだ。誰かと一緒になったらアウトだ。そうだ、階段がある。時間がかかる分リスクはあるが、それは状況を見て決めよう。
 僕はバス停から自宅までの間に、万が一ぶちまけてしまったときのことをシミュレーションしながら、いかんいかん、無心になるんだ、僕のお腹は痛くない、痛くないと、何度もおまじないを唱えた。

 結局大事件を起こさずにバスを降りることはできたが、もう限界だった。肛門を締めると股間が前に出る。たいそう変則な歩き方になっているはずだ。あっ、やばい、きたぁー。
 僕は歩みを止め、肛門を絞れるだけ絞り、本当に時間が止まったように動きを止めた。次の一歩を踏み出すと出る。踏み出せない。でも前に進めない。進まないとやばい。痛みが少し和らぐのを待つ。
 女性のお産も、陣痛が周期的にやってくるようだが、こんな苦しみなのだろうか。僕は男でありながら、通常味わうことのできない産みの苦しみに遭遇しているのかもしれない。
 ふと、脈絡もなく、そんなことが頭に浮かんだ。
 産まれる〜。産まれる? いやいや、産んだらだめだ。自宅の建物はもう目の前じゃないか。産んだらだめなんだ。気力を振り絞れ。
 僕は自分自身を、必死に鼓舞激励していた。とにかくエレベータに乗るまでは、絶対に持ちこたえたい。
 その甲斐あって、無事にエレベーターにたどり着いた。僕の部屋は十階である。十を押してエレベータのドアが閉まる瞬間、三十代の女性が慌てて駆け込んできた。
 うわ、これでエレベーターの中でもぶちまけられない。ところで何階? 僕の上であって欲しい。二十階まであるこのコンドミニアムで、確率は半々だ。

 女性の押した階数は、九階だった。僕は顔も体も既に硬直している。九階のボタンが光るのを恨めしく見ながら、これは既に、終わったかもしれないと思った。もしかしたら僕は、このコンドミニアムで、うんこ日本人野郎として華々しいデビューを飾ることになるのか。せっかく気に入っている場所なのに。家族もとても気に入っている。唯一、プールで遊ぶときの水着にガード連中が口うるさく注意してくるのが難点だったが、ヘッドオフィスに強烈な苦情を出したら、水着は自由というルールに変わった。もう百点満点になったのだ、この住まいは。うんこで退去するのはいやだ。
 
 その海よりも深く山よりも高いほど強い強い願望が、僕を支えた。九階で一旦止まり、ドアが開きまた閉じる。ドアの開閉速度が、スローモーションのように遅く感じた。エレベータが十階に到着し、開いたドアから出た僕は、左右上下に体を揺らす歩き方で部屋の前にたどり着き、必死で鍵穴に鍵を差込み(これが苦労した)、トイレに駆け込んだ。
 パンツを下ろし便器に座った瞬間、ソリッドともリキッドともつかないものが、激しい空爆音を伴い投下されていた。
 間に合った。座ると同時だった。あと十秒到着が遅ければ、僕は途中でぶちかまけていたのだろうか。いや、きっと十秒遅くても一分遅くても、ぎりぎりだったのだろう。精神力が支えてくれるのだ。精神に緩みが生じた瞬間に、一気に爆発するだけの話だ。
 大きく息を吐いてから、僕は自分のことを、よく耐えたと褒めた。
 不幸は突然やってくる。日ごろから、ますます精神力を鍛えておかなければならないと、痛感した日であった。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:729.不幸は突然やってくる
2014年08月11日

728.フィリピンの若い女性と付き合うということ

 人は見かけに騙されやすい。一見で、その本質を見抜くことが難しい。夕食後のティラミスを食べながら、僕はそんな事をふと思った。

 今日は丸々一日、ベッドの上で惰眠を貪り、合間に本を読んで過ごした。元々は早い時間に出かけるつもりでいたのが、早過ぎる時間に目覚め、コーヒーを淹れ本を読んで時間を潰しているうちに眠くなり、うとうとしては気付いて読みかけの本を手に取り、またいつの間にか眠っているという繰り返しだった。その間、一切の食事を取らず、最後に本を手に持ちながら覚醒したのは夕方六時過ぎで、さすがに驚いた。もうどこかへ出かける時間ではない。完全に一日を無駄にしてしまった。まだ、先日の風邪を引きずり体調が復活していないのかもしれない。
 しかし、大いなる無駄は長い人生に必要なことかもしれない。そう自分に言い聞かせることがよくあるし、しかも僕は、心のどこかでそのことを信じている。無駄のない仕事ぶり、無駄のないお金の使い方、無駄のない時間の使い方、究極の無駄のない生き方。そんなことはあり得ないし、それを求め出すと疲れることになる。それを求め過ぎ、かえって何も得られないケースもいくつも体験したし見てきた。それに、無駄には意外に様々な巧妙がある。いくら考えても分からないことが、無駄時間を過ごすことで解決方法を見出すことはよくある。何よりも意味のない時間を過ごしお金を使うことは、心と体をリラックスさせてくれる。そう、無駄は人生に必要なことなのだ。

 夕方覚醒し、さすがに腹が減っている事を自覚した。モナにそのことを話すと、食事をきちんと取らない生活が体の免疫を後退させるのだとえらく叱られた。早くご飯を食べなさいと急かされ、ようやく重い腰を上げた。あいにく部屋の食料が底をついていたので、髭を剃り歯を磨きシャワーを浴びて外へ出る準備を整えた。
 遠出する気力はとうに失せていたので、外に出てからバス停とは反対側に当てもなく歩き始めた。反対の方向には大きな高級モールが二つある。そこにはきっと、僕の食べたいものがあるはずだ。歩きながら何を食べようか考えてみたが、腹が減っているにも関わらず何も思い浮かばない。一つだけ言えることは、和食やイタリアンのような高級レストランに行く気分ではなかった。かと言い、ローカルの安過ぎる場所で食べる気分でもない。結局、以前入って大したことがないと思ったラーメン屋に行くことにした。食べたいものが決まらない時はラーメンに限る。目的が定まると、足取りも力強くなり歩く速度が増した。目指したラーメン屋の扉を開け、席についてから速攻で味噌ラーメンとミニチャーシュー丼と餃子にコールドグリーンティーを注文して食べた。
 僕の古い記憶に間違いはなかった。たいそう不味い。不味いという記憶はあったものの、これほど不味かっただろうかと僕は自分の記憶の隅をつつくように探ったが、よく思い出せなかった。それでも目の前に突きつけられた現実は、疑いようのなく「不味い」ということだった。食事の途中から、今回は物理的に腹を満たす行為なのだと割り切ることにした。そしてラーメン屋を出た後に、口直しでコーヒーショップに入り、アメリカンとティラミスを注文した。
 
 目の前に出されたティラミスは、僕の知るティラミスとはまるで違う見た目だった。そう言えば、これまで食べたティラミスというものは、名前はティラミスでもまるっきり違う外観のものが多いことに思い当たった。しかし、少し口に入れてみれば、それがティラミスだと納得することもいつものことだ。なぜまるで違う外観で実際に違う味なのに、それをいつもティラミスだと認めてしまうのだろうと、僕は自分自身のそんな感性を不思議に思った。きっとまるで容姿や味の違うティラミスに、それをティラミスだと感じる共通点があるはずなのだ。

 ジーンズの後ろポケットに収めていた読みかけの小説を取り出し、コーヒーショップのオレンジの照明の下でそれを読み始めた。すると間もなく、一つのメッセージが僕の携帯に届いた。日本の友人からのものだった。この友人からは、ここ数日、フィリピンの女性の件である相談を持ちかけられていたのだ。自分が、若いフィリピーナに騙されているかもしれないという内容だった。それを友人が相手のフィリピーナ本人にぶつけてみると、連絡が取れなくなったという話もその相談に含まれていた。そのことで、一度彼女にコンタクトを取って欲しいとお願いされていたが、それがいつになるかという問い合わせのメッセージだった。実際にコンタクトを取るのはモナに事情を話しお願いしていたが、モナは明日連絡をすると言っていたので、僕はコーヒーショップから直接、その彼女に連絡を入れてみた。彼女の電話は呼び出し音がなっている。それを確認してから僕は、彼女に自分の素性を含めメッセージを送った。返事が来るかどうかは全く分からない。むしろ来ないだろうと思っていたが、予想に反して返事がきて驚いた。その返事には、彼との関係はこれまで同様維持したいと書かれていた。

 友人の話は、もし彼女が確信犯で自分を騙していたのなら、それ相応の報いを彼女に与えたいというものだった。お金を返せということを、それなりのルートで彼女に突きつけ、実際にはお金が自分に戻らなくても彼女に反省を促したいということのようだ。しかし彼の本音は、騙しただろうと詰め寄り喧嘩状態になった彼女と寄りを戻したいというものである。しかし話をしていると、騙したのではないことを彼女が証明できなければ、別れるのも仕方のないという矛盾を抱える相談だった。であれば、彼女がきちんと証明できるまで放っておきましょうと言うと、いや、やはり一度連絡を取って話をして欲しいと言われた。そこにはチラホラと、惚れた弱みが見えるのである。惚れた弱みがあるのに、これまで使ったお金は結婚を前提に送金したのだから、もし騙していたならお金を返せと友人は言っている。
 彼の本音は、決してお金を返して欲しいのではないことくらい僕にも分かっている。寄りを戻したいのだが、それを色々な働きかけで何とかしたいのであって、お金を返せというのはある意味その駆け引きの一つにも取れる。
 僕は彼女の目線でそのことを考えてみた。言い換えれば、もし別れるなら金を返せと言われているようなものだ。それは金を持つ側が金を必要とする側に対し、大変高飛車な物言いと理屈になる。友人は正義はこちら側にあると言いたげな雰囲気だが、以前の記事でも書いたように、正義とは時として、自分にとって都合のよいことに過ぎない。そんな脅しを突きつけられ、彼女の気持ちがその友人に近づくわけがない。現在彼女の気持ちが友人近いのか、それとも本当に騙しているだけでまるで遠いのかは分からない。ただ、少なくとも彼女の気持ちの方向は、友人から遠ざかる方へ行くだろうことは容易に想像がつく。仮に強引に寄りを戻したとして、それで将来二人がうまくいく保証はどこにもない。もともと愛し合って結婚してもうまくいかない例は枚挙に暇がないのだから、最初からケチがついた状態では、暗雲が立ち込め高波が出始めている洋上へ、小船を出すようなものだ。
 
 結局モナに彼女と直接話をしてもらい、様子をみた。モナの感触は、彼女と付き合うのは少しリスキーかもしれないということだった。相手が若すぎることもあるだろうが、考えや話し方が子供っぽく、もしかしたら家族も含めた仲間内で、日本人を騙していることを生業の一つにしているかもしれない、そんなことはよくある話で決して珍しいことではないということだった。
 しかし、あくまでも感触であり、一度電話で話したくらいで本当のことなど分かるはずがない。それは僕にしても同じで、状況を聞くだけで全てを見通せるわけもなく、直接本人と会ったり話をしている友人本人も分からないのだから、第三者のこちらに事情など絶対に分かるわけがないのだ。
 友人とそんなことを話した時に、彼は本当のことが知りたいと言っていたが、本当のことなど簡単には分からない。人の気持ちを胸を切り開いて見ることもできないのだから、それはやはり感じるものでしかないのだ。いや、彼との話を終えてから僕は、もしかしたらそれは、現時点で分かろうとするものでも感じるものでもなく、彼自身が決めることではないろうかだという気さえした。つまり、彼女は白だと決めるのである。どうしても別れたくなければ、そう決めて腰をすえて彼女と付き合ってみるしかないだろうと思うのである。
 友人から僕の意見を求められ、別れるのが嫌であればお金のことを持ち出さず、それは捨てるつもりで、彼女のことを包み込むように接してあげるしかないだろうと進言した。少なくともそうでなければ、今はどうであれ、今後相手の心を繋ぎとめ更に引き寄せることなどできないと思う。
 
 実は僕がティラミスを食べながら考えていたことは、それとは全く別のことだった。ティラミスは食べる場所で全くその様相を変えながら、しかしティラミスだと感じさせる何かの共通点を持っている。それを人間に例えて、人間も所によって凄惨な考え方をし行動を取りながら、しかし同じ人間だという共通点があるのだろうことを僕は考えていたのだ。
 世の中には、知ってしまった後に、知りたくなかった、知らなければ良かったと思うことがある。知らなければ幸せだけれど、知らないが故に理解が深まらないことも多くある。
 モールに行く途中で、僕は一人の物乞いに出会った。最近この近辺で、たまに見かけるようになった人である。彼は路上に座り体の前方に空き缶を置き、その横に片足を投げ出していた。投げ出した足をよく見ると、脛の脇辺りの皮が大きく剥けてただれていた。血が混ざっているのか患部は赤いが、膿も出ているようだ。それをこれ見よがしに投げ出し、通行人の同情を誘っているように見えるのである。
 フィリピンで見かける物乞いは、乳飲み子を抱いている女性も多い。しかしこれは我が家の地元でも有名な話で、抱かれている子供はレンタルベイビーで、子供をダシにして少しでもお金を稼ごうとしているそうなのだ。そこまではよくある話で僕も聞き流せるが、一度四肢のない子供を抱いた女性を見かけたことがある。ある人の話に寄れば、その子供も女性の年齢からみてレンタルチャイルドだろうことだったが、四肢がないのは少しでも路上で同情を誘うため、赤ん坊のそれを切り落とした可能性が高いというものだった。そのような荒行をこなすのは、もちろん背後にいるマフィアである。僕はその時にまさかと思ったが、後にあるノンフィクション書籍で、そのような事実の詳細を知ったのである。その中には、少しでも同情を得てお金を稼げるよう、目をつぶす、体をナイフでえぐるというのは日常茶飯事に起きていることで、その傷が痛々しいほど効果があるという事実が書かれていた。
 そのようにして育った身体障害を持つ子供は、一生物乞いをして生きていくしかないが、自分を傷つけた親代わりのマフィアを恨んでいないのである。逆にマフィアに見捨てられたら自分が生きていけないことをよく知っていて、持ちつ持たれつの関係を良好に維持していきたいと考えているのだ。貧困の世界とは、自分が想像するよりもはるかに凄惨だ。目と耳を覆いたくなる実態が当たり前にあり、しかしその事実を知ったところで自分にはどうしようもなく、自分の無力さにうな垂れて、胸の中に鉛の塊を抱えたような重苦しい気分になる。
 物乞いや売春の善し悪しを議論するのは構わないが、そこにはある程度の生活を保証された人には理解し難い背景があり、生きるために仕方のない選択の結果であることが多い。ある国で、町の浄化のため物乞いと売春を強烈に取り締まった結果、その影で赤子の四肢を切り取るのと同等の凄まじいことが多発した。人は生きるため、自分の臓器を売るのはもちろん、それ以外に、路上で死んだ死骸を買い取り、それを町中引きずり埋葬代をくれと道行く人にお願いすることや、少女売春や同姓売春に拍車がかかるなど、貧しい人が生きるためのあらゆることを始めたのである。町で取り締まりが厳しくなれば、貧困層は生き難くなり町から離れてそのようなことをする。それでも貧しさは変わらず、売春や物乞いやアンダーグランドのビジネスをしている人たちは蛆や蛭や蟻や蝿に囲まれる路地で暮らしている。上前をはねるマフィアでさえ、劣悪な環境に身をおいているのだ。貧困層は自分の苦しい境遇から目を逸らすために、ドラッグを常用する人も多い。ドラッグ中毒になれば、それをもらうためにますますマフィアの言いなりで、それまで以上に自分の体を惜しげもなく差し出すことになる。臓器を差し出しお金に変え、それで体が弱れば物乞いで人の同情を買う。そして半死人になれば写真を取られ、家族が病気で死にそうだと、道行く人の同情を買う道具にされる。そして死んでからも、その遺骸が人からお金をもらうための道具として利用される。悲惨な末路だとしても、マフィアやそれに順ずる組織の庇護がなく何の手も思いつけない人は、すぐに餓死してしまう。
 そんな人生ならば、意味などないではないかと思えてしまうが、それも豊かさに慣れた人の言い分で、本人さえそう思っても積極的に自分の命を絶つことは難しいのだ。この世界には豊かな日本人が想像できないことがあり、日本人の主張する正義などまるで通用しない世界が蔓延している。
 僕はティラミスを食べながら、外観がまるで違ってもそこには何らかの共通点が見出せるように、人間も、世界の隅々で凄惨な人生を歩んでいる人たちに、幸せを願う気持ちや貧困から抜け出したい気持ち、異性を愛する気持ちや何とか生きながらえようとする本能など、様々な共通点があるのだろうことを考えていた。そうであれば、貧困層の心の痛みは自分の感じる痛みと同種であるだろうことが想像され、ますます気持ちが萎えてくるのである。生きるための手法が間違っていると言う理屈など、そうしなくても生きていける人の理屈でしかないというのは、自分の根底にある考え方だ。

 友人の彼女がお金を得るために嘘をついていたとして、その背景も知らずして僕にそのことを断罪することはできない。それは、その人の人格とどれほど関係を持っているのか、正直僕には分からないのである。もちろん個別に許せることや許せないことがあるだろうが、第三者にそれを求められても、その判断にはどうしても限界がある。
 程度に差こそあれ、モナやその家族はかつてはお金に苦労し、惨めな思いもたくさんしてきた人たちだ。モナに会う前に出会った人たちも同様で、僕はそれを知らずにそれらの人を傷つけることもありながら、多くのことを学んできたと思っている。学んだからといって自分に何ができるわけでもないが、物事を多角的に捉えることができるようになった。少しは相手に目線を合わせることができるようになったと思っている。
 この目線の位置は重要で、人はそれを無意識に感じ取れる。相手の目線が自分より高いところにあれば、相手を心から受け入れることが難しくなる。相手の立場になって考えてみれば、簡単に分かることだ。それすら想像できない人には、違う文化背景を持つ人と人生を共有することは難しいかもしれない。

 モールでコーヒーを飲んでいると、雲行きが怪しくなってきた。時々稲妻が走り、一瞬周囲を明るくする。僕は慌ててモールを引き上げたが、途中で雨が落ち始めた。
 僕は走ってコンビニに駆け込んで、五百円の傘を買った。こうして購入する傘は、これで四本目となる。僕自身は雨に濡れることなどまるで構わない。ずぶ濡れになろうが、部屋に帰ってシャワーを浴びて着替えればいいだけの話だ。しかし僕には、どうしても守りたいものがあった。携帯とジーンズの後ろポケットに差し込んだ日本語の単行本である。それを守り抜くためであれば、いくら自宅に傘が増えようが、五百円の出費をもったいないと思わない。雨が降る前から傘を持ち歩くのも僕は嫌いだ。身軽な状態で開放感に浸りながら歩き回るのが好きだからである。その開放感を味わうために、僕は傘に出費をするリスクを受け入れることができる。そして実際に、家の玄関に立てかける傘の本数が増えることに少しため息をついたとしても、リスクと引き換えに味わえる開放感を普段満喫しているのだから、仕方がないと考える。
 フィリピンで育った若い女性との付き合いも、それと共通することが多分にあるのではないだろうか。



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2014年08月01日

727.大型台風の直撃より

 7月始めに日本での仕事がようやく終わり、ある地方都市から関西空港がある大阪まで大型台風から逃げるように移動した。この時は出張の延長を繰り返し、結局一ヶ月近くも日本にいたことになる。その数週間前も日本出張だったが、実は現在もまた、日本でこの原稿を書いている。つまり最近は、一ヶ月と間をおかず日本に通っていることになる。ただし今回の日本出張はテーマの決まったミーティングのみとなり、かなり確実な二泊三日の予定だ。

 前回マレーシアに帰る時には、大型台風が沖縄辺りに上陸しテレビでしきりと騒いでいた。その台風から逃れるように大阪に向かって乗っていたのが、「のぞみ」という新幹線だった。これはいまやユリの憧れの的で、彼女は僕がフェイスブックに載せた新型新幹線車両の写真を見て、自分も乗りたいと騒いでいる。先日フィリピンに帰った際にも、ユリは日本行きを熱望していた。しかし彼女の一番の目的は意表をついて、のぞみに乗ることではなく雪遊びとサンタに会うことである。ユリの頭の中では、日本には年中雪がありサンタの家まである。よく話を聞けば、スノーマン(雪だるま)もその辺で遊んでいるようで、運が良ければ出会えて一緒に遊んでもらえるそうだ。彼女の夢を壊さない程度に、今の日本は暑くて雪はないと教えたが、それしきで彼女の日本行きの夢は途絶えることがないようだった。久しぶりに会ったユリはずいぶん英語が上達しており、その発音はモナでさえ「まるでアメリカ人だ」と笑ってしまうくらい本格的になっていた。これはいつもインターネットで本場の英語に触れているからで、気を抜くと発音が良すぎて、日本人の僕には彼女が何を言っているのか分からなくなるほどだ。僕に対するユリの会話は、いまや100%英語になっているし、そのセンテンスの長さもかなりのものになっている。自分の実の娘がアメリカ人のような話し方をするのは、とても奇妙な感覚に陥る。

 ここまでで、僕が今、どのような状況にあるのか頭の中に疑問符が複数浮かんでいる人がいるかもしれない。時系列で説明すると、まず今月、フィリピンが大型台風に見舞われ、多くの被害が出た。ビコール直撃の台風で、マレーシアからフィリピンの家族に連絡が取れなくなった。コンクリートの固まりのような家が飛んでしまうとは思っていないものの、さすがに音信不通が4日目くらいになると僕も心配になってきたので、直に訪れるハリラヤというイスラム教の連休に合わせ、僕は一度フィリピンの自宅の様子を見ておこうと決めた。するとたまたま、せっかくの僕の休みを脅かすように日本への出張が入った。フィリピンに帰る目的は現地の様子見だからまあ仕方ないということで、たった3日の日程で一度フィリピンに帰ってきたというわけだ。しかしフィリピンに帰る二日前から重い風邪にかかり、二日間の断食(何も食べられなかっただけだが・・)で体力をすっかり奪われた上に微熱が残る体を引きずり、這いずるようにタバコに辿り着いたような有様だった。そして一旦マレーシアに戻り、家には帰らずクアラルンプールからシンガポール経由で日本に来た。わざわざフィリピンからマレーシアに戻ったのは、単にトータルの旅費の問題で、その方が安く済むからである。
 
 話をフィリピンに帰る前へ戻すと、今回ひいた風邪は近年味わったことのないくらい自分を痛めつけた。久しぶりに体が悲鳴をあげ、心細い数日間を過ごした。マレーシアからフィリピンに帰る途中、まだマレーシア国内のクアラルンプールだというのに、既に頭が割れそうに痛い上に体がだるく倒れそうだと思ったくらいだから、それから飛行機を二つも乗り継いで(KL〜Manila & Manila〜Legazpi)、さらにトライシケルとバンに乗り(Legazpi〜Tabaco自宅)、よく自力で我が家に辿り着いたものだと振り返って思っている。
 
 久しぶりに見たレガスピからタバコまでの町の様子は、どこもかしこも大きな木が強風に耐えられなかったらしく、文字通り根こそぎ倒れ、妙に見晴らしが良くなっていた。鬱蒼とした原生林ジャングルや風になびく椰子の葉が南国のムードを美しくかもし出していたものが、これもまた無残に壊され残念だった。
 タバコの町に入るとまだ所々の電柱が倒れたままで、あちらこちらの送電線が乱暴にぶち切れて重力に逆らわず垂れていた。当然送電は止まっているのだろうが、45度も傾いたままの電柱は再びいつ地面に向かい動き出すのか分からず、近くを通るのにやや緊張感を覚えるほどだった。この電柱と送電線修理のため、一度開通した我が家の電気も、頻繁に停電を繰り返していた。加えて相変わらず自然災害に弱いフィリピンの町を象徴するように、町中のATMは軒並みオフラインとなっていた。つまりお金をおろすことができないのである。そんな話を聞いて、事前に窓口が開いていると確認できたウエスタンユニオンで現金を送付していたが、現地入りしてからふと気づいた疑問をモナにぶつけてみた。
「銀行の窓口ではお金をおろせないの?」
 オンラインシステムが根底から打撃を受けていれば無理かもしれないが、マニラのATMでは実際にお金をおろせたのだから、きっと基本的なシステムとデータは生きている。しかしモナの答えは「分からない」であった。彼女たちはそこまで頭が回らず、しかも確認もせず、お金がおろせないからお金がない、不便だと騒いでいるようなのだ。僕はここで、「お金はATMから引き出すもの」という先入観に支配されている現地の人々に恐れ入った。同じ理屈で、フィリピンのあちらこちらの女性たちから、日本のあちらこちらの日本人たちに相当の支援要請が入ったと予想されるが、実際に見てみれば現地の人は後述するようにけっこう逞しく生きている。一人の人から複数の日本人に対する便乗支援要請も、かなりの数に上るのではないだろうかと想像したが、これもフィリピン人の逞しく生きる術の一つだろう。送金依頼と実際の生活実態を正確に掴み公表できればかなり興味深いレポートになりそうだが、これもフィリピン人のお祭りだと思えば僕が目くじらを立てることでもない。これを読んでハッとされた方がいたとすれば、軽く笑い飛ばして日本男児の懐の深さを見せつけていただきたい。

 今回の電気の復旧には2〜3ヶ月かかると聞き、我が家では発電機を購入した。しかしこれは、「周りのお金持ちはみんな発電機を使っている」というモナの言葉に触発されたわけではない。少なくともモナがそう言うのであれば、我が家はお金持ちではないから、何も慌ててそのお仲間にならなくてもよいだろうと言うだけである。それでも購入したのは、夜に子供の蚊除けで扇風機を回す必要があると考えたからである。電気が止まっても、僕は現地の人が普通に暮らす様子を嫌というほど見てきているのだから、それ以外に特別急いで発電機を購入する理由はない。しかしいざそれを稼動させて始めて知ったのだが、発電機というのはガソリン代が思ったよりもかかる。するとそのことに驚いたモナと家族たちは、急遽携帯やラップトップPCの充電サービスを始めた。僕がフィリピンに帰る3日前のことである。モナの2人の弟が発電機を家の外に持ち出し、携帯1台の充電を20ペソほどで始めたのだ。初日は半日で600ペソの売り上げだったが、携帯を充電してくれるらしいという噂が広まり始めると売り上げは順調に伸び、一番収益が上がった時で200ペソのガソリン代で売り上げが1600ペソとなった。一日の儲けが1400ペソでかつ、余ったガソリンで家用に夜通し発電機を回しておけるという具合である。機転の利かせ方や即行動に移すその様子を聞きながら、僕は頭の中に、「転んでもただでは起きない」とか「七転び八起き」という言葉を思い浮かべた。そして、公共電気の通い始めるのが思ったよりも早く、それが商売が上向いた矢先のことだけに、みんなで儲け損ねたと本当にがっかりしながら話しているのを聞き、僕は彼らを、根っから逞しい人たちだと感心した。日本人の感覚では、困ったときの助け合いで無料提供もありだろうと思ったが、そんなことを考える僕は甘ちゃん中の甘ちゃんであるようで、それはあり得ない選択肢のようである。おそらく僕は、フィリピンを一人で生き抜くのは難しいかもしれない。逞しいフィリピンの家族がいるからこそ、僕が生かされているのだと変に納得したくなった。

 モナが「弟2人の取り分は半分だけれど、少な過ぎるかしら」と言うので、「資本を出した者が一番のリスクを背負い一番美味しい思いをするというのが現代ビジネスの慣わしだ、利益の半分を渡すのはむしろ良心的だ」と僕が答えると、彼女は嬉しそうに、いかにも小金を積み上げたという感じの汚れた小額紙幣をわしづかみで出してきて、これで美味しいフルーツを食べようと言ってきた。もちろん重度の風邪に体力を奪われた僕のためにである。このとき初めて、「ああ、もう少し電気が来るのが遅くても良かったかも」と、僕の頭にも不謹慎な思いがよぎった。ついでに「需要がどれだけあるかすぐ調査しろ、発電機を買い占めるぞ、あと何台買える、同時にできるだけ多くの端末を充電できるアクセサリーも必要だ、アンペア数と同時可能充電数、一時間当たりの予想売り上げをすぐに弾き出せ、停電期間に投資全てを回収して儲けを増やすぞ、停電期間が終了したら発電機の大半は半値で売りさばくから予約もとっておけ」などと、楽しく陣頭指揮を取る自分の姿さえも想像してしまった。そんな活気はポツポツと電気供給が開始され失われてしまったが、電気がまだまだ全く開通していないエリアも多くあるらしく、時々我が家に、充電をお願いしにくる人が五月雨方式でポツリポツリと訪れていた。そんな様子を横目で見ながらモナが言うには、「いまや携帯がなければみんな生きていけない」ということであった。「いやいや、やっぱり水と食料でしょう」と食い下がる僕の方が、よほど原始的な人間ということになるらしい。確かに前職のフィリピン工場で働く女性たちは、給与の何倍もする最新携帯を惜しげもなく買っていた。(ただしローンで)災害に見舞われても「携帯命」が変わらないところを見ると、携帯という製品は見事に世界中の人々の心を掴んだのだと、あらためて実感させられる。このような新製品が、今後も生まれるのだろうか。もしこれほど人の心を掴んで離さない新製品を生み出すことができれば、その時、自分もミリオネアの仲間入りは間違いなさそうだ。

 親戚の家はこの台風で、屋根が飛んだそうだ。僕はその話を聞いた時、「それでどうしたの?」と身を乗り出すように訊いてしまったが、「飛ばされた屋根が見つかったから、それをまた拾い、家の上に戻した」という返事を聞き、僕は三角の屋根を男衆で担いで自宅に戻した様子を想像してしまった。しかし実態はそうではないらしく、屋根として貼り付けてあるトタンが剥がれて飛んでしまったようなのだ。更に「家に戻した屋根は穴がいっぱい開いてしまったから、雨が入ってきて大変だったみたい」という話を聞き、そうしたことも何か日常的な感じがして、いちいち驚いている自分を間抜けに感じる始末だった。それで結局その親戚からは支援要請も来ず、おそらく開いた穴はぼちぼち修理しながら、次の台風では同じようなことが繰り返されるのだろう。自然に逆らわず起きたことを超然と受け入れ、普通に淡々と暮らすのである。そういった様子にこそ僕は逞しいという言葉が似合うように思えるが、あまりにも自分の常識からかけ離れた様子に、なにやら滑稽ささえ感じてしまう。その滑稽さとは、もしかしたら自分に対して感じているのかもしれないが、とにかくこうした時のフィリピン人の感覚や態度は、日本人の感覚を凌駕したところにあるようなのだ。それでありながら、僕はそんな有様に、不思議な憧れやシンパシーも感じるのである。



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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:727.大型台風の直撃より

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