フィリピーナと共に
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フィリピン生活:カテゴリの記事一覧です。

2011年12月29日

414.珍客登場

今年のクリスマスはそれほどハッとすることもなく、さりげなくあっという間に通り過ぎていった感がある。
もっとも街の中はまだまだイベント状態で、あちらこちらの電飾は相変わらず派手だし、人出は、その多さと勢いに酔いそうなほどで、街のセントラルと呼ばれる場所には特設ステージや奇妙なギャンブル屋台(見ていると面白い)が出現し、そして昼でも方々から大音量のカラオケが聞こえるなど、街の様相は平常時とは大きく違っている。
しかし自宅があるサブディビジョン(村のように区切られた住宅エリア)に一歩入ってしまえば、そこは街の喧騒と完全に隔離されているので、いつもと変わらぬ平和で静かな時間がゆっくりと流れ、ますますクリスマスが静かに来て静かに去っていったような印象をぬぐえないのである。

唯一クリスマスで珍しい出来事は(といってもクリスマスが終わった27日であったが)、ダディーの姉と弟の奥さんが、突然子供1人を連れ我が家に来たことであった。
普段我が家はダディーサイドの家族と疎遠で、この2人が我が家に来ることなど全くない。
僕は挨拶をするために仕事の手を休めて1階に降り、少しだけテーブル席に座って世間話をするママと来訪者である叔母さんたちに付き合った。その時ママは、本当はその叔母さんたちが好きではないにも関わらず、つつがなく珍客の相手をしていた。

僕はその時、普段は全く交流がなくても、やはりクリスマスシーズンは特別だから挨拶回りをするのだと素直に思っていた。
2階に戻って仕事を始めると、少ししてからモナが2階に上がってきて、いそいそと小さな封筒(日本のお年玉袋のようなもの)にお金を入れ出した。
その様子を見て、ハッと気付いた。

「もしかして叔母さんたちは、お金をもらいにきたの?」
「そうよ、たぶんダディーのお母さんから、ここでお金を貰った話しを聞いたんじゃない?」
「え?それでわざわざ?マジでぇ〜???・・・しかしなんだね、あっちは叔母さんであなたは姪だから、日本の常識に照らしたら向こうがお小遣いを持ってきてくれてもよさそうなもんだけどねぇ」

フィリピンの事情を百も承知している僕は、嫌味でも何でもなく、普通の態度と言い方でそうモナに声をかけた。というよりも、お金をもらうためにわざわざ来たなどと、僕はほとんど信じていなかった。
モナは大人に包むお金を300ペソ、子供には50ペソと決めた。そこへ顔を出したママとモナがこそこそ話していたら、突然ママが大きくかぶりを振った。

「どうしたの?」
「そんなにいっぱい、いらないって・・・」
「それでいっぱいなの?僕なんかわざわざ来たのに、300ペソじゃまずいかななんて思っちゃうんだけど・・」
「大丈夫よ、気持ちだから」

我が家の人間とその叔母さんたちは普段本当に仲が悪いのである。
その叔母さんたちは、自分たちが以前住んでいた家の隣の家で生活しているが、ここへ越す前には隣同士なので頻繁に顔を合わしていた。しかし我が家の人間と顔を合わせても、叔母さんたちは本当に挨拶一つしなかった。
叔母さんたちと唯一声を掛け合いちょっとした立ち話をするのは、突然その家に現れたマスオさんの僕だけという奇妙な現象が起こり、当時叔母さんたちが僕に愛想が良いことはモナにも不思議がられた。
叔母さんは最初から、嫁のママを気に入らなかったらしく、これまで態度やセリフでそれを明確に表明しているらしい。モナがベルを生んだ時には、近い親戚にも関わらずモナをふしだらな娘だと近所に言いふらし、ママやモナはそれに随分と心を痛めたと聞いていた。そのくせモナが日本で働きだすと度々お金を借りに来たそうだが、ママはそれに対してしっかりと防衛したので、今度はケチな人たちだと噂を立てられた。
それほど険悪な関係なのに、わざわざお金を貰いに来たというのは僕には信じられなかったし、それに対して渡す金額がたった300ペソという少額にも少々困惑した。

僕はこのような時、フィリピンのしきたりが良く分からないから、モナやママが決めた金額が多かろうと少なかろうと黙って従うことにしている。
ただし今回は少しだけ気になった。
そのような人たちが自分のプライドをかなぐり捨ててご機嫌取りにやって来たからには、わずかなお金を渡すことで気分を害され、それが新たな火種になるのではないかと密かに心配したのだ。

結局モナは僕のそのような密かな心配をよそに、300ペソの入った封筒を持って下に降りたと思ったら、その直後に「もう帰るって」と下の階から声をかけられた。
僕が見送りと挨拶のために1階に降りてみると、2人の叔母さんは満面の笑みを顔に浮かべ、上機嫌で既に外に出ていた。
(あら?300ペソでオーケー?・・・予想外・・)
その時僕はその笑顔を茫然と眺めながら日本語で、「お金を貰ったら、本当に帰るんだ」と言いながら、そのげんきんぶりに驚いて目が丸くなっていたはずだが、モナは「そうよ」と、まるで当たり前じゃないのと言わんばかりに返事を返してきた。

合計650ペソが、家族の関係修復のきっかけになる。
それほど生活の足しにはならなくても、やはり気持ちなのだろう。お金を出して不機嫌になられたら、こちらも割が合わないというものだ。
フィリピンは貧乏な国だが、気持ちが通じるうちはまだまだ救いがあると思いながら、少しホッとするものを感じた出来事であった。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:414.珍客登場
2011年12月28日

413.コーヒーと哲学

僕がコーヒー好きだということは、これまでの記事で何度か触れたことである。
コーヒー豆、コーヒーを淹れる水、お湯の温度、コーヒーの炒り方、ひき方と、いろいろこだわりはあるが、自分がコーヒー通かどうかは分からない。
僕は自分が美味しいと思うコーヒーを追求し、それを飲んで満足しているだけである。それを万人が美味しいと思うかどうかはまた別の話しで、自分のこだわりが世間のコーヒー通との間に多くの共通項を持っているかどうかは自信がない。
なぜならかつて日本の焙煎職人に、僕の好みはプロには面白くないと言われたからだ。
僕は深炒りが好きで、特にオールドビーンズという普通よりもよく乾燥させた豆が好きだが、オールドビーンズは誰が焙煎しても同じ味になるので、プロとしては工夫の余地が少なく扱いたくない豆だときっぱり言われた。

それでは焙煎のプロとして普段どのような工夫をしているかと訊いたら、例えばブレンドは数種の豆を混ぜ合わせるが、それぞれの豆の炒り具合を変えているとのことだった。
そんな面倒なことをしているのかとブレンドの入っている瓶に顔を近づけて良く見れば、確かに豆によって焦げ具合が違う。混ぜ合わせる豆の種類に応じそれぞれ炒り具合を変えることで無限大の味を表現できるから、実はブレンドが一番プロの魂がこもったもので、焙煎家として客に一番選んで欲しいコーヒーだと教えられた。
なるほどそれなら、僕はそのような焙煎の機微など到底理解できない人間だから、プロ中のプロが手掛けた豆は自分にはもったいないという話しをしたが、それでも客は客だから是非買ってくれと言われ、それから僕はその店の常連になった。

そのような経緯から僕は日本でいつも美味しいコーヒー豆に不自由しなかったので、フィリピンに移り住んでからも是非そうありたいと、いつも近所やマニラで美味しいコーヒー豆を探し求めていたのである。
そしてたまにこれぞという豆を見つけたこともあるが、一度購入して美味しいと思ったコーヒーも品質が安定しないのか、次に買ってみると味がまるで違ったり、スーパーの商品の入れ換わりが激しく同じものを再び購入するのが難しかったりするので、フィリピンという国はコーヒー好きには大変厳しい環境だと痛感していた。
特に我が家のある田舎町では、まずいコーヒーさえ手に入らなかったりするので、常に美味しいコーヒーにありつくことは、絶望的状況といって良い。
当初このことは、自分にとっては大変大きな悩みの種だった。

そこでまともなコーヒー豆が手に入らない時には、モナの勧めで仕方なくゴールドブレンドというインスタントコーヒーを飲むことにした。
このゴールドブレンドは、日本で「違いのわかる男」というキャッチフレーズで知られているものと同じ味だが、飲み始めるとこれが地元産の不味いコーヒーよりもはるかにましな味なのである。
(地元産のコーヒーも本来美味しいものはあるが、管理状態やパッケージングが悪いせいで、酸化により味が極端に落ちているものがほとんど)

しばらくそれを飲んでいたら、僕の中に変化が起こった。
30年間こよなくドリップコーヒーを愛しインスタントなど飲めるかと思ってきた僕が、ゴールドブレンドを美味しいと感じる体になってしまったのである。
しかもインスタントは気軽に淹れることができるので、一息つく場面で必ず飲むという具合に、一日に飲むコーヒーの回数が格段に増えた。
その回数は、モナにコーヒーの飲み過ぎは体に悪いと注意されるほどだった。
しかしコーヒーは血圧を下げる効果があるし、飲み過ぎで悪いのはコーヒーに砂糖を入れることが糖分の取り過ぎに繋がることである。僕はコーヒーに砂糖もミルクも入れないから、考えられる影響はせいぜい胃があれることぐらいだが、それも現在皆無だと何度も説明しているうちにモナは何も言わなくなった。

そしてそのコーヒーを飲みながら、最近僕はいつも考えてしまう。
僕はゴールドブレンドを美味しいと感じる「違いのわかる男」になったのか、それともドリップとインスタントの区別がつかなくなった「違いのわからない男」になったのか・・・。そもそも「違いのわかる男」ってなんだ?「違いがわかる」ってそんなに偉いのか?

ゴールドブレンドの強烈なキャッチフレーズ(これを考えたコピーライターはすごいと思うが・・)に毒されているせいだが、結局いつもそんなくだらないことを考えながら行き着くところは既にずれていて、コーヒー欠乏症を克服できたことに「何でも何とかなるものだ」ということであった。
そして、「何でも何とかなるものである・・まるで哲学の偉人が語った言葉のようだ、フィリピンは人生哲学の宝庫かもしれない」などと、次は真面目に思ったりするのである。

哲学とは「始まりと終わりを考えることである」・・・パンタルゴス
僕はこれを、メビウスの輪のような概念を考える(パラドックスに挑む)ことだと理解している。とすればやはりここフィリピンには、人が生きる原点があり、しかし考えても収拾のつかない事態が山ほどあるから、フィリピン自体が哲学そのものではないか・・などと、哲学的な言い回しではそんな風に思ってしまうが、自分でも何を言っているのかわからなくなりそうなので、本日はこの辺で・・・・(笑)


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:413.コーヒーと哲学
2011年12月27日

412.止まる時計

良い時計の見方を御存知だろうか。本当に丁寧に作られた時計は、秒針・長針・短針が、12時のマークにぴたりと重なる。
だから僕は時計屋さんで高価な時計を見る時に、必ず最低1分間は観察する。1分待てば必ず秒針が12時や3時、6時、9時の場所に差し掛かるから、その時に秒針と時刻マークのずれ具合を確認する。マークと秒針が雑にずれていたらそれでもうアウトだ。中には12時に合わせようとした時に、長針と短針が綺麗に揃わない粗悪品もある。
値段ばかり高くてその辺が適当な時計を、僕は中味も疑うことにしている。

日本メーカーの高級時計を良く見れば、その辺が実によくできている。
機械物だから本来それをぴたりと合わせるのは難しいが、高級品は秒針の微妙なずれに応じ、一つ一つ時間のマークを、秒針の位置に合わせるように位置決めしている。だから秒針が一周する中で、どの時刻のマークにも秒針がぴたりと重なるようになっている。

秒針を1秒毎に刻むクオーツでなければ、秒針のずれはあまり気にならない。だから高級時計を買えない僕は、ゼンマイ仕掛けの腕時計が好きになった。
特にお気に入りはセイコーダイバーだが、これは自動巻きにも関わらず時間の狂いが少なくて、やはり日本の技術は素晴らしいと唸った逸品である。
自分は海外ブランドの高級自動巻き品を使用したことがないが、知人には何人もそのような時計を持っている人がいて、いつも時刻を刻む正確さの話しになる。すると名だたるメーカーのほとんどが、すぐに時間が狂うという話しばかり聞く。
もっともそのような時計を使用している人は、大半の人がそれで構わないと言うし、それで良い人には全く良いが、自分には正確な時間を刻めない時計は性に合わないから使わないし、使いたくてなっても買えないから使えない。

僕の愛用しているセイコーダイバーは、実はナンチャッテダイバーである。
日本の百貨店に逆輸入品が27000円で売られていたので、飛びつくように購入した。
昔のセイコーダイバーは20万円前後の高級品ばかりだったから、僕にとって2万円台の価格は破格値であった。今では2万円くらいの物が巷に数多く出回っているが、その当時は超掘り出し物を見つけた気分で購入した。
しかしこの時計、3万円に満たない時計でも、すこぶる正確に時を刻む。
勿論ダイバーという名を冠している時計だから防水は完璧で、今まで一度もトラブルがない。

中国で数々購入したナンチャッテ時計(ロリックス、オミガ等々)は、防水仕様でも腕にはめてディスコで踊るだけで、ガラスの裏側に汗による水滴が溜まったり曇ったりして、笑える品がほとんどだった。
これはトリプルA品だと言われる度に、では試してみようと言い値の20〜30%くらいまで値切って購入しディスコにはめていったが、100%ガラスの内側が曇った。
汗で曇るのだから、雨の中やシャワーをする際は当然使えない。乾かすとまた普通に使えるところにさすがトリプルA品だと感心したが、最後はほとんどゴミになった。
同じナンチャッテ品でも、メーカー品は明らかに違うのである。

日本にいる時には、風呂に入る時も寝る時も、僕は常にダイバーを腕にはめていた。
しかしフィリピンに来ると、僕は普段ほとんど腕時計をはめない。それは普段ほとんど時間を気にする必要がないからである。
たまにはめるのは、出張などで飛行機を利用する時となるが、そんな時は自動巻きのダイバーは決まっていつも止まっている。
その時に、この時計をいつ外したかをいつも考えるが、いつも思い出せない。
それだけフィリピンでは、腕時計に無縁の生活を送っているということを、時計をはめる度に痛感するのである。
すると、使用する度にいちいちゼンマイを巻いたり時間を合わせたりするのが面倒になってくるから、今度は安物で良いからクオーツ時計が欲しくなってくる。
しかし秒針のずれを見る性癖がある僕は、やはり秒針と時刻マークとのずれが許せずに、購入可能価格帯の時計がなかなか買えないということになる。
そこで相変わらずセイコーダイバーを愛用しているが、その秒針はいつもフィリピンにいる時に止まることになる。

日本では決して手放せない年中無休の腕時計が、フィリピンではいつも休業状態。
僕は腕時計を取り出しゼンマイを巻き時間を合わせる度に、この二つの現象が二つの国の様子を象徴しているように思えて仕方がない。
腕時計がそれほど重要な意味を持たない国とは、時には皮肉で時には真面目に、本当はとても幸せな国かもしれないと心から思うことがある。


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