フィリピーナと共に
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2011年12月22日

408.僕のクリスマス

群青さん、こんばんは。深夜にも関わらず、コメントをありがとうございます。
コメントの返事を書いていたら長くなったので、記事にしちゃいました。
実は今の僕の心境を記事にしようと思っていましたが、群青さんの深夜に飛び込んだコメントが良いきっかけを作ってくれました。

こちらは今、余計な仕事まで重なりクリスマスどころではない状況ですが、モナにとってはとりあえず僕がここにいて、家族と一緒にクリスマスを過ごすことが大切なようです。

我が家では今から、大切な零時に何のご馳走を用意するか、着々と決まりつつあります。
やはり気合が入っていますよ。
ママの料理リクエストは餃子、とんかつなど和食が多く、僕はクリスマスなのになぜ?なんて思いながら、密かに和風スープでも作ろうなどと計画しています(笑)
和風スープなどと言ってもなんのことはない、これまで好評だったうどんスープのうどんなしで、それをスープとして飲みやすく少しだけ薄味にするだけです。
ちょっと工夫するだけで、まろやかで「これぞ日本の味」というものができます。

今年のクリスマスも親戚一同みんな我が家に集まるようで、我が家の大きなクリスマスツリーの下には、訪問者へのプレゼントが山のように積み上がっています。
プレゼントはこちらが配るばかりで、昨年までは何かふに落ちない思いもありましたが、今年は不思議とそのような気持ちはなく、純粋にプレゼントをあげる楽しみのようなものさえ感じます。

プレゼントを貰う時は子供たちに限らず、たいした中味でないにも関わらず大人も子供のように喜びます。
みんなで集い、美味しいものを飲み食いしながら笑いあって、ささやかなプレゼントにときめき、そうやって今年も無事、みんなでクリスマスを祝うことができる喜びと感謝の気持ちを分かち合うのでしょう。
そのような気持ちがようやく分かりかけてきた僕は、クリスチャンではなくとも、フィリピンで生かさせてもらっている日頃の感謝の気持ちを持って、皆さんを迎えもてなしたいと心より思っています。
だからこそさりげなく、「これぞ日本の味」を味わって頂きたいわけです。

この辺りの気持ちが以前と随分変わってきましたが、僕が自分の心の中のこのような変化を自覚し始めたのは、サラマさんやpatrickさん、そしてSさん御夫婦と一緒にフィリピンで過ごし、その方々の考え方を体感し、実際に奥さんの家族に対する礼儀正しさや垣根のないざっくばらんな接し方を見てからです。

それ以外にも、日本からフィリピンに寄せる深い想いに接し、また人それぞれのフィリピンやフィリピーナとの関わり方を見聞きし、気持ちが軽くなったり小さい自分に気付かされたり、そんなことで僕の中にいろいろあったしこりが一つずつ溶けだしたからに他なりません。
モナも僕が変わったと言いますが、自分でもはっきりとそれが分かります。
それは大げさな話しではなく、ひとえにフィリピンや日本で我が身を囲んでくれた方々のおかげです。
その意味で、今年の様々な出会いは、僕にとって本当に刺激的で有益なものでした。
群青さんも含め、その大勢の方々への感謝の気持ちも忘れずに、クリスマスの夜を過ごしたいと思っています。

一旦道を大きく踏み外しそうになった自分が、なんとか幸せに暮らせているのはモナのおかげであり、今度のクリスマスで集う家族のおかげであり、出会った友人のおかげです。
例年、酒飲みが盛り上がりはじめると、モナもママも僕も2階に上がり、後は勝手にほどほどに・・となります。
1階の喧騒とはまるで別世界の静かな2階で、僕はこれまでの自分を振り返り、そのような感謝の気持ちを再確認しながら、一番近くで支えてくれている人に感謝の気持ちを伝えたいと思います。

それが今年の僕にとってのクリスマスです。
どうでしょうか?
マレーシアのマンションの部屋で一生懸命クリスマスに臨むフィリピン人の気持ちを理解しようと思ってから、その後も考え続け、僕は僕なりのクリスマスの意味をこんな風に見つけました。
同じ感謝の気持ちを持って臨むのであれば、対象は神ではなくても、家族や友人で良いのではないか、しばらくそれで良いではないかと思っております。
フィリピンの方々と、少し同じ土俵に立てた気分です。

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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:408.僕のクリスマス
2011年12月20日

407.落ち着かない

先週の土曜日、ひとまずフィリピンに帰ってきた。
マニラで乗り継ぎの待ち時間が結構あったので、空港のコーヒーショップで時間をつぶした。空港で飲んだコーヒー一杯が115ペソと、高いと感じた。
マレーシアで飲んだコーヒーは、安い食堂で一杯30円くらい。マレーシアのスターバックスのコーヒーが一杯200円を切るくらい。
マレーシア人や日本人は、フィリピンの物価がとても安いと勘違いしているが、そのようなことはない。
マレーシアのガソリンはフィリピンの半分(50円/Lくらい)、マレーシア国民の医療費はただ同然、日本人が食べても美味しいと思われる食堂のような場所では一食200円〜250円。普段の生活でかかるお金は、フィリピンの方が断然高いと感じる。

石油が取れる国というのは、どこか豊かだ。
豊かであるが故に、クアラルンプールは見事に多国籍街である。金髪の老若男女の外人が普通に大勢街を歩いている。
マレーシアと日本の時差は1時間しかない。フィリピンから随分西にあるにも関わらず、フィリピンと時差無しというのは理由がある。
前マハティール首相が、マレーシアは日本の会社とたくさん交流を持って発展していかなければならないから、本来日本との時差2時間のところを、強引に1時間と決めた。
日本贔屓を褒めるのではなく、思想を持って物事を決めているその姿勢が素晴らしいと思う。
結果的に色々な意味で、マレーシアの方がフィリピンよりもずっと暮らし易くなった。

台風が来ているという情報が嘘のように、到着したばかりのマニラ早朝の空には、まだ青空が見えていた。それから乗り継ぐローカル便を待つ間、次第に天候がくずれていき、僕が飛び立った後のマニラは大雨になったことをある方のブログで知った。
レガスピも着陸して30分後、タクシーで自宅へ向かう途中に、前方の視界がほとんどきかないほどの大雨になった。あと少し時間がずれていたら、飛行機はレガスピに着陸できずマニラへ引き返していたとドライバーに言われ、まさしくその通りだと思った。マニラの空港はレーダー誘導があるから、少々視界が悪くとも着陸はできる。

現在この台風のせいでミンダナオの被害が大きく報じられているが、このタバコシティーにいた限りでは、一時的な大雨はあったものの、比較的穏やかな天候で風も昼寝にもってこいの気持ち良い程度で済んだ。
ミンダナオのカガヤンという街では、台風被害で100人以上の方が亡くなったようだ。
道路は川となり、その水位は15フィートと聞こえたらから約4.5mにもなったようだ。
亡くなった方がトラックの荷台に重なって積まれている生々しい映像もテレビで流れ、なんとも痛ましい災害が繰り返されていることに割り切れないものを感じた。

甚大な被害を何度も繰り返すフィリピンの国というのは、なんとも愚かだとしか言いようがない。
治水の重要性をまったく考えず、被害が出る度に救援隊を派遣し、食糧を配り、復旧作業をし、人と金をかけている。
まさにその時になったらその時に考えようというその場しのぎを延々と繰り返す。尊い命の多くが奪われることなど気にも留めないような放置ぶりは、日本という豊かで贅沢な国に生まれ育った自分には理解し難い。
偉い人は安全な場所に住み、災害を我が身の事として考えないようだ。
100人以上死亡などと言われても、その中に自分の家族が含まれるわけではないのだから、痛みなど覚えないのだろう。
庶民は、明日は我が身とばかり、悲痛な顔をしてこれらのニュースを見ている。

日曜日は帰国祝い?ということで、Sさん御家族が我が家を訪れてくれた。僕がモナの天丼を食べたいというリクエストに応じ、かき揚げ丼を作るので一緒にどうかとお誘いしたのだが、Sさんが具に使う海老やイカと、刺身にできる冷凍アオリイカも持ってきてくれた。
天丼のたれは僕が作ったが、天ぷらやかき揚げはSさんの奥さんが我が家に到着後すぐに持参したエプロンを付けて台所へ入り作ってくれた。Sさんも慣れた手つきでレストランで出てくるような綺麗なイカの刺身を作ってくれた。
味はいずれも思わず顔がほころぶような美味しさで、それらを囲んでの昼食は至福のひと時となり、食卓は暖かい幸せ感に包まれ、まさに「食は人を良くする」を実感するばかりであった。

Sさんは我が家では既に人気者で、たまたま訪れた魚屋の叔父さん家族を含め、我が家の家族に囲まれながら話しこんでいた。
モナはSさんの奥さんと2階の部屋に立てこもり、一緒に爪の手入れをしていたらしく、終わった時に2人の手足の爪は、鮮やかな赤系の色に輝いていた。
僕はなんとなくぶらぶらしながら、話しに付き合ったり2階を覗いたりしていたが、みんなが楽しく幸せそうに日曜の午後を過ごしてくれ、それだけで満足であった。

不思議なことに、Sさんが我が家を訪れそして帰ったあとは、すぐ停電になる。
前回も今回もそうであった。我が家の家族は停電になった途端、それを口々言いながら大笑いしていた。
夕食も終わり、停電で何もすることがないから早く寝るかということになり、早目にベッドに入った。
何もすることがないからできることをやるかという話しになり、モナと2人の共同作業中、これから合体・・という時に、パッと部屋の灯りがついて音楽が大きな音で流れだした。
停電解除で停電前の状態に戻っただけだが、なぜか停電がずっと続くものだと思い込んでいたし、停電前に部屋の灯りがついていたことなど、全く頭から抜け落ちていたから、これは激しく意外だった。

2人の部屋の窓に遮光カーテンはつけておらず、レースカーテンのみで、電気を付けたら外から部屋の中は丸見えとなる。
ベッドは窓のすぐ前にある。上になっていた僕は一瞬わけがわからず、体を持ち上げれば外から丸見えだから、ごきぶりのように身を低く匍匐後進のようなスタイルでサワサワとベッドから降り、部屋のドアの横にある灯りのスイッチのところへ素っ裸でダッシュし部屋の電気を消そうとしたが、慌てたせいか5個あるスイッチのどれを切れば良いのかわからず、適当にいじったら消灯していた部屋の灯りが点灯してますます部屋が明るくなった。
仕事机の前の窓から、僕の哀れな姿は丸見えになっているはずで、焦れば焦るほど部屋の電気のスイッチに当たらない。ベランダの灯りがついたり消えたり、肝心の電気がこのような時に限って不思議と消えないのである。
「あら?」とか「え?」などと言いながら奮闘し、ようやく部屋をまっ暗にした時には、素っ裸で焦ってスイッチ操作をしている僕の姿に、モナの笑いが止まらない状態になっていた。
おそらく夜になれば、家の周辺は誰も人がいないはずで、誰かに見られた可能性は低いが、外から一方的に見える環境というのは大きなプレッシャーとなる。
モナは今日になっても、そのことで思い出し笑いをしていたが、たしかに自分で振り返っても滅多にない滑稽な出来事で、生涯の汚点を残してしまったような恥ずかしさがあった。

月曜の今日は、朝から仕事に追われている。本日は息つく暇もないほど大変だったが、これが今週末まで続く。
そしてクリスマス直後の26日、再びマレーシアに行き、何とか年末までに我が家へ帰る予定だが、そんな段取りを考えている最中に、顧客より日本で交渉していた案件の内示が出て、年明けは8日か9日頃に日本へ行くことがほぼ決まった。
僕のパスポートには入出国のスタンプがどんどん押され、決して不法行為をしているわけではないが、最近ではどこでもイミグレーションや税関の追求が厳しくなっているから大変煩わしい。
色々な国を短期間で出入りしている人物は、イミグレーションでは要注意人物となる。僕はその国でお金を使い、経済発展に寄与する活動までしているのだから、できれば要注意ではなく重要人物(VIP)として扱って欲しいと次回は訴えるつもりでいたら、マレーシアの会社では次回から召喚状を出してくれることになった。これにより、イミグレーションが断然スムースに通れるらしい。逮捕されるわけではないから、そこまで大げさにしなくても良いとは言っているのだが・・。

来年の日本のケースでは、日本に3〜4カ月の長期で滞在してほしいとの要求を、日本サイドは意図も簡単に言ってきた。これは以前記事の中で書いた、キーパーソンが1人退職することも関連している。
そんなことを簡単に言いだす人間は、1年の1/4や1/3も家をあけるということが本人や家族にとってどれほど苦痛で大変なことか、他人の痛みが分からないフィリピンの政治家や役人と同じで、全く想像することができないのだろう。
少しは我が身のことに置き換えて考えて欲しいものだが、ワーカーホリックたちが全てに優先するのは経済活動であり、家族との生活などは二の次に違いないから決して理解できない。
以前まで似たようなものだったかもしれない自分が少し海外に出ただけで、そのような人たちの、その次元での想像力の欠如や人間の生き方についての考え方が鼻について非難したくなっている。
難航しそうだが、期間もしくは条件交渉が必要となりそうだ。
おそらく家族を日本に呼ぶなど、費用も喜んで出して賛成してくるだろうが、こちらの家を長期であけることやベルの学校も考えれば簡単ではないから、これは頭の痛い問題だ。

なんとも落ち着かない日々となっている。
このままいけば、「一年も有効期間があれば大丈夫」と高をくくっていたフィリピンの仮免許も、気付いたら日本の免許と同じように失効し、また最初からやり直しになってしまいそうだ。


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カテゴリー:フィリピン生活
エントリー:407.落ち着かない
2011年12月16日

406.フィリピン人になりきる

12月15日、ちょっとしたトラブルがあった。
12月に入ってからの海外出張ということで、モナの胸中には、僕がクリスマスにフィリピンを不在にする心配があったのは承知していた。
そこで僕は、クリスマスまでには帰るという約束を明言しなかったものの、心の中にはそれまでに絶対に帰らねばならないという使命感は持っていた。
普段頻繁に家をあけているのだから、せめてフィリピンの最大イベントであるクリスマス(日本の正月感覚)には、家にいないといけないという義務のような感覚である。

とりあえずフィリピン帰国が間近に迫った本日、予定通り帰る旨を周囲に伝えると、あともう少しだけ付き合ってくれないかという話しになった。
仕事は予想以上に順調に進み、当初3カ月の予定が1カ月足らずで終わりそうな進捗となっている。

「いや、もう僕がいなくても、現地のスタッフで続きを十分できると思われるし、どうしてもというところは、フィリピンとメールやデータのやり取りをすれば何とかなるでしょう」

と言ったのだが、それでも何とかと言われ、ではあと3日間だけ伸ばしましょうということにした。

そしていざ手持ちのチケットを変更しようと思ったら、クアラルンプールからマニラまでの飛行機が全滅状態。
今持っているチケットを捨てて新しく買い直しても仕方がないと、可能性のある航空会社のほとんどを現地の旅行会社にも当たってもらったが、やはりだめ。
それでは日程を延長した場合、座席が取れる最短の日はいつかと訊けば25日で、それまではどのルートも一杯であることが分かった。
25日に帰るのは、モナにとってあまり意味がない。フィリピンでは24日の深夜、25日に日付が変更になる時に、家族揃ってご馳走を食べるのがクリスマスの習わしである。

25日の帰国に僕が渋っていると、シンガポール経由、タイ経由、セブ経由に続き、日本経由で帰るルートはどうか、などといいう話まで出始めた。
それでも取れないだろうとは思っていたが、万が一日本経由などで空席が見つかってしまったら「よし、それでいこう」などという話しになりかねない雰囲気に、実際に空席を調べる前に「いくらなんでも日本経由はあり得ないでしょう」と牽制し、周りが諦めた。
みんなが「う〜ん」と唸ってから黙りこくってしまったので、

「では僕が予定通り帰った場合のリスクについて、よく考えてみましょうよ、さて、困ることは何ですか?具体的にあげてみて下さい。それらの問題に対して僕が善処できない場合、僕は諦めて25日の便に変更しますよ」

と提案し、現地スタッフも含めて問題点をあげてもらおうとしたところ、誰も具体的な問題点を言うことができない。
ほらほら、やっぱりと思いながら、仕方がないので僕から心配な点をあげて、あらかじめ考えてあった対処方法をあげていった。
とどめは日本の御本社様から来ている日本人の前で、現地スタッフに、
「どうですか?もう仕事を進められるでしょう。何か問題ある?あるなら言って下さい」
と訊いた。
マレーシア人もフィリピン人とほぼ同様に南国人のはしくれで、このような場合は問題があったりできなくて「大丈夫」とか「問題ない」とか「できる」などと言ってしまう悲しい性を持っている。当然答えは大丈夫というものであった。
もちろん僕は、本気で問題ないと思っている。

「この通り、僕がマレーシア滞在を延長する意味は全くありません。それよりも、少し進んだ27日あたりにマレーシアにもう一度来て、その時点で顔を合わせてしっかりすり合わせをした方が、よほど安心できると思われますが・・・」

と言ったところ、一同声を揃えて「そうか、そうだねぇ、その方がいい。それじゃ一旦予定通り帰って下さい」と、掌を返したように、しかもかなりげんきんに、そのような話しに落ち着いた。
元旦前にはフィリピンには帰るという条件付きでも、短期滞在で再びマレーシアを訪れることに一同気を良くしたようである。

会議終了後、僕は現地スタッフの責任者にこっそり話した。
「僕が今ここで主にやっていることは何か気付いていますか?最初は確かに技術的な話しが中心だったけれど、後半はあなたも良く知っている通り、仕事の流れを説明して、あれをやれとか次はこれをやってと言っているだけで、技術的な話はほとんどしていないんですよ。それってその気になれば、あなたが十分できる仕事です。設計の部分はこちらの責任であることは変わりありませんから、作業仕事はあなたが責任を持ってやってくれませんか。そしたら全く問題ないですよ」

これでクリスマスにフィリピンで過ごすことは確定したのだが、とりあえず3日延長するかもしれないという情報をモナに入れ、僕のチケットをフィリピンで変更できるならお願いしたいと彼女に話していたものだから、モナも24日までは満席状態という情報をフィリピンの旅行代理店でキャッチし、フィリピンサイドでは、この状況下では大切な24日までに僕がフィリピンに帰れないという話しが先行していたようだ。

お客さんを含めた打ち合わせ中に、モナからはスカイプでピコッ、ピコッという音と共にどうなったかというメッセージがパソコンに飛び込むのだが、僕はお客さんのオフィスで、打ち合わせ中にモナのチャットの相手などできるわけがなく放っておいた。
そして打ち合わせ終了後、モナには予定通り一旦帰る旨をスカイプで返信した。

仕事が終了してオフィスで帰り仕度をしているときに、今度はSさんから国際電話が入り、「クリスマスに帰れないって聞いたんですが、本当ですか?」などと言われ、相変わらず情報が早いことに舌を巻きながらも、予定通り帰ることになったことを伝えた。
その時に、僕がクリスマスに帰れないことになったら、Sさんの奥さんが「モナちゃんとと一緒にマニラに行くなんて話しになってましたよ」などという話しが飛び出して、なぜマニラ?そのままクアラルンプール?などと、誇大妄想を抱きならSさんの話を聞いていた。
その電話のあとで、もしかしたらフィリピンではすごく大騒ぎになっていたのだろうか、僕の中で25日の帰国はあり得ない選択だったのに・・・と、少々モナと自分の考えていたことのギャップを感じながら、まるで信用がないことを自覚したりもするのだった。

クリスマスに家に帰れないというには、モナにとってそれほどの大事件なのだろう。
僕にはなにかピンとこないものがあり、「クリスマス」を「正月」という言葉に置き換えて、感覚的な理解に努めようと試めしてみたら少しは分かってくるものの、それでもそれほどの重大事には感じられない。
実はそれが普段も問題で、誕生日やクリスマス、ニューイヤーなどのイベントに対するモナの強い気持ちに、僕はいつも妙なギャップを抱えるのである。
よって、もちろんモナが大事件と考えていることは分かっているのだが、自分にとって同じくらいクリスマスというイベントが大切かと自分に問えば、自信が揺らいでしまう。

この場面では、心の底から僕もモナと同じような気持ちにならないと、僕はフィリピン人の気持ちがこの先も分からないのだろうなぁ・・などと思い、トレーニングで何とかなる問題かは知らないが、とりあえず1人になったマレーシアのアパートで一生懸命フィリピン人になり切って、「あ〜、クリスマスまで帰れないと大変だぁ〜」と敢えて何度も思い込み、本気でそう感じられるように頑張ってみたものの、当たり前だがこれは、一夜漬けでは何ともならないようだった。

とりあえず僕は、全くモナと同じ感覚には至らないが、家族のために帰るという気持ちは強く持っている。
今のところその程度で勘弁してもらうしかないが、いつか本気で同じように感じることができたらよいと思っている。


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